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2012.08.31

「修羅 加藤段蔵無頼伝」下巻 真の修羅の名は

 加藤段蔵の暗躍により、一触即発となった武田家と長尾家が睨み合う善光寺平。しかしその段蔵への復讐を誓う土髑髏こと服部保俊の凶行は、弁天姉妹や黒駒の座無左らを巻き込む。さらに段蔵の天敵たる師・甲山白雲斎は、段蔵に究極の選択を突きつける。生か死か――忍びたちの死闘の行方は。

 「惡忍 加藤段蔵無頼伝」の続編、「修羅 加藤段蔵無頼伝」の下巻です。
 つい先日、作者が第四次川中島の戦を描いた長編「天佑、我にあり」が文庫化されましたが、この「修羅」は第二次川中島の戦前夜を舞台とした作品であります。

 越前・越後に次いで信濃に現れ、ある目的を秘めて武田家に近づき、まんまと晴信(信玄)を動かして、長尾景虎との戦いに導いた加藤段蔵。
 しかし、その一方で、彼に対する包囲網も徐々に狭まっていきます。

 段蔵が長尾家から奪ったあるモノの奪還のために放たれた凶眼の野生児・邪見羅。段蔵、そして自らの弟の手により瀕死となりながらも復活した魔人・土髑髏こと服部保俊。その保俊らを排除して自分が服部家を継ぐために段蔵を狙う服部正成。そして、自らの弟子に引導を渡すため出陣した段蔵の師・甲山白雲斎――

 いずれ劣らぬ超人たちの存在は、善光寺平に集った段蔵をはじめとするお馴染みの面々を巻き込み、凄まじいバトルロワイヤルが展開されることになります。


 と、ここで先に述べておきますと、実はこの下巻においては、上巻で描かれた――いや、本書の前半部分までで描かれたものも含めて――伏線のほとんどが放置されたまま、物語は幕を閉じることとなります。
(下巻のラストで上巻の冒頭の時間軸ようやく戻ったのにはさすがに驚きました)

 もちろんこれはひとまずの幕、連続ものの中間のエピソードと考えればよいかと思いますが、物語にきっちりとした完成度を求める向きには、正直なところ本作は不満が残る内容でしょう。

 …しかし、それを補って余りあるのが、下巻後半ほとんど全てを使って描かれる、超人忍者バトルのつるべ打ちであります。

 段蔵のみならず、黒駒の座無左や弁天姉妹らにまでその魔手を伸ばす土髑髏。その非道ぶりについに怒りを爆発させた忍びたちが一致団結、雑賀孫一を助っ人に加えて、土髑髏&邪見羅と繰り広げる大決戦は、近年の忍者バトルの白眉と言っても過言ではありますまい。
 ただでさえ個性の固まりのようなキャラクターたちが一つ所に集い、次から次へと秘術奥の手を繰り出す様は、炎に包まれたど派手なバトルフィールドも相まって、まさに圧巻と言うほかありません。
(妖術にしか見えない土髑髏&邪見羅の術にもきっちり理屈がある辺りも含めて、「魁!男塾」を想起)

 その一方で、さしもの段蔵もいささか影が薄い…と思いきや、ラストに待ち受けるのは、彼にとっては最強最悪の敵とも言える師・白雲斎との対決です。
 しかしこの白雲斎、修行の最中に段蔵の無意識下に施した術により、あたかも三蔵法師の緊箍呪の如く彼を金縛りに――いやそれどころか、一瞬のうちに命すら奪うことすら可能。さらに老いたりとはいえ、忍術・体術・武術も超人級と、全く隙のない相手であります。

 さらに白雲斎が、段蔵に対してある命を下したことにより、段蔵はかつてない危機に陥るのですが――前作のラストで描かれた段蔵の大秘密、段蔵の最強の奥の手であるはずのそれが、一転、段蔵を最大の窮地に追い詰めることになるのには、この手があったか! と驚かされました。

 そしてそこから脱出するための乾坤一擲の策が、驚くべき結果を生み――そして語られる本作のタイトル「修羅」の真の意味には、ただただ感嘆するばかりであります。


 段蔵の真の狙いの一端も語られた今、果たして彼の戦いがどこに向かうのか――あるいは、真の最強最悪の敵が生まれたかもしれないラストを読んだ今となっては、この続きを一刻も早く! と願うばかりなのです。

「修羅 加藤段蔵無頼伝」下巻(海道龍一朗 双葉社) Amazon
修羅(下) 加藤段蔵無頼伝


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2012.08.30

「風の王国 3 東日流の御霊使」 明秀の国、芳蘭の生

 東日流からの援兵千人を率いて、明秀が渤海に帰ってきた。耶律突欲の手で周蘭が命を落としたことを知った明秀は、敵地・遼陽に乗り込む。一方、突欲のもとを逃れたものの、須哩奴夷靺鞨に捕らえられた芳蘭は、自らの生き方を見つめ直していた。契丹との激突が迫る中、人々の運命もまた大きく動き出す。

 10世紀前半の中国大陸と日本を結ぶ一大歴史ロマン「風の王国」の第3巻が刊行されました。

 第2巻で一端東日流に帰り、義勇兵を募るとともに、宿敵・耶律突欲の方術に対するために三人の御霊使を伴って渤海に戻ってきた明秀。
 しかし彼のいない間、突欲の奸計によってヒロイン・芳蘭が彼の元に嫁がされることとなり、さらに彼女と入れ替わった姉・周蘭が突欲の手により討たれ…と怒濤の展開が続きます。

 この巻では、明秀ら東日流の義勇軍がいよいよ活動を開始。突欲ら契丹軍と様々な形で激突を繰り返し、これまでの溜飲も幾分は下がるのですが…しかしもちろん、国と国との関係が、一度や二度の戦争の結果でどうにかなるものではないのは言うまでありません。
 いや、それ以前に渤海の内部が一枚岩ではなく――いや、それどころか宮廷は事なかれ主義の人間が大半を占め、密かに契丹と通じる者まで存在する始末であります。

 そんな中で、ややもすれば孤立無援になりかねない――事実、かつて日本から唐に派遣された兵は、そのまま彼の地に放り出されることとなり、その子孫が本作にも登場するのですから――東日流の義勇軍が今後どのような地位を占めることになるのか…それが、物語の行く先に、大きく影響することは間違いないでしょう。

 実はこの巻の終盤、そのヒントとなるであろう、ある試みが描かれるのですが――未読の方のために詳細は伏せますが、これが実に面白いアイディア。
 これはもしかすると、こちらの想像を超える形で明秀の国が描かれることになるのか? と密かに期待しているところです。

 そして、国という巨大な存在の存亡が描かれる一方で、登場人物一人一人のドラマがきっちりと描かれていくのも、本作の魅力であります。
 この巻においては、突欲のもとを逃れたものの須哩奴夷靺鞨の囚われ人となった芳蘭が、彼らとともに暮らすうちに、己の来し方行く末を見つめ直すことになる姿が、印象に残ります。
 貴族の娘としてではなく、一人の人間として何が出来るか、何を為すべきか考え始めた彼女の姿は、国とは何か、政とは何かと考え始めた明秀とはある意味対照的であり、そこにこれからの二人の運命というものが垣間見えるような気がいたします。

 そしてもう一人、意外なまでの運命の変転を味わう人間がいるのですが――こちらについては、これからの物語の行方に大きな影響を与えることでしょう。
 少なくとも、次巻予告を見た段階で、今後の展開が気になってなりません。


 国の運命、人の運命――その両者の姿を、その両者が相互に影響を与えていく様を丹念に描き出す本作は、まさしく大河伝奇と呼ぶに相応しい内容を持っていると感じます。
(伝奇といえば、突欲が日本から意外極まりない存在を連れてくるのにも驚かされます)

 唯一不満があるとすれば、本書のサブタイトルとなり、表紙も華麗に飾った東日流の御霊使たちが、さして活躍しなかったことですが――彼女たちが本領発揮するのは、これからでしょう。
 彼女たちへの期待は、今後の楽しみに取っておくことにしましょう。

「風の王国 3 東日流の御霊使」(平谷美樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
風の王国 3 東日流の御霊使 (ハルキ文庫 ひ 7-9 時代小説文庫)


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2012.08.29

「笑傲江湖」 第19話・第20話 折り返し地点・運命のすれ違い

 ドラマ版「笑傲江湖」も、気がついてみればあっという間に前半のラスト。いよいよ令狐冲の受難劇も頂点(つまりどん底)に達することになるのですが…

 前回のラストで聖姑が自分の抹殺命令を出すのを聞いていた令狐冲。そんなに自分を殺したければ殺すがいい…と言っても聖姑がそうするわけもなく、呆れて出て行こうとすれば――「どうしてわからないの!? 私があなたを殺せと言ったのは、あなたに何処にも行って欲しくないからよ!」と、テンプレのようなツンデレが大爆発であります。
(良かったなあ、ツンデレで。ヤンデレだったら毒盛られて動けなくさせられてたぞ)

 さらに、いきなり抱きついてくるという最終兵器の前に、令狐冲も気持ちを和らげ、いきなり二人はデレデレモード(まあ、令狐冲の場合はこれくらいが平常運転)。彼は、行方不明となった聖姑――いや、任盈盈の父親を一緒に探すと約束いたします。
 そして緑竹翁の家に戻った二人。ここで盈盈がお粥を作るのですが――ここで再びテンプレ爆発、出来上がったのは本人も顔を顰めるほどの代物、しかし令狐冲はうまいうまいと平らげる! …もういっそ清々しい。

 しかしそんな間に二人に迫る魔手。これまで幾度となく令狐冲に敗れた華山派剣術流の残党・成不憂、かつて令狐冲に門弟を倒された青城派一門、そしてかつて華山派を襲撃した際に令狐冲に揃って目の光を奪われた謎の一団…令狐冲に恨みを持つ三つの集団が揃って襲ってきたのであります。

 これを颯爽と迎え撃つ令狐冲ですが、さすがに多勢に無勢。ここのところ毎回発生する電池切れでダウンしたと思いきや、そこにもの凄い勢いで回転しながら盈盈が乱入、瞬く間に敵を蹴散らすかに見えたのですが…
 それでも敵は多く、手傷を負う盈盈。乱入してきた緑竹翁の犠牲で何とかとどめは免れたものの、絶体絶命であります。

 ここで目が覚めた令狐冲は翁の犠牲に怒り爆発、今まで何回も出てきて使い回しの中ボスキャラみたいになっていた成不憂についにとどめを刺し、敵を撃退することに成功するのですが、今度こそ人事不省となるのでした(この戦いの間、盈盈が一心不乱に琴を奏でていたのは、支援効果をつけていたのでしょうか)。
 ちなみにダウンした令狐冲を、盈盈が飼っていたアヒルの群れが取り囲む絵面が異様におかしい…

 そして倒れた令狐冲を少林寺に文字通りかつぎ込む盈盈。前回戦った(少林寺流に言えば縁があった)方生大師が、易筋教を学べば内傷を治せると令狐冲に言ったことを頼りにしたのですが…
 了見の狭い連中の多い五岳剣派に比べれば、さすがに人間ができている少林寺、方証・方生二人の大師は令狐冲の治療を行うことを認めますが、さすがに魔教の大物である盈盈を見逃すことはできず、代償に盈盈が十年間少林寺にとどまることを要求します。

 これも愛の力、それを受け入れた盈盈は令狐冲に何も告げずに幽閉されることを選びます。…結局、二人の大師をしても令狐冲の内傷を完全に癒すことはできず、せいぜい現状維持がやっとだったのですが。
 それならば易筋経を学べば、と言いたいところですが、さすがに少林寺の秘伝を他派の人間に教えるわけにはいかないわけで…

 しかし禍福はあざなえる縄の如し。令狐冲と邪派との関係を他派に糾問されることを恐れた(ようにしか見えない)岳不群は令狐冲の破門を決定し、破門の回状を諸流派に送ったのが、まさにこの時届いたのであります。
 破門されてしまえば、令狐冲が少林寺に入門し(在家の弟子なので髪は剃らなくてOK)易筋経を学んでも何ら問題はない…のですが、しかし「自分が死んだら骨は華山に」とまで言っていた令狐冲にとって、そうそう簡単に気持ちを切り替えることができるはずもない。

 大師たちの申し出を断り、蕭然と少林寺を出た令狐冲は、ふらふらと町をさまよい、腕自慢に叩きのめされたり、ボーッと雨宿りしたりと、完全に生きる屍モードとなってしまうのでありました。
 …自分が誰と旅をしていたのか、誰が少林寺まで運んでくれたのか、完璧に忘れているらしい辺り、酒精が頭に回ったかと心配になるのですが。むしろ断酒道場入りすべきではないでしょうか、この人の場合。

 暴言はさておき、令狐冲は破門のショックで少林寺を離れ、盈盈はそれも知らず彼のために少林寺に幽閉され――これぞ金庸十八番、運命のすれ違い。
 そして、自らの行いに恥じるところはないとはいえ、ついに破門されてしまった令狐冲。もはやどんぞこ状態ですが、しかし落ちてしまえばあとは上がるのみ。物語は折り返し地点、これからが本番であります。

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2012.08.28

「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第5巻 動かぬ証拠は何処に

 前田慶次郎の親友・直江兼続の若き日の姿を描く「義風堂々!! 直江兼続」、第1シリーズである「前田慶次月語り」の新装版も刊行が始まりましたが、現在連載中の第2シリーズ「前田慶次酒語り」の新刊も発売されました。

 この巻も引き続き、秀吉の小田原攻めを背景に描かれますが、しかしむしろメインとなるのは、その背後での徳川家康の企みであります。
 家康と徳川三傑――本多忠勝、榊原康政、そして井伊直政の三人が睨むのは、早くもこの戦いの先の戦いであり、そして兼続は、徳川家の強大な敵になるであろう上杉家に対するカウンターとして、意味を持ってくることになります。

 何故兼続が上杉家に対するカウンターとなりえるか? それは、上杉家の当主たる景勝が不識庵謙信の血を引いていない一方で、兼続が実は謙信の子であるから――
 と、またこの展開か!? と言いたくなってしまうほど、本作では何度も登場してきた兼続の出自。もう兼続の周囲の人間は皆知っていたものと思っておりました…というのは意地悪な言い方かもしれませんが、正直な印象であります。

 しかし今回は、これまでとは一味違います。兼続が謙信の子であることを示すアイテムが存在するというのですから…
 それは、謙信がかつて奈良宿院の仏師に彫らせたという地蔵菩薩像。若くして死んだ最愛の女・妙姫を弔うため、その仏像に謙信は二人の間の子の瞳を写した水晶の瞳(玉眼)を嵌めたというのであります。

