「妾屋昼兵衛女帳面 側室顛末」 妾屋、権力の魔を抉る
若き藩主の世継ぎを残すためという伊達家の依頼に応じ、浪人の娘・八重を側室に周旋した妾屋・山城屋昼兵衛。しかし家中では、伊達家の財政を救うため、将軍家から養子を求めようとする一派があった。八重の警護役となったタイ捨流の使い手・大月新左衛門は、同じ藩士との戦いを繰り広げることに…
相変わらず快進撃を続ける上田秀人、9月の新刊は「妾屋昼兵衛女帳面 側室顛末」…
というタイトルを見た時には、少々驚かされました。「妾」や「女」「側室」というワードが、こちらの上田作品のイメージとあまり噛み合わなかったのですから。
が、もちろん言うまでもなく、これは私の浅はかさというもの。伝奇性はほとんどないものの、内容の方は上田作品そのもの。
これまでとはほんの少し異なる立場から、権力の魔に憑かれた者たちのおぞましさを浮き彫りにした、なかなかに興味深い作品であります。
タイトルとなっている妾屋とは、文字通り、妾の仲介業ですが、武士の側室もそこに含まれるというのが興味深い。
というのも、武士が側室を置くのは、単なる欲望のはけ口だけでなく、いやそれ以上に、血筋を残す手段でもあるのですから。
そして、武士が己の血筋を残す、すなわち、己の持てるもの、己の家柄・権威権勢を後世に残す…となると、これは上田作品にしばしば見られるシチュエーション。
本作でも、血筋とそれがもたらす権力を巡り、暗闘が繰り広げられることとなります。
さて本作は、仙台伊達家の若き藩主に、家臣が側室を持たせようとしたことから物語が始まります。
藩主・正室、ともに蒲柳の質であったことから、少しでも早く世継ぎを残させるための手段として、家臣が頼ったのが妾屋。かくて、その道に知られた妾屋・山城屋昼兵衛の出番となります。
一方、側室推進側と対立する一派は、継嗣問題と伊達家の財政難を一挙に解決するための手段として、将軍家――ちなみに時の将軍は家斉、と言えば納得する方も多いでしょう――の男子を所領付きで迎え入れんと策謀。
それを受けて幕府内部でも、将軍の後継争いに火がつくこととなり、一藩の側室を迎えるということが、あっと言う間に、天下の一大事となってしまうのであります。
この辺り、先日紹介した「娘始末」もそうでしたが、ほんの小さなきっかけが、見る見る間に周囲を巻き込み、巨大な事件として幕府を、徳川将軍家すらを揺るがすという構成、仕掛けの面白さにまず感心させられます。
しかし、こうした「大きな」動きを描くのに物語が終始するだけでないのが、本作の魅力であります。
全く望まぬままに、天下を揺るがしかねない事件の中心となってしまった側室・八重。
彼女が藩主の男子を生めば、徳川家からの養子を迎える必要がなくなる――言い換えれば、彼女を亡き者とすれば、養子を迎えることができる。
そのためだけに、彼女は命を狙われることとなり、彼女の警護役に任じられたタイ捨流剣士・新左衛門は、同じ伊達家の人間と命がけの戦いを強いられるのです。
そんな八重の運命を、新左衛門の戦いを通じて剔抉されるのは、権力の魔に憑かれた人間たちの醜さ、おぞましさ――
お家のため、忠義のためと言いつつも、その背後には己の欲が見え隠れする、いや、己の権勢欲を忠義という大義名分で塗り固めた者たちにとっては、一個人の人生、命の尊厳などは、いかほどの価値はないのでしょう。
このような権力観は、上田作品にはほぼ一貫したものではありますが、しかし本作においては、八重という非力な女性の存在を中心に置くことにより、これまで以上に重く、苦く、印象的なものとなっているのです。
そして、巨大な権力の魔と、それに憑かれた者たちと相対することとなった時、人はどのように処するべきか。自立した一個人として望ましい生き方とは何か…
これまた上田作品に通底する問いかけに応えるかのように結末で描かれる新左衛門の決断、そして昼兵衛の啖呵は、物語が重く苦いものであるからこそ、一層清々しく、痛快に感じられます。
どうやら本作はシリーズ化されるようですが、この先、妾屋という存在を通じて何が描かれるのか。
本作で描かれたものをより掘り下げるのか、はたまた異なるものを浮かび上がらせるのか。
いずれにせよ、今断言できるのは、そこに描かれるのが、異色に見えても、紛れもなく上田秀人にのみ描くことができるものである、ということであります。
「妾屋昼兵衛女帳面 側室顛末」(上田秀人 幻冬舎時代小説文庫) Amazon
| 固定リンク
コメント