「楊令伝 五 猩紅の章」 一つの闘いの終りに
「楊令伝」もこの第5巻で全体の1/3、ここに最初の山場である、童貫率いる宋軍と、方臘軍の決戦が描かれることになります。
北で勃発した宋と遼の戦いは、宋を見限った聞煥章による燕国樹立の企てにより長期化すると思いきや、青蓮寺の暗躍によりあっけなくその企ては失敗。新国家を夢見た元・遼軍の将軍たちは、ある者は死に、ある者は去り、ある者は投降し、北での戦いは終わりを告げることとなります。
一方、その間に新生梁山泊は周囲の城市を瞬く間に陥落させ、自由貿易圏を設立。かつての梁山泊が点であったとすれば、こちらは面とも言える戦略で、宋という国の中に、新たな国とも言えるものを生み出します。
――という北の状況は前半のうちに描き終わり、後半はひたすら宋軍と方臘軍の最後の激突が描かれることとなります。
双方ともそれぞれの戦略を練りに練った末、ついに落とされる決戦の火蓋。
…なのですが、この決戦がこれでもか! これでもか! とばかりに畳みかけるように続いていくのが凄まじい。
なるほど、あまりに強大な、そして巨大な力同士がぶつかりあえば、どちらかの勢力を全て滅ぼすなどというのはまず不可能。方臘軍が信徒を大量動員していることを考えればなおさらであります。
そんな状況下で戦いに決着をつけるには、どちらかの頭を叩きつぶすしかない。逆に言えば、どちらかの頭を叩きつぶせば、それまでどれほど追い詰められても戦いは勝てる――
当たり前ではありますが、これまで作中で描かれたことがないほど大量の血が流されたこの戦いにおいては、その当たり前のことが、重い意味を持ちます。
かくて、童貫が、岳飛が、方臘が、石宝が、そして呉用が、最後の最後まで死力を尽くすこの戦いには、読んでいてもただただ圧倒されるばかり。
決着がついた時には、こちらがホッとしたくらいですから――
それにしても、この最初の山場に、梁山泊が(もちろん呉用の意図が戦いには働いているにせよ)直接的にはほとんど絡んでいない辺り、「楊令伝」という作品を象徴しているようにも感じられるのが面白いところです。
さて、そのような感想を漏らしつつも、個人的にこの巻で一番印象に残ったのは、実は南の戦いよりも、北の戦いが終わった後の、男たちの姿でした。
北辺の軍閥の長として独立独歩を守ってきた耶律大石。宋建国の英雄と遼の皇族の双方の血を引きながら、政治に関わることなく生きてきた蕭珪材(北方作品的にはある意味楊令以上の宿業を背負っている人物であります。)。
この二人の英雄が、燕国建国という夢を見て、そしてその夢が敗れた時――そのそれぞれの姿、それぞれの身の処し方が、(すっきりしない部分も含めて)実にいいのです。
もう一人、梁山泊に近いところにいながら、結局梁山泊に加われずに金国で戦ってきた唐昇も含めて、この三人の姿からは、順境ばかりではない人生において、カッコイイ大義名分だけでは生きられない、それでも生きていくしかない男の姿が描き出されていて、実にいいのであります。
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