 その玉眼と、兼続の瞳の模様が一致すれば、それはすなわち兼続が謙信の子であるという動かぬ証拠――なるほど、これまでは第三者からもわかる物証というものはありませんでしたが、こういう展開は新しい。
 それも、いわば虹彩認識を用いて兼続の出自を判別するというのが面白いではありませんか。

 もっとも、そのためには兼続の瞳の模様を先に見ておく必要があるわけですが、今回その役割を担ったのが井伊直政です。
 赤備えの兵を率い、「赤鬼」の異名を取った直政ですが、実は兼続とは一歳違い。それだけに兼続をライバル視すること甚だしいのであります。

 いかにも本作らしい、豪放無頼な若者として描かれる直政ですが、ファーストコンタクトの飲み比べでは兼続に完敗。しかし兼続の瞳を見るというミッションには成功し、後は証となる菩薩像を探すのみ…
(と、ここでテンションを上げた直政が、真っ赤な顔の「赤鬼」状態となるのが楽しい)

 小田原攻めそっちのけで始まった兼続の出自を巡る暗闘が、果たしてこの先どのような結末を迎えるのか――
 次の巻には、大遅刻したあの男も登場するとのこと、果たして彼がこの暗闘に絡んでくるかはわかりませんが、まだまだ一波乱も二波乱もありそうです。

「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第5巻(武村勇治&原哲夫&堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon
義風堂々!!直江兼続~前田慶次酒語り~ 5 (ゼノンコミックス)


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2012.08.27

「長州シックス 夢をかなえた白熊」 六番目の男の見た夢

 幕末に長州からヨーロッパに秘密留学したいわゆる「長州ファイブ」には、実はもう一人の男がいた。自らを藩主の落胤と語る彼――白石阿定(くまさだ)、人呼んで白熊は、ヨーロッパに渡りながらもロンドンで姿を消していたのだ。その彼が、伊藤俊輔に明かした驚愕の秘密とは…

 これで何度目かはもう忘れましたが、「また荒山先生か!」と嘆じさせられる作品、今月の「小説現代」に掲載された「長州シックス 夢をかなえた白熊」であります。

 言うまでもなく本作のタイトルの元ネタは、映画ともなった「長州ファイブ」、いわゆる長州五傑。幕末に長州藩からヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学で学んだ井上聞多(井上馨)・遠藤謹助・山尾庸三・伊藤俊輔(伊藤博文)・野村弥吉(井上勝)の五人であります。
(まあ、伊藤俊輔と井上聞多はすぐに帰国してしまうのですが…)

 さて、本作にはそれに加えてもう一人の男がいたという意外伝です。
 自ら藩主・毛利敬親の落胤と名乗る彼「白熊」は、最初は阿部定光と名乗り、次いで白石家に養子に入ってから白石阿定(くまさだ)と改名した人物(白石家のくまなので「白熊」…)。

 不思議と金回りが良く、事に当たっては妙に冷静な彼を、井上聞多などはうさんくさい人物と見て毛嫌いしますが、伊藤俊輔は何故か彼に好かれ、身分の隔たりなく交誼を結びます。
 そしてこの二人が加わった秘密留学に、白熊も資金援助を条件に強引に参加。しかし彼はロンドン上陸早々に姿を消してしまうのです。

 と、本作は、その後の白熊氏の消息を訪ねられた伊藤俊輔の回想という形で語られることになります。
 久々に再会した時には、英国人に扮装して、フー・ワンチューなる怪中国人に仕えていた白熊。何やらいかがわしい道に進んだらしい彼は、俊輔に対して驚くべき秘密を記した手紙を送るのですが――


 いやはや、もはやほとんど落語の如く、ラストのオチに向かって怒濤のように展開していく本作。
 オチ自体は、舞台や主人公のある設定を考えれば、比較的早く気づく方もいるかもしれませんが、しかしあまりといえばあまりの飛びよう、タイトルを見てこのオチを連想する人間は、エスパーとしかいいようがありません。
 以前同誌に掲載された「シュニィユ 軍神ひょっとこ葉武太郎伝」は、タイトルと内容がそれなりにリンクしていましたが、本作は…

 それで面白くないか、と言われればそうではないのが困ったもの(?)。
 言うまでもなく悪魔博士が元ネタのフー・ワンチュー氏の設定も、この時代というものを(そして元ネタの設定を)それなりに踏まえたものですし、そして何より本作の根幹を成す(というのは大袈裟ですが)同時代性というのは、時代伝奇もののある意味基本でありましょう。

 どう考えてもオチから逆算して構成したような作品ですが、まずは奇想天外なホラ話として(そして最近映画やTVで人気のあのシリーズの外伝として!?)素直に楽しむとしましょう。

「長州シックス 夢をかなえた白熊」(荒山徹 「小説現代」2012年9月号)


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2012.08.26

9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 何だかもう気がついたら7月がもう終わっていて、それどころか8月も終わり間近で9月ももう目前。連日連夜暑い日が続きますが、それでも少しずつでも季節は動いているように感じられます。
 そんなわけで9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール、かなり悲しい感じだった先月に比べ、今月はかなり充実の印象です。

 文庫小説では、まず期待は朝松健「ちゃらぽこ 真っ暗町の妖怪長屋」。7月の「夢幻組あやかし始末帖」に続き、今回も妖怪もののようですが、これはある意味適材適所でありましょう。

 また、シリーズものの新作では、復活第1弾が想像を遙かに超えて面白かった風野真知雄「新・若さま同心徳川竜之助 2 化物の村(仮)」、作者の作品の中ではかなりユニークな設定が印象的な上田秀人「妾屋昼兵衛女帳面」第3弾、そして主人公の人生(=シリーズの方向性)の落ち着かなさに真剣に心配になる大久保智弘「御庭番宰領」第7弾と、気になる作品が続きます。
 も一つ、米村圭伍「道草ハヤテ」は、タイトル的に野生児大活躍の「山彦ハヤテ」の続編でしょうか。こちらも楽しみです。

 そして文庫化の方では、何と言っても注目はアニメ公開も間近な桜庭一樹「伏 贋作・里見八犬伝」。副題の通り「南総里見八犬伝」を踏まえつつ、そこからさらに踏み込んで人間の心の中の暗い部分にも光を当てたユニークな作品です。アニメ版はおそらく相当内容が変わってくるのではないかと思いますが、こちらもぜひ。
 また本作については、スピンオフ展開の漫画「伏 少女とケモノの烈花譚」第1巻も発売されます。
 その他、隔月などと言わず、早く全巻出していただかないと旧版の方に手を出してしまいそうな(私が)越水利江子「忍剣花百姫伝 3 時をかける魔鏡」、ドラマ化にタイミングを合わせたであろう佐藤賢一「女信長」が気になるところ。
 そして角川文庫の山田風太郎ベストコレクションは、「おんな牢秘抄」「くノ一忍法帖」の、強い女性が大暴れの二作が登場であります。


 漫画の方では、何と言っても実写映画化にタイミングを合わせた剣心祭りがピークに。和月伸宏自身による「るろうに剣心 特筆版」(銀幕版+第零幕を収録)、そして奥方の黒崎薫による小説版「るろうに剣心 銀幕草紙変」が登場です。さらに公式コミックアンソロジーも発売とのことですが…(「公式」だから大丈夫ですよね)
 それと同時に、現在休載中の「エンバーミング」第7巻も発売。個人的にはこちらも早く復活して続きを見せていただきたいものであります。

 その他、新登場では原作小説もほぼ同時期に単行本化の冲方丁「光圀伝」の漫画版第1巻、夢枕獏「陰陽師」の睦月ムンクによる漫画版第1巻が発売。
 そして続巻では勝海舟の息子が大暴れの幕末延長戦ガンアクション吉岡榊&富沢義彦「CLOCKWORK」第2巻、完全に妖怪バトル漫画となった河合孝典「石影妖漫画譚」第9巻、そしてそろそろ芹沢との対決か? の蜷川ヤエコ&山村竜也「新選組刃義抄アサギ」第8巻と、楽しみな作品が続くのですが…実は「CLOCKWORK」と「新選組刃義抄アサギ」は完結。本当に残念でなりません。


 ゲームの方では、何と言っても注目はニンテンドー3DS用の「戦国無双 Chronicle 2nd」。お馴染みの無双シリーズに驚くほどの進化を与えた前作にifルートを追加したまさに完全版とのことで、前作を大いに楽しませていただいた私としては、見逃せない作品です。



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2012.08.25

「黒猫DANCE」第2巻 そうじ、突きに覚醒す

 そうじこと少年時代の沖田総司の冒険をユニークな視点から描く時代漫画「黒猫DANCE」の第2巻であります。
 この巻のメインとなるのは、夜叉面の辻斬りとそうじ・伊庭八郎の対決編、そしてラストには、幕末のあの有名人も登場することとなります。

 日野で平和に暮らしながらも、どこか満たされないものを感じていた9歳の少年・沖田惣次郎(そうじ)。
 とある事件がきっかけで、ガラは悪いが滅法強い土方歳三、茫洋としているようで大きな器を持つ天然理心流の剣士・島崎勝太(後の近藤勇)と出会った彼は、ついに生まれ育った家を離れ、江戸の天然理心流道場で暮らすことに…というのが第1巻の物語でありました。

 それから江戸の道場で水を得た魚のように剣を学ぶ彼が再会したのは、かつて江戸で暮らしていた時分の幼なじみ、伊庭八郎…そう、あの心形刀流の伊庭八郎であります。
 後に伊庭の小天狗として知られ、戊辰戦争では片手を失いながら箱館まで戦い抜いた幕末の快剣士も、この物語の時点ではまだまだ子供。そんな彼とそうじは、伊庭道場の門弟を次々と襲う夜叉面の辻斬りに戦いを挑むこととなります。

 私は寡聞にして、実際に沖田総司と伊庭八郎の間に面識があったかは知りませんが、しかし同じ年に生まれ、同じ時期に江戸で暮らし、剣を磨いていた(作中で描かれるように、少年時代の八郎は学問の方に興味があったようですが)二人を組み合わせるのは、なかなか面白いifと言うべきでしょう。

 そしてこの巻のクライマックスは、最初の対決で、辻斬りが得意とする突きに敗れたそうじが、勝太を相手に、突き破りを特訓する場面でしょう。
 よく知られているように、突きは沖田総司の得意技。しかしこの時点では突き(の対処法)を身につけていないそうじは、ただひたすらに勝太を相手に、突きをかわす練習をすることになるのですが――

 ここで生きてくるのが、本作の最大の特徴である、そうじが時折幻覚のように目の当たりにする、「未来の記憶」というべきものであります。
 本作の冒頭で、病床の総司が土方から新選組の壊滅を聞く場面をそうしが夢として見るように、本作の随所で、この時点のそうじが知るはずもない、後年の沖田総司の記憶に――もちろんそうと知るはずもなく――そうじは触れていくことになります。

 今回、この特訓のクライマックスでもこの「未来の記憶」が描かれるのですが、その場面のチョイスと、そしてそれが現実/現在のそうじの行動と重なるという構成の妙が光ります。
 そしてそこでそうじが体得したものが、辻斬りとの二度目の対決で花開く場面の画面設計・描写もまた見事。
 本作の剣術描写は白黒二色の画面をうまく利用して、シンプルながら迫力溢れるものとしている点に、好感が持てます。


 それにしても気になるのは「未来の記憶」の存在です。
 作中でほのめかされる情報を見ていると、その正体、そしてこの世界の構造も何となく見えてくるような気もするのですが…

 それを判断するのはさすがにまだ時期尚早でしょう。何よりも本作は、その点を抜きにしても十分に面白い。
 そうじが歩む歴史がこの先どうなっていくのか、次の巻にも期待であります。

「黒猫DANCE」第2巻(安田剛士 講談社月刊マガジンKC) Amazon
黒猫DANCE(2) (講談社コミックス月刊マガジン)


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2012.08.24

「春疾風 続・三悪人」 この世の苦しみを紛らわすために

 幕閣の中枢に登るため、唐津から浜松への転封を行った忠邦に対し、若手藩士と江戸家老が不満を募らせていることを知った金四郎と耀蔵。さらに大奥女中の乱行に絡んでいたことで窮地に陥った忠邦に恩を売るべく動き出す二人だが、忠邦は耀蔵に誘いの手を伸ばす。果たして三悪人の騙し合いの行方は?

 遠山金四郎、鳥居耀蔵、水野忠邦の三悪人が帰ってきました。後に天保の改革を背景に火花を散らすこの三人の若き日を描いた「三悪人」の続編であります。
 悪巧みが何よりの好物である金四郎と耀蔵が、自分たちの将来のため、そして金四郎の恋人である薄幸の花魁を救うため、忠邦を関所破りに巻き込んで…という前作は、既存のイメージを超えた三悪人のキャラクター造形と、彼らが知恵と力の限りを尽くした騙し合いの様が実に楽しかった作品。
 本作でもその基本スタイルは変わりませんが、物語の中心が、水野家の、忠邦のお家事情である点が目を惹きます。

 かつては石高以上に内証豊かな唐津を領地としながらも、同じ石高の浜松への転封を自ら望んだ忠邦。
 これは、幕府の要職に登り詰めることを望んだ忠邦が、唐津藩は長崎の警備を担当していることが昇格の妨げになるために、あえて願い出たという有名なエピソードであり、しばしば、彼の幕政に対する熱意あるいは執念の表れとして語られる史実であります。
 しかしこの転封は実質十万石もの石高減に繋がり、それを不満に思う者が家内に多かったのもまた事実。実際、諫言のため、家老の二本松義廉が腹を切っているのですが…

 本作では、このような水野家中における忠邦への不満が、若手藩士の策動、そしてその背後で糸を引く江戸家老の陰謀に繋がり、二本松の幽霊が出没するという噂が、家中、いや江戸を駆け巡ることになります。
 さらに、当時寺社奉行であった忠邦が、大奥の歓心を買うために僧侶をあてがい、それをさらに政敵になすりつけようとしたことが明るみに出され、忠邦は内外の不始末から、登城停止を申し渡されることに――

 と、このような忠邦の窮地を、金四郎と耀蔵が見逃すはずもない。お家騒動を片付け、醜聞を揉み消して忠邦に恩を売るため、二人は早速動き出します。
 そしてもちろん、忠邦も窮地に手をこまねいているだけのはずがない。二人を利用し、さらに仲違いまで画策して、ここに三者三様の思惑が入りみだれた化かし合いが始まることになる…という次第。


 さて、全体的な印象でいえば、明確なクライマックスが早い段階で提示される前作に比べると、事件の落としどころが終盤まで不透明な本作は、いささかすっきりしない部分があるのは事実であります。
 本シリーズの特長であり、醍醐味である狐の狸の化かし合い的会話劇も、上記の印象を強めている感があります。

 そもそも、今回の物語自体、水野家のお家騒動の後始末という趣向で、前作のような弱者救済という痛快感が乏しいのですが――さすがにこれは、「悪人」を主人公とした作品に対して、野暮というものかもしれません。

 …いやむしろ、本作は、三人に限らずこの世は悪人ばかり、違いがあるとすれば、優れた悪人と劣った悪人がいることくらいというこの世の真実(の一面)を描いた作品と表すべきでしょうか。
 それでは、純粋な正義の味方などいない、そんな救いのない世界において、人はどのように生きるべきでしょうか?

