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2012.06.30

「夜の魔人といくさの国 さまよえるヴァンピール」 吸血鬼も戦国史の一ページ?

 最近はTVゲームでダウンロード専用ソフトが増えていますが、その中には時代ゲームファンも見逃せない作品も含まれています。
 今回取り上げる「夜の魔人といくさの国 さまよえるヴァンピール」もその一つ。日本の戦国時代をモデルにした世界で、吸血鬼の生活を体験するという非常にユニークな作品です。

 本作は一見ファンタジーのようなタイトルですが、ここで言う「いくさの国」とは、戦国時代の日本を思わせる戦国乱世の島国。
 主人公は、この国に派遣されてきたヴァンピール=バンパイア=吸血鬼となって、覇王「織田のぶなが」の血を吸うことを目的として活動することとなります。

 というと、かのドラキュラ伯爵の如く堂々たる吸血鬼を想像しますが、主人公はまだまだ駆け出し。乗っていた船がいきなり転覆して、無一文の状態でいくさの国に上陸し、戦国ライフを開始することとなります。

 こうして始まるゲームは一日を昼と夜に分け、それぞれでコマンドを繰り返して進むこととなります。昼は人間の世界に立ち交じって(どうやら日光は平気な様子)仕事をしたり、町の人間と交流したりして暮らし、夜は吸血鬼となって町の人の血をすすったり、邪悪な魔力を発揮してしもべを操ったり…
 吸血鬼といえど、いきなり大魔力を発揮してのぶながを襲うのは不可能。まずは地道に表の世界で金や人脈をゲットして、裏でしもべや魔力を増やしていくというのが、まずは基本となります。

 さて、本作の舞台は、冒頭で述べたとおり戦国時代の日本的世界。織田家があるだけでなく、上杉・武田・今川等々、戦国大名が群雄割拠しています(言い忘れましたが、本作のマップは日本ほぼ全土をカバー。スタート地点はランダムですので、プレイによって別々の大名の城下町から始まることになります)。
 そしてこの世界で暮らすのは主人公だけではありません。大名や家臣といった武士たち、そして城下町で暮らす職人・農民・商人等の町人たち…ほとんど無数に感じられる人々が、日々の暮らしを送っているのです。

 そのため、ゲームでは主人公の全く与り知らぬところでも人々は動き、その結果の甚だしきは、大名家の興亡として表れることとなります(もちろん吸血鬼として勢力を伸ばして、裏から大名を操って他国を滅ぼすことも可能ですが)。
 そんな(全く無力ではないけれども)自分も大きな歴史の流れの中に立つ一人に過ぎない、という感覚が、吸血鬼というファンタジックな題材を扱いつつも、実に歴史ゲームしていて楽しいのであります。

 さらに本作は、ゴールに向かう道はほとんど無数にあります。
 吸血鬼として真面目に(?)活動に励んで急速にしもべを増やすだけでなく、商人や職人に徹してひたすら金を儲ける、土地の人間と結婚してごく普通の家庭を営む、はたまた国から国へ流浪の旅を続ける…
 この辺りの自由度の高さは、戦国ライフシミュレーションの名作「太閤立志伝」を彷彿とさせられました。


 もちろん本作は定価700円のダウンロードゲーム、グラフィックはほとんどなく、キャラクターのデータは数字で、行動の結果は文章で示されることになります。さらに、自由度が高すぎて何をしたらいいか戸惑うこともしばしばで、その意味ではプレイする人を選ぶゲームではあるかと思います。

 しかしそれでもなお、歴史の中で生きる(言い換えれば「さまよ」う)ということを、無味乾燥になる一歩手前で――この辺り、主人公を吸血鬼という適度に(?)人間離れした存在としたことが生きています――存分に味合わせてくれるというのは、実に得難い体験ではあります。
 一気にクリアを目指してプレイするのではなく、歴史の頁を一枚一枚繰るつもりで、少しずつプレイしていくとぴったりな、そんなゲームであります。

「夜の魔人といくさの国 さまよえるヴァンピール」(ポイソフト ニンテンドー3DSダウンロードソフト)


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2012.06.29

「甲子夜話異聞 もののけ若様探索帖」 若様、もののけと奮闘す!?

 若くして平戸藩主となった松浦清(後の松浦静山)。何故か物の怪を引きつける彼は、彼を慕って集まってきた上屋敷の妖怪奥女中たちに頭が痛い毎日だ。そんな中、身分を隠して江戸市中に出た清は、次々とおかしな事件に巻き込まれ、妖怪たちとともに解決に奔走する。語られざる「甲子夜話」の物語。

 妖怪時代小説は大好物の私にとって、最近様々な作家がコンスタントに作品を発表してくれるのは誠にありがたいお話です。この「もののけ若様探索帖」もそんな妖怪時代小説の一つですが、しかし極めてユニークなスタイルの作品であります。

 というのも、本作の主人公は松浦清――若き日の松浦静山。平戸藩主であった静山は、しかし同時に心形刀流の達人であり、そして何よりも奇談怪談を数多く含んだ随筆集「甲子夜話」の筆者でもあります。

 そんなただでさえユニークな人物を、本作ではさらにアレンジ。何故か常人には見えず感じられないはずの物の怪の存在を感じ取り、それどころか女性妖怪にはモテモテの若者として描き出します。
 その人気たるや、彼に惚れ込んだ妖怪たちが奥女中として上屋敷に住み着いて、人間の奥女中たちを追い出してしまうというのですから凄まじい。清はそんな彼女たちに迫られて逃げ回ることになります。
 さらに、見かけは美童ながら、その実は齢数百年を数える座敷童・太郎がもののけたちの頭として毒舌を振るい、清も頭に上がらない始末…


 そんな清が、身分を隠して出かけた市井で出会った様々な事件をもののけたちと解決していくというのが本作の趣向…なのですが、しかし本作のユニークな点は、それにとどまりません。
 実は本作のプロローグは、死を目前にした静山の姿から始まります。既に「甲子夜話」を著す筆を手にする力もなくなった静山の前に現れたのは、数十年前に彼の前から姿を消した太郎――
 静山の死を予告した太郎は、しかし「甲子夜話」に自分たちの物語がないことに憤り、彼にそれを記すようにねだります。かくて、静山は太郎を筆記役に、書かれざる「甲子夜話」を語ることとなるのです。

 そう、本作で描かれる物語は、静山が自らの若き日を回顧して語る幻の「甲子夜話」。まだまだ世間知らずの清の成長物語が、酸いも甘いも噛み分けた静山の視点から語られるのが、また面白いのであります。


 そんな本作に収録されているのは、全部で四編の短編。
 住みかから引き離され、上屋敷に転がり込んできた化け猫の飼い主探しに奔走する清が巻き込まれた騒動「捨て猫」。
 自分と瓜二つの男の許嫁の親だという女と出会った清が、神隠しにあったというその男を捜すうちに意外な真相を知る「神隠し」。
 町で知り合った引き籠もり気味の男と、もののけになりかかったその母のために清ともののけたちが一肌脱ぐ「子思い」。
 国元に帰った清が、松浦家の侍に嫁いだもののけ娘から、不貞を働いた故斬って欲しいと依頼される「不貞」。

 どのエピソードも、深刻なようでいてどこか間が抜けた人間ともののけの間の騒動に巻き込まれてとまどう清の姿と、周囲の事情などお構いなしに騒ぎたてるもののけたちの姿が実に面白い。
 真っ当な(?)人情もの的な題材に、清ともののけたちが絡むことで、全く異なる味わいが生じるのは、これは意外にして、実に新鮮な味わいであります。

 もっとも、その市井の人情ものという基本ラインと、まだ家督を継いだばかりとはいえ大名である清の存在が、必ずしもマッチとしていると言い難い部分があるのもまた事実であり、そこが本作の弱点と言えるかもしれません。
 しかし第二話「神隠し」など、一見不可解に見えた市井の事件が、意外な形で松浦家の闇に繋がり、そして清自身の事件となって立ち上がってくる(さらにとんでもない形でもののけが関わってくるの吃驚)、本作でなければ絶対読めないようなエピソードもあります。
 こうしたエピソードが増えていけば、ますますこのシリーズは面白くなっていくのでは
ないかと期待する次第です。

 本作のラストで正妻を娶ることとなった清ですが、果たしてもののけ奥女中たちは黙っているのか? まだまだ未熟な清はどのように成長していくのか。
 そして何よりも、もののけたちは何故清の前から姿を消したのか?
 後者はまだ気が早いかもしれませんが、語られざる「甲子夜話」の行方が、大いに気になるのであります。

「甲子夜話異聞 もののけ若様探索帖」(伊多波碧 ベスト時代文庫) Amazon
甲子夜話異聞 もののけ若様探索帖 (ベスト時代文庫 い 9-1 甲子夜話異聞)

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2012.06.28

「墨痕 奥右筆秘帳」 新たなる戦いか、それとも…

 上田秀人の代表作「奥右筆秘帳」シリーズも、ついに巻数二桁の大台に乗りました。
 鷹狩りの場での将軍襲撃というクライマックスがあった前の巻に続き、この第10巻「墨痕」でも物語に更なる動きが発生し、物語がどこに向かうのか、いよいよ状況は混沌として参りました。

 鷹狩りの場での寛永寺お山衆による将軍家斉襲撃という大事件で、家斉を護って活躍した衛悟。
 その功績で衛悟の実家・柊家も、立花家も加増の沙汰があり、衛悟の立花家婿入りも確定と、衛悟と併右衛門にとっては、まずは良いこと尽くめの展開で、長かった衛悟の苦労もついに報われた…とこちらまで嬉しくなってしまう展開であります。
(そして彼以上に喜んでいる瑞紀さんが可愛らしい)

 しかし好事魔多しと言うべきか、将軍の座を狙う敵の次なる魔手は、すぐそこまで迫っています。
 遅々として進まぬ寛永寺のやり方に業を煮やした京より、新たな敵が登場。表の顔は衛悟の良き友人であり、裏の顔は寛永寺お山衆のリーダーたる覚禅を使い、家斉に必殺の罠を仕掛けます。
(しかし新たに登場した幹部クラスの敵の前に、それまでの幹部が命を賭けた最後の戦いを挑むという展開は燃えますね)

 鷹狩りでの襲撃に失敗し、警護を固めた家斉を江戸城外に誘き出すのが不可能であるのならば、江戸城内、それも将軍が最も無防備な大奥で討つ他なし。
 というわけで、本作のクライマックスでは、大奥を舞台として暗殺の刃が家斉に迫るのですが…

 鷹狩りはともかく、さすがに大奥に衛悟が飛び込むわけにはいきません。それではクライマックスは主人公二人は無関係なのか…と思いきや、意外な形――それも本作ならではの――で陰謀を察知し、それを防ぐために動くという展開が実に面白い。
 この辺りの展開の妙は、奥右筆という特異な職を主人公の一人とする本作ならではという他なく、この点が本作の大きなアドバンテージであると、再確認した次第です。

 もちろん、文のサイドだけでなく、武のサイドの物語も面白い。今回は、最近出番の少なかった印象のある冥府防人が、意外な敵を迎えて死闘を繰り広げることとなり、衛悟の正当派剣術とはまた異なる忍者の戦いというものを、堪能させていただきました。
(また、クライマックスの戦いでは、上田ファンではニヤリとさせられる名前のキャラが登場。この辺りも嬉しいところです)


 さて、物語の方は新たなる敵を向かえると同時に、幾人かの敵が消え去ることとなります。

 これが新たな戦いの始まりなのか、はたまた戦いの終わりの始まりなのか――
 それはもちろん、今はわかりません。わかるのはただ一つ、まだまだ併右衛門と衛悟が平和に暮らせる日は遠い、ということでありましょう。彼らには申しわけないのですが、我々にとっては楽しみなお話ではあります。

「墨痕 奥右筆秘帳」(上田秀人 講談社文庫) Amazon
墨痕 奥右筆秘帳 (講談社文庫)


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2012.06.27

「肉屏風の密室」(その二) 巡按御史、宿敵に挑む

 巡按御史・趙希舜と仲間たちの活躍を描く中国時代ミステリ「肉屏風の密室」の全話紹介の後編であります。
 今回は、残る三話を紹介いたします。


「肉屏風の密室」

 州知事の勤怠の監察に向かった希舜。しかし知事は、侍女たちが作った肉屏風の中で腹に短刀を突き立てられて殺されていた。

 表題作である本作は、趣向のユニークさに加えて、希舜の物語としても重要な意味を持つ作品であります。

 肉屏風とは、薄物のみをまとった9人の侍女を円形に並べ、互いの腕を鎖で繋いだ、実に破廉恥な代物。州知事は、この肉屏風の内側で寝ていたところを、腹に短刀を突き立てられて死んだ姿で発見されるのですが…
 侍女たちはその間いずれも眠りこけていて犯行の様子を知らないと証言。さらにそこにあるはずがない凶器は、独りでに現れて悪を断つという伝説を持つ「正道の剣」。破廉恥な行いを恥じず、職務においてもとかくの噂があった知事を正道の剣が討ったのだと、その妻は主張するのですが…

 希舜が実はかつて妻子と死別したらしいことは、「十八面の骰子」の中で触れられますが、本作ではその真相と、彼が巡按御史となった理由が語られることとなります。
 そして、それがこの奇怪な事件に彼が挑む理由と重なっていくという構成が面白い。
 実は事件の真相そのものはさまでひねったものではないのですが、その結末が、この世に天道なるものがあるものか、と嘆く希舜に皮肉な、しかし一つの希望を見せる結末が実に見事であります。


