「決戦 奥右筆秘帳」 決着、骨肉の争い そして二つの継承
いよいよ決着に向かう徳川家斉と一橋治済の将軍位を巡る骨肉の争い。その渦中に、併右衛門も巻き込まれていた。一方、冥府防人との決戦を前に、あまりにも大きな実力差に悩む衛悟に、師は諸刃の刃ともいうべき最後の手段を授ける。決戦の果てに、併右衛門と衛悟は平和を手にすることができるのか?
6年間渡り展開されてきた「奥右筆秘帳」も、この第12巻「決戦」でついに完結であります。
田沼意知の刃傷事件に興味を持ったために幕政を巡る暗闘の渦中に巻き込まれた奥右筆組頭・立花併右衛門と、彼に警護役として雇われた隣家の次男で涼天覚清流の遣い手・柊衛悟の戦いも、ここに決戦を迎えることとなります。
ついに我が子たる将軍家斉に対して、宣戦を布告した一橋治済。これを家斉も真っ向から受け止めますが…もちろん、正面から兵を出して合戦となるわけもなく、あくまでも裏の世界での戦いが繰り広げられることとなります。
治済側の冥府防人が将軍の手足というべき御庭番を次々と暗殺していけば、家斉は併右衛門に命じて一橋家の家臣を人事異動させて、内政を滞らせるという非常に地味ながら実に効く攻撃を展開することに――
そして、両陣営が互いの存亡をかけた決戦(の前哨戦)を繰り広げる中、もう一つの決戦に向けて己の剣を磨く衛悟。これまでに著しい成長を見せてきたとはいえ、あまりにも高い壁である宿敵・冥府防人に、一対一で果たして勝つことができるのか?
ここで衛悟の師たる大久保典膳が取った最後の手段――それは衛悟の中の獣を解き放つこと。ただ己の生命を守るだけに力を振るう獣と化せば、その能力は冥府防人に匹敵する代わりに、一度剣を抜けば敵も味方もなく、ただ自分以外の全てを殺戮する狂剣士となりかねない…
いわば「覚醒」「暴走」とも言うべき、バトルもの漫画などではお馴染みのモードをここで取り入れてきたのには驚いた――などというのは置いておいて、ここで胸を打つのは、非人道的とすら言えるこの措置を衛悟に行った、典膳の想いの吐露であります。
人は何故剣を手にし、人を斬るのか…これまでも作中の中で幾度となく繰り返されてきた問いかけ。それに対する答えの究極は、己を生かし、己の愛する者を生かし、そして次代に命を繋いでいくことでありましょう。
そして単に生殖による血の継承のみならず、たとえ血の繋がりはなくとも、技を、想いを伝えていく、いわば心の継承ともいうべきものも存在するのだと――それは、これまでも作中で併右衛門と衛悟の「親子」関係の中で描かれてきたことではありますが――典膳の言葉を通じて、再確認させてくれるのであります。
作者が本作をはじめとする自作のテーマとしているという「継承」。
家斉と治済の、将軍位を巡る骨肉の争いが、それが最もこじれにこじれ、ネガティブな姿を晒したものだとすれば、衛悟と併右衛門や典膳の結び付きは、その最もポジティブな、人の善き部分を示したものと言えるでしょう。
このシリーズ最終巻たる本作で描かれるのは、突き詰めれば、その二つの「継承」の在り方の結末なのであります。
暗闘の果てに、ついに文字通り正面から対峙することとなった家斉と治済の決着は、そして衛悟と冥府防人の決闘の行方は――
その詳細にはもちろん触れませんが、一言で表せばその内容は「ほぼ完璧」。ここまで読み続けてきてよかった! と納得そして感動の結末であることだけは、申し上げてもよいでしょう。
そしてさらにもう一つだけ言えば、最後の決闘では蚊帳の外のように見えた併右衛門が、初めて「私利私欲」のために――すなわち、己の「息子」たる衛悟の命を救うために――己の奥右筆の権力を行使するという展開こそは、本作の一つの到達点と言うべきではないかと…そう感じる次第です。
6年全12巻の間、全く不満がなかったというわけでは、正直なところありません。しかしながら、この見事な結末に至るまでには、全てが必要なものであったのでしょう。
これから「奥右筆秘帳」という物語に触れようという方にも、途中までこの物語を読んできた方にも――安心して最後まで読んで欲しい、いや、最後まで読むべきであると、自身を持って申し上げることができる、まさしく大団円であります。
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