 その答は、ほかならぬ悪人の一人である金四郎の行動――己の鬱屈は悪巧みによって紛らわせる――の中にあるのでしょう。
 悪人であっても逃れられないこの世の苦しみ。それを紛らわせる術を知るからこそ、耀蔵が、そして忠邦すら金四郎にある意味惹かれているのは、まさにそのためではないか…そんな印象を受けたことです。

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2012.08.23

「るろうに剣心 第零幕」 懐かしくも嬉しいプレゼント

 いよいよ実写版映画も公開ということで、関連作品ラッシュもピークに達しそうな「るろうに剣心」。その一つである「るろうに剣心 第零幕」が、かつて本編が連載されていた「週刊少年ジャンプ」に掲載されました。

 「第零幕」というサブタイトルからわかるように、今回掲載されたのは、いわゆるエピソードゼロ。本編第一幕で剣心が東京に現れる直前、横浜外国人居留地を舞台としたエピソードであります。

 飄然と流浪を続ける中、横浜を訪れた剣心。そこで彼は、威勢のいい俥屋の青年・男吉、そして仮面をつけた西洋医師・エルダー先生と出会います。
 貧しい人間もタダ同然で治療する接するエルダーですが、しかしそれを煙たく思うのが悪徳医師・石津泥庵。
 エルダーを妨害しようと泥庵が雇った破落戸を一蹴する剣心ですが、泥庵は更なる刺客を用意して…

 という展開の第零幕は、本編初期の人助けエピソード的な内容で、読んでいて実に懐かしく感じました。
 ギャグのテンポも良く(この辺りはむしろ「武装錬金」以降のノリでしょうか)、敵の刺客である西洋剣術使いの面白武器もケレン味たっぷりに描かれていて、肩の力を抜いて楽しめる作品と言えるでしょう。
 敵方がやることなすこと絶望的に頭が悪いのですが、これはご愛敬ということで…
(もっとも、クライマックスでエルダーが一目で×××を見抜くのは、さすがにいかがなものかと思いましたが…)

 そして、仮面という奇異な姿を疎まれつつも、医師として人々を救おうとするエルダーの姿が、頬の傷に象徴される過去の罪を背負いつつも、己の目の前の人々を救おうとする剣心と重なるという構造も気持ち良い。
 第零幕と言いつつも、これは剣心の物語が一度語られて初めて描ける部分でしょう。

 剣心の決意がお馴染みの言葉で静かに語られ、そして浪漫譚の本編がこの後に始まる――
 というラストも美しく(見開きでこれから剣心が出会う様々なキャラクターの姿も描かれて)、ファンとっては懐かしくも嬉しいプレゼントと言えるのではないでしょうか。

「るろうに剣心 第零幕」(和月伸宏 週刊少年ジャンプ2012年38号掲載)


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2012.08.22

「笑傲江湖」 第17話・第18話 大宴会と聖姑の怒り

 相変わらず波乱の運命に振り回されまくっている令狐冲君の不幸ロードも今週が一つのピークでしょうか。よくわからない飲み会に連れて行かれて盛り上がったら一門において行かれたと思ったらあこがれのお婆さんに出会ったと思ったらツンデレ魔教女だったという大変な第17話・第18話であります。

 前回ラストで登場した日月神教内でのゴタゴタは紹介程度に終わって(東方不敗が座ったままあまりにも動かないので人形かと思いました)、舞台は華山派一門が呼び出された五覇岡へ。
 近くの岸に船を着けてみれば、そもそも呼び出しに応じるきっかけとなった岳霊珊と林平之があっさり解放。さらに、苗族の五仙教教主・藍鳳凰が登場して、令狐冲に親しげに話しかけてくるなど、早速の急展開です。
 藍鳳凰は厳格な武林の連中が顔を顰めるような奔放っぷりで存在感をアピール、さすがにホッペにチューはやり過ぎだと思いますが(後で親友に知られたら大決闘だと思います)、しかし蛭を使った輸血をしてくれたり毒酒スレスレの薬酒を飲ませてくれたりと、基本的に良い娘さんです。

 さて、そして五覇岡に向かってみれば、そこに集ったのは邪派の面々。
 しかし基本的に酒飲み思考の令狐冲は背景事情も何も考えずに周囲と意気投合、華山派一門は完全に置いてけぼり…
 ついに岳不群から「令狐冲殿」「華山派一門を代表して云々」などと、嫌みったらしく礼を尽くした、そして他人行儀な挨拶をされて暗に破門をほのめかされる羽目に。

 さらに、殺人名医・平一指の診察を再度受けるのですが、やはり治療は不可能とわかった平一指は、これまでの自分のポリシー――一人治す代わりに一人殺させる――との板挟みになった果てに自決(この辺りの、自分に課した掟に忠実なあまりの自滅というのは、いかにも武侠もの的であります)。
 そしてとどめをさすように、突然邪派の面々が、何者かに怯えるかのように主賓のはずの令狐冲を放って五覇岡から逃走。そのどさくさに華山派も消えてしまい、令狐冲はついに独りになってしまうのでありました。

 ヤケ酒をかっ喰らう令狐冲の耳に聞こえたのは、あの「おばあさま」の琴。まさかそのおばあさまが邪派逃走の原因とも知らず、再会を喜ぶ令狐冲は、彼女を襲う少林寺と崑崙派の門弟を蹴散らして、共に五覇岡を降りることになります。
 途中は、「私の顔は見ちゃダメ」というおばあさまの言いつけに逆らって何とか顔を見ようとしたり、おばあさまに「だからお前はフラれる」とか言われて落ち込んだり、それなりに楽しそうな令狐冲でしたが…

 しかし、食事をしに入った酒家で事件発生。そこに集っていた邪派の面々が、おばあさまを見て一斉にひれ伏し、中にはその場で目を潰して「三日前から失明してるので何も見てません」と言い出す奴も出る始末です。
 それに対しておばあさまが、島流しで勘弁してやる、などと返しているのを聞いてようやくおかしいと思った令狐冲は、一度は袂を分かつのですが、少林寺の高僧・方正大師がやって来たことから、彼女を守るためにすぐに戻ってきます。

 何故令狐冲が魔教の大物を庇うのか理解不能な大師に対し、たとえ魔教の女でも、誰よりも自分に良くしてくれた人なのだから絶対守る! と実に格好良いことを言う令狐冲。ブーメラン数珠をはじめとする少林寺の秘術に大苦戦しつつも独孤九剣で反撃した令狐冲に、風清揚が独孤九剣を伝えた相手が悪人なはずはない、と大師は手を引きます。さらに秘伝の薬をくれた上、少林寺に来れば治療できるかもしれない、と実に好意的な言葉を残して去っていくのでした。

 さて、ここからが今回の真のクライマックス。大師の薬を互いに譲り合ううちに、ついにおばあさまの顔を見てしまった令狐冲は、その正体が聖姑であったことを知って怒り、またもや飛び出してしまいます。
 「魔教の女でも」発言に期待を抱いていた(?)聖姑はこれに大いに傷ついて、怒り任せに酒家を破壊! 破壊! 壊される方はたまりませんが、しかし実に見事なツンデレパワーの爆発は、むしろある意味微笑ましいのであります。

 そして飛び出したはいいがまた発作を起こして倒れた令狐冲が目を覚ましてみればそこは元の酒家。
 彼が聞いているとも知らず、聖姑――任盈盈が令狐冲に超お熱なことをベラベラ喋っている祖千秋と老頭子ですが…聞いていたのは令狐冲だけではなかった!

 当の聖姑がその場に現れ、真っ青になる二人ですが、見逃す代わりに彼女が下した命は、ある人物の殺害。その人物とは――令狐冲!?

 …いやはや、ツンデレにもほどがあります。というところで次回に続く。

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2012.08.21

「萩供養 ゴミソの鐵次調伏覚書」 ハンターにしてディテクティブ

 湯島のおばけ長屋に「萬相談申し受け候」の看板を出す男・鐵次。ゴミソ――津軽の言葉で占い師――を稼業とする彼は、怪異を見抜き、祓う力を持っていた。心優しきゴミソが、人に仇なす亡霊・変化を祓い、彼らの悲しみや無念を背負う。

 SFからスタートして伝奇、怪談、時代小説と様々なジャンルに挑み続ける平谷美樹。最近、その活躍ぶりにいよいよ拍車がかかっているように感じますが、新たなシリーズが始まることとなりました。
 以前「異形コレクション 江戸迷宮」に掲載された「萩供養」で登場した、ゴミソの鐵次を主人公とした連作短編集であります。

 「ゴミソ」とは、津軽などで祈祷・卜占・神降ろしを行う者。津軽で同様の存在といえばイタコを思い出しますが、イタコは盲目の女性が多かったのに対して、ゴミソは本作の主人公・鐵次のように、女性とは限らないようです。
(ちなみに、本作にはイタコも登場するのですが、それがまたなかなかユニーク)

 さて、このゴミソの鐵次は、湯島の今にもおばけが出そうにぼろいことから「おばけ長屋」と呼ばれる裏店に「萬相談申し受け候」の看板を出す男であります。
 六尺の巨躯に無数の端布が縫い付けられた長羽織を羽織り、一見近寄りがたい人間のように見えますが、その実は心優しき好漢。
 その長羽織の端布は、彼がこれまでに祓った亡魂たちから
「五十回忌の弔い上げまではやってやれねぇが、せめておれが野垂れ死ぬまでは回向してやろう」
と預かって縫い付けたものであり、怪異を退治するだけではない彼のスタンスをまさに体現するものと言えるでしょう。

 さて、本書に収録されているのは、そんな鐵次と、彼の友人の鶴屋孫太郎(後に五代目鶴屋南北となる人物)が活躍する「雛ざんげ」「鈴虫牢」「萩供養」「おばけ長屋の怪」「傀儡使い」「妖かし沼」「夜桜振袖」「百物語の夜」の全8話。

 どの作品も、舞台やシチュエーション、そして現れる怪異などがバラエティに富んだものばかりであります。
 そしてその印象を更に強めているのは、鐵次が力で怪異を倒していくだけではなく、その怪異が何故現れたのか、その怪異が何者なのかをまず探っていく点にあるでしょう。
 いわば、ゴーストハンターというよりもゴーストディテクティブ…その謎解きが、個々の作品に深みと、ひねりを与えているのであります。

 そんな本書の中で、個人的に気に入った作品を三つあげれば――
篭に入った鈴虫の幽霊が大工の家に現れるという奇想天外な導入が哀しい真実に繋がる「鈴虫牢」
吉原の太夫の周囲で頻発する怪現象の意外な犯人が感動を呼ぶ表題作「萩供養」
クライマックスに登場する怪異の姿が集中随一の「百物語の夜」
でしょうか。
 もちろん、繰り返しのようになりますが、、どのエピソードも他所ではお目にかかれぬようなユニークなエピソード揃いであり、ほとんど甲乙つけがたい作品集であります。

 強いて難点を挙げれば、収録された作品数が多く、またそれぞれの作品がバラエティに富んでいることが、かえって個々の作品の掘り下げを少し(ほんの少し)浅くしているように感じられることですが…それは厳しすぎる見方かもしれません。


 何はともあれ、物語は始まりました。
 この先、本書のような短編集路線に行くのか、はたまた長編路線に行くのかはわかりませんが、どちらにも行ける、そしてどちらであってもそれぞれに面白いと確信できる…そんな作品であります。

「萩供養 ゴミソの鐵次調伏覚書」(平谷美樹 光文社文庫) Amazon
萩供養: ゴミソの鐵次 調伏覚書 (光文社時代小説文庫)

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2012.08.20

「SAMURAI DEEPER KYO」文庫版刊行開始によせて

 上条明峰の時代アクション漫画「SAMURAI DEEPER KYO」の文庫化が始まりました。単行本全38巻を、約半分の全18巻で刊行の予定のようです。

 ここで改まって取り上げるのも何ですが、この「SAMURAI DEEPER KYO」は、「週刊少年マガジン」で1999年から2006年まで連載されていた作品であります。
 時は関ヶ原の戦から四年後、千人斬りの鬼と呼ばれながら、いつしかその姿を消した伝説の男・鬼眼の狂は、脳天気な薬売りの青年・壬生京四郎の体の中に魂を封印され、眠りについていました。
 ふとしたことから京四郎と行動を共にすることとなった賞金稼ぎの少女・ゆやは、京四郎、そして魂の封印を解いた狂とともに、復活した織田信長、そして日本の歴史を影から操ってきた壬生一族との戦いに巻き込まれていくことに…

 というあらすじだけを見れば、まっとうな(?)時代伝奇活劇に見えますが、徳川秀忠が関西弁の兄ちゃんになって放浪していたり、伊達政宗が仙台を放って狂の仲間になっていたりと、豪快に歴史を解釈(改変?)。
 そして作中で繰り広げられるバトルの方も、最初のうちはまだ人間レベルの戦いでしたが、冷気や炎を操るのは序の口の超人バトルが繰り広げられ、ファンの間ではGENKAITOPPAという言葉で表される野放図な世界に突入していくことになります。

 …が、これが本当に面白かった。
 歴史のアレンジも、史実を完全に変えないレベルに踏みとどまっておりましたし(ちなみにいずれ取り上げようと思っているアニメ版では完全に歴史改変ものになっていくのですが、これはこれで、考えられた結果ではあります)GENKAITOPPAの方は、むしろ少年漫画の華のようなものと言うべきでしょう。

