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2013.10.31

「かたるかたり 志ん輔出世怪噺」 落語+妖怪の爽快成長譚

 真打ちになったが、客に全くウケず悩む噺家・古今亭志ん輔。ある晩、池の畔で孤独に「安兵衛狐」を練習していた彼の前に、子狐の多助と子狸の勘太と出会う。噺を実話と勘違いした二人に誘われ、妖怪たちと知り合った志ん輔だが、それがきっかけとなったか江戸を揺るがす事件に巻き込まれることに…

 毎月ユニークな妖怪時代小説、時代ホラーを刊行している廣済堂モノノケ文庫の今月の新刊は浦山明俊「かたるかたり 志ん輔出世怪噺」。妖怪+落語という、これまたユニークな取り合わせの作品であります。

 本作の主人公となる古今亭志ん輔は、その名から察せられるとおり「八丁荒らしの志ん生」と呼ばれた古今亭志ん生の弟子。幼い頃に決意を秘めて弟子入りして以来、必死に練習を重ねて真打ちになったばかりの若者であります。
 …が、真打ちになったものの、高座では全く客を笑わせられない。物語の始まりとなる晩も全くウケがとれず、暗い気分で池の畔でその日高座にかけた「安兵衛狐」をおさらいしていたのですが――

 その噺を聞いて、実話だと思いこんだのが、ともに術の修行中の子狐の多助と子狸の勘太。自分と同類だと思いこんだ二人(?)に引っ張られるまま、志ん輔は妖怪たちと知り合うことになります。
 さらにその帰り道、何者かに斬られて瀕死の男に出くわし、男を知り合いの医者に連れて行く志ん輔。彼はそれをきっかけに、彼は江戸で娘たちを拐かし、江戸に魑魅魍魎を呼び込まんとする謎の怪僧・東山坊と対峙することになるのでありました。

 という本作ですが、やはり最大の特徴は、主人公が落語家――それも、真打ちにはなったもののまだまだ未熟な――に設定したことでしょう。
 どうすれば客を笑わせられるのか、どうすればウケを取れるのか、悩める彼の成長物語――言い換えれば芸道小説としての側面を、本作は持っているのであります。

 が、それでも本作は妖怪変化が登場する作品、芸道小説とは縁遠い内容なのでは…と思われるかもしれませんが、さにあらず。
 そこで志ん輔の相棒とも言える存在になるのが、やはり未熟な狐と狸に設定することで、未熟な者同士が支え合い、励ましあうことで成長していく姿が、ユーモラスに、そして瑞々しく描かれていくのであります。
(志ん輔の真っ直ぐなキャラクターがまた心地よく、素直に応援したくなるのがよろしい)

 そしてまた、落語は己の身とごくわずかの小道具で、本来そこにないものを見せ、そして幾人もの登場人物になってみせるもの。その意味では、落語の語りは騙り――狐や狸の変化に通じるものがあるわけで、そんな者同士を組み合わせるのは、なかなか考えられた構成と申せましょう。

 しかし、本作はそのさらに先に進んでみせるのです。落語の語りが最終的に目指すもの――それは客の心を掴み、動かし、そして笑いというポジティブな感情の発露に導くことです。そしてその陽の感情の動きこそが、魑魅魍魎という陰の存在に抗し、鎮める力となるのであります。

 ここに本作は、落語を扱った芸道小説と、妖怪たちと魑魅魍魎の対決を描く妖怪時代小説と、本来全く関係のなさそうな二つの要素を巧みに結びあわせた、極めてユニークな作品として成立しているのであります。


 こうした物語構造の巧みさ、ストーリー自体の面白さ、キャラクター の魅力(悪役である東山坊にも、またそれなりに頷ける過去が設定されてるのもイイ)と、どれも期待以上に楽しませていただきました(ちなみに本作、表紙絵もまた美しいのです)。
 明日への一歩を踏み出したとはいえ、まだまだ志ん輔も多助・勘太もこれから。彼らのその先を描く続編にも期待したいところであります。


「かたるかたり 志ん輔出世怪噺」(浦山明俊 廣済堂モノノケ文庫) Amazon
かたるかたり 志ん輔出世怪噺 (廣済堂モノノケ文庫)

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2013.10.30

「火鍛冶の娘」 あってはならぬこととありたい自分と

 火鍛冶の匠を父に持つ少女・沙耶は、自分も火鍛冶になることを目指すが、女は鍛冶をしてはならないという掟があった。父の死語、佐矢琉と名乗り、男と偽って鍛冶を続けていた沙耶に、ある日、伊佐穂の王子の剣を鍛えるという依頼が舞い込む。沙耶は自分でも恐ろしさを覚えるほどの剣を打つのだが…

 「送り人の娘」の廣嶋玲子による古代日本を思わせる世界を舞台とした第二弾、ジェンダーという普遍的かつ難しい題材を巧みにファンタジーの中で昇華させてみせた作品であります。

 主人公・沙耶は、父一人子一人で山中で暮らしてきた火鍛冶の娘。女性の流す血を穢れとして見る風習により鍛冶になることを禁じられながらも、なおも鍛冶になることを夢見る彼女は、女性の兆しが見られるまでとの条件で、父の助手を務めることになるのですが――その父が急逝したことにより、自分の性別を偽って鍛冶を続けることになります。

 そこにやって来たのが、近隣を治める伊佐穂国からの使者。その王子・阿古矢の成人の祝いに贈られる剣を鍛える依頼を受けた彼女は、自分の名を上げる絶好の機会と勇躍これに挑むことになります。
 が、実は阿古矢王子は現王の先妻の子であり、現在の后である後妻は、穏やかな阿古矢を退け、自分が生んだ子である加津稚王子を王位につけんと暗躍。豪快な好青年であり、兄を敬愛する加津稚は母に逆らっている状況なのですが…

 ここまでのあらすじを見て、なるほどヒロインが二人の王子の間でドキドキしたりお家騒動に巻き込まれたりするのだな…などというこちらの安直な予想は、九分九厘外れることとなります。
 沙耶が鍛えた剣が秘めていた魔性に憑かれ、人が変わったように周囲に屍を築く阿古矢。それに心を痛めた加津稚の依頼で沙耶はそれに対抗するための剣を鍛えようとするのですが、まさにその時、最悪のタイミングで彼女に女性の徴しが…


 先に触れたように、本作は女性が穢れとされ、鍛冶をすることを禁じられた世界の物語であります。
 女性を対象・理由とする禁忌は、ある意味、世界最古のものであり、その是非は全く別物として、今なお世界に存在する普遍的なものでしょう。
 しかしそれと同時に、自分の望む自分になりたい、自分らしくありたいという願望もまた、極めて根源的であり、強力なものであることは間違いありますまい。

 そして、本作で描かれるのはその二つのぶつかり合いであります。
 何故沙耶の鍛えた剣が魔剣と化したのか。そして、何故阿古矢が魔剣に取り憑かれたのか――物語の根幹を成す部分は、実にこのぶつかり合いから生まれたものであり、比較的シンプルな構造である本作において、巧みな捻りとして機能していると感じます。
(特に後者など、かなり不意打ち的な形で描かれたこともあり、なるほど! と唸らされました)

 また、作中に登場する「神」の、人間を超越した存在感の描写などは、いかにもこの作者らしいものだとも感じます。


 上で述べたとおり、物語自体は比較的シンプルであり、また結末も一種お約束ではあります。
 しかし、一歩間違えれば道徳の教科書のようになりかねない題材を、きっちりと人間の根源的なあり方を問う物語として、そして神と人間のファンタジーとして成立してみせたのは、これはもう作者の力量によるものであると感じた次第です。


「火鍛冶の娘」(廣島礼子 角川書店銀のさじシリーズ) Amazon
火鍛冶の娘 (カドカワ銀のさじシリーズ)


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 「送り人の娘」 人と神々の愛憎と生死

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2013.10.29

「神喰らい カミグライ」 神を喰らった者の旅

 とある町で相次ぐ怪死事件。その直前に何者かに社を壊された大口真神の巫女・天音は、付喪神を求めて旅しているという少年・御影小太郎と出会う。既に社に神はいないと告げる小太郎に激しく反発する天音だが、彼女の前に事件の犯人が現れた時、彼女をかばったのは小太郎だった…

 今月「おさきもち 大江戸妖奇譚」が発売される瀬上あきらが6年前に発表した短編連作シリーズであります。

 主人公・御影小太郎は、かつて神を喰らってその力を手にし、暴走してケガレ神となった神を喰らう「神喰らい」と呼ばれる存在。神を喰らうために大罪人として疎まれ、人々からは石もて追われる宿命にある青年であります。
 普段は美女の姿をした付喪神・雛姫を連れ、己の糧となるケガレ神…は滅多にいないので小さな付喪神を求めて旅する彼が各地で出会う事件を描く全3話の作品であります。

 第1話「神の声を聴け」は、そんな小太郎が、ヒロインとなる巫女の天音と出会うエピソード。大口真神を祀ってきた彼女は、何者かに社を壊され、周囲からは社も守れない無力な神と笑われながらも、神を守り、社を復興しようとするも、当の神は…という展開で、ケガレ神の存在と、それに抗する神喰らいたる小太郎の能力が描かれることとなります。
 そして続く第2話「供物捧げ」では、人身御供を求める山神との対決が、第3話「神降ろし」では、かつて祀ってきた神を小太郎に喰われ、再び神を得ようと神降ろしを行わんとする神官との対峙が描かれます。

 …と、エピソード的にはそれなりにバラエティがありますし、何よりも「神喰らい」という設定自体が――決して本作のみで見られるアイディアではないにせよ――魅力的な本作ではありますが、しかしその設定を生かし切れていないように感じられるのが、何とも残念なところであります。

 個人的には、神を喰らわなければならなかった、そして今も神を喰らわなければ生きていけない――そして何よりも、それ故に人々から疎まれ、排斥される――小太郎に、そこまでの孤独の影を感じることができなかった点がもったいなく感じられたのですが…
 それはあるいは、この世界において「神」というものがどれだけの存在感を持っているのか(=どれだけ人々に不可欠の存在として受け止められているのか)が、今ひとつわかりにくい点にも依るのかもしれません。

 あるいは全3回のミニシリーズに求めるのは酷な点かもしれませんが、やはりもったいなく感じられてしまった作品ではあります。


「神喰らい カミグライ」(瀬上あきら 講談社少年マガジンコミックス) Amazon
神喰らい~カミグライ~ (少年マガジンコミックス)

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2013.10.28

「嶽神伝 無坂」下巻 掟と情と…そして新たなる物語へ

 自分の里を失い凶賊と化した山の者により、また一つの里が滅ぼされた。無坂たちは北条幻庵の力も借りて敵を追う。一方、武田家の信濃攻略は、無坂の妹が嫁いだ里の者たちをも巻き込もうとしていた。彼らの身を案じて走る無坂だが、その行動は彼の運命を大きく変える。そして木暮の里に凶暴な敵が…

 長谷川卓による新たなる山の者の物語、「嶽神伝 無坂」の下巻であります。武田家の信濃攻略は、それなりに平穏であった山の者たちの暮らしをも大きく動かしていくこととなります。

 上巻で無坂の前に幾度か現れ、彼と死闘を演じた謎の賊。「長」たちの会議に出席した無坂は、彼らの正体が、雪崩により自分たちの里を失い、「渡り」となった山の者であること、そして彼らにより幾つもの里が滅ぼされていることを知るのですが…
 まずここで作者のファンにとっては大いにテンションが上がることになります。

 というのも、会議に出席し、そして無坂とともに「敵」への復讐を誓った面々というのが、「逆渡り」の四三衆の月草、「嶽神」の巣雲衆の弥蔵と、先行する作者の山の者もののキャラクターたち。これで七ツ家の二ツも登場したら完全にオールスターキャストであります(が…)。
 もちろん彼らはあくまでもゲストではありますが、彼らも無坂と同じ世界に生きる者であると示されたことで、グッと作品世界に広がりが出たことも事実であり、そして何よりも嬉しいファンサービスであります。

 しかし、無坂たちにとって、あくまでも復讐はイレギュラーな行動。この下巻においても、上巻同様、物語の大部分は、無坂たち山の者の暮らしを描くことに費やされるのですが…武田晴信の動きが、そんな彼らの生活にも大きな影響を与えることとなります。
 人口の減少から山を離れ、上杉家に仕えることを決めた山の者・久津輪衆。そこに無坂の妹が嫁いでいたことから、無坂は彼らの先行きを案じるのですが…しかし、彼らは山を離れたことで、山の者との交流を禁じられた身。それが無坂の身にも大きな影響を及ぼすことになります。

 山の者として、武士をはじめとする里の者たちの掟に縛られず、山野を駆ける無坂の姿は、一見極めて自由な存在に見えますが、しかし山の者にも掟が――時に、里の者よりも厳しく残酷な掟が存在します。
 それはもちろん人を縛るだけのものではなく、守るものでもあるのは事実ではありますし、そしてそれこそが人と獣を分かつ道であるのかもしれませんが…

 その情の深さの故に、掟に触れることとなった無坂。そんな彼の姿と並行して描かれる晴信の引き起こした無惨な戦の姿(そしてあくまでも真意は不明ですが、ある人物の意外な行動)は、果たして本当に人と呼ぶにふさわしいのはどちらなのか、我々に突きつけてくるのであります。
 本作の結末に描かれる無坂たちとある「敵」の戦いは、その問いにさらに外部からの視点を交えたものと言えるかもしれません。


 しかし結末には、ある意味そうした想いを吹き飛ばすような出会いが待ち受けています。 上田原の戦いの行方を知るため、戦場に向かった無坂が目撃したもの。それこそは――
 未読の方のために伏せますが、なるほど、時代設定がほぼ重なるあの作品と本作は表裏一体であったのか、ともうニヤニヤするほかありません。

 無坂とあの人物の出会いが何を生み出すのか…これはもう、今後の展開に大いに期待せざるを得ません。


「嶽神伝 無坂」下巻(長谷川卓 講談社文庫) Amazon
嶽神伝 無坂(下) (講談社文庫)


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 「嶽神伝 無坂」上巻 帰ってきた山の者、帰ってきた嶽神

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2013.10.27

「逢魔ヶ辻 晴明と道長」 晴明、藤原三代を動かす?

