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2014.01.31

「新笑傲江湖」第8話 こればかりは原作通りの惨劇

 さて、早いものでもう全体の話数の1/5を消化することになってしまった「新笑傲江湖」。東方不敗の乱入が繰り返されたおかげでなかなか話が進まないのですが、今回ついに序盤のハイライト(?)、劉正風の引退式が描かれることとなります。それもこういう嫌な場面ばかり原作に忠実に…

 前回、師の「男はみんなケダモノ!」という教えのために、令狐冲の顔が儀琳の目には獣に見えてきて…というしょうもないシーンで終わりましたが、今回もまだひっぱります。師の猛烈な男dis発言(なんかもう古墓派みたいになってきましたな)に当然の疑問を抱いたところ、正座の罰を受けてしまったかつての儀琳。しかし姉弟子の胸が高鳴る相手が現れたらその人のために死んでも惜しくない発言に納得した彼女は、令狐冲に感じるドキドキこそがそれだと考えて…

 と、なんだか一歩間違えると大変な過ちを犯しそうな気がしてきましたがそれはさておき、妙に空気の読めない令狐冲が、同じ五岳の弟子同士、儀琳は妹みたいなものだと言い出して儀琳はヒートアップ。しかしその直後に令狐冲が岳霊珊のことを言い出したおかげで冷や水ぶっかけられるのですが…

 一方、その場に居合わせたら大変なことになりそうな東方不敗は、密偵の報告から曲洋が姿を消したことを知って不機嫌になりますが、嵩山派が劉正風に制裁を加えに行くと知って、高見の見物を決め込みます。ああ、こういうときこそ乱入して欲しかったのに…

 それはさておき、ついに始まる引退式。劉正風は朝廷の官職につくため、江湖の論理と官の論理が衝突しては困るから…と説明するのですが(しかし官とは異なるはずの江湖でも、同様の権力闘争があることを笑う本作で、あっさり官の話を出してくる本作のスタッフはどこまで考えて作っているのか…たぶん考えていないのだと思いますが)、周囲は何となく不満げ。それでも式は進んで足ならぬ手を洗う儀式に入ろうとした時、現れたのは五岳盟主の旗を掲げた嵩山派の高弟・費彬。

 まだ若く武林でも高い地位なのに何故辞めるのか、東方不敗と通じてでもいるのではないか、という相手の言葉を一笑に付す劉正風ですが、さらに曲洋の名前を出されて真っ正直に友であることを認めてしまう劉正風は真面目すぎたということでしょうか…
 正派の人間であれば曲洋の首を取ってこいという相手の言葉はもちろんのこと、他派の総帥たちが口々にお前は騙されているというのにも耳を貸さず、曲洋への真情を訴えかける劉正風、さらに曲洋が令狐冲を助けたことまで喋ってしまい、更に面倒な状況に。

 それでもネチネチ言いつのる相手にさすがに怒り、費彬ののど元を掴む劉正風ですが、逆にもう一人の高弟・丁勉に妻子を人質に取られることに。妻子に手を出さないのであれば曲洋とも二度と会わず、中原を去るとまで言った劉正風に対し、それでは流派がお前の脅しに屈したことになると突っぱねた丁勉はためらいもなく劉正風の妻を惨殺!
 そして子供の首根っこを掴み、父親が誤っていると言わせて命乞いさせるという、あまりといえばあまりの非道ぶりであります。

 この辺りの展開は原作でも、他のドラマ版でも本当にキツい場面だったのですが、さすがに本作でもきちんと映像化(本作では一度妻子を実家に帰したのに、また戻ってきてしまったという設定なのがまたツラい)。
 嵩山派には本当にはらわたが煮えくりかえりますが、本作においてはこの時点で五岳盟主となっているので、やり口はともかく主張自体は実はそれほどおかしくないようにも見えるのは(そして建前上は他の流派の人間が逆らえないのは)、これは本作ならではの妙と言ってよいかもしれません。

 さて、悲憤のあまり自らを打ち、深手を負った劉正風ですが、そこにようやく駆けつけたのは曲洋。嵩山派の高弟二人を圧倒したようにも見えましたが、しかしやはり令狐冲の治療に内力を使った後遺症か、内功勝負では押し負けて吹き飛ばされることに…

 かろうじてその場を逃れた曲洋と劉正風は、最後の思い出に思い出の譜「笑傲江湖」を奏でることに。しかしなおも費彬の魔手は迫ります。その場に偶然やってきた令狐冲と儀琳が止めに入ったものの、二人もまとめて殺してしまおうという費彬。
 と、そこに響き渡る悲しげな胡弓の音。現れたのは劉正風の師たる瀟湘夜雨・莫大先生! 劉正風を成敗すると見えたその刃は、一撃で費彬を仕留め、またいずこかへ去って行くのでありました…

 と、莫大先生が最高に格好良い場面で終わるのですが、しかし本作の莫大先生は原作の枯れた風情が欠片もないのが悲しい。
さらに言ってしまえば、他門派の面子も、それなりに整った顔立ちが多いものの、ビジュアル的に個性が薄くていまだに誰が誰だか一瞬わからなくなってしまうのは本当に困ったものなのですが…さて。



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2014.01.30

「本所深川ふしぎ草紙」(その二) 我々のすぐ近くの薄暗い闇

 本所七不思議を題材とした宮部みゆきの連作短編集「本所深川ふしぎ草紙」紹介の続きであります。

 さて、もう一話挙げれば、「消えずの行灯」は、また別の方向から人の想いの虚実を浮かび上がらせる物語。
 何やら胡散臭い男から、おかしな仕事を――事故で死んだ大商人の娘の身代わりとなって、気の触れたその妻の世話をするという仕事を――持ちかけられた天涯孤独の女が、その仕事を受けた中で見たものは…

 何よりも本作の主人公の、ある意味覚悟を決めた、貧しくも賢く自立した女性である一方で、スレきったわけでもないキャラクターが実に面白いのですが、そんな彼女だからこそ気付いてしまった真相があまりにも重く、こちらの胸に突き刺さります。

 いわば本作は、「落葉なしの椎」とは違い、明確な事件性はないものの、別の角度から人の心の中の謎を浮き彫りにした物語。
 これもまた、本書ならではの物語であると申せましょう。


 しかし…ここで改めて考えてみれば、本書のモチーフたる本所七不思議というのは――そしてたぶんほかの七不思議も――芦だったり提灯だったりお堀だったり、それが怒るという場所やもの自体は、格別不思議なものでも珍しいものでもありません。

 もっとも、町中に普通にあるものでなければ、そこで暮らす人々が話の種にもできないわけですからそれは当然かもしれませんが、しかしそこにわずかな不思議が加わっただけで、それは途端に薄暗い闇の中に包まれ、近いけれどもどこか遠くの、あちら側のものになってしまうのです。

 そしてそれは、本作において描かれる七不思議も同じであります。
 本作で描かれる七不思議は、いずれも本来の七不思議をモチーフにしつつも、そこになにものかが託され、象徴し、新たな物語を生み出しているのであります。

 それが何を象徴しているかは、もちろん物語によって異なります。しかし、あえて共通点を見つけるとすれば、それは人の心とその動き、働き…それも、できれば隠しておきたい、見ないですませたい類のものでありましょう。

 どこにでもあるような、誰の中にもある心の動き。そこにほんのわずか、何かの拍子で歪みが生じた時…そこに生まれるのは薄暗い闇の向こうの不思議であります。
 決して超自然的なものではなく、しかし余人には窺うこともできない、それでいて我々 のすぐ隣にあるもの――あくまでも日常の代表者である茂七も立ち入ることができない不思議が、そこにはあります。


 不思議であって不思議でなく、不思議でなくて不思議である――我々のごく近くにあるそれ。
 本書はそんな七不思議の在り方までも――すなわち、謎の陰の人の心の在り方までも――踏み込んでみせた、いかにも作者らしい作品集なのであります。


「本所深川ふしぎ草紙」(宮部みゆき 新潮文庫) Amazon
本所深川ふしぎ草紙 (新潮文庫)

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2014.01.29

「本所深川ふしぎ草紙」(その一) 七不思議の中の謎と秘密

 今頃のご紹介で大変恐縮ですが、十数年前にNHKにて「茂七の事件簿 ふしぎ草紙」のタイトルで高橋英樹が主演でドラマ化され、つい数年前にも「回向院の茂七 ふしぎ江戸暦」のタイトルで的場健が漫画化した、その原作であります。原作者は宮部みゆき、言わずとしれた時代ミステリの名手であります。

 タイトルのとおり、本所深川を舞台とした本書がモチーフとするのは、江戸時代にその近辺で語られた本所七不思議――すなわち、
 片葉の芦
 送り提灯
 置いてけ堀
 落葉なしの椎
 馬鹿囃子
 足洗い屋敷
 消えずの行灯
の七つ。
 本書はこの七不思議を一つ一つ題材とした物語、七編の短編から成る短編集であり、それぞれ独立した物語に共通する一種狂言回しめいたキャラクターが、茂七親分なのです。

 作品の興を削いでしまうかもしれませんが、本書に収められた作品は、その題材とは裏腹に、というべきか、ジャンルでいえばホラーというよりミステリ。したがって作中で起きる事件はいずれも合理的に解決されるものではあります