 そして何よりも、本作は、一見無敵の俺様主人公が暴れ回る――事実、今回刊行された第1・2巻辺りはまさにそうなのですが――作品のようでいて、登場人物の多くの成長を丹念に描いた作品であります。
 人の成長――それは、過去を克服し、そして未来を切り開いていくことと言って良いでしょう。そしてそれは言い換えれば過去から未来に続く時の流れの上での人のポジティブな生き様を描くことであり、それこそが、本作を時代ものとして描く意味である…

 というのは牽強付会にもほどがありますが、しかし本作のテーマの一つと思える人の成長――すなわちミクロな歴史――が、マクロな歴史と重ね合わせる形で描かれる点に、私は美しさを感じます。


 正直なところ、そうした要素の見られない序盤は――弾け具合の足りなさも含めて――個人的に好みではない内容なのですが、それもまた作品の歴史の一部と言うべきでしょう。
 今回の文庫化を機に、もう一度、そうした部分も含めて、本作が描いてきた歴史を読み返してみたいと思っているところです。

「SAMURAI DEEPER KYO」第1巻・第2巻(上条明峰 講談社漫画文庫) 第1巻 Amazon /第2巻 Amazon
SAMURAI DEEPER KYO(1) (講談社漫画文庫)SAMURAI DEEPER KYO(2) (講談社漫画文庫)


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2012.08.19

「斗棋」 命を駒の殺人ゲーム

 黒田藩の宿場町・浅沼宿で対立を続けてきた斑目の彦左と天網の源次。一触即発となった両者は、親分が子分を駒とし、駒同士の殺し合いで勝負をつける人間将棋・斗棋で勝負をつけることとなる。彦左の子分で何をやっても中途半端な若者・逃げ足の勇次は、斗棋の歩の一人に選ばれてしまうのだが…

 デビュー以来ユニークな時代アクションを次々と発表している矢野隆は、作品にゲームの影響を強く受け、実際にゲームのノベライズを手がける作家でもあります。
 その作者が、これまでとは別のベクトルでゲームを扱ったとも言えるのが本作「斗棋」。宿場町を舞台に、二派に分かれたやくざたちが人間将棋で勝負をつけるという破天荒な作品であります。

 浅沼宿を長らく仕切ってきた顔役・扇屋徳兵衛。彼が病に倒れたことから、歯止めがなくなった二派のやくざ――徳兵衛の元から飛び出した斑目の彦左と、徳兵衛の跡目と目される天網の源次の間は、一触即発の状況となります。

 しかし、郡奉行の見回りも近い中、派手な喧嘩を始めるわけにはいかず…というところで、源次の用心棒の浪人・氷室蔵人が持ち出してきたのは、「斗棋」なる勝負の記録。
 それは、かつて百姓たちが水争いの決着を付けるため行ったという人間将棋――敵味方四十枚の駒それぞれに人間をあてがい、大将が盤上で駒を進めて、敵味方ぶつかったところで一騎打ちの戦いを行い、どちらかが死ぬか、降参するまで戦いを続けるという死のゲームであります。

 かくて、両派の完全決着のため文字通り命を駒にして、町外れで――賭博狂いの金持ちたちのみを観客に――開催されることとなった斗棋。
 その彦左側の歩の一枚に、何の因果か、逃げ足の早さしか取り柄のないうだつのあがらない若者・逃げ足の勇次が選ばれてしまうのですが…


 と、人間を駒にしたゲームというのは、ギャンブル劇画などでたまに見かける展開かと思いますが、それを小説で真っ正面でやったのは、少なくともここしばらくでは本作くらいのものではありますまいか。
 それだけでもうOK! と言いたくなってしまうのですが、そこで繰り広げられるバトルの数々もなかなかにユニーク。

 斗棋では、駒同士の戦いの前には、それぞれ得物を一つ選ぶことが可能というルール。そこで用意されるのは、短刀や刀はもちろんのこと、棒や槍や鎌…はまだしも木槌に銛に鎖鎌と武器のオンパレード(無茶苦茶のようですが、「用心棒」にもでかい木槌を持った奴がいましたね)。
 遣い手の方もなかなか個性的で、作中で繰り広げられる戦いのバラエティという点では、相当のものがあります。

 そういった点では実に魅力的であり、戦闘描写に特に重点を置いている作者らしいと感じられると同時に、終盤のどんでん返しなど、(途中で予想できるとはいえ)なぜ「斗棋が行われなければいけなかったか」という点まで踏み込んだもので、物語展開の方も含めて、なかなか楽しめる作品であることは間違いありません。


 しかし同時に、残念な点も少なくありません。
 その最たるものは、キャラクターの薄さでありましょう。登場人物がかなりの数に及ぶ本作ではありますが、その多くはキャラ造形がテンプレ的なものであるか、あるいは平板なものに感じられるのです。後者については、格闘ゲームのキャラクター的存在感とでも言いましょうか…特殊な舞台設定とはいえ。
(もう一つ、これは作者の責任ではないですが、盤面の状況が作中ほとんど図示されなかったのは非常にわかりにくかった、と感じます。頭の中で状況を再現するのがかなり厳しいのは、本作のような作品では大きなマイナスかと)

 もちろん、主人公たる勇次の内面描写(とその変化)には頷ける面も多いのですが、彼をとりまく人物、特に彼の成長に寄与する人物の造形がいかにも…なものであるため、一歩間違えると彼の成長自体が空々しく見えかねないと感じるのであります。
 さらに言えば――これは作者の前々作にあたる「兇」でも感じましたが――全てを言葉にして語らせてしまうのは、逆効果になる場合も多いのではないでしょうか。

 舞台設定よし、バトル描写よし、あとは…と感じた次第です。

「斗棋」(矢野隆 集英社) Amazon
斗棋

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2012.08.18

「拳侠 黄飛鴻 広東篇」(そのニ) 日本武術最強の刺客たち

 香港映画ファンにはたまらない登場キャラとストーリー展開の「拳侠黄飛鴻 広東編」紹介の続きであります。

 そして何よりもたまらないのは、霍元甲の弟子として、先に名を上げた陳真が登場すること。陳真は架空の人物のはずなのですが、この小説も架空のものなのだから問題ない(?)とばかりに、本作では重厚な師匠に似ぬ若き熱血格闘青年として大暴れ。

 怪鳥音といいボクシング的フットワークといい血をペロッといい、アクション的にはブルース・リー写しなのですが、イラストの早川みどり氏がドニー・イェン顔で描いているので、これは「精武門」の時の俺ブルース状態のドニーさんなのでしょう。


 閑話休題、オールスターキャストは中国武術界だけではありません。「日本篇」でも黄飛鴻を敵視して様々な刺客を送り込んできた内田良平が送り込む新たな刺客三人の顔ぶれもまた恐ろしい。

 その三人とは――
 武田惣角!
 船越義珍!
 そして前田光世!
 大東流合気柔術の武田(前作で登場した植芝盛平の師匠でもあります)、松濤館流唐手の船越、グレイシー柔術の祖である前田…いやはや、現代日本、いや世界の武術の祖とも言える三人であります。

 しかもその三人が待ち受けるのが、内部が十七層に分かれた広州六榕寺花塔。
 途中に待ち受ける三人+αを倒しつつ塔の上を目指すというのは、これはもう言うまでもなく「死亡遊戯」パターンで、シリーズ最後だからもう入れられるものは全て入れてしまおう! と言わんばかりの大盤振る舞いであります。
(ちなみにここで陳真の相手となるのは、下の名前こそ違え日本人格闘家・武田で、ご丁寧にあの額まで持ち込んでいるという、)


 このように、設定だけでもう私のような人間には大喜びの本作なのですが、しかし、それだけ盛りだくさんにするあまり、個々の格闘家、個々の試合の掘り下げは、残念ながらかなり甘いと言わざるを得ません(もともと格闘描写はそれほど精緻なシリーズではありませんが…)
 ラストバトルが不完全燃焼なのも惜しいところであります。。

 物語展開の方も、打擂寨と六榕寺花塔、二つの戦いのみ、と言ってよく、非常にシンプル。前二作で見られたような、清朝末期という時代、そしてそこにおける黄飛鴻の姿という目配りはほとんどないのがまことに残念としか言いようがありません。


 そんな不満は色々とあるものの、しかし、ここまでオールスターキャストで大活劇を展開した作品はほかにはありますまい。ある意味、天下の奇書というべき作品であり――私にとってはやはり愛すべき作品なのです。


「拳侠 黄飛鴻 広東篇」(東城太郎 中央公論新社C・NOVELS) Amazon
拳侠 黄飛鴻 広東篇 (C・NOVELS)


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2012.08.17

「拳侠 黄飛鴻 広東篇」(その一) オールスターの大武術大会!

 内憂外患の清国を救うため、中国武術界の統一を決意した迷踪拳の達人・霍元甲。彼の呼びかけを受けた黄飛鴻は広東打擂寨(武術大会)を開催、中国全土から達人たちが集結する。しかしその背後では、黒龍会の内田良平が、三人の達人を連れて打倒黄飛鴻を狙っていたのだった…

 清朝末期、実在の拳法の達人・黄飛鴻を主人公としたアクション活劇小説シリーズ「拳侠 黄飛鴻」第3弾にして完結編であります。
 黄飛鴻にとってはいわば地元の広東を舞台に繰り広げられるのは、中国拳法の達人たちによる打擂寨(武術大会)、トーナメントバトル! というわけで、今回はストーリー以上にバトルに力の入った一大アクション篇となっております。

 そもそも、この打擂寨が開催されることとなったのは、黄飛鴻とは同時代人にして天津・上海等で活躍した武術の達人・霍元甲の呼びかけによるものであります。
 時あたかも清朝末期、前作で黄飛鴻が救出した光緒帝が若くして逝き、愛新覚羅溥儀が幼くして即位したものの諸外国の侵略は続き、もはや清朝、いや中国の命運は風前の灯火。そんな中にあって、中国人自身の手で祖国を守る中核となる組織を設立し、そのリーダーに、中国武術界で最強の男を据えようというのが霍元甲の計画であり――そして打擂寨は、そのために開催されるものなのです。

 かくて黄飛鴻・霍元甲の連名での呼びかけに応えて、中国全土から達人が集結するのですが…そのメンバーがとんでもない。

 我らが黄飛鴻はもちろんのこと、霍元甲は「ドラゴン怒りの鉄拳」の主人公・陳真の師匠として知られる人物であり、この小説より後に、ジェット・リーが「SPIRIT」でその半生を演じた拳法家。

 そしてこの二人の他にも主立ったところでは八極拳の霍殿閣、酔八仙拳の蘇乞児(蘇化子)が出場します。霍殿閣は神槍・李書文の一番弟子で後に溥儀のボディーガードとなった人物。
 一方、蘇乞児は酔八仙拳の創始者であり――そして香港映画ファン的には、「酔拳」でジャッキー・チェン演じる黄飛鴻に酔拳を教えたあの爺さんであります(しかも本作では乞児――乞食ということで、降龍十八掌までも使うキャラに!)

 と、テンションが上がってきましたが、長くなりますので次回に続きます。


「拳侠 黄飛鴻 広東篇」(東城太郎 中央公論新社C・NOVELS) Amazon
拳侠 黄飛鴻 広東篇 (C・NOVELS)


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2012.08.16

「猫間地獄のわらべ歌」 時代ミステリの快作? 怪作?

 猫間藩江戸下屋敷の書物蔵で御広敷番が切腹、藩主の愛妾・和泉ノ方はこの不祥事を隠すため、「俺」にこの事件を密室殺人に仕立てるよう命じる。一方、藩の国元では、被害者が首を斬られる連続殺人事件が発生。不気味なわらべ歌の通り、犠牲者が続出する。果たして一連の事件に繋がりは…?

 ミステリファン、時代小説ファンの間で賛否両論(であろうところ)の快作/怪作「猫間地獄のわらべ歌」であります。

 信濃と駿河に挟まれた山中の小藩・猫間藩。その藩主の側室・和泉ノ御方が住む江戸下屋敷の内側から施錠された書物蔵で、一人の藩士の死体が発見されたことから、この物語は始まります。

 その死体は腹に脇差を刺した姿で発見され…とくれば、普通は覚悟の切腹と考えるところですが、不祥事を嫌った和泉ノ御方は、中屋敷の御使番である主人公「俺」にとんでもない命を下します。
 それは、この藩士の死を「密室殺人」として処理せよ=密室トリックをでっち上げろというもの。藩主の愛妾に逆らうわけにもいかず、主人公は徒目付の静馬とともに、このまことに馬鹿馬鹿しい探偵仕事に挑むことになるのであります。

 一方、厳しい飢饉と銀山奉行の専横に苦しむ国元では、ある村人夫婦を巡る痛ましい事件を皮切りとしたように、犠牲者が首を斬られる殺人事件が連続。
 その様が、土地に伝わるわらべ歌に似ていると噂になったことから、これはもしや「見立て殺人」ではないかとの声が上がるのですが…


 と、江戸と国元を舞台に、猫間藩を巡る奇怪な事件の数々が描かれる本作。
 密室殺人(のでっちあげ)に見立て殺人、さらに館(?)ものと、ある意味ミステリの定番ネタを次々と投入した末、本作は意外な真相を明らかにすることとなります。

 正直なところ、本作で描かれるそれぞれの事件の個々のトリックについては、さまで珍しいものではない、という印象はあります。
 しかしながら、どの事件も、この舞台で起きることにきちんと意味があり(密室のでっちあげすらも!)、それが一つの大きな物語として結実する様は、大いに好みであり、その意味では時代ものとして描く必然性のあるミステリ、すなわち時代ミステリとして大いに評価できるかと思います。

 その一方でどうにも感心できないのは、作中にしばしば挿入される、登場人物たちによる、物語の内容、そしてミステリや時代小説というジャンルに対するメタな解説部分であります。
 たとえば「密室殺人」や「見立て殺人」という趣向に対して、そしてそれらの事件の真相に対して、突然第三者的視点に立って登場人物がツッコミを始めるというのは、それ自体は決して悪くはない趣向かもしれません。しかしながら、折角本編が頑張っているのに、言い訳が入るのはいかにも興ざめであります。

 更に言えば、第三章のラストに入るメタ部分は、喩えがあからさまにおかしいため(それもネタの一部なのかもしれませんが)見当違いに感じられるのが残念です。
(もっとも、時代小説ファンとしては第三章の趣向はそれほどおかしなものと感じなかったため、この部分は純粋なミステリファン向けのエクスキューズなのかもしれませんが…)


