「鋼の魂 僕僕先生」 真の鋼人は何処に
雲南の国境地帯・程海までやって来た僕僕と王弁たち。唐・吐蕃・南詔の三国の争いに巻き込まれたこの地で、一行は戦災孤児を育てる宋格之と呉紫蘭に出会う。押し寄せる大軍勢を前に、彼らをはじめ程海の人々を救うためには、湖底に眠るという無敵の「鋼人」を目覚めさせるしかないというのだが…
美少女ボクっ子仙人とニート青年の珍道中…というレベルでは収まらなくなってきた人界と仙界を繋ぐ冒険活劇「僕僕先生」、第6弾は「鋼の魂」であります。
前々作「さびしい女神」、前作「先生の隠しごと」と、二人にとってはなかなかハードなエピソードが続きましたが、今回は小休止の印象。といってもそれは二人にとって、というだけであって、物語の方は今回もキャッチーな外観とは裏腹に、骨太の内容です。
吐蕃の医術を学びたいという王弁に希望で、はるばる雲南の国境ちかくの町・程海までやってきた一行。彼らは、その程海から少し離れた所でで独立した生活を営む宋格之と呉紫蘭という二人の男女、そしてたくさんの子供たちと出会います。
この子供たちは戦争で親を亡くした子供たち、格之と紫蘭は彼らに生きるための術を仕込みながら暮らしていたのですが、実はこの二人はわけあり。
実は格之は玄宗皇帝の隠密機関・胡蝶所属の「捜宝人」。そして紫蘭は、ある宝を求めるその格之によって父を殺された娘――そんな関係にありながら、「子供を育てる」ということで結びついた二人が、実は本作の中心と言えます。
本作においては、王弁と僕僕は、狂言回し的位置づけにあります。彼らはあくまでもこの地を通りがかった旅人であり、そして彼らの目を通じて本作は語られることになるのですが、しかし、あくまでも物語の中心にいるのは格之と紫蘭、そしてこの程海の地に暮らす人々に他なりません。
程海は、唐と吐蕃と南詔という三つの大国が領土を接し、鎬を削る地。そこに暮らすのは、以前から雲南の地に暮らす人々だけではなく、格之と紫蘭の子供たちに象徴されるように、これらの国に滅ぼされた国の人々であり――すなわち、この地から他に行く場所を持たない人々であります。
大国同士の争いの前には、いかな僕僕の術も無力――いや、無力ではないのかもしれませんが、彼女はその力を積極的に用いようとはしません。
そこでクローズアップされるのが、この地に眠るという宝…格之がかつて皇帝から直々に捜索を命じられた宝、その手がかりのために紫蘭の父を殺めた宝である伝説の「鋼人」。
はるかな昔、この地を守って無敵の力を誇った空にそびえる鋼の勇者、いつしか姿を消したものの、この地の湖の中に眠ると言われる伝説の巨人を最後の希望として人々は力を合わせ、王弁たちもその探索に力を貸すこととなるのです。
果たして本当に鋼人は存在するのか。その力のほどは、そしてその正体は…大国の軍勢が迫るというタイムリミットの中描かれる探索行自体ももちろん楽しいのですが、しかし本作で最も印象に残り、魅力的であるのは、この鋼人への希望を中心に、人々の心が結びつき、確かな力となっていく様でありましょう。
程海に暮らす人々も、決して一枚岩ではありません。それどころか、同じ危機を前にしても、互いを疑い、それぞれのエゴに動かされ傷つけあうという、度し難い――しかしそれだけにまことに人間くさい人々なのです。
しかしそうであっても、人は同じ目的のために手を携えることができる。互いを想い、支え合うことができる――本シリーズで幾度も描かれてきた人間という存在に対する希望は、本作においても確かに存在します。
そしてそんな人の心の光こそが、鋼人にも負けぬ力なのであり――そして、本作の最終章のタイトルが「鋼人たち」である意味なのでしょう。
そう、本作は僕僕たちが脇に回らなければならない物語、普通の人々が中心にならなければならない物語だったのであります。
現実はもちろん甘いものではありません。どこまでも厳しく、残酷で、思い通りにはならない冷たい世界であります。仁木作品は、ユーモラスで賑やかな見かけの中で、その世界のシビアさを描き――そしてそれと同時に、その中でも決して消えることのない希望の光を、どこまでも優しい眼差しで描きます。
それは、無骨な鋼の身体に隠された「鋼の魂」の存在にも似ている…というと綺麗すぎるかもしれませんが、しかし、その優しさこそが仁木作品の本質であり、最大の魅力であるというのは、仁木作品のファンの方は頷いて下さるのではないでしょうか。
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