「ねこまた。」第1巻 人と、共にあるものの魂の交流
以前から単行本化を楽しみにしていた琥狗ハヤテの「ねこまた。」第1巻が発売されました。不思議なねこまたと暮らす岡っ引きの親分の姿を描く、「週刊漫画TIMES」に不定期連載の四コマ+αの時代漫画であります。
舞台となるのは江戸時代の京、主人公はそこで岡っ引きを務める仁兵衛、人呼んで「ささめ(=つぶやき)の親分」。この親分、一人で何かつぶやいていることが非常に多いことからこんな渾名がついたのですが――
実はそれは独り言ではありません。彼が話しかけている相手は、ほかの者には見えない、彼に憑いた不思議な存在・ねこまたなのであります。
ねこまたといえば、ある意味非常にメジャーな存在でありますが、本作のねこまたは、少々異なります。
ねことはいうものの、彼(?)らは通常の猫とは全く似て非なる姿。猫耳的なものと、二つに分かれた尻尾を持ちますが、その姿は猫を大きくデフォルメしたような――猫をさらに可愛らしくしたようなもの。
そして何よりも、彼らは基本的に家や倉など、建物に憑いて人々を見守る、精霊のような存在なのです。
そんなねこまたの中でも、親分とともに居るのは家ではなく、人に憑いた変わり種。本作はねこまたと、ただ一人そのねこまたたちを視ることができる親分の奇妙な共同生活を描き出します。
かたや岡っ引き、かたや精霊が主人公といっても、本作で描かれるのは決して派手な、非日常的な物語などではありません。ここで描かれるのは、一人と一匹(いや、親分の家にもたくさんのねこまたが集まっているのですが)のおだやかで、あたたかい日常。
ねこまたに見守られ、そして見守る親分の姿は、彼が結構ゴツい男であるだけに、より一層微笑ましく見えるのであり――そしてより一層、人とそれ以外の優しい交流が美しく感じられます。
本作におけるねこまたは、先に述べたとおり、家などに憑く精霊。それは「猫は家につく」という言葉を踏まえたものではありますが、いわば彼らは、時としてそこに暮らし、そこを訪れる人間たちも長く存在する建物の――そしてそこに蓄積された時間や想いの象徴ともいえる存在です。
生なきものにも魂を見出すのは、日本の美しい伝統の一つかと思いますが、本作で描かれるのは、そんな人間と、それと共にあるものの魂の交流なのであります。
そんな本作の中でも一際印象に残るのは、建て直しのために取り壊されることとなった蔵についていたねこまたの姿を描くこの巻のラストに収められた短編「運命」でしょう。
憑いた建物が年を経て傷つき汚れれば、自分の身にもそれが現れ、そして建物が取り壊されれば、自分もこの世から消える運命のねこまた。そんな運命を背負いながらも、彼が、彼らが見せた姿には、涙腺が緩まざるを得ません。
まさかこの漫画で泣かされるとは! と、嬉しく心地よい驚きを味わうとともに、なるほど、本作の舞台が京であるのは、伝統や歴史といったものが他所よりもより長く人と共に在った土地だからか、と得心した次第です。
ちなみに本書の巻末には、独立した短編「耳伏 江戸城中隠密譚」を収録しています。
城内の馬預で馬の世話をする馬乗にして、裏の顔は隠れて奸物を成敗する男を描く物語なのですが――主人公をはじめ、登場キャラが全員犬面人ともいうべき存在。
あるいは一種の隠喩かと思いますが、人間以上に人間的な表情から伝わってくるのは紛れもない人間臭さであり、なかなかに不思議な味わいの一編であります。
「ねこまた。」第1巻(琥狗ハヤテ 芳文社コミックス) Amazon
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