「もぐら屋化物語 用心棒は迷走中」 人の陰と陽の狭間で?
故あって会津藩を脱藩して早々、行き倒れ寸前となった浪人・楠岡平馬。何とか内藤新宿に辿り着いた彼の前に現れたのは、崩れそうな旅籠「土龍屋」と、そこに住み着いた大モグラ・ムグラ様だった。成り行きから幼い女将・お熊が一人で切り盛りするこの旅籠に住み着くことになった平馬だが…
妖怪時代小説人気もここに極まれりと言うべきか、今月誕生した新レーベル「廣済堂モノノケ文庫」。本作はその第一弾、「奥羽草紙」シリーズ、「はなたちばな亭」シリーズと、ユニークな妖怪時代小説を発表してきた澤見彰の新作であります。
主人公は会津の脱藩浪人・楠岡平馬(この名前に、おっと思われた方もいるかもしれませんがそれは後述)。剣の腕はかなりのもの、人柄も穏やかなまず好青年ですが、どうにもしゃっきりとしないため、「ふやけ浪人」などと呼ばれてしまう人物であります。
この平馬、故あって脱藩して早々、心細げな女性と出くわして一緒に旅をと思いきや、早々に振られた上に財布をすられ、一文無しになった上に、女と駆け落ちして脱藩したなどというまことに不名誉な噂まで立てられてしまうのですが…そんな彼がやっとの思いで辿り着いたのは、甲州街道最初の宿場・内藤新宿。
そこで行き倒れ寸前の勢いの彼が出くわしたのは、地獄の閻魔様の使い、百年生きたと称する大モグラ・ムグラ様。次から次へと襲いかかる異常事態ににダウンした彼は、このムグラ様が守るボロ旅籠・土龍屋に担ぎ込まれるのですが…
という導入部の本作は、「新宿夜鳥唄」「忍夜鯉曲者」「子刻訪問人」の三つの短編(と次巻の引き的掌編)で構成される連作短編的構造ですが、とにかく、舞台となる内藤新宿がユニークなのであります。
なにしろ、ムグラ様だけでなく、人語を解して立って歩く白犬の渡世人(?)をはじめとして、内藤新宿を、そして土龍屋を訪れる客は、人外の存在ばかり。
内藤新宿の人々も、こうした連中を認識しつつも、必死に目を逸らしつつ日常を送っている姿がまた可笑しいのですが、人間側の代表とも言えるお熊も(本人は菩薩のように美しい心の持ち主ではあるのですが)今にも崩れ落ちそうな土龍屋こそ落ち着くという奇っ怪な美的感覚の持ち主で…
そんな妖怪変人ばかりの魔界宿場新宿で、用心棒として悪戦苦闘する平馬の姿は、彼がごく常識的な人間であるだけに、また可笑しくも健気で、思わず応援したくなるような、ちょっと可愛らしい情けなさなのです。
と、述べれば、本作はちょっとユルめの人情コメディにも見えるかもしれません。しかしながら、本作で描かれるのは、実は意外にもかなりシビアな物語の数々であります。
例えば第一話で語られるお熊の身の上は、父の後添えに虐待された末に家と財産を奪われ、父が憤死した後に一人で土龍屋を切り盛りしているというもの。妖怪に対して見て見ぬふりを決め込む内藤新宿の人々は、人間の残酷さに対しても見て見ぬふり、頼りになるのはただムグラ様と平馬のみ――
他のエピソードにおいても、ユーモラスな物語展開の裏側に描かれるのは、人間の暗い部分、歪んだ部分。人間が一番恐ろしい、というのは陳腐に過ぎるかもしれませんが、しかし妖怪変化の存在に寄りかかることなく、いや妖怪変化が存在するからこそ、人間のこうした陰の部分がよりクローズアップされるのであり、それが、単に面白おかしい妖怪ものに留まらないドラマとして、本作を成立させているのでありましょう。
しかし人間に陰の部分があったとしても、陽の部分ももちろん存在します。お人好しで気が弱くて惚れっぽい、しかしそれでも弱き者のために剣を振るうことができる男――そんな平馬がいるからこそ、本作の後味は、爽快なものとして感じられます。
そしてこの平馬は、作者のファンにとっては懐かしい人物でもあります。
実は冒頭で挙げた「奥羽草紙」シリーズの主人公も、会津浪人・楠岡平馬。そちらと本作の設定を見比べるに、おそらくは同名の別人…というか一種スターシステム的なものではないかと思います。
しかし、そちらでも人間の陽の部分を代表していた平馬がこういう形でも再登場したというのは、意味があることでしょう。
平馬にとっては災難かもしれませんが、しかし彼にこうして再会できたのは、何とも喜ばしいことに感じられるのです(そして平馬にとっては恩人であり恐ろしい先輩でもある鬼官こと佐川官兵衛がこちらにも登場するのがまた嬉しかったり…)。
ここから再び始まる平馬の迷走…あ、いや、活躍に期待している次第です。
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