 少女漫画の世界で一貫して歴史ものを描いてきた河村恵利が、道長に至るまでの藤原家三代と、かの大陰陽師・安倍晴明との不思議な縁を描く、ユニークな恋愛奇譚とでも言うべき作品であります。

 安倍晴明といえば、今や平安時代のスターの一人的扱い、そのビジュアルも美形として描かれることが多いやに思いますが、本作の晴明は垂れ目でちょっと野暮ったい風貌の持ち主。
 しかしその力は本物で、恋の道に悩む藤原家の男たちの前に現れては、不思議な形でその想いを成就させていくことになります。

 実は本作においては晴明は狂言回し的立場。物語の中心となるのは、道長・兼家・師輔と、三代に渡る藤原家の男たち…と、ここで気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、本作においては、時代が道長から遡っていくのが面白いところ。
(当然、晴明も老年・青年・少年とそれぞれの年代で登場することになります)

 さて、その第一話は、藤原家とはいわばライバル関係にある家の姫に懸想してしまった道長が、彼女に別れを告げようと思うも直接会いに行く勇気もなく…というところに偶然出会った不思議な老人(もちろん晴明)が、自分と道長の姿を取り替えて姫に会いに行かせるという物語。
 一方第二話は、文を送っても返してくれない姫に落胆した兼家が、文に変わる不思議な鳥を連れた男(もちろん略)とこれまた顔を交換して、姫のもとを訪れることになります。

 こうしてみると、その一とその二で晴明と姿を取り替えるという趣向は重なるところではあります。
 しかしもちろんそれぞれのエピソードで、それぞれの状況を踏まえた伏線の張り方や題材の見せ方が行われているのは言うまでもないお話(特に兼家の懸想する姫に「和歌の才があるとの噂」は、彼女のその後を考えるとなるほど! と)。
 さらに言えばこの展開は、姫君が御簾の向こうで顔を見せないという、この当時ならではの文化ならではのものであって、この辺りの構成の妙は、作者ならではと言えるでしょう。

 もちろん、師輔がある少年(略)に託した恋人への文が、誤って(?)その妹に渡ったことでその後幾年にもわたる不思議な恋の因縁が生まれるという第三話も面白く(君たちはそれでいいのか、と登場人物に対して思いはしますが)、三人三様の恋の形を楽しませていただきました。

 が…この藤原三代の恋の成就が、後の摂関家としての藤原家の栄華を生み出したと考えれば、それを陰で支えた晴明はその立て役者であります。
 そして晴明がその当時の最高権力者となった道長に近しい位置にいたことを思えば――狂言回しどころか、とんだ傀儡師だったのでは、などと考えられるのも、また楽しいところであります。


 なお本書にはあと二編、「逢魔ヶ辻」とは独立した短編が収録されています。

 その一つ「清水聖」は、その名の通り清水坂に庵を結ぶ僧正とふとしたことから知り合った女房が、その日から不思議な美貌の公家につきまとわれるという一編(ちなみにその女房は…という点で、「逢魔ヶ辻」の次の世代に関する物語でもあります)。

 また「平安怪盗伝 真結び」は、以前に刊行された作者の「平安怪盗伝」の新作。
 盗賊と間違えられて腕自慢の貴族に射殺された府生(下級役人)の遺体を持ち去った盗賊・袴垂(という名前は本作では出ませんが)が、実は府生とその家の姫が慕い合っていることを知って強請に出るも…
 と、オチ自体は途中で読めるのですが、凶悪な盗賊が一転皮肉な役回りを演じる辺りは(相変わらずだなあと思いつつも、)実際に平安時代の説話にありそうな味わいだと感じます。

 独立した作品といえど、どちらも恋の病に苦しむ人々を描いたという点では、「逢魔ヶ辻」と共通する作品たちであり、その意味でやはり一貫した作品集と言うべきでしょう。
 妙手の技を楽しませていただきました。


「逢魔ヶ辻 晴明と道長」(河村恵利 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
逢魔ケ辻~晴明と道長~ (プリンセスコミックス)

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2013.10.26

11月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 10月に入った時には「まだあわてるような時間じゃない」という気分だったのですが、冷静に考えてみると今年もあと3ヶ月。そして来月になればあと2ヶ月(当たり前)。もう冬も目前、2013年の終わりも目前…というわけで、今年のラスト1つ前、11月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 と言ってみたものの、数の上ではちょっと寂しめな11月のアイテム。それでも文庫小説の方は、なかなかの注目作が並びます。

 まずなんと言っても注目は、今年「奥右筆秘帳」を完結させた上田秀人が、同じ講談社文庫からスタートする新シリーズ「百万石の留守居役 一 波乱」。
 内容の方はまだわかりませんが、百万石といえば加賀前田家。幕府の人間を主人公とすることが多かった上田作品が、どのように外様側からの物語を描くのか期待です。

 また楽しみなのは、待望のシリーズ第5弾となる小松エメル「一鬼夜行 鬼の祝言」。お話の方は、なんとあの閻魔顔の喜蔵のもとに縁談が、ということでいや本当にこれどうなるのでしょうと、大いに気になります。

 また、シリーズものの新刊では、風野真知雄「新・若さま同心徳川竜之助 5 薄闇の唄(仮)」、瀬川貴次「鬼舞 見習い陰陽師と応天門の変」が登場。特に後者はいよいよシリーズが佳境に入っているだけに注目であります。

 そして既刊の文庫化では、夢枕獏「陰陽師 醍醐ノ巻」、富樫倫太郎「早雲の軍配者」とヒット作が並びますが、やはり気になるのは荒山徹「友を選ばば」。タイトルからは想像できないような色々な意味で大変な作品ですので、未読の方はぜひ。

 もう一点、アンソロジーでは細谷正充編の「くノ一、百華」が。編者の方が方ですので、これは面白い作品が収録されているはずです。


 また、数は少ないですが見逃せない作品が並ぶのが単行本小説。宇月原晴明の平安もの「かがやく月の宮」、京極夏彦の新作は明治もの「書楼弔堂 破暁」、さらに秋梨惟喬の中国ミステリ「黄石斎真報」と、期待の作品が並びます。


 さて、一方漫画の方はかなり寂しい状況。
 ぱっと見て印象に残るのは野部優美「真・餓狼伝」第3巻、hakus「伏 少女とケモノの烈花譚」第3巻、かねた丸「剣客太平記」第1巻くらいという状況です。

 また、これまで文庫で刊行されてきた上条明峰「SAMURAI DEEPER KYO」は11月発売の第18巻でめでたく完結。全プレ下巻にも応募しないといけないですね。


 なお、11月はDVDで「座頭市」シリーズが再販されますが、その中でもこのサイト的にはやはり「新座頭市 破れ! 唐人剣」に注目するべきでしょうか。



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2013.10.25

「嶽神伝 無坂」上巻 帰ってきた山の者、帰ってきた嶽神

 武田晴信が父を追放し、信濃攻略を狙っていた頃、山の民の一つ・木暮衆の無坂は、諏訪頼重の娘・小夜姫を救ったことが縁で、諏訪家と関わりを持つ。家族や里の仲間たちと静かに暮らす無坂だが、武田家侵攻の余波は山にも及び、不穏な動きが彼らのもとにも迫ろうとしていた…

 長谷川卓の新作は「嶽神伝 無坂」――久しぶりの嶽神、久しぶりの山の民ものであります。
 久しぶりと言ったのはほかでもない、最近では奉行所ものがメインだった作者ですが、「血路 南稜七ツ家秘録」という山の者を主人公としたアクション時代小説で第二回角川春樹小説賞を受賞した経歴の持ち主。そしてその続編「死地」、さらに昨年文庫化された「嶽神」(旧題「嶽神忍風」)と、矢継ぎ早に、山の者ものとも言うべき作品を発表していたのであります。

 その後、先に述べたように山の者とは全く離れた作品を発表してきた(一昨年に久々の山の者もの「逆渡り」が発表されましたが、先行する作品とは趣をいささか異にする作品ではあります)作者ですが、ここに至り、「嶽神」を冠する山の者ものが登場したのですから、以前からのファンとしてはたまらないものがあります。

 さて、この上巻の舞台となるのは、天文11年(1542年)の信濃。前年に父・信虎を追放した武田晴信が、信濃に勢力を伸長せんとしていた時期であります。
 本作のタイトルロールである山の者・無坂は、諏訪に暮らす山の者・木暮衆の小頭の一人で、中年となっても健脚で知られる男。そんな彼は、かつて偶然諏訪頼重の娘・小夜姫が高熱を発したのを救ったのを縁に、諏訪家と縁を結ぶのですが…それが物語に大きく関わることとなります。

 というのも諏訪家は晴信にとって諏訪攻略の最初のターゲット。妹が頼重に嫁していたにもかかわらず、その油断を突いた晴信により瞬く間に諏訪家は滅亡、小夜姫は諏訪御寮人として晴信の側室に――というのは史実でありますが、無坂は、命を助けた者は見守らねばならぬ、という山の掟に従い、姫や頼重の側室・小見の方の安全を図るため、危険を承知で諏訪家に走るのであります。


 …が、この武田家と諏訪家の戦い、武田家の諏訪攻略は、(少なくともこの上巻では)物語の遠景であり、分量としてはさほど多いわけではありません。
 この物語の大半を占めるのは、無坂たち山の者の暮らし――彼らの里での暮らし、他の山の者との交流、出稼ぎの様子等、彼らにとっての日常が描かれるのであります(特に出稼ぎについては、塩商人に雇われ、馬子の先導役兼警護役を務める「足助働き」のくだりが実に興味深い)。

 かつて発表された山の者ものは、ほとんどが伝奇ものですが、本作においては伝奇性はほとんどありません。強いて言えば、山を彷徨い、出会った者の命を吸い取る「影」の存在が、唯一ファンタジックな要素でありましょう。
 その意味では寂しさを感じなくもないのですが――しかしそれでも本作は実に面白い。山の者たちの、自然と一体化した、しかし里を中心とした社会性を持った暮らしの様、たとえ見知らぬ他人であっても山中で難儀にあった者は決して見捨てぬ姿など、実に滋味深く、文字通り地に足の着いた人間の暮らしとして、ある種魅力的に映るのです。


 しかしそれはもちろん、山の者とその暮らしを、単なる理想的な存在として一面的に描くものではありません。武士や里の民からの差別、厳しい自然との闘い、時に人を見捨て、あるいは自らが見捨てられる厳しい掟――
 そして彼らの暮らしも一様ではなく、山の暮らしを捨てて武士に仕えようとする者、他の里を襲う凶族となり果てた者など、様々な山の者の姿が描かれているのです。

 この上巻の段階では、まだ物語は大きな展開はありませんが、下巻では、ここで見られた幾つかの動きが、巨大なうねりとなって現れることでしょう。
 その中で無坂がいかに生きるのか――そして伝説の嶽神がどのような形で描かれることになるのか。下巻ももちろん、すぐに手に取ったところであります。


「嶽神伝 無坂」(長谷川卓 講談社文庫) Amazon
嶽神伝 無坂(上) (講談社文庫)

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2013.10.24

「秀吉を討て」 抑圧される者たちの象徴としての忍者

 天正12年、秀吉が天下取りに向けて動く中、優れた銃の腕を持つ根来の若き忍び・林空は、総帥・根来隠形鬼の命により、秀吉暗殺を命じられる。自由の国である紀州を守るため、仲間たちとともに秀吉狙撃に向かう林空だが、狙撃を目前にして林空にある迷いが…

 「忍びの森」「戦都の陰陽師」と、戦国時代を舞台とした極めてユニークな忍者ものを発表してきた武内涼の新作は、やはり戦国時代、しかしファンタジックな要素を排した忍者ものであります。

 主人公となるのは根来の忍者修験にして狙撃の名手の青年・林空。
 根来といえば伊賀・甲賀と並ぶ忍者の故郷でありますが、その背景となるのは根来寺――すなわち仏教寺院であります。そして根来のもう一つの特徴といえば、雑賀と並ぶ鉄砲での武装。つまり林空は、根来の忍者というものを体現したような存在…と言えるかもしれません。

 物語は、林空が同じ僧坊の仲間とともに、根来忍者の総帥・隠形鬼により、秀吉暗殺の命を受ける場面から始まります。
 時は秀吉が明智光秀、柴田勝家を滅ぼし、信長の後継者として天下取りに公然と乗り出した頃、その前に立ち塞がった家康と小牧・長久手で戦う直前。秀吉が天下取りの中で次に狙うのは紀州と予見した隠形鬼は、かつての堺同様、民衆が一種の合議制で維持してきた自由の国たる紀州を守るため、秀吉の暗殺を決意したのであります。

 かくて小牧・長久手に出陣する秀吉を途中で狙撃すべく計画を巡らせる林空たち。影武者を用意しての秀吉の策の裏をかき、完全にその命を掌中に収めたかに見えた林空ですが――実はここまでが物語の約半分となります。


 その後に待ち受けるのは、秀吉による根来・雑賀攻め。林空は千石堀城、そして太田城と、二つの激戦区で秀吉を討つべく、死闘を繰り広げるのですが――本作におけるこれらの戦いは、戦国時代、武士たちにより民衆が抑圧されていく中で、自由を求める戦いとして描かれることになります。

 先に述べたように、民衆たちにより自治されてきた紀州。そこに集ったのは、根来のような仏教徒だけではありません。そこに集ったのは、他の場所で生きられる者、支配層に抑圧されてきた者たち――言うなれば紀州自体が巨大なアジールなのであります。


