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2013.08.31

「恋は曲者 もののけ若様探索帖」 帰ってきた若様、再会のもののけたち

 もののけ若様が帰ってきました。若き日の平戸藩主・松浦静山ともののけたちの交流を描いた「もののけ若様探索帖」――以前ベスト時代文庫から2巻刊行されたシリーズの続編が、このたび廣済堂モノノケ文庫から発売されたのであります。

 江戸時代後期、数百巻に及ぶ随筆集「甲子夜話」を著し、心形刀流の達人でもあった松浦静山。何ともユニークな大名でありますが、この「もののけ若様探索帖」に登場する静山は、それに輪をかけてユニークな人物であります。
 何しろ、老いも若きも問わず、とにかくモテるのであります…もののけに。

 実は幼い頃からこの世のものならぬもののけたちを見る力を持ち、それ故か、女もののけたちにモテまくり、迫られまくっていた静山。本シリーズは、そんな若き日の姿を、死を目前とした静山が振り返る、もう一つの「甲子夜話」なのであります。

 と、出版社を移して再開された本シリーズですが、その第一話のタイトルが「再会」というのが心憎い。これはもちろん、我々読者と静山の再会の意味もありますが、物語の上でも、静山と、ある理由で一度は姿を消したもののけたちとの十年ぶりの再会を描く物語でもあるのです。
(そのため、本作での静山は、若様というにはちと薹が立っているのですが、それはよしとしましょう)


 そんなわけで帰ってきたもののけたちと、静山の賑やかな生活を描く本作ですが、しかし、「再会」を含めた全4話で描かれる物語は、むしろどこかもの悲しく、切ない味わいがあります。

 たとえ気持ちの上ではどれだけ惹かれ合おうと(もっとも、静山の方には基本的にその気はないのですが)、結局は(大げさにいえば種族として)大きく隔たる人間ともののけ。
 その恋の顛末は、そしてそこに浮かび上がるもののけの想い、人の想いは、登場するもののけたちやシチュエーションがユーモラスであるだけに、より一層切なく感じられるのであります。

 その意味では、本書の帯に書かれた「セツナ系もののけ恋語り」は、なかなか見事なキャッチコピーと言うべきでしょうか。

 特に、市中で静山の前に現れたもののけ・白粉婆と、座敷童の少女、そして何故か顔を白塗りにした平戸藩士の意外な繋がりを描いた「神のうち」は、もののけたちの愚直なまでの想いと人のしたたかさがすれ違った末の残酷な結末が強く心に残る名品であります。
(ただ、もののけの老婆と幼い娘という組み合わせが、ラストの「姥捨て山」とかぶってしまったのは残念)


 めでたく再会、いや再開した本シリーズ。ユーモラスな設定とストーリー展開のギャップに戸惑う方もいらっしゃるかと思いますが、しかしひと味違う妖怪時代小説として、珍重すべき作品であると(これまで同様)感じるところであります。

 ただし、一点だけ個人的に残念であるのは、静山の亡き正室の鶴年子がいかなる人物であったか――作中では大きな位置を占めるにもかかわらず――直接的に描かれていない点です。
 これは作劇のテクニックとしてありだとは思いますが、前作が、ラストでようやく彼女が登場したところで終わっていただけに、その間の物語もぜひ読みたいと感じているのです。
(さらに言えば、未読の方のために、前2作もぜひこのモノノケ文庫で再刊していただきたいのですが…)

「恋は曲者 もののけ若様探索帖」(伊多波碧 廣済堂モノノケ文庫) Amazon
もののけ若様探索帖-甲子夜話異聞- (廣済堂モノノケ文庫)


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2013.08.30

「水滸伝」第16話「宋公明 晁蓋を逃がす」/第17話「王倫 同士討ちに遭う」

 さてさて、だいぶ久しぶりのTVドラマ「水滸伝」感想であります。前回途中で終わった晁蓋たちによる生辰綱強奪から始まり、林冲による王倫粛正まで、一気に物語は動いていくのですが、原典通りの部分、原典と異なる部分がなかなかに興味深いのであります。

 青面獣楊志が宰領して輸送する十万貫の生辰綱を狙う晁蓋と七人の仲間たち。晁蓋たちがナツメ売りに化け、白勝が酒売りに化け、いよいよ作戦開始――というところから始まる第16話、第17話ですが、基本的に内容自体は原典とほぼ同じとなっています。

 呉用の策により楊志らにしびれ薬を盛ってまんまと生辰綱を強奪したものの、白勝がドジってことが露見し、それを知ってしまった宋江(ここまでが第16話)。
 その宋江が密かに知らせてくれたおかげで捕り手から逃れた晁蓋一行は、梁山泊に逃れるものの、王倫に冷たくあしらわれることになります。そしてついに怒りが頂点に達した林冲の刃が王倫を…というように。

 しかし、当然ながらと言うべきでしょうか、細部には異なる展開が見られます。そしてそれがまた実に興味深いのであります。
 まず、白勝。首尾良く生辰綱を奪って引き揚げる途中、どさくさに紛れて刀など拝借している最中に、痺れたままこちらを見てる男の目に怯えるあまりに、男に刀を振り下ろす! いやはや、とんだ好漢ぶりに彼を処断しようとする呉用たちですが、晁蓋はあんなやつら皆殺しにしても構わん的なことを言って止めます。

 この辺り、白勝の割りとシャレにならないヒューマンダストっぷり(助ける代わりに、二度と賭博に手を出さず身を隠していろと言われたのに、全く聞かずに結果捕らえられてゲロったことも含めて)も驚きますが、晁蓋の身内以外には異常に容赦ない性格にもまた吃驚。
 ここで晁蓋の態度を見た呉用が、「この人はちょっと…」という表情を見せるのも、今後の展開を踏まえて見ると、なかなか印象的なのであります。

 その他、身投げしようとした楊志を、風を起こして止めた(ようにも見える)公孫勝が、生きろと諭したり、朱仝が晁蓋を逃がすためにわざと一対一の対決を挑んだり(そしてわざと自分をぶん殴る)という辺りのオリジナル展開も面白いのですが、しかしなんと言っても圧巻は第17話後半の林冲でありましょう。

 相変わらず王倫の下で鬱屈していた林冲ですが、晁蓋たちと出会って一気に弾ける…というのは先に述べた通り原典通りの展開ながら、このドラマ版では、その前日に林冲が柴進の使者から、妻が行方知らずで生死不明という知らせを聞いているという展開。
 あの坊主、やっぱり全く役に立ってない…というのはともかく、おそらくはここで林冲は初めて、いつか良民として妻の元に帰るという望みを本当になくし、梁山泊に骨を埋める覚悟を決めたのでしょう。あるいは、ここでこの知らせを聞かなければ、自分が梁山泊を去っていたのではないか…そう感じるのであります。

 そしてラスト、四阿での酒宴でついに怒り爆発した林冲は王倫に痛烈な前蹴りを一発! 土下座するような姿勢で吹っ飛ばされた王倫は、そのままとどめの一刀を受けるのですが、印象的なのはその後。
 わざわざ四阿の屋根を破壊して(というか、武侠ドラマ的には、登場した瞬間に壊されるだろうと思っていましたが)、ようやく空が見えたと笑顔を見せ、愕然と、あるいは憤然としている杜遷と宋万(と朱貴)に声をかけます。
 摸着天の渾名を持つ杜遷には、お前は天に触れたことがあるかと、雲裏金剛の渾名を持つ宋万には、雲の中に入ったことがあるかと――

 それぞれの渾名を織り込んでうまいこと言った林冲を、杜遷・宋万・朱貴が頭領と仰ごうとしたところで次回に続きます。


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水滸伝 DVD-SET1


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 「水滸伝」第07話「豹子頭 誤って白虎堂に入る」/第08話「逆さまに垂楊柳を抜く」
 「水滸伝」第09話「大いに野猪林を騒がす」
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 「水滸伝」第11話 「智深 火をもって瓦罐寺を焼く」
 「水滸伝」第12話「林冲 風雪の山神廟へ」/第13話「豹子頭 梁山泊へ行く」
 「水滸伝」第14話「楊志 刀を売る」/第15話「智をもって生辰の綱を取る」

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2013.08.29

「神変八咫烏」 謎の怪剣士、日光に翔る

時は幕末、幕府側の秘密結社卍組の首領・汐見田一笑は、兵学者・市瀬右有斎の秘書を用いて巨大な陰謀を企んでいた。右有斎の娘・お妙を人質として狙う卍組の前に立ち塞がった若侍・長門小次郎。彼こそが、江戸を騒がす勤王の士「八咫烏」なのか? 日光に舞台を移して続く八咫烏と卍組の死闘の行方は?

 大好きな作家である角田喜久雄作品の中で、本作は何となく今まで読んでいなかったものの一つ。幕末の江戸から日光を舞台に、神出鬼没の快剣士・八咫烏と、秘密結社・卍組が火花を散らす大活劇、なのですが…

 本作の物語の中心に在る謎の剣士・八咫烏。彼こそは、その正体は全く不明ながら、黒羽根の矢とともにどこからともなく現れ、勤王の士として剣を振るう、黒衣の剣士。谷中天王寺にある天狗杉に願を掛ければどこからともなく現れて助けてくれるという噂まで流れる謎の人であります。
 一方の卍組は、高まる勤王の動きを抑えるために幕府肝いりで作られた秘密結社。しかしその実体は、首領の汐見田一笑と息子の隼人の下に集められた私兵団であり、その傍若無人ぶりには、幕閣も苦慮している…と、そういう構図であります。

 物語はこの両者の対立を中心に展開していくわけですが、それを彩る登場人物たちも多士済々、築城術の秘伝「築地図録」を著したために卍組に狙われる市瀬右有斎と娘のお妙、彼女を守る京からやってきた美剣士・長門小次郎に、隼人に矢職人の父を殺された小万。卍組の怪剣士・法川左近次に、卍組に加勢する渡世人の瀬田の巻太郎。日光山族の頭領の娘・お光に御普請奉行牧野越中守配下の隠密・柴田柴之助――
 そして彼らが入り乱れて争う先にあるのは、日光山中に築かれる謎の城!


 とくれば、これはもう角田喜久雄ならではの一大時代伝奇となるはずなのですが…いやはや、とにかく展開が早い、早すぎるのであります。
 もとより私はスピーディーで起伏の多い物語は大いに好むところですが、本作はそれがあまりに慌ただしく、荒っぽい。本作は角田作品にしては相当にボリュームが少ない作品であるものの、まさかそのためとも思えませんが…

 さらに言えば、角田作品の大きな魅力である緻密な謎解きや、(主に悪役の)キャラクターのねちっこい描写も、本作には乏しいのが寂しいところ。
 一応、八咫烏の正体の謎解きという要素はありますが、これもほとんどの読者がすぐに気づいてしまうようなもので…

 決してつまらないわけではないのですが、しかし角田喜久雄の作品としては食い足りない…うるさいファンの迷惑な言いぐさではありますが、正直な印象であります。


「神変八咫烏」(角田喜久雄 春陽文庫) Amazon

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2013.08.28

「妖怪博士の明治怪奇教授録」第1巻 知恵と力と、二つの妖怪退治

 時は明治、文明開化の時代にも根強く残る迷信を打破するために日本各地を旅する妖怪博士こと東日流六平太と、妖怪の存在を心から信じる助手の泊瀬武。妖怪の存在を巡って全く対照的な立場をとる師弟二人の旅の行く手に待つものとは…

 たなかかなこといえば、「破戒王 おれの牛若」「秀吉でごザル!!」など時代アクションも多いのに、これまでなぜか紹介できていなかった漫画家。そんな作者の最新作は明治を舞台とした妖怪漫画――なのですが、一ひねりもふたひねりもある、なかなかのくせ者であります。

 主人公の一人・東日流六平太は、哲学者ながら(哲学者ゆえ?)明治の世に蔓延る迷信に憤り、妖怪が起こしたという事件に首を突っ込んではその背後のカラクリを解き明かすことから、「妖怪博士」の異名を奉られた一種の変人であります。
 そしえもう一人の主人公で博士の助手である泊瀬武は、そんな師匠とは正反対に、妖怪の存在を心から信じ、そして妖怪と出会うことに憧れる――というより、自身も数々の破邪の力と知識を持つ、また一種の変人であります。

 言うまでもなく、東日流博士のモデルは、怪奇事件の調査を行い、妖怪や迷信といったものの正体を次々と暴いていったという明治の妖怪博士・井上円了でありましょう(作中で「真怪」というワードが出ることもあり…)。
 しかし本作の博士は随分と肉体派、決めゼリフの「迷信打破(バスター)!!」とともに、文字通り物理的に破壊にかかるのですから…

 本作は、そんな凸凹コンビが日本各地で妖怪事件の謎を解いていく…のではありますが、一つの謎を解いてめでたしめでたしとはなりません。
 東日流博士の豪腕で謎が解明されたかに見えたのも束の間、その陰に潜むのは人知を超えた真の妖怪の存在。毎回博士がタイミング良く(?)気絶したり眼鏡を壊したりしているあいだ、代わってタケルが様々な破邪の技で以て妖怪と対決する…というのが毎回のパターンとなるのであります。

 東日流博士の謎解きと、タケルの破邪の力…いわば知恵と力と、二つの側面から妖怪という現象を解体していくというのは、定番とはいえなかなか面白い趣向。
 妖怪を単なる奇怪な力の発現として描くのではなく、そこに一定の理と、人の情念の関わりを描くというのは、大いに頷けるアプローチでありますし、その二つの解決を凸凹コンビに振り分けるというのも悪くないのですが…

 全体としてみると、どうにもすっきりしない、というのが正直な印象があります。
 妖怪に挑むのに、単に力のみでなく、学問的に、あるいは心理的に挑むのはよいのですが、それが逆に民俗ものなのか、人情ものなのか、妖怪バトルものなのか…どちらともつかないあいまいな印象を与えるのです。
 少なくとも、帯で言われている「文明vs迷信」というテーマはかなり薄いと言わざるを得ません。

 この辺りのバランス取りは、ある意味ゴーストハンターもの自体が持つ本質的な難しさなのかもしれませんが…

 しかし、この第1巻の後半で語られる師弟それぞれの真の目的はなかなかに面白く、そこに軸足を置くことで、また違った印象となるのではないか、とも感じているところではあります。


 ちなみに本作にはパイロット版が存在しているのですが、この第1巻には未収録。
 内容的によくまとまっており、第1話として申し分ないように思えるのですが、それがあえて外されているのは、この回の題材が、連載版の本編の展開(具体的にはタケルの目的)に今後関わってくるためではないか…というのは、全く個人的な予想ではありますが。


