「泣き童子 三島屋変調百物語参之続」(その三) 短編集としての変調百物語
宮部みゆきの「三島屋変調百物語」の第三弾「泣き童子」の全話紹介の最終回です。語って語り捨て、聞いて聞き捨ての変調百物語、本書に収められた残り二話は、極めつけの奇怪な物語であります。そして、おちかには因縁の影が…
「まぐる笛」
まだ年若い、地元の訛りが抜けない侍が語る本作は、北の某藩の山村で現れた、とてつもない怪異の物語であります。子供の頃、体が弱かった彼は、母の生まれた山里に預けられるのですが、そこにおそるべき怪物が姿を現すことになります。
その怪物の名は「まぐる」。人の数倍の巨体を持ち、山から現れるその怪物は、その名の由来である土地の方言のまぐらう=喰らうの通り、貪欲に里の人々を襲い、喰らうのであります。
人々の守りの裏をかいて里を襲うまぐるの前に続出する犠牲者の前に、ついに村の人々は最後の手段として、唯一まぐるを倒す力を持つ人物に助けを求めるのですが、それはなんと侍の母で――
と、土俗色・伝奇色の強い本作ですが、しかしその描写から受けるイメージは紛う事なき怪獣もの。物理的な実体を持った巨大な怪物が人間を襲い、それに対して人間も防衛線を引くも――という攻防は、明らかに怪獣もののそれであります(終盤でまぐるに挑む少年たちの描写なども実に「らしい」)。
まさかこのシリーズで怪獣ものが読めるとは…と驚き、かつ嬉しくなってしまったのですが、結末で示される怪物を倒す力を持つ者の運命を何と評すべきか。
あるいは本作にも「くりから御殿」と同じ背景があるのでは、というのは考えすぎだとは思いますが…
「節気顔」
そして最後は、小間物屋のおかみが幼い頃に出会った伯父が秘めていた、奇怪極まりない秘密の存在が語られることになります。
博打で身を持ち崩した末に勘当されたものが、突然弟である語り手の父を頼って、一年だけ置いて欲しいと頼み込んできた伯父。自分の身の上を恥じたのか、普段から顔を隠していた彼は、節季の日毎に一日中姿を消すのですが――語り手は、やがて伯父の奇怪な「仕事」を知ることになります。
タイトルの「節季顔」。それは節季の日にだけ伯父の顔に替わって現れる他人の顔。そしてその顔の持ち主は――
まさしく奇想ここに極まれり、と言いたくなってしまうような本作。その中心となる怪異自体、他所ではお目にかかったこともないようなものですが、しかし何よりも本作に深みを与えているのは、他人の――それもある状態にある――顔を持った男が取った行動の中身であります。
一生を放蕩のうちに生き、自棄になっていた男が背負ったこの奇怪な秘密が彼の内面に与えた変化。それはなるほど、「発心」と言えるものでしょう。そこにあるのは、不可思議で――そして誰にでもある、人の心の善き部分ではありますまいか。
しかし本作は、実はさらにもう一つの趣向を用意しているのです。語り手の伯父に奇怪な運命を、「仕事」を与えた者。それこそはかつておちかが対峙した「商人」――彼岸と此岸の間に立ち、生者と死者の間を取り持つと嘯く奇怪な人物であります。
かつておちかの前では、幾多の人間を不幸においやったこの商人が、今回は結果として語り手の伯父を救ったという事実を如何に判断すべきか…
あるいは、怪異そのものはニュートラルなものであり、それを善とするか悪とするかは、それに接した者次第と考えるべきでしょうか。その怪異を語る物語によって、おちかの心が救われていくように――
さて、三回にわたって紹介してきた「泣き童子」ですが、全体の印象としては、私は前二作とは異なるものを感じました。
これまでが短編連作だとすれば、本書は短編集――設定は同じくするものの、収録された個々の物語は、独立して存在する、そんな印象であります。
あるいはそれは、本書の収録作が、雑誌に不定期に掲載されたものであることが大きく影響しているのかもしてませんが、いずれにせよ、私が今回、収録作を一つ一つ紹介してきた理由であります。
もちろん個々の物語のクオリティはいうまでもありまんが、個人的には、一冊にまとまった時の、この一冊としての太い柱が欲しかった…というのは、贅沢に過ぎるでしょうか。
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