 …などと、感心させられる点もひっかかる点も様々にあるのですが、しかし全体を通しての本作の印象が良いものとなっているのは、その結末にあります。
 その趣向についてはここではもちろん述べませんが、こんな仕掛けが! と驚かされるものであることは請け合い(そして時代ものファンであれば冒頭で気づけるものであるのがまたにくい)。

 ある意味非常に重い、恐ろしい事件を描いた本作ですが、この結末の切れ味によって、爽やかな後味に変わっているのは、これは作者の術中にはまったようで悔しくもありますが、しかしこういう趣向は大歓迎であります。

「猫間地獄のわらべ歌」(幡大介 講談社文庫) Amazon
猫間地獄のわらべ歌 (講談社文庫)

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2012.08.15

「笑傲江湖」 第15話・第16話 ツンデレ聖姑地獄行

 少しは光が見えてきたように思える令狐冲の苦行ロード、「笑傲江湖」第15話・第16話では、魔教のツンデレ聖姑様のおかげで彼の周囲には様々な変化が生じることとなります。
 辟邪剣譜を盗んだという疑いは晴れたものの、居心地の悪い状況を嫌ってか、緑竹翁の家に入り浸る令狐冲。そこで「おばあさま」から琴を習ったり、翁から竹細工や酒の飲み方を習ったりと、風流に明け暮れる、傍目にはうらやましい暮らしを送ります。

 しかし、岳霊珊の誕生日プレゼントに演奏するための曲を教えて欲しいというのには聖姑の嫉妬心爆発。あからさまにやる気をなくして翁に丸投げするのが楽しい。
 さらに、いざ霊珊の前で演奏してみたら、無神経女が林平之の名前を出したおかげで超動揺して失敗、逆ギレされた令狐冲をわざわざプギャるために敵地に登場する聖姑様。
 駆けつけた岳不群の奥義・紫霞功を食らって大ダメージを受け撤退と、翁でなくともまだまだ子供と突っ込みたくなる微笑ましさであります。

 そんなこんなありつつも、令狐冲の恋愛相談に乗っているうちにますます募る聖姑様の想い(そんなに好きだったら、ライバルの平之殺せば? というアドバイスは、さすが金庸のツンデレ凶暴ヒロイン)。
 しかしついに華山派が洛陽を離れる日が訪れ、令狐冲が乗った船が遠ざかるのを送るように、涙ながらに琴を奏でる彼女でした。
(ここで、得体の知れぬ翁の実力を垣間見たとはいえ魔教の襲撃を警戒する岳不群と、曲の中に邪悪なものがないことを見抜く寧中則の違いが面白い。本作の中では、もしかすると一番真理を見抜く目を持った人物かもしれません)

 さて、福建を目指す華山派一門は、途中で開封に立ち寄りますが、そこで令狐冲の前に酒をはじめとする大量の進物を捧げ持った見も知らぬ人々が押しかけることに。
 さらに、酒の飲み方を手ほどきする(と見せかけて薬を飲ませる)粋人・祖千秋、誰に依頼されたか令狐冲の治療にやってきた殺人名医・平一指、そして令狐冲を半死半生にした張本人である桃谷六仙と、次々と怪人物が登場。
 特に六仙は、一指の命で令狐冲の世話係として居残り、これには岳不群も苦い顔をしつつ、八つ裂きにされては適わないので黙認することになるのでありました。

 しかし六仙が目を離した隙に老頭子なる怪人物にさらわれてしまう令狐冲。実は祖千秋が、老頭子の病弱な娘に飲ませる薬を令狐冲に飲ませてしまったため、彼の血を絞って娘に飲ませようとするのですが、もう生に恬淡とした彼は動じない。
 そこに駆けつけた祖千秋が何事かを囁けば、途端に態度を変える老頭子。そんな二人を椅子に縛り付けた令狐冲は、短刀片手に老頭子の娘を寝室に連れ込み…
 と、もちろん田伯光ライクなことをするのではなく、自らの手首を切って血を搾り取り、娘に無理矢理飲ませる令狐冲。こちらも十分変態的ですが、いかにも彼らしい無鉄砲な好漢ぶりではあります。

 その結果、失血状態で華山派の船に担ぎ込まれる令狐冲ですが、折悪しく、同じ頃に痴話喧嘩していた霊珊と林平之が行方不明に。このところもの凄い勢いで器の小ささを見せている岳不群は、理不尽にも令狐冲を犯人と決めつけるのでありました。


 比較的静かな展開の第15話、新キャラが次々登場して賑やかな第16話と、静と動に分かれたような今回ですが共通するのは、死を黙然として、ある種の境地に達したように見える令狐冲の姿が印象に残ります。
 死を恐れず、命を擲つことを恐れないというのは、好漢の基本的心構えではありますが、しかしそれをあくまでも陽気な態度は崩さず実践できるというのはやはり見事。

 それでいて、霊珊の前では何かと感情が乱れまくるというのも、この場合は実に人間くさくて良いと思います。


 さて、ラストでは突然謎のポリネシアンダンスショー(9割方本当)が始まって驚かされますが、場面は変わってここは日月神教の本拠。
 ほとんど特撮ものの悪の秘密基地みたいなノリのこの場所で中心に座すのは教主・東方不敗。そしてその腹心・楊蓮亭が教主の威を借りて教徒たちに君臨するその前に現れたのは、聖姑様――というわけで、そろそろ物語が大きく動き出す予感であります。

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2012.08.14

「楊令伝 十四 星歳の章」 幻の王、幻の国

 既に続編の「岳飛伝」も快調なところですが、文庫版「楊令伝」も、ラスト一つ前の第14巻まで来ていよいよクライマックス。風雲急を告げる怒濤の展開であります。

 童貫の敗北、そして金の南進以来、果てることなく続いてきた中原を巡る争い。
 独立した勢力を保ってきた岳飛は南宋に加わり、張俊は扈成と組んで金の傀儡国家・斉に参加し、次々と勢力分布図も塗り替えられてきた中で、ほとんど平静を保ってきたかに見える梁山泊も、ついに大きく動き始めることになります。

 そのきっかけとなったのは、梁山泊と組んだ商人たちが斉で、金で、南宋で、中国全土で開き始めた自由市場。
 梁山泊からの物資を各地でゲリラ的にさばく――といえばそれまでのものに思えますが、しかしそれが物資のコントロールという国家機能の根幹を蝕んでいくと言われてみれば、なるほど! と思わされます。

 自由市場の登場自体はほとんどこの巻が初めてということを考えると、この辺りの展開はいささか急にも思えるかもしれません。
 しかしここに至るまで梁山泊が交易によって国力を増強してきたこと、そしてかつて梁山泊の主たる資金源が、当時の国家による物資管理の最たるものであった塩であったことを考えると、なるほど、と頷けるものがありますし。

 それはともかく、この自由市場――そしてそれによる国家の根幹の破壊というのは、当時としてみればあまりに先進的過ぎる概念。本作においては、中盤辺りから、「天下」を取ることに対して、梁山泊の中での一種思想対立とも言うべきものが描かれてきましたが、いやはや確かにこれは戴宗ならずとも理解するのは難しいでしょう。
(この辺りのわかりにくさに、前作に比べての本作の評価の低さの一端があのでは…というのはさすがに言い過ぎかもしれませんが)

 しかし、最後に国と国の衝突の決着を――少なくともその方向性を――定めるのは、やはり軍事力。この巻のラストでは、ついに梁山泊軍と南宋軍の全面対決が描かれることとなります。

 そしてその戦いの前に楊令の口から語られる天下観・国家観・梁山泊観こそが、本作の総決算とも言うべきなのですが…それが語られるのと同じ巻に、南宋皇太子の出生の秘密を楊令たちが知るのは、決して偶然ではありますまい。
 彼らが知った南宋皇太子の出生の秘密――国を国たらしめる存在、皇帝を継ぐべき者が、その正当性の淵源たる血筋を継いでいないとしたら…

 従来の国家を継ぐべき者の存在が幻であるとすれば、真の国家とはどこにあるのか。それを追い求めてきた楊令――奇しくも彼も「幻の王」を名乗った存在であります――にとって、それは己の意を強くする事実であったか、あるいは己をさらに迷わせるものであったか?


 しかし、そんな人々の想いなど知らぬげに、物語は人々の運命を、そして命を飲み込んで終極に向けて突き進みます。
 物語の結末に立っている者が誰なのか、そしてその想いが報われることはあるのか…残すところ、あと一巻であります。

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2012.08.13

「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第6巻 偸盗の技、人間の怒り

 明を離れて舞台はタイへ…天正遣欧使節の第五の少年・播磨晴信と凄腕忍者・桃十郎の主従の活躍を描く「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」も第6巻。いよいよこの巻から、熱い大地での冒険が本格化することになります。

 マラッカに上陸して早々、市場で売られる奴隷の中に、こともあろうに日本の、自分の領地からさらわれてきた知り合いの娘・多栄の顔を見つけた晴信。
 彼女がホンサワディー王国に売られていくことを知った晴信は、ホンサワディーと敵対するアユタヤの戦士で凄まじい格闘の腕を見せる獅子のルンディンと出会い、ひとまずはアユタヤに向かいます。

 漫画的なアレンジが随所にほどこされている本作ですが、しかし背景となるのは各地の史実であり、登場するキャラクターの多くは実在の人物であります。
 今回のエピソードにおいても、タイのアユタヤ王国とビルマのホンサワディー王国の争いが背景として描かれていますが、ここで登場するのは(予想通り)アユタヤのナレスワン王子。

 後にタイの三大王の一人と称され、そして何よりもムエタイの生みの親という伝説を持つナレスワンですが、本作におけるナレスワンは、熱さと明るさ(脳天気さ)を合わせ持つ非常にユニークな人物として描かれます。
 アユタヤを戦のない「ほほ笑みの国」に変えるという理想を持ち、そしてルンディンという凄腕の「親友」を持つナレスワンは、戦をなくす方法を求めてローマに向かい、桃十郎と「主従」である晴信と、ある意味通じ、ある意味異なる人物に感じられますが…

 と、ナレスワンとの出会いもそこそこに、この巻のメインとして描かれるのは、晴信・桃十郎・マンショによるホンサワディー王宮からの多栄救出作戦。
 わずか三人で、厳重な警戒の王宮から人一人を連れ出すというのは、これはずいぶんな不可能ミッションではありますが、ここで忍びとしての桃十郎のある側面が描かれることとなります。

 それは偸盗――戦闘者としてのイメージが強い桃十郎ですが、しかしそれは忍びとしての彼の一つの側面に過ぎません。敵地に潜入し、盗みを行う偸盗の術もまた忍びの技であり、そして凄腕の忍びである桃十郎も当然、偸盗の達人でもあるのです。
 かくて、桃十郎曰く「序・破・急」の三つの段階で多栄奪回ミッションに挑む三人ですが――

 晴信が桃十郎と首尾良く牢まで辿り着いてからが、ある意味この巻の真骨頂であります。
 晴信がそこで見たものは、人間の尊厳が踏みにじられた姿――少年漫画としてはかなりギリギリの描写で見せるその地獄の有様を見れば、晴信の憤りもまた、わがことのように理解できます。
 しかし、ここで晴信が取った行動は、我々読者にとっては予想の範囲内ではあるものの、やはり破天荒で――そして痛快この上ないもの。ここからラストまではまさに一気呵成、お約束の展開も含めて右肩上がりに盛り上がっていくのを、大いに楽しませていただきました。


 …私は本の紹介で「熱い」と「泣ける」という言葉は(便利すぎるために)できるだけ使わないようにしているのですが、しかし本作に対しては、まさにこの二つの言葉を使うべきでしょう。

 アユタヤとホンサワディーの本当の戦いはまだこれから。晴信を本気で怒らせたホンサワディーの奇怪な王子・マンサムキアット、そして彼の護衛であり、桃十郎をたじろがせた二人の怪人・喜悦と憤怒――黒き阿修羅と呼ばれる最強の敵との対決も、これからが本番であります。

 そしてこの先においても、熱く、泣かせる物語を見せてくれることを、私は全く疑っていないのであります。

「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第6巻(金田達也 講談社ライバルKC) Amazon
サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録(6) (ライバルKC)


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2012.08.12

「御隠居忍法 しのぶ恋」 権力の愚を抉り出す人の想い

 御隠居・鹿間狸斎の活躍もあって、藩主の後継者争いも終息した笹間藩。しかし、遊郭の火事跡から発見された死体は、藩政改革に絡む暗闘に関係するものであった。藩の闇で跋扈する暗殺集団・黒手組が、親友・新野耕民暗殺の下手人らしいと知った狸斎は、事件の謎に挑むのだが…

 御隠居こと元御庭番の鹿間狸斎が、様々な事件に挑む「御隠居忍法」シリーズも、ついにこの「しのぶ恋」で10作目。
 前作「刺客百鬼」の続編とも言うべき本作では、前作で暗殺された御隠居の親友・新野耕民の死の真相が語られることになるのですが…

 御隠居が隠居する笹間藩を揺るがせた後継者争いは、前作で御隠居が藩主の御落胤を江戸に送り届けたことで無事終息。その結果、藩の守旧派を一掃した改革派は、これまで冷飯食らいだった家士の二男三男を動かして改革を達成しようとするのですが――彼らにより、耕民の死が取り沙汰されたことから、御隠居の身の回りも騒がしくなります。

 前作での扱いとは打って変わって、忠臣の象徴のように祭り上げられた耕民。そんな彼の仇討ちをさせようと、耕民の子であり、御隠居にとっては娘婿の市右衛門を焚きつける改革派の若者たち。
 そもそも、仇と目される相手が本当にそうなのかもわからぬまま大きくなる騒ぎを、苦々しく思う御隠居なのですが、事態はそれで収まりません。

 さらに、御隠居の隠居する五合枡村近くの遊郭の火事現場から発見された焼死体が、実は火事の前に殺されたものであり、この藩政を巡る暗闘に関わっていたらしいことを知り、御隠居は好むと好まざるとに関わらず、笹間藩の闇に関わっていくことになります。


 珍しくロードノベルの形式を取った前作とは異なり、本作は笹間藩を舞台として、御隠居が入り組んだ事件の謎を解いていくという、いわばシリーズではお馴染みのスタイルを取ることとなります。
 本作において謎の中心となるのは、これまで藩政の闇に跳梁していたという謎の暗殺集団・黒手組。耕民の死にも関わっているかもしれないこの集団と、御隠居の戦いが始まる…というような単純な展開にはならないのですが、それが逆に本シリーズらしいと言えるでしょう。

 本作の背景として描かれるのは、「革清」というスローガンを掲げた笹間藩の藩政改革であります。これまで藩政を壟断してきた勢力が一掃され、清新なものに入れ替わるというのは、一見まことに結構なお話に見えます。しかし、そうそう急進的な改革がうまくいくわけではないことも、そしてその改革によって得られるものよりも失われるものの方が多いこともあることを、我々はよく知っています。
 いやむしろ、改革が皆のためではなく、結局は一部の人間のためにしかならないものであり、苦労するのはそれに振り回される周囲の人間たちばかり…そんな構図が、本作から透けて見えます。

 実のところを言えば――これまでのシリーズでも多くの場合そうであったように――本作においては、謎が全て解け、そして全てが丸く収まっておしまい、という形にはなりません。
 それを不満に思う向きもあるかとは思います。しかし人間を幸せにしない、曖昧模糊とした、しかし確実にそこにある「力」――権力と、それを求める者たちの姿を、本作は抉り出し、糾弾してみせます。

 それを行うのはもちろん、我らが御隠居ではあるのですが――しかし、それだけでなく、本作のラストで示される、「しのぶ恋」というタイトルの由来…それこそが、静かに、しかし雄弁に、権力を巡る争いの愚かしさを剔抉しているように感じられた次第です。


 ネット上で調べていたところでは本作でラストという話もあるようですが、それで納得いかないような、どこか納得できるような、そんな味わいの本作。
 しかし、それでもなお、もちろん私が、これから先も御隠居の活躍を読みたいと思っていることは言うまでもないことなのですが――

「御隠居忍法 しのぶ恋」(高橋義夫 中央公論新社) Amazon
御隠居忍法 - しのぶ恋


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2012.08.11

「十 忍法魔界転生」連載開始!

