「楊令伝 十三 青冥の章」 岳飛という核
気がつけばこの「楊令伝」も残すところあと3巻。梁山泊、南宋、金、斉…幾つもの国が生まれ、中原の混沌は少しずつ収まりつつあるものの、天下と国家を巡る人々の想いは、未だ複雑に交錯し続けています。
東西を結ぶ貿易により国力を蓄え、張俊ら他の勢力の攻撃にも全く揺がない強力な軍を持つに至った梁山泊。その豊かさは、中原で領土を限定することによりもたらされたものですが、しかし梁山泊が「天下」を取ることを望む者の声が、少しずつ目立ち始めます。
一方、金の傀儡国家である斉では、青蓮寺から独立した扈成が政治の実権を握り、斉に走った張俊と組んで、金とも距離を取り始めます。
そして軍の強化に走る岳飛は金の大軍と激突。その前には金軍の切り札と言うべき蕭桂材が立ち塞がることに…
と、物語は、どこが着地点かわからぬまま、この巻も多くの人間の運命を飲み込んで展開していくのですが、その中で一つの核となっているのは、紛れもなく岳飛でしょう。
つい先日、本作の続編にして大水滸伝完結編である「岳飛伝」の第1巻が発売されましたが、既に岳飛はこの巻から(いや、もっと前からであったようにも感じますが)、天下国家を巡る物語の主人公の一人として描かれていると感じます。
実際、タイトルロールである楊令が、童貫を破って自由貿易圏としての梁山泊を成立させてから、一種非常に落ち着いた存在となってしまったのに対し、岳飛の運命は激動そのものであります。
自らの師であり、生きる上での指針とも言えた童貫を失い、自らを慕う兵を抱えて放浪し、兵を養うために領土と民を持った岳飛…
本作には様々な国家が登場しますが、その中でもある意味成り行きで国家的なものを背負うこととなった岳飛が、天下と国家のあり方を問い続ける本作において、特異な、そして重要な立ち位置を占めることは、ある意味必然なのかもしれません。
そしてこの巻において、岳飛の運命は、更なる変転を迎えることとなります。
遼、そして金においてその力を認められつつも、北宋建国の功臣の血を引くが故に発言権を持たず、そして自らもその運命を受け入れてきた蕭桂材。ある意味対照的な存在である岳飛と蕭桂材との対決は、この巻のクライマックスであると言ってよいでしょう。
激しすぎる軍と軍の激突の末、文字通り伝家の宝刀である護国の剣を抜いた蕭桂材と岳飛の決闘は、その一種運命的な結果と、その直後に岳飛にもたらされたある衝撃的な事実を含めて、強く強く印象に残ります。
と、激動の人生を送る岳飛ですが、梁山泊の方も、少しずつ少しずつ、暗雲が近づいているように感じられます。
この巻の結末である人物を襲う運命は、これまでこの人物がある意味貧乏くじを引いてばかりだったために、天を仰ぎたくなるようなものではありますが、しかしその残酷さもまた、この大水滸伝の一つの顔であります。
彼を含めて、梁山泊の面々がこの先いかなる運命を辿るのか、残すところわずか2巻であります。
…ちなみに、この巻で個人的に強い印象が残ったのは、実は完顔成の存在であります。実はこの巻の時点の彼と、この私は同い年…同い年でこれか、と我と我が身を振り返って、色々と考え込んでしまった次第です。
本当に全くもって個人的ですが…
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