 ここで気づくのは、作者の作品に登場する忍びが、いずれも抑圧される側に立った、彼らの代表者とも言える存在として描かれることでしょう。
 信長により伊賀を焼かれた忍びたちを主人公とした「忍びの森」の、アジールに集った人々を松永弾正と妖魔から守るため戦う忍びの姿を描いた「戦都の陰陽師」、そして本作――

 彼らは権力者の理不尽に抗する人々の、権力者の理不尽に押し潰されていく人々の象徴であり――彼らの繰り広げる死闘は、作者の激しい怒りと悲しみの表れなのでありましょう。

 冒頭で述べた通り、ファンタジックな要素を排した本作は、それだけに一層、作者の忍者像というものを、はっきりと浮き彫りにしていると感じられるのであります。


 …が、それだけに、読後にどうにもやりきれないものが残るのは事実。もう少しフィクションとしての逃げ道――それはもちろん、史実をねじ曲げるという意味ではなく――を用意して、その中に希望を見せることはできなかったか…とは強く感じるところではあります。
 本作が忍者ものとして、既存の作家の呪縛を逃れた作品であるだけにより一層――


「秀吉を討て」(武内涼 角川書店) Amazon
秀吉を討て (単行本)

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2013.10.23

「猫絵十兵衛御伽草紙」第8巻 可愛くない猫の可愛らしさを描く筆

 先日創刊7周年を迎えた「ねこぱんち」誌の看板漫画「猫絵十兵衛御伽草紙」の最新巻であります。今回はなんと猫嫌いの浪人・西浦さんという意外な表紙ではありますが、内容の方は変わることなく、楽しくも温かい人間と猫(又)の交流譚が綴られております。

 この間でも相変わらず元気な猫絵師の十兵衛と元猫仙人のニタ。この第8巻の中で描かれる時期は夏のお盆から年越しにかけてですが、その折々の風情を楽しみながら、彼らが出会う様々な人々と猫々(?)の姿が今回も描かれることになります。

 収録エピソードは今回も全6話――
 お盆の時期、西浦さんが夜道で出会った猫の幽霊とのつかの間の触れ合い「火喰い猫」
 無住寺に新しくやって来た和尚さんの正体は実は…の「猫和尚」
 猫丁長屋の暢気な若者が、愛猫のために一念発起する「だらだら猫」
 戯作者の濃野初風が、ある夜出会った嗄れ声の子猫との交流「嗄れ猫」
 しじみ売りの松吉の弟が、家族の元を離れて奉公に出る姿を優しく描く「奉公猫」
 大晦日、ニタ峠の猫又たちと根子岳の猫又たちが盛大な雪合戦を繰り広げる「猫合戦」

 どのエピソードもユーモラスで時に泣かせる、そして何よりも登場する猫が実に可愛らしい、いかにも本作らしい内容。
 その中でも「猫合戦」は、現猫仙人の清白に猫王シマと補佐の暗夜、十兵衛とニタの出会いのきっかけとなった福助やオッドアイの縹など、これまでに登場した猫又たちが次々と登場するのが何とも楽しく目を引くのですが、個人的に一番印象に残ったのは「嗄れ猫」。

 ファンタジックな要素がない、言ってしまえば初風先生が子猫と出会い、飼うようになるだけの話なのですが、とにかく猫の描写がうまいのであります。
 というのも(上に書いたことと少々矛盾するようですが)、今回登場する子猫は、模様は妙ですし顔もぶちゃいく、おまけに声は嗄れ声と、実に可愛くない。可愛くないのですが――しかしその仕草の一つ一つは実に子猫らしく、初風先生がメロメロになるのもわかるような描写なのであります。

 漫画で、登場キャラクターの見かけを美形に描くことは(ある程度の画力があれば)難しくはないでしょう。しかし、そうでもないキャラクターの外見をきちんと描いた上で、かつ魅力的に見せることは、なかなかに難しい。
 この「嗄れ猫」で、それを猫において成立させているのは、これはもう作者の画力はもちろんのこと、長年の経験による猫観察眼(?)の確かさによるものでありましょう。

 人情猫情の機微や江戸風俗を描く筆の巧みさなど、本作の魅力を構成する要素は様々にあれど、根本にあるのは、この猫描写の巧みさなのだなあ…と、本当に今更でありますが、確認した次第であります。


「猫絵十兵衛御伽草紙」第8巻(永尾まる 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon
猫絵十兵衛~御伽草紙~ 8 (ねこぱんちコミックス)


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2013.10.22

「信長のシェフ」第8巻 転職、信玄のシェフ?

 快調に巻を重ねてきた「信長のシェフ」の第8巻であります。前の巻では比叡山焼き討ちという一大事件が描かれましたが、この巻は信長にとっては比較的静かな時期。…と思いきや、主人公・ケンの周囲は色々と激動の展開であります。

 この巻の冒頭で描かれるのは、信長の暗殺未遂事件。
 本願寺との手打ちを改めて行うこととなった信長は、本願寺から珍しい西洋菓子としてマカロン(!)を振る舞われるのですが――そこに使われた食材が、信長に毒となって襲いかかることとなります。

 幸い、ケンがその正体を看破したことで事なきを得ますが(ちなみにこの後、料理の恨みは料理で返せ! と言うようなことをケンに命じる信長が、いかにも料理漫画キャラ的でちょっと楽しい)、本願寺側の料理人といえば、謎の女性・ようこ。
 どうやら、いやほぼ確実にケンと同様未来から来た彼女ですが、ケンは記憶を失っている一方で、ようこははっきりと彼のことを覚えている様子であります

 そうとは知らないケンは、料理で人を害しようとは同じ料理人として許せない! とばかりに彼女を責め立てるのですが…そこで堪えていたものが一気に爆発したようこさん、昔はあんなに愛し合ったのに的発言。
 が、間の悪いことにその場にいたのはようこの下に潜入していた信長の忍び・楓と、タイミング良く(?)やってきた鍛冶屋の夏。
 ケンを巡る三人のヒロインが一同に会するという、プチ修羅場であります。

 そんなことがあってギクシャクした関係になってしまったケンと夏ですが、そこに襲いかかるのは、信長包囲網を巡らさんとする甲斐の武田信玄。ケンを信長の快進撃の原動力の一つと睨んだ信玄は、ケン暗殺を命じるのですが――
 ここでも芸は身を助くと言うべきか、利用価値があると見込まれて甲斐に連れて行かれたケン(と夏)。ここで信玄の体調が悪いことを見抜いたケンは、信玄の身を食事療法で治すと宣言することになります。
 かくて信玄のシェフとなったケンですが、しかしいかに生き延びるためとはいえ、これはある意味利敵行為。さらに、勝頼が夏を気に入ってしまって…


 と、信長にとっては嵐の前の静けさの状況の中、ケンは相変わらずのクリフハンガーぶりであります。
 ちょっと感心させられるのは、この巻で描かれる事件――すなわち、信長暗殺未遂、ケンとようこの再会、ケンと信玄の出会い――が流れるように繋がっていくことで、一つ一つ取り出してみれば実はけっこうとんでもない展開が違和感なく続いていくのは、なかなかうまい構成であると感じます。

 そしてラストには、タイムスリップものには定番のあの展開が匂わされるのも――ケンがそれに自覚的な点も含めて――面白い。
 登場する料理の意外性と見事さは言うまでもなく、今や脂の乗りきった作品と言うほかありません。


「信長のシェフ」第8巻(梶川卓郎&西村ミツル 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 8 (芳文社コミックス)


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2013.10.21

「風の王国 10 草原の風の如く」 歴史小説として、時代伝奇小説として

 白頭山の噴火により旧渤海が不毛の地に変わっていく中、住民を避難させるべく奔走する明秀たち。一方、高氏渤海を滅ぼした耶律突欲の猖獗軍は、総力を挙げて南渤海の麗津に迫っていた。麗津を守るべく、最後の戦いに挑む明秀と仲間たち。明秀と突欲――対照的な生を送ってきた二人の戦いの行方は…

 これまで2ヶ月に1巻ペースで刊行されてきた平谷美樹の大河歴史ロマン「風の王国」も、この第10巻でついに完結であります。
 契丹が大陸を席巻する中、明秀たちの最後の戦いが描かれることとなりますが――全てのキャラクターの全ての因縁が一カ所に収束していく様は、ただ大団円というほかありません。

 明秀の両親の仇である高元譲との決着。噴火を続ける白頭山により不毛の地となった旧渤海の人々の救済。矛盾を孕みながら版図を広げていく契丹王位の行方。そして何よりも明秀と耶律突欲の戦いの決着。
 それらに数多くの登場人物の運命も含めて、描かれるべきものは全て描かれたという印象があります。

 その詳細については、興をそぐことがないよう、ここでは触れませんが、この最終巻のほぼ後半全てを費やして描かれる南渤海の麗津――思えばこの物語の本当の始まりの地であります――を巡る攻防戦の一進一退は、この長大な物語の最後の戦いとして、まことにふさわしいものと申せましょう。

 そしてまた、「風の王国」という物語を読み進める上で常に読者の頭の片隅に(悲劇の予感として)あったであろう第1巻冒頭のエ ピソード――現代の朝鮮山中の洞窟に平安時代の日本の甲冑が眠っていたその理由と意味が結末近くで明かされた時には、ただ嘆息するほかありませんでした。
 本作で明秀という男の生き様を通じて描かれてきた、国とは何か、望ましい国のあり方とは何かという問いかけの答えと合わせて、本作の掉尾を飾るにふさわしいものでありましょう。

 あるいは、明秀が示したその答えは、ある意味当然のものに感じられるかもしれません。しかしそこに至るまで、明秀が辿ってきた道のり、描かれてきた物語を思えば、それはこれ以上ない重みを持って感じられます。
 そしてまたそれが、現代に生きる我々一人一人の胸の中に向けられたものであることもまた。


 無味乾燥な歴史的事実の中に、その時代の人々の想いと生き様を読み取り描き出すのが歴史小説であるとするならば、本作は優れた歴史小説であります。
 そしてまた、変えられない歴史的事実の間隙に自在に想像力を遊ばせ、現代にまで通じる物語を生み出すのが時代伝奇小説であるとするならば、本作は超一級の時代伝奇小説であります。

 「風の王国」全10巻 ――人を描き国を問うた、この作者ならではの、この作者にしか書くことのできない名作であります。


「風の王国 10 草原の風の如く」(平谷美樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
風の王国 10 草原の風の如く (ハルキ文庫 ひ 7-16)


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 「風の王国 3 東日流の御霊使」 明秀の国、芳蘭の生
 「風の王国 4 東日流府の台頭」 快進撃と滅亡の予感と
 「風の王国 5 渤海滅亡」 一つの滅び、そして後に残るもの
 「風の王国 6 隻腕の女帝」 滅びの後に生まれるもの
 「風の王国 7 突欲死す」 二人の英雄、分かれる明暗
 「風の王国 8 黄金の仮面」 屍衣をまとう混沌の魔人!
 「風の王国 9 運命の足音」 二つの歴史が交錯するところで

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2013.10.20

「生き屏風」 異界を覗きこむという快楽

 今頃取り上げるのも大変お恥ずかしいことではありますが、五年前に第15回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した表題作を含む、なんともゆったりした雰囲気の妖怪ものの短編連作集であります。

 本書に収められた作品の主人公は、とある村の外れに、「布団」という名前の馬と暮らしている妖鬼・皐月。妖鬼と言っても、額に小さな角があることと目の色が人と違うこと、そして寝るときに馬の体の中に潜り込まないと弱ってしまう(だから馬の名が布団)ことを除けば、人間の女の子とさして変わらぬ見かけであります。

 とある理由で、外からやってくるよくないものから守る役目を担っている彼女ですが、基本的には暇な暮らし。人からは敬遠されつつつも迫害されることもなく、のんびりと暮らす彼女が出会ったできごとが、淡々と綴られていくことになります。

 表題作の「生き屏風」は、何やらおどろおどろしいタイトルとは異なり、そんな本書のムードをよく表したユニークな作品。ある日、村の酒屋の奥方が死んだ後、その霊魂が宿ったという屏風と、皐月の何とも風変わりな交流が描かれるのであります。

 この奥方、家付き娘だったせいか、わがままで言いたい放題。何故か現世に戻ってきて屏風の中で暮らすようになっても、あれが食べたい、これが見たいと言い出すのに弱った家の者に半ば強引に雇われ、皐月は屏風奥方の話し相手を務めることになります。
 妖鬼といってもまだまだ若く、どこかお人好しの皐月と、好奇心旺盛で歯に衣着せぬ奥方は水と油のようでいて不思議にウマが合い、やがて酒を酌み交わしながら語り合うまでになるのですが…

 そんな本作は、その大半が二人の会話と、奥方の求めに応じて皐月が語る様々なエピソードに占められています。
 それらはあくまでも四方山話、とりとめもなく続いていくのですが…それが何とも心地よい。語られる内容の多くは異界のそれであり、何よりも言葉を交わしているのが妖鬼と生き屏風ではありますが、しかしここに記された彼女たちの暢気で無責任な会話を読むことで、自分もその仲間入りができたような――そんな気持ちになってくるのであります。

 そんな、他人事のような自分のことのような不思議な味わいは、続く「猫雪」「狐妖の宴」にも共通する感覚であります。とりたて大きな事件が起きるわけでも、大きく物語が動くわけでもなく、ただ淡々と、(もちろん良い意味で)とりとめもなく出来事や人の想いが綴られていくのが、日向でまどろんでいる時の夢のような、そんな心地よさを感じさせてくれるのです。

 それはあるいは、皐月が主人公とは言い条、むしろ狂言回し的な立場にある――彼女もまた。状況に積極的に関与するのではなく、自分の周囲の出来事を見つめているだけにすぎない――ことに理由があるのかもしれません。

 しかしそこに心地よさを感じてしまうのは、何よりも我々人間の中に、「ここではないどこか」に行ってみたいという切実な想いがあると同時に、それよりももっとゆるくて強く身勝手な欲求――「ここではないどこか」を覗いてまた帰ってきたい、という想いがあるためではありますまいか。
 「猫雪」の登場人物が抱く想いと、ほぼ同質であろうそんな想いを、本作は満たしてくれるように感じるのであります。


 皐月の登場する作品はあと二作あるとのこと。物語の趣は本書ともまた異なるようですが、そちらも近いうちに触れてみたいと考えております。


「生き屏風」(田辺青蛙 角川ホラー文庫) Amazon
生き屏風 (角川ホラー文庫)

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2013.10.19

「韓流夢譚」 ○○封印いま破る!?