 しかし、先に述べたように、それはいずれも本所七不思議の一つ一つと対応したもの。
 それぞれをモチーフにしつつ、解かれるべき謎/秘密を設定し、物語を成立させてみせるのは、さすがにこの作者ならではと言えるでしょう。


 特に個人的に印象に残ったのは、「落葉なしの椎」――ある殺人事件が起きた後、その事件の犯人の跡を隠してしまった落ち葉を掃き清めることに取り憑かれたかのような少女の姿を描く物語であります。
 本作で描かれるのは、もちろん殺人事件の謎解きではありますが――その意味では本書の中で一番表面的にもミステリ的な作品かもしれません――しかし同時に描かれるのは落ち葉を掃き清める少女の心中なのです。

 いわゆるホワイダニットとしてそれが解き明かされたその先にあるのは、ある哀しくも暖かい真実。事件らしい事件の陰に、日常の謎的それが配置されているという構造も心憎いのですが、それが浮き彫りにする人の想いには、ただ打たれるばかりです。

 そしてこれは余談ですが、本書から感じたのは、ミステリといわゆる人情ものの相性の良さ。
 何となく水と油のように感じられる両者ですが、しかしミステリがある事件の謎を解くために、犯人をはじめとする関係者たちがなぜそのように行動したか、その心の動きを解き明かすことを考えれば、人情、すなわち人の心の動きを主題とする物語と重なる部分が大きいのではありますまいか。
 もちろんそれはあくまでもミステリの中にそうし部分もある、ということを意味するに留まりますが…

 そしてこれは一話挙げれば…と、ここから先は長くなるので次回に続きます。


「本所深川ふしぎ草紙」(宮部みゆき 新潮文庫) Amazon
本所深川ふしぎ草紙 (新潮文庫)

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2014.01.28

「千里伝 乾坤の児」 そして人は成長し、旅は続く

 武神の賽の力により、天地は作り変えられた。元の世界から新たな世界に辿り着いた千里とバソンだが、故郷を襲った悲劇にバソンは戦う力を失い、千里はただ一人世界を彷徨う。人々の感情を奪い、魂を喰らう皇帝になす術はあるのか。だが、世界を甦らそうと戦うのは千里一人ではなかった…!

 唐代の中国を舞台に展開されてきた希有壮大なファンタジー「千里伝」も、この第4巻でついに完結であります。

 武宮最強を決める武神大賽において、かつて冒険を共にした絶海と激突することとなった千里とバソン。しかし強さへの渇望に暴走した絶海の振るう因果の力の前に敗北し、一連の事件の陰で糸を引いていた謎の道士・呂用之により、天地は全て作り変えられることに――

 そして生まれたのは、唐が建国されることなく、二百数十年を経てなおも生き続ける隋の煬帝が君臨する世界。
 呂用之と煬帝に逆らった武宮の仙人たちはいずこかへ消され、ただ二人、趙帰真の最後の力で新たな天地に送り出された千里とバソンですが、すぐに恐るべき悲劇を目の当たりにすることになります。

 絶望から戦う力を失ったバソンは捕らえられ、辛くも逃れた千里は、ただ一人、呂用之と煬帝を倒し、絶海とバソンを救い、そしてこの天地を元に戻すという、あまりにも大きな目的のために歩み出すことになります。


 これまで時空を股にかけ、壮大という言葉も色褪せるような冒険を繰り広げてきた千里。しかし、今回ほど重く辛く、厳しい冒険はないでしょう。
 何しろ舞台はすでに作り変えられた世界。そこを支配するのは、人々が感情を持つことすら許さぬ絶対的な力を持つ敵、因果を――すなわち、行動の結果を――自由に操り、かつての強敵である共工の子らすら一蹴する怪物なのですから。

 絶海は敵の下で殺戮に酔いしれ、バソンはいずこかへ囚われ、武宮の仙人たちもある者は消え、ある者は敵の軍門に下り、ようやく出会ったかつての仲間(と同じ名を持つ者たち)は苦闘の末に…いや、書いていて気が滅入るほどの絶望ぶりであります。


 しかし、千里の戦いは終わりません。そして、彼は決して孤独のままではないのです。
 物語が進むにつれて登場するのは、もう二度と会えまいと思っていた者も含めて、これまで彼の冒険を彩ってきた様々な人々。これはもう大長編クライマックスの醍醐味と言うべきものであり、彼の冒険の軌跡をそのまま示すものであります。

 そしてそれはまた、千里の成長の過程でもあります。
 初登場の際には本当にイヤな奴だったがそのまま成長しなければ、あるいは逆に彼が最初から完成された人間であれば、出会ったとしても決して今のような関係にはならなかったであろう人々――彼らとの繋がりは、決して完全ではなく、完全になれるはずもないのだけれども、しかしだからこそよりよき存在となるために努力する千里の、人間の善き部分を示すものでもあるのです。

 そしてそれこそが西王母が五嶽真形図の器として人間を、それも三人の少年を選んだ理由なのでしょう。


 終盤の展開、特に結末はあまりにも理想的に過ぎるかもしれません。大暴走したあの人物のその後の扱いも軽いようにも思えます。 しかしそれでもそれが全く瑕疵に感じられないのは、本作に、本シリーズに、この大いなる人間肯定、人間に対する優しい眼差しが通底しているからにほかなりません。

 そしてそれが、作者の作品全体にも通底するものであることは、ファンであればきっとご存じでしょう。
 それは、私がこれまでも、これからも作者の作品を愛読する所以でもあります。


「千里伝 乾坤の児」(仁木英之 講談社) Amazon
千里伝 乾坤の児


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2014.01.27

Manga2.5版「猫絵十兵衛御伽草紙」 動きを以て語りの味を知る

 このブログでもこれまでずっと取り上げて参りました、猫絵師の十兵衛と猫又のニタのコンビを中心に描かれるちょっと不思議な人情噺「猫絵十兵衛 御伽草紙」が、Manga2.5でリリースされました。Gyaoでは第1話が無料配信されておりましたので、さっそくチェックしてみました。

 Manga2.5とは、公式サイトによれば「マンガ原稿を素材に、色・アニメーション・音声・音響効果・字幕・BGMを付加した 革新的なコンテンツとして動画配信するモーションコミックの新しいブランドです(人気マンガそのものを動画化したモーション・コミック)」とのこと。

 私は今回初めて見ましたが、その印象を簡単に言ってしまえば、漫画から吹き出しを取り去って、その部分を音声化し、基本的に一コマ単位で画面に映し出したもの…といったところでしょうか。
 動き自体はそれほど大きくついているわけではありませんが、特に本作で言えば、猫の描写(歩いてくる場面や飛び跳ねる場面)に動きが取り入れられていたのが、ちょっと面白いところです。

 さて、今回視聴したのは、「猫参りの巻」。目を病んで伏せてしまった老人の飼い猫が、毎日どこかに出かけていくその先は…というこのお話、原作単行本では第1巻第1話、つまり「猫絵十兵衛御伽草紙」という作品全体の、記念すべき第1話であります。

 そんなこともあって原作自体何度も読み返していたこともあり、内容自体はよく知っていたのですが、それだけにこのManga2.5というメディアの特徴が感じられたように思います。

 それは、想像以上に語りのメディアだったと申しましょうか――

 Manga2.5という形式では、オーディオドラマなどとは異なり、漫画のコマというビジュアルはもちろん存在するのですが、上に述べたとおり、それはコマ単位で切り取られた、ある意味動きを失った状態。
 その中で物語の動きを感じさせるのは、基本的に登場人物の台詞のみ…というわけで、モーションコミックの中で、通常よりも台詞の重みが感じられるというのは、ちょっと面白いものだと感じました。

 もっとも今回のエピソードは、かなり「静」の内容。さらに言ってしまえば、題材が昔話的ということもあって、特に「語り」の印象を強く受けたのかもしれません。
(逆に言えば、それだけ本作がこの表現形式に適しているということかもしれませんが…)

 その点もあって、今回モーションコミック化された残り4話の方も大いに気になっているところではあります。


 さて、最後になりましたが声のキャストの方は、十兵衛が増田俊樹、ニタが杉田智和。
 個人的にはニタの声はもっとおっさんくさくかつ脳天気な印象があったのですが、蓋を開けてみると杉田氏のちょっとぶっきらぼうな口調が意外と悪くない印象。
 人間姿から逆算してのキャストかな、という印象はありましたが、いずれにせよ、どちらもさほど違和感はなかったかと思います。


「猫絵十兵衛 御伽草紙」(永尾まる原作 ハピネット) 特集ページ


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2014.01.26

2月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 ようやく新年を迎えたというのにもう次の月の話というのも気が早いですが、それだけ時間の流れは早いということ。普通の月よりも日にちは短い2月ですが、しかし非常に寂しかった1月に比べてアイテムの方はかなり充実――というわけで、2月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 まず文庫小説の方でなんと言っても注目は武内涼「妖草師」。既に「読楽」誌1月号にシリーズ短編が掲載されていますが、常世の草を狩るいや刈る新ヒーローの活躍が描かれるユニークな作品です。

 また、今年も頑張る廣済堂モノノケ文庫からは、霜島ケイ「のっぺら あやかし同心捕物控え」が登場。意外なようでいて納得の作家の登板ですが、これは楽しみです。
 一方、「猫間地獄のわらべ歌」で物議を醸した幡大介の「股旅探偵 上州呪い村」は、おそらくは同じような方向性となるのではないかと予想。私は前作はあまり乗れませんでしたが、今回は果たして…

