「千里伝」 人と"人"との間に
征東大将軍の父と異類の母の間に生まれた千里は、父と母が異形の者に襲われて姿を消したと知り、その後を追って旅立つ。吐蕃の少年・バソン、元少林僧の絶海と出会い、自分たち三人が天地を作り変える力を持つ五嶽真形図の器となるべき存在と知る千里だが、彼らの他にも、図を狙う者たちがいた…
文庫化にあたってがらっと装丁のイメージが変わった本作は、中国は唐代を舞台とした神仙武侠ファンタジー。いかにも仁木英之らしい、エンターテイメントとして楽しく、そしてその中に重いものを秘めた佳品です。
本作の主人公は、後に武人としてその名を轟かせる実在の人物である高ベン、字は千里。…なのですが、もちろんその千里が、ただ者であるわけがありません。
人間の父と異類の母の間に生まれた故か、本作の千里は17歳ながら、その姿はどうみても5歳児。しかも、名家の生まれに加え、生まれながらに優れた武芸の腕を鼻にかけた千里は超傲慢でわがままというキャラの立ちっぷりであります。
そんな彼が巻き込まれたのは、この世界の命運を賭けた壮大な冒険であります。
かつて西王母が武帝に与えた五嶽真形図――天地を思うままに作り替えることを可能とするこの秘宝は、文字通りその器にあらずと武帝の前から去り、以来千年…今また世界に現れた図を、人のみならず、かつて人に敗れてこの世界を追放された異類たちもまた、求めていたのです。
千里は、かつて西王母が遺した図の器となる可能性を秘めた三つの器の一つ。吐蕃の天才狩人・バソン、元少林僧で一途に武の頂点を求める絶海と共に、本来であれば三人でこの世界の人の希望を担うべき者なのですが、他人との協調性ゼロの彼の存在が全てを引っかき回してしまうこととなります。
果たしてこの世界の運命は、人と異類との戦いの行方は如何に…
と、本作は、個性豊かな面々が活躍するキャラクターものとしても、希有壮大なファンタジーものとしても、非常に楽しい作品であります。…が、それだけに留まらないのが本作の、作者の魅力。
千里の冒険の中で描かれるのは、「人」が、他者と結びつき、理解し合うことの難しさと尊さ――これであります。
この世界は、確かに人の住む地ではあります。しかし、この世界の外側には、かつてこの地に住んでいた"人"たちが存在します。
人から見れば神話の世界の怪物にしか見えない異類である彼らではありますが、彼らもまた、彼らなりの生活を抱え、人と変わらぬ情愛を持つ存在なのです。
そんな人と"人"とは、共存はできないのでしょうか。確かにそれは容易なことではないでしょう。人は同じ人との間でも憎しみ合い、戦いを続ける存在なのですから。
しかし本当にそれで良いのか? それ以外の道はないのか? 本作は、そう強く問いかけてきます。
千里というキャラクターは、主人公ではありながら、その外見以上に、内面的な部分で、異色の存在です。独善的で傲慢で、自分以外の他者を――特に唐の人間から見れば蛮族であるバソンを――見下し争う姿は、正直に言って、あまり魅力的には感じられません。
しかし、物語が進むにつれ、何故千里がこのようなキャラクターなのか、このようなキャラクターでなければならなかったのか、それがはっきりとわかるようになります。
ある意味、人の悪しき部分を集めたような千里は、しかしそれが故に、一人一人に欠けるものと持てるものを知ることができる者であり、そして何より、人と"人"双方の存在を受け止めること者なのだと…
私が仁木英之の作品を読むたびに感じるのは、作者の優しさ――人と、人が作り出す世界に対する、優しい眼差しであります。
人の善き部分を信じるその想いは、本作でも健在であり…そしてその点が、私が本作をこよなく愛する所以なのです。
「千里伝」(仁木英之 講談社文庫) Amazon
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