 今月発売の「月刊ヤングマガジン」誌より、せがわまさき・画、山田風太郎・原作の「十 忍法魔界転生」の連載がスタートしました。言うまでもなくあの大作「魔界転生」の漫画化です。

 連載第一回は「地獄編 第一歌」。ダンテの「神曲」では全体のプロローグとも言うべき「地獄編 第一歌」ですが、こちらでは冒頭からクライマックスであります。

 島原の乱の終結直後の戦場を訪れた由比民部之介――由比正雪と、小笠原藩からこの戦に参加していた宮本武蔵が、そこで目撃したものは、死んだはずの軍師・森宗意軒。そして、彼らの眼前で、女体を卵の殻のように破って「生まれた」天草四郎時貞!

 というわけで、原作の冒頭部分と大筋異ならない内容ではありますが、しかし――今さら言うまでもないことながら――山田風太郎の世界を漫画として描くことでは間違いなく当代一の作者によってビジュアライズされた「魔界転生」のキャラクター、作品世界はやはり素晴らしい。

 宮本武蔵は、「山風短」の「剣鬼喇嘛仏」に登場した際の姿をなぞりつつも、老いたる鬼神とも評したくなるような、静かな、しかし鬼気を感じさせる佇まい。
 一方由比正雪は、まさに白面の(小)才子というに相応しい姿であります。
(森宗意軒のデザインは、ちょっと人外に偏りすぎな印象もありますが、せがわ山風漫画の老人キャラは大抵このラインですな)

 そして何よりも驚かされたのは、やはり天草四郎の魔界転生シーンであります。
 最初に正面からの構図で見た時には、正直なところ、もう少しクローズアップして描いても良いのでは? と思ったのですが、次のページで、女体を脱ぎ捨てる四郎の姿を横からの構図で描くとは――!

 魔界転生といえば、やはり女体を割って登場するという設定が強烈な故に、真っ正面からの構図をどうしてもイメージしてしまいますが、ここであえて横から見せることで、殻を割って再誕を遂げた四郎の動きを感じさせるのは、絵としてだけではなく、漫画として素晴らしい。
 そしてこの構図を、さらに水面に映ったように、画面の下半分にも逆転した形で描いたのは、彼の魂が、人間としての軛から放たれ、魔人のそれと化したことを示しているのではありますまいか。

 この画を見ることができただけで、今回は満足…というのは言い過ぎかもしれませんが、せがわ版「魔界転生」ここにあり、という絶好のアピールであることは間違いありますまい。
(もっとも、そこに至るまでに台詞が多いのは、これはこれで相変わらずの欠点ではあるのですが…)


 ちなみに基本的に原作を忠実に漫画化する作者ですがこの「十」においては、四郎とほぼ同時に転生するある人物の存在が省かれるという、かなり(作者にしては)大きな改変が行われています。

 これは、おそらく、四郎の魔界転生をより印象的に描く――言い換えれば、魔界転生=天草四郎というイメージを強調する――意図があるのかもしれません。
 もう一つ、その人物の没時期と、今回の舞台となる時期が、史実では少々離れているという矛盾が原作にはあったのを正すためではないかとも思うのですが…それはさておき。

 第一話にして、強烈な印象を残してくれた本作が、この先、敵の編成を――そして、それを相手とする者をいかに描いてくれるのか。月刊というペースが恨めしい、そんな作品であることは間違いありません。

「十 忍法魔界転生」(せがわまさき&山田風太郎 月刊ヤングマガジン連載)


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2012.08.10

「龍神村木偶茶屋」 二つの魔人と新たなる物語

 明治11年、熊野の漁村に、水死体の在処を見ることができる奇怪な少年・保がいた。しかしある晩、彼が見た者は、死体ならぬ鬼――加藤重兵衛だった。彼の故郷である龍神村の木偶茶屋に向かうという重兵衛に魅せられたように同行する保は、熊野の奥地で、この世ならぬものの数々を目撃し、そして…

 一度は昭和73年という「未来」までを舞台として完結しながらも、密やかに復活し、その作品世界を広げ続ける「帝都物語」と、前日譚たる「帝都幻談」そして「新帝都物語」。
 本作は、作者自らの「帝都物語」解題本と言うべき「帝都物語異録」に掲載された短編です。

 生まれながらに奇怪な眼力を持つ熊野の漁村の少年・保の前に現れたのは、遠く小笠原諸島から傷を負って帰還した加藤重兵衛――
 重兵衛を自分を導く存在と思い込んだ保、保との出会いを奇貨とした重兵衛、二人は、重兵衛の故郷であるという熊野奥地に向かうこととなります。
 神代の昔の姿を残す熊野にまでも吹き荒れる廃仏毀釈の嵐。しかしそんな中でも、人の手が触れることを(軍隊すら!)拒むという秘境、いや魔境龍神村のそのまた奥に存在するという木偶茶屋なる地――


 「帝都物語」の読者にとって、最も気になるのは、魔人・加藤保憲が、如何にしてこの世に生まれ出たか、という謎でしょう。そして「帝都幻談」「新帝都物語」の読者にとって、同じく気になるのは、もう一人の魔人・加藤重兵衛と保憲の関係でしょう。
 実にこの作品においては、その謎が――明確な形ではないにせよ――明かされることとなります。
(まあ、重兵衛と保憲の関係は、冒頭で容易に予想はつくのですが…)


 そして本作でその一端が明かされるのは、これらの、いわば過去の物語の掘り下げだけではありません。
 本作の冒頭で、加藤重兵衛は、深手を負った状態で、小笠原島から帰還いたします。

 そこで彼が何を行っていたか? 加藤が暗躍するのであれば、それは帝都を――この「日本」を破壊する試みにほかなりませんが、小笠原島で行われたそれが、何と南朝に関わるものであることが、本作では仄めかされるのです。
 なるほど、この国を破壊せんとする者にとって、もう一つの、隠され、忘れ去られた「日本」の頂点である南朝の存在は、見過ごせぬものであることは、むしろ当然かもしれません。

 しかしその南朝が小笠原島に繋がるとは、如何なる理由・理論によるものか…本作では、そこまでが語られることはありません。

 しかし作者は本書で、そしてその後も対談などで、南朝と小笠原にまつわる新たなる「帝都物語」の執筆を予告しています。

 魔人・加藤がこの国の破壊のために、ほとんど無限の命を保つがごとく…この国ある限り、「帝都物語」は生まれ続ける。
 加藤のルーツを描く本作は、同時に、この「物語」の未来すらも垣間見させるものであったと…そう言うことができるのでしょう。


 本作はその「物語」群を結びつけ、そして、加藤保憲と加藤重兵衛という二人の魔人を結び、さらに新たなる「物語」の存在を予見させてみせた、そんな驚くべき作品なのであります。

「龍神村木偶茶屋」(荒俣宏 原書房「帝都物語異録」所収) Amazon
帝都物語異録


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2012.08.09

「ナウ NOW」第3巻・第4巻 王道と今どきのコンビネーション!?

 刊行ペースに紹介が遅れて申し訳ありませんが、韓国の人気漫画家・朴晟佑による武侠活劇「ナウ(儺雨)」の第3巻・第4巻であります。四神武殺法を巡る戦いは、様々な怪人・達人を加えいよいよ白熱。意外な方面からの敵も出現して複雑さを加えていきます。

 伝説の達人にして殺人鬼・破軍星が遺した伝説の武功・四神武殺法。その秘伝書を巡る死闘が繰り広げられる中、武門の先輩に裏切られて深傷を負った少年・劉世河は偶然にその秘伝書を入手することになります。
 一方、秘伝を守ってきた謎の少年・沸流は、訳ありの家出少女・アリンと獣めいた言動の貂鈴の二人とともに、旅に出ることになって――というのが第2巻までのあらすじ。

 それを受けての第3巻では、第2巻では出番のなかった劉世河の辿る数奇な運命と、彼を掌中に収めた大悪人・鬼王母の怪人ぶりが描かれることとなります。

 信じていた者に裏切られ、同門たちが死に絶えた中、力こそ全てと考えるようになった劉世河。傷ついたところを偶然鬼王母に救われた(捕らえられた)彼は、実力では遙かに勝る鬼王母に取引きを持ちかけ、その間に四神武殺法に必要な内功の力を我がものにせんと試みます。そんな中、鬼王母に捕らえられたアリンの姉・娥蘭と、彼は運命的な出会いを果たすのですが――

 元は生真面目そうなだけに、一度ひねくれると大変そうな劉世河は、順調にマズい方向に進んでいるようですが、しかしそんな彼も全く及ばない強烈なキャラクターを見せてくれるのは鬼王母であります。
 恐るべき武功と邪悪な精神、さらに人体改造趣味とも言うべきものを持つ彼女は、殺人兵器少女とも言うべき「白狼犬」を作り出すべく実験を重ねるわ、天蚕糸なる奇怪な糸で囚われの娥蘭の手足を封じて自分では行動不能にするわとやりたい放題であります(男嫌いで周囲に仕えるのはほとんど全員女性というのがまた厭な変態性を感じさせます)。

 そんな鬼王母が支配する宮殿から逃れんとする劉世河と娥蘭は、しかし鬼王母に追い詰められて――
 というところで続く第4巻は、更なる達人怪人が登場して、正直に言って予想外の展開の連続。

 劉世河たちが絶体絶命の中、鬼王母の前に現れたのは、延烏郎なる壮漢と、月下浪なる美女のカップル。彼らこそは娥蘭・アリン姉妹の両親であり、そして延烏郎は殺法ではない四神武の伝承者…!
(そして何よりも、前作である「天狼熱戦」の主人公とのことなのですが、邦訳されていないのがまことに残念!)

 恐るべき達人同士の戦いの中、さらにその場に現れたのは明王神教の幹部にして仮面の天竺人(!)ガネーシャ。
 一方、旅を続けるうち、天竺人の少女・ニルヴァーナと出会った沸流一行は、それが元でやはり明王神教の遣い手・ダルマの襲撃を受けることとなります。

 本作は韓国の作家の手になるため、人名や固有名詞に韓国語の読みが付されていますが、あくまでも舞台は中国。そんな中で天竺――すなわちインド出身のキャラクターが登場するというのは、かなり意表をついていて実に面白い。
 私が知っている武侠ものはあくまでも邦訳等が出ているものに限られますが、それでもインドというのは非常に珍しいように思います。秘伝を巡る戦いがどこまでスケールアップするのか…全く予想がつかないだけに楽しみであります。

 そしてまた、興味深く感じたのは、二人の主人公の造形です。
 沸流は四神武殺法を会得しながらも、時に己の力を制御できずに暴走し、またある時にはアリンの前では力が出せぬと悩める少年。
 そして劉世河の方は上で述べたように、信じたものに裏切られたことから、力こそ全てという思想に染まっていくことになります。
 こうして見ると(こういう表現はいかがかと思いますが)なかなかに中二病的キャラクターなのですが、本作の基本設定がいかにも武侠ものの王道を行くものだけに、こうした主人公の設定は、かえって新鮮に映ります。

 王道と今どきの組み合わせ具合が、本作の特徴なのかもしれない…というのは現時点で早すぎる見方かとは思いますが、この辺りにも今後注目していきたいと思います。

「ナウ NOW」第3巻・第4巻(朴晟佑 新紀元社KENコミックス) 第3巻 Amazon/第4巻 Amazon
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2012.08.08

「笑傲江湖」 第13話・第14話 真ヒロイン登場!?