「猩々緋の母斑」

 任期途中で次々と知事が職を辞する県に、新任知事として赴いた伯淵。希舜は、紅藍教なる教団の教祖の娘と仲良くなるのだが…

 希舜が「女難の相」と占われる場面から始まる本作は、まさにその通り、様々な女性に希舜が翻弄される一編。
 赴任した知事が、四人続けて任期途中で様々な事件に巻き込まれて去った順興県。異常事態ではあるものの、しかし個々の件に関連性は見えないため、今回は巡按御史ではなく、新任知事として(伯淵が)赴任して、背後を探ることとなります。

 様々な要素が入り組んだ本作は、途中で発生する事件のトリック暴きというハウダニットもありますが、それ以上にホワイダニットの方が印象に残る作品。特に真犯人のキャラ造形は、ユニークな登場人物揃いの本シリーズでも出色のものでしょう(個人的には敵の企みには運の要素も高かったような印象もありますが…。
 結末の趣向は本シリーズでは異色のものですが、悪意に対する良き想いの勝利として受け止めるべきでしょうか。


「楽遊原の剛風」

 巡按御史としての希舜の師である杜高挙。行方不明となった彼を追い、古都・長安を訪れた希舜は唐狂いの豪商と出会う。

 最後の作品は、希舜とその宿敵の(一応の)決着編であります。
 巡按御史として希舜の先輩であり、師でもある隠居官人・杜高挙が、何かの不正を察知して赴いたという長安で消息を絶ったことを知り、長安を訪れた希舜。
 既に唐の都であった頃の面影をなくした長安ですが、そこで希舜がは、土地の豪商が楽遊原に巨大な塔を建築していることと、それを黙認している知事が、孤児を養子にしたことを知ります。その背後にあるのは…

 この作品では先に述べたとおり、これまでの作品の多くで、事件の背後に暗躍していた宿敵と、希舜が対決することとなります。ミステリのシリーズものであまり宿敵が前面に出てくると、かえってスケール感が落ちることがありますが、正直なところ、本作ではその轍を踏んだ印象があります。
 それでも本作が十分に面白いのは、事件の背後に、ある伝奇的趣向が秘められていることであります。なるほど、一見無謀に思えますが、この時代、そしてこの国の歴史を考えれば、決して無理ではない(ようにも思われる)アイディアに脱帽であります。
 ラストの希舜の一大アクションも、やや唐突な印象はありますが、しかし掉尾をを飾るにはふさわしい趣向でありましょう。


 以上五編、ミステリだけに核心を明かさぬように紹介するのは骨でしたが、その魅力の一端を感じていただければ幸いです。

 宿敵との決着もあくまでも一応のものであり、そして何よりも宿敵抜きでも十分に成立するシリーズだけに、更なる続編にも期待したいところであります。

「肉屏風の密室」(森福都 光文社) Amazon
肉屏風の密室


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2012.06.26

「肉屏風の密室」(その一) 帰ってきた巡按御史

 宋代の中国を舞台に、巡按御史(皇帝の代理人として地方官の非違を探る監察官)の趙希舜と仲間たちが、各地で起きる不可思議な事件とその背後の不正を暴く中国時代ミステリシリーズの第2弾であります。
 前作「十八面の骰子」同様、本書も五編の短編で構成された連作集となっています。

 本シリーズの主人公・趙希舜は、見た目は少年だが実は25歳で医術の達人、そして皇族の血に連なる青年。
 そんな彼が、美男美声で拳法の達人のお目付役・傅伯淵、豪放磊落な髭面の豪傑・賈由育、元芸人の身軽な少女・茅燕児の力を借りて、諸国の怪事件の謎を解いていくというのが本作の基本スタイルであります。

 起きる事件はどれもミステリ的な興趣満点、さらに、舞台となる時代や土地に密着した内容で、時代ミステリとして、非常に楽しい本シリーズ。
 ここでは、収録作品を一つずつ紹介していきましょう。


「黄鶏帖の名跡」

 難癖をつけて無実の士人を牢に繋ぐ県知事に捕らわれた希舜と伯淵。事件の背後には、知事と土地の富豪、隠居官人との確執があった。

 冒頭に収められたのは、奇妙な行動を取る県知事の真意を探る希舜一行が、思わぬお宝を巡る事件に巻き込まれる作品です。

 物語の発端となるのは、難癖をつけて無実の人間を捕らえ、牢に押し込めるという知事の行動に希舜が疑問を抱いたこと。
 知事の行動自体は確かにけしからぬものですが、巡按御史が断罪するほどのものではない。しかし、知事がそんな行動を取る背後には、必ず理由があるはず――
 それを探るために自らも知事に捕らわれた希舜は、やがて知事とは犬猿の仲の土地の富豪と、そして彼らも垂涎のお宝を持つという隠居官人の存在を知るのですが…

 ある人物の奇矯な言動が意外な事件に繋がっていくというのは、短編ミステリにままあるパターンですが、ここでその意外な事件の中心に位置することになるのが、タイトルである黄鶏帖であります。
 三国時代に作られたというこの黄鶏帖に記されたものとは…ラストで明かされるその正体は、中国史にもあまり馴染みのない人間でも納得の内容で、一種伝奇もの的味わいになっているのも面白い。
 ミステリとしてはちょっとあっさり目の部分もあるのですが、この正体だけでも十分に印象に残る作品です。


「蓬草塩の塑像」

 絞殺された上、豪邸の二階の露台から池に投げ落とされた未亡人。この謎解きに挑む希舜だが、現場には犯人の姿はなく…

 祖父の旧友を訪ねた希舜が、そこで知った奇怪な殺人事件の謎に挑む二編目は、個人的に大好きな作品の一つであります。

 事件の被害者は、金で集めた娘たちを育て上げ、妾として金持ちに周旋していたという女。彼女が自邸に県知事をはじめとする客人を招いていた際、彼女が絞殺体となって庭の池から発見されます。
 事件発生当時は二階の露台に居たはずの彼女。しかし彼女が池に投げ落とされた時には、周囲には誰の姿もなく、そして邸にいた人間全てにアリバイが…

 というわけで、本作は衆人環視の環境下で行われた不可能殺人の謎を解くという趣向。これだけでも痺れるのですが、一連の事件の背後に、塩の専売という当時の重要産業が絡み、様々な形で重要な意味を持ってくるというのが面白い。

 さらに、殺人事件が意外な形で大活劇に繋がっていくという展開も楽しいのですが、何よりも見事なのは、ラストで希舜が見せる名裁きであります。
 難事件を解決するだけでなく、卑劣な企みに巻き込まれた薄幸の男女を救ってみせるその痛快さだけでなく、そこに込められた希舜の想いにグッとくる、そんな見事な結末なのであります。


 以下、次回に続きます。

「肉屏風の密室」(森福都 光文社) Amazon
肉屏風の密室


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2012.06.25

「兇」 ただひたすらに激突する二人を

 山岡鉄舟が結成した内偵組として、京を訪れた旗本の次男坊・水上守弥。勤王浪士による天誅の現場に出くわした守弥は、そこで岡田以蔵と対決し、からくも生き延びる。それ以降も幾度となくぶつかる守弥と以蔵。以蔵の存在に心乱される守弥は、以蔵との運命に決着をつけんとするが――

 「蛇衆」「無頼無頼ッ!」と、ユニークな時代活劇を発表してきた矢野隆の第三作が、この「兇」であります。

 舞台は幕末の京――天誅が横行し、一種の無法地帯と化したこの地を訪れた青年剣士・水上守弥は、ある晩、獣じみた凶剣士に襲われ、わけもわからぬまま、刀を交えることとなります。
 その獣こそは、人斬り以蔵こと岡田以蔵…必死の剣を振るい、何とかその場を逃れた守弥は、その後、要人警護の任務の最中に再び以蔵の襲撃を受け、心身に傷を負うことに――
 旗本の次男坊として折り目正しく生きてきた守弥とは全く異なるはずでありながら、しかし彼を自分の同類と呼ぶ以蔵。果たして以蔵は自分の中に何を見ているのか。守弥は、激しい反発と恐れが入り交じった感情に翻弄されることになります。


 さて、先の二作品が比較的入り組んだ、あるいは次々と舞台・状況が変わっていく内容だったのに対し、本作の物語とキャラクター配置はかなりシンプルであります。

 ある程度のタイムスパンを持つ物語ではありますが、本筋はただ一つ、守弥と以蔵の対決。
 守弥の友人で同僚の甚九郎、彼の下宿先の娘でやがて互いに想い合う仲となるおゆい、そして様々な形で彼を導く存在となる土方歳三――脇を固めるキャラクターもかなり限定されます。

 主人公である守弥は、彼らに取り巻かれて悩み、成長する存在として描かれますが、彼が様々な意味でどこまでも純粋なキャラクターである一方で、以蔵はそれと一見全く異なる、獣として描かれているのが面白い。
 最近のフィクションで描かれる以蔵は、利用されて捨てられる可哀想な純粋君という扱いが少なくありませんでしたが、本作においては、自分以外の誰も信じず、本能のみで生きる存在として描かれることになります。
(以蔵が勝海舟の用心棒を勤めたというエピソードが、本作では、金次第で主義主張なく動く定見ない存在としての以蔵を象徴するものとして描かれているのも面白いのです)

 しかし本作の最大の特徴は、大部分を占める二人の激突を、主に守弥の視点から、ひたすら丹念に描写していくことでしょう。
 以蔵はもちろん、守弥も、死闘の中では習い憶えた剣技のみでなく、蹴る、掴む、頭突きを食らわすと、実に泥臭い戦いを繰り広げるのですが、それがまた本作の二人にはよく似合います。
(個人的には剣戟の最中に蹴りを多用するのはいかがなものかと思わなくもありませんが…)

 ちなみに本作では、守弥が絶体絶命の窮地に陥ったときに視界が赤く染まり、自分以外の全ての動きが遅く感じられるというモード(?)の存在が描かれます。漫画などでは限界突破や覚醒といった言葉で表現される、ある意味お馴染みの境地ですが、本作ではそれを文章で真っ正直に、(主人公視点から)描くというのは、空前ではないにせよ、実に面白い試みではあります。


 このように本作は、シンプルな枠組みの中で、シンプルなストーリーをひたすら描くという、ある意味複雑な物語を描くよりも遙かに難しいことにチャレンジしており、それについては大いに評価できますし、作者の進歩と言って良いでしょう。

 しかし、その一方で、主人公をはじめとする登場人物が、(内面描写も含めて)あまりに饒舌であるのには、違和感を感じます。
 確かに言葉に出さなければ伝わらないものもあるでしょう。しかし、主人公の内面の変化を、全て言葉にして説明してしまうのは、これは好みもあるとは思いますが、首を傾げざるを得ません。

 漫画的なアクション描写を文章で再現するだけでなく、言葉なくして登場人物の心境を示すキャラクター描写もチャレンジして欲しかった…そう感じるのは、意地が悪いでしょうか。

「兇」(矢野隆 徳間書店) Amazon
兇

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2012.06.24

「信長のシェフ」第4巻 姉川の合戦を動かす料理

 戦国時代にタイムスリップしてしまった現代人シェフ・ケンが、料理でもって織田信長に仕え、時代を切り開いていく時代料理漫画「信長のシェフ」も早くも4巻目。
 この巻では、姉川の合戦とその前後に活躍するケンの姿が描かれるのですが、いやはやこれがまた実に面白いのです。

 巧みな料理の腕と、それ以上に見事に「客」の心を読む力で、これまで数々の危機を乗り越えてきたケンですが今回の姉川の合戦での彼は、まさに八面六臂。
 信長の命でお市のもとに潜入したものの、正体がばれてあわや打ち首、の窮地から逃れたかと思えば、信長のくノ一・楓との敵陣からの逃避行となり、そしてようやく帰陣したかと思えば、早速、姉川の合戦の逆転の切り札を任せられ…

 全く、毎回毎回異なるシチュエーション、それももちろんこの時代、この物語に合った形で設定されたそれに沿って発揮されるケンの料理には、驚かされるばかりであります。
 特にこの巻の冒頭のエピソードは圧巻。前巻のラストで浅井に捕らわれ、打ち首寸前…となったところで、危うくお市の声がかりで処刑は繰り延べとなったものの、助命につけられた条件は、食が細い茶々でも食べられる肉料理を作ること。
 満足に調理道具も調わない環境でケンが作った料理とは何と…

 いやはや、このエピソードは単行本化が待ちきれずに雑誌で読んでいたのですが、連載始まって以来の絶体絶命のピンチと、その緊迫感とあまりにかけ離れた料理の内容(三盛亀甲剣花菱の旗まで立ってる!)に驚いたり吹き出したりしたのを憶えています。

 もちろん、それが単なるネタで終わらず、きちんとした(先に触れたように客の心理を踏まえた上での)ロジックに基づいたものであるのが面白いところなのですが、そのネタものに留まらない面白さは、本作の歴史ものとしての部分にも見ることができます。

 諸説ある浅井長政の信長に対する裏切り、二人の間に亀裂が生じた理由が、市とケンの会話の中から語られるくだりなど、ケンという、この時代における異物――そしてそれは実は信長も同様の存在なのですが――があって初めて浮き彫りになる信長と長政の視線の違いが実に面白く、そして説得力が感じられます。

 さらに、姉川の合戦において前半は押されていたと言われる織田軍による巻き返しに――そこにケンがもちろん絡むのですが――当時の一般的な軍の構造と、織田軍のそれの根本的違いが踏まえられている点など、なるほど、と唸らされるばかりなのであります。

 この巻で浅井・朝倉戦は一息ついて、次にケンが向かう先は当時の最先端の文化が集まる商都・堺。
 ここでも発揮されるであろうケン流の戦国料理と、本作流の歴史解釈が今から楽しみであります。

(にしても、戦場でホルモン焼き食う家康と忠勝はやっぱりヘン)

「信長のシェフ」第4巻(梶川卓郎&西村ミツル 芳文社コミックス) Amazon
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2012.06.23

「サプライズ時代小説」特集(その二) サプライズにもほどがある作品たち!?

