「刃傷 奥右筆秘帳」 敵の刃は幕府の法
将軍家斉が江戸城内で暗殺されかけた一件の背後を調べ始めた併右衛門。その真相を闇に葬るため、伊賀者の刺客が、乱心を装って殿中で併右衛門を襲った。辛うじてこれを防いだものの、鞘が割れて刃が露出したことで、併右衛門の命は風前の灯火に…果たして併右衛門に逆転の一手はあるか!?
気がつけば早八巻目、上田秀人の「奥右筆秘帳」の最新巻であります。
ベテラン奥右筆・立花併右衛門と、剣の達人の部屋住み・柊衛悟の戦いは、まだまだ続きます。
…いや、今回の戦いは、ある意味最も苦しいものと言えるでしょう。何しろ、併右衛門が、自らが武器とする法の力によって、罪を問われ、命を危うくするのですから。
前作「隠密」において、将軍家斉が城内で幾度となく命を狙われたという一件の調べに当たっていた併右衛門。
しかし、当然のことながらその真実を知られては困るのは下手人…というわけで、その実行犯たる伊賀者は併右衛門の口封じに動き始めるのですが、しかし彼を守るのは衛悟の剣、なまなかな手段ではそれを突破することはできません。
しかし、忍びの執念深さは侮れません。それならば、衛悟の手の届かないところで併右衛門を襲えば…と、併右衛門が殿中で襲撃を受ける場面から、本作は始まることになります。
この襲撃の恐るべき点は、襲撃者の刃を凌いだとしても、そのために刃を抜けば、文字通り命取りになる点にあります。
殿中で刃を抜くことは、とりもなおさず将軍家への逆意を示すことであり、極刑に値する行為――たとえ直接命を奪うことは出来なくとも、刃を抜かせれば、あとは幕府の法が併右衛門を裁くことになるのです。
そして襲撃者の刃に、脇差しの鞘を砕かれた併右衛門は、刃を露出させた咎で、目付の厳しい尋問を受けることに――
幾度となく命の危険に晒されてきた併右衛門。しかし、これまでは彼を守る剣として、衛悟の存在がありました。
それが今回は、その衛悟の立ち入れぬ場で襲撃を受け、そしてそればかりか、併右衛門がこれまで自らの武器としてきた知、すなわち幕府の法が、恐るべき刃として、彼の身に降りかかることになります。
ある意味、シリーズ始まって以来の危機、それも非常に恐ろしくも、他の作品ではまず見られないような今回の危機。
正直なところ、シリーズも巻数を重ねて読者のこちらとしても慣れてきた部分もあったのですが、それが一気に目が覚めるような展開であります。
しかし――幕府の法を用いることで、奥右筆が、併右衛門が他者に遅れを取るわけがありません。
この絶対の窮地において、併右衛門が仕掛ける逆襲は、ただただ痛快。前例主義に凝り固まった幕政の裏をかくような奇手妙手は、まさに併右衛門でなければ、このシリーズでなければ繰り出せないものでありましょう。
それだけでも本作の価値はあろうというものです。
そして、今回は脇に回ってしまった感もある衛悟ですが、しかし彼にも重要な役割があります。
併右衛門が囚われている中、併右衛門の娘・瑞紀を支えるという役目が…
物語後半で描かれるある出来事は、本作を当初から読んできた者にとっては、何よりも嬉しく、微笑ましいものなのであります。
残念ながら、今回は併右衛門の窮地を描くのが手一杯で、シリーズとしての物語はほとんど動かなかった印象があります。
衛悟たちを狙う冥府防人も、ツンデレが過ぎて不審人物になりつつありますし、前回ようやく動きを見せた朝廷方の中心人物・覚禅も、また通行人に戻ってしまった感があります。
もちろん今回は仕方のないことではあるわけで、その辺りは次の巻でのダッシュに期待することといたしましょう。
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