「青蛙堂鬼談」(その一) 多種多様の怪談会の幕開け
先日より、中公文庫で岡本綺堂読物集と題して岡本綺堂の短編集が刊行(再刊)されています。その第一弾は「三浦老人昔話」でしたが、第二弾は「青蛙堂鬼談」――綺堂の代表作の一つとして、そして優れた怪談文学として今なお語り継がれる名品であります。ここではこれから数回に分けて、全十二篇を紹介していきたいと思います。
この「青蛙堂鬼談」は、青蛙堂主人を名乗る数寄者の男が、ある雪の夜に人々を集めて行った怪談会で語られた十二の物語を収録したという体裁を取っております。
主催者の友人語る第一篇を除く残りの物語は、いずれも「第○の男(女)は語る。」という一文から始まっており、それが怪談会としての体裁を見せるとともに、一種の匿名性が、不思議な普遍性を以て感じられるところであります。
「青蛙神」
さて、その第一篇は、上で述べた怪談会の主人とも縁のある青蛙――三本足のがまがえるにまつわる伝説であります。
中国の明の末、不思議な形で妻に助けられたある武人が、ある時その妻が奇怪な三本足のがまを拝んでいるのを知り、思わず妻を…
という本作は、後に「中国怪談集」を著した綺堂らしい中国怪談。
その内容自体は、さまで珍しいものではありませんが、しかし蛙にまつわる怪異が連続する様は、やはり迫力があります。
そしてまた、「現代」の日本の人間が、明代(過去)の中国の怪異を語るという構造がなかなか面白く、バラエティに富んだ怪談集である本書の幕開けにはふさわしいものと感じさせられます。
「利根の渡」
享保の頃の利根川の渡しを舞台とした本作は、本書の中でもかなりの名編と呼んで良いのではないでしょうか。
雨の日も晴れの日も、暑い日も寒い紐、利根川の岸に立ってある男を捜す座頭と、ふとしたことから共に暮らすこととなった渡し小屋の老人。老人に少しずつ座頭が語るその過去により、老人は座頭が何故目の光を失い、男を捜すようになったか知るのですが…
綺堂怪談の怖さ、そして今なお古びない新鮮さの源は、怪異の因縁、それが発生する理由を全て描かず、怪異それ自体をほとんどそれだけ取り出して描く点にあるかと思います。
その意味では、本作は古風な因果因縁の物語ではありますが、しかしそれを綺堂が料理すればこうなる、という見本のような作品であります。
ことに、生きた魚の目を針で貫く技を見せた座頭が「刺さりましたか、確かに、眼玉のまん中に……。」と老人に確認してにやりと笑うくだりなど、綺堂の語りの巧みさが現れた名場面(?)でありましょう。
「兄妹の魂」
第三篇は、これまでとは変わり、語り手自身が経験した怪談、いわば「現代」の怪談であります。
妙義山の宿に籠もっていた語り手を訪ねてきた親友。ある宗教の講師を家業としている彼は、しかし語り手の前に顔を出すなり山の中にどんどん分け入っていき、そのまま姿を消してしまいます。捜索の末、ようやく見つけた彼の姿は、しかし…
当時のリアルタイムの怪談として独特の迫力を持つ本作ですが、しかしその怖さの淵源は、何よりも「説明のつかなさ」でありましょう。
実は物語の後半は、語り手が怪異の原因を探って、親友にまつわるある事件を知ることとなるのですが、しかしそれが原因としても、何故そんなことが起こりえるのか。当時としては最先端の科学であろう催眠術まで持ち出した説明が、かえって空々しいものと感じられる理不尽さが、本作の味でありましょう。
以下、続きます。
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