 かつて従軍僧として朝鮮に渡った老僧・慶念は、藩の重役の頼みで自らの手記「朝鮮日々記」を提供するが、相手は手記の内容を捏造せんとしていた。拒んだものの、奇怪な朝鮮妖術により、女妖術師と精神を交換されてしまった慶念。敵の手から必死に逃れんとする彼を救ったのは、隻眼の剣士だった…

 本作は「小説野性時代」10月号の歴史・時代小説特集に掲載された荒山徹の新作短編でありますが――タイトルの時点で既に誰も止める人がいなかったのか頭を抱えたくなってくる作品であります。
(頭を抱えたくなった理由については「風流夢譚事件」などのキーワードで検索していただければと思います)

 そんな本作の主人公は、かつて秀吉の朝鮮出兵時に蔚山の籠城戦を目撃した一向宗の老僧・慶念。そこで朝鮮国王を憎んで日本軍に投降した民(ここで元ネタで問題となった描写が、固有名詞を入れ替えただけでほとんどそのまま使われるという大冒険)と出会ったことなどを手記に記録した彼は、それが元であまりに数奇な運命に巻き込まれることとなります。

 戦の遙か後、臼杵の史誌を編纂しているという藩の重役・栗城兵庫にその手記「朝鮮日々記」を提供した慶念ですが、兵庫はなんと朝鮮に忠誠を誓う秘密組織の一員。彼は手記の内容に日本軍の残虐行為が足りないと内容を捏造し、慶念にその通りに書き換えさせようとするのですが、もちろん慶念がそれを肯うわけがありません。
 しかし兵庫にはとてつもない奥の手が。朝鮮から女妖術師・梨花を連れてきた兵庫は、慶念に奇怪な仮面を被せて…と、これはもはや伝説の妖術・ノッカラノウム!

 まさかの妖術により梨花と精神交換された慶念は、梨花の姿のまま何とか逃げ出すのですが、彼に迫る兵庫の魔手。が、偶然そこに通りかかった一人の剣士が慶念を救うことになります。
 そう、隻眼で、「十兵衛」という名前を懐かしがり、かつて自分もノッカラノウムされたことがあり、しかし誰かが勝手な宣言をしたおかげで自分の名前を明かしてはならない剣士――って先生。

 この後、慶念はこの謎の剣士らの助言を得て、自らの体を取り戻すべく立ち上がるのですが…これ以上はさすがに伏せておくべきでしょう。
 というより、既にこの時点で腹一杯と申しましょうか…問題のありそうなパロディの二連発にノッカラノウム、そして封印されたあの剣豪の登場と、短編ながら、ある意味荒山ファン的にはフルコースな内容であります。


 …が、この手法が一般読者にどう映るか、というのはやはり別問題でありましょう。平たくいえば、「○○○両断」を読んでいない読者にはやはりついていけないのではないか、という印象が強くあります。

 さらに言えば、色々と難しい題材に、(こうした表現で好きではありませんが)ネタ度的要素をぶつけて中和するという、荒山短編にしばしば見られる手法の持つ一種の危険性――どれほど偏った内容であっても、ネタに紛らわせて読ませてしまう――も、このご時世では気になるところではあります。
 この辺りは、作者の「良心」に期待するしかないとは思いますが…

 いずれにせよ、色々な意味での問題作、と言うべきでありましょうか。


 …しかし先生、誰も怒りませんから、封印はもう解いてもよろしいのではないでしょうか。


「韓流夢譚」(荒山徹 角川書店「小説野性時代」2013年10月号掲載) Amazon
小説 野性時代 第119号 (KADOKAWA文芸MOOK 121)

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2013.10.18

「いかさま博覧亭」同人ドラマCD3 豪華3エピソード収録…?

 掲載webコミック誌の終了等により、残念ながら連載中断状態になっている時代妖怪コメディ「いかさま博覧亭」ドラマCDの第3弾であります。今回は原作エピソード2つ+オリジナルエピソードの、豪華3話構成なのですが…

 白髪眼鏡の妖怪馬鹿・榊が営む両国の見世物小屋・博覧亭を舞台に、そこに集う榊の友人知人、さらには妖怪・付喪神たちを巻き込んでのドタバタ騒動を描く本作。
 今回ももちろん、毎度馬鹿馬鹿しくもテンポのよい妖怪絡みの騒動が起きるわけですが、今回の中心となるのは、尼寺・玄能寺――見かけは可愛らしい外見ながら、強力な法力を持つドSで守銭奴尼僧の空木と、同じく守銭奴尼僧ながら酒癖の悪さと怠け癖で空木に頭の上がらない石蕗の二人の寺であります。

 というわけで、第1話は、本作の前身である「怪異いかさま博覧亭」時代の、玄能寺に曰く付きの品物を漁りにきた榊が、空木に調きょ…封印されていた妖と渡り合う羽目になる「空木と雑霊」。第2話は、現在のところの最新巻である単行本第2巻に収録された、変人河童兄弟を懲らしめようとした榊の企てから、石蕗の意外すぎる過去が語られる「石蕗の過去話」が収録されております。

 正直なところ、内容的にはほとんど原作そのままで、その意味では正直なところファンにとっては新鮮味はないのですが、その分と言うべきか、既に手慣れた声優陣の声の芝居は実に楽しい。
 特に河童兄弟――本物の河童の河太郎を演じた山口勝平と、実はバテレンの河次郎役の岩崎ひろしの暴走ギリギリの熱演は凄まじく、いやこりゃ榊も激怒するわ…と言いたくなるウザ賑やかさで、大いに感心いたしました。


 と、残る1話はオリジナルということで、これは原作漫画が中断している今、ファンにとっては非常に期待していたのですが…
 単行本おまけ漫画の魔法少女八手のオリジナルエピソードでした。

 いや、確かにこれも「いかさま博覧亭」の一部ではありますし、ある意味実にドラマCD的な内容ではありますが。ありますが…
(個人的ながっかり度合いは0.9オレスコくらい)

 やはり時代ものとしての新作は、本編再開を待つほかないのでしょうか、とちょっと悲しくなった次第であります。


「いかさま博覧亭」同人ドラマCD3 Amazon


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2013.10.17

「明治・妖モダン」 文明の灯が消し去ったもの

 江戸から明治に変わって20年、煉瓦街が並び、アーク灯が照らす銀座の一角に、掘っ建て小屋のような派出所があった。そこに勤務する滝と原田は、次から次へと街で起こる騒動の解決に奔走するが、その陰には、とうに消えてしまったはずの妖たちの影が――文明開化の時代に見え隠れする妖たちは真か偽りか?

 畠中恵の新作は、明治の銀座を舞台とした妖怪もの、全5話からなる連作短編集であります。

 本作の主人公…というか中心人物となるのは、銀座の中心に立つ(けれども掘っ建て小屋同然の粗末極まりない)派出所に勤務する、滝と原田の警官コンビ。薄給ながら銀座の治安を守るため日々奔走する彼らの楽しみは、馴染みの牛鍋屋・百木屋で夕飯を食うことと、そこにたむろする友人たちと語らうこと――
 なのですが、派出所でも百木屋でも、二人は、そして仲間たちはおかしな事件に巻き込まれてばかり。しかもその事件、文明開化のご時世には時代遅れもはなはだしい妖たちが関わっているらしいのです。

 …という基本設定(と作者の名前)を見れば、ははあ、これは主人公たちと、しぶとく生き残っていた妖たちがにぎやかでユーモラスな騒動を繰り広げるのだな、と私は思ったのですが、その予想はかなりの部分で外れることになります。
 確かに、滝と原田をはじめとするレギュラー陣のやりとりは賑やかで楽しいのですが、物語全体のトーンはかなりドライでシビア。描かれる事件は人間の欲望にまつわる生々しいものがほとんどであり、人死にも少なくありません。

 そして何より、本作に登場する悪人たちは妖を畏れない――ばかりか、自分たちの欲望のために、妖を利用せんとすらするのであります(もちろん、そういう輩は後で大変な目に遭うのですが…その辺りの描写も普通に恐ろしい)

 しかし、本作においては、まさにこの点――妖への畏れや敬意を失った人間の姿を描くこと、ひいては、明治に至り人間と妖の関係性が変化したことこそを描こうとしていると気付きます。
 もちろん、江戸時代にも、妖を畏れず、利用しようとした輩はいたことでしょう。しかし、そんな人間たちにとっても、妖は「現実に」存在するものとして、自分たちの隣人として感じられていたのではありますまいか。

 しかし本作で描かれる人間たちは、基本的に妖の存在を信じません。妖という存在のことを口にすることはあっても、あくまでもそれは表象的なものであり、時には娯楽の種として、消費していくものなのであります。
 もちろんそれこそが近代理性の賜物、と言えばその通りでありましょう。しかし、本当にそれだけで良いのかと、本作に描かれる物語は問いかけてくるように感じます。

 自分たちの隣人である妖を畏れず、敬意を払うことなく消費する態度。それはやがて、人間自身すらもそのように扱うようになるのではないか…と。
(そして明治の「やがて」は平成の「いま」なのですが)


 文明の灯が消し去ったのは、夜の闇とその中の住人たちだけだったのか。本当に消し去られたものは、そんな住人たちの存在を感じ、畏れる、人の心の中の謙虚で敬虔な部分だったのではないか――

 と、そんな少々物悲しいことを考えさせておいて、ラストエピソードで時が経ても決して変わらない人の心を描くあたりがまた心憎い本作。
 いつもの明るく楽しい畠山作品を期待すると戸惑うことになるかもしれませんが、しかしなかなかに魅力的な作品なのであります。


「明治・妖モダン」(畠中恵 朝日新聞出版) Amazon
明治・妖モダン

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2013.10.16

「邪神艦隊」 真っ向激突、人類vs邪神!!

 世界各地の海で発生する奇怪な事件。一連の怪事の背後に、太古より地球を狙う邪神クトゥルーの存在があることを聞かされた日本海軍大佐・鬼神は、欧米列強とともに、邪神の眠るルルイエ攻撃を命じられる。しかし、邪神の想像を絶する魔手が連合艦隊に迫る…日本に、人類に打つ手はありやなしや!?

 架空戦記…それも大戦前を舞台とした作品であります。本来であれば、私の興味の範囲外の本作を手に取ったのは、作者が菊地秀行であり、日本軍が、いや世界各国連合軍が戦う相手が、クトゥルーであるからにほかなりません。
 なにしろ、菊池作品でクトゥルー、そして海戦といえば、あの神話作品史上における怪…いや快作「妖神グルメ」におけるダゴンvsカールビンソンの伝説の死闘があるわけで、これは期待するなという方が無理なのですが――なるほど期待以上の快作であります。

 太平洋を行く船に襲いかかる奇怪な有機体戦艦、帝都東京に暗躍する陀厳秘密教団(それを阻まんとするは大本の出口王仁三郎!)。東北の寒村に潜む邪神信仰に、世界各地を騒がす邪神の眷属。邪神と手を組まんと暗躍するナチスドイツ――
 クトゥルー者であれば、どの要素をとってもテンションが上がる要素で構成された本作は(ところどころ生焼けの部分が残っていはしますが)作者一流の味付けとサービス精神で料理され、こちらを思う存分楽しませて・くれるのであります。

 しかし、本作最大の魅力、そして何よりも本作が架空戦記でなければならない理由は、本作で描かれるものが、人類と邪神の、正面切っての激突である点でありましょう。
 それも、魔術や妖術といった相手の土俵に乗るのでも、一発撃てば片が付く(かもしれない)核兵器など無粋な代物を使うでもなく――ただ真っ正面からの火力のぶつかり合いという形で。
(もっとも、それ以外の力のフォローもありはしますが…)

 そしてそれは、言い換えれば、本作で邪神に挑むのが、あくまでも普通の人間であることを意味します。なるほど、本作の主人公たる鬼神大佐、その謎めいた相棒(?)たる宮内省の山田侍従は、いかにもヒーロー的な造形ではありますが、しかしその能力や感覚自体はあくまでも常人でしかありません。――彼らとともに戦い、散っていく日本の、世界各国の人々もまた。

 そう、本作で描かれるのは、巨大で理不尽な悪意に屈することなく、地球に生きる者としての誇りと怒りを込めた人類からの痛烈で、そして尊い反撃の姿なのです。極論すれば、本作の架空戦記たる部分は、その怒りの拳に勢いをつけるエルボーロケットのようなものと言うべきでありましょう。

 もちろん、決して人類も誉められた存在ではありません。邪神という共通の、巨大な敵の存在を知っても、国と国は――その国民同士も――相手に不信を抱き、出し抜こうとし、そのためには邪神と結ぶのをよしとする者すらいるのですから。
 いや、何よりも、本作で人類の連合艦隊と激突するのが、邪神の魔力を込められたものだとはいえ、人類が作った戦艦や戦闘機といった兵器を模したものである点は、何よりも示唆的でありましょう(それには、人間と邪神を対等の土俵でドンパチさせるための計算ももちろんありましょうが)。