 そのほかシリーズものでは小松エメル「蘭学塾幻幽堂青春記」第3巻、高橋由太「にんにん忍ふう」第2巻、瀬川貴次「ばけもの好む中将 弐 姑獲鳥と牛鬼」、エドワード・スミス「紳堂助教授の帝都怪異考」第3巻といったところが大いに気になるところです。


 一方漫画の方は、ほとんどがシリーズものの新刊ですが、野部優美&夢枕獏「真・餓狼伝」第4巻、杉山小弥花「明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者」第5巻、梶川卓郎&西村ミツル「信長のシェフ」第9巻、霜月かいり「BRAVE10 S」第5巻、睦月ムンク&夢枕獏「陰陽師 瀧夜叉姫」第4巻など、が楽しみなところです。

 また、水滸伝関連では琥狗ハヤテの「メテオラ」が単行本化されますが…巻数表記がない。
 「ネリヤカナヤ」から追いかけてきただけに、大いに気になるところであります。



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2014.01.25

「黒鷺死体宅配便スピンオフ 松岡國男妖怪退治」第4巻 とんでもないゲストのとんでもないインパクト

 作中の年代も進み、松岡國男も田山花袋も、後世にその名を残す本業(?)の方に力を注ぎつつある時期ではありますが、それでも変わらず怪事件を追い続ける「松岡國男妖怪退治」の第4巻であります。

 今回収録されているのは二つの中編、「耳たぶの話」と「小さき者の声」。

 「耳たぶの話」の方は、耳たぶを切り取った他殺体が次々と見つかるという猟奇事件を森鴎外の依頼で調査することとなった松岡らが、長野で遭遇した怪事件を描く一幕。
 現場に現場に落ちていた耳栓が、かの地で見つかるものとよく似ていたことから調査に向かった一行ですが、そこにあったのは、かつて坂上田村麻呂に滅ぼされたという八面大王の伝説で…

 という、伝説+猟奇事件という構成はシリーズの基本に戻ったような展開ですが、そこに松岡のある過去にまつわる要素が絡んでくるのはなかなか面白い。
 本筋の方も、珍しく(?)筋の通った推理が、とんでもないオカルトネタでひっくり返されるのが(オチのためのオチのような印象もありますが)愉快であります。

 それにしても、冷静に題材や内容を見てみると、一連の原作者の昭和伝奇もの的なのですが、それがここまで印象が変わってしまうというのが興味深いところです。


 一方、「小さき者の声」は、東京を舞台に帝国女優養成所(秋葉原にあるのはご愛敬)の女生徒を狙う奇怪な暴漢と、それとともに現れる不気味な小人たちの跳梁を描く物語。
 暴漢を捕らえてみればその時のことを全く憶えていないという異常な状況ながら、やたら顔の広い兄で天神真楊流柔術の達人・井上通泰に引っ張り出されて…という形で事件に絡む松岡たちの姿も面白いのですが、やはり最も印象に残るのは、今回のスペシャルゲストでありましょう。

 松岡が事件を追う中に現れた謎の英国人、その正体は、いやそのキャラクターは…わはは、こりゃひどい、と思わず褒め言葉も出てしまいそうなとんでもなさ。
 この人物のあまりのキャラクターのおかげで物語そのもののインパクトが薄れた感がありますが、キャラものとして見れば、そのインパクトだけでOKを出したくなるところです。


 …と、今までは(特に初期は)キャラ立てや題材の派手さ、奇妙さばかりが印象に残っていたのですが、この巻では方向性自体は変わらぬものの、そうした印象はだいぶ薄く感じられたのがなかなか興味深い。
 要するに慣れたということなのかもしれませんが、やはり数少ないオンゴーイングの大塚伝奇漫画として、その奇想は得がたいものがある、ということでしょうか。

 さて、この巻のラストでは松岡の代表作というべきあの著書が登場。これまでもその原型が題材にされてはいますが、おそらくはこの先、物語の題材とされることがあるでしょう。こちらも楽しみなところであります。

「黒鷺死体宅配便スピンオフ 松岡國男妖怪退治」第4巻(山崎峰水&大塚英志 角川コミックス・エース) Amazon
松岡國男妖怪退治 (4)  黒鷺死体宅配便スピンオフ (カドカワコミックス・エース)


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2014.01.24

「大江戸恐龍伝」第3巻 二人の源内、ニルヤカナヤの謎に迫る

 全5巻の「大江戸恐龍伝」も、いよいよこの第3巻で折り返し地点。舞台は一旦江戸を離れ、平賀源内たちは龍が棲むという伝説の「ニルヤカナヤ」を目指して旅立つこととなります。

 あたかも運命が導くように、次々と源内の前に現れる「龍」にまつわる事件――龍の化石、龍の掌と金塊、それをもたらした真田家の家臣の手記。
 そしてニルヤカナヤからの帰還者――それも目蓋を切り取られ、瞳を露出させられた異様な姿の――が発見されたことにより、物語は大きく動き出すのであります。

 実はこの男こそは、物語冒頭で遭難し、いずこかの島に流れ着いた船の乗組員。そしてその船に、船主である大商人の息子が乗っていたことから、源内はニルヤカナヤに向い、息子を連れ帰って欲しいと依頼された源内。
 かくてスポンサーを得た源内は、自らの持てる知識を総動員し、西洋・日本・中国の造船技術を結集した三国船建造に取りかかるのであります。

 そしてこの第3巻では、ついに完成した三国船「ゑれき丸」が出港。源内のほか、杉田玄白(!)や謎の男(その正体は時代小説ファンにはお馴染みの)伊奈吉らが乗り組み、まずは琉球を目指すことになるのですが…

 実はこの第3巻の舞台のほとんどは、この琉球。
 かつて真田家の家臣がここからニルヤカナヤを目指したという琉球で、その男が残した謎の遺物、その中でもそこに記された絵文字の謎が、ここで解き明かされることとなるのであります。

 物語の大半を費やして描かれるこの謎解きは、第2巻の謎解きが暗号ミステリ的であったのに対して、完全に伝奇ミステリというべき印象。
 そしてそこで解き明かされるのが、かの徐福渡来伝説なのですから、もうたまりません。
 しかしこの巻でそれ以上に印象に残ったのは、琉球で源内が出会う自称・江戸学者の老人・牧志朝典のキャラクターであります。

 かつて江戸に留学した琉球きっての知識人でありながらも、様々な不運により今は身を持ち崩し、村八分同然の扱いを受けている朝典。
 かつては同じ謎に挑みながらも、辛い挫折を味わったこの老人の重い口を開かせるために語りかけた源内の言葉とは…

 本作の源内は、溢れんばかりの才能と自信を持ち、その話術でもってぐいぐいと周囲を引っ張っていく人物として描かれますが、しかしそれと表裏一体の形で、彼の中にあるのは、周囲から自分の才能が真に理解されないという屈託と、このまま自分が埋もれていくのではないかという恐れであります。

 その意味では朝典はもう一人の、そうであるかもしれない源内。いわば二人の源内の会話には、賢明に夢を追いながらも躓き、それでもなお立ち上がろうとする人間たちの、静かな輝きがあるように感じられるのです。


 そしてついにニルヤカナヤに向かって出向した源内一行。いよいよ残すところはあと2巻、いよいよ龍がその姿を現すはずですが…さて!


「大江戸恐龍伝」第3巻(夢枕獏 小学館) Amazon
大江戸恐龍伝 第三巻


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2014.01.23

「千里伝 武神の賽」 人間の弱さと本当の強さと

 武宮の代表者が集い強さを競う武宮大賽。大賽を前に麻姑から弓作りを命じられた千里は、材料集めに向かった先で奇怪な力を持つ敵と出会う。一方、千里とバソンの強さに憧れと嫉妬を抱く絶海は、謎の老人に師事した末に恐るべき強さを得るのだが…大賽でまみえた三人を恐るべき運命が襲う。

 文庫版が出てからもだいぶ間が開いてしまいましたが、「千里伝」シリーズの第三弾「武神の賽」であります。
 天地の形を定めた五嶽真形図の力を発揮する器として生まれた千里、絶海、バソンの運命を描く本シリーズも、全体の3/4ということで、起承転結のまさに転に当たる本作では、とてつもない運命の変転が彼らを襲うことになります。

 五年に一度、全土の武宮(仙人が開いた武術道場・流派のようなもの)の代表者が一堂に集い、その強さを競うという武宮大賽。
 これまで二度の天地と時空を股にかけた冒険をくぐり抜け、いまは武宮の一つ・丹霞洞麻姑山で修行に励む千里は、この大賽に向けて、師たる麻姑から、弓作りのための材料として、崖州の額井峰の黄櫨と吐蕃の納木湖の嶺羊王の角という、二つの材料集めを命じられることに。

 一方、同じ器として生まれながらも、あまりに自分と次元の違う千里とバソンの強さに焦りを隠せない絶海は、一人山を離れて修行に出た先で、密かに想いを寄せていた共工の娘・蔑収と出会い、さらに彼女とともに謎の老人・甘蝉に弟子入りすることになるのですが…

 と、この二人のエピソードが並行して語られ(バソンも途中で千里の側に加わり)、クライマックスの武宮大賽で合流する本作は、異界からの侵略者との戦いや超絶の力を秘めたアイテムの争奪戦を描いた前二作に比べれば、一見静かな物語に見えるかもしれません。

