「向ヒ兎堂日記」第1巻 怪異消えゆく明治の妖怪人情譚
文明開化の頃、世間では違式怪異条例が施行され、妖怪や怪談関係の事物は取り締まられ、没収されていた。そんな時代に逆行して妖怪関係の書物を隠れて収集する貸本屋「向ヒ兎堂」の主人・兎崎伊織には、妖怪を見て触ることができる力があった。彼のもと、今日も妖怪たちの悩みが寄せられる…
「コミックバンチ」誌で連載中の鷹野久「向ヒ兎堂日記」の第1巻が発売されました。
妖怪・怪談にまつわる本ばかりが集められた貸本屋を営む眼帯の青年・伊織が、化狸の千代、猫又の銀らとともに、妖怪たちにまつわる事件を解決していく…
と書くと活劇に見えるかもしれませんが、もちこまれる事件といえば、空を飛べるようになっって金魚鉢に戻れなくなった金魚を助けたり、迷子になった座敷童を元の家に連れて帰ったりと、どこか呑気なものばかり。
いわば妖怪人情話というべきストーリーが、本作が初単行本の作者の柔らかなタッチで描かれていきます。
…が、正直なところ、妖怪ものも、古書店もの(古道具屋や骨董屋ものも含めると特に)も、今では珍しい題材ではありません。特に妖怪と同居というのは、漫画だけではなく小説でも、現在数々の作品が発表されている題材であります。
と、そこで注目されるのが本作ならではの独自性なのですが――それは世界観でありましょう。
本作で描かれる明治時代は、妖怪や怪談といった人ならざるものにまつわる怪異が、官憲によって取り締まられている時代。「違式怪異条例」なる法令により、この世から怪異が消し去られようとしている世界なのです。
もちろん(少なくとも私の知る限りでは)「違式怪異条例」は本作の創作物、おそらくは同じ頃に制定された今の軽犯罪法に当たる「違式カイ違条例(カイは言+圭)」をもじったものでしょう。
しかしながら、文明開化を迎えたばかりの日本に、古きものを(今の目からすれば闇雲に)排斥していこうという空気があったのは事実。本作でも触れられている廃仏毀釈令や天社禁止令(陰陽道廃止令)のように、国家によって、古き信仰・習俗が取り締まられていったのは紛れもない史実であります。
その点に着目して、一定の緊迫感を漂わせてみせたのが、本作の独自性と言うべきでしょう。
向ヒ兎堂で扱われている書物は、いわば全て禁書。(作中のエピソードでも描かれているように)違式怪異取締局の巡査がいつ踏み込んでくるかわからない状況であり、ましてや本物の妖怪が見つけられでもしたら…と。
さらに――第1巻の時点ではまだ明らかにはなっていないものの――この設定が単なる舞台背景に留まらないものらしいのも興味を惹きます。
どうやら単純な取り締まりのみが目的ではないらしい条例の、取締局の背後にあるものは何なのか…?
そしてそれが、伊織と兎堂にまつわる謎――何故伊織が妖怪を見て触れることができる能力を持っているのか、かつては病院だった兎崎家が、何故古書店となっているのか、そして、作中の人物による兎崎家にいたのは娘だったはずという言葉の意味――におそらくは絡んでいくこととなるのでしょう。
日常の事件と世界観にまつわる謎。二つの要素がバランス良く絡み合った展開を、この先期待したいところです。
「向ヒ兎堂日記」第1巻(鷹野久 新潮社バンチコミックス) Amazon
| 固定リンク
コメント