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2013.08.27

「吃逆」 しゃっくり探偵、宋を行く

 科挙に合格したものの下位のため職のない陸文挙は、周季和と名乗る美男から声をかけられる。実はしゃっくりをすると不思議な光景を見ることができる陸を、これから発刊する新聞専任の探偵に雇おうというのだ。不承不承探偵役を引き受けた陸だが、次々と奇妙な事件に巻き込まれることに…

 ユニークな中国歴史ミステリの名手である森福都が10数年前に発表した本作は、作者の作品の中でも相当ユニークな部類に入る作品ではありますまいか。
 何しろ主人公・陸文挙は吃逆(しゃっくり)をすることで他人の記憶などを白昼夢めいた形で見る能力を持つ男で、しかも彼の職業(の一つ)が、新聞社の雇われ偵探(探偵)だというのですから…

 と、新聞社で探偵というと、近代に入ってからの物語かと思いますが、本作の舞台となるのは北宋の第4代皇帝・仁宗の時代、11世紀前半。そんな頃に新聞が、探偵が? と思われるかと思いますが、少なくとも「新聞」という言葉自体は(不勉強で「偵探」の方はわからないのですが)少なくともこの北宋期には存在していたようですし、概念的に近いものはさらに昔からあったでしょうから、これはこれでアリでしょう。

 さて、本作はそんな陸文挙を探偵役とした連作ミステリではありますが、(他の森福作品同様)設定的にはさらにややこしい。
 実は本作の真の探偵役というべきは、陸の雇い主であり、新聞社のいわば社主である青年・周季和の方。役者めいた美貌と巧みな弁舌を武器にした周は、己の新聞のトップ記事とするため(そしてもう一つの目的のため)、陸の能力を利用しながら、怪事件を解決していくのでありますす。

 生活のため、そんな周に雇われた陸ですが、とにかく口から先に生まれたような周には振り回されっぱなし。しかも、密かに思いを寄せる女料理人が、周にぞっこん惚れ込んでいる(しかし周の方は適当にあしらっている)という有様で…
 と、この辺りのユーモラスな設定もまた、作者の得意とするところでありましょう。


 さて、そんな本作は全3話構成。
 開封の料亭の楼から次々と女が投身して命を絶った謎の陰に、ある科挙合格者の悲哀が描かれる「綵楼歓門」。
 開封府知事の部下となった陸が汚職の探索を進めていた矢先、その容疑者が衆人環視の中で絡繰人形に殺されるという怪事件「紅蓮夫人」。
 迷宮入りした女大富豪の毒殺事件と、周が盗品市で見つけたある人物の遺品の謎が絡み合い、巨大な秘密が浮かび上がる「鬼市子」
と、いずれも趣向を凝らした作品揃い、ミステリとしての面白さはもちろんのこと、各話ごとにこの時代ならではの事物が描かれ、それが事件に、登場人物の行動自体に密接に関わっていく様には、ただただ感心するばかりであります。

 特に最終話の「鬼市子」は、上で述べた要素に留まらず、ヒロインと周の恋の行方、かつて都を震撼させかけた醜聞事件、奇怪な副作用を持つ謎の毒薬、宋国朝廷を二分する政争の行方、宋という国を揺るがしかねない大陰謀と、ユニークな内容が盛りだくさん。
 そして何よりも、そこに物語全体を貫いてきた周季和自身の物語――実は開封府知事の庶子であり、父に複雑な感情を抱く彼の想いの総決算までもが描かれ、まさに最終話にふさわしい内容となっているのであります。
(第1話で周と初対面の陸が見た白昼夢の正体と、そこに描かれる哀しいすれ違いにもただただ嘆息…)


 …実は陸の吃逆がほとんど第1話でしか描かれず(やはりミステリと絡めていくのは難しい要素ということでありましょうか)、その点は非常に残念ではあるのですが、しかしそれでも、本作の設定だからこそ描ける物語は、最後まで全うされたと感じます。
 ユニークなキャラクターと設定を用いつつ、この時代ならではの物語を描き出し、そしてその中に人の愚かさとしたたかさ、逞しさと弱さを描く…そんな森福節は、本作でもまた健在なのであります。


「吃逆」(森福都 講談社文庫) Amazon
吃逆 (講談社文庫)

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2013.08.26

「天主信長〈裏〉天を望むなかれ」 彼が抱いた希望と絶望

 播磨の小寺家に仕える黒田官兵衛は、自分と同じく陪臣出身でありながら瞬く間に天下人へと駆け上がる信長に崇拝に近い念を持つ。長年の苦労の末、秀吉の軍師として頭角を現した官兵衛だが、近くで見た信長にある限界を感じる。そして信長から、驚天動地の秘策を聞かされた官兵衛の選択は…

 8月の文庫新刊予定をチェックしていた際に、おや、と思わされたのが、上田秀人の「天主信長」でありました。最初に単行本で刊行され、すでにこのブログでも紹介した「天主信長 我こそ天下なり」ですが、文庫版では「天主信長〈表〉我こそ天下なり」と、「同〈裏〉天を望むなかれ」の、表裏二冊に分かれていたのですから…
 上下巻であればわかりますが表裏、しかも表の方の副題は単行本と同じ。とくれば裏はもしかして、いやしかし…と思っていたのですが、裏の方はなんと書き下ろし、それも黒田官兵衛の視点から描かれたアナザーバージョンだというのですから、実に面白いではありませんか。

 この「天主信長」という作品は、今なお謎多き――そして数多くの作家が挑んでいる本能寺の変の「真相」を描いたもの。表と裏でその真相はほぼ同一であること、そしてその真相こそが(当然ながら)作品のクライマックスであるがゆえ、なかなか紹介は難しいのですが、いかにも作者らしい人間観察と、伝奇性があいまったユニークな作品であります。

 そして表の方が、信長という天才が、その独特の境遇故に一種の狂気を育て、それが本能寺の変を引き起こす姿を描いたものだとすれば、この裏の方は、表でも重要な役割を果たす黒田官兵衛の視点から、信長という存在を、そして本能寺の変の真相を描くものとなります。
 黒田官兵衛という人物についてここで一から述べることはしませんが、本作の前半部分は、その事績を踏まえて彼の半生が描かれていくこととなります。

 播磨の小大名・小寺家に仕えながらも、主君の優柔不断と譜代の頑迷固陋に苦しんできた官兵衛にとっての希望――それは、彼に「赦し」を与えるキリスト教であり、同じ陪臣の出身でありながら、思いもよらぬ斬新なやり方で天下を切り取っていく信長の存在。
 やがてキリスト教に入信し、そして信長に信仰的ともいえる想いを抱いた官兵衛は、秀吉と竹中半兵衛を通じ、信長に近く接するようになるのですが…

 先に述べたとおり、表でも重要な役割を果たすこととなる官兵衛。しかし表においては、比較的(信長との接点が)単純な描き方であったのに対し、本作はまず官兵衛の半生から語り起こすことにより、彼が信長の何に希望を抱き、そして何に絶望したのかを、克明に描き出します。
 そしてそれは、変の真相と、そしてそこで彼が果たす役割に密接に絡んでくるというのがまた面白い。何よりも、彼がキリスト教徒であったことが大きな意味を持って立ち上がる終盤の展開には、ただ感心させられるのであります。
(そしてその官兵衛の姿に、あるいはあの史上最大の裏切り者もまた、このような想いを抱えていたのではないかと感じてしまったのですが…)

 本作の主人公に官兵衛を持ってきたことを、来年の大河ドラマの影響という方もいるでしょう。私個人としては、これまでも作者が官兵衛を主人公とした作品を発表してきたことを思えばさして不思議ではないと感じておりましたが、この特に終盤の展開には、なるほど官兵衛が主人公でなくてはなるまいと感じた次第です。


 しかし残念ながら、やはり表あっての裏と言うべきでしょうか、やはり裏だけ読んだ場合には物足りなさを感じるのもまた事実。
 信長という存在を官兵衛の視点から見るのはなかなかに興味深いものではありますが、それは先に表で信長をその内面から見ていたからこその感想ではないか…そう感じるのであります。
(官兵衛をはじめとする登場人物の独白が非常に多いのも、合わない方は合わないかと)

 しかしそれは言い替えれば、表と合わせて読めば、非常に面白い作品であるということでしょう。
 孤独な天才の内面を描き出した表と、彼に憧れ、そしてその想いが裏返った者の姿を描いた裏…なかなか大胆な試みではありますが、それだけの価値はあった二つの作品と言えるでしょう。


「天主信長〈裏〉天を望むなかれ」(上田秀人 講談社文庫) Amazon
天主信長〈裏〉 天を望むなかれ (講談社文庫)


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2013.08.25

「ホック氏・紫禁城の対決」 名探偵、西太后と対面す

 日本から清に渡ったサミュエル・ホック氏。久しぶりに再会した古い友人が何者かに殺害され、事件解決に乗りだしたホック氏は、そこから清朝の秘宝盗難事件に巻き込まれてしまう。さらに紫禁城に赴いたホック氏は、そこでも奇怪な密室殺人と遭遇することに…果たして事件の背後の敵の正体は?

 ライヘンバッハの滝でモリアーティ教授と相打ちとなり、死んだはずのあの名探偵が、その後再び相棒の前に姿を現すまでの大空白時代に、日本に現れて国家的陰謀事件を解決していた! というユニークかつ心躍る快作「ホック氏の異境の冒険」の続編であります。

 ホック氏(とここではそのまま呼ばせていただきます)が、大空白時代にチベットを訪れていたことは、ファンであればご存じかと思いますが、本作はホック氏がその第一歩として上海の租界を訪れた場面から始まります。
 ほんのわずかな滞在のはずが、久しぶりに再会した友人が怪死を遂げ、さらに彼が清朝の秘宝の密売に関わっていたことから、ホック氏は英国の駐在武官ホイットニー、そして清警察の張警補とともに、事件解決に乗り出すのであります。
 上海、蘇州、紫禁城、万里の長城――さながら名所巡りの如く舞台を変えて展開していく事件の背後にいるのは、秘密結社青幇、そしてあの宿敵の…

 と、長編というボリューム、中国大陸という舞台にふさわしい大冒険が繰り広げられる本作ですが、なによりも印象に残るのは、随所に散りばめられた「らしさ」であることは間違いないでしょう。
 初対面のホイットニー氏の来歴を言い当てる場面、身よりのない少年たちを使っての操作、狙撃手への対処法(は、この後の作品ではないかいらん)など、シチュエーションもそうですが、ところどころで、ファンならお馴染みの要素を入れてくるのが嬉しい。

 その最たるものは、ホック氏を一連の事件に巻き込むことになる、彼の古い友人であるヴィクター・トレヴァーで…と、ここでファンであれば「おおっ」となるはず。
 トレヴァーといえば、作中の時系列で言えばホック氏の最初の事件である「グロリア・スコット号」の登場人物。同作のラストで、インドに旅立ち茶園で成功したと触れられる人物がここで登場するとは、なるほど地理的にも(同じアジアということで)、そしてホック氏が事件解明に乗り出す上でも、実にうまい設定ではありませんか。

 ただ、残念なのは、ミステリとしての面白さが、前作に比べると…という点でありましょうか。前作の、ホック氏だからこそ解けない謎、という見事な仕掛けに唸った身としては、本作の仕掛けは、正直に申し上げれば、さほどでもないように見えてしまうのです。
(もっとも、あくまでも前作に比べれば、であって、紫禁城での密室殺人のトリックは、見事にあの場あの時代ならではのもので感心)

 その辺りを補うのは、活劇としての面白さ、そしてホック氏を混沌たる清朝末期に放り込み、彼の目から当時の上から下まで、表から裏までの清国の姿を描き出してみせた点だと思いますが…


 本作の事件は解決したものの、まだ物語は続きます。今回活躍したトリオが再び登場するシリーズ第3弾「ホック氏・香港島の挑戦」もなるべく早く取り上げたいのですが…


「ホック氏・紫禁城の対決」(加納一朗 双葉文庫) Amazon


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2013.08.24

「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第8巻 兼続出陣、そして意外な助っ人?

 アニメも現在放映中、そして単行本二カ月連続刊行の二ヶ月目である「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」の第9巻であります。まだまだ続く地蔵菩薩争奪戦、とんでもない乱入者により持ち去られた像を巡る戦いが続くのですが…

 直江兼続の出生の秘密が隠された地蔵菩薩を巡り、小田原の陣の背後で繰り広げられてきた上杉と徳川の暗闘。
 己の大望の障害となるであろう上杉、いや兼続の動きを封じるため、その像を奪わんと送り込まれた伊賀忍軍を率いる下坂左玄と、主君たる兼続…いや謙信を守るためにそれを阻まんとする次郎坊の暗闘は、京にまで及んだのですが…

 そこで判明したとんでもない真実。像は何と本能寺の変の前日に、織田信長が持ち去ったというではありませんか。そして本能寺の炎に消えたかに思われた像は、信長配下の忍びの手により、さらに別の場所に隠されたと…
 いやはや、信長が何を考えてそんなことをしたのかはまだ全くわかりませんが(いずれ何か格好良い理由があるのでしょう)、とにかく争奪戦は第2ラウンドへ移行することになります。

 しかし次郎坊にとって圧倒的に不利なのはその戦力差、次郎坊は己一人なのに対し、左玄の方は三百人の配下を動員しているのですから…
 というわけで、ようやく小田原の陣も終わったことですし(まだ三成はのぼうの城を攻めあぐねてますが)、兼続は槍持ちの供/友と単騎で助っ人に向かう!

 のですが、その決死行に立ちふさがった男が一人。それは三成の家老・島左近――故あって単身兼続に会いにやってきた左近(ちなみに、どう考えても左近も兼続の出自を知っているとしか…)は、忍び一人のために命を賭けるという兼続の意気に感じ、同行を申し出るのであります。

 主君が苦戦しているときに!
 …というのはともかく、折角の兼続出陣が、左近のおかげで(兼続自身も、読んでいるこちらの方も)ペースを乱された、という印象になってしまったのは残念なところ。
 いくさ人左近のイイ話的エピソードもあるのですが、そんなことをしている間に次郎坊が! とこちらは色々な意味でハラハラであります。

 とはいえ、兼続にまさしく一騎当千の頼もしい味方ができたのは間違いない話。最強軍師タッグの活躍で、地蔵菩薩像争奪戦のクライマックスを盛り上げていただきたいところであります。


「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第8巻(武村勇治&原哲夫&堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon
義風堂々!!直江兼続~前田慶次酒語り 8 (ゼノンコミックス)


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 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第1巻
 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第2巻 またもやの秘密…
 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第3巻 義風は吹けども…
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 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第5巻 動かぬ証拠は何処に
 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第6巻 史実の裏表を行く二つの物語
 「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り」第7巻 大秘事争奪戦の意外な乱入者!?