 しかしそれだけではない。それでも人間の中には…と、決して人間の善き心の存在を見捨てようとしない――我々菊地ファンが昔から心から愛する――作者の熱いロマンチシズムは、本作でも健在であります。


 題材や発表のタイミングから、とかく色眼鏡で見られがちな作品かもしれません(と、そんな見方をしていた当の人間が言うのも恐縮ですが)。
 しかし本作は、今後の神話作品史上に残るであろう人類と邪神の激闘を真っ正面から描いた作品であり――そして同時に、作者流の人類愛に満ちた快作であることは、自信を持って断言させていただきましょう。

 題材を詰め込みすぎて、消化不良の部分もなきにしもあらずでありますが、まずクトゥルーファン、菊地秀行ファンであれば、拍手喝采の作品であります。


「邪神艦隊」(菊地秀行 創土社The Cthulhu Mythos Files) Amazon
邪神艦隊 (The Cthulhu Mythos Files)

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2013.10.15

「戦国SAGA 風魔風神伝」第4巻 小太郎の力、半蔵の力

 かわのいちろうによる漫画版「風魔」である「風魔風神伝」の第4巻であります。前巻で北条氏が滅び、自分たちの自由のための戦いを開始した風魔小太郎と配下たちではありますが、高まり続ける豊臣と徳川の間の緊張関係の中に巻き込まれていくことになります。そして原作を離れた意外な展開が…

 奮戦空しく、豊臣の大軍の前に北条氏は滅び、主家を失った風魔。その新たな長となった小太郎は、北条と古河公方の血を引く氏姫の身分を保障するため、秀吉に協力して家康の動向を探ることになります。
 と、そこに現れた真田の猿飛こと唐沢玄蕃は、家康暗殺を宣言。こともあろうに江戸のど真ん中でそれを成功させてしまうのですが――それが、豊臣と徳川の水面下の暗闘を加速させることになります。

 果たして、殺された家康は影武者だったのか、あるいは本物だったのか? 今後の天下の趨勢を決するとも言える情報を巡る諜報戦が展開されることとなるのですが――そこに愛するくノ一・笹箒が巻き込まれたことから、小太郎は封印していた力を解き放つことになるのです。

 ――これまで、かなりの部分で原作に忠実だった本作ですが、実はこの辺りの展開は漫画オリジナル。ここで小太郎が見せる風魔正統の軍装「うらかん」は、原作由来ではありつつも、そちらでは終盤に登場するものであります。
 そしてこの巻のラスト、小太郎の真の力に圧倒された服部半蔵正成が、伊賀に伝わる禁断の力(石ならぬ鉄○○)によって人知を超えたようなパワーアップを遂げるのも、こちらは完全にオリジナル展開(のはず)です。

 この辺りの展開は、いかにもかわのいちろうらしい、瞬発力と重さの感じられるアクション描写で実に良いですし、漫画的にもこうした派手なパワーアップは大歓迎ではありますが…これまでがこれまでだっただけに、いささか唐突に感じられてしまうところではあります(その直前の、小太郎が豊臣秀次を救おうとするエピソードなどが原作を綺麗に再現していただけに)。
 もちろん、これはこちらの勝手な深読みではありますが、ここに来て路線変更があったのであれば、いささか引っかかるところではあります。


 もっとも、本作の描写、特にアクション描写は時代劇漫画中でも屈指のレベルにあるのは間違いないところ。先に述べた通り、オリジナル部分でもそれが変わることはなく…まずは腰を据えてこれを楽しませていただくのが、ファンの正しい姿なのでありましょう。
 もう一つの「風魔」として――


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2013.10.14

「流動の渦 お髷番承り候」 二つの骨肉の争いの中で

 上田秀人の「お髷番承り候」も早いものでもう第7巻。気がつけば、現在進行中の上田作品の中では最長のシリーズとなりました。しかしまだまだ続く徳川家綱と深室賢治郎の苦難の道のり。将軍後継を巡る暗闘はなおも続き、賢治郎もまた、自身の骨肉の争いに巻き込まれることとなります。

 五代将軍の座を巡り、いよいよ激化する甲府綱重と館林綱吉の暗闘。綱吉の愛妾・お伝の方の実家である黒鍬者が前作のラストで綱重の生母・順性院を襲撃したことで、事態は思わぬ方向に転がることに。
 九死に一生を得たものの、愛する順性院が殺されかけたことで激怒した用人・山本兵庫は、黒鍬者たちを次々と暗殺。それに対して黒鍬者が報復として兵庫を襲撃し、さらに兵庫が伊賀者を雇って対抗…と、争いは果てしなくエスカレートしていくことになります。

 本作のかなりの部分を割いて描かれるのは、この甲府と館林の代理戦争とでも言うべき状況。これまでは足の引っ張り合い(といっても洒落にならないものもありましたが)で済んでいたものが、今回はついに死者続出の争いにまで発展し、権力の亡者たちの度しがたさというものが嫌と言うほど伝わってくる展開となっております。
(そこに、不遇自慢では甲乙つけがたい黒鍬者と伊賀者の争い、さらには伊賀者内部のそれも加わって…)

 そんな中、黒鍬者たちの死、そして順性院の襲撃を知った賢治郎は、家綱より真相究明を命じられるのですが、その任に当たるのもそこそこに、彼が巻き込まれたのは、自身にまつわる噂が起こした波瀾であります。

 前作で紀伊頼宣の命を救ったことにより、頼宣から二千石の加増を宣言された賢治郎。それを聞きつけた義父・作右衛門がこのことを吹聴して回ったことで、賢治郎が異数の出世を遂げるという噂が江戸城を駆け巡ることとなります。
 それに焦りを募らせた賢治郎の異母兄の松平主馬は、ついに最後の手段に出ることに…

 と、骨肉の争いに苦しむ主君を助けるどころか、自分が骨肉の争いに翻弄されることになってしまった賢治郎。周囲には手本とすべき大人物も少なくない賢治郎ですが、本シリーズにおける二大(?)小人物を身内に持つと本当に苦労されるものであります。

 一方、その大人物のほうで印象に残るのは、阿部豊後守忠秋の存在であります。松平信綱とともに家光・家綱を支えてきた忠秋は、賢治郎にとっては厳しくも偉大な師匠のような存在。今回も、賢治郎に寵臣のなんたるかをたたき込むのですが…しかし、それだけではない腹芸が、大人物の大人物たる由縁でしょうか。

 本シリーズは賢治郎の成長物語としての要素が強い…というのは以前にも述べたように思いますが、それと同時に、信綱・忠秋・頼宣と、彼の師とも言うべき先人たちの人となりを描き、彼らの言動を通じて、政を行う者の資質・覚悟を本シリーズは描いていると言えましょう。
 その意味では、今回の忠秋の行動、さらには忠秋による頼宣論などは実に面白く、特に後者は、上田作品のキータームとも言うべき「継承」を軸に頼宣像を論じており、強く印象に残ります。


 物語展開でいえば、他の作品に比べると正直なところ地味に感じられる本シリーズですが、この辺りの面白さは、本シリーズならではのもの――と再確認した次第です。


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流動の渦: お髷番承り候 七 (徳間文庫)


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2013.10.13

「十 忍法魔界転生」第3巻 故山の剣侠、ついに主人公登場!

 第3巻にしてようやく主人公が表紙に登場した「十 忍法魔界転生」。どれほどこの時を待ったことか! とテンションは上がりますが、これまで縷々として「敵の編成」ばかりが描かれてきたのですから、そこにようやく現れた救い主の姿に盛り上がらないわけがないのであります。

 これまで次々と森宗意軒、そして天草四郎の悪魔の囁きの前に陥落し、魔界転生を行った剣豪たち。その顔ぶれも、荒木又右衛門・田宮坊太郎・宮本武蔵・宝蔵院胤舜・柳生宗矩・柳生如雲斎と、実に恐るべき顔ぶれであります。
 まさに原作でのあの名文、「彼らを「敵」とするものに呪いあれ。この恐るべき超絶の集団を敵として、万に一つもいのちある者が、この世にあろうとは思えない。のままでありますが(やむを得ないとはいえ、本作でこのフレーズが使われなかったのはまことに残念!)――この6人に四郎を加えて7人の転生衆に、さらにもう一名を加えようと宗意軒は企むのですが…

 と、ここでついに主人公のシルエットが! という演出がたまらない。
 そう、宗意軒が転生衆に迎えんと狙う男、そして彼らに立ち向かい、破邪顕正の太刀を振るう主人公こそ、我らが柳生十兵衛なのであります!

 ――というのは、本作の読者の九分九厘までがご存じかと思いますが、やはり溜めに溜めての登場、(別に封印されていたわけではないと思いますが)実に5年ぶりのせがわ十兵衛ときれば、これはもうファンとしては大いに盛り上がってしまうのであります。

 そして、このせがわ十兵衛Ver.十のビジュアルがまた実に格好良い。「Y十M」の時に比べて――絵柄の変化もあるのかもしれませんが――少し痩せて、少しだけ穏やかになったように見える十兵衛の姿は、前作のやんちゃぶりからから月日は流れ、少しだけ大人になった十兵衛を感じさせてくれるのであります。
 …もちろんその月日が、必ずしも十兵衛にとって歓迎すべきものだけではなかったであろうことは、彼のどこか達観したような表情から見て取れるのですが。

 と、十兵衛にばかり目が行ってしまいますが、同時に登場するのが、これもようやく登場のヒロイン三人娘。活発・怜悧・柔和と、それぞれに魅力的な彼女たちの健全な可愛らしさは、同じく今回登場した忍体三人娘の妖艶淫靡な美しさとは好対照で、こちらの活躍もまた、楽しみになるのであります。
(…あ、あと柳生十人衆も初登場ですね、そういえば)


 さて、そんなわけでようやく登場した十兵衛ではありますが、忍体三人娘の一人と対峙したものの、今回は顔見せで、本格的な活躍はまだまだこれから。
 こちらは早速事件の渦中に巻き込まれる形となったヒロイン三人娘の窮地を誰が救い、そしていつ十兵衛が立ち上がるのか。そして、今回は出番が少なかった転生衆の揃い踏みも――

 せがわ版魔界転生、いよいよ本番であります。


「十 忍法魔界転生」第3巻(せがわまさき&山田風太郎 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon
十 ~忍法魔界転生~(3) (ヤングマガジンコミックス)


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2013.10.12

「流れ木」 その男の探し求めたもの

 既に次の号も出た頃に恐縮ですが、「小説現代」9月号に掲載された小松エメルの新撰組もの短編、5月号に掲載された「夢告げ」に続く第2弾であります。今回主人公となるのは、近藤勇の養子となった近藤周平(谷周平)。思わぬ運命の変転に流されるままの彼の抱く想いが描かれることになります。

 その養父の華々しい武名に比べて、養子であった周平の名は、残念ながら新撰組ファンにはほとんど知られていないのではないか…と言っては失礼に過ぎるでしょうか。
 谷三十郎と万太郎、二人の兄とともに新撰組に参加し、近藤の養子となった後の池田屋事件でも報奨金を得ているものの、それ以外の新撰組隊士としてのエピソードらしいエピソードはないように思われます。
(二人の兄がいわゆるぜんざい屋事件で活躍しているのですが…)

 個人的には近藤周平と聞くと、「新選組!」で彼を演じた浅利陽介の線の細いビジュアルが浮かんでしまうのですが…

 さて、本作の周平は、美貌の持ち主で、黙っていても女たちが寄ってくるというキャラクター。それが元で家を潰した(という説が本作では採用されている)兄の万太郎同様、女性にはだらしない人物として描かれます。
 が、そんな女たちとの戯れに溺れる周平の胸の内にあるのは、あまりに大きな空洞とでも言うべきもの。
 ある日突然近藤の養子となり、周囲の隊士からは嫉妬と羨望に晒される。近藤や幹部たち、兄からは期待をかけられる。全ては己が望まないまま…
 そんな状況に置かれた彼は、自分の居場所――言い換えればあるべき自分の姿を求め、さまようのであります。

 上で述べたように、周平に関して少なくとも私が知るところは大してありません。それゆえ、彼がどのような人物であったかを知る術もありません。
 しかし、わずかに記録に残った部分から考えれば、そうもあろうと――彼が、周囲が本作のような想いを抱くことは大いに納得できる、いや、大げさに言えばこれ以外なかろうとすら感じるのであります。

 そしてまた、彼の抱いた想いが、多かれ少なかれ、現代に生きる我々もまた同様に抱くものである…と言えば、それはさすがに言いすぎ、というより本作の彼に対して失礼でありましょう。


 ファンタジックな要素のあった前作と違い、本作はあくまでもストレートな時代小説であります(ちなみに、前作でユニークな個性を見せたキャラクターが今回もちょい役で登場)。
 しかし、己の居場所――もちろんそれは、物理的な場所のみを意味するものではありません――に迷う若者を描いたという点でいえば、前作の系列に属する物語でありましょう。
 そして、いささか悪趣味に聞こえるかもしれませんが、次なる若者の登場にも、期待したいと感じているところなのであります。


「流れ木」(小松エメル 「小説現代」2013年9月号掲載) Amazon
小説現代 2013年 09月号 [雑誌]


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2013.10.11

「将軍の象 採薬使佐平次」 象の道行きがえぐり出したもの

 将軍吉宗が何の気なしに口にした言葉がきっかけで輸入されることとなった二頭の象。一度は沙汰止みになったはずが、何故か長崎に到着した象に不審を抱いた佐平次は長崎に向かう。江戸に向かう象を警護することとなった佐平次だが、何者かの妨害が次々と一行を襲う。その背後に秘められた思惑とは…

 ユニークな主人公の設定と、意外性に満ちたストーリー展開が魅力だった「採薬使佐平次」の続編であります。
 採薬使とは、八代将軍吉宗が置いた、諸国を巡り薬草などの役に立つ植物の採取・研究を行う実在の役職です。
 しかし本シリーズにおいては、その構成員の多くは実は御庭番であり、もう一つの御庭番として、本来のお役目の陰で諸国の探索に当たっていた…という設定。そしてその中でも佐平次は、吉宗とも親しく言葉を交わす懐刀なのであります。