 意外なサブジャンルに属するけれどもそれを明らかにすると著しく興趣を削いでしまう時代小説を、サプライズの中身は伏せたままで紹介する「サプライズ時代小説」特集の第二回であります。今回はメジャーどころ、隠し球、そして問題作と様々であります。

 さて、三作目は光瀬龍「寛永無明剣」。非常にメジャーな作品であり、本作の趣向をご存じな方も多いかと思いますが、しかしやはりサプライズ時代小説の先駆として、取り上げておきたい作品であります。

 大坂の陣の残党を追う北町奉行所同心・六波羅蜜たすくを襲う暗殺の刃。それは不可解にも、将軍家指南役である柳生宗矩・十兵衛らによるものでした。一連の事件の裏を追うたすくが知った真実とは…

 いやはや、その真実というのがあまりに凄まじく、本作の発表時に、リアルタイムで予備知識一切なしで読んだ方がどれだけ驚いたか、想像するだけで頬が緩みます(その意味では今回の記事は本当に野暮で申し訳ないのですが…)
 今となっては、作者の作風を考えると趣向はある程度は予想はつくかもしれません。しかし本作で描かれる世界の広がりは、そんな形式的なものを遙かに超えて、まさに光瀬作品ならではの味わい、と言えるでしょう。
 この作者でなければ描けない作品であります。


 さて四作目は、あまり取り上げられたことのない隠し球的作品。鈴木輝一郎の「白波五人男 徳川の埋蔵金」です。

 タイトルの通り、本作はあまりに有名な盗賊・日本左衛門をはじめとする白波五人男を描いたいわゆるピカレスクもの。徳川家康の埋蔵金三千万両の存在を知った五人男が、徳川吉宗を向こうに回し、秘宝争奪戦を繰り広げるのですが…が…

 断言しますが、本作の秘宝の正体は、絶対予想できないと思います。まさかまさか、ピカレスクものが、クライマックスで○○ものに転じるとは、誰が予想できましょうか。(それがまた○○ものとして結構燃える展開なのです)
 正直なところ、未だにこの作品の内容については、○○ものを愛するあまりに私が見た幻覚だったのでは…と思うこともあるのですが、しかしあくまでも現実。
 トリッキーな作品が少なくない作者ですが、本作はその中でも頂点にあると言って良いのではないでしょうか。いや本当にすごいですよ。


 そして最後の五作目は、山田正紀の「天保からくり船」。
(…その名を聞いた既読者の複雑な表情が目に浮かぶようです)

 寛永寺炎上により江戸で跳梁を始めた「魔」。その「魔」を払う戦いに巻き込まれた浪人を主人公に据えた本作は、作品のスタイルとしては、短編連作形式の時代ホラー。毎回の事件を解決しつつ、少しずつ作品全体の謎が解き明かされていく形式で、同じ作者の「天動説」を彷彿とさせるものがあります(そういえばあの作品もかなりサプライズ時代小説でした)。

 しかし、その果てに主人公が見たものとは――いやはや、主人公どうよう、ここまで読者までも愕然とさせられる作品はそうはないでしょう。
 そんな馬鹿な! と言っても、それが真実、それ以外にどんな真実もないのであります。

 正直なところ、本作をこのブログで取り上げるべきかはずっと悩んできたのですが、それも最後まで本作をお読みいただければ納得していただけるでしょう。
(ちなみに、amazonの本作のページには信じられないようなネタバレが記載されておりますので、決して未読の方はご覧になられませんよう)


 さて、初めての試みでしたが、いかがでしたでしょうか「サプライズ時代小説」特集。野暮な内容であったかもしれませんが、これを取っ掛かりに、貴方が大いに驚いてくだされば、これに優る喜びはございません。


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2012.06.22

「サプライズ時代小説」特集(その一) 実は○○○な作品たち!?

 一口に(伝奇)時代小説と言っても、その中には実に多種多様な作品があります。そこであるサブジャンルに属する作品を集めて紹介を、というのは個人的に好きなアプローチなのですが、しかしそのサブジャンルに属する、と明らかにすることがネタバレになってしまう作品もあります。
 そこで、今回はそうした作品をサブジャンルを明かさぬまま、「サプライズ(ありの)時代小説」という一括りで紹介したいと思います。
(サプライズがあるということ自体を知りたくない、という方は申し訳ありませんがご覧になるのをお控え下さい)

 さて、まずは題材がサプライズとなる作品を二つほど取り上げましょう。

 まず一作目は森真沙子の「朱」
 本作は、現代で起きた首にナイフを食い込ませた猟奇殺人の犠牲者が残した、飛鳥時代の手記という非常にユニークなスタイルを取る作品ですが、その内容は、それに輪をかけてユニークであります。

 推古天皇の時代、飛鳥で頻発する猟奇殺人。被害者は首を切断され、その首を朱く塗られたという奇怪な殺人の謎を縦糸に、遣隋使船に乗っていた父を亡くした少年が、船で何が起きたのかを探る姿を横糸に展開する本作は、実は○○○もの。

 飛鳥時代、推古天皇といえば聖徳太子、その聖徳太子が○○○と対決…
 というのは、一歩間違えればゲテモノじみた内容となりかねませんが、そこは時代小説に留まらない広いキャリアを持つ作者だけあって、ジャンルものの約束事を踏まえつつ、サスペンスを次第に積み上げていく展開は見事の一言。
 蛇足にも感じられた現代パートが、きっちりとサブジャンルに結びついて終わる結末もまた巧みなのであります。


 そして二作目は、乾緑郎の「忍び秘伝」
 つい先日このブログで紹介したばかりなのに大変恐縮ですが、しかしこの作品も、実は意外なジャンルに題材を求めているため、ここで再び取り上げる次第です。

 戦国時代の武田家三代の興亡を背景に、忍び巫女の少女と若き日の真田昌幸が、ひとたび解き放たれれば戦の行方を左右し、いや操る者に天下を取らせることも可能という兇神の謎を追う本作。

 忍び巫女という特異な存在を中心に据えた物語展開や、敵役となる怪忍者・加藤段蔵や山本勘助の存在感も面白いのですが、実は本作で描かれる世界観は、いまやメディアを超えて人気を博する○○○○○ものに連なるものなのであります。

 しかし本作の巧みな点は、その世界観をそのまま時代ものの中に投入するのではなく、あくまでもほのめかしレベルで(一部そのまんまな部分はありますが…)、しかし見る人が見れば明確に繋がりつつ、同時に新たなものを提示している点でしょう。
 それは逆に、サブジャンルものとしては題材レベルに留まるということかもしれませんが、しかしその活かし方の巧みさは、特筆すべきものがあると感じる次第です。


 と、長くなってしまいましたので次回に続きます。

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2012.06.21

「妖怪泥棒 唐傘小風の幽霊事件帖」 コメディとシリアス、二つの顔

 突然、寺子屋から小風が姿を消して失意のどん底の伸吉。一方、深川では火付けと幼子誘拐事件が同時に頻発し、さらにチビ猫骸骨とカラスの八咫丸も姿を消してしまう。そんな中、恋女房を捜す男の依頼を引き受けた一同は、一連の事件の影に、妖怪・赤猫と、石川五右衛門の幽霊の存在を知るのだが…

 本所深川を舞台に、ヘタレの寺子屋師匠・伸吉と、無愛想美少女幽霊・小風を中心に、おかしな妖怪・幽霊・その他人外が入り乱れる「唐傘小風の幽霊事件帖」シリーズ第3弾であります。

 今回の物語の中心となるのは、深川で頻発する謎の火付け騒ぎと、幼子の誘拐事件。伸吉も深川の住人として、夜回りに参加するのですが――しかしどうにも身が入らない。
 それというのも、一連の事件とほぼ同時に小風がどこかに姿を消し、彼女に密かに(?)惚れていた伸吉は青息吐息の状態なのであります。

 そんな中、小風の妹分の守銭奴幽霊・しぐれが営む何でも屋に、恋女房の千代を捜しているという大工・吉三郎が依頼に訪れます。人間には見えないはずの何でも屋を、なぜ吉三郎が訪れることができるのか…という疑問は、一連の火事のおかげで儲かったという彼の懐目当てのしぐれの頭に浮かぶはずもなく、伸吉たちは千代探しに狩り出されることとなります。

 一方、前作で伸吉のところに居候することとなった閻魔大王たちの活躍(?)で火付けや誘拐の下手人も明らかとなったと思われるのですが、事件には裏が、そしてそのまた裏の裏が…

 と、幾つもの事件が入り乱れる本作ですが、その前半は、その事件の謎を前に、とにかく登場キャラたちが自己主張とボケを連続する展開が繰り広げられることとなります。
 何しろ、ただでさえ個性の固まりのような連中が揃ったところに、ほとんど唯一のツッコミ役だった小風が謎の行方不明となってしまったことでツッコミ不在(伸吉は立場が弱すぎるので…)。ひたすらボケだけが繰り返されるという展開は、一種の地獄絵図(閻魔もいるだけに)とすら言えるかもしれません。

 君たち、もう少し冷静になって下さい、と言いたくなるような――真面目な方は怒り出すかもしれない――展開ですが、しかしそれが実に楽しい。
 特に本シリーズの二大萌えキャラ(と私が勝手に呼んでいるところの)猫骸骨と上総介のダメダメっぷりは、清々しいほどであります。


 しかしその一方で、複雑に絡み合った事件の真相が見えてくる中で、物語は別の顔を見せ始めます。

 孤独の中に千代と寄り添ってきた吉三郎、人(それがまた意外な人物!)に火を付けられて死んだ猫が変じた妖怪・赤猫、そして火事場に出没する大盗・石川五右衛門の幽霊…
 彼らを通じて描かれるのは、真っ当な人間(生き物)としての生というボーダーラインを越えてしまった、越えざるを得なかった者の深い哀しみなのであります。

 これまで何度もこのブログで触れてきましたが、作者の作品の特徴は、個性的な妖怪・幽霊たちが繰り広げるコミカルな展開だけではありません。
 それと並行して、望まぬまま人間でいられなくなった者たち、人間以外の存在(妖怪)となってしまった者たちの悲劇もまた、高橋作品では描かれるのです。

 そして本作もまた、そのスタイルを踏まえた作品、前半の怒濤のコメディ展開と、後半のシビアなシリアス展開と…その両面が、一つの作品の中で成立しているのであります。


 正直なところ、その両者の振れ幅の大きさがうまくうまっているかは微妙ではありますし、ラストの展開は弱いという印象はあります。

 しかし、そのラストで垣間見せられた伸吉の力は、本作の向かうところを示しているようにも感じられます。
 伸吉に背負わされたもの、その正体が明らかにされた時、本シリーズの向かうところもはっきりと描かれるのではないか…そんな予感を抱いた次第です。

「妖怪泥棒 唐傘小風の幽霊事件帖」(高橋由太 幻冬舎時代小説文庫) Amazon
妖怪泥棒 唐傘小風の幽霊事件帖 (幻冬舎時代小説文庫)


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2012.06.20

「笑傲江湖」第3話・第4話 引退式の惨劇

 さて、TVドラマ版「笑傲江湖」の第3話・第4話であります。
 色魔・田伯光に付け狙われる美少女尼僧・儀琳を救うため、あえて実力では遙か上の伯光に挑む我らが令孤冲…というところで第2話が終わりましたが、物語はまだまだ序章であります。

 実力差を埋めるため、椅子に座ったままの勝負を持ちかけた令孤冲。それに伯光が乗った隙に儀琳を逃がそうとする令孤冲ですが、逃げない儀琳。いやいやいや、そこはちゃんと逃げようよ、と突っ込みたくもなるのですが、良く言えば一途、悪く言えば頭の固い儀琳は、わざわざ戻ってきてしまうのでした。
 何とか奇策でもって勝負に勝ち、伯光を追い払ったものの傷の重さにダウンした令孤冲を担いで連れて行こうとする儀琳ですが…途中、どこかで落として彼と離ればなれに。
 その後、ようやく再会した師匠をはじめ、武林の人々の前で、あらぬ疑いをかけられた令孤冲の弁明のために真相を語ろうとするのですが、そこでも無駄に話が長い…と、スタッフはもしかして儀琳が嫌いなのではないか、と言いたくなる扱いであります。
(話は飛びますが、4話ラストで、捕らえられた令孤冲のところに忍び込んできた時の分からず屋っぷりもひどい)

 主人公周辺がいきなり迷走している間、集まってきたのは武林の名士たち。令狐冲の師である華山派総帥・岳不群、儀琳の師である恒山派総帥・定逸師太、第1,2話で暴虐の限りを尽くした青城派総帥・余滄海などなど…
 一気にキャラクターが増えて少々混乱しますが、彼らはいずれも主人公たちよりも世代が上の、色々な意味で大人のキャラたち。それだけに一筋縄ではいかない面子ですが、それが面白いのは言うまでもありません。