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2013.08.23

「明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者」第4巻 自分が自分であること、隙を見せるということ

 女学校に通うじゃじゃ馬娘・菊乃と、元は御広敷伊賀者いまは失業中の清十郎の二人の微妙な関係を中心に明治という時代を描く「明治失業忍法帖」待望の最新巻です。この巻の収録分から掲載誌を「プリンセス」に移した本作ですが、面白さはもちろん変わりません。

 女学校に進む条件である「結婚」を偽装するため、清十郎と主従関係の「契約」を結んだ菊乃。しかし偽装であったはすが、どちらもいつしか本気に――
 という、お約束の展開になるようでならない、ならないようでなっている、そんな複雑な成り行きが、本作の魅力の一つでありましょう。

 菊乃は進歩的な女性である自分と、安らぎを求める一人の女の子である自分の間で、そして清十郎も、容易に素顔を見せぬ忍びとしての自分と、真っ直ぐな感情を見せる菊乃に惹かれる自分との間で――
 自分自身のもつ二つの、いやもっと様々な顔の間で戸惑い、素直になれない二人の関係がなんとも微笑ましいのであります。

 そしてそんな複数の自分自身にとまどう彼らの、その一方の自分は、明治という時代に、彼らが属する、あるいは属してきた集団に拠るものであり――そしてそれはもちろん、彼らの自身の意志に拠るものではありません。
 言い替えればあるべき自分…その自分と、ありたい自分のせめぎ合い。そしてそれは、もちろん菊乃と清十郎に限ったものではないのであります。

 この巻の冒頭に収められたエピソードで主役を務めるのは、菊乃の学友であり、会津出身の未亡人という境遇にある桃井と、密偵としての清十郎のいわば雇い主であり、薩摩出身の警官である槙の二人。
 菊乃と清十郎を介しておかしな形で出会った二人ですが、硬軟相反する性格以上に、その出身が、境遇が相性最悪であることは言うまでもありません(いわば桃井は山本八重の戦友であるわけで…)

 しかしそんな二人を隔てる部分も、彼女たちの「自分」自身を形作る要素の一部に過ぎません。そしてそれ以外の「自分」同士が触れ合った時、新しい関係性も生まれるということを、このエピソードは教えてくれるのであります。

 しかしどの自分であれ、「自分が自分であること」の重みというのは相当のもの。そしてそんな重みの中で生まれる隙を他人に知られる、受け入れられるということは、気恥ずかしいことであると同時に、非常に心休まることでありましょう。
 実に本作で菊乃と清十郎の間にある感情こそがそれであり――それを明治ならではのシチュエーションの中に、恋愛もののフォーマットの中に落とし込んでみせたのが、本作の見事な点だと感じる次第です。
(冒頭で触れた二人の何ともやきもきさせられる関係性も、もちろんこの点に由来するものでありましょう)


 長々と言わずもがなのことを述べてしまった感もありますが、冒頭で述べたとおり掲載誌を変えてリスタート的な状況となった(ちなみにその第1回のタイトルが「新説 開化の忍者」というのが楽しい)ことを考えると、ここで一度本作の構造というものを振り返ってみてもいいでしょう。

 内容の方は、新たに清十郎のライバルとなりそうな謎の男が登場、ややこしい物語がさらにややこしいことになりそうであり…そしてもちろん、この先の展開がいよいよ楽しみになるのであります。


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2013.08.22

「風の王国 9 運命の足音」 二つの歴史が交錯するところで

 全10巻の大河伝奇ロマン「風の王国」も、ついに残すところわずか2巻、ラスト目前であります。相変わらずうち続く群雄割拠の戦乱に、魔人と化し神出鬼没の耶律突欲に対し明秀はいかに挑むのか、そして広がる一方の戦いに終わりはあるのか…

 史実通りに後唐で暗殺されながらも、遊部の秘術で復活した突欲。しかし一度死の世界を見た突欲は、これまでとは人が変わったように目的のためならば手段を選ばぬ性格に変貌し、己の目的のために巫術で生み出した不死身の軍・猖獗軍で大陸中を席巻するようになります。
 その目的とは、この世から全ての「国」を無くすこと――王を、皇帝を、国を形作る全てのものを打ち壊し、世界を原始の状態に戻す。その目的のために、突欲は全てを敵として戦いを始めたのであります。

 しかし大陸はまさにその「国」を巡る戦いの真っ直中。渤海亡き後、明秀たちが味方する南渤海、高元譲の高氏渤海、烈万華の定安国、突欲の弟の堯骨が治める契丹、後唐改め晋…さらに戦いは北方の遊牧民・靺鞨たちまで巻き込み、拡大していく一途なのであります。

 このような中では、どこか一つの国が圧倒的な勝者となることは難しい状況。いつまでも続く混沌の中に、さらに突欲が加わったことで、いよいよややこしいこととなり、誰が勝者ともわからない――まだにそれが突欲の狙いでありましょうが――状況が続くことになるのであります。


 …が、伝奇ものとしてみると、この勝利者などいないような戦いが延々と続くのは、正直に申し上げれれば、停滞という印象があります。厳しい言い方をあえてすれば、結末を目前としたところで中だるみが生じた…とすら感じます。
 どれほど明秀たちが痛快な活躍を見せようとも、いや、史実の軛から逃れた突欲の暴走があろうと、歴史というものは変わらない――言い換えれば、歴史上のある一点に至るまで物語の結末は訪れない――そう思わせてしまった時点で、伝奇ものとしては大きなマイナスではありますまいか。

 しかし、それでは本作がつまらないか、価値がないかといえば、もちろん否、というのもまた、正直なところであります。
 この巻において、これまでに比べてはっきりと見える変化があります。それは、子供たちの世代の登場――明秀たちの次なる世代の出番がもうそこまで来ていることが、さまざまなエピソードの中で描かれることであります。

 明秀とその妻・夕凪に預けられたチョルモン――明秀と靺鞨の蓮姫の間に生まれた子――が見せる、父親顔負けの大器の片鱗(それでいてまだまだ子供の部分もきちんと描かれるのがいい)。
 そしてまた、堯骨の下で将となりつつもその非道さに反発し、あるべき国の姿を求める兀欲、父の教えに従い、武や政の道を離れた世界に生きようとする隆先と道隠と、それぞれの道を歩み始めた突欲の三人の子供たちの生き様――

 既に物語は、歴史は明秀や突欲たちだけのものではなく、その次の世代へと移り始めたことが、この巻では示されているのであります。
 これまで、親の(世代の)影響を陰に陽に受けていた明秀たちが、もう次の世代に仰ぎ見られる存在となっている…その事実こそ、この「風の王国」という物語に描かれた、もう一つの歴史でありましょう(そしてこうして見れば、前巻のラストで明秀の育ての父が退場したのもなるほど、と感じさせられます)


 こうして、国の歴史と個人の歴史と、二つの歴史が描かれることとなった本作。この二つが交錯する先に何が見えるのか――それこそは明秀が見つけようとしてきたものの答えでありましょう。
 この「風の王国」という物語がどのような結末を迎えるのか、それはこの本作にヒントがあるようにも感じられますが…いずれにせよこの大河伝奇絵巻が向かう先を、しっかりと見届けたいと思います。


「風の王国 9 運命の足音」(平谷美樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
風の王国 9 運命の足音 (ハルキ文庫 ひ 7-15 時代小説文庫)


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 「風の王国 4 東日流府の台頭」 快進撃と滅亡の予感と
 「風の王国 5 渤海滅亡」 一つの滅び、そして後に残るもの
 「風の王国 6 隻腕の女帝」 滅びの後に生まれるもの
 「風の王国 7 突欲死す」 二人の英雄、分かれる明暗
 「風の王国 8 黄金の仮面」 屍衣をまとう混沌の魔人!

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2013.08.21

「浣花洗剣録」第35集 寛容に生きること、自由に生きることという難しさ

 そろそろクライマックスなのですが、微妙に静かな展開の「浣花洗剣録」、久々に登場した酔侠・金祖揚に何だかとんでもない秘密があったと思えば、相変わらず方宝玉は悩みっぱなし。侯風と白水聖母(白艶燭)と出会ったことでそれは治まるどころかいよいよ面倒な方向に…

 木郎神君に奔月を人質に取られ、ネチネチといびられた末に、三ヶ月以内に侯風と聖母の首を取ってこいと命じられた宝玉。放浪の末に自分にとっては師にも等しい金祖揚のもとに身を寄せたものの、そこで頭の侯風と艶燭と出くわしてしまったのはいかにも気まずいところであります。
 艶燭はさすがに母だけに宝玉が悩みを抱えているらしいことに気づき、侯風もまた、愛娘の奔月が宝玉とともにいないことを訝しむのですが…そこで侯風が折れた奔月の刀を宝玉が持っていたのを見つけてしまい、事態はいよいよ面倒なことに。

 剣を片手に詰め寄る侯風に、「そうやって父も殺したんですか」と返すのは宝玉にしては上出来ですが、しかしさすがにタイミングが悪い。ついに始まってしまったガチの斬り合いは、艶燭と金祖揚が割って入って事なきを得るのですが、ここでようやく宝玉は奔月が錦衣衛の人質となったことを語るのでした。ただ一つ、自分も錦衣衛となったことは伏せて…

 ちなみに白艶燭、聖母と呼ばれたり艶燭と呼ばれたりまちまちなのですが…てっきり本名だと宝玉が母だと気づいてしまうから伏せてるのかと思いきや、普通に宝玉の前でも艶燭と呼ぶ場面もあるし、宝玉も気づいてないというのが、ちょっと不思議ではあります。

 閑話休題、奔月は救い出すとして、目下の金祖揚の悩みは、この地の周囲をうろつく武林の連中のこと。町まで探りに出る金さんの使用人についていった宝玉ですが、木郎らの襲撃を受け、使用人は捕らえられてしまいます。激しい拷問を受けたところを、脱塵郡主に救出された使用人ですが、これは脱塵の行動までも読んだ上での木郎の作戦。逃がして本拠地を突き止めようというやつです。

 そして酒池肉林に帰って来た使用人は、宝玉が錦衣衛だと糾弾。やむなくそれを認める宝玉ですが――この時の金祖揚・侯風・艶燭の、宝玉に向けた視線が本当にヒドい。冷たいというか心が全く籠もっていないというか理解できない存在を見るようなというか――
 魔教よりも錦衣衛は厭われる存在なのか、とも思いますが(まあ、武林的にはそうかもしれませんが)、ここはむしろ、今の武林で精神的にも立場的にも最も自由であり、李懐があるはずの三人ですら…という、人間のどうしようもない業を見るべきなのでしょう。
 人が自分たち以外の集団に寛容となること、自分たちを縛る規範が絶対ではないと理解することがどれだけ難しいことか、本作において陰に陽に、これまで幾度となく描かれてきたものの、ある意味集大成とも言えましょうか。

 と、なぜ隠していたかという事情も含めて宝玉が説明したことで、ようやく最悪の誤解は解けましたが、しかし金祖揚は宝玉をその場から追放します。ただ一人奔月を取り返す覚悟を固めた宝玉を、一人の男と認めて、艶燭と侯風は見送るのでした(が、直前の侯風のめっちゃ冷たい視線が脳裏に焼き付いていて今一つ素直に見れない…)。まあ、女のために道を誤ることについては大先輩だからな!

 そして、錦衣衛が攻めてくる前に酒池肉林を捨てた金祖揚と侯風、艶燭は、金祖揚が仕える先である剣閣に身を寄せようとするのですが…なんと金さんもその場所を知らない。
 何でも指定された場所に欲しいもの書いたメモと地図を持った伝書鳩が飛んできて、その場所に品物を持って行くといつの間にか消えているという…剣閣の人は出前とAmazonで生きてる人か!?
 さらに、最後に注文があったのは七年前とか怖いことを今頃言い出す金さん。それはどう考えても…という感じですが、何とか乏しい手がかりで一行は剣閣に向かうのでした。

 一方、酒池肉林を占領した錦衣衛。白三宝は木郎に対し、何故金祖揚にこだわるのか訪ねます。それは…と木郎が口を開きそうになったところというあんまりなタイミングで次回に続きます。


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『浣花洗剣録(かんかせんけんろく)』DVD-BOX


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 「浣花洗剣録」登場人物&感想リスト

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2013.08.20

「曇天に笑う」第6巻 そして最後に笑った者

 人類の天敵・オロチの復活を巡り、琵琶湖畔の曇神社の三兄弟――天火・空丸・宙太郎の波瀾万丈の運命を描いてきた「曇天に笑う」もこの第6巻でついに完結。あまりに衝撃的な展開だった第5巻発売以来、この日をどれほど待ちわびたことか…そして手にした最終巻は、まさに大団円の一言であります。

 300年に一回復活する邪悪な怪物・オロチが復活する際に宿る「器」――それは曇神社の次男・空丸。己を蝕むオロチに負けまいと必死に戦う空丸でありましたが、ここで彼を恐るべき裏切りが襲います。
 これまで空丸たちを暖かく見守ってきた風魔の忍び・金城白子。実に彼こそはオロチに仕える風魔一族の長であり、そして曇兄弟の両親の仇――空丸にとってはもう一人の兄とも言うべき白子の裏切りは、空丸にとって、そして読者にとっても絶望的、としか言いようがないものであります。

 かくて空丸の絶望の中で復活したオロチの下に風魔の忍びたち、そして琵琶湖の巨大牢獄・獄門処の脱獄囚たちが集い、膨れあがった「敵」の前に、もはや為す術なしか…


 というところで始まったこの最終巻ですが、いやはや、冒頭からラストまで、死闘また死闘の大決戦。どこまでも絶望的な状況の中、天火が、宙太郎が、犲の面々が、牡丹が比良裏が、いやそれだけではない数多くの人々が、それぞれの想いを胸に立ち上がる――そしてそこに一人一人のドラマが重なることは言うまでもなく――姿はただただ圧巻であります。
(個人的に、これまでのキャラクターが全員揃って最終決戦、というパターンに非常に弱いだけに…)

