「邪神帝国」 虚構から現実へ侵攻する悪夢
実に十数年ぶりに復活した朝松健の連作短編集「邪神帝国」。ナチスドイツにクトゥルー神話を絡めた七つの作品からなる本書を、この再刊を機に読み直しましたが、今なお全く古びない、そして今なお新しくあり続ける、いや現在のものであり続けることに驚かされます。
およそナチスドイツほど、フィクションの世界の――それもオカルト・SF風味の――悪役として、様々な活躍(?)を見せた集団はないでしょう。
吸血鬼、狼男、聖槍、空中戦艦、クローン人間などなど…にもかかわらず、クトゥルー神話の邪神・怪物たちとの繋がりは、少なくとも我が国においてはコロンブスの卵的に感じられます。この取り合わせの妙は、まさに我が国におけるクトゥルー神話紹介の第一人者たる作者ならでは、と言うべきでしょうか。
さて、本書に収録されているのは、以下の七編であります。
現代を舞台に、ある青年の自分の前世を探る儀式魔術が悪夢を生み出す「“伍長”の自画像」
強大な魔力を秘めた奇怪な仮面を巡り、突撃隊と親衛隊、さらに魔術師の三つ巴の戦いに巻き込まれた日本人スパイの姿を描く「ヨス=トラゴンの仮面」
南極大陸に存在するという楽園を求めて派遣されたドイツ軍人たちが、かつてミスカトニック大学の探検隊が遭遇した怪物たちと激突する「狂気大陸 」
ロンドンの闇を騒がす切り裂きジャックと対決することとなった若き魔術師カップルの姿と、ジャックの凶行の驚くべき目的を描く「1889年4月20日」
トランシルバニアの寒村に駐屯したドイツ軍とD伯爵夫人の出会いが過去の悪夢を甦らせる「夜の子の宴」
ドイツ降伏後、謎の怪人「伝説」氏を乗せて南米に向かうUボートと、それを追う巨大な海魔の激突「ギガントマキア1945」
狂気の異界と化していくベルリンを舞台に展開するロンメルらドイツ軍によるヒトラー暗殺計画の顛末を描く「怒りの日」
「“伍長”の自画像」と「怒りの日」以外は、「SFマガジン」誌各号の特集テーマに合わせて発表されたものと記憶していますが、しかし作者がお題に合わせた作品を、水準以上のものに仕上げてくる職人芸的な技の持ち主であることは、「異形コレクション」読者ならよくご存じのはず。
本書においてもそれは健在であり、むしろナチスドイツ&クトゥルーという核を持ちながらも、バラエティに富んだ作品集となった印象があります。
それにしても、本作を再読して改めて感じるのは、クトゥルー神話と伝奇の相性の良さであります。一口にクトゥルー神話と言っても、もちろんそのスタイルは様々ではありますが、その元祖とも言うべき「クトゥルーの呼び声」等、ラヴクラフト作品においては、新聞記事や日記等の現実の記録(と見紛う記述)を引用した作品が存在します。
その現実によって虚構を描く、虚実の皮膜をリアリズムで以て貫いてみせるというスタイルはまさに伝奇小説のそれでありますが、本書においては、それをさらに突き進め、先鋭化したものと申せましょう。
確たる史実――その中には「事実は小説より奇なり」を地でいくようなものも少なくありませんが――を背景とすることにより、ここにナチスドイツという現実の存在と、クトゥルーという虚構の存在が強く強く結びつき、伝奇ものとしてのクトゥルーの側面が最大限に強調されることと同時に、一種逆説的なリアリティを獲得しているやに感じられるのであります。
…が、伝奇ものとして、クトゥルー神話として優れていればいるほど、本書には別の意味の恐怖が待ち構えているようにも感じられるのであります。
ナチスドイツという、恐らくは人類史上稀有の規模の狂気――それが、異次元の邪神の手によるものであれば良かった。しかし本書で描かれるのはむしろ逆の姿…ナチスドイツの狂気は、あくまでも人間が自分自身で生み出したものであり、邪神たちは「利用」されている(もちろんそれなりのしっぺ返しはあるのですが)のではありますまいか。
だとすれば、本書で描かれた恐怖と狂気は、人外の存在によるもののようでいて、あくまでも人間が生み出したものなのでしょう。「ナチは私たち自身のように人間である」とアレントが説いた通りに。
本書で描かれてきたナチスドイツがあくまでもフィクションの悪役に留まり続けるように、暗鬱な過去が絶望的な未来に、いや現在に繋がらぬように、悪夢が虚構の存在であり続けるようにせめて本書の中で封印されていて欲しい――などと、本書がいまこの時に復刊されたことにある種運命的なものを感じるのは、それこそオカルトチックな感傷に過ぎませんが…
「邪神帝国」(朝松健 創土社The Cthulhu Mythos Files) Amazon
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