 さて、そんな武林のビッグネームが集結したのは、衡山派の高弟・劉正風の引退式のため。その引退式の模様は、第4話で描かれるのですが、これが流血の惨事に繋がるとは…

 と、その前に驚かされたのは、第3話のラストから第4話冒頭の繋がらなさ。この面々の前で、上に述べたとおり儀琳が令狐冲に救われた一部始終を語り、彼にかけられた疑いを晴らす…はずなのですが、さあこれからというところで第3話は終わり、そして第4話ではその辺りが全て吹っ飛んで、いつの間にか令狐冲の疑いが晴れた(らしい)ということになっているのです。
 そもそも第3話のラストは夜だったのに、第4話の冒頭は昼だったし…これはもしかして、撮影は3話単位で行われていて、班が変わったとかそういうのかと思ってしまいました(さすがにここまでひどい切れ方はこの回くらいのようですが)。

 閑話休題、第4話のクライマックスは、この劉正風の引退式の惨劇であります。
 居並ぶ武林の名士の前で、黄金の盥で手を洗うという儀式でもって、引退をするはずだった劉正風。しかしそこに乱入してきたのは、嵩山派一門。彼らは正風が魔教・日月神教の長老・曲洋と親交を結んでいることを暴き、彼が魔教と結んで武林転覆を狙っていると糾弾します。

 ここで華山派をはじめとする正派にとって、魔教は不倶戴天の敵。正派の面々は正風に事の真偽を糺し、もし潔白であるのなら曲洋の首を取れと命じるのですが――
 実は正風と曲洋の親交は事実、しかしそれはあくまでも簫と琴、音楽を通じてのもの。いかにも真っ正直な武術家である正風はそのことを隠さず、そしてもちろん曲洋を討つことも断るのですが、それが悲劇を招くことになります。

 あろうことか嵩山派は正風の妻子を彼の眼前で惨殺――
 その血しぶきが、正風が手を洗おうとした盥にまで飛び散るというのも視覚的にキツいのですが、それ以上に精神的にキツいのは、ただ一人残した幼い子に刃を突きつけ、正風と魔教の繋がりを告発させるくだり。
 この辺りの嫌らしさは、視覚的聴覚的に迫ってくる映像作品ならではでしょう。

 はっきり言えば、我々にとって正派も魔教もよくわからない区分けで、そのためにここまで無残なことになるのには理解できない部分もあります。しかしこれは、イデオロギー対立の暗喩だと考えるべきもの。
(嵩山派の凶行を、令狐冲以外の正派の人間が阻もうとしないのがその一つの証でしょう)
 そうであるならば、これが本作のような物語世界特有のものではなく、かつて、いや今でも世界のどこかで起きている惨劇を映したものだと感じられるのであります。
 金庸作品が荒唐無稽な武術合戦を
描きつつも広範な読者層に愛されているのは、この辺りの目配りもあってのことではないか…と今更ながらに感じた次第です。

 と、とりとめがなくなってしまいましたが、私としては今回はこの引退式の惨劇を見せてくれただけで結構満足しております。

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笑傲江湖(しょうごうこうこ)〈デジタル・リマスター版〉 [DVD]


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2012.06.19

「邪忍の旗 黒衣忍び人」 脳天気忍者と悩める若様

 武田透破の末裔で雇われ忍びの狼火隼人が、将軍家光の日光参詣を目前とした時期に目をつけたのは、下野国早乙女藩内の廃村を巡る事件だった。早乙女藩主の嫡子・津八郎と交誼を結んだ隼人は、暗躍する謎の一団の調査を始める。一方、隼人の宿敵・柳生十兵衛もまた、同じ敵に対して動き出していた…

 武田信玄が生んだ忍び集団・透破の末裔で、今は一件百両で裏の仕事を請け負う一党の長である狼火隼人を主人公とした忍者アクション小説の第二弾であります。
 今回は、日光東照宮落成間近の下野を舞台に、隼人をはじめとする三人の若者の生き様が交錯することとなります。

 仕事を求めて放浪する隼人たちが下野国早乙女藩内で偶然出くわしたのは、謎の一団に追われる娘。目明かしであった彼女の父は、廃村に住み着いたという一団を探るうちに殺され、彼女もまた命を狙われたのであります。
 それを救った隼人は、これは飯の種になるかも…と探索を開始。そんな中、彼は早乙女藩主の嫡子で、自ら手勢を率いて山賊退治をするような熱血漢の津八郎と出会うことになります。
 かたや裏稼業ながら脳天気な忍び、かたや父に冷遇され若き血をもてあます若君。全く異なるようでいて、どこか似たもの同士の二人はたちまち意気投合、隼人は彼をスポンサーにして正式な探索を開始することとなります。

 一方、同じく探索の末に早乙女藩を訪れたのは、隼人にとっては商売敵であり宿敵である公儀隠密・柳生十兵衛。彼もまた、探索の中で謎の敵に襲われ、隼人とは互いに牽制しあいながらも、しかし同じ敵を相手にするという奇妙な関係となるのでした。

 かくて、隼人と津八郎と十兵衛――それぞれに戦う理由を抱えた彼らは、将軍家光を狙う大陰謀に、それぞれの立場から立ち向かうことと相成ります。


 そんな本作の最大の特徴は、やはり隼人の(忍びらしからぬ)陽性のキャラクターでしょう。
 裏街道を往きながらも、天性の人の良さと脳天気さを失わぬ隼人ですが、今回は同年代であり、表の世界(?)にありながらも屈託を抱えた津八郎と出会ったことで、その明るさを前面に出してくるのが何とも楽しい。

 宿敵である十兵衛も、今回は孤独に疲れたこともあってか、共通の敵に対して隼人と共同戦線を組もうとするなど(そして思い切り嫌がられるのがまたおかしい)、キャラクターの関係性が隼人を中心に動いていく点は楽しめます。

 その一方で、敵の企みがあまりにストレートであったり、小人物は基本的に小人物のままであったりと、引っかかる点はあります。また、地の文が説明過剰に感じられるのも残念な点ですが、これは個人の好みの問題でしょう。

 その辺りを加味すると、百点満点というわけではありませんが、しかし今日(の文庫書き下ろし時代小説)では少々珍しい忍者ものとして、肩の凝らないエンターテイメントとしては楽しめるのもまた事実。
 第3弾は島原の乱が題材とのことで、こちらも近々読んでみる予定であります。

「邪忍の旗 黒衣忍び人」(和久田正明 幻冬舎時代小説文庫) Amazon
邪忍の旗―黒衣忍び人 (幻冬舎時代小説文庫)


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2012.06.18

「蝶獣戯譚Ⅱ」第2巻 彼女たちの瞳に映るもの

 表の顔は吉原の太夫・胡蝶、裏の顔ははぐれ忍びを狩る狩人・於蝶の孤独な戦いを描く「蝶獣戯譚Ⅱ」、この第2巻からは彼女の宿敵であり、そしてかつての恋人であったはぐれ忍び・一眞を向こうに回しての吉原攻防編が描かれることとなります。

 同じ見世の女郎の中にキリシタンがいることを知った於蝶。その女郎の後をつけた於蝶の前に現れたのは、神父姿の端正な、しかし異様な空気を漂わせた男、次兵衛――またの名を金鍔次兵衛!

 と、その名を聞いただけでテンションが上がってしまうのはごく一部の人間かと思いますが、この人物はその神出鬼没ぶりから、キリシタンの妖術師ではないかとまで言われ、半ば伝説化した人物。
 時代ものに登場する機会はかなり少ないのですが、ここでこの人物を持ってくるチョイスというのが嬉しいのであります。

 しかし次兵衛は九州で活動していた人物。それが、何故江戸の、それも吉原をターゲットとするのか?
 本作ではその問に、沢野忠庵を持ち出すことで答えているのが面白い。沢野忠庵は、金鍔次兵衛に比べると有名な人物であり、時折伝奇時代ものにも登場するため、ご存じの方も多いでしょう。沢野忠庵、本名をクリストファ・フェレイラ――転びバテレンにして、幕府の切支丹取り締まりに協力したという人物であります。

 次兵衛は裏切り者フェレイラを殺すために彼を追って江戸に現れ、幕府側は神出鬼没の次兵衛を捕らえるための餌としてフェレイラを使い――ただし、表向きは次兵衛は死んだことになっているので、裏の世界である吉原の狩人たちが狩り出される、という設定も、なかなか面白いシチュエーションであります。

 しかし、於蝶にとっては、次兵衛を追うもう一つの理由があります。それは、於蝶のかつての男であり、そして今ははぐれ忍びの首領格となっている男・一眞が次兵衛と結んでいること。
 「蝶獣戯譚」の一作目でも吉原を狙い、於蝶の妹分を操って於蝶とはぐれ忍びたちを揺さぶった一眞。今回は、切支丹を装った非道な押し込みを働く彼の真意は…

 そう、今回の吉原攻防編の横糸が、狩人と隠れ切支丹の戦いとすれば、縦糸となるのは於蝶と一眞の、狩人とはぐれ忍びの――いや、それを超えた、女と男の対決であります。
 もとより一眞を討つためにはぐれ忍びとなったという於蝶も闘志を燃やすのですが、しかし、たとえ憎しみのみが残るようでいても、割り切れないのは彼女の心。そして冷静さを欠いて揺れ動く彼女の心をさらに傷つけるように、驚くべき裏切りが彼女を襲うこととなるのですが…


 正直なところ、この第2巻が発売されてから、こうして紹介を書くまで少々間が空いてしまったのですが、それは実に、今回於蝶を襲う運命があまりにキツく、気持ちを整理するために時間がかかってしまったためであります。
 感情移入しすぎ、と笑われるかもしれませんが、しかし本作には、特にその絵には、それだけの力があります。

 本作で非常に印象的に感じられる、登場人物たちの瞳――於蝶の黒く感情を殺した瞳、一眞のギラギラと欲望に輝く瞳、次兵衛の感情の読めぬ、そして時として激しすぎる感情を示す瞳、忠庵の全てを喪ったような虚無の中にある瞳。
 その瞳にこれからどのような悲劇が映し出されることとなるのか。考えるだにキツいものがありますが、しかしそれから目を背けずに、於蝶の戦いの行方を見守りたいと思います。

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蝶獣戯譚II 2 (SPコミックス)


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2012.06.17

「水滸伝」(青い鳥文庫) 一冊に圧縮した水滸伝世界?

 これまでこのブログでも色々な「水滸伝」を取り上げてきたように、現代日本ではマイナーと言われつつも、意外と水滸伝リライトは刊行されているものです。そんな中でも意外と見逃されがちなのが児童向けリライトですが、今回はその中で講談社青い鳥文庫版を取り上げましょう。

 この講談社青い鳥文庫版は、編訳を立間祥介、挿絵を井上洋介が担当したもの。
 内容的には、ある意味日本のりライトでは定番の七十回本ベース、すなわち百八星勢揃いまでが描かれています。

 しかし、七十回本とはいえ、全一巻という分量でそれを描くのは、少々無茶があるように思えなくもありませんし、確かに、全体的にかなり駆け足ではあります。
 特に、魯智深・林冲・晁蓋・武松のエピソードで全体の半分くらいが占められているため、それ以降がかなり詰め込まれたように感じる…というのは実は原典もそうなので完全に印象論ですが…

 それでも、少し小さめの活字で埋め尽くされた約300ページという分量は、それをかなりの部分補っている――というより、よくもまあ、この一冊に水滸伝の全容を詰め込んだものだ、と素直に感心させられたほどであります。
 たとえば、一つの指標として百八星の出欠――という言い方はおかしいかもしれませんが――で見ると、名前のみの面子も多いとはいえ、実に88人が登場。これ以上の分量がある水滸伝でも、60人~80人(いずれこの辺りはどこかに掲載したいと思いますが)であることを考えると、これはかなりのものかと思います。
(これだけの出欠率の中で、天コウ星36人の中で登場できなかった李応・董平・索超ェ…)

 もちろん、物語の内容を登場人物の人数だけで考えるのはやはりマニアの見方以外の何ものでもなく、特にこの本で初めて水滸伝に触れる方もいるかもしれないということを考えると、やはり少し厳しいかな…という印象はあります。
 井上洋介の、荒々しくも抑えるべきところは抑えた、そしてどこか昏いものを感じさせる画風は、水滸伝に非常に良く合っているのは間違いないのですが…


 ちなみに本書で妙に印象に残ったのは、人肉食の描写が妙にしっかりしている点であります。
 この辺り、原典を児童書にする場合に、浮気と並んでまずオミットされる部分だと思うのですが(現に本書でもその辺りは非常にあっさりと流されているのですが)、本書ではそこをかなりきちんと残しているように感じられます。
 特に黄文炳が生きながら食われる辺り、わずか数行とはいえかなりしっかり書かれており、原典同様、鬼面人を驚かす類のものだと思いますが、ちょっと不思議に感じた次第です。

「水滸伝」(立間祥介編訳 講談社青い鳥文庫) Amazon
水滸伝 (講談社 青い鳥文庫)

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2012.06.16

「つじうろ 武士斬り かまいたち」 良海和尚、再び参上!

