「採薬使佐平次」 江戸のバイオテロと、災厄に挑む者たちの願い
大川で見つかった斬殺体が手にしていたガラス管。採薬使――幕府の本草学者にして御庭番の佐平次は、知人の町方同心から協力を求められその謎を追う。一方、諸国では浮塵子の大発生により空前の被害がもたらされ、採薬使たちは対応に苦慮していた。しかし、この二つの背後には意外な陰謀の影が…
ここしばらくは時代小説の分野で大活躍の平谷美樹。一口に時代小説といっても、作者の場合は一作として似たような方向性のものがない、独創性に溢れたものばかりなのに感心させられますが、本作もその例外ではありません。主人公像といい、扱われる題材といい、類作がほとんど存在しない、極めてユニークな作品であります。
まずユニークなのは、主人公・佐平次の職業・任務でありましょう。タイトルにあるとおり、彼は採薬使――本草学の知識を以て幕府に仕え、諸国に派遣されて薬草などの探索と採取を行う任を負った男であります。
そして本作において、彼ら採薬使には、もう一つの任が与えられています。諸国に派遣されて、その国の内情を探索する…すなわち、御庭番としてのそれが。
御庭番と言えば、もちろん本作の舞台である享保年間に将軍であった徳川吉宗が設立したものですが、一般に忍者としてのイメージが強い存在。それを、一種の研究者であり技術者である――そして実際に諸国に足を運んでいた――採薬使に重ねてみせたのは、本作ならではの工夫でありましょう。
さて、本作においてはその採薬使たる佐平次が、江戸の町で起きた殺人事件の探索を行うこととなります。
ずいぶんと所轄違いにも思えますが、話を持ち込んできたのは、彼の友人の町方同心。そして、その被害者が手にしていたのは謎のガラス管…二つの理由から、佐平次は事件に挑むのであります。
しかしもう一つ、そして本作最大のユニークな点があります。
本作の舞台となる享保17年に日本を襲った災害――後世には享保の飢饉と呼ばれるそれは、冷夏に加えて浮塵子の大量発生により西国を中心に凶作を招き、甚大な被害を招きました。本作において、佐平次の同僚・部下の採薬使たちも、浮塵子の被害を防ぐために、各地に飛んで懸命に対処に努めるのですが…
しかし、その災害の背後に、人の意志が、作為があったとしたら――本作は、そんな驚くべき仕掛けを、もちろん江戸時代に可能な形で提示してみせる、いや、佐平次たちが当時としては最先端の科学知識でもって解明してみせるのであります(そしてまた、その陰謀が、先に述べた殺人事件と結びついていくというのは、お約束ではありますが実に面白い)。
いわば本作は、江戸の科学捜査官たちの活躍を描く時代科学ミステリとでもいうべき作品であり、その点だけでも本作の価値があるというものですが…しかしそれ以上に、本作のクライマックスにおいて、佐平次たちが自分たちで黒幕を倒す姿に、私は一つの夢、願望を見た思いがあります。
科学者、技術者一人一人の力ではどうにもならない災害。その前に悔し涙を流した彼らが、その広がりを、再発を防ぐことができたとしたら――
ごく最近、我々は科学の、技術の、人の叡智の無力さをいやというほど味合わされました。その悔しさを、せめてフィクションの世界だけでも晴らすことができたら…
本作は、一貫して東北の存在を背景にした時代小説を描いてきた作者にとっては珍しく、東北に直接の関係を持たない作品であります。
しかし、このように考えてみれば…というのは、穿った見方に過ぎるでしょうか。
「採薬使佐平次」(平谷美樹 角川書店) Amazon
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コメント
これはなんだか面白そう。
早速図書館に予約入れました
この著者は初めてです。
御庭番衆で佐平次って名前はちと解せない。
はたして採薬と諸国調査の一挙両得が
可能なのかも疑問のひとつ。
読んで確かめたいです。
やはり本草学だと平賀源内が思い浮かぶなぁ
投稿: coldsleeper | 2013.05.07 03:21
coldsleeper様:
平谷美樹先生は他にもユニークな時代ものを書いているので、どの作品もお勧めですよ。
本作はちょっと変化球で、通常の御庭番もの(?)とはだいぶ異なるイメージですが、それだけに他所では読めないような作品となっています。
投稿: 三田主水 | 2013.05.08 00:00
ちなみにこのペンネームも気になったりします。
平田深喜/平手造酒から来ているのかなぁと
思いきや"ひらやよしき"と読むのか・・・
投稿: coldsleeper | 2013.05.08 02:46