 そして、そこで中心となるのが曇三兄弟であることは言うまでもありません。
 オロチの力で命を繋ぎながらも弟たちのために戦う天火、一度は絶望に道を踏み外しかけながらも優しさを失わない宙太郎。そして空丸も…
 一人一人は欠けた点があったとしても、互いを想い合い、支え合うこと人はより強く、より良く生きることができる――そんな口にしてしまえば当たり前のことも、彼らの姿を見れば、そして最後に笑った者の姿を知れば、実に素晴らしく、また格別のものとして、感じられるのです。

 そして彼ら兄弟の、そして彼らとともに戦う若い力の姿を見れば――そしてオロチや風魔といった彼らが敵とする者たちの存在を考えれば、本作がなぜ明治の初めという、古きものと新しきものが交錯する時代を舞台としたかわかろうというものであります。
 変わっていくもの、変わらないもの。変わらなければいけないもの、変わってはいけないもの――その交錯の中に、「曇天に笑う」という物語はありました。


 そして大団円を迎えた本作ですが、なんとTVアニメ化されるとのこと(分量的にもちょうど良いでしょう)。
 おそらくはそれに合わせてでしょうか、冬には「曇天に笑う」番外編、さらに本編で幾度か触れられ、最後の戦いでも重要な意味を持った三百年前の戦いが、「煉獄に笑う」のタイトルで描かれるとのことであります。

 一つの物語は終わりましたが、しかしまだまだ大いに笑わせてくれそうであります。その時を(最終巻の時よりは落ち着いて)待つことといたしましょう。


「曇天に笑う」第6巻(唐々煙 マッグガーデンアヴァルスコミックス) Amazon
曇天に笑う(6) (アヴァルスコミックス)


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 「曇天に笑う」第4巻 残された者たちの歩む道
 「曇天に笑う」第5巻 クライマックス近し、されどいまだ曇天明けず

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2013.08.19

「柳うら屋奇々怪々譚」 怪異という希望を描く遊郭怪談の名品

 嵐の晩、吉原の妓楼・柳うら屋の看板遊女・白椿が何者かに殺された。遺体を発見した遊女・霧野は、それ以来この世のものならぬものが見えるようになってしまう。さらに柳うら屋で相次ぐ奇怪な現象の数々。これは不思議な力を持っていたという白椿の亡霊の仕業なのか? やがて霧野が知った真実とは…

 まことに恥ずかしながら、これほどの作品、もっと早く読んでおけばよかった! と思うことがたまにあります。本作もその一つ――吉原の妓楼が舞台のホラーという重たそうな題材に二の足を踏んでいたのを強く後悔した、そんな名品であります。

 何者かに殺害された柳うら屋の看板遊女・白椿。類い希な美貌と優しい心根を持ち、そして霊能ともいえる不思議な力を持っていた彼女の遺体を発見した三人の遊女――霧野・玉舟、糸香の三人は、自分たちにそれぞれ不思議な能力を持ったことにやがて気づきます。
 さらに、柳うら屋で奇怪な現象――虚空から降り注ぐ白い椿の花、霧野にしか見えない禿と猫、夜歩く人形――が相次ぐ中、霧野たち三人は、怪事の背後の人の想いを、そして白椿の死の真相を知ることになるのであります。

 というわけで本作は、白椿の死の謎という物語を貫く柱を用意しつつ、連作短編的に様々な怪事を描いていくというスタイルを取った作品なのですが…
 まず面白いのは、主人公である霧野をはじめとする三人の遊女が異能を――霧野は他人の過去の記憶を読みとる能力、玉舟は発火能力、小糸は他人の寿命を知る能力を――持つこと。
 能力バトルのような展開はないにせよ、彼女たちがその力でもって怪事の真相を知り、惨劇を未然に防ごうとするという展開はなかなかにユニークで、主人公が受け身なだけではないという趣向は悪くありません。

 しかし何よりも感心させられたのは、その落ち着いた、しかし決して冷たいわけではないその筆致であります。
 舞台は吉原の妓楼、主人公は遊女ということで、本作で描かれるものは、決して綺麗事だけの世界ではありません。霧野たちの「仕事」の場面もはっきりと描かれますし、何よりも、そこに積もり積もった様々な想いや業が怪異を引き起こすという本作の構造からすれば、本作はひどく生々しく、重たい描写が続いてもおかしくないのですが――

 しかしそこで本作は生臭くなるギリギリのところで踏みとどまり、味気なくなるギリギリのところを踏み越えてみせるのです。贅言を費やさず、わずかなしかし極めて的確な表現をもってして。
 作者はこれがデビュー作とのことですが、それでこの描写力とは…いやはや、舌を巻くしかありません。

 また、その筆致は、本作で描かれる怪異の数々に対しても及びます。そしてそれがもたらすものは、怪異もまたこの世の一部、地続きの世界のものであり、それを招いた、あるいはそれに変じた人の想いもまた、決して異常なものではなく、我々の近くに当たり前に存在するという想いであります。
 異能を持つとはいえ、あくまでもただの遊女に過ぎない霧野に、怪異を祓う術はありません。彼女にできることは、そういうこともあるのだと怪異の存在を受け入れ、そして――日常の出来事の大部分に対してそうであるように――それを忘れていくことだけなのです。
 そしてそのあるがままを受け入れることが、なんと優しい眼差しであることか――


 しかし本作は、そこからさらに踏み込んで、人が怪異を、怪談を求める心の有り様まで描いてみせるのです。
 ごく当たり前にこの世と地続きの世界に存在する――しかし、決してこの世の常ならざる怪異。それは、変わり映えのしない日常に風穴を開け、変化の風を吹き込むものであり、そしてそれは、吉原という極めて閉鎖的な世界――もちろんそれは、我々自身の世界の縮図でもーあるのですが――において、大いなる希望となるのであります。


 巧みな筆致とユニークな設定で様々な怪異を描き出し、そしてそこに人の哀しい想いのみならず、希望を求める心をも描き出す。
 遊郭怪談の名品というのにとどまらず、怪談というジャンルの存在にまで切り込んだ、恐るべき作品であります。

 そしてまた――怪異が人の世と地続きに存在するのであれば、人がいる限り、怪異もまた生まれ続けるのでありましょう。
 霧野たちには申し訳ありませんが、彼女たちが怪異と出会い、向き合う姿をまだまだ見てみたいと、そういう想いも強く強く、私にはあります。


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2013.08.18

さいとう・たかを版「水滸伝」 巧みにまとめられた一巻本

 先日来散々述べていることではありますが、今年は近年希に見る「水滸伝」の当たり年。その中心となっているのが中国ドラマの日本での放映にあることは間違いありませんが、それとリンクを取ってと申しましょうか、さいとう・たかを版の水滸伝が、全1巻のコンビニコミックとして復刊されました。

 このさいとう・たかを版の「水滸伝」は、世界文化社から全3巻の書き下ろしで刊行されたのを初出として、その後も何度か出版社や判型を変えて復刊してきた作品。それを1冊にまとめたのでありますから、相当にボリューム感のある一冊であります。

 さて、そのさいとう版の内容の方ですが、これがかなりオーソドックスなものになっているという印象。原典のストーリーを押さえつつ、大きく逸脱することなく、原典でいえば七十回本のラストである百八星集結まで描いているのですが…このダイジェストの仕方が、なかなかに巧みなのであります。

 というのも、冒頭で述べたように本作は一冊本、元の版を考えても3、4巻の分量では、話を追うのもなかなかに困難というのは、容易に想像がつくでしょう(ちなみに横山光輝版が文庫で全6巻、かなり原典に忠実な李志清版で全8巻)。

 それを本作は、史進や魯智深の登場から林冲の受難、生辰綱強奪に宋江の閻婆惜殺し、武松の活躍に江州での戦い、祝家荘戦に高廉との対決、呼延灼との決戦に曾頭市攻めと、ほぼ押さえるべき見せ場は押さえているのですから、これはまず見事と言ってよいのではありますまいか。
 もちろん省略された部分も少なくはなく、清風山でのエピソードは、宋江が到着した際には既に花栄と燕順が手を結んで反乱をおこしており、しかこ宋江は到着するなり弟の手紙を見て実家に帰ってしまうという展開。また盧俊義も、妻と番頭に裏切られて殺されかけたので梁山泊に助けを求めに来たというダイジェストぶりなのですが…

 もっともこの辺りはリライトには付き物であり、十分許容範囲なのですが…しかし水滸伝ファンに大きなインパクトを与えるのは、そのビジュアル面である、ということには触れないわけにはいきますまい。
 漫画版の水滸伝に対して、ファンがまず期待するのは、ストーリー面以上にビジュアル面、あの個性的な梁山泊の面々をどのような姿で描くかという点でありましょう。そしてその点において、本作は賛否分かれる可能性があります。

 言うまでもなく本作の作者はさいとう・たかを、ということは当然ながら登場人物の要望も、氏の劇画タッチのものであるわけで――実は原典通りとわかっていても、濃いめの髭面の中年男性が所狭しと乱舞するビジュアルには、衝撃を受ける方が少なくないのではありますまいか。
(呉先生は中年を通り越して老年でありますし…)

 しかし、美形度は低いものの、それぞれのデザインは原典を踏まえて個々のキャラクターが出たものがほとんどでありますし、「劇画」として見た場合に水準以上のものであることは間違いありません。
(個人的には、ラテン系の王英というのには、この手があったか! と感動すら覚えたのですが…)

 いずれにせよ、何度も述べたように、一冊本としては実に良くまとまった本作、初心者が概要を押さえるにはかなり良い作品ではないかと思います(そして水滸伝ファン的には、そのビジュアルを楽しむということで…


 ちなみに本作、公孫勝や戴宗が術を使う場面がなかったり、高廉の妖術がインチキだったりするのが目につくところ。ここだけリアル路線なのは、何かの意図があったのかどうか…いささか気になるところではあります。


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2013.08.17

「大樹 剣豪将軍義輝」第2巻 宿敵登場、しかし…

 宮本昌孝の名作「剣豪将軍義輝」の漫画化である「大樹 剣豪将軍義輝」の続刊――あまちに鮮やかな紅い表紙に驚かされる第2巻であります。将軍とは名ばかりの義輝(義藤)が、剣の天稟を示し始める一方で、彼の修正の宿敵となるあの男が登場、早くも暗雲垂れ込める展開であります。

 幼くして足利第13代将軍となりながらも、その実体は傀儡同様、諸大名家の争いの間で京から落ち延びることも余儀なくされていた義藤。そんな彼が、個人で卓抜した力を持つ「剣豪」の存在を知り、剣に興味を持ち始めた折り、親しくなった犬神人の少女・真羽がさらわれ、彼女を助けるために妓楼に単身乗り込んだところまでが第1巻の物語でありました。

 この第2巻の前半では、義藤がその妓楼で、最初の師であり盟友となる鯉九郎と対面、彼の指導の下で剣の腕を上げていく様が描かれるのですが…しかし、足利将軍家を取り巻く状況はいまだ混迷の一途、義藤は八坂塔で、何者かに送り込まれた刺客たちと対峙することとなるのであります。

 そして後半で描かれるのは、こうした彼を取り巻く勢力の一つ、畿内から瀬戸内までを支配する三好長慶…に仕える松永弾正久秀の姿。
 戦国ファンであれば、久秀が後にどのような所業を働いたかはよくご存じでありましょうし、そして義輝とも浅からぬ――などという言葉ではすまされない因縁があることもまた。
 本作においても、久秀は義輝の最大の敵として現れることとなりますが、そのビジュアルデザインは、作中でも言及されるように、蝙蝠のようなその存在を踏まえてか、いささか人間離れしたものとなっているのはちょっと面白い(個人的には少々やりすぎの印象もありますが、案外「面白くない」キャラである久秀を立てるには、これくらい必要かもしれません)。

 しかし何よりも面白いのは、三好家の人間と対峙する中で徐々に明らかになっていくその人間性であり――さらに、同じく三好家に仕える者という設定で彼の前に現れた、明智十兵衛光秀との腹の探り合いであります。
 久秀とは対照的に見るからに怜悧な切れ者と見える光秀の存在は、しかし久秀と同様、この戦国乱世の象徴的なものであることは間違いなく、そしてそれだけに、そのファーストコンタクトに垣間見えるそれぞれのキャラクターが実に印象的なのです。

 とはいえ、一冊まとまったところで読んでみると、バランスがいいとは言い難いというのが正直なところ。
 上で述べたとおり、久秀は物語で大きなウエイトを占めるキャラクターではあるものの、後半ほとんど全く主人公の登場しない構成でよいのか…とは感じさせられます。少なくとも、「剣豪将軍」というワードから受ける印象とはかけ離れているなあ…と。

 もっともこの辺りは、原作ものにつきまとう難しさではありましょう(内容的には、相当に原作に忠実ではあります)。まだ剣豪将軍の物語は序章とも言うべきもの。ここから先の義輝の本格的な活躍に期待することとしましょうか。


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2013.08.16

「女忍隊の罠 おばちゃんくノ一小笑組」 旗本と外様、武士と忍び、鬱屈に縛られた中で

 久々に江戸を訪れた公儀公伝方、通称「小笑組」の一員で柳生新陰流の使い手・百地勇馬は、旗本衆と外様大名の間で互いの悪評が流され、双方の間の緊張が日に日に高まっていることを知る。探索の末、その背後に「乱花隊」なる謎のくノ一集団がいることを掴んだ勇馬だが、その身に罠が迫る…

 柳生ものを得意とする多田容子のユニークな忍者もの「おばちゃんくノ一小笑組」の第2弾です。

 「小笑組」とは、情報戦を得意とする秘密部隊。徳川家に仕え、何者かが流した徳川幕府への悪評を打ち消すことで、天下太平を守るという任を課せられた隠密集団なのであります。
 第1作目においては、徳川家にとってはアウェーである大坂で、幕府の悪評を流す背徳組なる集団の陰謀を打ち砕いた小笑組ですが、本作の舞台は将軍のお膝元である江戸。さすがにこの江戸で幕府の悪評を広める者はいるまい…と思いきや、また別の形で幕府の屋台骨を揺るがそうとする者が現れるのです。

 どの敵が狙うのは、徳川家の旗本と、外様大名の間の亀裂を深めること。名誉はありつつも実際の力は小さい旗本。力はありつつも、あくまでも一段低く見られる外様大名――両者の確執が史実の上でも存在し、その一つの顕れが、荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ちであったというのは、時代ものファンであればご存じの方も多いでしょう。
(ちなみに本作においては、まさにその又右衛門が小笑組の一員として活躍するのが面白い)