 「裏宗家四代目服部半蔵花録」のかねた丸による異色捕物帖漫画「つじうろ」が帰ってきました。
 謎の(?)何でも屋・良海和尚と、岡っ引き志望の娘・柚子のコンビが事件に挑む本作の第2弾が、「コミック乱ツインズ」の7月号に掲載されたのです。

 岡っ引きの父の真似をしては事件に首を突っ込み、雷を落とされている鉄火娘・柚子。そんな彼女が、自分の目の前で殺された男の謎を巡り、どんな依頼も「了解」と二つ返事で引き受ける謎の坊主・良海和尚とともに事件解決に奔走する――
 というのが、「コミック乱ツインズ」3月号に掲載され、好評を博した前作の内容ですが、今回はそれから2ヶ月後の物語であります。

 自らの正体を周囲に明かし、息子とともに江戸を去った良海和尚。しかしほとぼりが冷めたと思ったか、密かに江戸に帰ってきた和尚ですが…そこでいきなり出くわしたのは、武士ばかりを狙う辻斬り、人呼んで「かまいたち」。
 かまいたちと刃を交えながらも生き残った良海は、かまいたちを追いかけてきた柚子と早速再会。良海は、今回の被害者が、柚子の通っていた道場の門弟と知り、柚子にくっついて道場に顔を出すのですが…


 と、今回の敵は辻斬り、それも刀を持った相手ばかりを襲う腕利きとあって、前作以上にアクション面は充実している印象。
 作者は「裏宗家四代目服部半蔵花録」で忍法vs忍法、剣法vs剣法をダイナミックに描いてきただけにアクション描写はお手の物、というところでしょう。特にクライマックスの剣戟は、良海の豪快なフィニッシュに目を奪われました。

 また、その良海の意外な正体が、前作の一つのクライマックスだったわけですが、今回はそれが明らかになっているため、売り(?)の一つが欠けることにいささか不安を抱いていたのですが…
 しかし、そこももちろん、きっちりと目配りされております。内容の核心に関することのため、ここでは詳しくは書きませんが、武士ばかり狙う辻斬りの心の内が、良海のそれと重なるという構造はうまい。

 個人的には、しかし、ここで下手人が自分の心中を全て口に出して喋ってしまうのが残念ではあったのですが――
 もっともこの辺り、全てを飲み込んで語らぬ良海とのコントラスト、と言えるかもしれません(その代わり、柚子が代弁して色々と喋るのですが…)。


 それにしても、わずか2回でこのコンビもすっかり定着した印象。個人的には、単発ものだけでなく、もう少し長いエピソードも読んでみたいと強く思うのですが…
 こればかりは、すぐに「了解!」といかないのかもしれませんが、しかしやはり期待してしまうのであります。

「つじうろ 武士斬り かまいたち」(かねた丸 「コミック乱ツインズ」2012年7月号掲載)


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2012.06.15

「拳侠 黄飛鴻 日本篇」(その二) 黄飛鴻と日本のライバルたち

 前回の続き、「拳侠 黄飛鴻 日本篇」の続きです。
 黄飛鴻の前に立ち塞がる日本側の強敵――忍者・力士・侍。その正体とは…

 甲賀流忍術の使い手の警官・藤田森之助は、「最後の忍者」と呼ばれた藤田西湖の父であり、捕縛術の名人で「藤田刑事は鬼より怖い」と謳われたという人物。
 横綱・大砲万右衛門(作中ではただ「大砲」と表記)は、昭和末期に破られるまで史上最長身194cmの記録を持つ横綱で、同時に引き分け率の高さで知られた「分け綱」。
 そしてテロリスト剣術家とは伊庭想太郎――あの隻腕の剣士・伊庭八郎の弟であり、心形刀流第10代を継いだ最後の剣客…

 いやはや、黄飛鴻vs忍者・力士・侍と、いかにも香港映画らしい(?)色物対決と思わせておいて、アレンジはもちろんあるものの、しっかりと時代背景を踏まえた人物を配置してくるのには舌を巻きます。宮崎滔天や内田良平、平山周など、その他の登場人物もほとんどが実在の人物で、本作がネタのインパクトのみに頼った作品でないことが窺えるのです。
 もちろんそこには、本作なりのアレンジはあります。特に内田良平は日本側の悪役を一手に引き受けさせられた感があり、その辺りは残念ではありますが、そこは創作としての許容範囲として見るべきでしょう。
(ちなみに、刊行時に読んだ時には、私はこの辺りの知識が薄かったため、今ひとつ燃えられなかったのがつくづく悔やまれます)


 もっとも、残念な部分が皆無というわけではありません。
 その最たるものは、本作のラストで黄飛鴻と対決する伊庭想太郎の掘り下げの不足でしょう。
 一歩間違えれば時代遅れの武術を修めつつも、その価値を信じ、愚直なまでに己の道を貫く――そしてそれがやがて周囲の人々を動かしていく――黄飛鴻。かたや、剣術の世界ではサラブレッドというべき存在でありながら、文明開化の世で己の腕を生かす道を失い、殺人者としてその生を閉じることとなる想太郎。

 この二人が、ある意味対照的な人物として――そしてワンチャイファンであれば、想太郎の姿にシリーズ第1作の悲劇の武術家・巖振束を重ねることでしょう――描かれることとなるのですが、しかし、それにしては想太郎の扱いが少々軽く(それだけ本作が盛りだくさんということなのですが)、厳しい言い方をすればポッと出の敵役に見えてしまうのであります。
 行方不明となっていた十三姨が保護されていた先が実は――というシチュエーション作りは実にうまいだけに、この辺りは実に勿体ない、というほかありません。

 想太郎という影が深いほど、黄飛鴻の生き様もまた輝くはずなのですから――


 と、瑕疵がないわけではないのですが、しかし、本作にはそれを補って余りある魅力があることも、また事実。
 黄飛鴻が両手を大きく広げた「龍手双形」の構えをとった、と書かれるだけで、頭の中にワンチャイのあの勇壮なテーマ曲が流れる私のような向きには、必読とも言える作品であります。
 そして本作はこの後、「広州篇」「満州篇」と続いていくこととなるのですが…そちらももちろん、近日中に紹介したいと思います。

「拳侠 黄飛鴻 日本篇」(東城太郎 中央公論新社C・NOVELS) Amazon
拳侠 黄飛鴻 日本篇 (C・NOVELS)


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 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱」

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2012.06.14

「拳侠 黄飛鴻 日本篇」(その一) 黄飛鴻、海を渡る

 医師にして最強の中国武術家・黄飛鴻。彼は日本に亡命した親友・孫文を暗殺者から守り、そして日本で行方不明となった婚約者・十三姨を探すため、弟子と共に勇躍日本に渡った。しかしその前に立ち塞がるのは、清朝の暗殺者、そして忍者、横綱、最強の侍――海を渡り、黄飛鴻の仏山無影脚が唸る!

 香港映画ファン、カンフー映画ファンであれば黄飛鴻のことはよくご存じでしょう。
 清朝末期/中華民国初期の広州で活躍した名医にして拳法の達人、日本ではジェット・リー演じる「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」(以下「ワンチャイ」)で知られるようになった実在の人物であります。

 本作は、その黄飛鴻を主人公に――それもワンチャイ版をベースに――して、彼が実は明治34年の日本に来日していた! という意外伝。12年前に出版されたものですが、今読んでも、いや今読んだ方がさらに楽しめる痛快な作品であります。

 物語は、広州の黄飛鴻のもとに、風変わりな日本人・平山周が訪れたことから始まります。
 かつて飛鴻に命を救われ、以来友情を結んできた孫文からの手紙を携えてきた彼は、飛鴻に、清朝の暗殺者により孫文が狙われていること、そして日本での留学中に消息を絶っていた十三姨――飛鴻の年の近い叔母にして婚約者――と親しかった革命家が暗殺者に殺害されたことを語ります。
 孫文の目指す革命には関心の薄い飛鴻ですが、友の命に危険が迫っていることを、そして愛する女性がそれに巻き込まれたと思われることを知り、遂に立ち上がることとなります。かくて、(自称)一番弟子の梁寛と、紅一点の弟子・莫桂蘭の二人を連れ、飛鴻が明治の東京に現れるのであります。

 と、この時点でワンチャイファンはニヤニヤものでしょう。かつて黄飛鴻に命を救われた孫文、叔母で婚約者の十三姨とくれば、(もちろん明言はされていないものの)これはもうワンチャイシリーズと地続きの世界の物語としか思えないのです。
(梁寛のお調子者ぶりも相変わらず…)
 海外の有名人が、実は来日していた というのは、時代ものでもある意味定番の題材ではありますが、本作はそれを黄飛鴻で、しかも日本で黄飛鴻の名を知る人の大部分が思い浮かべるであろうワンチャイシリーズのそれでやってしまったのが、大胆であり、そして実に楽しいのであります。

 かくて、一人孫文の義士団をしつつ、十三姨をも探すこととなった飛鴻ですが、もちろん彼の行く手は波瀾万丈。
 孫文を清朝からの刺客・五殺手が、日本の官憲が、黄飛鴻を敵視する日本の右翼結社が送り込む日本武術家が、次々と彼の前に立ち塞がることとなるのです。

 それが、日本の官憲は甲賀流忍術の継承者、日本武術家は巨漢の横綱にテロリスト剣術家、というのに一瞬頭を抱えそうになるのですが、実はそれが皆、実在の人物というのが、本作の凄いところなのであります。

 というところで、長くなったので詳しくは次回に続きます。

「拳侠 黄飛鴻 日本篇」(東城太郎 中央公論新社C・NOVELS) Amazon
拳侠 黄飛鴻 日本篇 (C・NOVELS)


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2012.06.13

「忍び秘伝」 兇神と人、悪意と善意

 永禄四年、川中島の戦で敵味方に多大な死をもたらしたのは、武田信玄と山本勘助の手により出現した兇神・御左口神だった。歩き巫女の少女・小梅は、謎の忍者・加藤段蔵から、自分の存在がその兇神と密接に関わることを教えられる。小梅と真田家の青年・武藤喜兵衛は、兇神を狙う段蔵の野望に挑む。

 乾緑郎が時代小説大賞を受賞した「忍び外伝」は、一見普通の時代小説のようでいて、実は、というユニークな作品でした。それであれば、似たようなタイトルの本作もまた…? と考えてしまうのが人情ですが、いやはや、その期待は裏切られることはありませんでした。本作もまた、時代小説としての格好をきちんと保ちつつも、その中に実は! と異次元の色彩を織り交ぜた、作者ならではの作品であります。

 物語の始まりは天文年間、武田晴信に攻められた諏訪頼重が、山本勘助の介錯により切腹する場面から始まります。
 頼重と晴信の妹の間に生まれた寅王丸は、その勘助の手に奪い取られ、伊賀の藤林家に預けられた末に加藤段蔵を名乗ることに…

 一方、段蔵と共に育ち、後に甲斐望月家に嫁いだ千代が設立した歩き巫女の里で育てられた小梅は、ある日、段蔵に襲われたところを、真田幸隆の子・武藤喜兵衛に救われることとなります。

 山本勘助、加藤段蔵、小梅、武藤喜兵衛――彼らの、そして諏訪家と武田家の数多くの人々の運命を左右し、本作の中心に存在するのは、謎の兇神・御左口神(みしゃぐち)。
 未だに謎の多い神性である御左口は、諏訪大社で祀られていたとも伝えられますが、本作においては、一度解き放たれれば、無数の人々の血肉を貪る、まさしく兇神としか呼びようのない存在として描かれます。

 川中島の戦で、三方原の戦で召喚され、そこに地獄を生み出した御左口神の力を巡り、小梅と喜兵衛は、段蔵、そして勘助と対峙していくこととなるのですが――


 このような物語を持つ本作は――長いタイムスパンと、次々と変わる視点を持つものの――基本的には、武田三代の盛衰を背景に、小梅の視点から、兇神の巡る人々の闘いを描いた時代伝奇ものとして読むことが可能です。
 その意味では、本作は比較的オーソドックスな物語と感じられるのですが…しかし、この作者がありきたりな作品を書くわけがない、という期待が裏切られることはありません。

 前作は、時代伝奇ものの格好をしつつも、ラストで時空を超えた物語をSF的世界させ、私たちを大いに驚かせてくれましたが、本作においても、その背後に、ある種ジャンルクロスオーバー的なものを配置しているのであります。
 時代ものでこの題材を扱った作品は、実は本作が初めてというわけではありません。その意味では、斬新さ、という点では一歩譲るかもしれませんが、暗喩を中心とした節度を守った使い方をすることにより、その題材のインパクトのみに頼った作品となっていないことは、大いに評価できるでしょう。
(それだけに、終盤のネタバラシはちょっと蛇足だったようにも感じられるのですが…)


 そしてもう一つ、本作においては、その構造において大きな仕掛けが用意されています。終盤に描かれるある展開を踏まえて、もう一度本作の冒頭部分を読み返せば、全く違うものが見えてくるという構成の妙には、誰もが驚かされることでしょう。

 そして真に素晴らしいのは、その構成が、一種本作のテーマと密接に関わっている点でしょう。
 人知の及ばぬものを弄んでなお、己の欲望を満たそうとする人間の悪意の存在――本作の終盤で描かれたものは、その悪意が絶えることなく繰り返されることを示したものでしょう。
 しかしそれに対し、己の愛するものを守り、慈しむ人間の善意もまた、終わることなく繋がれていくことを、本作の結末は明確に示します。
 過去を向いた悪意と、未来を向いた善意――その二つが鮮やかに対比された本作の結末は実に美しく感じられるのです。


 ジャンルを超えた題材・展開を用意しつつも、それに頼ることなく、時代小説ならではの、時代を踏まえ、時代を超えた物語を描く――前作においては不満の残ったその部分を見事に解決し、優れた物語を見せてくれた本作。
 いやはや、この作者のこれからが、いよいよ楽しみになるばかりなのであります。

「忍び秘伝」(乾緑郎 朝日新聞出版) Amazon
忍び秘伝


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2012.06.12

「魔王信長」第2巻 超人大名たちの死闘

 自らの魂を悪魔に売り渡し、信長は不死身の肉体と常人離れした能力を得た。桶狭間の戦で単身今川義元を倒した信長は、美濃をも手中に収め「天下布武」を掲げて天下取りに乗り出す。しかし信長の前に、風林火山の四人の武田信玄が立ち塞がる。そして、信長の周囲にも、彼に抗する者たちが…

