「拳侠 黄飛鴻 満州編」 歴史の中の黄飛鴻
少年時代に師事した武当派の達人・葛月潭に招かれ、満州に向かった黄飛鴻。そこで飛鴻は、奉天北大営を占拠する馬賊・藍天蔚に、密かに北京から逃れてきた光緒帝が捕らわれたことを聞かされる。同じく満州を訪れていた若き天才武術家・植芝盛平、張作霖らとともに、皇帝救出に向かう黄飛鴻だが…
実在の武術家・医師にして、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」(以下「ワンチャイ」)などの映画でも知られる黄飛鴻を主人公とした歴史活劇シリーズの第2弾「拳侠黄飛鴻 満州編」であります。
前作では孫文を守るために日本に現れた黄飛鴻ですが、本作では日露戦争直前の満州の大地で活躍を繰り広げることとなります。
腐敗しきった清朝の支配も形だけのものとなり、日本とロシアがそれぞれ組織したいわゆる「謀略馬賊」が激しい暗闘を繰り広げる満州。
その満州にある武当派拳法の聖地・千山無量観の葛月潭老師から、黄飛鴻に来訪を請う手紙が届く場面から物語が始まります。
少年時代、父とともに各地の達人を求めて旅を続ける中で老師と出会い、手ほどきを受けた黄飛鴻。義理堅い彼にとって老師からの招きは何よりも優先されるもの。戦地に等しい地に向かうことに難色を示す周囲の反対を押し切って、黄飛鴻は満州に向かいます。
かの地で早速襲いかかってきた若き日の張作霖率いる馬賊を蹴散らして味方につけ、千山に到着した飛鴻が聞いたのは、意外極まりない秘事。
かの西太后により北京に幽閉されていたはずが、密かに満州に逃れてきていた光緒帝が、しかしこの地で猛威を振るう馬賊・藍天蔚に捕らえられてしまったというのです。
飛鴻は、偶然満州を訪れていた――そして老師の占いによれば、飛鴻とともに大命を果たすことになるという――植芝盛平とともに武当派の奥義、すなわち太極拳の秘伝を伝授された上で、皇帝救出に向かうことになるのですが…
(ここで、合気道の祖を太極拳の本場に登場させるという趣向が心憎い)
前作(そして続編)に比べると、拳法ものとしての派手さは一歩譲るものの、歴史ものとしてはなかなかに興味深い本作。
何よりも、日露両国が互いに馬賊を味方に引き入れて特殊工作を繰り広げ、そこに自衛団的性格を持つ本来の馬賊も加わって三つ巴のような状況となった満州という舞台が面白い。
正直なところ、恥ずかしながらこの時代の満州の歴史には暗く、本作で描かれた世界がどこまで史実を踏まえたものかは、私にはわかりかねます。
しかし、一種の聖域としての武当山が、満州の民衆を守る正当馬賊の拠り所となっている設定には大いにうなづけるものがありますし、そこに光緒帝の誘拐という一大フィクションを加えることにより、その三つ巴の状況が爆発寸前の状況となるというのは、実に面白いアイディアだと思います。
そしてそんな混沌たる状況の中で、黄飛鴻の置かれる状況も、複雑で、いささか皮肉なものとなるのも面白い。
前作で描かれたように、本シリーズの黄飛鴻は孫文の親友であり、彼の活動を間接的に支援する立場。その一方で彼はドラスティックな改革は望まず、そしてその特徴的な辮髪が示すように、あくまでも清国の伝統を重んじる面も強く持ちます。
そんなある種複雑な立場にある彼が皇帝を救出しに向かうのは何故か?
…という点はさまで掘り下げられているわけではないのですが、しかしその答えはまさに「拳侠」の名にふさわしいものであり、黄飛鴻の行動原理として納得できるものであったかと思います。
黄飛鴻の人格があまりにも完成しすぎていていささか面白みに欠ける(こうして見るとワンチャイの人間が出来てない黄飛鴻像はきちんと計算されていたのだなあ、と)こと、その分、植芝盛平が未熟に描かれてしまって割りを食ってしまった感があるのは残念ではあります。
同様にアクションシーンも、黄飛鴻が強くなりすぎて緊張感に欠ける部分もあるのがまた事実(ラストの夢の対決も、文章で見ると今ひとつなのが惜しい)。
それでもなお、伝奇的な味付けの中で、歴史の中の黄飛鴻の立ち位置というものを見せてくれた本作は、実に魅力的に感じられるのであります。
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