 まだまだ続く令狐冲の受難ロード。今回もひどい目に遭わされる令孤冲ですが、しかし彼の人生に決定的な影響を与える人物と(本格的に)出会うことになります。

 考えなしにもほどがある掌門のおかげで、文字通り路頭に迷った華山派一門。ここは江南なので洛陽は近いです、という地図を見ると頭を抱えたくなるような林平之の言葉に、彼の祖父であり洛陽の顔役である金刀王家の王元覇のもとに向かうことになります。

 一方、せっかく師匠や兄弟弟子たちを助けたものの、かえって周囲から浮く羽目になってしまった令孤冲は、師匠(の命を受けた年上の弟弟子・労徳諾)に見張られ、岳霊珊からは疑われてすっかりヤケに。
 宿の厩で酒をかっくらって寝ていると、そこに侵入してきたのは魔教の聖姑。令狐冲の持つ「笑傲江湖」の楽譜を奪わんとする彼女に対し、勝手に「紫霞功」秘伝書を盗ったと決めつけた令狐冲(アル中)は、大立ち回りを演じたりもしますが、結局宿の人間に騒がれたため、水入りとなります。

 と、その翌日、洛陽の金刀王家で彼らを待ち受けていたのは、常に片手で二つの金の玉をゴリゴリさせている(握力鍛えるために胡桃でやるような感じで)恰幅のよい老人・王元覇。実は本作のプロデューサーが演じているのですが、そんなことは全く感じさせない達者な演技であります。
 それはさておき、表面上は王元覇と二人の息子に歓待される華山派一門ですが、そこでも荒んだアル中が宴会で派手に酔っぱらったり、町の賭場でイカサマ呼ばわりした上に逆にリンチされたりと醜態を繰り返します。
 挙げ句の果てに、部屋で眺めていた「笑傲江湖」の楽譜を、「辟邪剣譜」と勘違いした王息子たちに取り押さえられてしまうのでした(ちなみにこの息子二人、江南の顔役のバカ息子たちということで、水滸伝の穆弘・穆春兄弟を思い出しました)。

 さて、なんだかんだで「辟邪剣譜」が欲しい王一家と、それ以上に欲しがっている岳不群に詰問される令狐冲ですが、そこで助け船を出したのは、華山派唯一の良識派で岳不群の妻・寧中則。
 これが剣譜か楽譜なのか、心得のあるものに見てもらおうと提案し、町外れに住む琴と蕭の名手だという変人・緑竹翁のもとに一行は向かうことになります。

 緑竹翁はこれを楽譜だと一目で見抜くも、自分には手に負えぬ難曲と「おば上」に演奏を頼みます。これで令狐冲の疑いは解けたわけですが、さすがにここまで疑われて彼の腹の虫も収まらない。そして何よりも、二人の達人が命を賭けて残した名曲を聴くことができたうれしさに、彼は一人、緑竹翁の家に残ることとなります。
(この件で、岳不群が、あたかも日曜日に妻の買い物につきあわされたお父さんのようなかったるそうな様を終始見せていたのが妙に印象に残りますな)

 ここで緑竹翁がおば上と呼ぶくらいだから、と、御簾の向こうの人物を「おばあさま」と呼ぶ令狐冲ですが、その正体は魔教の聖姑。そうとはつゆ知らず、彼は楽譜を「おばあさま」に気前良く譲ると申し出ます。
 そしてこの後に町に出た令狐冲は、「紫霞功」秘伝書を取り戻そうと、道行く顔を隠した女性一人一人に噛みつくという醜態を晒すのですが、もう見ていられないと、そこに現れたのは聖姑。
 「は、早く見つけてよね!」とツンデレ全開で令狐冲を挑発すると、激しい斬り合いになる二人。一人は鈍感で一人はツンデレ、ややこしい男女の斬り合いの結果は、わずかに上回った令狐冲の剣が、聖姑の腕を傷つけ、それとほぼ同時に体力切れとなった彼が気絶したことで、またも水入りとなります。

 令狐冲が目を覚ますとそこは緑竹翁の家。そこで彼は、「おばあさま」に、聖姑がだんだんただの敵に思えなくなってきたと語るのですが…御簾の向こうで聖姑様おそらく大コーフンのところで、次回に続く。


 ようやく本格的に登場してきた真ヒロイン・聖姑こと任盈盈。いかにも金庸ヒロインらしいわがままで剣呑なツンデレっぷりを見せる彼女ですが、令狐冲の運命を狂わせた「笑傲江湖」の楽譜が、彼女との出会いのきっかけとなるという物語はやはり実にうまいと思います。
 問題は、このドラマ版では今まで何度も令狐冲と聖姑が出会っていることなのですが…まあ、「おばあさま」はちゃんと年寄りの声を作っているし、御簾の向こうなので、令狐冲は気づかないということなのでしょう。そう思いましょう。

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2012.08.07

「拳侠 黄飛鴻 満州編」 歴史の中の黄飛鴻

 少年時代に師事した武当派の達人・葛月潭に招かれ、満州に向かった黄飛鴻。そこで飛鴻は、奉天北大営を占拠する馬賊・藍天蔚に、密かに北京から逃れてきた光緒帝が捕らわれたことを聞かされる。同じく満州を訪れていた若き天才武術家・植芝盛平、張作霖らとともに、皇帝救出に向かう黄飛鴻だが…

 実在の武術家・医師にして、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」(以下「ワンチャイ」)などの映画でも知られる黄飛鴻を主人公とした歴史活劇シリーズの第2弾「拳侠黄飛鴻 満州編」であります。

 前作では孫文を守るために日本に現れた黄飛鴻ですが、本作では日露戦争直前の満州の大地で活躍を繰り広げることとなります。
 腐敗しきった清朝の支配も形だけのものとなり、日本とロシアがそれぞれ組織したいわゆる「謀略馬賊」が激しい暗闘を繰り広げる満州。
 その満州にある武当派拳法の聖地・千山無量観の葛月潭老師から、黄飛鴻に来訪を請う手紙が届く場面から物語が始まります。

 少年時代、父とともに各地の達人を求めて旅を続ける中で老師と出会い、手ほどきを受けた黄飛鴻。義理堅い彼にとって老師からの招きは何よりも優先されるもの。戦地に等しい地に向かうことに難色を示す周囲の反対を押し切って、黄飛鴻は満州に向かいます。
 かの地で早速襲いかかってきた若き日の張作霖率いる馬賊を蹴散らして味方につけ、千山に到着した飛鴻が聞いたのは、意外極まりない秘事。
 かの西太后により北京に幽閉されていたはずが、密かに満州に逃れてきていた光緒帝が、しかしこの地で猛威を振るう馬賊・藍天蔚に捕らえられてしまったというのです。

 飛鴻は、偶然満州を訪れていた――そして老師の占いによれば、飛鴻とともに大命を果たすことになるという――植芝盛平とともに武当派の奥義、すなわち太極拳の秘伝を伝授された上で、皇帝救出に向かうことになるのですが…
(ここで、合気道の祖を太極拳の本場に登場させるという趣向が心憎い)

 前作(そして続編)に比べると、拳法ものとしての派手さは一歩譲るものの、歴史ものとしてはなかなかに興味深い本作。
 何よりも、日露両国が互いに馬賊を味方に引き入れて特殊工作を繰り広げ、そこに自衛団的性格を持つ本来の馬賊も加わって三つ巴のような状況となった満州という舞台が面白い。
 正直なところ、恥ずかしながらこの時代の満州の歴史には暗く、本作で描かれた世界がどこまで史実を踏まえたものかは、私にはわかりかねます。
 しかし、一種の聖域としての武当山が、満州の民衆を守る正当馬賊の拠り所となっている設定には大いにうなづけるものがありますし、そこに光緒帝の誘拐という一大フィクションを加えることにより、その三つ巴の状況が爆発寸前の状況となるというのは、実に面白いアイディアだと思います。

 そしてそんな混沌たる状況の中で、黄飛鴻の置かれる状況も、複雑で、いささか皮肉なものとなるのも面白い。
 前作で描かれたように、本シリーズの黄飛鴻は孫文の親友であり、彼の活動を間接的に支援する立場。その一方で彼はドラスティックな改革は望まず、そしてその特徴的な辮髪が示すように、あくまでも清国の伝統を重んじる面も強く持ちます。

 そんなある種複雑な立場にある彼が皇帝を救出しに向かうのは何故か?
 …という点はさまで掘り下げられているわけではないのですが、しかしその答えはまさに「拳侠」の名にふさわしいものであり、黄飛鴻の行動原理として納得できるものであったかと思います。

 黄飛鴻の人格があまりにも完成しすぎていていささか面白みに欠ける(こうして見るとワンチャイの人間が出来てない黄飛鴻像はきちんと計算されていたのだなあ、と)こと、その分、植芝盛平が未熟に描かれてしまって割りを食ってしまった感があるのは残念ではあります。
 同様にアクションシーンも、黄飛鴻が強くなりすぎて緊張感に欠ける部分もあるのがまた事実(ラストの夢の対決も、文章で見ると今ひとつなのが惜しい)。

 それでもなお、伝奇的な味付けの中で、歴史の中の黄飛鴻の立ち位置というものを見せてくれた本作は、実に魅力的に感じられるのであります。

「拳侠 黄飛鴻 満州編」(東城太郎 中央公論新社C・NOVELS) Amazon
拳侠 黄飛鴻 満州篇 (C・NOVELS)


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2012.08.06

「魔王信長」第3巻 歴史に埋もれた子供たちの反撃

 悪魔と取引して得た力により、破竹の勢いで勢力を伸張していく信長。だが、そんな彼の敵とも言うべき存在が現れようとしていた。奇妙丸・佐助・徳川信康・万福丸・胡蝶――フロイスの十字架に導かれるように集まった五人の少年少女は、比叡山を包む炎の中、ついに信長と対峙する。

 風野真知雄の幻の時代伝奇活劇「魔王信長」第3巻にして(今のところ)最終巻であります。

 自らの魂を悪魔に売り渡したことにより、不死身の肉体と様々な超常能力を得た信長。道三・義元・信玄と、様々な異能を持つ戦国大名たちと一対一の激突を繰り広げた末に戦国大名として頭角を現すようになった信長は、その勢いで次々と周囲を平らげていきます。
 その、まさしく魔王とも言うべき力の前に抗することの出来る者などいないのでは…と思われたところで、彼の敵となるべき者たちが、この巻でついに姿を現すこととなります。
 それはまだ幼い五人の少年少女――
 信長の長男で数奇な生まれを経た念動力の持ち主・奇妙丸。
 行方不明となっていた秀吉の子で、親譲りの身軽さを見せる佐助。
 家康の長男ながら築山殿に虐待され、鬱屈を酒と剣に求めた徳川信康。
 浅井長政とお市の間に生まれた自閉症気味の少年・万福丸。
 服部半蔵と伊賀一のくノ一の間に生まれながらも虚弱児の胡蝶。

 彼ら五人は、フロイスが奇妙丸に与えた不思議な十字架(フロイスがこの十字架を手にするに至った物語は軽くほのめかされるだけですが、それがまたとんでもないものの予感!)に導かれるように「仲間」として集まり、共通の敵である信長との対決を誓うこととなります。

 本作のラストにおいて、かの比叡山延暦寺焼き討ちの凶行に至った信長と、彼ら五人が最初の対峙を果たすのですが――しかし、ここで物語は途絶し、以来、現在に至るまで続編は書かれておりません。


 と、非常に残念な状況にある本作ですが、しかしその面白さは――YA向け作品であったり、作者の実質デビュー作であるという一種の制約を除いても――今なおはっきりと感じられます。

 既に何度か述べましたが、本作のユニークな点の第一は、信長をはじめとする超人的戦国武将が、そのそれぞれに異なるバックグラウンドで得た異能で以て、一対一の対決を繰り広げる点にあります。
 今現在においては、そうした一騎当千の超人武将たちの戦いは、ゲーム等ですっかりお馴染みとなっていますが、本作が執筆された当時においては、それは相当に斬新なものであったのではありますまいか。
 その意味では、早すぎた作品と言えるかもしれません。

 そしてもう一つ、魔王信長に対抗するのが、異能こそ持つものの一人一人ではまだ未熟な子供たちであり、そして何よりも、彼らが戦国史上の有名人たちを親に持ちつつも、自身はその陰に隠れるような形となっているのが、実に興味深い。
 いわば親世代が陽とすれば、彼ら子世代は陰。強大な敵に対するのが日陰者であり、歴史に半ば埋もれた者(完全に架空の人物と思われる者もおりますが)というのは、デビュー以来一貫して、敗者・弱者の側から物語を描いてきた作者らしい構図ではありませんか。


 今を先取りしたような斬新な設定と、今も変わらぬ作者ならではの視点――仮に本作の続編が今の作者の手で書かれることがあれば、と想像するのは、愚かなことではありますが、実に魅力的です。

 本作のあとがきで、作者は、馬琴が八犬伝を完結させるのに二十八年かかったことを挙げて、本作もまたいつか完結することがあるかもしれないと述べています。
 本作が発表されてから今まで十八年。もし本作の続きが読めるのであれば、あと十年くらい待つのはさして辛くはないのですが。

「魔王信長」第3巻(風野真知雄 小学館スーパークエスト文庫) Amazon


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2012.08.05

「いだ天百里」 自由の民が見た最後の戦国

 地を撫でるように山中を移動することから「撫衆(なでし)」と呼ばれる山の民。主家が滅んで撫衆に身を投じた半ベエとその恋人のお狩ら撫衆たちは、山から山へ自由な暮らしを送っていた。しかし時あたかも徳川家と豊臣家の対立が激化する慶長年間、撫衆たちもその渦中に巻き込まれることに――

 先日、山田風太郎の少年小説「地雷火童子」を紹介いたしましたが、そのリライト元(が収録されているの)が本作「いだ天百里」です。

 撫衆(なでし)と呼ばれる山の民の一員である半ベエとお狩のカップルの活躍を描く本作は、以下の五つのエピソードからなる連作集であります。
 大久保長安の愛妾による残酷な人間狩りに対する撫衆たちの復讐を描く「死の谷の巻」
 淀君を呪詛する狂信的な山伏たちと撫衆たちの対決編「狂天狗の巻」
 徳川家と豊臣家の開戦を前に、撫衆を自陣に引き込もうとする隠密同士の暗闘を描く「六連銭の巻」
 江戸で地雷火を爆発させんとする幸村一党とそれを阻まんとする徳川の隠密、さらに奇怪な山伏の暗闘に巻き込まれた半ベエたちの死闘旅「地雷火の巻」(地雷火童子の原作)
 仲間を殺し市中で悪事を繰り返す元撫衆の怪奇無惨な所業とその顛末「地獄蔵の巻」

 ほとんどの作品に歴史上の有名人が、それも意外な形で登場し、活躍する楽しさもさることながら、やはり本作で注目すべきは、主役として、撫衆という存在が設定されていることでしょう。

 山から山へ渡り歩き、猟や細工作りで暮らし、里の法やしきたりに縛られない自由の民・撫衆。
 その存在はいわゆる「サンカ」と同じものとして構想されているかと思いますが(彼らの武器としてウメガイが登場しますし、本作の旧題も「山刃夜叉」であります)、しかし本作の視点は、民俗学的なアプローチではなく、「武士たちとは異なるルールを持ち異なる世界に生きる人々」の代表として、撫衆を描いているやに感じられます。

 本作は、慶長年間という、まさに最後の戦国武士同士の戦いが行われようとするその時に、彼らとは異なる存在から歴史を眺めてみせる、という構図にあると言えるのではないかと感じます。

 もっとも、それはあくまでもそういう構図に見える、というレベルに留まっており、確かに撫衆と武士の接触・衝突が物語の発端であったり中心であったりするものの、それ以上に踏み込んだ視点はほとんど見られません。
(特にラストの「地獄蔵の巻」は、歴史上の人物も登場しない、エログロな猟奇色の強いエピソード)

 この辺りは掲載誌的にも作者のキャリア的にも色々な制限・限界があったのではないか…というのは、もちろん私の邪推であります。
 邪推ついでに言えば、後の作者であれば、巨大な歴史のうねりの中で、自由の民が衰退し、滅んでいく様が描かれたのではありますまいか?