 …が、その印象を大きく吹き飛ばしてくれるのが、絶海のいわゆる闇堕ち。
 これまでの作品の中でも、千里やバソンに一歩遅れ、それに悩みを隠せなかった――しかしそれを抑えてしまう良い子だった――絶海がついに爆発、次から次へと人としての道を外していくのであります。

 真面目な人ほど道をみ外すと怖いと申しますが、絶海の場合はまさにそれ。いや、怖いというよりむしろ彼の言動は色々な意味で痛い。痛いのですが――

 この「千里伝」という作品は、希有壮大な中華ファンタジーという格好を取りつつも、しかしキャラクター描写については、決して格好いい、あるいは好感が持てるといった、ポジティブなものばかりではありませんでした。
 その最たるものが主人公たる千里で、本作ではだいぶ真っ当な主人公となったものの、彼の傲慢さや卑怯さは、大いに読者のヒートを買ったものと思われます。

 しかしそれでも千里のことが――そして本作の絶海のことも――嫌いになれないのは、彼が作品の中で成長を遂げていく存在であるのはもちろん、何よりも、彼らもまた、我々と大きく異なることのない「人間」であるからにほかなりますまい。

 確かに本作は神仙が乱れ飛び、時空を揺るがすほどの事件が幾度も描かれるという、いわゆる中華ファンタジーものの中でも有数のスケールを誇る作品であります。
 しかしそんな世界に生き、事件に立ち向かうのはあくまでも弱さを抱え、時にそれに溺れ、そして最後にはそれに打ち克つ人間なのであり…そしてそんな人間だからこそ、力では自分たちに遙かに勝る神仙や異界の者の思いも寄らぬことを成し遂げることができるのでしょう。

 もちろんそれは単に力で相手を押し拉ぎ、否定することではありません。本作においては、千里の友にしてライバルであり、絶海とは対極の形で人間の本当の強さを見せてくれる文魁之と鄭紀昌の存在がそれを示してくれるのであり――そしていずれは絶海もその強さを知るはず、なのですが…


 それにしても本作の結末で描かれるカタストロフィは、そんな楽観的な想いを完膚なきまでに打ち壊してくれるもの。
 この未曾有の危機を前に、千里は、バソンは、絶海はどうするのか――やはり一度手に取ってしまったら、続きが気になって仕方のない本シリーズ、近日中に最終巻も取り上げましょう。


「千里伝 武神の賽」(仁木英之 講談社文庫) Amazon
武神の賽 千里伝 (講談社文庫)


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2014.01.22

「鬼溜まりの闇 素浪人半四郎百鬼夜行」 文庫書き下ろしと怪異譚の幸福な結合

 とある事件がもとで主家を離れ、江戸に出た榊半四郎。生きる希望を失い夜の町を彷徨った末、切腹しようとした彼の前に火の玉が現れる。火の玉を斬ろうとした半四郎を止めたのは、一人の子供を連れた謎の老人・聊異斎だった。聊異斎に導かれるまま、半四郎は江戸で起きる数々の怪事件に挑む。

 一月の新刊リストを見て、内容がわからないもののそれっぽいタイトルに大いに気になっていた本作。蓋を開けてみれば、期待通り、いや期待を遙かに上回る時代怪異譚でありました。

 主人公・榊半四郎は、元はとある藩の藩士でありながらも、とある事件が元で藩を捨て、江戸に出て追ってを待つ身。
 しかし藩側は面倒事を嫌って彼を召し放ち処分とし、武士らしい死を望んでいた彼は夜の町を彷徨った末、切腹して死のうとするのですが――

 そのとき目の前に現れた一つの鬼火を斬らんとした半四郎を止めたのは謎の老人。聊異斎と名乗り、捨吉なる小僧とただ二人闇夜を行くその老人は、この場所が鬼溜まりなる魔所であることを告げます。
 死ぬ気を削がれた半四郎ですが、やがて思わぬ場所で聊異斎と再会し、江戸で次々と起きる怪異に挑むことになるのであります。

 この第一話「鬼火」から始まる本作は、全五話構成。
 とある商人の新宅から忽然と姿を消した赤子と子守の謎を追う三人が恐るべき真相を知る「表裏の家」
 前話で用いた愛刀を研ぎに出そうとした半四郎が不思議な刀商と出会う「刀商叶屋」
 名だたる刀を持つ者を襲って斬り殺し、その刀を破却していく奇怪な辻斬りとの対決を描く「剣鬼」
 悪人に騙された末に破滅していく母娘の姿に己の知る女人の姿を重ねた半四郎がある覚悟を固める「初雪女郎」

 うち第一話と第三話は間奏曲的な掌編で、残りが中編に近い分量という構成であります。


 さて、題材的に大いに私好みの本作ですが、読み始めてすぐに、大いに驚かされることとなりました。
 というのも本作が、主人公や物語展開に、非常に「文庫書き下ろし時代小説」的フォーマットを用いつつも、非常に質が高く、かつ斬新な怪異譚を、ここに構築していたからであります。

 「文庫書き下ろし時代小説」的作品については、昨日とりとめもなく述べたばかりですが、本作の設定である「国元でのゴタゴタに巻き込まれて家を捨てて江戸に出てきた浪人が、市井で暮らすうちに様々な事件に巻き込まれる」というのはまさにそれでありましょう。
 本作の場合はその「様々な事件」が、超自然的な怪異ということになりますが、しかしそれが無理なく融合している点に、まず驚かされたのです。

 「文庫書き下ろし」は、端的に言ってしまえば、市井の人々の暮らしに密着した主人公の姿を描く作品。そうした極めて「現実的」な内容と、超自然の怪異というのは、水と油の関係。単純に組み合わせただけでは、何とも違和感のある内容になりかねません。
 それが本作においては違和感なく一つの物語として成立しているのは、これは本作において何を描くべきか、作者が明確に把握しており、そしてそれを踏まえて「こちら側」(現実サイド)と「あちら側」(怪異サイド)から何を描き、何を伏せるかを巧みに配置しているから――それにほかならないのであります。

 そんな本作の魅力が最も見事に現れたのは第二話「表裏の家」でしょう。
 題材的には「幽霊屋敷」テーマともいうべき内容ですが、何故その屋敷に怪異が起きるのか、超自然的な原因を、しかしロジカルに描きつつ、そしてそれを浮き彫りにするための描写が本当に怖い(屋敷を建てた大工の親方のくだりにはもう震え上がりました)。
 結末も意外かつおぞましいものでありつつも、一抹の哀しみを漂わせたものであり――いやはや、脱帽というほかありません。


 江戸の市井の現実に密着しつつ、この世のものならぬ怪異を描く――簡単なようでいて極めて難しいことを成し遂げてみせた本作。
 時代怪異譚の一つの理想型として心からおすすめできる作品であり――そして、今後のシリーズ展開もまた非常に楽しみな逸品です。


「鬼溜まりの闇 素浪人半四郎百鬼夜行」(芝村凉也 講談社文庫) Amazon
鬼溜まりの闇 素浪人半四郎百鬼夜行(一) (講談社文庫)

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2014.01.21

「文庫書き下ろし時代小説」の定義についてあれこれ考えたメモ

 いわゆる「文庫書き下ろし時代小説的な作品」とは何か、というものについて考えてみたいと思います。と、いきなり大上段に振りかぶりましたが、これから述べるのは、きちんとしたデータに基づくものではなく、あれこれ頭を捻っている間に浮かんだイメージを、忘れぬうちにメモしたものであります。

 今では完全に定着し、時代小説シーンで決して無視できぬ存在となった「文庫書き下ろし時代小説」でありますが、その名が示すように、元々は単なる刊行形態を示すものであることは言うまでもありません。そして最近ではその内容も相当に多様化し、私が好んで取り上げるような時代怪異譚で、この形態で刊行されるものも幾つもあります。

 にもかかわらず、「文庫書き下ろし時代小説」(以下、文庫書き下ろしと略します)と言った場合、我々の頭の中には、ある程度共通的なイメージがあるように感じます。
 それは何か――共通的と言いつつ曖昧模糊としたものを掴むために、その中心となるべき主人公のキャラクター…というよりその身分に目を向けてみましょう。

 冒頭で断ったとおり、これはあくまでも私の持っている印象でありますが、文庫書き下ろしの主人公の身分で飛び抜けて多いのは、浪人と町方同心ではありますまいか。

 たとえば書店の文庫書き下ろしが置かれた一角に行って書名を見てみれば、「○○兵衛△△剣」や、「□□同心××帖」というものが――一時期よりは減ったとはいえ――数多く目に付きましょう。
 これはそんな印象に基づくイメージに過ぎませんが――しかしこの両者には、実は二つの共通点があります。

 その一つは、彼らが江戸に(あるいは他の都市に)暮らし、それだけではなく、そこに暮らす庶民の目線に極めて近しい目線を持っていること。
 そしてもう一つは――これは当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが――あくまでも彼らが武士という身分であること。この二つであります。

 まとめて言えば、文庫書き下ろしに多い――言い換えれば、多くの読者に受け入れられ、憧れの対象となっているのは、多くの読者がそうであるであろう庶民の目線を持ち、庶民の味方でありつつも、庶民より少し上の(しかし厳然と離れた)階級の人間なのです。