 風野真知雄の幻のヤングアダルト時代小説「魔王信長」第2巻の紹介であります。
 死後の魂を売り渡し、悪魔の力身につけた不死身の武将と化した信長が、この第2巻ではいよいよ本格的に乗り出すことになるのですが――しかし、第1巻同様、信長以外の戦国大名も只者ではない、というより信長同様の人外の妖人揃いという印象であります。

 この巻の冒頭で描かれるのは、かの桶狭間の戦。油断していた義元を、奇襲により信長が破り、奇跡の勝利を挙げた…というのは史実のお話で、本作の信長は、自軍よりも遙か以前に単身義元のもとに乗り込み、一騎打ちをしてのけるのだから、色々な意味で凄まじい。
(第1巻の紹介でも触れましたが、BASARA的というか無双的というか、一種時代の先取り的感性に驚かされます。もちろん、原点はむしろ講談的世界観なのだとは思いますが…)
 これに対する義元も常人ではない。凄まじい威力を持つ鞠を放つ奇怪な蹴球術(これも先取り…)でもって、信長をあわやというところまで追い詰めます。
 そして、その常人離れした力の正体とは何と…!(何でこの方が駿河に、とも思いましたが、調べてみると全くの無縁でもないんですね。義元が京を目指すという理由付けにもなっているのが面白い)

 しかし、この巻の白眉は何と言っても武田信玄でしょう。影武者を巧みに使ったことで知られる信玄ですが、本作の信玄は、影武者というよりも同一人物が四人――風林火山から一文字ずつ取って、風の信玄、林の信玄…と称する――存在するという設定。
 もちろん(?)一人一人の信玄は異能を持ち、単身敵陣に乗り込んでくるという展開で、ここまで突き抜けられるとむしろ気持ちがいいほどであります。
 短筒を使う火の信玄の前に窮地に陥った信長を救ったのは光秀の○○! というシーンなど、問答無用で燃えてしまうのであります。

 しかし、そんな本作においても、戦国大名=超人、というわけでは必ずしもありません。
 たとえば木下藤吉郎(彼は山の民の出身で本名猿飛ナントカではありますが)、たとえば徳川家康…
 本作においては、彼らに代表される普通の人間の視点も用意され、彼らの目から見た信長の超人ぶりに対する畏れと不安も並行して描かれることとなります。

 そして、そんな彼らの血筋から、やがて信長に抗する者たちが生まれてくるようなのですが――それは次の巻の物語となります。

「魔王信長」第2巻(風野真知雄 小学館スーパークエスト文庫) Amazon


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2012.06.11

「鬼舞 見習い陰陽師と災厄の薫香」 大内裏に迫る危機 硬軟交えた屈指の快作!

 大納言の姫に次いで、中宮に香を献上した右近少将。しかしその香には、人を狂乱させる成分が含まれていた。その香の香りが、思わぬことからばらまかれたことにより、大内裏は大混乱に陥ってしまう。偶然その香りの力を免れた道冬と吉昌たちは事態収拾に努めるが、しかし彼らの前に最悪最凶の相手が…

 都に出てきたばかりの駆け出し陰陽師・宇原道冬と、若き陰陽師たちが活躍する「鬼舞」シリーズ第6弾は「見習い陰陽師と災厄の薫香」。
 前作に登場し、大納言の娘を狂乱させた謎の香が、今度はそれとは比べものにならない騒動を引き起こすのですが――いやはや、今回はシリーズでも最高の盛り上がり、読みながら何度も驚かされた快作であります。

 大納言の娘の狂乱事件の原因究明のため、道冬たちが大納言邸から持ち帰った品々の整理を行っていた陰陽寮を襲った一角の鬼。鬼によって炎に包まれた陰陽寮から、道冬はからくも逃れて…というところで終わった前作。
 本作は、その道冬が自邸に戻ってくる場面から始まるのですが――

 いきなり彼を巡り、巨大トノサマガエルと畳の付喪神の修羅場が展開されるという(いい意味で)脱力ものの展開に、ああいつもの「鬼舞」だ…と安心(?)したのも束の間、事態は不穏に、静かに展開していきます。

 前回、そうとは知らずに大納言邸の混乱の原因を作った右近少将は、今回もまた知らずに問題の香を、今度は中宮のもとに届けることとなります。
 道冬もまた、少将に同行することになるのですが、実は女房に女装して中宮の下で潜入捜査を行った過去を持つ道冬としてはヒヤヒヤもの。以前の女房は妹の冬路でした、と苦しい言い訳をして、その場は取り繕うのですが…(と、これがあの古典文学誕生のきっかけになった、という展開も楽しい)

 冷や汗をかきながらもその場を切り抜けた道冬は、その晩、陰陽寮で吉昌たちと天体観測を行うことになるのですが、そこにお忍びの主上が登場して騒ぎに。
 しかしそれも、これから始まる大波乱の幕開けに過ぎないのであります。


 ここまでが分量にしてちょうど半分。そして本作の後半全てを使って、大内裏を襲う一大事件が一気に描かれることになります。

 あの人を狂わせる謎の香、その香りが思わぬことから大内裏全体を覆い、それを嗅いだ者たちが次々と理性を失って暴走。からくもそれから逃れた道冬は、何とか事態を鎮めようと奔走するのですが――

 いやはや、この後半の展開は、ほとんどゾンビホラーの趣があります。
 この場合のゾンビホラーとは、広義のそれ――理性を失い凶暴化した人間の集団からの逃走・攻防戦――であることはもちろんですが、しかしそれであっても、平安時代の、それも大内裏を舞台にして描いたものはさすがに見たことがありません。

 さらにその中で吉昌、綱、行近それぞれに宿命の対決が展開されるのがたまらない。
 吉昌はまさかの最悪最凶の敵と激突し、綱は後の世にまで伝えられるあの鬼と対峙(あの伝説がこうアレンジされるとは!)、行近は戦いの中でその正体を…

 そしてさらに驚かされるのは、これだけシリアスなドラマを描きながらも、その合間にきっちりコミカルな展開を織り交ぜ――そしてそれが、次のシリアスな展開にきっちりと生きて繋がっていく点であります。

 何故大内裏に香の香りが広がったのか、何故道冬たちは香の影響を受けないのか…ギャグかと思ったものがきっちりと次の展開に生きて繋がり、そしてそこから新たなギャグも生まれていく。
 特に、しょうもない(ほめ言葉)パロディかと思っていたあの付喪神が、クライマックスでまさかまさかの大爆走を見せるのにはひっくり返りました。


 そして大内裏を巻き込んだ大騒動が何とか収束しつつも、まだまだいくつもの因縁と禍根が残り、この先の展開は全く予想できないのですが…
 しかしそこでさらにとんでもないオチが待ち受けているのには驚かされます。

 題材の料理法もさることながら、シリアスとコミカルの使い分けの妙に最初から最後まで驚かされっぱなしの本作。
 シリーズ一の、いやもしかすると作者の作品の中でも屈指の快作であります。

「鬼舞 見習い陰陽師と災厄の薫香」(瀬川貴次 集英社コバルト文庫) Amazon
鬼舞 見習い陰陽師と災厄の薫香 (鬼舞シリーズ) (コバルト文庫)


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2012.06.10

「笑傲江湖」 第1話・第2話 アレンジの効いた開幕篇

 おくればせながら…で誠に恐縮ですが、CSで再放送が開始されたのを機に、TVドラマ版の「笑傲江湖」を見始めました。李亞鵬主演の2001年版であります。

 「笑傲江湖」は、(ファンの方々には言うまでもないことですが)武侠小説界の巨人・金庸の代表作の一つ。日本では「秘曲 笑傲江湖」のタイトルで邦訳されています。
 会得した者に無敵の力を与えるという伝説の武術書の争奪戦を縦糸に、正派と邪派をはじめとする武林(武術界)内の勢力争いを横糸とした本作は、邦訳版で全8巻にも及ぶ長大な物語ながら、様々な登場人物と秘術の数々、幾つの謎と伏線が絡みあい、最初から最後までこちらを飽きさせない、波瀾万丈の大作であります。
(香港映画ファンにとっては、「スウォーズマン」シリーズの原作、東方不敗が登場するアレ、と言えば一発かと思いますが)

 当然私も原作は既読で、大好きな作品ではありますが、これまでなかなか機会がなくTVドラマ版を見れずにいたところ、今回の再(再)放送は、まことにありがたい機会であります。


 さて、今回は第1,2話を見たのですが、基本的な流れは変わらないものの、かなりアレンジが加えられていたのが面白い。
 そのアレンジとは、冒頭から主人公・令狐冲が登場することなのですが…と書けば、本作(の原作)のことをご存じない方は不思議に思われるかもしれません。

 実は本作は、主人公が登場するまで、いささか間があります。
 これは金庸作品には少なくないことではありますが(親の代から始まる作品もありますし、主人公がラストに登場、というのもあったり)、本作の場合、あまりプロローグ的な印象もなく、いきなり物語が走り始める構成。そのため、ここで中心となる林平之というキャラクターが主人公と、多くの読者が勘違いしてしまうのであります(彼ももちろん重要人物ではあるのですが…)。

 それがこのTVドラマ版では、危難に陥った林平之を、幾度となく令狐冲が救うという形で登場させるというアレンジ(さらに彼と共に妹弟子の岳霊珊も活躍するのに、この先の展開を知っている人間はニヤリ)。
 原作をアレンジするのには否定的な向きも多いかと思いますが、私的には大いにアリだと思います。

 ちなみに原作での令狐冲の登場は非常に変則的で、彼によって色魔から救われたヒロインの一人・儀琳の口から、彼の活躍が語られることとなります。
 TVドラマ版ではその辺り、普通に令狐冲の活躍を描いていて、これもまた、それなりに理解できるアレンジではありましょう。
(あ、任盈盈といきなり対面したのはどうかと思いますが…)

 と、アレンジの話ばかり書いてしまいましたが、全体的な出来は、まずまずかと思います。
 何よりも、この頃はあまり武侠ドラマでもCGは使われていなかったようで――ワイヤーワークはもちろん使っているものの――アクションをきちんと見せてくれるのが好感が持てます。
 キャストも(第一印象ではありますが)イメージを外していないように感じました。

 ただし、全40話という中で、第2話までの段階であまり物語が進んでいない(サブタイトルの段階までも進んでいない!)のはちょっと心配ではありますが――
 その辺り、これからどう進んでいくのかも含めて、やはり先の展開が気になる作品ではあります。

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2012.06.09

「るろうに剣心 新京都編 前編 焔の獄」 脱少年漫画のゆくえ

 リブート漫画化、単行本の文庫化、ゲーム続編の発売など、8月の実写映画公開をピークに「るろうに剣心」15周年の関連展開も加速してきた感があります。その一環である新作OVA「新京都編 前編 焔の獄」を、遅ればせながら先日のアニマックスでの放送でチェックしました。

 今回の新京都編は、原作の京都編を前後編で、操視点でリメイク、という作品。果たしてあの長大な京都編をOVA前後編で消化できるのか、そして操視点というのはどうなのか、気になっていたのですが…実際に見てみると、無難に消化した、という印象でありました。
 内容的には、さすがにかなり原作を圧縮した印象があります。
 この前編で描かれるのは、剣心組が京都に集結して、さあこれから決戦、という辺りまで。原作の新月村編はラストの剣心と宗次郎との対決のみで後はばっさりオミットし、その後、沢下条張との対決の中で新たな逆刃刀との出会いが描かれ、それと並行して敵味方それぞれのキャラクターの動きが描かれることとなります。
(原作ではかなり重いエピソードだったので、新月村編の大幅カットは個人的には歓迎です。志々雄が新月村に居た理由に、実は村が志々雄の故郷である、というアレンジ自体は悪くないと思います)

 操視点というのも、冒頭の剣心との出会いやラストの蒼紫との再会と決別が彼女の視点で描かれている他は、そこまで偏った印象はありません(ただしそれが本来の意図通りであるかは疑問であります。詳しくは後述しますが…)

 面白いのは、絵柄を含めて全般的に少年漫画らしさを意図的に薄めている点で、特にそれが顕著なのは、必殺技が登場しない剣戟シーンでしょう。
 それなりに「らしい」動きは出てくるものの、超人的な技や、技を出すときの叫びもなく、さらに言えば張の薄刃乃太刀などの面白武器――さすがに宇水のローチンはアリでしたが――も登場しないという徹底ぶりは、本作を製作側がどのように考えているのか、その一端がうかがえて印象的でありました。
(ちなみにファンの間で物議を醸した志々雄と由美の濡れ場は、面白いと言えば面白いんですが、喫煙と同じく、大人のアイコンとして安易に使われている感がなきにしもあらず…)

 ただし見ていて気になってしまったのは、そうした演出と、物語構成・構造があまりしっくりいっていないように感じられた点であります。
 これは勝手な想像ですが、操視点も、そして脱少年漫画テイストも、剣心と志々雄に代表される男たち――幕末を生き抜いた、そして明治まで生き延びてしまった男たち――を通じて、彼らが明治に存在する意味、ひいては明治という時代の姿を描き出そうという試みのためにあったのではないかと、私は感じます。 
 それゆえ、本当の戦いを知らない忍びである操の視点が設定されたのであり、そして戦いを誇張し、ゲーム化するおそれのある少年漫画テイストを薄めたのではないか…と。

 しかし、剣心と張の戦い、赤空の最後の刀である逆刃刀との出会いのくだりを見るに、その辺りがうまくいっていたとは言い難い印象があります。
 少なくとも、剣心と新たな逆刃刀の出会いは、このOVA版のように刀が逆刃刀であることを確認してから張を斬るのではなく、剣心が人斬りに戻ることを覚悟の上で振るった太刀が、実は逆刃刀であった…という原作のシチュエーションの方が、やはり適切ではなかったかと感じるのです。

