「洛中洛外画狂伝 狩野永徳」 絵の極みと新たな天下と
狩野元信の孫・源四郎(永徳)は、手本の模写を中心とした流派の手法に飽きたらずにいた。ある日、京に出て賭け闘鶏を絵に描いていた源四郎は、貴人の少年、後の足利義輝と出会う。絵師としての己の道に悩みつつも、いつしか源四郎は義輝の理想とする天下の姿を描き留めることを目指すようになるが…
日本史の授業を受けていれば必ずその名を耳にすることになる戦国末期の絵師・狩野永徳。最近のフィクションの世界では安部龍太郎「等伯」にライバル的な扱いで登場した永徳ですが、本作は後の永徳、狩野源四郎の若き日の姿を描いた作品であります。
既に京の絵師として確たる地位にあり、扇絵制作の専売権を持つなど、経済的にも強い力を持っていた狩野派。その当主の嫡男として生まれながらも、源四郎は祖父・元信が切り拓いた道に安住することなく、むしろ反発すらする存在として描かれます。
手本の模写と分業という、一種の工業作品的手法で製作されていた当時の狩野派の作品にあきたらず、あくまでも己の絵を描こうとする源四郎。彼は、父・松栄をはじめとする周囲の人々とぶつかり、白眼視されながらも、己の描くべきものを求め、一歩一歩もがきながら歩を進めていくのですが――
そんな彼にとっての、主であり、同志であり、そして導き手として登場するのが、かの足利義輝であります。
まだ互いが子供であった頃、京の町で闘鶏を見物している時に出会った源四郎と義輝。己の鼻血を墨代わりに使って鶏の姿を一心に描く源四郎に興味を持った義輝は、それ以降、あたかも源四郎を挑発するように、様々な絵の制作を命じるようになります。
その義輝の命に時に戸惑い、時に苦しみ、そして時に勇気づけられながら、己の理想とする絵に近づいていく源四郎。そしてそんな前人未踏の絵の境地に向かう源四郎の姿は、同時に、これまでにない将軍の在り方、天下の在り方を求める義輝をも力づけるものでもあります。
本作はこの二人の交流を通じて当時の京の姿を、ひいては当時の天下の姿というものを描き出していくことになります。それは、いわば時代を武士の立場と庶民の立場、二つの視点から描いたと言えるでしょう。
そしてそれは、単にありのままの現実を描き出しただけではありません。そこに描かれるのは、巨大な夢と理想――いささか大仰に言えば、あるべき姿が描き出されるのです。
そしてその象徴として、精髄として描かれるものこそが現れるのが、かの洛中洛外図であります。
上杉家に伝わり、現代ではいわゆる上杉本と呼ばれるこの屏風は、義輝の依頼で永徳が描いたものが、その後信長の手に渡り、さらに謙信に贈られたという説が有力ですが、本作はそれを踏まえた上で、そこに込められた二人の想いを鮮やかに描き出すのであります。
源四郎が目指した絵の極みと、義輝が目指した新たな天下――その二つが交錯した末に生まれた傑作。そして本作においては、さらに一つの奇瑞と呼ぶべきものを加えることにより、同時に二人の絆そのものとして、更なる感動を結末において生み出します。
優れた芸道小説にして、優れた歴史小説――源四郎と義輝、二人を物語の中心に置くことにより、本作は、異なる二つの性格を、矛盾なく過不足なく――半ば奇跡的なバランスによって――持たせることに成功していると申せましょう。
(ちなみに二人にとっては仇役となるべき松永久秀も、通り一遍の人物像ではない陰影を持った存在として描かれるのも印象に残ります)
さて本作は、源四郎が信長に対して洛中洛外図の来歴を――そして自らと義輝の夢を――語るというスタイルで描かれますが、もちろんその後も源四郎の、永徳の挑戦は続きます。
そこで源四郎が見たもの、描いたものが何であったのか、それを見てみたい――つまり、続編を読んでみたいという気持ちは、誰もが持つものではありますまいか。
個人的には、源四郎が洛中洛外図を完成させた直後に、父とともに大徳寺のの聚光院に障壁画を描いたという史実に、強く惹かれるものがあるのですが――
「洛中洛外画狂伝 狩野永徳」(谷津矢車 学研パブリッシング) Amazon
| 固定リンク
コメント