 その点を突き、それぞれに相手への敵意を少しずつ吹き込み、やがて決定的な爆発を起こそうとする――決して正面からではなく、あくまでも噂や示唆の形でネガティブな感情を煽っていく敵、乱花隊の姿は、まさに小笑組とは一対の相手と申せましょう。

 そんな両者の対決が興味をそそる本作ですが、もう一つユニークなのは、そこに柳生新陰流の当主の長男である七郎にスポットが当てられることでしょう。
 七郎、言うまでもなく後の名は柳生十兵衛は、作者がこれまで描いてきた幾多の柳生ものの中でも、最も数多く描かれてきた人物であります。しかしながら、本作で描かれるその姿は、粗暴で我が儘勝手に暴れ回る一種の不良少年。なぜ七郎がそのような人間となったのか、何を抱え込んでいるのか――堅く抱え込んだ彼の鬱屈を、小笑が溶かしていくことになるのです。

 そう、本作の物語の陰にあるのは、それぞれの人間が抱える鬱屈――己が己として自由に生きられぬこと、己の価値が他者に認められないことへの満たされぬ想い。
 本作で描かれる旗本と外様の対立、七郎の暴走は、その原因も影響も全く異なるものながら、共にその鬱屈に支配され、押し潰されたが故のものなのです。

 そして終盤で明かされる敵の正体と目的は、彼女たち自身もまた、その想いに縛られていたことを示すのであります。さらに言えば、本作の主人公であり、忍びと剣士の間で揺れ動く勇馬もまた…敵も味方も、利用した者もされた者も、誰もが鬱屈に縛られた戦いとは、何と哀しいものでありましょうか。


 徳川幕府による支配体制――それが固まる直前の混沌の中で、揺れ動く人々の心を、ユニークな忍者ものの形で切り取ってみせた本作(時にそこにジェンダーの問題も絡むのがまた面白い)。
 前作に比べると、柳生サイドの描写があった分、小笑組の存在感が薄れている点は少々残念ではありますが、本作でなければ描けない世界を見せてくれた点は評価できます。

 相変わらず道に迷いまくっている姿がなんとも歯がゆい勇馬――もちろん彼の姿は、本作で描かれる人間像の象徴であるのですが――がこの先どこに向かうのかも含めて、次が気になって参りました。


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2013.08.15

「天威無法 武蔵坊弁慶」第1巻 鬼若、戦乱の巷へ

 現在アニメ放送中の「義風堂々」では現代から約400年前の戦国時代を舞台としている武村勇治ですが、新作の舞台は、それよりさらに400年ほど前の平安時代末期。源平の合戦の中で大暴れした武蔵坊弁慶を主人公とした「天威無法 武蔵坊弁慶」であります。

 舞台となるのは1174年――平清盛を頂点に平氏一門が隆盛を極める一方で、平氏に対する不満も各地で高まりつつあった時代。
 が、そんな時代の流れとはほとんど無関係に、比叡山で己の力を持て余していたのが、本作の主人公・鬼若――言うまでもなく、後の武蔵坊弁慶であります。

 幼い頃から常人離れした力で暴れ回っていながらも、しかしいつしか己の力に敵う者がいなくなり、力を振るうことに空しさを覚えていた鬼若。
 そんな彼を山の外に連れ出した法然房源空(あの浄土宗の開祖の法然!)は、保元・平治の乱の古戦場に彼を導き、戦場の諸相を見せるのですが――そこで黒装束の謎の二人組が彼らに襲いかかります。

 二対一ながら、その体術と剣術で鬼若を圧倒する黒装束。果たしてその正体は…という辺りがこの第1巻の2/3くらいまでの展開。以降は黒装束との戦いの中で世間の広さを知った鬼若が立ち上がる姿が描かれることとなります。

 この黒装束の正体自体はここでは伏せますが(といっても、主人公が主人公なのですぐにわかると思いますが、もう一人の方は名前も含めてちょっと面白い設定ではあります)、鬼若の師匠が法然であったり、ちょっとしたひねりがあるのはなかなかに面白い。
 ちなみに法然が比叡山を下りて浄土宗を開いたのはこの物語の翌年である1175年で、史実とはほぼ平仄の合っておりますし、鬼若も○○○も、この時期は何をやっていたか、正式な記録が残っているわけではないため、この設定も十分にアリ、と思います。


 ただし、物語展開自体は、アクションシーンがほとんどであったこともあり、まだまだ評価は難しい…というのが正直な印象ではあります。
 鬼若自身、感情を表に出さないタイプであるため、こちらが感情移入しにくいというのも、難しい点でありましょう。
(弁慶物語では非常にメジャーなあの対決が、この作品の展開だとほとんど封じられているのも厳しいかもしれません)

 もっとも(?)その分感情表現が異常に豊かな奴――平清盛がラストに登場。この辺りの描写はいかにも作者らしい、という印象がありますが、さて色物に終わらないキャラクターとして描けるか。
 おそらくは鬼若とともに物語を大きく動かしていくであろうキャラクターだけに、そちらにも期待したいところではあります。


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2013.08.14

「浣花洗剣録」第34集 古龍ファン衝撃の真実!?

 紆余曲折の果てに一組のカップルが絆を取り戻して旅立ったと思えば、もう一組はまた引き裂かれてしまった「浣花洗剣録」。相変わらず若い者が苦労しまくるお話ですが、それでも少しずつ物語はクライマックスに向かって進み、今回は古龍ファンには驚愕の真実が…

 木郎神君により、方宝玉に対する人質として囚われてしまった奔月。世話をするために現れた脱塵郡主に罵声を浴びせる奔月ですが、(武林的に)ダメ男に引っかかった脱塵に返す言葉はなく、ただ奔月を逃がすことで報いようとするのみ――

 だったのですが、その行動はあっさり木郎神君にバレて奔月はあっさり点穴されてしまいます。脱塵の造反とも言える行動を問い詰める木郎ですが、脱塵の苦しい胸の内を聞く内にその目には涙が…
 万事信用できない木郎ですが、ここ数回の描写を見る限り、やはり脱塵に対する愛情のみは本物である様子。だからこそ愛情と仕事の板挟みにあってしまう辺りが切ないのですが、しかしこの二人、どう転んでも先行きが悲劇としか思えません。

 一方、金祖揚を尋ねてやってきた侯風と白艶燭ですが、金さんの住んでいる「酒池肉林」はどこですか? と尋ね歩いても誰も知らない様子(にしても聞き回るには恥ずかしいネーミング…)。ようやく、「近隣で一番の酒飲み」の居場所を聞いて行ってみるも、そこに仕掛けられた罠にあっさりひっかかり、落とし穴に閉じ込められる羽目に…
 これは剣閣を守る金祖揚の苦心の罠、これまでも結構な数の人間を始末しているようですが、さすがに金さんも良心が咎める様子。実際問題、親友が思いきりひっかかったわけですが…

 そんな中、つぎはぎだらけの装束にチューリップ帽っぽい革の帽子(ちょっと見は金田一耕助チック)で近くの町に現れた宝玉。
 奔月を取り戻しに行ったはずが、何故か酒場で飲んだくれた末、濡れ衣でかけられた賞金を狙ったよからぬ連中に命を狙われたりした彼ですが、さすがに身を隠すことを覚えたようです。と、そんな彼に近づく影は、先に侯風たちを罠にはめた男。彼を難なく捕らえた宝玉ですが、相手が金祖揚の家僕と知り、金さんのもとまで案内してもらうことに…

 しかし、案内してもらった先は、どこかで見たような建物。ここは、以前宝玉が珠児の治療のために訪れた百暁生の屋敷では…
 と思いきや、ここで明かされる衝撃の事実。百暁生=金祖揚、というより百暁生という人物は金祖揚のまたの名前だった!
 …素直に見ていた方は既に気付いていたようですが、古龍ファンとしては百暁生は当然「実在する」人物だと思っていただけにこの展開はかなり衝撃的。この辺り、原作でも同じなのか気になりますが、考えてみればやたらと武芸については造詣が深かった金さんだけに、それなりに納得はいきます。

 さて、自分にとっては弟子のようなものの宝玉を歓待した金さんは、宝玉に武林の連中から剣閣を守る手助けを求めます。そんな話の流れで、捕らえられた二人組の存在を知った宝玉は、それが侯風と艶燭であると知って助け出します(ここで真剣にぐったり来ている表情の侯風がおかしい)

 しかし助けたものの、いざ顔を合わせてみればなんとも気まずい。許すとは誓ったものの、やはり侯風は宝玉にとっては父の仇(さらに艶燭が実の母で、夫を殺した相手とくっついたと知ったらどうなることか)。一方、侯風の方も、宝玉が奔月を連れていないのが気になる様子であります。
 その辺の空気が読めないのか、上機嫌で三人をもてなす金さんが微妙におかしいのですが、若き日の自分が傲慢さから兄弟子に深傷を負わせた話を引いて宝玉を諭すあたりはさすがに年の功でしょうか。

 しかし宝玉の本当の悩みは、奔月を救うために侯風と艶燭の首が必要であること。前回のラストから今回の冒頭の宝玉の行動が今ひとつ繋がらなかったのは、この辺りを木郎にネチネチ言われていたからで…と、宝玉がまた悩んでいるところで次回に続きます。


 ちなみに今後の物語展開に大きく関わるであろう剣閣と羅亜古城の関係を侯風が金さんに尋ねるのですが、その辺りは何となくはぐらかされてしまったのが残念。間違いなく剣閣=羅亜古城だろうと思うのですが(ここでさらにひねりがあったら驚きますが)。


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2013.08.13

「にんにん忍ふう 少年忍者の捕物帖」 風魔の少年、お江戸の謎に挑む

 密かに山中で暮らしていた風魔一族の頭目の息子・風太郎に、父から近頃江戸で起きているという怪事件が抜け忍の仕業なら、始末をつけてこいという命が下った。父の命を果たすため、そして姿を消した母を捜すため、妹とともに江戸に出た風太郎は、深川で岡っ引きの下で働くことになるのだが…

 最近は歴史上の人物が次々登場する伝奇ものが多い印象の高橋由太ですが、本作は久々の(?)市井もの。といってもそこは高橋作品、ユニークなキャラクターが次々登場する賑やかな作品なのですが…意外なひねりも楽しめる作品であります。

 時は田沼時代、主人公・風太郎は遠い昔に滅んだと思われていた(しかししっかりと生き続いていた)風魔一族の頭目の子。そんな彼が、父から抜け忍捕縛の命を受けて江戸に出てくるのですが…暢気に田舎暮らししていた彼にとって、江戸は戸惑うことばかり。食べるために口入れ屋の戸を叩いた彼は、偶然そこで出会った岡っ引き・伝兵衛の下で働くことになります。

 折しも江戸では、侍の髷を次々と切り落としていく「ちょんまげ、ちょうだい」なる賊が出没。その探索に当たることとなった風太郎は、賊の正体が、剣術の達人であり、一年前に突然姿を消して江戸に出たという己の母ではないかと疑いを持つのですが、怪事件は続き、人死にまでが…

 という本作、腕は立つのにどこか抜けた風太郎をはじめとする、ちょっとおかしなキャラクターたちのやりとりで物語が展開していくのは、いかにも高橋作品らしい印象であります。
 その一方で、物語の展開や設定に、どこかアバウトな部分というか、読んでいてすっきりしない部分があるのはちょっと困ったもの…と思っていたらこれが間違いでありました。

 実はそうした部分のほとんどは故あってのこと。一種の隙に見えた部分がフェイクとして作用して、物語の各所に配置された謎たちを結びつけ――というのはちと大げさな表現かもしれませんが――最後にある美しい人の情を描き出して終わるのには、素直に感心いたしました。

 この辺り、最近の作者の作風とはちょっと違った、むしろ初期のミステリ色の強い作品を思わせる…というのも実はある意味当然、本作は作者がデビュー以前から暖めていた作品とのこと。
 回り回って原点に帰ってきた…というのは早計かもしれませんが、作者の作品の中では伝奇ものよりも市井ものを好む私としては大歓迎であります。


 もっとも、「ちょんまげ、ちょうだい」やタヌキに似た口入れ屋など、どこかで見たようなキャラ、どこかで聞いたような言葉がしばしば登場するのは、いかがなものか…ととは感じます。
 この点は先に触れた通り、本作の方が構想がが先、オリジンということになるようですが、やはり気になる点ではあります。

 いずれにせよ、本シリーズも次回作からは完全新作(という表現はもちろん正確ではありませんが…)。そこで何が描かれるかは、やはり気になるところであります。


「にんにん忍ふう 少年忍者の捕物帖」(高橋由太 光文社文庫) Amazon
にんにん忍ふう: 少年忍者の捕物帖 (光文社時代小説文庫)

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2013.08.12

「真・餓狼伝」第2巻 餓狼を支える血の絆

 ただひたすらに強さを求める餓狼たちが明治の世を舞台に激突する「真・餓狼伝」の好調第2巻であります。第1巻で勃発した丹波文吉と前田光世の激突はこの巻でも続行中、その一方で、丹波の過去と強さの秘密の一端も描かれていくこととなります。

 新興武術たる柔道で日本中にその名を轟かせた講道館の猛者たちを次々と襲撃し、倒してきた謎の少年・丹波文吉。
 その挑戦を真っ向から受けた前田光世との野試合は一進一退のまま展開していくのですが…と、ここで戦いの間に挟まれるのが、丹波文吉の過去の物語であります。

 江戸時代に隆盛を誇りながら、幕末の動乱の中で次々と継承者を失い、滅びる寸前となった武術・丹水流。その宗家の最後の生き残りこそが文吉の父・久右衛門だったのであります。
 が、その久右衛門は、到底武術家とは思えない、闘争本能をどこかに置いてきたような好人物。文吉にもこれからは武ではなく文の道だ、と学問を勧めるのですが…しかし、学問に勤しんでいたと思われた文吉は、底知れぬ強さと闘志を持った少年。それを知った久右衛門は、丹水流の鬼神の血が文吉にも流れていることを思い知ることになります。

 …と、ここで白状すれば、この「鬼神の血」というワードを最初見たとき、何とも嫌な気分になったものでした。
 武術武芸の世界で、一子相伝というのはある意味当たり前の話。そこにはもちろん、血筋というものが密接に絡んでくるわけですが…しかし格闘漫画の世界でいえば、「○○の血」というのは主人公補正の別名として便利に使われたり、あるいは主人公が戦いに身を投じる理由として安易に使われることも珍しくありません。

