「陰陽師 酔月ノ巻」 変わらないようでいて変わり続けるということ
今年でなんと25周年という夢枕獏の「陰陽師」シリーズ。その最新巻である「陰陽師 酔月ノ巻」が発売されました。今回も変わらず、楽しく、恐ろしく、美しく、そして哀しい世界が展開されています。
今回収録された作品は「銅酒を飲む女」「桜闇、女の首。」「首大臣」「道満、酒を馳走されて死人と添い寝する語」「めなし」「新山月記」「牛怪」「望月の五位」「夜叉婆あ」の全9作。
ほとんどのエピソードは、いつものフォーマット――屋敷で酒を酌み交わしていた晴明と博雅のところに奇怪な事件が持ち込まれ、
「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになったのである
というあれ――に則った展開ではあるのですが、これまでも述べてきたように、むしろこれは安心の展開。
いつもの二人が、いつものように怪事に挑む…その心地よさが、本書には、本シリーズにはあります。
…と申し上げたばかりで恐縮ですが、本書で目を引くのは、そのフォーマットから外れた、いやそれどころか晴明も博雅も登場しない、あの蘆屋道満が主人公のエピソードがあることであります。
それが「道満、酒を馳走されて死人と添い寝する語」。
常日頃から信心厚く奇瑞を起こしていた男がつまらぬことでぽっくりと亡くなり、その葬列の前に道満が現れたことから、事態が思わぬ方向に転がっていく物語であります。
本シリーズにおける道満は、正でもなく邪でもなく、強いていえば気儘としか言いようのない言動を見せる怪人物ですが、本作においても果たして何を考えているのかわからぬ行動を見せるうちに、事件を解決しているのが面白い。
かと思えばその前の「首大臣」では、人の心の闇を啖って生きるなどと自称してメフィストフェレス的な役回りを見せており、本シリーズにおいて良いアクセントになっていることは間違いありません。
(ちなみに「夜叉婆あ」でも道満の人助けがあるのですが、こちらは物語自体が少々小粒の印象)
そしてもう一作品、本書で驚かされたのは、「新山月記」であります。
己の才能を恃む倨傲な男が、世に受け入れられることなく狂気して姿を消し、白楽天の詩を吟ずる虎となって都の人々を食らうようになる。ある晩、その虎と出会ったのは男の親友だった者で…
という本作は、題名からも一目瞭然のように、中島敦の「山月記」を下敷きにしたもの。
というより、原典では中国の唐が舞台だったものを、日本の平安京に移しただけではないかと、その意味でも驚かされるのですが、しかし本作は、結末近くで原典にはない、ある展開をみせることとなります。
その詳細についてはもちろんここでは述べませんが、どこまでも皮肉で、残酷で、そして哀しい展開は、思わず天を仰ぎたくなるようなもの。
実は晴明と博雅はほとんど傍観者に近い役回りなのですが、個人的には本書の中で最も印象に残った作品であります。
変わらないようでいて、少しずつ変わり続けてきた本シリーズ。その様は、博雅がしばしば嘆じる、天然自然の変化の様すら思い起こさせるものがあります。
自然が常にそこに在るように、本シリーズもまた、いつまでも在って欲しいと、そんな想いを新たにさせられた次第です。
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