 そして享保の大飢饉を扱った前作同様、本作も、象が来日して帝や将軍がそれを見物したという史実を題材としています。
 たまたま得た象の知識を周囲に語っていた吉宗。それ自体は一種の子供っぽい行動でありますが、老中たちが将軍の歓心を買おうと、象の輸入を決めてしまったことから、今回の物語は始まります。

 当時の最高権力者たる将軍が象を手に入れ、それを見物することは、別に問題もないように思われます。しかし当時吉宗は倹約を旨とする緊縮財政を進める真っ最中。その吉宗が自分の楽しみのために大金を投じて象を輸入したとすれば、諸藩はなんと感じるか?
 それ以上に、象が長崎から江戸まで輸送される間の負担は、全て途中の諸藩持ち。金銭的な負担のみならず、何かトラブルがあった時の責任まで負わされることを考えれば、迷惑以外の何ものでもありません。

 一度は輸入を請け負った商人が不慮の死を遂げたことで沙汰止みになったはずのこの象の輸入ですが、しかしその商人から引き継いだと称する別の商人が現れ、結局象は長崎へ。
 それらの動きに不審を抱いた佐平次たち採薬使、そして紀州第三の隠密部隊とも言うべき鯨方(捕鯨漁師にして熊野水軍の流れを汲む海上部隊)が加わり、象を輸送する一行を警護することになるのですが、長崎で既に大きな犠牲が――


 冒頭に述べたとおり、本作の題材である象の来日は、史実であります。それ自体はしばしば歴史雑学本などで取り上げられるため、ご存じの方も少なくないと思いますが、本作はこれを材料に、思いもよらぬアクションサスペンスの世界を生み出します。
 一見単なるユニークな歴史上の一事件に過ぎない象の来日。しかしそのためにどれだけの名も無い人々の苦労があったか? どれだけの金や人々が動かされたか? ほとんど語られぬその点にスポットライトを当てることにより、本作は将軍吉宗の権威を失墜させんとするものとの戦いを描き出すのです。

 それは単に、象を江戸にたどり着くまでに殺して、将軍の鼻を明かそうという企みだけではありません。むしろ無事に象を江戸まで旅させ、道々の諸藩に幕府への不満を抱かせるという企みもあり得るのです。
(そしてまた、象を除こうとするのは、吉宗と対立する者の側だけでもないのですが…)
 そんな複雑な思惑を背景に描かれる、長崎から江戸に至るまでの象の道中を巡る数々の攻防戦が本作の面白さの一つでありましょう。
 帯などでは「時代ミステリ」とありますが、むしろ本作はロードノベルなのであります。


 …しかし、本作で真に注目すべきは、その背景となっている権力者とそれにおもねる者たちの無責任、そしてその犠牲になる者たちの姿でありましょう。
 権力者の不用意な一言が周囲の「配慮」を呼び、それが雪崩のごとく重なり、多くの人々を巻き込み、取り返しのつかぬところまで広がっていく…我々が現代の、現実世界で幾度となく見てきたものが、本作では巧みに換骨奪胎して、時代活劇に置き換えられているのであります。

 本作において、その数少ない歯止めであり、異議申し立て役となっているのが佐平次であることは間違いありません。
 しかしその彼であっても止められないことはある――終章で語られるある史実は、そんな苦い思いを我々の胸に残すのであります。


 前作とは全く異なるアプローチで時代エンターテイメントを展開しつつ、やはり全く異なる角度から現実を鋭く切り取ってみせる――
 早くも第三弾が来月登場するとのことですが、今後も目が離せない作品です。


「将軍の象 採薬使佐平次」(平谷美樹 角川書店) Amazon
将軍の象    採薬使佐平次 (単行本)

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2013.10.10

「大江戸もののけ拝み屋控 ろくヱもん」 明るく、激しく、恐ろしいニューヒーロー見参編

 江戸の辻に立つ拝み屋・辻風の六、通称ろくヱもん。一度頼まれたらいかなる妖怪・魔物・祟り神でも必ず祓うという彼は、ある日侍姿の猫神・ちま又を背負った少女と出会う。彼女が大妖怪・のびあがりに狙われていることを察知した彼は、ちま又とともに彼女を守るために立ち上がるのだが…

 すっかりコンスタントに刊行されるようになった妖怪時代小説ですが、今年このジャンルで大車輪の活躍を見せたのは朝松健でしょう。そしていくつもの妖怪時代小説シリーズを抱える作者の最新シリーズが本作「大江戸もののけ拝み屋控 ろくヱもん」であります。

 タイトルロールのろくヱもんは、本作の主人公、江戸の逢魔ヶ辻と呼ばれる地に立っては不幸に泣く人々を一目で見抜き、その身に取り憑いたもののけを祓う拝み屋。
 普段は飄々として子供に囃し立てられても笑っている温厚な人物ですが、実はいかなる妖怪・魔物・祟り神でも必ず祓うと言われる凄腕であります。
 このろくヱもん、俗に言う隠亡堀の辺りに立つ、仙台高尾の曰くつきの魔天屋敷なる屋敷に妖怪たちと楽しく共同生活を送っており、第六天魔王の遠い親戚などと嘯くだけはある謎多き人物なのです。

 と、そのろくヱもん初お目見えの今回は、大妖怪・のびあがり相手に大活劇を繰り広げることとなります。
 夢のお告げで辻に立った彼が出会ったのは、背中に小さな猫神を背負った少女・お喜代と、彼女につきまとう謎の女形・澤村美十郎。その猫神――虎縞長尾守ちま又之助強髭から、お喜代の先祖がかつてのびあがりを封印したこと、そして封印が解かれたのびあがりが彼女を狙っていることを知ったろくヱもんは、自らのびあがりを倒し、お喜代を守ることになるのですが…


 という内容の本作は、冒頭に述べたとおり妖怪時代小説は既に自家薬籠中のものである作者らしい作品。
 シリーズ第一作ということで登場人物(妖怪)や設定の紹介にかなりの部分が費やされていることもあり、物語自体は比較的シンプルではありますが、その分最後までテンポ良く物語は進んでいきます。

 特にいかなるピンチにも飄々とした空気を漂わせるろくヱもんと、生意気に振る舞ってもどうにも可愛らしい駆け出しの猫神であるちま六、さらに魔天屋敷の住人たちの掛け合いは、一種お約束でありつつもやはり実に楽しい。
 それでいて、むしろ妖怪というより怪獣的な巨大感のあるのびあがりとろくヱもんの激突は、こちらのイマジネーションを大いに刺激してくれる迫力で、この辺りの緩急のうまさは、まさにベテランの味でありましょう。

 しかし個人的には何より嬉しかったのは、ラストの決戦場が、邪悪な、倒錯した遺志が込められた文字通り舞台であるという点であります。
 この辺りの魔術的趣向は、作者の原点であるオカルトホラーの味わいが濃厚に感じられるもの。ここには、装いは明るく軽快となっても決して変わらぬ、作者のホラー作家としての根っ子の部分を見せていただいたように感じた次第です。

 明るく、激しく、恐ろしく…なかなかに理想的な妖怪時代小説ではありませんか。主役コンビ以外の脇役にもユニークな顔ぶれが揃っており、次回作にも今から期待しているところです。


「大江戸もののけ拝み屋控 ろくヱもん」(朝松健 徳間文庫) Amazon
ろくヱもん: 大江戸もののけ拝み屋控 (徳間文庫)

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2013.10.09

「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(その三) 短編集としての変調百物語

 宮部みゆきの「三島屋変調百物語」の第三弾「泣き童子」の全話紹介の最終回です。語って語り捨て、聞いて聞き捨ての変調百物語、本書に収められた残り二話は、極めつけの奇怪な物語であります。そして、おちかには因縁の影が…


「まぐる笛」
 まだ年若い、地元の訛りが抜けない侍が語る本作は、北の某藩の山村で現れた、とてつもない怪異の物語であります。子供の頃、体が弱かった彼は、母の生まれた山里に預けられるのですが、そこにおそるべき怪物が姿を現すことになります。
 その怪物の名は「まぐる」。人の数倍の巨体を持ち、山から現れるその怪物は、その名の由来である土地の方言のまぐらう=喰らうの通り、貪欲に里の人々を襲い、喰らうのであります。

 人々の守りの裏をかいて里を襲うまぐるの前に続出する犠牲者の前に、ついに村の人々は最後の手段として、唯一まぐるを倒す力を持つ人物に助けを求めるのですが、それはなんと侍の母で――

 と、土俗色・伝奇色の強い本作ですが、しかしその描写から受けるイメージは紛う事なき怪獣もの。物理的な実体を持った巨大な怪物が人間を襲い、それに対して人間も防衛線を引くも――という攻防は、明らかに怪獣もののそれであります(終盤でまぐるに挑む少年たちの描写なども実に「らしい」)。
 まさかこのシリーズで怪獣ものが読めるとは…と驚き、かつ嬉しくなってしまったのですが、結末で示される怪物を倒す力を持つ者の運命を何と評すべきか。

 あるいは本作にも「くりから御殿」と同じ背景があるのでは、というのは考えすぎだとは思いますが…


「節気顔」
 そして最後は、小間物屋のおかみが幼い頃に出会った伯父が秘めていた、奇怪極まりない秘密の存在が語られることになります。

 博打で身を持ち崩した末に勘当されたものが、突然弟である語り手の父を頼って、一年だけ置いて欲しいと頼み込んできた伯父。自分の身の上を恥じたのか、普段から顔を隠していた彼は、節季の日毎に一日中姿を消すのですが――語り手は、やがて伯父の奇怪な「仕事」を知ることになります。
 タイトルの「節季顔」。それは節季の日にだけ伯父の顔に替わって現れる他人の顔。そしてその顔の持ち主は――

 まさしく奇想ここに極まれり、と言いたくなってしまうような本作。その中心となる怪異自体、他所ではお目にかかったこともないようなものですが、しかし何よりも本作に深みを与えているのは、他人の――それもある状態にある――顔を持った男が取った行動の中身であります。
 一生を放蕩のうちに生き、自棄になっていた男が背負ったこの奇怪な秘密が彼の内面に与えた変化。それはなるほど、「発心」と言えるものでしょう。そこにあるのは、不可思議で――そして誰にでもある、人の心の善き部分ではありますまいか。

 しかし本作は、実はさらにもう一つの趣向を用意しているのです。語り手の伯父に奇怪な運命を、「仕事」を与えた者。それこそはかつておちかが対峙した「商人」――彼岸と此岸の間に立ち、生者と死者の間を取り持つと嘯く奇怪な人物であります。
 かつておちかの前では、幾多の人間を不幸においやったこの商人が、今回は結果として語り手の伯父を救ったという事実を如何に判断すべきか…

 あるいは、怪異そのものはニュートラルなものであり、それを善とするか悪とするかは、それに接した者次第と考えるべきでしょうか。その怪異を語る物語によって、おちかの心が救われていくように――


 さて、三回にわたって紹介してきた「泣き童子」ですが、全体の印象としては、私は前二作とは異なるものを感じました。
 これまでが短編連作だとすれば、本書は短編集――設定は同じくするものの、収録された個々の物語は、独立して存在する、そんな印象であります。
 あるいはそれは、本書の収録作が、雑誌に不定期に掲載されたものであることが大きく影響しているのかもしてませんが、いずれにせよ、私が今回、収録作を一つ一つ紹介してきた理由であります。

 もちろん個々の物語のクオリティはいうまでもありまんが、個人的には、一冊にまとまった時の、この一冊としての太い柱が欲しかった…というのは、贅沢に過ぎるでしょうか。


「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(宮部みゆき 文藝春秋) Amazon
泣き童子 三島屋変調百物語参之続


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2013.10.08

「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(その二) おちか、外なる怪談会へ

 宮部みゆきの「泣き童子 三島屋変調百物語」の全話感想のその二であります。今回は、これまでとはいささか異なり、おちかがよその怪談会に出かけていくという趣向のエピソードであります。

「小雪舞う日の怪談語り」
 分量的には中編と言うべき本作は、冒頭に述べたとおり、おちかが他所のの怪談会で聞いたいくつかの怪談からなる物語。 これまでは自分が身を寄せる叔父夫婦の店・三島屋を訪れる客から怪談を聞いていた彼女ですが、本作では存じ寄りの目明かし・半吉親分に誘われて、とある札差が年の瀬に開いているという怪談会の客となるのです。

 と、ここで雪と怪談会といえば思い浮かぶのは岡本綺堂の「青蛙堂鬼談」。あちらの舞台となったのは雪がはげしく降る春の日、こちらは小雪舞う年の瀬という違いはありますが、作者は当然意識してのものでありましょう。その証拠というのもなんですが、この怪談会の各話の冒頭には「第○の男は語る」と、「青蛙堂」でもお馴染みのあの簡潔にして妖気漂う文章が用いられているのですから…


 さて、第一の男の話は、普請道楽だった父がかつて建て増しした家にまつわる怪異であります。奇怪な夢を見るようになったことから、凶兆である逆さ柱をしてしまったのではと疑う大工の棟梁の言葉に耳も貸さず完成した家。そこでは、次々と家の者が存在するはずのない部屋に迷い込み、そこで不気味に自分の名を呼ぶモノの声を聞くのですが…

 このシリーズで家にまつわる怪談といえば、なんと言っても第一弾の「おそろし」に収められた「凶宅」が浮かぶのですが、この物語も掌編とはいえなかなかに薄気味が悪い。
 ラストはある意味予想通りではありましたが、結局それが何だったのか闇の中というのがいやな余韻を残します。