 そこにいるのは、ただ己の気の赴くままに己が殺人剣を振るい美女を抱く超人的な剣豪ではなく、天下の経世のために小を切り捨てても大を取る辣腕を振るう幕吏ではなく、ただ謎を解く快味に退屈を紛らわせることを求める天才的な探偵ではなく――自分たちと近くてちょっと遠い(ちょっと上の)人間なのです。


 閑話休題、文庫書き下ろしの一般的なイメージとは、彼らのような江戸市井に暮らす武士の(戦う力を持ち、身分も上の)主人公たちが、様々な事件を解決する物語…ということになりましょうか。

 もちろん、繰り返し申し上げているように、これはあくまでも私のイメージをまとめたものであって、穴は数多くあることは認めます(特に、決して少なくない職人・料理人・芸術家といったタイプの主人公がここからは漏れています)。

 とはいえ、たとえばこうして大衆小説の主人公像の最新モデルを見ることでその変遷を考えたり、また時代小説史を考える際に文庫書き下ろしの源流が奈辺にあるか考えたりするヒントにはなるのではないか…と考えています。
 そして何よりも、(身も蓋もない言い方をすれば)、今あるいは少し前まで、どのような作品が売れ筋であったのか、そしてそれは何故かということを考えることができるのではないかと感じます。

 いずれにせよ、折に触れてこのメモは見直してみたいと思います。



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2014.01.20

「時砂の王」 歴史を変える重みと罪の先に

 西暦248年、邪馬台国の若き女王・卑弥呼を襲った奇怪な物の怪。彼女を救ったのは、2300年後の未来からやって来た「使いの王」オーヴィルだった。物の怪=地球を襲う謎の機械生命体・ETに対し、時を遡りながら戦い続けてきたオーヴィルは、卑弥呼にETと戦う準備をするように告げるのだが…

 今頃の紹介で恐縮なのですが、3世紀、邪馬台国の卑弥呼の時代を主な舞台とする、時間SFの名品であります。

 まだ若く、窮屈な暮らしに飽き飽きしていた卑弥呼が、宮廷を抜け出して出かけた山中で出会ったのは、生き物とも何とも知れぬ奇怪な物の怪。
 こちらの攻撃が効かぬ相手から必死に逃げる彼女が追いつめられたとき、そこに現れた一人の男が、易々と物の怪を粉砕、彼女は、男こそが代々伝えられてきた「使いの王」であることを知ります。

 その使いの王こそは、26世紀の未来からやってきた人工知性体の一人であるオーヴィル。突如襲撃してきた戦闘機械群「ET」によって地球を滅ぼされ、海王星まで撤退を余儀なくされた人類は、時間を遡って人類を滅ぼさんとするETに対抗するため、オーヴィルらを送り出したのです。
 時間を遡りつつ絶望的な戦いを続けてきた彼は、最終防衛ラインであるこの時代を守り抜くべく、邪馬台国に現れたのですが――


 本作は、この卑弥呼から見た3世紀におけるETと人類の戦いと、オーヴィルが様々な時代で経験してきた戦いを、交互に描いていきます。
 ただ人類を滅ぼすことのみを目的として増殖・進化していく機械生命体との、タイムトラベルを駆使した死闘というと、やはりどうしてもセイバーヘーゲンの「バーサーカー 皆殺し軍団」が浮かんでしまいます。

 しかし本作が決定的に異なるのは、舞台となるのが我々の地球であること以上に、本
本作におけるタイムトラベル観が、時間分枝を伴うものであること――すなわち、一度過去を改変した時点で時の流れは枝分かれし、「かつての」未来そのものが変わるわけではないという点でありましょう。

 …冒頭でSFが好きだと申し上げましたが、実は例外があります。私は時間SF――それも歴史改変を伴うものがどうしても好きになれないのです。
 それは私が、どれほど荒唐無稽に見えようとも、決して厳然な史実を乗り越えることができない伝奇時代劇を愛するからだけではありません。
 それ以上に、ある目的のために歴史を変える行為が、改変される前の過去(それがどれほど苦しいものであったとしても!)に暮らした人々への冒涜であり、さらに言えば彼らの存在を否定することに繋がると――大袈裟に言えばそう感じているからであります。

 その意味では、本作は一見、まさにそんな歴史改変ものであります。オーヴィルたちは人類を生き延びさせるために戦いながらも、まさにその目的故に、ある歴史の人類が滅びることを黙認すらするのですから。
(時間分枝の概念がそれを可能とするわけですが…)

 …しかしオーヴィルは、その「罪」を、その重さを、誰よりもその身で知る者であります。ある歴史を見捨て、そこに生きた人々が死滅するのを見つめながらも、彼は逃げることができない。誰よりもその重みを知りつつも、生き続けて、ETを滅ぼすために戦うこと以外、彼には許されていないのです。

 さらに言えば、彼がかつて愛し、守りたいと願った人が暮らす「かつての未来」、その時間に、彼が戻ることはできません。「いま」を変えるために送り出されながらも、その行為のために無限に分岐した「いま」に、彼は戻ることができないのであります。

 いかにひねくれ者の私とて、それだけの重みを背負ったオーヴィルの、そんな彼の苦しみを分かち合うために立つ卑弥呼の物語を嫌うことができましょうか?


 もちろん瑕疵が皆無とは申しません。冷静に考えると結末ではパラドックスが生じているようにも思いますし、何よりもその結末が美しすぎるお約束であるというのも、頷けるところではあります。

 しかし、オーヴィルが幾多の歴史を犠牲にしながらも守り続けてきた想い、「人」として彼が背負ってきたその想いが確かに受け継がれた先にこの結末があることを思えば、私はまさにこの結末しか本作にはありえないと、そう感じてしまうのであります。


「時砂の王」(小川一水 ハヤカワ文庫JA) Amazon
時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

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2014.01.19

「崑崙遊撃隊」(その二) 秘境を求める心、秘境を守る戦い

 山田正紀の「崑崙遊撃隊」の続きであります。今回再読してより深く私の心に突き刺さった、本作の主人公・藤村の魂の遍歴とは――

 大金を横領した上に親友の愛人・李夢蘭を殺し(さらには彼女と関係を持ち)、今は親友から執拗に命を狙われ、ただ今は夢蘭から聞かされた崑崙で死ぬことだけを夢見る藤村。
 彼の人物造形は、この作品が描かれた作者のデビューほぼ直後の作品の主人公に程度の差はあれどしばしば登場する、ひどく虚無的な、絶望を通り越した末に無感動の域にまで達してしまった男として描かれます。

 しかし彼の魂に眠るのは――他の山田主人公同様に――それほどの虚無に塗りつぶされようとも、しかしそれでも消せない熱い想い、熾火のように燃え続ける想い。
 本作は、一度は炎が消えかけた男の魂が、冒険行の末にその輝きを取り戻し、静かに、しかし赤々と燃えあがるさまを描く物語なのであります。

 …そんな本作は、秘境冒険小説と言い条、他の同ジャンルの作品とは大きく異なる性質を持ちます。
 乱暴に言ってしまえば、秘境冒険小説が秘境を「征服」する物語であるとすれば、本作は、秘境をその征服から「守る」物語。そして本作のそんな性質は、今述べた藤村のキャラクターと、彼の心の動きと強く結びついているのです。

 物語が進んでいくにつれて明らかになっていく藤村の過去の罪。それはいささか詩的な表現をすれば、時代の巨大なうねりに翻弄され、どうしようもなく押し流されていった末に彼を襲った理不尽な運命であります。
 そして冒険の末に彼が知ったのは、崑崙を、そこに住まう者を襲わんとする、巨大な時代のうねりが生み出した暴力の存在であり――彼が己を苦しめたものに組みするはずは、もちろんありません。

 本作の終盤で描かれるのは、藤村が、かつて己を苦しめたものと同根のものに戦いを挑み、かつての自分自身を救おうとする姿。
 その姿は、これも作者の作品の多くに共通する、そして私が作者の作品をその奇想以上に愛してやまぬゆえんである、ちっぽけな、しかし一個の魂を持った存在である、一人の人間の尊厳を守るための戦いの姿なのです。
(彼が守ろうとしたものの力を知れば、これはいささか滑稽ではあるかもしれませんが、しかしその正体を考えれば、その想いには大いに価値あるものと感じます)

 そしてこの点にこそ、本作がこの時代を、国家という巨大な存在により、それとそれに群がる人々の暴力により、個々人の尊厳が踏みにじられた時代を舞台にした理由であるとも、私は感じます。


 手に汗握る冒険小説であり、奇想天外なSF小説であると同時に――本作はかつてあったどこかではなく、いまこの時も存在しそして理不尽な力に脅かされている、守られるべきもの存在を描きだしているのであります。
 その意味で本作はまったく古びることがない作品であると、今更ながらに感じた次第です。


「崑崙遊撃隊」(山田正紀 ハルキ文庫) Amazon
崑崙遊撃隊 (ハルキ文庫)


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2014.01.18

「崑崙遊撃隊」(その一) いまと過去の先の秘境

 1933年、シナ浪人の集団から大金を横領し、親友の愛人を殺したと噂される男・藤村は、上海で謎の男・森田と出会う。藤村がかつて目指した伝説の地・崑崙。森田は崑崙への案内人として、藤村を雇おうというのだ。かくて、二人を中心とした奇妙な探検隊は、崑崙を目指してゴビ砂漠へ旅立つが…