 ちなみに本作において興味深いのは、撫衆と武士を対置させつつも、しかし直接撫衆に害を及ぼすのは、ほとんどの場合、元撫衆、撫衆の掟を捨てた者である点であります。
 本来であれば同じ立場にある者同士が傷つけ合い、殺し合うというのは、これは後の忍法帖に通じる構図であり――その意味では、なるほど、一面「忍法帖」の先駆と言っても良いのかもしれません。

「いだてん百里」(山田風太郎 徳間文庫「白波五人帖・いだてん百里 山田風太郎妖異小説コレクション」ほか所収) Amazon


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 「山田風太郎少年小説コレクション 2 神変不知火城」 山風幻の時代伝奇活劇!

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2012.08.04

作品集成更新

 このブログ・サイトで扱った作品のデータを収録した作品集成を更新しました。本年4月から7月までのデータを追加・修正しています。
 今回も更新にあたっては、EKAKIN'S SCRIBBLE PAGE様の私本管理Plusを使用しております。
 今回は既登録のデータについてはあまりいじっていないのですが、今後も少しずつでも充実させていきたいと思います。

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2012.08.03

「山田風太郎少年小説コレクション 2 神変不知火城」 山風幻の時代伝奇活劇!

 論創社は、特に海外小説好きにとって有り難い出版社でありますが(個人的には「グランダンの怪奇事件簿」を刊行してくれたのが本当に嬉しかった)、レトロ時代小説ファンにとっても、まことに有り難い出版社であったようです。
 というのも、今回論創社から刊行された「山田風太郎少年小説コレクション」には、単行本未収録の二編の中長編時代小説が収録されているのですから…
(ちなみに第1巻はミステリ中心。この第2巻にも「青春探偵団」の未収録作を初めとしたミステリも収録されておりますが、ここでは中長編時代小説のみを取り上げさせていただきます)

 まず一作目は「地雷火童子」。
 徳川方と大坂方の開戦が迫る中、家康に最も恐れられた男・真田幸村は、「地雷火を京都から江戸に運び家康の目の前で爆発させる」と宣言。真田大助と美少女・月絵、そして野生児の小源太少年は、幸村の命を受けて江戸に向かいます。
 それを阻まんと追いかけるのは、徳川方の隠密五人組と、謎のてんぐ山伏九人衆。小源太は徳川の隠密に祖父を殺され、そしててんぐ山伏は、実は小西行長の娘であり、父の残した財宝の在処を知る月絵を虎視眈々と狙い…
 かくて、地雷火の行方に加えて復讐劇と財宝探しまで絡んだ波瀾万丈のロードノベルが展開されることになります。

 実は、本作は同じ作者の時代小説「いだてん百里」のうち「地雷火百里」の子供向けリライトと言うべき作品です。
 ではあるのですが、元の筋立ては変わらぬまま、ディテールをシンプルにしたことがかえって良い効果をあげている印象。毎回手を変え品を変え繰り広げられる地雷火争奪戦(というよりむしろ探索戦とでも言うべきでしょうか)とその意外極まりない結末の面白さは、むしろ本作の方が際だって感じられるかもしれません。
(というより、結末の爽快感は明らかにこちらが上ではないでしょうか?)


 そしてもう一編は、「神変不知火城」であります。不知火燃える九州を舞台に、原城の秘密を記した秘図を巡って善魔入り乱れた争奪戦が描かれることとなるのですが、登場人物が凄まじい。
 小西行長の孫・天草四郎とその配下で幻術使いの森宗意軒と孫娘のお夢、暗愚の暴君・松倉重治を背後で操る妖術使いの由比正雪と相棒の丸橋忠弥、原城秘図を残した父を重治に殺された少年・塚本伊太郎(後の幡随院長兵衛)、謎の盗賊団・孔雀組と白頭巾の首領、そして実は生きていた真田幸村と 猿飛佐助主従――
 いやはや、いくら!マークを用意しても足らない、こうして列挙するだけでもテンションが上がる、素晴らしい顔ぶれではありませんか。

 秘図の争奪戦というのはこの手の時代活劇の定番(秘図が冒頭で二つに裂け、それぞれ別の勢力に渡るのもまた定番)ではありますば、島原の乱前夜という歴史的背景を置いて、歴史上の有名人を中心に、冒頭からラストまでノンストップの争奪戦が繰り広げられるというのは実に楽しい。
 この手の作品が好きで仕方ない私のような人間にはたまらない作品であります。

 もっとも、作者の経歴の中では最初期の長編時代小説(おそらく最初の作品?)ということもあってか、山風らしさは薄目ではありますし、何よりも物語半ばで「前篇・終」と未完になっているのは残念なところ。

 しかし、後年の作品でしばしば顔を出す由比正雪や森宗意軒がこの頃から活躍しているのは何とも興味深い――
 というより、山風ファンとしては何よりも、天草四郎・宗意軒・正雪の揃い踏みとくれば、どうしても「魔界転生」を思い浮かべてしまうわけで、本作が原点、などというのは明らかに言い過ぎですが、やはり楽しく感じられるではありませんか。


 以上二編、そして併録された少年ミステリも含めて、さすがに万人に勧めるものではありませんが、作者の大ファンであれば、やはり一度は目を通しておきたい作品集であります。

「山田風太郎少年小説コレクション 2 神変不知火城」(山田風太郎 論創社) Amazon
山田風太郎少年小説コレクション 2 神変不知火城

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2012.08.02

「娘同心七変化 謎の黄金観音」 娘同心が守るべきもの

 神出鬼没の凶悪な盗賊・幻組を追う北町奉行所の娘同心・古手川美鈴は、幻組の次の狙いが悪徳商人と結ぶ普請奉行の家に伝わる黄金観音像だと知る。さらに観音像を狙う謎の一団も加わった大乱戦の中、美鈴の前に、幻組頭領の娘で二本鞭の使い手・血桜お煉が立ち塞がる。果たして黄金観音の秘密とは…

 北町奉行所の見習い同心・古手川鈴之助こと、娘同心・古手川美鈴が帰ってきました。
 町の柔術道場の娘で強い正義感の持ち主の彼女は、偶然将軍家斉の若君を救った褒美代わりに町方同心になることを望み、かくて生まれたのは前代未聞の娘同心(といっても表向きはあくまでも男装しているのですが…)。 その正体を知る数少ない人間である熱血同心・石見新三郎と岡っ引きの源蔵親分らとともに、彼女は得意の七変化を駆使して、彼女は江戸を騒がす様々な悪と対決するのであります。

 そのシリーズ第2弾である本作に登場するのは、盗人ややくざを脅してはその上前をはね、拒む者は容赦なく殺すという残虐非道な盗賊・幻組。その探索を命じられた美鈴と新三郎は、やがて、悪徳商人・南部屋と結んだ勘定奉行・浅井弾正が秘蔵する曰くありげな黄金観音を巡って、幻組・南部屋一派・そして黄金観音を追う謎の一団と、三つ巴、四つ巴の乱戦を繰り広げることとなります。

 作者が大の男装美少女好きであることは、前作の感想などでも触れましたが、本作ではそれに加えて、これまた作者が大好きな凶悪な美女である血桜お煉が登場。
 幻組頭領の娘であり、二条の南蛮鞭の達人であるお煉(当然ながら、非常にサディスティックな性格であります)と美鈴の激突は、言うなれば凶女vs聖女の対決ですが、どちらも作者の思い入れがあるだけに、実に生き生きとした活躍を見せてくれます。
(もう一人、レギュラーキャラのナイスバディで気っ風の良い女やくざであるジャガタラお千姐さんも、実によいツンデレっぷり…じゃなくて女侠ぶりを披露してくれるのも楽しい)

 つまりは本作も作者がノリにノって書いた作品であることは明確なのですが、しかし本作は、それだけに留まるものではありません。
 町方同心、すなわち法の体現者として活躍する美鈴。しかし本作において彼女は、幕府の法では悪とされながらも、しかし彼女自身の想いとしては、単純にそうとは決めきれない人々と出会います。
 果たして彼女が従うべきは、守るべきは何なのか。盗賊や殺人鬼といった、明快な悪人を相手にするのとは異なる難問に、彼女は直面することとなります。

 もちろん、本作はあくまでも痛快エンターテイメントであり、善悪二元論を根底から問う、という趣向の作品ではありません。
 本作のラストの美鈴の痛快な名乗り「私は、女子供や弱い者にひどいことをする悪党を絶対に許さない者……北町奉行所定町廻り新米同心見習い、古手川鈴之助だっ!」に見られる結論も、単純といえば単純であり、周囲のある意味物わかりの良い善意に支えられたものであることは否めません。

 しかし、単純明快なエンターテイメントであるからこそ、描ける真実もまたあります
 そして、娘にして同心という、異なる二つの世界に身を置く者だからこそ、語れる言葉もあります。

 前作、そして「ご存じ大岡越前」と、最近の作者は、法とその番人がいかにあるべきかということを、作品の中で追求しているように感じられます。
 そしてその試みは、本作でも同様なのであります。


 と、小難しいことを書いた後になんですが、鳴海作品にはお馴染みの笠井あゆみによる表紙絵の美鈴は文句なしに可愛い。本当に可愛い。
 あまりに可愛すぎるのも男装同心としていかがなものかと思いますが、もちろんこれはこれで大いにアリなのであります。

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2012.08.01

「笑傲江湖」 第11話・第12話 不幸は坂道を転がり落ちるように

 前回のラストで桃谷六仙のおかげで内力ズタズタの大ダメージを負わされてしまった令狐冲。彼の長きに渡る負傷ロードの始まりですが、しかしそれに加え、これから坂道を転がり落ちるように様々な不幸が彼を襲うことになります。

 瀕死のダメージを負い、息も絶え絶えの令狐冲。師の岳不群が習得した奥義・紫霞功であれば治せるようなのですが、岳不群はもったいぶってなかなか使おうとしません。

 そんな中、剣術流や嵩山派の襲撃を受けたことから、岳不群夫妻は、一度流派を挙げて華山を離れ、嵩山派の左冷禅を面詰することを思い立ちます。
 一番安全な総本山を離れて敵地に赴くというのは、どういう戦略なのかさっぱりわかりませんが、掌門が言い出したことに反対できるわけもなく(ただし、その分のヘイトは、林平之に向かうのですが)、華山派は下山することに…

 と、そこでほとんど身動きできない令狐冲は置いてけぼり。ただ一人、妙にねちっこく彼につきまとう弟弟子・陸大有を残して一行は旅立ってしまうのですが…ここで岳霊珊がトラブルメーカーの面目躍如たる行動を。
 紫霞功を習得すれば令狐冲も助かる、と父から秘伝書を盗み出し、それを令狐冲の元に置いてきてしまいます。秘伝書を盗み見るなんて、と病んでも義理堅い令狐冲は、何も考えずに秘伝書を読み上げようとする陸に点穴を食らわせて、その場から飛び出すのですが、そこで出会ったのは今回の騒動のある意味首謀者とも言える儀林の父・不戒和尚。

 大体において武林の好漢というのは人の話を聞かず、早飲み込みで誤解する人間が多いですが、和尚はまさにその典型。可愛い娘のため、令狐冲をかっ攫って婿にしようとしたのが回り回って彼に重傷を負わせることとなったのですが、そんな事情は完璧にスルーして、強引に自分の二つの気を注ぎ込んで、令狐冲を治療してしまいます。
 おかげで令狐冲は、見た目は良くなったように見えますが、体内には八つの気が混在するという一触即発状態に…

 さらに不幸は続きます。娘が秘伝書を持ち出したことを知って血相変えた岳不群が現れたことで傍迷惑な父娘から救われた令狐冲ですが、陸大有の所に戻ってみれば、彼は冷たい骸と化し、しかも秘伝書は行方不明に!
 状況証拠的には、どう見ても令狐冲が秘伝書目当てにウザい弟弟子をアレしました、としか見えないわけで、さすがの岳不群の君子面もかなりピキピキきております。

 それでも今は非常時というわけで、何とか許されて同行することとなった令狐冲。しかし、途中、空き屋敷に泊まる華山派一行を、謎の覆面集団が襲います。
 狼牙棒を持った首領に率いられた一団はやたらと強い。豪雨の中に繰り広げられる戦いの中、華山派は追い詰められ、ついに岳不群以外は点穴されて人質に。それでも屈せず戦う岳不群も、多勢に無勢、ついに点穴されてしまいます(奥義使えばいいのに…)。

 さらに間が悪いことに、そこに剣術流と嵩山派まで出現。辟邪剣譜は岳不群の妻か娘が持っているに違いないと覆面首領が(たぶんゲス顔で)誰得なことを言い出したその時――無駄にエコーのかかった声で飛び込んできたのは、ようやく体力の戻ってきた我らが主人公。
 「独孤九剣!」「破剣式!」と技の名前を必殺技チックに叫びながら剣を振るう令狐冲は強い強い。豪雨の中大暴れする令狐冲の剣戟は、水をはじき、無数の剣が舞うなかなかセンスのある合成と相まって実に格好良い名シーンであります。

 そして剣術流の剣を砕き、覆面集団の目を全て斬るという絶技を見せた令狐冲ですが、そこで令狐冲のスタミナもゼロに。その隙に敵には逃げられてしまうのですが…
 そこに残されたのは、体力切れの令狐冲と、点穴を食らって動けない岳不群以下、華山派の面々。
 ここで皆が令狐冲の健闘と彼の剣技を讃えれば気持ち良く終わるのですが、弟子たちの前で手も足も出ず敗れた上に、その相手を一番弟子に倒されて面目丸潰れの岳不群は、令狐冲を白い目で迎えます。
 この手のタイプの人間は、自分が恥をかかされると逆恨みするものですが、そろそろ「君子剣」の名も怪しくなってきました。いや、本ッ当に器が小さいな、この人は!

 師から白眼視され、弟子たちもよそよそしく、温かく迎えてくれたのは母とも慕う岳不群の妻だけ…
 猛烈に後味が悪い展開で、次回に続くのであります。

 しかしこの作品のヒロインには(今回久々に登場した聖姑も含め)ロクな親父がいませんな…

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