「後巷説百物語」第1巻 江戸・明治・現代を貫く眼差し
京極夏彦の「巷説百物語」「続巷説百物語」を完全漫画化した日高建男の漫画版「巷説百物語」、その続編である漫画版「後巷説百物語」の第1巻の登場であります。
この漫画版の原作たる「後巷説百物語」は、京極夏彦の直木賞受賞作にして、「巷説百物語」シリーズ第3弾。
しかし、シリーズものといいつつ、本作は正編・続編に対して、構造上の大きな違いがあることは、原作読者の方であれば良くご存じでしょう。
本作の語り起こしは明治10年――既に徳川幕府が滅び、新しい生活に人々が馴染んできた時期に、四人の若者が、東京の外れに庵を結ぶ隠居老人を訪ねる場面からとなります。
四人の若者は、奇怪な事件や伝説の真偽を巡り、若き日に百物語開版のために諸国で怪談奇談を収集したというその老人・一白翁の意見を求めて訪れるのですが――言うまでもなく、一白翁とは、前二作で目撃者的立ち位置にあった山岡百介のその後の姿。
若者たちの求めに応じ、一白翁=百介が、若き日に出会った事件、御行の又市たちとともに関わった事件を語るというのが、この「後巷説百物語」の基本スタイルとなります。
さて、この漫画版第1巻に収録されているのは、原作でも第1話の「赤えいの魚」を漫画化した「赤えいの背中」。
恵比寿像の顔が赤くなる時、恐ろしい災厄が襲うという伝説の通り滅んだ島の真偽を巡って訪れた四人組に対して、一白翁がかつて訪れた、恵比寿像が赤くなったために滅んだ島の物語が語られることとなります。
凶悪な盗賊の逃避行に巻き込まれ、海に放り込まれた若き日の百介。運良く岩礁に引っかかり、一命を取り留めた百介が辿り着いたのは、周囲からは魔所と恐れられる戎島――月に一度だけ、対岸からその姿を見ることが可能であり、そこには謎めいた御殿があるという、謎の島でありました。
そこで御殿の主・島親の戎甲兵衛に歓待される百介ですが、彼は島の狂気の掟をすぐに知ることとなります。
この島に存在する、あるいは漂着した者/物は全て甲兵衛の所有物であり、それをどう扱おうが甲兵衛の思いのまま(島に「歩いて」辿り着いた百介は、この掟の外の客人扱い)。
そして島の住人たちも、その掟に全く疑いを持たず、奪われても殺されても、ただ無気力に甲兵衛に従うのみ――
果たして何故このような島が生まれたのか、そしてこの島を変えることができるのか…というところで、又市一味の出番ということとなります。
この「赤えいの背中」の原作「赤えいの魚」には、実はさらに原作もしくは原案が存在します。
それが約10年前にWOWOWで放映されたドラマ「怪」の一エピソード「赤面ゑびす」なのですが、こちらは物語の大筋は変わらぬものの、明治時代の百介が語るという構造は取られていません。
これはもちろん、「後巷説百物語」の構想がまとまる以前の作品ということはあるでしょうが、しかし、「赤えい」という妖怪の存在に目を向けると、そこに込められたある寓意が浮かび上がります。
ここでいう赤えいとは、「絵本百物語」に登場する、海面に浮かび上がったその背中があまりに巨大なため、島と見間違えられたという巨大魚のこと。
作中で一白翁は、自分たちの住む世界の掟に全く疑問を持つことなく、ただそれに従い生きてきた戎島の人々を、赤えいの背中に堆積した砂のようなものと語ります。
しかしそこには同時に、徳川幕府が滅びるなど夢想だにしなかった、そして今は明治の御代を謳歌する、自分たち自身も同じ存在なのではないか――さらに言えば、その物語を読む我々もまた――という問いかけもまた、含まれるのです。
そしてこれこそが――少なくともこのエピソードにおいて――明治の東京を語り起こしとした理由と言えるでしょう。
優れた時代ものとは、その舞台となる時代を描くと同時に、その作り手・受け手の住む時代に通じるものを描き出すものですが、本作においては、そんな、江戸・明治、そして現代を貫く眼差しが存在しているのであります。
このような物語が、今この時に漫画化され、新たな命を吹き込まれたことに、何らかの意味…というより因縁を感じてしまうのは、これは考えすぎかもしれませんが、それくらいの思いこみは勘弁していただきましょう。
特に冒頭部分など、相変わらず原作の情報量の多さを真っ正直に再現しようとして漫画として読み辛い部分は存在しますが、しかし、本作が原作をきっちりと漫画化したものであることは、間違いないのですから…
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