「無頼の剣」 無頼と餓狼と鬼と
旗本奴の雄、大小神祇組の水野十郎左衛門と、町奴の束ね、浅草組の幡随院長兵衛、そして松平伊豆守には、二十年もの昔から不思議な因縁があった。いつか長兵衛と立ち合うことを夢見る十郎左衛門だが、しかし江戸の再構築を狙う伊豆守の策が、十郎左衛門と長兵衛を思わぬ運命に巻き込むことに…
江戸時代の初期、徳川幕府の支配体制がほぼ固まりつつあった頃――戦国の遺風を残して暴れ回ったはみ出し者たちが、旗本奴と町奴であります。そのそれぞれの頭領たる水の十郎左衛門と幡随院長兵衛の対立は、歌舞伎や講談などで、現代にも伝わっておりますが、そのいわば最新型が、本作であります。
ことの起こりは二十年前――まだ七歳の水野百助(十郎左衛門)が、父・成貞に連れられて吉原から帰る途中に、五人の相手をただ一人で斬った男を目撃したことから、この因縁は始まります。恐るべき剣の腕を見せつつも力を使い果たした男を救うため、百助が呼び止めたのは、こともあろうに時の老中・松平伊豆守の駕籠。百助の弁に頷いた伊豆守は、この男を自分の駕籠に乗せ、存じ寄りの口入れ屋・山脇屋に連れて行くことになります。
そして一命を取り留めた男――塚本伊太郎は、幡随院長兵衛と名を変え、山脇屋を継いでいつしか江戸一の口入れ屋として、そして町奴の筆頭と言うべき存在に。一方、元服して水野十郎左衛門を名乗った百助は、父亡き後の旗本奴をまとめ、横紙破りで鳴らす大小神祇組の頭領として、長兵衛と並び立つ無頼の存在に…
二人の因縁は、長兵衛の餓狼の如き強さに惹かれた成貞が真剣勝負を挑み、そして一命は取り留めたものの完膚なきまでに敗れ去ったことから、いよいよ深く、複雑に入り組んでいくのですが――そこにもう一人の男として、松平伊豆守が絡むことで、物語は一層複雑な様相を呈することとなります。
徳川幕府のの安定を第一に考え、そのためであれば人も己も犠牲にすることを厭わない伊豆守。十郎左衛門は父の代からこの伊豆守とソリが合わず、そして命を救われた長兵衛は密かに伊豆守を支え――ここでも対照的な姿を見せる二人の関係は、しかし、伊豆守のある計画により大きく変わっていきます。
開府以来、複雑に広がっていった江戸という町。それを一度リセットし、新たな江戸を再生する――そのためにあえて鬼と化した伊豆守が選んだ手段。かくて、明暦3年1月18日、無頼と餓狼と鬼と――三人の男の生き様は、大火の中に一つの頂点を迎えるのであります。
冒頭に述べた通り、これまで幾多となく描かれてきた水野十郎左衛門と幡随院長兵衛の物語。本作が、これまでの作品と大きく異なるのは、もちろんまず第一には、20年にもわたる二人の――いや、伊豆守も含めて三人の――因縁を、伝奇性を持たせつつ描いた点であることは間違いありません。
しかしそれ以上に本作を傑作たらしめているのは、彼らの姿に、時代に取り残された男たちの最後の、そして哀しい輝きを見いだしている点でありましょう。
明暦といえば、既に徳川将軍も四代を数え、既に幕府の運営も軌道に乗りつつある時期。最後の戦ともいえる島原の乱も遠くに過ぎ、既にいくさ人としての武士は完全に無用の長物と化した時代であります。
十郎左衛門ら旗本奴たちが、まさにそんな武士の在り方の変容の時代から弾き出された存在であることは言うまでもありませんが、それと対立する町奴もまた、安定へ向かう時代の流れからはみ出した存在であることはまた同様(長兵衛が、かつて武士たらんとしたがために主家を捨てることとなり、その末に町人となった存在なのが象徴的)。
そして彼らと対立する権力の象徴、秩序の番人とも評すべき伊豆守もまた、時代と時代をまたいで生き続け、一つの時代を終わらせることにより、自らの居場所もまた葬り去ろうとしている点では、時代からはみ出した存在であることに違いはありません。
本作のクライマックスである明暦の大火は――それが江戸の都市計画に関わる幕府の陰謀であった、というアイディア自体非常にユニークなのですが――古い江戸と新しい江戸の決別というべきものであります。
そしてそこで三人の時代から外れた男たちの生き様がぶつかり合う姿が重なるという構図からは、喜びとも哀しみとも怒りともいえる…いや、その全てが入り交じった想いが、強く強く、我々の胸に響くのであります。
その中でも圧巻は、江戸城天守閣の崩壊を目撃した十郎左衛門が、それを評したある人物の言葉の中に、自分たちもまた同様の存在であったことを知る場面でしょう。あまりに残酷、かつ適切としか言いようのないその言葉を目にした時には、こちらもただ天を仰いで嘆息したくなったほどであります。
思えば柳蒼二郎の作品の多くは、例えばそ直近のシリーズである「風の忍び」シリーズもそうであったように(ちなみにこちらで登場していた小野忠常が、本作にも顔を出しているのがファンには嬉しい)、時代から取り残された、時代から外れた男たちが、最後の意地を見せて戦う姿を描いてきました。
本作は、これまで描かれてきたこの流れを受け継ぎつつも、そのドラマ的な完成度において、総決算とも言える作品と感じられます。
正直なところ、あまり話題になっていないようなのが何とも残念なのですが、本作は紛れもない傑作、読み逃すのは大きな損失である――そう断言させていただきましょう。
「無頼の剣」(柳蒼二郎 中央公論新社) Amazon
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)