 SF作家、ミステリ作家、時代小説作家…様々な顔を持つ山田正紀には、冒険小説家という顔があるといっても、誰も反対いたしますまい。そして冒険小説といってもさらに様々なサブジャンルがありますが、本作はその中でも――ほとんど滅亡寸前の――秘境冒険小説に分類される作品であります。

 中国大陸を列強が、日本が食い荒らしていた1933年を舞台にした本作で描かれる「秘境」とは、中国神話に残る伝説の地・崑崙。西王母をはじめとする神仙が住まい、黄河の源であると言われる崑崙を目指し、男たちが旅立つこととなります。
 その探検隊の顔ぶれがまた面白い。何者なのかまったく得体の知れない中年、女たちを憎悪し自動車を愛する美少年、引退してアメリカで暮らすことを夢見る殺し屋、粗暴だが己のサラブレッドをこよなく愛する馬賊と、これだけでもユニークですが、主人公は失意のどん底に暮らし、ただ崑崙で死ぬことだけを夢見る虚無的な男なのですから――

 本作は探検隊が崑崙に向けた冒険を繰り広げる「いま」と、主人公・藤村を虚無感に苛ませることとなった「過去」を、交互に描いていくこととなります。

 藤村をはじめ、それぞれが全く異なる理由で求める崑崙。しかしゴビ砂漠を越えた遙か先に眠る崑崙は、絶滅したはずの剣歯虎などまだ序の口というべき想像を絶するものたちが棲む、まさに秘境。
 恐るべき敵たちとの戦いと、意外な裏切りを切り抜け、藤村たちがようやく辿り着いた崑崙の、その秘密とは――


 と、実は私は本作をおよそ20年ぶりに読んだのですが、それだけ間をおいても――他のディテールは忘れていても――鮮烈に印象に残っていたのは、この崑崙の秘密。
 今読んでみてもその斬新さ、新鮮さには驚くほかないその秘密は、まさに作者の面目躍如と言うべきでありましょう。正直に申し上げて、少なくとも秘境冒険ものにおいて、これに匹敵するようなアイディアはほとんどないのではありますまいか。

 今から80年前とはいえ、世界にほとんど秘境というものが――少なくとも冒険行を繰り広げるに足る――ものがほとんど失われた中で、いかにして秘境を設定するか。それも、リアリティと奇想という、相反する要素を備えた上で…
 その最上の回答が、本作にはあります。


 しかし、今回再読してより深く心に突き刺さったのは、この探検行を通じて描かれる、藤村という男の、魂の遍歴であります。

 それは…長くなりますので、次回に続きます。


「崑崙遊撃隊」(山田正紀 ハルキ文庫) Amazon
崑崙遊撃隊 (ハルキ文庫)


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2014.01.17

「安徳天皇漂海記」 現実と運命に縛られた者たちの旅路

 壇ノ浦の合戦で海に消えた安徳天皇。しかしその身は、第四の神器ともいうべき真床追衾に包まれて「生き」続けていた。その強い無念の想いを知った鎌倉幕府三代将軍・源実朝は、無念に荒れ狂う幼い魂を鎮め、成仏させるため、あらゆる手を尽くすのだが…(第一部 東海漂泊)

 先日、宇月原晴明の短編集「天王船」を紹介しましたが、その中の「波山の街」は、語り手たるマルコ・ポーロが、まだまだ奇怪な物語が存在することをほのめかして幕を閉じました。
 本作はその奇怪な物語の一つというべき幻妖華麗な物語、山本周五郎賞を受賞した名作であります。

 タイトルを見れば一目瞭然のように渋澤龍彦の「高丘親王航海記」(この作品もいずれ紹介いたします)を下敷きにした本作は、その高丘親王から数百年後、累代の天皇の中で最も悲壮な最期を遂げたというべき安徳天皇の「その後」を描いた作品。
 「波の下にも都は…」という「平家物語」の件にあるように、平家の滅亡とともに海に沈んだはずの幼帝は、しかし、草薙剣を抱き、もう一つの神器というべき真床追衾(まとこおうふすま)に包まれて眠りについていた――という、奇想天外極まりない設定を踏まえた物語であります。

 そんな本作は、「東海漂泊」と「南海流離」の二部から構成されます。
 第一部では、この安徳帝を奉じる妖賊・天竺丸から帝の玉体を預けられた源実朝が、帝の無念を鎮めるべく、ともに海の彼方を目指す姿が、当時の実朝の従者の回想という形で語られ――
 そして第二部では、それを聞いたマルコ・ポーロが、元の皇帝クビライの命でその秘密を求めて向かった先で、安徳帝と南宋最後の少年皇帝と、二人の幼帝の不可思議で哀しい交流を目の当たりとする姿が描かれるのであります。

 …我々は、源実朝がどのような事績を残した人物であり――和歌を愛し、そして海の彼方に憧れを抱いて巨船を造るも果たせなかったことなどを――そしてその最期がいかなるものであったか、それなりに知っています。
 南宋最後の皇帝・祥興帝については、さすがに馴染みは薄いのですが、しかし少し調べれば、その最期が、安徳帝のそれとよく似たものであったことを知ることができます。

 しかし本作は――これまでの作者の作品がそうであったように――それらの史実を巧みに組み合わせ、そしていささかの、しかし極めて優れた虚構を以てその隙間を埋めることにより、全く別の像を作り上げるのであります。
 源氏三代の鎌倉と、滅亡間近の南宋と…実に数十年の時をものともせず結びつけられた二つの物語は、やがてそれよりも数百年の時を遡って(そして別の作家の作品世界までも取り込んで)高丘親王の物語と結びつき――そしてもう一人の海の彼方に消えた神の子の登場を以て、更なる悠久の時の存在をも描き出すのです。


 その幻妖かつ壮大な物語は、しかし一つの想いを色濃く漂わせるものであります。…哀しみという想いを。

 本作に登場し、海の彼方を目指した者――あるいは、海の彼方からやってきた者は、その誰もが寄る辺なき放浪者として描かれます。
 それはもちろん、字義通りの意味の者を指しますが、しかし同時に、より大きな運命に翻弄されるままにこの世に漂う者、「ここではないどこか」を求めて散っていく者たちをも指します。

 本来であれば世界の頂点に立つ王や将軍。しかしその地位はまた彼らを縛り、彼らを追いつめていくものであります――「ここではないどこか」を夢に見ることしかできないまでに。
(それに対して、「ここではないどこか」ではなく現実を選んだクビライの姿もまた哀しい。彼には、本作の結末で描かれたあまりに美しいあの光景を見ることができないのですから)


 本作で描かれるのは、そんな人々の魂の遍歴であり、そして鎮魂の物語であります。
 だからこそ本作を読んだとき、我々はその奇想に胸が躍る以上に、強く胸を締め付けられるのでしょう。

 我々は王でも将軍でもなく――しかし彼らと同様に、現実と運命に縛られて生きるほかない存在なのですから。


「安徳天皇漂海記」(宇月原晴明 中公文庫) Amazon
安徳天皇漂海記 (中公文庫)


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2014.01.16

「陰陽師 蒼猴ノ巻」 ルーチンワークと変化球と

 久々登場の夢枕獏「陰陽師」は「蒼猴ノ巻」。「オール讀物」誌に毎月掲載されていた短編が、全十編収録されております。

 設定については今さら言うまでもない「陰陽師」シリーズですが、安倍晴明と源博雅の名コンビは今回いつも通りの活躍。
 平安時代のホームズ&ワトスンと言うべき二人の元に持ち込まれた事件を、「ゆこう」「ゆこう」そういうことになったのである…と、解決していく物語の数々は、そこにたっぷりと盛り込まれた季節折々の描写も美しく、まずはどの物語も安心して読めるものであることは間違いありません。
(と、時に「ゆこう」の後が続かないエピソードがあったのもまた楽しい)

 ただし、正直に申し上げれば、今回は収録話数が多く、個々の物語のページ数も少な目であるためか、どこかルーチンワークを感じさせる物語が少なくない…という印象はあります。
 もちろん収録されているのはみな新しい物語ではあるのですが、少々厳しい言い方をしてしまえば、いかにも「陰陽師」らしい構成要素の組み合わせで物語を作っているという印象を受けてしまったのであります。
(もちろんこれは、昔からの小うるさい読者の勝手な印象ではありますが…)


 しかし、それだけではないのもまた事実。
 特に渡辺真理の出したお題「桃」に応えて書かれた「仙桃奇譚」は、なかなかに新鮮な一編。夜道をそぞろ歩いていた道満が、酒の香りに導かれて入り込んだ家で矢を射かけられたことから始まる物語は、サブタイトルにあるとおり、不思議な桃にまつわる奇譚であります。

 晴明博雅コンビが登場せず、あの蘆屋道満が主役ということもあってか、登場人物や展開など、どこか普段よりも生々しく、それでいてそこに醜さではなくもの悲しさとしたたかさを感じさせる物語となっているのは、やはり貴族探偵である晴明とは異なる道満ならではの味わいでしょうか。
 物語の中心となる桃についても、その正体はなんとなく想像できたものの、そこからあの物語に繋がっていくのまでは完全に想像の範囲外で、これは嬉しい驚きでありました。

 また、晴明と博雅を主役にした、普段通りの物語の中でも「安達原」は、意外な結末が印象に残る一編。
 晴明邸に飛び込んできた依頼人の語る内容は、サブタイトルそのままの、安達原の鬼婆伝説ほとんどそのままの内容で、ちょっと鼻白んでしまったのですが…結末で明かされる意外な真相が面白い。

