「ばんば憑き」(その2) 怪異を求める人の心
宮部みゆきの「ばんば憑き」収録作品紹介の後半であります。
「討債鬼」
手習所の若先生・青山利一郎は、大文字屋から息子の信太郎を斬ってほしいと依頼される。行然坊なる僧によれば、信太郎は店に災いをもたらす討債鬼だというのだが。
「あんじゅう」に登場した利一郎と行然坊が活躍するスピンオフである本作は、二人が初めて知り合うきっかけとなった事件が描かれることとなります。
題名の討債鬼とは、人に貸しを作ったまま亡くなった者が、その貸しを取り立てるためにこの世に現れるという存在。行然坊は、兄が継ぐはずだった店を奪った大文字屋の主人に、その息子の信太郎こそが討債鬼だと告げたために起きる騒動に、利一郎が巻き込まれることになります。
「あんじゅう」で描かれているように行然坊はニセ坊主。そんな彼が言う討債鬼が実在するはずもないように思われるのですが…しかし、真に鬼を生むのは人の心であります。
実際の鬼を斬るよりも遙かに難しい、人の心の中の鬼を如何に斬るか…
行然坊をはじめとしてコミカルな登場人物が多いため、物語の印象自体はさまで暗くはありませんが、ここで描かれるものは、実に重く我々の心にのしかかります。
しかし、鬼もいれば仏もいるのが人の心。理不尽な扱いを受けながらも、なおも父を思いやる信太郎と、彼を守ろうとする利一郎の姿には、そんな希望が感じられるのです。
「ばんば憑き」
湯治旅の帰りの佐一郎とお志津の夫婦は、ある宿で老女・お松と相部屋になる。佐一郎は、お松から、彼女が五十年までに出会ったある忌まわしい事件を聞かされる。
本書の表題作であるこの作品で描かれるのは、分家から本家に婿入りし、我が儘放題の妻に振り回される男が、偶然同宿となった老女から聞かされた昔話。
それは、好きあった男との祝言を目前に、横恋慕した別の娘に殺された娘にまつわる物語でありました。
その土地では、人に殺められた者の魂を、殺した者の身体に下ろして宿らせる<ばんば憑き>という風習があり、その殺された娘の魂も、その儀式によりこの世に戻ったというのですが――
本作は、怪異の全てが伝聞で語られます。その怪異の内容そのものももちろん恐ろしくはありますが、しかし、あるいは全ては妄想の産物、虚構なのかもしれません。
しかし、本作では、そんな不確かな怪異――そしてそれは、人の命と魂を弄ぶものですらあるのですが――をすら信じ、求めてしまう人の心が浮かび上がるのが恐ろしい。
そして真に恐ろしいのは、自分がその心の動きを、否定できないことなのですが…
「野槌の墓」
何でも屋の源五郎右衛門は、幼い娘を通じて、化け猫のお玉から仕事を依頼される。彼女は、ある事件が元で人を襲うようになった木槌の怪を斬って欲しいというのだが…
ラストに収められたのは、人と妖怪の不思議な関わりを描く作品であります。
男手一つで幼い娘の加奈を育てる何でも屋の源五郎右衛門が、加奈から「「父さまは、よく化ける猫はお嫌いですか」と問いかけられたことをきっかけに、彼は化け猫のお玉から人を襲うようになった妖怪・野槌を退治する羽目になるのですが…
ここまではよくある(?)妖怪退治ものですが、しかし作者の作品がこれだけで終わるわけがありません。
何故その妖怪が人を襲うようになったのか――そのあまりにも悲しい事情を知って、源五郎右衛門は大いに悩むことになります。
心ならずも人を害するようになった――それも彼が望んだわけでもなく――モノを裁かざるをえない彼の苦い心中には、大いに共感できるものがあります。
しかし、本作では彼にも、そして野槌にとっても、ある救いが訪れることになります。
本作を含め、本書に収められた作品の多くで描かれるように、人の心には暗い部分が存在するのと同時に、それでもなお、善き部分もまた存在するのですから――
「ばんば憑き」(宮部みゆき 角川書店) Amazon
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