「楊令伝 十二 九天の章」 替天行道の中の矛盾
文庫版「楊令伝」もこの巻を入れて残すところあと4冊。梁山泊内外で様々な動きが表面化する中、「水滸伝」時代からの同志がまた、何人も姿を消すことに…
開封府陥落以降続いてきた中原の混沌。梁山泊はその中で奇跡的な平穏を守り、西域との貿易による繁栄を謳歌してきたのですが――しかし、周囲の各勢力もまた、それぞれ混沌の中から抜け出していくこととなります。
内部の勢力争いを経て、かつての宋領内に傀儡国家・斉を樹立した金。周辺の族長をまとめ耶律大石によって西域に樹立された西遼。
そして何よりも、李富と李師師率いる青蓮寺の暗躍の果て、ついに生まれた南宋――
混沌の中に生まれた国々の存在は、軍閥として独立していた岳飛、張俊の動きにも、大きな影響を及ぼしていくことになります。
そしてもちろん、梁山泊にも…
西はシルクロード、東は日本との貿易によって、税をほとんど取らぬまま国力を維持するという、非常に先鋭的な国として成立した梁山泊。
ただし、その体制を維持できるのは、ごく限られたエリアのみであり、南宋をはじめとする諸国を平らげ、中原を制覇することはほとんど不可能…というより、梁山泊の頭領たる楊令が望まぬことであります。
しかし、梁山泊による天下統一を夢見る者が、少なからずいるのもまた事実。
そしてそれは、単純な領土欲、権勢欲によるものではなく、むしろ志――梁山泊設立当初からそれを持ち続けてきた者、そして道半ばで斃れた親兄弟からそれを受け継いだと信じる者が持つ、志によるものなのであり、それだけにまた厄介な問題であります。
そしてこの巻において、それが意外な形で噴出することとなります。金国軍の暴走による、西域商隊の襲撃――少なからぬ犠牲を払いつつも、何とか収束できたはずのその事件が、この志と結びついた時に、平穏だった梁山泊を揺り動かすうねりが生まれ、そしてそれが、さらなる悲劇を招くのであります。
その中で直接的な行動に出た者を、短慮であると、周囲の見えぬ奴と非難するのは簡単でしょう。しかし、それもまた強固な志に基づく行動であったことを考えれた時、何とも言えぬ哀しみのようなものを感じるのです。
この巻で杜興が語る「替天行道が悪い」という言葉は、一歩間違えれば北方水滸伝そのものを否定しかねない危険なものではありますが、しかし同時に本質を突いた言葉であり、それだけに胸を突かれるものがあります。
しかし、そんなすれ違いがあろうとも、好漢たちは己の想いに殉じて生を貫くこととなります。この巻でも、三人の古参の好漢が帰らぬ人となるのですが、皆それぞれに、実にらしい(いや、一人は意外な死に様かもしれませんが)死に様を見せるのが、水滸伝時代からの読者としては、何ともたまらないのです。
そして、個人的にちょっと驚かされたのが、その一人の最期の戦いを評するに、「心意気」という言葉が使われたことであります。
個人的に、水滸伝(この北方版でなく)の好漢たちの行動原理を示す言葉こそ、「心意気」だと考えていただけに――そしてそれは「志」で示される北方版のそれとはまた異なると感じていただけに――意外であり、そして嬉しく感じられた次第です。
(そしてこの「心意気」という言葉が、梁山泊に敵対する者から出たというのが、また面白いではありませんか)
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