 少なくとも「餓狼伝」を冠する物語で、「丹波」の姓を持つ男だけは、「血」に頼って欲しくない…と思ったのですが、自分の浅はかさを思い知らされたのはそのすぐ後。
 本作における「丹水流の血」とは、言いかえれば父と子の絆――父一人子一人の家庭において、武芸の才能はないと言いつつも父が残した秘伝書から武芸を学ぶというのは、文吉にとっても久右衛門にとっても、この上ない交流と言えましょう。
 その剣呑な修行の姿も、麗しい父子の交流の姿…というのはさすがに言い過ぎかもzしれませんが、いずれにせよ、頭でっかちの父と、そんな父を敬愛しつつも容赦しない文吉の修行風景は、どこか暖かみとおかしみのあるものであったのは間違いありません。

 もっとも、その父が編み出し、子が繰り出す奥義がちと微妙なのですが、これはこれで微笑ましい。
 この辺りも含めて、あまり「餓狼伝」らしくないかもしれませんが、私はこの雰囲気は嫌いではありません。


 と、そんな父子の絆をしても強すぎるのが前田光世。果たしてこの戦いの決着は…連載の方は新展開に入っており、こちらの方も大いに気になる作品であります。


「真・餓狼伝」第2巻(野部優美&夢枕獏 秋田書店少年チャンピオン・コミックス) Amazon
真・餓狼伝 2 (少年チャンピオン・コミックス)


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2013.08.11

「旗本瀬沼家始末 天保狂風記」 天保の嵐に挑むレアリスム

 旗本瀬沼家の三男・恭之介は、黒金藩の密貿易の証拠を握っているらしい娘・咲を助ける。その黒金藩と黒い繋がりのあった鳥居耀蔵は、洋学者や敵対者を次々と陥れ、権力の座につこうとしていた。天保の改革の嵐の中、瀬沼家に引き取られた咲の口を封じんとする鳥居の魔手に抗する瀬沼家の運命は…

 「この時代小説がすごい!」編集部推薦という触れ込みで刊行された本作は、サブタイトルにあるとおり、天保期の狂瀾を背景とした作品であります。作者は海野謙四郎、デビュー作の「花鎮めの里 異能の絵師爛水」は、一種不思議とすら言える作品でしたが、本作もなかなかにユニークな作品であります。

 外出の帰りに、何者かに追われる娘・咲を助けた青年・瀬沼恭之介。黒金藩から出てきたという彼女の父は追っ手に斬られ、身寄りを無くした咲は、恭之介の両親に養女として引き取られることになります。
 そんな中、家を飛び出して歌川国芳の弟子となった兄・数馬を通じて、恭之介は国芳、さらに渡辺崋山ら、当代きっての絵師・文化人たちと交流を深めていくのですが…

 しかし、そんな彼らの前に立ち塞がったのが鳥居耀蔵であります。数々の陰湿な手段で崋山ら尚歯会の人々に濡れ衣を着せ、さらに政敵を次々と陥れて南町奉行にまで上った鳥居によって、江戸の市中は火が消えたような有様に。
 そして実は黒金藩の密貿易に絡んで賄を受け取っていた鳥居は、その秘密を握ると思われる咲を狙い、瀬沼家に次々と圧力をかけてくるのですが――


 …と、時代ものではすっかりお馴染みの鳥居耀蔵を悪役として天保の改革を描く本作ですが、しかしユニークなのは、主人公・恭之介周りの設定でありましょう。
 旗本として前途洋々の長兄・清之進、侍としてのお定まりの生き方を嫌う次兄・数馬と、対照的な二人の兄を設定することにより、恭之介は、侍(≒幕府)たちによるいわば「官」の世界と、町人・文化人たちによる「民」の世界、二つの世界を覗く立場にあります。

 つまり、本作は恭之介の目を通じ、蛮社の獄から天保の改革に至る時代を、官民双方の立場から描き出すことに成功していると言えましょう。
 さらに加えて、黒金藩の密貿易を巡る暗闘も本作の物語の縦糸としているのもまたユニークであります。

 そして、また官民二つの世界を繋ぐ――というより共通する――キーワードとして、「レアリスム」が登場するのもまた、実にユニークな点であります。
 海の向こうの芸術の、最新の流れとして語られる「レアリスム」。ありのままの現実と対峙するその姿勢は、物語の中で転化され、厳しい現実にも目を背けず対峙する姿勢として、鳥居に抗する者たちの姿と重ねて描かれるのであります。
 なるほど、本作において絵画が大きな要素となるのはこのためでもあったか…と感心した次第であります。


 もっとも、本作にも欠点は少なくありません。
 蛮社の獄の始まりから天保の改革の終わりまで、比較的長いスパンを一冊で描いたことで、物語が駆け足に感じられるのは事実。さらに言えば、本作独自の工夫である黒金藩の密貿易と咲の秘密が、この期間引っ張られることとなり、物語の緊張感が途切れてしまったという印象も否めません。

 また、肝心の鳥居耀蔵像が、既存のいわゆる「天保の妖怪」像をなぞったものである点――いや、抜け荷の賄賂をもらっているのだからそれ以下ですが――なのも、個人的には大いに残念な点であります。
(しかし本作、鳥居本人はほとんど直接登場せず、実際に主人公たちを苦しめるのは、その意を汲んだ者たちという構造は、なかなかにリアルで面白い)


 この辺りを踏まえると、小説として確かに粗削りな部分があることは否めないものの、しかしその一方で、フィクションを通じて現実と対峙してみせようとした、その志はやはり賞すべきでありましょう。
 やはり作者らしい一風変わった――それでいて魅力的な作品であります。


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旗本瀬沼家始末 天保狂風記 (宝島社文庫)

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2013.08.10

「浣花洗剣録」第33集 別れと新たなる旅立ちと…

 さて、ようやく主人公カップル×2が再会した「浣花洗剣録」ですが、もつれにもつれた因縁の末にいよいよ険悪になっていくばかりの彼ら。そこにさらにロクでもない大人たちの思惑が絡み、意外なところで悲劇が起こることに…

 記憶を失ったという珠児の態度に疑念を抱き、拉致・脅迫して真実を聞き出した奔月。珠児を解放して、全員集まった食卓で意気揚々と珠児の真実を語るのですが――珠児の方は、奔月に攫われて刀を突きつけられたので適当なことを言いました、と答えます。
 前回、珠児が行方不明になったと慌てて探し回った方宝玉にとってみればこれはゆゆしき言葉、しかも脅迫したなんて…と、意識してのものかどうかはわかりませんが、ここは全く嘘は言ってない上に、自分への疑いを否定し、奔月の印象をドカンと悪くして見せた珠児の勝ちでしょう。

 いたたまれなくなって外に飛び出した奔月を追って出た宝玉ですが、奔月はおらず、残るのは戦いの跡と、白三空の姿…
 言うまでもなく奔月を攫ったのは錦衣衛でしょう。三空は、奔月を救い、珠児を守りたければ、侯風と白水聖母の首を持ってこい、という木郎神君の言葉を伝えます。朝廷の力には逆らえん、お前も共に仕えようという祖父の言葉にもちろん逆らう宝玉ですが…

 一方、記憶があるか否か、ここも安住の地ではないことを悟った珠児は、呼延大臧に対し、寺を出て暮らそうと語ります。これに応えつつも、相変わらず宝剣集めは諦めない大臧ですが、いつにも増して柔らかい表情を見せます(この二人、ある意味本作で一番大人なカップルだなあ…)。

 そして翌朝、宝玉と恵覚師太と一緒の食卓で別れを告げようとする珠児ですが、しかし先に別れを言い出したのは師太の方。まだまだ自分の至らないことを痛感した彼女は、修行の旅に出ることを決意したのであります。そして珠児・大臧・宝玉に、運命は悪い方に転がるばかりではなく、先に進むことを恐れてはならないと、己の為すべきことを為しなさいと説くのでした。
 初登場時は――いやその後もほとんどコメディリリーフのような師太ですが、しかしその語るところはまさに高僧善知識のそれ。名ばかりの人間が多い武侠ものの僧侶(宗教者)の中で、数少ない真の僧侶としての存在感を感じます。果たして本当に彼女は見かけ通りの人なのか、実はもの凄い大人物/達人なのでは!? とすら思ってしまうのですが…

 彼女の心に打たれたか、宝玉は悩みを捨てて奔月を追うことを決意。大臧に珠児を託し、宝剣を諦めるなら友人になっても良いと語ります。これまでを考えればこれは最大限の好意ですが、宝剣と聞いて黙ってはいられない大臧はこれを拒絶。しかしまんざらでもない表情なのが、不器用な男の友情っぽくて良いのです。

 さて、宝玉が去り、師太を見送る大臧と珠児ですが…そこに襲いかかる王巓一党の矢に倒れる師太。さらに師太を人質に取った王巓は、記憶を取り戻していると見た珠児に、大臧を殺すよう強いるのですが…ここで師太は自分の言葉を忘れるなと二人に告げ、王巓の刃に自らを投げ出す! エーッ!
 普段クールな大臧ももちろんこれには怒り心頭、王巓との激しい一騎打ちの果てに王巓を叩きのめして刃を突きつけ、王巓はただ大臧と珠児に命乞いするばかり(わかりやすいクズっぷり)なのですが…そこに割って入ったのは珠児であります。

 やはり記憶が戻っていたという珠児。さすがに子としての情から大臧を止めるのか…と思いきや、王巓が王大娘を殺した時のことを持ち出し、思い知れとばかりにまくしたてると背を向けて行ってしまいます。これに対し、大臧は王巓が持っていた宝剣・赤霄を手に、とどめを刺さず珠児を追います。やはり、大臧の心にも変化が生じたのでしょうか…
 そして師太の心に報いるためにも、記憶を取り戻した珠児と、これからも共に歩むことを誓う大臧。が、剣閣なる地に残りの六本の宝剣があるのでそこに行ってみようと言い出すのは相変わらずではあります。

 にしてもこちらが全部で何本あったか忘れてしまうほど話の外だった宝剣。そして以前、金祖揚の故郷として語られた剣閣ですが、いかにも宝剣と関連がありそうだと思っていたら、やはり…(そして間違いなく、羅亜古城とも関係があるのでしょう)

 一方、木郎のところに乗り込んだ宝玉は、小憎たらしいほどの余裕を見せる木郎に一歩も引かぬ構え。そして囚われの身を脱塵郡主に世話されながらも、超仏頂面でこれに報いる奔月。完全に共依存状態の脱塵がよよと泣き崩れたところで、次回に続きます。


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2013.08.09

「どろろとえん魔くん」第1巻 名作の後日譚? 前代未聞のコラボ登場

 手塚治虫と永井豪の、二大妖怪退治漫画が夢の競演! …という枠では色々と収まらないような気がする問題作「どろろとえん魔くん」の単行本第1巻が発売されました。タイトルどおり、戦国時代にどろろとえん魔くんが妖怪退治の旅を繰り広げる連作シリーズであります。

 いまさら言うまでもありませんが、「どろろ」は、戦国時代を舞台とした妖怪退治ものの名作。48の魔物に体の48箇所を奪われた剣士・百鬼丸と放浪の盗賊(実は女の子)のどろろのコンビが戦国を流離う、独特の暗く殺伐としたムードが印象に残る作品です。

 そして本作は、この「どろろ」のいわば後日譚と言うべき作品。「どろろ」のラストで彼女の前から百鬼丸が姿を消して数年後、服装は変わらぬまま美しく成長したどろろが、百鬼丸を探し求めて妖怪退治の旅を続けていたところに…という、なかなかにそそる設定であります。
 が、そこに彼女の相棒的な顔で現れたのがえん魔くん。言うまでもなく彼は「ドロロンえん魔くん」の主人公、地獄の閻魔大王の甥っ子であり、人間界を妖怪から守るために現代日本で戦っていたはずの彼が何故…(もっとも、関東平野で暴力の巨人と戦ったりもしていましたが)
 というツッコミをする暇も与えられず、どろろとえん魔くんのコンビによる妖怪退治が始まることになるのであります。

 さてそんな本作、物語のムード自体は(どちらかと言えば)「どろろ」的な暗さを感じさせる内容といえなくもありません。
 ほとんど全てのエピソードで登場する妖怪の正体や出自、あるいはその妖怪が登場する物語展開の背景として描かれるのは人間のエゴや欲望。そうした人間の暗い部分が引き起こした事件に、二人は巻き込まれることとなるのですが…
 えん魔くんがいる時点で大体予想はつくと思いますが、基本的に物語はギャグ方面、エロ方面に転がっていくのが本作らしいと言うべきかどうか。

 冒頭の巨大な口と触手の妖怪「口神さま」のエピソードなどは(特にどろろを騙して生贄に差し出す村人のエゴっぷりもあって)なかなかに「らしい」のですが、巨乳に取り憑く妖怪や男の○○○だけの妖怪などをなんと評すべきか…イヤハヤなんとも、ここは手塚プロの度量の広さを賞するべきでしょうか。

 と思ったら、巻末の永井豪・手塚眞対談によれば、そもそも本作の企画のきっかけはダジャレ(それも手塚プロ側の)だったとのこと。確かに、妙にゴロの良いタイトルではありましたが…
 やはり本作の場合、あまり構えずに肩の力を抜いて接するのが正しいのでしょう。
 個人的にはどろろがやたらと弱い(というよりえん魔くんのステッキが強すぎる)のが気になりますが、先に述べたとおりそれなりにムードのあるエピソードもあり、脱力しつつも嫌いになれない作品ではあります。

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2013.08.08

「紳堂助教授の帝都怪異考 二 才媛篇」 バラエティ豊かな事件と才媛たち

 大正の帝都を舞台に、数々の魔道に通じた美貌の帝大助教授・紳堂麗児と、その助手の篠崎アキヲが次々と巻き込まれる怪事件を描いたシリーズ第二弾であります。今回は「才媛篇」と付されているだけに、各話に才媛が登場するのですが、しかしどなたも本作らしい一癖も二癖ある方ばかりであります。

 洋装を颯爽と着こなし、知性と気品に溢れた物腰、そしてもちろん容姿淡麗な美青年。女性に対してはあくまでも慇懃かつ洒落っ気を忘れない――そんな完璧な紳士っぷりを見せつつも、その一方でこの世のものならぬ魔道に通じたミステリアスな紳士。
 それこそが本作の主人公・紳堂助教授でありますが、そんな彼自身のキャラクターが引き寄せるのか、その周囲で起きるのは怪事件ばかり。作中でも否定しているように彼は別に探偵ではありませんが、勢い探偵役として事件の解決に挑むことになります。

