「楊令伝 八 箭激の章」 二つの世代、出会いと別れ
文庫版「楊令伝」は、この第8巻から後半戦に突入。前巻から始まった童貫との最終決戦が一巻丸々描かれています。
ついに機は熟して始まった、楊令率いる梁山泊軍と童貫率いる官軍の決戦。
宋国の持てる力を結集した童貫軍に対し、数では劣る梁山泊軍は童貫軍をエリアとしての梁山泊に引き込み、包囲戦を挑むことになります。
しかし如何に梁山泊軍が精強とはいえ、敵は官軍最強の童貫率いる精鋭、旧梁山泊を滅ぼした相手。梁山泊側は、方臘軍残党の投入、そして一種の同盟関係にある金軍を動かして北から宋を攻めさせる二面作戦の展開など、次々と奇策を繰り出すことを余儀なくされることになります。
そんな中で目立つのは、旧梁山泊に集った面々の子供たちや、新生梁山泊になってから新たに加わった、二世世代の台頭であります。
いささかショックなことに、この第8巻の時点で、前作で活躍した面々が年長者は5,60代となって既に老境あるいは初老の域に達し、一番若い世代だった史進ですら40代という状況。
(もっとも史進の場合、それほど老けたように感じられないのですが…そして年齢不詳の公孫勝と、変に若返った武松)
それに対して、楊令を代表とする二世世代は2,30代…親子ほど年が離れているのは当たり前ですが、やはり若さはそれだけで力になるのかもしれません。
そして彼らの場合、ほとんど生まれた時から「替天行道」の志が存在し、戦いの中で生きてきたことを考えると、そこに彼らなりの強みと、そして危うさがあるように見えてくるのが、いささか面白く感じられます。
個人的なことを言えば、私はいまちょうどこの両者の間の年齢。まだまだいけると思いつつも徐々に思うように動けなくなり、後進にそろそろ道を譲ることを考え始めた世代と、若さゆえの勢いと危うさを持ちながらも、自分の理想に向かって一直線に突っ走れる世代――その両者の気持ちがなんとなくわかる(しかしそのどちらでもない)というのは、なかなか面白い体験であります。
もちろん、前作から数えれば20数冊つきあってきた親世代の方に、キャラクターとして親しみを感じるのは当たり前の話。
つまりキャラの魅力の点で、二世世代には大きなハンデがあることになりますが…それも、この戦いの中で少しずつ解消、とは言わないまでも変化が生じていることを感じます。
例えば、この巻である意味一番大きな変貌を遂げた花飛麟。
初登場時は、一種の天才ながら自分の才を頼みすぎ、他人の気持ちが理解できない若造として描かれた彼が、この巻では、彼自身の責任ではない運命に翻弄された末に、大きな悲しみを経験することになります。
その結果である変貌が、彼にとって、この物語にとって好ましいものであるかはわかりませんが――本作の場合、キャラが成長するとエッジがなくなって金太郎飴状態になりかねないので――しかし、他者の出会いと別れによって、人が変わっていくというドラマの存在が、ここには強く感じられるのです。
そして戦争とは、その他者との出会いと別れが、最も極限に近い状態で繰り返される状況とも言えます。
この巻ではまだ決着のついていない童貫戦の、その極限状態の中で、どのようなドラマが繰り広げられることになるのか…
ほとんど一冊を戦争描写に費やしても全く飽きることのない本作の魅力、こうした点にも支えられていると感じるのです。
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