 第二の女の話は、かつて自分の乳母が身重だった時に経験したとある橋にまつわる怪異談。その橋を一人で渡った時に転んではいけない、そしてその時に誰かの助けを借りてはいけない――そんな奇怪な言い伝えのある橋の上で禁忌を破ってしまった彼女は奇怪な世界に迷い込み、そこで現世に戻るためにある選択を迫られることとなります。

 なんと言っても奇怪な異界描写が印象に残るこの物語。理由も正体も全くわからぬその怪異は、多くの魔所と呼ばれる場所がそうであるように、理不尽にそこに迷い込んだ者を襲うことになります。
 しかしこの物語で描かれるのは、その理不尽に負けない、ある強い意志の存在。理不尽な怪異同様、それに負けない人の善き心の存在を描くのは、作者の得意とするところだと再確認した次第です。


 第三の男が語るのは、見えぬ右目で人の病を「視る」能力を持っていた母にまつわる物語。人の病を一種のオーラとして視る力を持つ人間の話はほかでも聞いたことがありますが、面白いのはここでのその能力の使われ方であります。
 藩を二分する派閥争いに悩まされていた男の父が、どちらに付くか悩んだ挙げ句に頼った妻の能力。その使われ方は、おそらくは正しいものとは言いがたいものではありますが、しかし何となくそれに同情し、納得してしまうのはこちらも勤め人ゆえでありましょうか。


 諸般の事情により第四の物語は飛ばされて、第五の男として語るのは半吉親分。まだ駆け出しだった時分に、ある病の男が療養する家に住み込みの仕事を与えられた彼は体が下から上に向かって真っ黒に染まっていきつつある奇怪な男の姿を見ることとなります。
 実はその男は、若い頃にさんざん人を泣かせてきた悪評高い岡っ引き。半吉はすぐに、男の体がどうやって黒く染まっていくのかを目の当たりにすることに…

 まさしく因果応報とも言うしかないこの物語ですが、その怪異自体もさることながら、そこまで至らせた男の過去を想像すると、何ともこちらの気持ちを重く暗くさせるものがあります。しかしそれでも見逃せないのは、そんな男に対しても善意を向ける者の存在であり――そこに小さな希望、というより人の世の複雑さを感じてしまうのであります。


 と、全四話からなる怪談会でありましたが、冒頭と最後に描かれるのは、その行き帰りにおちかが出会った小さな不思議。
 いかにも甘い、イイ話ではあるのですが、それまで暗い話、黒い話もあっただけに、たまにはこういうのもよいでしょう。


 もう一回続きます。


「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(宮部みゆき 文藝春秋) Amazon
泣き童子 三島屋変調百物語参之続


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2013.10.07

「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(その一) 虚実重なり合う怪談という赦し

 宮部みゆきの連作時代ホラー「三島屋変調百物語」の第3弾であります。過去の事件がもとで心に傷を負った少女・おちかが、様々な人々の語る怪異談を聞いていくというスタイルの本シリーズですが、今回もそれぞれに趣向を凝らした怪談の数々が、語られていくこととなります。

 かつて婚礼を目前としながら、幼なじみに許婚を殺されたおちか。塞ぎきった彼女を預かった叔父の計らいで、訪れる客の語る怪談を聞くという、まさに変調の百物語を行うことになった彼女は、人の世の様々な怪異に触れるうちに、少しずつ明るさを取り戻していくこととなります。
 その変調百物語はもちろん本書でも続くこととなりますが、今回はこれまでと少々構成がことなることもあり、収録された全話を一話一話取り上げていきましょう。


「魂取の池」
 巻頭に収録されたのは、珍しくおちかと同年代の少女が語る物語。婚礼を前にして、いわゆるマリッジブルーとなった語り手に、母が自分の母(つまり彼女の祖母)の過去を語ったという趣向であります。
 タイトルの魂取の池は、語り手の祖母の実家近くにあるという、好き合った男女が行くと、必ず別れるという池。その言い伝え自体はよくあるようにも思えますが、ただ別れるだけでなく、男の側の気持ちが、女の側が嫌っている相手に奪われてしまうというのは、なるほど恐ろしい話ではあります。

 しかし語り手の祖母は、その池に二度までも夫(となる男)と行くことになるのですが…その二度目の皮肉な結果は、いささか教訓的ではありますが、しかし人間心理の一面を突いていると申せましょう。

 自分と同年代、しかもかつての自分のように婚礼間近の少女とも明るく言葉を交わせるようになったおちかの姿も嬉しい一編です


「くりから御殿」
 今回の語り手は、老境に差し掛かったある商人。幼い頃、郷里を襲った山津波で家族と幼なじみたちを一度に失い、地元の網元の屋敷に引き取られた彼は、そこで不思議な夢を見ることになります。
 それは、山津波に呑まれたままの幼なじみと、屋敷の中でかくれんぼをする夢。いつも鬼となって幼なじみを探す彼ですが、その翌朝には――

 このあらすじで察しがつく方もいらっしゃるかと思いますが、本作は一種の震災怪談。それもその震災は、我々がよく知るあの震災を思い起こさせます(ちなみに本作が発表されたのは二年前の七月)。
 正直なところ、本作で描かれる怪異――というよりもむしろ一種の奇蹟というべきでしょうか――は、ある意味あまりにもストレートで、鼻白む部分がないとは言えません。

 しかし、ベタとわかっていても物語の結末に待つものに感動させられてしまうのは、そこに、我々自身が望む「赦し」があるからにほかなりません。
 そしてそれを語ることによって語り手も同様に赦され、救われていく姿をみれば、そこに怪談というものの一つの機能があることを――そしてそれはそのまま、変調百物語のそれでもあることを、虚実を超えた実感として感じさせてくれる物語であります。


「泣き童子」
 人の紹介を受けてでなく、三島屋に行き倒れ同然で現れた、生きながらに死んだような目を持つ男が語る本作は、本書の表題作にしておそらくは最も恐ろしい物語でしょう。

 家守(長屋の管理人)だった男がかつて店子に世話した捨て子。三歳になると全く口をきかなくなり、そして時に狂ったように泣きわめくその子供を、ある事情から彼は預かることになります。
 その子供が何を恐れ、泣き騒ぐのか知った男。しかし子供が自分の娘を見て泣くようになり――

 不思議な子供を巡る一種の因縁譚とも言える本作ですが、しかし真の恐ろしさは、その巡る因縁以上に、子供が泣き騒ぐその理由(条件)にあります。
 頑是ない子供を心の底から恐れさせるもの――それが自分の傍らに、自分の中にあると知った時、人は平静でいられるものか。我が身に重ねて考えれば、その恐ろしさは幾層倍にも感じられます(そしてまたそれが、言葉ではなくただ泣き声でもってのみ示されるのがまたキツい)。

 結末が途中で読めてしまうのは難ですが、最後の最後の告白のインパクトはやはり絶大な一編であります。

 以下、次回以降に続きます。


「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(宮部みゆき 文藝春秋) Amazon
泣き童子 三島屋変調百物語参之続


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2013.10.06

「妾屋昼兵衛女帳面 5 寵姫裏表」 最大の戦いに挑むチームの心意気

 依頼に応じて妾を世話する「妾屋」とそこに集う面々が、武家社会の暗部をえぐり出す上田秀人の快作「妾屋昼兵衛女帳面」シリーズもいよいよクライマックス。将軍後継を巡り江戸城内外で繰り広げられる暗闘の末、ついに昼兵衛たちは黒幕の正体を掴むのですが…

 家斉の愛妾・内証の方の御褥辞退がきっかけに始まった今回の騒動。御褥辞退の背後に、こともあろうに家斉の二人の子が大奥で殺されていたことがあったのを知った家斉の厳命を受けた林出羽守の依頼で、昼兵衛たちは八重を大奥に送り込むことになりますが、なおも謎の敵の暗躍は続くこととなります。

 再び狙われた内証の子をかろうじて守り抜いた八重、事件の実行犯と結びつきがあると思しき商人に目星をつけた昼兵衛――事態は進展しているようですが、しかし八重はその活躍が祟って逆に大奥に縛り付けられ、昼兵衛は店に幾度も刺客を送られることになり、シリーズ始まって以来のピンチを迎えることとなるのですが…

 と、前作の解決編とも言える本作では、昼兵衛たちの逆襲が描かれることとなります。
 いかに将軍側近の依頼とはいえ、決して表沙汰にはできない今回の一件。しかもあくまでも市井の商売人である昼兵衛は、表だって物理的な力を振るうわけにもいきません。
 しかし、そんな状況下にあってものをいうのは、昼兵衛と仲間たちの情報収集能力とそれを利用しての交渉術、そしてクソ度胸であります。
 かくて昼兵衛をはじめ、飛脚の和津、瓦版屋の海老、用心棒の新左衛門と将左のチームメンバーそれぞれが己の特技を活かして反撃に転じていく様が実に楽しいのです。

 そしてまたたまらないのは、基本的に金だけの関係であるはずの彼らが、しかしそれだからこそ互いの結びつきを重んじて立ち上がる心意気です。
 探索の結果たどり着いた黒幕の一端は、海老曰く「瓦版にできない」アンタッチャブルな権力者。そんな敵を向こうに回し、一度はチーム解散を宣言する昼兵衛ですが…それで尻尾を巻くような連中ではなく、減らず口を叩きながらも、巨悪に挑むその様が、実にイイのであります。
 一種のチームものとしての味わいが…と前作の感想で述べましたが、その色彩は本作においてさらに強くなったように感じられるのです。

 しかしもちろん、物語を締めるのは昼兵衛の存在であります。
 上田作品ではお馴染みの口は出すが手は貸さないうるさいお偉方である林出羽守はおろか、その上の存在まで引っ張り出す昼兵衛の手腕を支えるのは、妾屋としての苛烈な覚悟。
 人の身を売り物とする彼であっても、いや彼だからこそ決して譲れぬものを汚そうとする者に対して一歩も譲らず、そして侍何する者ぞと公言してみせる彼の覚悟は、権力に溺れ、他者を踏みつけにする者たちへの強烈なカウンターであり、そしてそれが生々しい世界を描きつつも、むしろ爽やかな本作の読後感に繋がっているのです。


 さて、シリーズ最大の戦いもこの巻で落着しましたが、昼兵衛たちが「使える」ことを知った出羽守は、まだまだ彼らを離しますまい。その一方で、ついに己の八重に対する気持ちに気付いた新左衛門の想いの行方も気になるところ。
 本作を存分に楽しませていただいたのにすぐに申し上げるのも恐縮ですが、次なる展開が気になるシリーズであります。


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2013.10.05

「大帝の剣」第1巻 新たなる漫画版の幕開け

 懐かしの、というのは言い過ぎかもしれませんが、その物語が書き起こされた時から既に四半世紀が過ぎた、夢枕貘の伝奇SF時代活劇「大帝の剣」の新たなる漫画版の第1弾が刊行されました。作画を担当するのは、時代アクションホラー「戦国ゾンビ」の横山仁であります。

 さて、いましがた「新たなる」と表現したのは、「大帝の剣」の漫画化が、今回で二度目であるからにほかなりません。前回は、韓国の漫画家・渡海を作画担当とし、原作の「凶魔襲来編」までを漫画化。いささかスローペースではありますが、原作の持つ「太さ」をよく表した絵柄が印象的でありました。

 その印象があったため、最初は何故また…という気持ちは正直ありましたが、考えてみれば「餓狼伝」「闇狩り師」「陰陽師」と、夢枕作品で二度以上漫画化されることは少なくありません。そしてそれが、それぞれ漫画家の個性がよく出たものになっていることを考えれば、新たなる「大帝の剣」に出会えることを喜ぶべきでしょう。

 さて、その横山版「大帝の剣」第1巻は、原作でいえば第1巻を漫画化した格好といえるでしょうか。
 すなわち、伊吹山で野伏せりにさらわれた娘を圧倒的なパワーで救い出した主人公・万源九郎が、天空から落ちてきた巨大な流れ星を目撃。そこで拾った簪を巡り、真田と伊賀の忍び同士の暗闘が始まり、そこに謎の美剣士・牡丹や、人と獣が一体化した謎の怪物、さらには怪剣豪・宮本武蔵までが絡んで…という展開であります。

 この辺りはファンにとってはお馴染みのストーリーではありますが、やはり主人公をはじめとして、とんでもないパワーを秘めた連中ばかりが次々と顔を見せるという展開はやはり盛り上がります。
 この横山版は非常に展開がスピーディーな上に、登場する忍法の描写がまたユニークであります(特に妖艶な女忍・姫夜叉の忍法は、色々と問題はありますがアイディアとしては面白い)。

 そしてなによりも、怪物的な連中は、本当に怪物としかいいようのない描写――キャラデザイン、演出の双方において――なのが本作ならではの個性というべきでしょうか。異常に迫力のある伊賀の破顔坊とその配下たち、どちらが魔人かわからぬ武蔵、原作とは大きく異なるデザインの人獣一体の怪物と、この辺りはこの作者を起用した狙い通りと言えるのではありますまいか。

 その一方で、源九郎が原作の太く大きい男というイメージとはちょっと変わった陽性で不敵なキャラクターデザインとなっていたり、何よりも登場人物の表情の硬さが個人的には気になるのですが…これはまあ、とりあえず絵の方向性と解すべきでしょうか。

 何はともあれ走り出した新たなる漫画版、こうなったら原作ラストまで駆け抜けて欲しい、と願っているところなのです。


「大帝の剣」第1巻(横山仁&夢枕獏 幻冬舎バーズコミックス) Amazon
大帝の剣 (1) (バーズコミックス)

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2013.10.04

「モノノ怪 海坊主」連載開始 久方ぶりのモノノ怪、久方ぶりの薬売り

 本当に久方ぶりの「モノノ怪」、久方ぶりの薬売りであります。今からちょうど6年前に放映された時代アニメの佳品「モノノ怪」の漫画版が、「コミックゼノン」誌の最新号から連載開始されたのです。もちろん作画は、以前同じ薬売りを主人公とする「化猫」を漫画化した蜷川ヤエコであります。