 その方が、殺人のための刀を作りながらも、最後に逆刃刀に辿り着いた赤空の思想と希望――そしてそれは剣心自身の存在を写すものであることは言うまでもありません――を、その息子の口を通じて語らせるよりも、何倍も雄弁に伝わってきたのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

(もしかするとラストの志々雄vs宇水のある意味ドリームマッチは、この剣心vs張と対比されていたのかもしれませんが、やはり志々雄の内面語りの台詞が多すぎるのが残念)


 絵的な仕上がりは悪くありませんし、キャストも物故者を除けばオリジナル通りというのは、ファンにとっては大変嬉しい部分ではあります(かつてのアニメ版を、今のクオリティで、というファンの夢はかなっていると言えましょう)。
 それだけに、この視点のずれ方が実に惜しい…その印象が残りました。

 果たして後編でこの辺りがどのように料理されているのか――もちろん、私の見方が全くの的外れだった、という結論でも構わないので、きっちりと見せていただきたいと思います。

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2012.06.08

「十八面の骰子」 巡按御史が暴く時代の謎

 中国は宋の時代、地方では様々な腐敗・犯罪がはびこる中、各地を旅する三人組がいた。見かけは十代の少年のようだが医術を修めた趙希舜、講談師も裸足で逃げ出すほどの美声の持ち主の傳伯淵、荒事を得意とする髭面の無頼漢・賈由育。彼らはある使命を帯びて、各地で起きる怪事件に挑むのだが…

 時代ミステリ好き、武侠もの好き、そして中国の歴史(特に宋代)に興味を持つ者でありながら、今まで本作を読んでいなかったことを最初に白状せねばなりません。
 本作は特に中国を舞台とした時代ミステリを得意とする森福都による、まことにユニークな連作短編集であります。

 本作の主人公となるのは、二十代も半ばになりながら、見かけは15歳ほどにしか見えない青年・趙希舜。高名な医者であった祖父の技を受け継いだという彼は、その腕を振るうために各地を旅するのですが――
 実は彼の正体は、皇帝の名代として地方を巡り、地方役人の不正を監察する巡按御史。身分を隠して市井に紛れ、密かに探索を行って役人の悪事を暴く…というのは、日本でいえばやはり「水戸黄門」が浮かびますし、ある意味万国共通の庶民の憧れでありますが、本作のユニークな点は、まずはキャラクター配置であります。

 上で述べたとおり、希舜の見かけは少年そのもの。周囲を油断させるには便利ですが、しかしいざ身分を明かして「控えおろう!」とやるにはいささか押し出しが弱い。
 そこで彼の代役(替え玉)となって御史として行動するのが、彼にとっては相棒であり、兄貴分であり、お目付役である傳伯淵。女性が思わず顔を赤らめるほどの美声の持ち主で、見かけは書生じみた外見ながら、実は拳法の達人、希舜のことをたしなめながらも、誰よりも大切に思っているという、色々おいしすぎるキャラクターです。
 さらにもう一人、希舜の父によってつけられた護衛である賈由育も面白い。荒事専門の脳筋のように見せて実は切れ者、希舜の捜査の役に立つこともしばしばで、しかし伯淵とは馬が合わず、希舜を挟んで睨み合いになるというのも、お約束ではありますが楽しいものであります。

 そんなキャラものとしても楽しいのですが、しかし本作はあくまでも時代ミステリ。収録された五篇は、以下の通り――

 大水路の浚渫工事が続く町の殺人現場に残された、十八面の骰子が思わぬ凄惨な秘密を抉り出す「十八面の骰子」。
 二つの豪族が睨み合いながらも手をこまねく知事の監察に訪れた一行が、土地の窯元の鉢に込められた哀しい想いを知る「松籟青の鉢」。
 十年後の再会を約した五人の男たちが、再会直前に次々と殺されていく謎に、希舜と伯淵の秘められた過去が絡む「石火園の奇貨」。
 謎の病に倒れた希舜の腹違いの兄の屋敷から見つかった不思議な竹筒に導かれて思わぬ陰謀に巻き込まれる「黒竹筒の割符」
 蜃気楼の現れる港町を襲う海賊の群れに挑むこととなった一行が、事件の背後のからくりを暴き出す「白磚塔の幻影」。

 個人的には、対立する二つの家の間で半ば無法地帯となった町で、次々と両方の家の人間が死んでいく謎を描きつつ、その背後に伝説の名品・松籟青の鉢を巡る人々の想いが入り乱れる「松籟青の鉢」が一番印象に残りましたが、その他の作品も実に面白い。
 いずれも、ミステリとしての仕掛けの面白さはもちろんのこと、この時代ならではの、この舞台であってこそ成立する事件を描き出しており、中国歴史ファン、時代ミステリファンとしてはまさに至福の一冊であります。

 そして、希舜と伯淵を巡っては、まだまだ明かされていない過去が存在します。早く遅れを取り戻すため(?)、シリーズ第2弾「肉屏風の密室」も早く読まねば、と堅く心に誓った次第です。

「十八面の骰子」(森福都 光文社文庫) Amazon
十八面の骰子 (光文社文庫)

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2012.06.07

「楊令伝 十二 九天の章」 替天行道の中の矛盾

 文庫版「楊令伝」もこの巻を入れて残すところあと4冊。梁山泊内外で様々な動きが表面化する中、「水滸伝」時代からの同志がまた、何人も姿を消すことに…

 開封府陥落以降続いてきた中原の混沌。梁山泊はその中で奇跡的な平穏を守り、西域との貿易による繁栄を謳歌してきたのですが――しかし、周囲の各勢力もまた、それぞれ混沌の中から抜け出していくこととなります。

 内部の勢力争いを経て、かつての宋領内に傀儡国家・斉を樹立した金。周辺の族長をまとめ耶律大石によって西域に樹立された西遼。
 そして何よりも、李富と李師師率いる青蓮寺の暗躍の果て、ついに生まれた南宋――

 混沌の中に生まれた国々の存在は、軍閥として独立していた岳飛、張俊の動きにも、大きな影響を及ぼしていくことになります。
 そしてもちろん、梁山泊にも…


 西はシルクロード、東は日本との貿易によって、税をほとんど取らぬまま国力を維持するという、非常に先鋭的な国として成立した梁山泊。
 ただし、その体制を維持できるのは、ごく限られたエリアのみであり、南宋をはじめとする諸国を平らげ、中原を制覇することはほとんど不可能…というより、梁山泊の頭領たる楊令が望まぬことであります。

 しかし、梁山泊による天下統一を夢見る者が、少なからずいるのもまた事実。
 そしてそれは、単純な領土欲、権勢欲によるものではなく、むしろ志――梁山泊設立当初からそれを持ち続けてきた者、そして道半ばで斃れた親兄弟からそれを受け継いだと信じる者が持つ、志によるものなのであり、それだけにまた厄介な問題であります。

 そしてこの巻において、それが意外な形で噴出することとなります。金国軍の暴走による、西域商隊の襲撃――少なからぬ犠牲を払いつつも、何とか収束できたはずのその事件が、この志と結びついた時に、平穏だった梁山泊を揺り動かすうねりが生まれ、そしてそれが、さらなる悲劇を招くのであります。

 その中で直接的な行動に出た者を、短慮であると、周囲の見えぬ奴と非難するのは簡単でしょう。しかし、それもまた強固な志に基づく行動であったことを考えれた時、何とも言えぬ哀しみのようなものを感じるのです。
 この巻で杜興が語る「替天行道が悪い」という言葉は、一歩間違えれば北方水滸伝そのものを否定しかねない危険なものではありますが、しかし同時に本質を突いた言葉であり、それだけに胸を突かれるものがあります。

 しかし、そんなすれ違いがあろうとも、好漢たちは己の想いに殉じて生を貫くこととなります。この巻でも、三人の古参の好漢が帰らぬ人となるのですが、皆それぞれに、実にらしい(いや、一人は意外な死に様かもしれませんが)死に様を見せるのが、水滸伝時代からの読者としては、何ともたまらないのです。

 そして、個人的にちょっと驚かされたのが、その一人の最期の戦いを評するに、「心意気」という言葉が使われたことであります。
 個人的に、水滸伝(この北方版でなく)の好漢たちの行動原理を示す言葉こそ、「心意気」だと考えていただけに――そしてそれは「志」で示される北方版のそれとはまた異なると感じていただけに――意外であり、そして嬉しく感じられた次第です。
(そしてこの「心意気」という言葉が、梁山泊に敵対する者から出たというのが、また面白いではありませんか)

「楊令伝 十二 九天の章」(北方謙三 集英社文庫) Amazon
楊令伝 12 九天の章 (集英社文庫)


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2012.06.06

「夜明けを知らずに 天誅組余話」 近世と近代のはざまに

 文久三年八月、南大和十津川郷を中山忠光卿を奉じた尊皇攘夷の武装集団・天誅組が訪れた。十津川郷の少年・野崎雅楽は、天誅組の協力者である兄・主計、そして安政の大獄で父・梅田雲浜を失った少女・市乃とともに、天誅組に同行することとなる。しかし雅楽たちを待っていたのは、思わぬ運命だった…

 筒井家の典医夫婦を主人公としたユニークな戦国伝奇「霧こそ闇の」でデビューを飾った仲町六絵の二作目が刊行されました。
 今度の題材は天誅組の変、そして主人公は野崎主計の弟、ヒロインは梅田雲浜の娘という、あまりにツボをついたチョイスに驚かされる作品です。

 天誅組とは、明治維新の五年前、文久三年に大和で挙兵した、尊皇攘夷派の浪士による武装集団であります。
 土佐脱藩浪士の吉村虎太郎を中心に、明治天皇の叔父に当たる公卿・中山忠光を戴いて蜂起し、大和の五条代官所を襲撃して代官を殺害。彼らは天皇による攘夷親征の先鋒を謳ったものの、すぐに梯子を外された格好となり、幕府の反撃にあって、約一ヶ月後に壊滅という結果に終わることになります。

 そして主人公の兄・野崎主計は、十津川郷の庄屋であり、かねてから思想的に共鳴していた天誅組が蜂起するや、十津川郷士たちを糾合してこれに馳せ参じた人物。
 その主計とも交流のあった梅田雲浜は、私塾等を通じて尊皇攘夷思想を広めたものの、安政の大獄の最初の逮捕者となり、獄中で亡くなった人物です。

 このように本作は、歴史上の事件、歴史上の人物を中心に据えた作品でありますが、しかし、そこから半歩だけずらした主人公の視線から、描くこととなります。
 主人公たる雅楽は、天誅組とほとんど最後まで行動を共にすることとなりますが、しかし彼は、その思想・行動に共鳴したわけではありません。
 あくまでも彼は尊敬する兄と行動を共にし、そして密かに想いを寄せる市乃を守るため、それを目的に天誅組に加わったのであります。

 それにより、本作においては、天誅組の行動をつぶさに、しかし、それをある種客観的な、いやむしろ突き放した視線で描くこととなります。
 そして個人的に大いに興味深く感じたのは、その視点を担う雅楽が、十津川郷士であることであります。

 十津川郷の住民は、古代からほぼ一貫して朝廷に仕え、勤王の志厚い民として知られています。その一方で、山に囲まれた土地という地理的条件から、彼らは外界の動きには疎い面もあったことも事実でありましょう。
 その意味では、十津川郷士は、近代一歩手前である幕末の尊皇攘夷の思想とはまた異なった、一種素朴な、近世の尊皇思想を持ち続けてきたと言うことができるかと思います。

 その意味で本作は、雅楽を通じて天誅組の姿を描き出すことにより、近世の視点から、最後の近世、そして最初の近代の姿を描き出したものではないか――私はそう感じます。

 実は本作には、夜雀を僕として操る雅楽の能力や、彼の前に姿を現す玉置山の神など、幾つかのファンタジックな要素が存在します。
 それは一見、本作の世界観から浮いて感じられるように見えるかもしれませんが、しかしそれらもまた、近世の象徴としての存在なのでありましょう。
(もちろん、レーベル的な要請もあったのではないかという気もいたしますが)

 近代的な火器を持った者と、南北朝時代の鎧をまとった者が、共に参加していたという天誅組――本作はその不思議な存在を通して時代の巨大なうねり、往々にして個人の運命をたやすく翻弄しうるそれを浮かび上がらせた、そんな作品なのではないかと感じた次第です。

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夜明けを知らずに―天誅組余話 (メディアワークス文庫 な 2-2)

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2012.06.05

「BRAVE10S」第2巻 十番勝負、これより本番!?

