「安政五年の大脱走」 人の尊厳を目指しての脱出
安政五年、津和野藩の美しき姫・美雪と藩士たち51人が、突如井伊直弼の配下により絖神岳山頂に幽閉された。姫を見初め、拒絶された直弼が、姫を翻意させるために捕らえたのだ。厳重な警備に峻厳な地形と脱出不可能かに見える状況の下、男たちは自分たちの、そして姫の自由のため、脱走に命を賭ける!
書く作品一作ごとにジャンルを変えているのではないか、と言いたくなってしまうエンターテイメント職人・五十嵐貴久にとっては、時代小説も活動ジャンルの一つであります。
現時点ではわずか二作と数は少ないのですが、しかしどちらもなかなかの快作。その一作、作者の初時代小説が本作「安政五年の大脱走」です。
前藩主の法要の帰り、突如として井伊直弼の懐刀・長野主膳に捕らえられた美雪姫と津和野藩士51人(正確にはうち1人は巻き添えを食って捕らわれた御用商人)。
全く身に覚えのない将軍暗殺未遂という罪状で彼らが連行されたのは、人里離れ、ほとんど垂直に切り立った絖神岳山頂でした。
峻厳な自然と、厳重な警備の下、刀を奪われた津和野藩士たちは、それでも自由を求め、地下に穴を掘るという奇策で、脱出を計画するのですが――
と、タイトルの時点でおわかりかと思いますが、本作は、ジョン・スタージェスの名作「大脱走」のオマージュとして執筆された作品であります。
事実、脱出不可能と思われる場に収容された男たちの必死の脱走劇という骨格はもちろんのこと、脱出手段が地下にトンネルを掘る点、その作業音の擬装のために合唱する点など、本作には、様々な部分に「大脱走」を踏まえたシチュエーションを見ることができます。
もちろん、元ネタそのままでなく、如何に時代小説として換骨奪胎するか、というのも見所の一つですが(トンネル掘りを指揮する者の身分など、思わず納得)、しかし、この作品が、単に「大脱走」を幕末に移し替えただけのものではないことは、言うまでもないでしょう。
本作を「大脱走」と明確に分かつもの。それは、そもそも彼らが捕らわれることとなった理由、脱出しようという理由にあります。
実は井伊直弼は不遇だった青年時代の想い人の娘である美雪に一方的に懸想、側室に迎えようとしたのですが、姫がこれを拒絶。長野主膳の入れ知恵で暴走した直弼は、それならばと藩士の命を盾に姫を翻意させるため、彼らを捕らえたのであります。
ここで、彼らが脱走する理由は、単に自分たちが自由になるというためだけのものではなくなります。
主家の姫君を――ここで姫と設定することで、武士道精神のみならず騎士道精神的なものもも感じさせるのが心憎い――権力者の暴戻から救い出すためにも、彼らは脱走しなくてはならないのです。
いわば、自分のみならず、尊敬するもの、守るべきもの、己より弱きもの――そうした存在の、尊厳を守るための試みなのであります。
彼らのその想いとそれを実現するための行動は、舞台となる幕末という時代にある程度規定されるものではあります。しかしながら、それ以上に、現代の我々の胸にも当然のこととして理解できる、現代に通じるものとなっているのです。
まさにこの点で、本作は「大脱走」と明確に異なる、そして本作ならではの魅力を獲得していると言えるでしょう。
ラストのどんでん返しはいささか乱暴ではありますし、結末も大甘ではあります。
しかしそれでも私が本作を大いに愛するのは、まさにこの、痛快な時代エンターテイメントを描きつつも、その中に、人間として決して忘れてはならないものを忍ばせてみせる、その点にあるのです。
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