 そしてその傍らで紳堂に献身的に助けながらも、彼の女癖の悪さには眉を顰めるのが助手のアキヲ「少年」であります。
 わざわざ括弧をつけたのは何ゆえかと言えば、実はアキヲ助手の正体は秋緒というれっきとした少女。縁あって助手を務めることとなった彼女を、紳堂が悪戯心から男装させて側に置いているという、なかなかにユニークかつちょっとドキドキの設定なのです(というか、紳堂助教授のあまりに高度な変態っぷりに驚く)。

 さて、そんな二人が本書で挑むのは4つの事件。
 紳堂の無二の親友・美作中尉の病弱な妹・春奈と、彼女と出会い意気投合したアキヲが誘拐事件に巻き込まれる「乙女の香り」
 旧華族の貫間家の当主のもとに届けられた脅迫状に紳堂が挑む「貫間邸同時多発的殺人未遂未遂事件」
 アキヲの叔母・時子との旅行の帰り、千住で一夜の宿を借りた先での幻想的な出来事「満月に桃」
 浅草の夜を騒がす奇怪な鵺と紳堂との対決「鵺」

 前作同様の4話構成ではありますが、しかしその内容は前作以上にバラエティ豊か。
 実は必ずしも「魔道」絡みの事件ばかりではなく、その意味では紳堂助教授が出馬するまでもない事件も含まれている(事実、第2話では彼自身が何度もぼやいているのですが)と言えるかもしれません。
 しかしどの事件も、紳堂とアキヲのテンポよく、そして時にニヤニヤとさせられるようなやり取りを通じてみれば、まさしく本作でなければ描けない物語であると感じます。

 そして本書のサブタイトルに付されている通り、各話に登場するのはそれぞれに個性的な「才媛」であります。
 儚げな美少女でありつつも、機械いじりなどを好む春奈。紳堂の馴染みのカフェーの女給から貫間家の女中となった町子。今で言うルポライターであり、紳堂ともワケありだった時子。
 いずれも時に紳堂をたじろがせるほどのバイタリティーを見せる彼女たちは、単なる紳堂の引き立て役に留まらない存在感を発揮するとともに、少年と少女と女の間に在るアキヲの仰ぎ見る存在として描かれているのが、何とも興味深いところです。


 ちなみに、前作において私が少々残念に思っていた、大正を舞台とする必然性、大正ものならではの味付けですが、そちらも本書においては随所で描かれているのが嬉しいところ。
 特にラストの「鵺」は、震災前の浅草の空を夜な夜な鵺が飛ぶという魅力的な設定に加え、(一捻り挟んだ後の)クライマックスでは、浅草十二階で紳堂と鵺が(これがまた度肝を抜くような描写なのですが)対決するという実にたまらない一編であります。
 今後も顔を出しそうな存在も登場し、今後のシリーズ展開にも期待させていただけそうなのです。


「紳堂助教授の帝都怪異考 二 才媛篇」(エドワード・スミス メディアワークス文庫) Amazon
紳堂助教授の帝都怪異考 二 才媛篇 (メディアワークス文庫)

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2013.08.07

「蝶獣戯譚Ⅱ」第5巻 そして自由を奪われた者たちの行き着く先

 吉原の太夫・胡蝶と、はぐれ忍び狩りの狩人・於蝶と、二つの顔を持つヒロインの孤独な戦いを描いてきた「蝶獣戯譚Ⅱ」の第5巻、そしてまことに残念ながらひとまずの最終巻であります。吉原を離れ、こともあろうに江戸城に潜入した於蝶が見たものとは、そしてその先に描かれるものは――

 庄司甚右衛門と鳶沢陣内、二人の食わせ者により、江戸城大奥に潜入することとなった於蝶。綱渡りの探索の中で将軍家光の孤独を知ったのもつかの間、於蝶はこともあろうに家光の小姓たちの中にキリシタンがいるのを知ることとなります。
 そして、彼らの手引きにより江戸城に潜入してきたのは、於蝶の宿敵・一眞と金鍔次兵衛――

 と、ほとんど冒頭のエピソードだけで驚かされますが、これはまだ序の口。次兵衛の目的は何か、於蝶は江戸城から脱出できるのか。そして次兵衛の動きをよそに、一眞は何をもくろむのか――そして陰謀と情が入り乱れた末に誕生した魔物とは、まさかのあの人物…
 かくてすべての物語はかの島原の乱へと収束していくのですが…

 ここで本作が終了とは! 全くもって惜しい、惜しいとしか言いようがありません。


 しかし、この第5巻までの時点で、本作が描こうとして来たものは、はっきりと見えてきたように感じられます。
 本作の物語からは様々な意味でかけ離れたように感じられた江戸城という舞台。そこで於蝶が出会ったのは、この国の最高権力者でありながらも、その地位に縛られ、江戸城という牢獄に囚われた一人の男の姿であります。

 そしてその男の前に現れたのは、戦いのなくなったこの国では用済みの存在であるはぐれ忍びと、この国で弾圧され行き場もないキリシタン。そしてそこに、籠の中の鳥である遊女にして、はぐれ忍びを狩ることにのみ己の存在意義がある於蝶が加われば…
 一転、この国の中心は、この国でもっとも自由を――それは単に肉体的に束縛されないというだけでなく、己の欲するままに生きるという精神の自由も含むのですが――奪われた者たちの集う場所に変わることになるのです。

 そして、その場は辛うじて事なきを得たものの、この会合が引き金となって島原の乱が――キリシタンと浪人たちが率いた、最後の戦が――勃発したとすれば、それはむしろ当然の成り行きだったのではありますまいか。

 思えば本作は、遊女という自由を奪われた存在が、自由を求めたはぐれ忍びたちを討ち果たすという物語でありました。そこにさらに自由を持たぬキリシタンが加わっただけでなく、この国を支配する武士たちもまた、己の自由を失った者であったことを描いたことで、本作は自由を巡る人々の一種絶望的な姿を描き出したのであります。
(そしてその絶望は、本作のラストで明かされる「黒幕」の存在により、さらに深まるのですが…)

 しかし、それではこの世には自由はないのか、絶望だけなのか――そうではないことを、本作のラストに描かれるある逢瀬が教えてくれます。
 それは、ほんの一時のものであります。自由を奪われた者同士の傷の舐めあいにしか過ぎないのかもしれません。それでも人は誰かを支え、そしてそのために自ら何かを捨てることができる――そんなごく当たり前の真実が、本作を読んだ後では、深く染み渡るのであります。


 もちろんこれは勝手な深読みかもしれません。この想いが正しいのか誤りであるのか――それを確かめるためにも、本作は本当の結末まで、自由を奪われた者たちの最終戦争である島原の乱の次第を、そして於蝶と一眞の結末までを見せてほしいと、そう切に願うものであります。

 二度あることは三度ある、いつかまた、於蝶と出会うことができるよう、祈っている次第です。

「蝶獣戯譚Ⅱ」第5巻(ながてゆか リイド社SPコミックス) Amazon
蝶獣戯譚2 5 (SPコミックス)


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2013.08.06

「エンバーミング」第3-5巻 和月流ダークヒーローの貌

 最新巻が出てからもだいぶ時間が経ってしまいましたが、連載再開を祝してあえて取り上げます「エンバーミング」ロンドン編。このロンドン編、内容的には第一部完と言ってもいいような展開だけに、実に得るところが多い内容なのです。

 舞台となるのは、フランケンシュタイン博士による人造人間創造の成果が密かに、しかし着実に継承されて新たな人造人間が生み出される異形の19世紀。
 そこで人造人間と関わったことで幼なじみを、平穏な暮らしを、そして自らの命すら失い、人造人間として復活した青年フューリーが、自身を含めた全ての人造人間を破壊するための旅を続ける様を一方の極に――そして、命を失って人造人間として復活した少女・エルムと、彼女を人間に戻すために研究と戦いの旅を続ける青年アシュヒトをもう一方の極に、物語は展開していくこととなります。

 そしてこのロンドン編で描かれるのは、かの「切り裂きジャック」にまつわる事件であります。
 実はジャックこそは、フューリーと彼を生み出した女医・ピーベリーが最大の敵とする人造人間の最高峰・究極の8体のうちの一人・リッパー=ホッパー。コントロールを失って殺人鬼と化したリッパーを破壊するため、ヒューリーとアシュヒトが共同戦線を張って戦う、という展開は、二つの主人公チームの初揃い踏み、という点もさることながら、それが単なる利害関係の一致の産物でしかないというシビアな関係がなかなかに面白い。

 そんな彼らの依頼主が、政府高官で弟に探偵がいるマイク=ロフト(仮名)氏というのはちとベタではあります。しかし、政府/警察側が、ジャック=リッパーを追うために犠牲者の一人(記録上の最後の被害者メアリー・ケリー!)を人造人間化して証言を引き出そうとするブラックな展開など、現実とギリギリ背中合わせの本作ならではの世界観を見せてもらった印象があります。


 しかし個人的に最も印象に残ったのは、このロンドン編を通じて、和月伸宏流のダークヒーロー観とも呼ぶべきものが見えてきたように感じられる点です。

 本作に登場するいわゆる「主人公側の」メインキャラクターは、ほとんど例外なく、正義の味方などではありません。彼らが戦う理由は、突き詰めれば全て自分のため、自分自身の目的のため――失われて二度と還らない過去のため、であります。

 ヒューリーとDr.ピーベリーは言うに及ばず、愛するエルムを人間に戻す――そしてそれはおそらくは、現在の人造人間としての彼女の人格を消滅させる――ために情熱を燃やすアシュヒトもまた、失われた過去を取り戻そうとする暗い情熱に取り憑かれた人物。
 本作は、彼ら過去を失った、過去に囚われた者たちが、己のエゴのままに戦う物語なのであります(エルムや物語の第三の極たるジョン・ドゥーのような存在もおりますが、二人の場合は、過去を持たないという意味で、逆説的に過去に囚われている、と感じます)

 先日映画化され、「キネマ版」としてセルフリメイクされてた「るろうに剣心」が、血塗られた過去を背負った男が現在を守り、未来を勝ち取るために戦う物語だとすれば、本作は、現在を失った男が未来に背を向け、血塗られた過去に囚われたまま戦う物語――同じように過去を背負いながらも、あくまでも未来を見据えていたヒーローであった剣心とは、明確に異なる主人公像がここにはあります。

 しかし――それでもなお本作の主人公たち(少なくともヒューリー)は、「ヒーロー」と呼べる存在であることが、このロンドン編では示されます。
 リッパーにより(自ら捨てたとはいえ)母メアリを、イースト・エンドの仲間たちを殺され、天涯孤独となって己の殻に閉じこもった少女・バイオレット。ヒューリーの失われた幼なじみと瓜二つの彼女(それにはある因縁があるのですが)を前に戦うヒューリーは、その理由があくまでも自分自身のためであっても、彼女の心を大きく揺さぶり、そして再び立ち上がる力を与えることとなるのです。

 己自身は過去に囚われ、未来を見ていない、求めない。しかし、その戦う姿が、それを見る者に、触れた者に未来に向かう力を与える存在――それこそが和月伸宏流のダークヒーローなのではないか…そう感じたのであります。


 冒頭で触れた通り、いよいよこの8月から連載再開となった本作。その中で描かれる物語の中で、私のこの予感が正しかったか、見せてくれることを期待している次第です。


「エンバーミング -THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-」」第3-5巻(和月伸宏 集英社ジャンプコミックス) 第3巻 Amazon/第4巻 Amazon/第5巻 Amazon
エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN- 3 (ジャンプコミックス)エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN- 4 (ジャンプコミックス)エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN- 5 (ジャンプコミックス)


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2013.08.05

「邪神たちの2・26」 帝都を覆う影、その正体は…

 昭和10年、父の危篤に故郷に帰った陸軍少尉・海江田は、父がかつてアメリカで魚人の町に迷んで邪神の脅威を知り、九頭龍川の邪神を封じていたことを知る。さらに北一輝から、帝都に邪悪な黒雲が現れたことを知らされた海江田は、邪神たちに憑かれた重臣たちを討つことを決意するのだが…

 ほぼ毎月のように精力的に日本人作家によるクトゥルー神話作品を刊行している創土社のクトゥルー・ミュトス・ファイルズシリーズ。その最新巻は、かつて学研ホラーノベルズから約10年前に刊行された、田中文雄の「邪神たちの2・26」であります。

 タイトルからも明白なように、本作の舞台背景となっているのは、あの二・二六事件。昭和維新を掲げた陸軍青年将校たちが決起して首相官邸を襲撃したクーデター事件…などと今更解説するまでもありませんが、その背後にクトゥルー神話の邪神の存在が、とくれば見逃せません。

 九頭龍川沿いの村の神社の宮司であった父危篤の報に、故郷に帰った陸軍少尉・海江田清一。ほどなく亡くなった父は、しかしその晩に甦って姿を消し、その後を追った海江田は、神社の本殿地下に広がる地下洞窟で父が奇怪な怪物に貪り食われる様を目撃します。
 そして海江田が見つけた父の遺言状に記されていたもの…それはかつて船員だった父がアメリカのとある田舎町で恐怖の一夜を過ごし、「ハワード」なる男に救われた父が、虎視眈々と地球を狙う太古の邪神の存在を知り、九頭龍川に眠るそれを封じていたという事実で――

 と、冒頭三分の一程度を使って語られるこのエピソードだけで、愛好者にはもうたまらないでしょう。故郷に帰った主人公が、肉親の奇怪な死に際して、肉親が封じていた邪神の存在とその復活を知り…というのは、まさしくクトゥルー神話のパターンの一つ。
 さらにその中で語られる過去の物語は、ラヴクラフトのあの名作の真相とも言うべきもの――というより、なんとHPL御自らが大活躍してくれるのですから!


