「桜舞う おいち不思議がたり」 彼女にとっての能力の意味
おいちの親友の一人・おふねが突然亡くなった。彼女の体には、赤子がいたという。死者の声を聞くことができるおいちは、自分の前に現れたおふねの姿に、彼女に何が起きたのか、彼女が何を訴えようとしているのか調べ始める。しかしその前に待っていたのは、彼女自身の出生にもまつわる謎だった。
あさのあつこによる、深川の長屋で医師の父を手伝う少女・おいちを主人公とした「おいち不思議がたり」の第2弾であります。
母を早くに亡くし、絵に描いたような貧乏医師の父・松庵の手伝いに日夜忙しいおいち。そんな彼女のもとに届いた一つの凶報から、物語が始まります。
親友の一人である呉服問屋の一人娘・おふねが突然倒れたという報せに駆けつけたおいちが見たのは、既に血の気を失い、手の施しようがなくなったおふねの姿。
彼女の体には赤子が宿っており、それが流産した末に、おふねの命も奪われた――その報せに、おいちともう一人の親友・お松は愕然とするばかり。
その帰り道、二人組の破落戸に襲われたおいちとお松は、おふねの掛かり付け医の弟子・田澄十斗に救われます。何やらおいちに関心があるらしい田澄に、おいちの心も揺れるのですが、しかし実は田澄が本当に関心を持っている相手は…
そして、時に夢の中に、時に町中でおいちに訴えかける、亡きおふねの魂…果たしておふねは誰の子を宿したのか、そして今なお彼女が救おうとしている相手は誰なのか?
何者かに殺された破落戸たち、松庵の過去の秘密、そしておいち自身の…と、物語は幾つもの謎が絡まり合っていくこととなります。
本作の、本作の主人公・おいちの特徴の一つは、この世ならざるものの姿を見、声を聞くことができる能力であります。
それは、時代ものに限らず(むしろ時代もの以外で)、フィクションでは決して珍しい能力ではありませんが、しかしおいちの場合、それを「決して特異なものと思わない」点が、実にユニークに感じられます。
医者の娘として生まれ、父の手伝いに明け暮れる――そして自らも医の道に進むことを夢見る――おいち。そんな彼女にとって「人を救う」ということは当然のことであり、それこそが彼女の行動原理。
そして、その人とは、生きている者だけではありません。
死んだ者にも、強く抱えた想いがある――いや、医療に携わり、人の生死を目の当たりにしているからこそ、強い想いを抱いて死ぬ者の存在を、彼女は知っています。
そんな彼女が、助けを求める者の声を、相手が生きているか死んでいるかで差別するはずもありません。
その意味において、彼女にとってその力は決して特異なものではなく――そしてそれが彼女自身のキャラクターからごく自然に導き出されるという点に、私は大きな魅力を感じます。
そして本作は、様々な形で彼女自身に密接に関わりのある事件を描くことで、そんなおいちの特異な、しかし魅力的なキャラクターを浮き彫りにすることに成功していると感じます。
もちろん、彼女にとってもできること、できないことはあります。いや、後者の方が遙かに多いことは言うまでもありますまい。
そんな現実に突き当たって揺れる彼女の心をも巧みに描き出し、そしてそれを通じおいちも現代の少女と変わらぬ存在であることを浮かび上がらせるのは、これは青春小説の名手である作者ならでは、と言えるでしょう。
特異な能力を特異なものと思わない、普通の少女の物語。派手さはないものの、しかし魅力的な青春時代小説であります。
「桜舞う おいち不思議がたり」(あさのあつこ PHP研究所) Amazon
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