 古典にある要素を付け加えることで全く別の風景を描き出すのは、同じ「陰陽師」シリーズでも「新山月記」がありましたが、本作もその系譜にある作品というべきでしょうか。
(冷静に考えれば同じ伝説を題材にして「黒塚」を著した作者だけに、全く原典と同じ物語となるわけもないですね)

 もう一編印象に残った作品を挙げれば、男女の情という点では「安達原」と共通しつつも、あくまでも傍観者である晴明の立場をより鮮明に描き出したものとして、「蛇の道行」があります。

 少々内容をばらしてしまうことになりますが、本作の結末で描かれるのは、珍しく事件をいかに解決すべきか(どのような結末が正しいのか)悩める晴明の姿。
 以前の、これに近い結末の物語においては、より厳然たる姿を見せていたことを思えば、今回の晴明の迷いは意外に見えるかもしれませんが、しかし私としてはむしろ、人間くささの固まりのような友人との交流を通じて生じた、好ましい変化のように感じられるのです。


 ――と、あれこれ言いつつも、やはり語るべきことは少なくない本作。少々気が早いかもしれませんが、次の集も発売されればすぐに飛びつくつもりなのであります。


「陰陽師 蒼猴ノ巻」(夢枕獏 文藝春秋) Amazon
陰陽師 蒼猴ノ巻


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2014.01.15

「グレイトフルデッド」 霊幻道士、混沌の上海を駆ける

 清朝末期の上海の娼館・壺中天の娼婦・コリンには、もう一つの顔があった。それは上海の闇で蠢く生きる屍、キョンシーを討つ霊幻道士――娼館の主にしてかつては凄腕の霊幻道士の老人・リンチュウを従え、次々とキョンシーを倒していくコリンだが、うち続くキョンシーの跳梁の背後には邪悪な陰謀が…

 「ノブナガン」のアニメ化効果ということでしょうか、久正人のデビュー作にして中華アクション伝奇活劇「グレイトフルデッド」が復刊されました。
 アマゾンなどではプレ値がついていただけに、復刊だけでも嬉しいのですが、エピローグを書き下ろしで収録と、まさに完結編と言うべき内容で、欣快至極であります。

 さて、本作で描かれるのは、清朝末期の上海を舞台とした霊幻道士とキョンシーの戦い――と言えば、私と同世代の人間にとっては、懐かしいと感じるでしょうか、アナクロと感じるでしょうか。
 正直に申し上げれば、私は、最初は後者の印象でありました。今頃「霊幻道士」、それも本来は造語に過ぎないものが作中に実際にその言葉がでてくるとは…と。

 しかしそれはもちろんつまらないことに拘って本質を見落とす中途半端なマニアの悪癖以外の何ものでもありませんでした。本作は、そんな表面的なものとは無関係に、斬新かつ独創的な道教伝奇ホラーとして成立しているのですから。

 何よりも、主人公たるコリンの設定が凄まじい。いざキョンシーを前にすれば、凄腕の霊幻道士として不敵なまでの態度を見せながらも、普段の顔はどちらかといえば気弱な娼婦――二重人格ヒーロー自体は珍しくありませんが、道士と娼婦という振れ幅の大きさが凄まじい。
 それも、彼女が娼婦であるのは、人間離れした能力を持つキョンシーと互角以上に戦うためのいわばエネルギー源として「精をつけるため」という理屈がついているのには恐れ入ります。

 本作は、この設定に見られるように、どぎつい描写も――残酷描写も含めて――少なくありません。しかしそれが悪趣味でなく、どこかポップな味わいすら感じさせるのは、これは当時から変わらぬ、光と影の強烈なコントラストを中心とした作者の絵柄によるものであることは言うまでもないでしょう。

 そして何よりも本作の見事なは、キョンシー退治のエピソードを積み重ねつつも、そこに清朝末期を舞台とする必然性に足る、巨大な伝奇ものを成立させてみせた点でありましょう。
 終盤には私好みのとんでもない「大物」までも登場、いやはや、霊幻道士の仕事の枠を大きく飛び越えつつ――それでもなおキョンシー退治とぬけぬけと言い張るのが楽しい――ド派手に着地してみせた、愛すべき作品であります。


 ちなみに本作、コリンの師であるリンチュウ(霊幻道士であるだけでなく、とんでもない伝奇的系譜を持つ人物なのにまた仰天)、そのライバルがオウリン、彼らが修行したのが二仙山と、水滸伝ファンはニヤリとできる趣向があるのもまた嬉しいところであります。
(そしてもう一人、これまた意外な人物にもそのネタが用意されていたりして…)


「グレイトフルデッド」(講談社シリウスコミックス 全2巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon
グレイトフルデッド(上) (シリウスコミックス)グレイトフルデッド(下) (シリウスコミックス)

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2014.01.14

「血の扇 御広敷用人大奥記録」 陰の主役、伊賀者たちの姿に

 勘定吟味役から御広敷用人へ、まだまだ続く水城聡四郎の苦闘。「御広敷用人大奥記録」シリーズも、はや第5巻であります。吉宗の大奥改革に端を発した暗闘は各地に火をつけ、聡四郎のいつ終わるともしれない戦いも、一つの佳境にさしかかったと感じます。

 大奥に大鉈を振るった吉宗に対し、陰から掣肘を加えようとする大奥の住人たち。その矛先が真っ先に向かうのは、吉宗の思い人である竹姫であります。
 敵の策謀により代参に向かうことになった竹姫を、刺客が待ち受ける…という場面で前作は終わりましたが、ということは本作は初めからクライマックス。

 周到に待ち受ける敵の罠を、聡四郎が、彼の用人にして弟弟子の玄馬が、さらには妻の紅が(!)いかにはねのけるのか、冒頭からなかなかの盛り上がりであります。

 しかしもちろん、これはまだまだ序の口であります。
 これまで逆恨み同然に聡四郎に敵対して次々と刺客を送り、竹姫襲撃にも加わった御広敷伊賀者たちも尻に火がついた状態。吉宗の見事な策で追いつめられた彼らは、最後の賭けに出るのですが…

 と、私は以前より感じてきたのですが、本シリーズの――少なくともここまでの物語においては――陰の主役は、彼ら御広敷伊賀者たちでありますまいか。
 御広敷――大奥の入り口を守る彼らは、言うまでもなく戦国時代に活躍した伊賀忍びの末裔。しかし今の役目は大奥の見張り番であり、そして彼らの矜持をわずかに支えてきた遠国御用も、吉宗の御庭番によって奪われた状態であります。

 本作に限らず、上田作品においてはいわば戦闘員的な扱いの伊賀者。権力者の言いなりになるだけの走狗には厳しい上田作品だけに、敵役とはいえ彼らの扱いには時に同情したくもなるのですが――
 本シリーズは、特に本作は、そんな伊賀者の姿を掘り下げ、彼らもまた、血の通った人間であることを描き出します。

 聡四郎と敵対したことが藪蛇となり、存亡の危機にまで追いつめられた御広敷伊賀者。その行為自体は愚かであるかもしれませんが、しかし、彼らもまた、先祖から受け継いだ者を何とか守り、そしてそれを子孫に残そうとする者たちであることは間違いありますまい。
 そう、上田作品の大きなテーマである「継承」を、彼らもまた――主にネガティブな形で――体現しているのであります。

 そんな彼らの生きる望みが奪われんとした時、そしてそれが既に失われた時、人は如何に想い、行動するのか。それを示す本作の後半に登場するある伊賀者たちの行動は、彼らもまた、我々と変わらぬ存在であると教えてくれるのであります。

 もちろん、それは伊賀者たちだけの問題ではありません。聡四郎も、紅も、玄馬も、彼らの師も…みなそれぞれに抱える、この世を如何に生きるかという問題。それは言い換えれば、この世を動かす政治と如何に向き合い、身を処すかということであり――優れて現代的な問題なのです。

 そしてそれが、作者がこれだけの支持を集める理由の一つであるというのは、あながち穿った見方ではありますまい。


 …と言いつつも、これまで少々不満であったのは、本シリーズがいささか(伝奇的な意味で)地味であった点であります。
 もちろん、時代背景的に派手な仕掛けをしにくいことでもあり、その辺りは仕方がないかとは思っていたのですが…

 しかし本作において、とんでもない爆弾が投下されることとなります。
 より正確には、爆弾となるかもしれないものの存在が示された、というレベルではありますが、しかし――冷静に考えれば題材的には決して珍しいものではないものの――相当に衝撃的であります。

 この爆弾が、物語を、聡四郎の運命を大きく振り回していくことになるのではないか…そんな予感に震えた次第です。


「血の扇  御広敷用人大奥記録」(上田秀人 光文社文庫) Amazon
血の扇: 御広敷用人 大奥記録(五) (光文社時代小説文庫)


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 「熾火 勘定吟味役異聞」 燻り続ける陰謀の炎
 「秋霜の撃 勘定吟味役異聞」 貫く正義の意志
 「相剋の渦 勘定吟味役異聞」 権力の魔が呼ぶ黒い渦
 「地の業火 勘定吟味役異聞」 陰謀の中に浮かび上がる大秘事
 「暁光の断 勘定吟味役異聞」 相変わらずの四面楚歌
 「遺恨の譜 勘定吟味役異聞」 巨魁、最後の毒
 「流転の果て 勘定吟味役異聞」 勘定吟味役、最後の戦い