 といういわばプロローグ部分でまず大いに盛り上がる本作ですが、いよいよ邪神との対決本番である二・二六事件に至るそれ以降の部分が、どうにも盛り上がらない…というのは、初版が刊行された際に読んでの正直な印象であります。

 海江田たち青年将校が決起するまでの経緯と、帝都に現れた邪神の跳梁を、将校たちの精神的支柱であり、一種の霊能力者であった北一輝の存在で以て結びつけるというのは、これは見事な着想と申せましょう。
(また、詳しくは伏せますが、海江田と北が最終決戦に向かった地の描写なども実にいいのであります)

 しかし、二・二六に至るまでの描写があまりに淡々と(というより史実のほぼトレースでありましょう)して味気ない上に、そもそも何故この時代の日本に邪神たちが現れ、日本を破滅へ導こうとしていたのか、それがどうにもすっきりとこなかったのであります。
 一言で(いささか厳しく)表せば、史実と神話作品の摺り合わせがあまりうまくいっていない、ただ貼り合わせただけになっていると申しましょうか…

 今回再読して、自分なりに想像して埋め合わせることができるようになった部分はないわけではありませんが、しかしやはりこの印象を拭うに至るまではいかなかった、というのが正直なところであります。

 ただ一点、今回読んでみて、本作において邪神が憑依したとされる重臣たち――二・二六事件の犠牲者となった彼らに、本当に邪神が憑依していたか、その点が全く描かれないのが、なかなか興味深く感じられました。
 この点については北一輝がそう語るのみで終わっているのですが、果たしてそれが真実であったのか、はたまた北の妄想であったのか明確でないまま、青年将校たちが淡々と「魔物退治」していく様は、なかなかにうそ寒いものを感じさせてくれるのですが…

 あるいは、この点にこそ本作の狙いがあるのでは、というのは考えすぎでありましょうか。
 いずれにせよ、北と海江田ら青年将校らによる魔物祓いの結果が、見方を変えればさらなる混乱をこの国に、世界にもたらしたのですから…

「邪神たちの2・26」(田中文雄 創土社The Cthulhu Mythos Files) Amazon
邪神たちの2・26 (The Cthulhu Mythos Files7)


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2013.08.04

作品修正更新

 このブログ・サイトで扱った作品のデータを収録した作品集成を更新しました。本年4月から本年7月までのデータを追加・修正しています(単行本から文庫化されたもの、文庫が再刊されたもの等も修正を加えています)。
 今回も更新にあたっては、EKAKIN'S SCRIBBLE PAGE様の私本管理Plusを使用しております。
 しかしこうして見直してみると、過去に掲載したデータはだいぶ統一性がないといいますか、伝奇性が薄いものも多く含まれてるように思います。いずれ近いうちに、この辺りも見直したいと考えているところです。

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2013.08.03

「BRAVE10S」第4巻 もう一人の十勇士、そして崩壊十勇士?

 上田城十番勝負も怒濤の急展開の末に終了し、いよいよ目前となった東軍と西軍の激突。そんな中、十勇士の弁丸が突然幸村の養子になるという驚愕の展開で終わった前巻ですが、しかしその先に待ち受けていたのは更なる驚愕の展開であります。新たな十勇士、その名は何と…

 幸村と信幸の意地の張り合いから始まったものの、途中で乱入してきた伊達政宗の配下に信幸側の残り選手は全員潰され、急遽真田vs伊達の勝負に変更となった上田城十番勝負。しかしこの十番勝負も、徳川家康が上杉討伐の命を下したことで中途で終結となります。
 言うまでもなくこれは後世で言う関ヶ原の戦の始まりを告げるもの、その結果が真田家に及ぼした影響もまた甚大なものがあったわけですが――その前に、本作においては真田家に、いや十勇士に大激震が走ることとなります。
 その才を見込んで、(いきなり)真田幸村の養子となった弁丸こと望月六郎。改めたその名は「真田大助」! というのには痺れますが、冷静に考えれば、弁丸が真田家の人間となったことで、真田に仕える十勇士に欠員が出ることに…(まあ、大助が十勇士の作品もありますがそれはさておき)

 と、ここで幸村がスカウトしたのは、なんとなんと服部半蔵。無印「BRAVE10」において幾度となく真田を――いや、伊佐那海の持つ力を狙い、才蔵と対決した最強の忍びであります。
 本人が言うには、独断専行が過ぎて家康にクビにされ、今は求職中の身の上。雇い主が替われば前後の恩讐はノーサイドというのは戦国の習いではありますが…これは幸村が太っ腹というよりさすがに無神経に過ぎるのではありますまいか。

 と、ここで生じる十勇士分裂の危機。かつて半蔵に(ほぼ恫喝の形で)操られたアナ、彼女に惚れる甚八、半蔵に命を狙われた伊佐那海、彼女を守って半蔵と戦ってきた才蔵――彼らの感情が一気に爆発し、上田は大混乱。
 才蔵は苛立ちのまま、絡んできた鎌之介に深傷を負わせたのはともかくとして(まあこれは自業自得)、アナの心情を弄ぶかのような幸村に怒りを爆発させた甚八は、幸村に拳を叩きつけ、阻もうとした六郎・十蔵・清海と激突することになるのであります。


 これからが真田の正念場というところでの言うなれば仲間割れでありますが、しかし見方を変えてみるとこれが実に面白いのです。
 元から真田の家臣であった佐助・六郎・十蔵と、伊佐那海のいる所であればどこでもついてくる清海は格別、その他の面々はある意味成り行きで真田に身を寄せた者たちであり――その彼らが、今回半蔵の登場に取り乱し、あるいは暴走したというのは、決して偶然ではありますまい。

 それぞれが根源の力を持ち、真田に集った十人の勇士といえども、その想いは様々。今回のように一箇所突かれれば簡単に崩壊するような有様では、これからの決戦でとてもやってはいけないでしょう。。
 おそらくは今回の十勇士たちの動揺と激突は、彼らの絆をもう一度見直し、そしてより強いものとするための通過儀礼なのでありますまいか。
(個人的には、以前あれだけ豪快に裏切ったアナが真田にあっさり戻った点に納得できなかったので、それを今回掘り下げてくれただけでも面白いのですが)

 この巻のラストでようやく我を取り戻した才蔵。彼の下に十勇士が再度結束した時こそが、本当の決戦の始まり。その時が早く来ることに期待したいところですが――

「BRAVE10S」第4巻(霜月かいり メディアファクトリーMFコミックスジーンシリーズ) Amazon
BRAVE10 S 4 (ジーンコミックス)


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2013.08.02

「水滸伝丸わかり」と「水滸縦横談」 横光水滸伝と二つの水滸伝本

 最近、「水滸伝が来てる! 来てますよ!」と騒いでいる三田さんですが(それはいつも))、冗談抜きで色々とアイテムが発売されているのは嬉しい限り。今回はその中でも横山光輝の「水滸伝」に関連する二点を紹介しましょう。

 まず一点目は、韓流時代劇解説本などが多く出版されているじっぴコンパクト新書で発売された「痛快無比の面白さ! 空前絶後のド迫力! 水滸伝丸わかり」であります。

 一口に言えば水滸伝解説本の本書ですが、面白いのは、その題材となっているのが横山水滸伝であるという点でしょう。
 これまでも水滸伝解説本は色々とありましたが、ベースが横山版――それも、文庫版以降の巻割りにそのまま従って――というのはもちろんこれが初めてでしょう。

 横山版は、言うなれば原作の抄訳とも言うべき内容でありますが、なるほど、その内容を語るということは原典の要約を語るということ。もちろん、きちんと許可を取っているため横山版の図版をそのまま使えるというのは――特にキャラクター紹介において――大きなアドバンテージでしょう。
 構成的には水滸伝本定番のストーリー紹介&百八星紹介ですが、さらにその他の水滸伝リライト紹介も掲載されているのは初心者には親切な構成と言えます。

 …が、本書には根本的な疑問として、「最初から横山水滸伝を読めばいいのではないか」というのがあるのもまた事実。また、抄訳とはいえ改変も少なくない横山水滸伝の内容と原典のそれとの違いを明記していない――さすがに原典での秦明の悲劇が横山版では黄信に置き換えられている点は解説されていますが――のは、後で混乱が生じないかな、とは思います。

 また、これだけ横山水滸伝をメインにしつつも表紙や口絵が正子公也というのも(まあ仕方ないという気がしますが)ちょっと不思議で、全般的に中途半端な印象が拭えない、というのも正直なところではあります。
 その辺りを踏まえれば、本書は水滸伝に触れるのはほとんど初めて(たとえば、今回のドラマ版で初めて)という方向きでしょうか。


 さて、もう一冊は、井波律子の「水滸縦横談」であります。井波律子といえば中国文学研究の第一人者、特に三国志ファンにとってはお馴染みの名前かと思いますが、その作者がさてどのように水滸伝に切り込むか――と思えば、これがやはりというべきか、なかなかにユニークなアプローチとなっています。

 というのもこの「水滸縦横談」は、「「豪傑たち」をめぐって」「「梁山泊」をめぐって」「『水滸伝』の魅力をめぐって」と、全体を大きく三章に分け、さらにそれぞれを数編~十数編に分けたそれぞれにテーマを決めて解説するというスタイル。
 水滸伝解説本と言えば、先に挙げた「水滸伝丸わかり」のようにストーリー概説か、百八人の解説(もしくはそれらの組み合わせ)がほとんどであり、本書のようなテーマ形式のみで解説したものは、かなり珍しいのであります(もしかすれば、光栄の「爆笑水滸伝」まで遡らないといけないのかも…)。

 しかし、ユニークなスタイルの本書ですが、全体から受ける印象は想像以上にライトであるのに驚かされます。個々の用語について数ページ、という分量もありますが、良くも悪くも深い掘り下げではなく、かなり概説に近い印象があるのです。厳しい言い方をすれば、水滸伝ファンであればお馴染みの内容…そうした印象すらあります。

 もっとも、この点は、本書の成り立ちに拠る部分が大きいものと思われます。
 もともと本書は、横山水滸伝の決定版単行本発売時に、出版社のサイトでコラム形式に連載されていたもの。つまりは、横山水滸伝の(直接では全くないにせよ)解説、あるいは補完的内容となっているのであります。

 その意味では、本書もまた、水滸伝初心者向けの一冊とは言えるでしょう。しかしながら、第三章に収録された「水滸語りと水滸劇」「『水滸伝』と他の白話長編小説」などのように、「水滸伝」という小説作品そのものの成り立ちをここまでわかりやすく語ってみせたのは作者ならではで、この点で類書と一線を画しているといえるでしょう。


 横山光輝の「水滸伝」という作品をきっかけに生まれたある意味対照的な二冊の水滸伝本。
 水滸伝の世界を物語の流れや登場人物といった縦軸から描くか、作品を構成する様々な要素といった横軸から描くか――どちらも初心者向け的性格の強いものが、しかし水滸伝に対して対照的なアプローチを取っていることが、個人的には非常に興味深く感じられるところであります。


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痛快無比の面白さ! 空前絶後のド迫力! 水滸伝 丸わかり (じっぴコンパクト新書)

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水滸縦横談

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2013.08.01

「鏡の欠片 御広敷用人大奥記録」 最強の助っ人!? 女の覚悟と気迫を見よ

 金の世界の次は女の世界、幕政の暗部との戦いを強いられ続ける水城聡四郎の苦闘を描く「御広敷用人大奥記録」シリーズの最新巻は、吉宗が綱吉の養女・竹姫を正室に望んだことから生じた波瀾がいよいよ本格化、聡四郎のみならずその妻・紅もその渦中に飛び込んでいくこととなります。

 徳川綱吉の養女となりながらも、二度にわたって輿入れ前の相手に死なれ、大奥で「忘れられた姫」となっていた竹姫。吉宗がその彼女に本気で惚れた――それ自体はもちろん結構なことですが、しかし吉宗は大奥改革の真っ最中であり、その動きを封じるために大奥自体が躍起になっていたとなれば、話は別であります。
 そこに次の将軍位を狙う館林松平家、さらにもはや意地となって聡四郎の命を狙う(御広敷)伊賀者たちが絡み、いよいよ事態は混迷の度合いを深めていくこととなります。

 何しろ本作で描かれる事件の多くは大奥の中で起きるもの。聡四郎が、いや吉宗ですら直接には手出しできない世界において如何にして竹姫を守るかというのはかなりの難題。
 しかも、竹姫を害しようとする明確な動きがあれば格別、大奥側の使う手段は、搦め手――外部からの買い物を認めない、外部との手紙のやりとりを妨害するなど、実にせせこましい、しかし大奥という閉鎖空間ではかなり効く手段なのですから…

 前作同様、今回もいささか精彩を欠く聡四郎なのですが(次々と無茶を言う吉宗相手にむくれる姿はなかなかに楽しいのですが)、ここで意外な助っ人と言うべきか、大活躍を見せるのが、彼の妻である紅というのが実に楽しい。

 「勘定吟味役異聞」の中で聡四郎と出会い、結ばれた紅。元は口入れ屋の娘であった彼女は、将軍就任前の吉宗の養女となり、水城家に嫁いだのですが――すなわち彼女は吉宗の娘(そして聡四郎は娘婿)ということになるのです。
 つまり、正室も側室もいない大奥においては彼女が形の上では一番の格上であり、制限はあるとはいえ、大手を振って大奥に入れる身分。それを最大限に生かして、彼女は竹姫の話し相手という名目で、大奥に顔を出すことになります。

 もちろん、大奥という世界は、形式上の格だけが通じるわけではありません。しかし彼女の場合、元々は口入れ屋の娘として、大の男たちをアゴでこき使ってきた女傑。今ではすっかりおとなしくなりましたが、かつては聡四郎を散々に口でやりこめてきたのですから…
 と、そんな彼女の荒くれヒロインぶりが今回久々に炸裂。地位と権力を嵩に着る大奥の女たち相手に一歩も引かぬどころか真っ向から渡り合い、久々に(散々聡四郎にぶつけてきた)「あんた馬鹿?」も飛び出すのですから、実に痛快なのです。

 女の世界なのですから、女性が活躍するのはある意味当然といえば当然なのですが、こういう形で紅が覚悟と気迫を見せて活躍してくれるというのは、全く以て嬉しい驚きであります。


 正直なところ、物語展開自体はかなりスローペースで、聡四郎を狙う刺客のエピソードも、そこまで引っ張らなくても…とは感じるのですが、しかしそれでもこうして新しい展開を用意してくるのはさすがと言うべきでしょう。

 本シリーズもこれで第4巻。前シリーズである「勘定吟味役異聞」が全8巻でしたから通算12巻というわけで、これで上田作品中最も長く活躍することとなった聡四郎。
 本作も実に気になる形で「つづく」となっており、やはり気になるシリーズなのであります。

「鏡の欠片 御広敷用人大奥記録」(上田秀人 光文社文庫) Amazon
鏡の欠片: 御広敷用人 大奥記録(四) (光文社時代小説文庫)


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