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2011.10.25

「楊令伝 四 雷霆の章」 受け継がれていくもの、変わらないもの

 早いものでもう第4巻。もうすぐ全体の1/3に達する「楊令伝」であります。
 北の遼と南の方臘、両面に敵を得た宋禁軍は二面作戦を展開、全く様相を異にするその戦いの火蓋がいよいよ切って落とされます。

 楊令ら梁山泊軍と金国軍の手により遼の首都にまで追いつめられた遼国軍。しかし、遼の切り札と言うべき三人の武人が率いる遼国軍は精強の一言であり、本人が不在にせよ、童貫に鍛え上げられた禁軍を苦戦させるほどの力を発揮します。

 宋と遼の戦いが、これまで描かれてきた戦いの延長線上にあるとすれば、一方、宋と方臘軍の戦いは、全く異質なものであります。
 数十万にも及ぶ信徒を動員した方臘は、その教義である度人――この世に生きることは苦しみであり、相手を殺してやることが功徳となる――の教えによって、宋国軍を迎え撃ちます。
 軍人でも賊徒でもなく、ただ「度人」と呟きながら前進してくる信徒の群れ――個々の戦闘力は低くとも、しかし湧き出るように現れ、ただ前進してくる相手との戦いは、戦闘ではなくもはや虐殺というレベルにならざるを得ませんが、それに耐えられるほど、人の、攻め手の心は強くありません。

 自分の信徒を殺させることで、相手の兵の心を殺す。さしもの童貫も、この異常な戦法に打つ手なしか…と思いきや、ここで、その手があったか! と言いたくなるような戦法を持ち出してくる辺り、いやはやさすがは童貫であります。


 さて、各陣営が激しい戦いを繰り返すのと平行して、世代交代が進んでいく様が描かれていくことになります。
 既に前作「水滸伝」に登場した人物の多くが命を落とした一方で、彼らの子供の世代が、あるいは彼らの戦いを見てきた世代が、戦いに加わり、そして成長していくのです。

 この巻では、史進と花栄の息子・花飛麟に関係が比較的重点を置いて描かれますが、しかし考えてみれば、タイトルロールである楊令自身が――その能力が破格な故忘れがちですが――ネクストジェネレーションであるわけであります。
 彼ら次なる世代が、いやそれどころか、岳飛のように、さらに次なる世代の成長が、本作の眼目の一つと考えても間違いはありますまい。

 水滸伝の原典は、時間の経過というものが比較的感じにくい物語ではありますが、しかし言うまでもなく、時間は容赦なく流れ、いかなる英雄豪傑も年をとります。
 この「楊令伝」においては、この時間の経過を真っ正面から描きつつ、その中で受け継がれていくもの、変わらないものを描き出そうとしているように感じられるのです。
(にしても、あの公孫勝にも後継者的な存在が現れるとは…)

 そして、育つ者があれば、去る者もまたいるのは必然。この巻では、子午山で王進とともに好漢たちを育ててきた王母が、息を引き取ることになります。

 考えてみれば、「水滸伝」の冒頭から登場していた王母。生に傷つき、自らの行く道に迷った者を優しく見守ってきた彼女の存在は――我々にとっても――決して小さなものではありません。

 私が北方「水滸伝」で初めて泣かされたのは、鮑旭が王母に字を教わる件だったのですが、この巻でそれがリフレインされたのには、またもや目が潤みました。


 それにしても、まだまだ続く南北の戦い。もちろん、少しずつ戦況は動きつつありますが、しかしまだまだ物語の先行きは不透明です。

 個人的には、もはや完全に方臘に心酔した呉用の行く末が一番気になるのですが――この経験が、彼にとって吉と出る凶と出るか、方臘の反乱の行く末も含めてやはり気になるのです。


 それにしても、方臘が活躍する一方で王慶は…いや、原典でもまあ、今一つな人でしたが。

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