 …といっても残念ながら完全新作ではなく、今回連載されるのはアニメのエピソードの一つ「海坊主」の漫画化。「モノノ怪」の二番目、薬売りが登場するものとしては三番目のエピソードであります(一作目は「怪 ayakashi」で放映された「化猫」。冒頭で触れた漫画版の原作です)。

 ここで「モノノ怪」という作品を振り返ってみれば、本作は謎の薬売りを主人公とした一種の妖怪退治物語。様々な形で人の世に現れ、怪事を起こすモノノケに対し、どこからともなく現れる薬売りの男が、謎に包まれたモノノケの形と真と理――いわば姿・正体・そしてその存在理由――を解き明かし、封じる姿が描かれるのですが…

 それ以上に強く印象に残るのは、その時代劇離れしたビジュアルの数々。大きくデフォルメされたキャラクターデザインのみならず、その背景美術やエフェクトに至るまで、本作の魅力として、強烈なインパクトがありました。
 しかしこれはアニメの動きと相俟ってこそ…といいたいところですが、この漫画版の作画を担当する蜷川ヤエコは、その点を軽々と乗り越えていくであろうことは、冒頭で挙げた漫画版「化猫」が証明するところであります。

 さて、その漫画版「海坊主」ですが、今回はまだまだ導入部、登場人物紹介の印象。江戸に向かう巨大船「そらりす丸」(しかし当時も思いましたが今見ても直球なネーミング…)に乗り合わせた人々――
 胡散臭い自称修験者の柳幻殃斉に、船の持ち主の商人・三國屋、旅の武士・佐々木兵衛、高僧・源慧と彼に仕える青年僧・菖源、「化猫」事件の生き残りである娘・加代。いずれも相当に個性的な面々であります。

 個人的に嬉しいのは、アニメ版でも大いに異彩を放っていた幻殃斉が冒頭から出ずっぱりのことで…主人公と言いつつもある意味傍観者に近い――何しろモノノケの形と真と理がわかるまでは本気(?)が出せないだけに――薬売りに比べると、黙っていても動き出す、いや全く黙らずに動き回る幻殃斉は、見ているこちらとしても大いに楽しいキャラクターであります。

 さらにまた、ビジュアルの方も期待通り。アニメでも印象的だったそらりす丸の内装を、この連載第1回ではカラーページで再現しており、この物語の舞台、海上の巨大な密室というべき異界を強烈に印象づけてくれたと言えましょう。

 そしてラストページに至り、ようやく我らが薬売りが登場するという引きも、ある意味お約束とはいえ気持ちいい。
 この先、アニメ版と何を等しくし、何を変えてくるのか…その点も含めて、アニメ初見時の驚きを思い出しつつ、この先の大波瀾に期待しているところなのであります。


「モノノ怪 海坊主」(蜷川ヤエコ コミックゼノン 2013年11月号~)


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2013.10.03

「悲華水滸伝」第5巻 悲劇を描くための水滸伝

 杉本苑子版水滸伝たる「悲華水滸伝」の最終巻であります。前の巻から始まった方臘戦で既に幾人もの犠牲者を出した梁山泊でありますが、さらに犠牲者は増えるばかり。そしてその戦いのたどり着く先には…

 ようやく百八人揃ったのも束の間、皆が良民となることを望んだ宋江によって招安を受けた梁山泊の好漢たち。梁山泊を捨てた彼らは遼国との戦いに快勝したものの、江南を占拠した方臘との戦で、苦戦を強いられることとなります。
 これまで一人も欠けることなく一丸となって戦ってきた百八人が様々な形で欠け、ついには初の戦死者が…

 という展開は、こうして見れば原典読者であればお馴染みのものでありましょう。その通り、この第5巻の展開は、大筋では原典とは異ならないものの、細部ではその印象を大いに異とする――というより、その細部こそが、ある意味本作の真骨頂と申しましょうか。

 先に第3、4巻の感想で触れましたが、本作は百八星終結後、梁山泊が滅びるまでを全て描いた、我が国では希有の水滸伝であります。
 そしてその希有な点は、それを単に原典をなぞったものとして描くのではなく、原典以上に掘り下げて描く点にこそあります。何を? それは、好漢たちとの別れの悲しみを、であります。

 原典の後半部分を読んでいてどうにもやりきれないのは、それまで生き生きと活躍してきた好漢たちが戦の中で埋没していくこともさることながら、彼らの死が、幾つかの例外を除き、味気なくわずか数行で処理されてしまう点にあります。
 一騎打ちの末に強敵に敗れて討たれるのであればまだしも、乱戦の中で気がついたら死んでいた、伝染病にかかって十把一絡げに亡くなった、などというのは、それまでの彼らの活躍に胸躍らせてきた者にとっては、一種裏切りとすら感じられる展開ではありますまいか。

 その点を本作は、かなりの部分回避しているやに感じられます。もちろん、上で述べたような味気ない(?)死に方の好漢も少なくありませんが、原典とは異なる方臘軍の様々な攻撃の前に散っていく彼らの姿は、もちろん無念ではあるにせよ、以て瞑すべしと言うべきでありましょう(特に王英・扈三娘夫妻の死に様は、そのショッキングな方臘軍の攻撃方法も含めて印象的であります)。

 そしてそれ以上に強い印象を残すのは、亡くなった友を悼み、悲しむ残された好漢たちの姿であります。
 好漢が亡くなる度に、彼と縁のあった好漢が生前のエピソードを思い出して嘆くというのは、正直なところ繰り返されるのはちょっときびしいところではありますが、しかし本作で描かれる好漢たちの姿が颯爽としたものであるだけに一層、その悲しみも引き立つというのは間違いのないところではありましょう。

 あるいは、それだけの悲しみが続くのであれば、やはりその部分を書かない方がよいのではないか、あるいはその展開を改変してしまえばよいのではないか、という声もあるかもしれません。
 それは確かにその通りであるかもしれませんが、しかし本作においては、むしろその様々な悲しみの姿を描くことに主眼があったと言うべきではありますまいか。

 理想を胸に集った者たちが、その理想半ばにして散っていく…それはどの時代、どの場所においても、一種普遍的な悲劇であります。
 本作はそれを水滸伝という、やはり登場人物たちが悲劇の中に散っていく古典文学の世界で展開してみせた――しかも原典の構造、魅力は損なうことなく――作品であり、それこそが本作の真の特徴、真の魅力ではなかったかと、全5巻を再読して感じた次第です。


「悲華水滸伝」第5巻(杉本苑子 中公文庫) Amazon
悲華 水滸伝〈5〉 (中公文庫)


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2013.10.02

「近代異妖篇 岡本綺堂読物集」 傑作怪談集の拾遺

 現在中公文庫で刊行中の「岡本綺堂読物集」の第三弾、怪談集の名品たる「青蛙堂鬼談」の拾遺ともいうべき「近代異妖篇」であります。

 「青蛙堂鬼談」は、ある雪の夜に開かれた怪談会で語られた作品を綴るという趣向でシリーズ連載された怪談集でありますが、本書はその拾遺、続記編という設定の怪談・奇談集です。…ではあるのですが、実際は個別に発表された作品を、上記の設定でまとめた作品集であります。
 それ故か、作品集としての統一感は「青蛙堂」に一歩譲るものがありますが、個々の作品の完成度は劣るものではもちろんありません。

 それは、収録された作品のタイトルを見れば一目瞭然でしょう。
「こま犬」「異妖編」「月の夜がたり」「水鬼」「馬来俳優の死」「停車場の少女」「木曾の旅人」「影を踏まれた女」「鐘が淵」「河鹿」「父の怪談」「指環一つ」「離魂病」「百物語」
 …いずれも怪談ファンであれば、タイトルを見ただけで胸が躍る(?)作品群であります。

 全体の趣向としては、集全体のタイトルにあるとおり、「近代」の――と言っても、綺堂にとってはむしろ「現代」の――作品が多く収録されていますが、「影を踏まれた女」「鐘が淵」「離魂病」「百物語」など、江戸時代を舞台とした作品も収録されているのは、これは冒頭に述べた事情があるものの、これもまた、地続きの時代の物語として見るべきでありましょう。
 少なくとも、「青蛙堂」から続く怪談会の掉尾を飾る作品として、怪を語れば怪至るを地で行くようなタイトルもそのものズバリの「百物語」を収録しているのは、まことに心憎い趣向というほかありません。

 ここで収録作品一作づつは取り上げませんが、今回改めて作品集として通読してみると、やはりそのレベルの高さに(まったく今更ではありますが)驚かされます。
 たとえば「河鹿」など、怪異を描く部分はごくわずか、しかもそれも非常に地味なものではあるのですが(それもあってこれまでは評価が低かったのですが)、そこに至るまでの状況描写の丹念な積み重ねが、その怪異の一瞬に実に効果的に働いて一気に怖さを花開かせる様などは、綺堂ならではの技と言うべきでしょう。

 本書は今年の四月に刊行されたものであり、すでに怪談の季節は過ぎたようにも思えますが、「月の夜がたり」「影を踏まれた女」など、まさに今の季節に読むべき作品も収録されており、秋の夜長に読むのもまた、大いにふさわしい一冊であります。


 なお、この中公文庫版の岡本綺堂作品集には、それぞれいわばボーナストラックとして単行本未収録作品が収められているのですが、本書においては「雨夜の怪談」「赤い杭」の二編を収録しています。
 前者は、本書の収録作品と重なる部分も多いのですが、後者は今読んでも新鮮、かつ今この時代こそ読みたい震災後怪談の名品。いかにも綺堂怪談らしい落ち着いた空気と、一種理不尽な「わからなさ」に満ちた作品で、これがこれまで単行本に収録されていなかったのが信じられない、というのが正直な印象であります。


「近代異妖篇 岡本綺堂読物集」(岡本綺堂 中公文庫) Amazon
近代異妖篇 - 岡本綺堂読物集三 (中公文庫)


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 「青蛙堂鬼談」(その二) 見えぬ怪異と見える怪異と
 「青蛙堂鬼談」(その三) 綺堂怪談の中のエロティシズム
 「青蛙堂鬼談」(その四) 現代、過去、異国を結ぶ怪談

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2013.10.01

「もぐら屋化物語 2 用心棒は婚活中」 ふやけ浪人の逸らさぬまなざし

 やることなすことうまくいかない不遇のふやけ浪人・楠岡平馬の冒険(?)再び、であります。諸般の事情から脱藩し、おかしなもののけや人間が集まる内藤新宿で、不気味な旅籠・土龍屋の用心棒となった平馬が、今回ももののけ絡みのおかしくて面倒な事件に巻き込まれることとなります。

 故あって会津藩を脱藩して江戸藩邸を飛び出したものの、速攻で行き倒れて内藤新宿の土龍屋に拾われた平馬。そこで暮らしていたのは、しっかり者だけどちょっと美的センスに問題ありの幼女将のお熊と、地獄の閻魔の使いを自称する百年土龍のムグラ様で…
 と、色々な意味で崩壊寸前の土龍屋を舞台に、おかしな二人と一匹のドタバタ騒動が繰り広げられるこの「もぐら屋化物語」シリーズですが、もちろんそれは本作でも変わることはありません。

 前作のラストで登場した、平馬をお父ちゃんと呼ぶ可愛らしい兎・玉兎のおかげで土龍屋が壊滅寸前に追い込まれる「兎晴怪事徴」を始まりに、今回も描かれるのは、人間ともののけたちのどうにもおかしく、そしてちょっと(いや時に相当に)切ない物語。…あと、平馬の受難の数々であります。

 本書に収録された続く二話も、もちろん平馬の受難は続きます。
 知り合いの若旦那の恋バナに付き合っていた平馬が、何故か人間ともののけの合コンに顔を出した末に若旦那を巡る三角関係のドロドロに巻き込まれる「恋三巴梟啼」。
 そしてムグラ様にかけられた子供誘拐疑惑と、以前からお馴染みの平馬の先輩・佐川官兵衛が会津から追ってきた因縁の凶悪犯が意外な形で交錯する「猫魔御始末」。

 どのエピソードでも、望んでトラブルを買うように事件に首を突っ込んでいく平馬の不幸っぷり(本当に鷹と犬がいないとダメだなこの人は…)が一周回って楽しいのですが、しかしそれはもちろん、平馬が持つ大きな優しさあってのことであります。

 前作に比べると暗さは少し薄れた感がありますが、それでも本書のエピソードの端々から垣間見えるのは、この世の薄暗い部分の数々。
 もののけが当たり前のように存在しつつも、しかしそれを見て見ぬふりして暮らす内藤新宿の人々に対し、平馬は、もののけを同じ世界の住人として(いやもうそれはやむを得ない部分も多いのですが)受け入れ、同じ心を、情を持つものとして遇します。
 そしてそんな平馬のまなざしは、もののけ同様に人々が目をそらすこの世の不条理や悲しみをしっかりと見据え、そして決して見捨てずに救おうとするのであります。それがたとえ人から見て邪悪な存在であったとしても――

 …まあ、その努力が実るかどうかは別ではありますが、しかしその平馬の心根は、少しずつであっても必ずや周囲の人々、もちろんもののけの心をも動かしていくはず。
 官兵衛や、シリーズのレギュラーにして平馬の宿敵(?)の女盗賊・お稲の平馬に対する態度を見れば、それはわかろうというものです。

 とはいってもまあ、ふやけ浪人はふやけ浪人。まだまだ続く平馬の苦闘を、これからも暖かく見守りたいところであります。


「もぐら屋化物語 2 用心棒は婚活中」(澤見彰 廣済堂モノノケ文庫) Amazon
もぐら屋化物語-用心棒は婚活中2- (廣済堂モノノケ文庫)


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