「戸隠秘宝の砦 第一部 吉原惣籬」 今の時代に伝奇時代小説を描くということ
青年剣士・松枝近忠は、実の父である府内藩主・大給近訓から、藩の窮状を救うため、秀吉の残した百万両の財宝の探索を依頼される。財宝の三つの鍵の一つである宝刀を手に、残るギヤマンの皿と奉納の絵馬を探す近忠の前に現れる刺客・怪人たち。吉原の大見世・玉屋の力を借りて探索に挑む近忠だが…
伝奇時代小説であります。
私が言うのもなんですが、文庫書き下ろし時代小説全盛の時代においてはマイナーな扱いである「伝奇時代小説」を堂々と帯に謳っているのが、本作「戸隠秘宝の砦 第一部 吉原総籬」であります。
旗本松枝家の次男として育てられた主人公・近忠は、ある雨の日、旅姿の侍が黒頭巾の侍たちに斬られるのを目撃します。その場に駆けつけた近忠は、侍のいまわの際の言葉を聞くことになります。
その翌日、自分の実の父である府内藩主・大給近訓と対面することとなった近忠。
近訓は財政的な窮状にある藩を救うために秀吉の百万両の財宝探しを近忠に命じ、いずれこの日があることを予期していた近忠は、勇躍その探索に乗り出すことになります。
そその鍵となる三つのアイテム――ギヤマンの皿・奉納の絵馬・宝刀の茎のうち、宝刀を託された近忠は、父と昵懇の吉原総籬の大見世・玉屋の力を借りて、皿を持つ大商人・高嶋屋に接近、そこで出会った高嶋屋の娘・お絲と惹かれあうようになります。
しかし高嶋屋と手を組む小浜藩の城代家老一派こそは、かつて彼が目撃した雨の日の凶行の張本人なのでありました。
そしてさらに、財宝の存在を知る怪人・鼠小僧次郎吉一党も現れ、財宝争奪戦は、三つ巴の様相を呈することに――
という本作のあらすじを見れば、なるほど、見事に伝奇時代小説であります。
颯爽とした青年剣士に可憐純真なヒロイン、冷酷な悪役に強欲な大商人、暗躍する大盗…そして彼らが争奪戦を繰り広げるのが謎の秘宝とくれば、これはもう伝奇時代小説の王道ど真ん中と言うほかありません。
冒頭で触れたように、現在(私に言わせれば不当にも)ではすっかりマイナージャンルとなった伝奇ものを堂々と謳い、そして内容の上でもそれを志向する作品の登場には、もう諸手を上げて大歓迎するほかありません。
しかし、そんな本作が、単に典型的な伝奇時代小説を、そのまま今の時代に復活させただけの作品ではもちろんありません。
実際に読んでみれば本作の手触りは、実は、むしろ現代の文庫書き下ろし時代小説的ですらあります。
それは具体的には、人間描写の細やかさに代表的に示されるように、キャラクターの個性や、筋書きの奇抜さのみにとらわれない物語描写、とでもいいましょうか――一言で言えば、地に足の着いた物語、であります。
もちろん、豊かな伝奇性と、地に足の着いたドラマ性は、決して両立しないものではありません。
しかしいわば非日常性と日常性を両立させた作品は存外に少ないというのが現状なのもまた事実。どちらかに偏ればどちらかが(程度の差こそあれ)犠牲になりかねない、難しいバランス感覚を要するものであります。
それを両立させた作品で真っ先に浮かぶのは、藤沢周平――個人的には文庫書き下ろし時代小説の源流の一つと目している作家ですが――の「闇の傀儡師」ですが、本作はそれに近いラインを狙っているように感じられます。
そしてそれはある程度、成功しているようにも感じられます。
伝奇的な仕掛けを背景に、血の通った人間たちを動かしてドラマを描き出す…本作は、文庫書き下ろし時代小説の時代に伝奇時代小説を描くということの一つの解である――というのは大袈裟かもしませんが、そのような印象は確かにあるのです。
本作は全三巻の構想とのこと。次巻以降は江戸を離れた秘宝の探索行がいよいよ描かれることとなります。
日常を脱した世界で、いかに非日常性を失わずに日常性を描くか。本作の真価もまた、これから問われることになるのかもしれません。
ちなみに、「伝奇時代小説」の定義については、本書の解説において細谷正充氏が、「いま本当におもしろい時代小説ベスト100」に掲載した拙文を引いた上で、さらに納得の解説を加えており、こちらもぜひご覧いただきたく。
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