「夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記」 怪異も青春の一ページ!?
幼い頃からの憧れの人物である蘭学者・玄遊の塾に入るため、多摩から京に出てきた少年・水野八重太。しかし実際の玄遊はいい加減な人間、塾生も変わり者ばかりで、学問に集中できぬ八重太は鬱々とした日々を過ごしていた。そんな中、八重太が誘われた名門蘭学塾では、奇怪な事件が起きていた…
「一鬼夜行」シリーズで妖怪時代小説ファンの心を掴んだ小松エメルの新シリーズがスタートしました。
幕末の京を舞台に、蘭学への向学心に燃える少年を主人公にした本作を一言で表せば…幕末青春学園(!?)ホラーなのであります。
主人公の八重太は、学問への情熱と負けん気の強さでは誰にも負けない…のですが美少女顔で体力と腕っ節には自信のない十五歳の少年。
そんな彼は、自分が生まれる際に、難産だった母と自分を救ってくれた蘭学者・玄遊に憧れ、彼の下で学ぶため、はるばる多摩から京にやってくるのですが――
初めて出会った玄遊は、酒と女にうつつを抜かす昼行灯。彼の塾に集った生徒たちも、人は良いが頼りない菅谷、熱血喧嘩バカの中村、からくりオタクの泉とおかしな人間ばかり。おまけに賄い係の少女・千草にもいわれのない敵意を向けられ、八重太はロクに学問もできないまま、三ヶ月を過ごすことになります。
そんなある日、同郷の先輩から名門塾への転籍を勧められる八重太。彼にとっては願ってもない誘いですが、しかし先方の塾生たちは、まるで何かに取り憑かれたように様子がおかしい。しかも、嫌味でクールな塾生・秋貞が何かと絡んできて、八重太は思いもよらぬ大騒動に巻き込まれることに――
というあらすじを見ればわかる通り、本作は、過去の時代を舞台にしつつも、基本的な骨格やキャラクター配置は、古き良き学園ものを彷彿とさせるものがあります。
生真面目だけど空回りしがちで周囲から可愛がられる主人公、一癖も二癖もある怪人揃いの先輩たち、頼りになるのかならないのかわからない師匠…いずれも学園もののフォーマットの一つですが、なるほど、蘭学塾を舞台とすれば、江戸時代にこうして学園ものができるのか、とコロンブスの卵を見た思いであります。
しかし、本作は、奇をてらっただけの作品では、もちろんありません。
取り合わせの意外性もさることながら、むしろそれとは逆に、我々にも馴染み深い学園という空間を舞台として描くことにより、いつの世にも――幕末でも、現代においても――若者たちの熱意というものは変わらない、かつての彼らの想いが、今の我々にもあることを、本作は教えてくれるのですから。
(その一方で、本作の事件の発端ともいえる過去の惨劇や、主人公である八重太の境遇など、過去の時代でなければ、過去の時代ならではの物語を描き出すのも心憎い)
もっとも、八重太自身の悩みと、過去の事件に起因する事件と、さらにもう一つの事件が平行して描かれる構成によって、もちろんそれぞれが密接に関わり合うとはいえ、物語展開に慌ただしい印象が生じているのもまた事実。
いや、それらが平行すること自体に違和感を感じる方もいるかもしれません。
しかし、彼らにとっては怪異すら青春の一ページ。この世のものであろうとなかろうと、彼らの経験することが、彼らにとって貴重な財産となるのでしょう。
そして青春のただ中にいるのは、八重太のみではもちろんありません。彼をとりまく仲間たちもまた、それぞれの想いを抱えて、蘭学を学んでいるのですから…
これから描かれるであろう八重太の、そして彼らの青春の姿が――すでに青春が過去のものとなってしまったおじさんとしても――楽しみなのです。
「夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記」(小松エメル 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
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