「聚楽 太閤の錬金窟」 超越者の喪ったもの
殺生関白の噂も流れる豊臣秀次。彼は、聚楽第の地下で、異端の伴天連ギョーム・ポステルとともに、夜な夜な奇怪な儀式を行っていた。それを察知した家康配下の服部党、さらにイエズス会の対異端組織が、聚楽第の地下に潜入する。そこで彼らが見たものは、そして、秀次の正体とは――
大部の物語全体にちりばめられた、知識の奔流と呼びたくなるほど圧倒的な情報、空前絶後と言うべき奇想…
宇月原作品にほぼ共通するその魅力、いや脅威を最も感じさせられるのが、この「聚楽 太閤の錬金窟」であることには、ファンの間でも異論は少ないのではないでしょうか。
安土桃山時代末期を舞台に、殺生関白・豊臣秀次の所業とその正体を巡る本作は、そんな宇月原作品の中でも、屈指のパワー(=とんでもなさ)を持つ物語であることは、間違いないでしょう。
グノーシス派の教義を収めた怪人ギョーム・ポステルと、奇怪な切支丹忍びともいうべき曾呂利新左衛門を供に、聚楽第の地下に作られた奇怪な大迷宮で夜毎秘儀に耽る秀次。
その存在は、かつてジャンヌ・ダルクとともに神の名の下に戦いながら、後半生では錬金術と黒魔術に耽り、無数の少年たちを殺害した「青髭」ジル・ド・レイにも比して描かれるのですが――
秀次については、とかく毀誉褒貶様々に評される人物であります。その殺生関白ぶりも、実際に行われたものという説もあれば、秀頼の誕生で邪魔となった彼を退けるための謀略という説もあり、真実は闇の中と言うほかありません。
が、本作で描かれる「真実」たるや…いやはや、伝奇狂ですら驚かされる、荒唐無稽かつ奇妙な説得力を持つその幻妖怪奇な内容は、ただただ、幻術でもかけられているような気分となります。
また、中盤、秀次の正体を探るべく家康により送り込まれた腕利き忍びの服部平六と、イエズス会の異端審問組織のエージェントたるフェルナンド・ガーゴが錬金窟に突入してからの展開は、伝奇アクションとして見ても至妙の域に達したものであり、幻想味だけではない、作者の物語作者としての腕を思い知らされた次第です。
しかし、それほど心が躍る――あるいは心が凍りつく――ような物語でありながらも、本作から伝わってくるのは、途方もない喪失感と、癒されぬ哀しみの念であります。
実のところ、本作における秀次の存在は、むしろ狂言回しに近いものがあると言えます。本作の真の主人公は、既に老境にさしかかった太閤秀吉(「太閤の錬金窟」なのですから…)であり、そして彼と奇妙な共感に結ばれた、徳川家康なのですから。
秀吉と家康、共に歴史に残る英傑でありながら、時に戦い、時に結び、不思議な共存関係を気付いてきた二人には、ある秘められた共通の記憶が存在しました。
今ではもう決して帰ってこないその光景を求める、あるいは忘れることが、二人の原動力であったとすれば、それは何と哀しいことでありましょう。
そしてその哀しみは、秀次や淀君、いやジル・ド・レイまで、本作に登場する数々の登場人物が、それぞれの形で抱えるものであります。
いや、本作の中核を成す、我々人間はそもそも奪われた状態でこの世界に生まれて来たとするグノーシス派の教義によれば、むしろそれは当然のことなのかもしれませんが…
常人を遙かに超えた力を持ちながらも、いや、それだからこそ抱いてしまう喪失感、抱いてしまう哀しみ――
それは、本作に限らず、宇月原作品の基調として存在するものかもしれません。
その伝奇的なパワー、幻想的なストーリーテリング以上に、私が宇月原作品に惹かれるのは、実にその哀しみの存在なのです。
そしてその意味で、本作は宇月原作品の一つの頂点であると…私は信じる次第です。
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