「青い森の国」上巻 5,500年前に人間の在り方を見る
今から約5,500年前、縄文時代前期の東北。その海岸の村に打ち上げられた青年は、ヒカリという自分の名以外、記憶を失っていた。神官の老婆コズマの元に身を寄せたヒカリは、村の周囲の森を跳梁する猿人と出会うが、猿人には平和を求める者と戦いを求める者がいた。後者に襲撃を受けた村の運命は…
菊地秀行作品において、古代、いや超古代が題材となっているものは決して少なくありません。
それこそ、人類誕生以前を起源とするようなアレコレが登場することも珍しくない印象がありますが、しかし、物語の舞台として、紀元前3,500年を選んだ作品は、これが初めてではないでしょうか。
本作は、現代から約5,500年前の東北――現在の青森(それでこのタイトル…)は三内丸山遺跡周辺を舞台とした古代アクションものであります。
三内丸山遺跡は、今から約20年前に本格的な調査が行われ、その規模の大きさや出土物の豊富さから、縄文都市などと呼ばれて話題となった遺跡であります。
縄文時代、それも前期から中期にかけてと言われると、失礼ながら(?)穴居人とあまり変わりないような生活を想像してしまうのですが、とんでもない。
周囲の森からの豊富な果物や植物の採取のみならず、一部の植物の栽培を行なわれていた跡や、入手には交易が必要となる翡翠や黒曜石が出土するなど、この集落では、かなりのレベルの生活を送っていたが窺われるのですから…
さて、物語の方は、この集落に、海の向こうから筏に乗って一人の青年が漂着する場面から始まります。
常人であれば間違いなく命を落とす漂流を乗り越えた彼は、しかし、唯一、ヒカリという名前以外、自分が何者で、何故漂流していたかも忘れた記憶喪失者でありました。
村の掟で、十日間の間、村に滞在して村の暮らしを助けることとなったヒカリは、その周囲に次々と起こる事件に巻き込まれることとなるのですが――
彼の周囲に現れるのは、美しい村の少女・サヤとその天真爛漫な弟、サヤに横恋慕する村一番の戦士・ナム…と、この辺りはある意味定番のシチュエーションではあります。
物語の内容の方も、この上巻の時点では、正直に申し上げて、かなり地味という印象。
猿人――人間と猿の間のミッシングリンクや、彼らが使役すると思しき謎の巨獣など、伝奇的な要素ももちろんありますが、基本的には、ヒカリと集落の人々、ヒカリと猿人たちの関わり合いが描かれ、(もちろん派手な戦闘もあるのですが)比較的静かにものがたりは展開していくこととなります。
それでも私がこの作品に強く惹かれるものを感じるのは、本作の舞台とするのが、人間という存在が生まれつつある時代であるからに他なりません。
菊地秀行は、人間という存在をこよなく愛する、人間への希望を捨てない作家であります。
一見それとは正反対の、エロとバイオレンスが吹き荒れる世界の中にありながら、いやそれだからこそ美しく輝く、人間という存在の善き部分が、菊地作品の中には(時折)あることを、ファンであればよくご存じでしょう。
そんな作者が、人間という存在がこの地球上に初めて生まれた時代を舞台とするのであれば、そこに描かれるのは、人間とは何であるのか、そして人間を人間たらしめるものとは何か…それではないでしょうか。
もちろんそれはファンの勝手な思い込みであるかもしれません。
しかし上巻のラストで語られる四つの言葉――まさに、人間の善き部分の源泉とも呼べるその言葉を見れば、この予感がさまで見当違いであるとは思わないのであります。
それを確かめるためにも、下巻を手にする価値があると信じるところです。
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