「楊令伝 六 徂征の章」 楊令伝ここに始まる?
前の巻で童貫軍と方臘軍の凄惨な決戦も終結した「楊令伝」。この第6巻は、巨大な戦いの後の一時の平穏と言うべきか、嵐の前の静けさと言うべきか――しかしその静けさの下で、様々な動きがあることは言うまでもありません。
一度は江南を完全に支配し、死を恐れぬ信徒を使うことにより、童貫軍を苦しめた方臘もついに敗れ、ひとまずは平穏を取り戻した大宋国。
しかし、その間に新生梁山泊は着実に力を蓄え、北では遼が敗れた後にその勢力を伸ばす金もまた、決して宋との同盟に甘んじる存在ではありません。
そして宋の内部においても、朝廷の腐敗はほぼ頂点に達し、民の苦しみは依然続く中、ある者は力でこれを守り、またある者は策でもってこれを作り替えようとするのですが…
そんな状況のこの巻で中心的に描かれるのは、しかし、梁山泊に集う者たちの、戦を離れた素顔の姿であります。
老いを実感し始めた、梁山泊創立当時からの面々。その彼らの想いを受け継ぐように、新たに梁山泊に加わった二世メンバーたち。そしてその両者を繋ぐ、梁山泊頭領たる楊令…
戦のない時期――もちろんそれは次の戦の始まりに直結はしているのですが――に、彼らが何を想い、何をしているのか。
それは時に微笑ましく、時に切なく、時に暖かく…しかしどれも皆彼らの生き方の一部、生き方の現れとして、魅力的に感じられます。
考えてみればこの「楊令伝」という物語は、これまで、「水滸伝」における大敗北から必死に這い上がる梁山泊の姿と、宋の南北で繰り広げられた巨大な戦の有り様を、最初からトップギアで描いてきました。
それはそれでもちろん血湧き肉躍るものがありますが、しかし水滸伝の魅力は、それだけではないのは言うまでもありません。
個性豊かな好漢たちが梁山泊に集ったことで生まれる個性のぶつかり合いと、それによってよりはっきりと浮かび上がるその漢たちの姿…
そこに我々が感じる魅力は、たとえ北方「水滸伝」であっても、この「楊令伝」でも変わりはありません。
そしてそれは、戦の場だけではなく、こうした平時にこそ見えるものもあるのです。
特に登場した時から戦いの渦中にあった二世世代にとっては、今回ほとんど初めて彼らの素顔を見ることができたような印象もあるのですが――
実はその最たるものが楊令なのは、面白いと言うべきか、問題と言うべきか。タイトルロールでありながら、その個性というものが今ひとつ感じられなかった楊令も、ようやく一人の若者としての姿を我々に見せてくれるのです。
その意味では、この巻から真に「楊令伝」が始まる…という言い方は失礼かもしれませんが、それもまた偽らざる印象です。
しかし、いつまでも平穏な時が続くわけではありません。楊令と童貫との決戦の時は、もう目前に迫っています。
童貫の方も、思わぬキャラクターとの対面を果たし(なるほど、この組み合わせがあったか! と嘆息)、 彼の中の人間性というものを見せてくれました。
やはり戦いは人間と人間が行うもの。人間としての素顔をそれぞれ見せた、楊令と童貫の決戦――その時が楽しみであります。
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