 アニメも好評のうちに終了した模様の「BRAVE10」の原作第2シリーズというべき「BRAVE10S」の第2巻の登場であります。
 真田信幸と幸村、兄弟の間で勃発した上田城十番勝負。様々な死闘が繰り広げられてきたこの勝負も、半ばまできたところで、思わぬ展開を迎えることとなります。

 突然(?)上田城に乗り込んできた信幸と幸村の間で、ほとんど売り言葉に買い言葉のようなノリで始まってしまった十番勝負。
 幸村側はもちろん十勇士を、信幸側も意外なメンバーを擁して始まったこの勝負、最初の二試合は
三好清海 vs 本多忠勝
アナスタシア vs 小松
と、信幸側の連勝という結果に。

 そしてこの巻では、第三試合の決着と第四試合から第七試合の開始までが描かれるのですが――
 それぞれ幸村と信幸に小姓として仕える海野兄弟の近親憎悪と主君の代理戦争的側面が絡み合って凄惨な展開となった第三試合。
 ある意味最もこの十番勝負に似つかわしくないキャラクターである伊佐那海が、己の故郷である出雲巫女を騙る出雲阿国に怒りを爆発させる第四試合。

 そして迎えた第五試合は、伊佐那海とは別の意味で激しい戦いには似つかわしくないように見えた弁丸のテロ行為によってとんでもないことになった…と思いきや、別の意味でとんでもないことに。
 この手のバトル展開で、乱入や選手交代(入れ替わり)は日常茶飯事、というか華というべきものではありますが、何と信幸側の残る代表選手が何者かにKOされ、別人に入れ替わっていたのですから――

 この辺りは前の巻で既に伏線が張られていましたが、さて、それでは手を下した者は、と思えばそれは奥州の主、伊達政宗!
 …なるほど、考えてみれば政宗は本作(「BRAVE10」時代を含めて)では一貫して伊佐那海の奇魂を狙ってきた敵の一人であり、ここで乱入してきても違和感がない人物であります。
 さらに言ってしまえば、秀吉の惣無事令を完璧に無視して他所の城に乗り込んできた(信幸の場合は、まあ兄弟喧嘩みたいなものということで)上に、人様の家臣を半殺しして平然としているような無茶苦茶ぶりも、政宗ならまあ仕方ない(…か?)と思えます。

 かくて第六試合以降は、選手どころかチーム交代しての殺死合い。猿飛佐助vs風魔小太郎という、ある意味黄金カードから仕切り直しての開始となります。
 もはや何のための十番勝負なのか、冷静に考えるとわからなくなってきましたが、しかし挑まれて逃げるようでは勇士と言えぬ。十勇士側の残るメンバーも、戦闘能力でいえば真剣に強力な面子だけに、今後の戦いの内容にも期待が持てるでしょう。
(ただし、佐助vs小太郎の一戦は、画として見る分には非常に華麗だったのですが、個人的には、漫画としての動きで見た場合不満のある内容に感じられたのが残念)

 そして小太郎の登場のように、伊達側のカードはまだ伏せられたままというのも、また楽しみであります。
 果たしてどのような切り札が隠されているのか、後半戦を楽しみにしたいと思います。
(ただ、この巻のラストに登場したアイツが、敵味方まとめて三人くらい倒して場をめちゃくちゃにしかねないのが…)

「BRAVE10S」第2巻(霜月かいり メディアファクトリーMFコミックスジーンシリーズ) Amazon
BRAVE10 S 2 (MFコミックス ジーンシリーズ)


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2012.06.04

「水滸百八」更新

 「水滸伝」及びそのリライト・関連作品等に登場する百八星のデータ等を解説したデータベース「水滸百八」を更新いたしました。
 設置したのが2010年の4月なので、2年以上間が空いての更新となってしまい、お恥ずかしい限りです。しかしながら、内容の方はそれなりに充実してきたのではないか…と個人的には思っております。
 今回データを追加した作品は「ジュニア版水滸伝」「傾城水滸伝」「まんがで読破 水滸伝」「月の蛇 水滸伝異聞」「水辺物語」と、小説二つ、漫画三つ。いずれもユニークな水滸伝ですが、特に「傾城水滸伝」については、ここまで詳細に個々のデータを記載したサイトはないのではないかと思います。
 今後ももちろん、コツコツとデータを収集していきますので、次回更新はここまで間を空けずに行いたいな…と考えている次第です。

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2012.06.03

「海賊伯」第2巻 たどり着いた夢の結末

 女王エリザベス一世から、イングランドの全海域を領土とする伯爵に任命された少年、アルバート・ドレイクの活躍を描く「海賊伯」の第2巻であります。
 地中海をのぞむエジプトの都・アレクサンドリアで、アルと仲間たちの新たな冒険が描かれることとなります。

 自分と同様に不思議な刻印の痣を持つ二人の少年――エリザベス女王に心酔する騎士・フレデリックと、抜け目ないポルトガル商人・レナードを仲間に加え、旅を続けるアル。
 彼らの船がイスパニア船団に襲撃された時に現れたのは、それを遙かに上回る規模を誇るオスマン帝国の大船団。
 そしてそれを率いる若者・エミーネは、アルに思わぬ依頼を持ちかけます…アレクサンドリアに滞在するオスマン帝国の王子・メフライルを誘拐して欲しいと。

 そのあまりに大胆な依頼を引き受けたアルですが、エミーネの先導で出会ったメフライルは、彼と同じく刻印を持つ者――さらに、そこに現れたのは、メフライルを暗殺せんと侵入してきた少女・スタシア。
 驚くべきことに彼女もまた刻印を持つ者であり、祖国奪還を目指す彼女に共鳴したフレッドは、アルと袂を分かって彼女と行動を共にすることに。

 かくて、メフライルを巡る冒険は、キリスト教圏とイスラム教圏を巡る巨大な戦いに繋がっていくことに。そして、その中でフレッドと対峙することとなったアルの決断は――


 と、この巻の背景として描かれるのは、我々にとっては今一つ馴染みの薄い、しかし、当時のヨーロッパ圏を考える上では決して避けて通れない、イスラム教圏の存在であります。
 大航海時代というと、どうしてもヨーロッパ諸国のことが浮かんでしまいますが、しかしこの当時、ヨーロッパとは地中海を挟んだアフリカ側を押さえていたのはオスマン帝国。ヨーロッパ諸国にとっては異教を奉じ、異文化を擁する者たちであります。

 そして今回、アルたちはその二つの文化圏/宗教圏の衝突の真っ直中に放り出されることとなります。
 それはあるいは、メフライルが語るように、刻印を持つ者として運命の必然なのかもしれません。彼の言葉によれば、アルたちの持つ刻印こそは、様々な文化圏を代表し、その運命を背負うものなのですから。

 その意味でいえば、成り行きとはいえメフライルと行動を共にすることになったアルと、キリスト教圏の騎士としてスタシアの剣となったフレッドの対決は、必然なのかもしれませんが――

 この辺りは、当時の時代背景を巧みに利用しつつも、ファンタジックな設定を絡め、その中でアルたちのドラマを浮かび上がらせる作者の手法を、見事と評すべきでしょう。
 史実を踏まえつつも、そこに虚構の味付けを加えることによって、新たな物語を生み出す――そんな伝奇的手法を以て、本作は胸躍る冒険活劇と、少年少女の青春群像を描き出しているのであります。
(個人的には、聖乙女という宿命――そして彼女の出身がマルタ島というのがまたうまい――を背負うスタシアの、本当の夢のくだりにグッときました)


 しかし…まことに残念なことに、本作はこの第2巻で完結となります。おそらくはそのためでしょう、アルとフレッドの対決の行方は、いささか駆け足で描かれることとなります。
 あともう少し分量があれば、二人の心のうちをより掘り下げて描き、また、「歴史というボードゲームの駒だ」というメフライルの言葉がより重いものとして感じられたのではないか…
 そして何よりも、それらを乗り越えた解決策としてのラストシーンがより感動的に立ち上がったのではないか…そう感じるのですが、それは今言っても詮ないことではありましょう。

 しかし、端折られたとはいえ、アルたちがたどり着いた結末は、やはり胸躍るものであり、その全てを見ることができなかったのは本当に残念ではありますが、ここまで彼らの冒険の物語を見ることができたのは、やはり良かったと感じるのです。

「海賊伯」第2巻(ゆづか正成 メディアファクトリーMFコミックスジーンシリーズ) Amazon
海賊伯 2 (MFコミックス ジーンシリーズ)


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2012.06.02

6月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 楽しかったゴールデンウィークもあっという間に終わり、はや6月…6月は8月と並んで祝日のない月、しかも夏休みとも無縁…と、梅雨の湿気も加わっていよいよ気は滅入りますが、こんな時こそフィクションに逃避しましょう! と力強く怪しからんことを言い放って、6月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 6月の文庫小説は、多からず少なからず…という印象。シリーズものから見てみると、まだお香の怪は続くらしい瀬川貴次「鬼舞 見習い陰陽師と災厄の薫香」、幻の王国を舞台とした冒険活劇としていま最も期待の作品の一つ、平谷美樹「風の王国」第2巻、相変わらず快調な出版ペースの高橋由太のシリーズ最新作「妖怪泥棒 唐傘小風の幽霊事件帖」、そしてシリーズの巻数もいよいよ大台、物語も佳境に入った上田秀人「墨痕 奥右筆秘帳」と、なかなか粒ぞろいの作品が並びます。

 一方、文庫化・再刊の方では、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した快作、生きていた五右衛門が秀吉暗殺を狙う岡田秀文「太閤暗殺」、武田家滅亡に際しての穴山信君の妻子を巡るドラマ、鈴木英治「大脱走 裏切りの姫」が気になるところ。
 そして、順調に刊行の続く山田風太郎ベストコレクションでは、山風ミステリが二つ、「明治断頭台」と「妖異金瓶梅」が登場。片や明治初期、片や宋代末期と全く時代は異なりますが、どちらも山風ならではの連作ミステリの名作。ぜひご覧いただきたい名品中の名品です(「妖異金瓶梅」は、収録作品がどうなるかも気になるところではあります)。
 また、中公文庫からは岡本綺堂「三浦老人昔話 岡本綺堂読物集」が登場。個別の作品は様々な形で採録等されていますが、一冊の形で登場することは意外と珍しい作品集だけに、未読の方はぜひ。続巻があるらしいのも楽しみであります。


 さて、漫画の方は、個人的に一番大きいのはついに完結となる柴田亜美の明治伝奇アクション「カミヨミ」第15巻。本当にあと1冊で終わるのかしら!? と心配になりつつ、どのように締めくくるのか、楽しみなのです。
 その他、前の巻が絶妙のヒキで終わって続きが気になる(そしてその後の逆転劇でひっくり返ること請け合い)の梶川卓郎「信長のシェフ」第4巻、気がつけばWebアニメも3話まで公開されていた「石影妖漫画譚」第8巻、一時期原作を離れて別の意味で大変な方向に展開していった森秀樹「腕 駿河城御前試合」第3巻と、数こそ多くありませんが、なかなかに気になる作品が並んでいるところです。


 そして実はなかなか充実しているのが映像ソフト。日本の作品では「怪竜大決戦」「劇場版 仮面ライダーOOO 将軍と21のコアメダル」のディレクターズカット版、さらに「THE八犬伝&THE八犬伝 新章」と、バラエティに富みながら非常にユニークなラインナップ。特に「THE八犬伝」は、あの名作が全13話がちょっと驚くくらい(安い)価格でまとめて手に入るため、未見の方はぜひ。
 一方、アジアの方では、古龍の武侠小説のドラマ化「流星胡蝶剣」のDVD-BOX、そして韓国版X-FILESという触れ込みのSF時代劇(?)「ミヘギョル 知られざる朝鮮王朝」のDVD-BOXが発売。非常に気になっていた作品だけに、ソフト化はありがたいお話です。



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2012.06.01

「無限の住人」第29巻 ネオ時代劇、ここに極まる

 「無限の住人」もついに30巻を目前とした第29巻。前の巻でついに集結した剣士たちの死闘はまさにクライマックス、最終章に突入してから既に10巻近くを費やしてきたわけですが、いよいよ結末も目前という印象であります。

 吐鉤群と六鬼団による逸刀流殲滅の企てから始まった最終章も、逸刀流の江戸城襲撃を挟み、逸刀流・六鬼団・そして万次と凜たちによる、一種のトーナメントバトルとなって展開してきました。

 いくつもの流れに分かれて演じられてきた戦いは、ついに那珂湊で合流。生き残った中でも最強の面子が、三つの戦いを演じることになります。
すなわち
 万次・凛vs荒篠獅子也
 天津影久vs吐鉤群
 乙橘槇絵vs弩馬・足江進・御岳
の三番勝負が。

 いやはや、どの勝負も、それぞれの形で実に本作らしく、ある意味剣戟バトルの極限を極めたという印象があります。
 もはや剣戟というよりも異形の力と力のぶつかり合いと化した感のある万次vs獅子也戦(その中で一種頭脳バトル的展開も用意しつつ、万次と凜の強固な絆を描いてみせるのもまた面白い)。
 立ち並ぶ鳥居の中を舞台に、一歩間違えるとギャグになりかねない超高速バトル――お互い刀で斬り合っているはずなのに、鳥居が…という辺りの突き抜けた感覚にはただただ感心――の末、衝撃的な結末を迎える天津vs吐戦。
 そして、一対三の、それもそれぞれが特徴的な得物を手にした中で展開される超変則バトルが、本作でこれまで培われてきたコマ落とし的剣戟表現も交えて華麗に描かれる槇絵vs弩馬・足江進・御岳戦――

 「ネオ時代劇」という表現は、正直なところ決して褒め言葉ではないと個人的には感じてきましたが、しかし、ここまで突き詰めて描かれれば、もうこの言葉を賛辞として使うほかありますまい。


 さて、この剣戟また剣戟の展開においては、物語の進展は、戦いの勝敗以外にはほとんどないのですが、しかしもちろん、停滞したなどという印象は微塵もありません。
 あとはそれぞれの人生がいかに幕を下ろすか描くのみ…と言ったところなのかもしれませんが、それでいて、まとめに入ったという印象は微塵もないのは、もはや語るべきものは語り尽くした、という一種の余裕のようなものが本作からは感じられるからかもしれません。

 この巻での戦いの結果を経て、それぞれの陣営で、自らの足で立つ者はごくわずかとなりました。
 おそらくはあと1,2巻で全ての決着がつくのでしょう。その時に、いやそこまでに何が描かれるのか――最後まで見届けたいと思います。

「無限の住人」第29巻(沙村広明 講談社アフタヌーンKC) Amazon
無限の住人(29) (アフタヌーンKC)


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