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2014.01.13

「戦国武将列伝」2014年2月号 自衛隊と鬼と、二つの新連載

 個人的に今一番楽しみにしている雑誌である「戦国武将列伝」の最新号は、森秀樹の「戦国自衛隊」と楠桂の「鬼切丸伝」が連載開始。どちらも楽しみな作品であります。というわけで、今回も気になる作品を取り上げていきましょう。

「戦国自衛隊」(森秀樹)
 「半村良生誕80年記念」という冷静に考えればちょっと謎の企画として始まった本作(それであれば「産霊山秘録」でもいいのでは…よくないですね)は、今さら言うまでもない原作者の代表作の漫画化。いきなり土中に埋まった手が動き出すというショッキングなビジュアルに驚かされますが…

 これまで幾度も漫画化・映像化された原作ですが、今回の主人公は原作同様、伊庭三尉。しかし物語の方は、「七人の侍」よろしく(作中にもそれをほのめかす台詞があるのが楽しい)、農民たちを助けて野武士たちと戦うことになります。

 本作の舞台は天正10年(これが西暦何年になるか、歴史に詳しい隊員がいないのでわからないという厭なリアリティ)とのことですが、この年に何があったか、そしてそれが原作でいかなる意味を持ったか、わかる人にはわかるはず。
 早くも原作とは異なる歴史を歩み始めたかに感じられる本作の行き着く先が気になります。


「政宗様と景綱くん」(重野なおき)
 前回のラストで、景綱が政宗の命でその片目を抉ったことの波紋が描かれる今回。
 可愛らしい絵柄にも関わらず、なかなかエグいシチュエーションですが、それを時に正面から、時にギャグに紛らわせて描きつつ、きちんとイイ話にしてみせるのは、さすがと言うべきでしょう。

 少しずつ伊達家の面々も登場して、まったく問題なく楽しめる作品ではありますが、唯一最大の問題は、この分量で次回は二ヶ月先という点でしょうか…


「鬼切丸伝」(楠桂)
 以前の読み切りに続き、今回から連載スタートとなった本作は、作者の代表作「鬼切丸」の時代劇バージョン。
 冒頭から「その昔、日ノ本は人も妖怪も物の怪も神も共存していた。ただ、鬼だけが 鬼だけは 鬼どもは 残虐非道の、存在であった。」と印象的なナレーションが入り、本作における鬼の位置づけが早くも焼き付けられます。

 今回は、信長の比叡山焼き討ちを舞台に、信長を襲った鬼たち(あれ、このキャラ数ページ前に…と思ったらそれが勘違いではなかった、という描写が面白い)と鬼切丸の対決という物語。
 展開的にはあっさりめですが、容赦ない描写は健在で、鬼の存在と、それを斬る者の存在を描いた導入部として楽しました。

 この先、信長を中心に物語を展開していくのか、はたまた様々な時と場所に移ろっていくのか…どちらであってもこの先も期待できそうです。


 その他、荻野真「孔雀王 戦国転生」は、墨俣攻めを背景に、実は式神であった帰蝶を操る斎藤道三に迫ることに。
 道三といえば美濃の蝮、その道三が、実は本当に蝮のように脱皮を繰り返して生き続けていたという設定付けはなかなかにうまい。
 蛇といえば孔雀の宿敵、天蛇王を思い出してしまいますが…(懐かしい)

 一方、長谷川哲也「セキガハラ」は、三成を追いつめた加藤清正と黒田長政の前に、家康が、そして新キャラの宇喜多秀家と大谷刑部が立ちふさがるという展開。
 …が、シチュエーション的には面白いのにちょっと盛り上がらないのは、各キャラの能力が、その人物の人となり、逸話にあまり結びついていないからではありますまいか(確かに清正の虎は見事ですし、刑部の包帯は…ううん、どうかしら)。

 最後に山口貴由「魔剣豪画劇」、今回登場する剣豪は、なんと桃太郎。
 以前桃太郎を題材にしたこともある作者ではありますし、その生々しい画で浮かび上がる桃太郎の邪悪な姿もさすがと言うべきですが、やはりこの企画に登場すると違和感は否めないかな…とは感じます。

 しかしある意味実に作者らしい予定調和を拒否したような展開ではあり、この先何が飛び出してくるかいよいよわからなくなってまったのは、これはこれで心憎い仕掛けでありましょうか。


「戦国武将列伝」2014年2月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2014年 02月号 [雑誌]


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2014.01.12

「大江戸恐龍伝」第2巻 龍と金、とけゆく謎の先

 全5巻で現在も刊行中の夢枕獏の大作「大江戸恐龍伝」の第2巻は、ほとんど江戸を舞台としつつも、どんどん物語は広がり、いよいよ物語を覆う謎の霧も少しずつ晴れていくことになります。

 大坂で、かつて竜宮から持ち帰られたという龍の掌の化石と謎めいた絵文字、そしてキンナブ(金鉱石)の存在を目の当たりとした平賀源内。
 鉱山の発掘やエレキテルの復元等に惜しみなく己のあふれ出る才を注ぎつつも、ままならぬ浮き世のあれやこれやに流されていた源内は、化石などとともに存在しながらも、何者かに奪われたという絵文字の書き付けを入手し、その解読に挑むこととなります。

 一方、商館長に従って江戸に現れたオランダ人ツンベルクも、そのキンナブにまつわる何ごとかを知っている様子。
 さらに行人坂の大火の背後で暗躍していた盗賊・火鼠一味も奇怪な動きを見せ、龍と金を巡る事件は、予想を超えた動きを見せ始めるのですが――


 冒頭で述べたとおり、ほとんど江戸から動くことなく展開していく第2巻の物語。そこで描かれるのも、基本的に史実における平賀源内の動きを忠実に追っていったものとなります。
 …が、もちろん本作はそれだけで終わるわけではありません。史実の合間に次々と虚構を織り交ぜ、徐々にその虚構の度合いが強まっていく――言うまでもなく本作におけるそれは龍と金にまつわる数々の出来事でありますが、巨大な謎として第1巻で提示されたそれが、次第にその姿を明らかにしていく様は、やはり心躍るものがあります。

 特に今回印象に残ったのは、かつて竜宮に行って帰ってきたという男の手記にまつわる謎解きであります。
 奇怪な絵文字で構成されたその手記の解読の件は、有り体に言ってしまえばポーの「黄金虫」なのですが、しかし本作でその趣向が取り入れられているというのは、全く予想していなかっただけに嬉しい驚きです。

 そして解読されたその内容たるや…こちらも定番の題材ではあるのですが、やはりこの物語で描かれると意外な取り合わせにドキリとさせられるようなもの(そして、夢枕作品お馴染みの長大な過去話に突入か、と思いきや、今回は序章のみというのが心憎い)。


 果たしてこの展開が、どのように龍の物語と結びつくのか…と思いきや、後半で登場するある人物により、全てが――特に、物語全体の冒頭で描かれた、生きた龍の存在に――繋がっていくことになります。
 源内もついに龍と金を――そしてそれが眠るという南海浄土・ネリヤカナヤへ向かうこととなり、まだ巻数でいえば半分も行かぬうちに大きな展開を見せる本作。

 これまで実の中の虚であったものが、おそらくは虚の中の実へと逆転していくであろう中、いよいよ全貌が現すであろう物語で何が描かれるのか。最終巻までの目次を見れば、否が応でも期待は高まるのであります。


「大江戸恐龍伝」第2巻(夢枕獏 小学館) Amazon
大江戸恐龍伝 第二巻


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2014.01.11

「明治骨董奇譚 ゆめじい」第2巻 ちょいワルでちょっとイイ話から…

 明治の京都を舞台に、骨董品店の老店主、人呼んで「ゆめじい」が出会う不思議な事件の数々を描く「明治骨董奇譚 ゆめじい」の第2巻が昨年末発売されました。第1巻から相当時間が空いた感がありますが、待望の続巻です。

 本作の主人公・ゆめじいは、骨董品にかけては京都一と言われる目利きであり、警察もやくざも一目置く人物であります。そんな彼の評判を支えるのは、彼の持つ不思議な力――物に宿った念を感じる力。彼の店に持ち込まれた曰く因縁のある品物を巡り、ゆめじいは不思議な事件の数々に出くわすこととなります。

 そんなわけで今回も次々と事件に巻き込まれるゆめじい、中国人街で次々と娘が惨殺される事件や、政府の高官を狙った狙撃事件など、一見骨董品と関連のなさそうな事件が登場するのですが、しかしこれらに共通するのは、いずれも誰かの強い念が籠もった品物が、事件の中心に存在すること。
 かくてゆめじいはその能力を活かして、事件の陰に存在する人の想いを読み解くことによって謎を解いていくことになるのであります。

 …と――超自然要素のあるなしはともかく――こうした人の心の籠もった品を巡る(広義の)謎解きというのは、いわゆる骨董品もの、職人ものの定番パターンではあります。
 そんな中で本作が独自性を持つのは、「イイ話」を描きつつも、その品物の謎を解くゆめじいが、まごうことなき「悪党」である点でしょう。
 骨董屋は慈善事業じゃないと言わんばかりに、隙あれば金や品物をいただき、あるいは(ある程度同情すべき事情はあるにせよ)事件の犯人を見逃してそのあがりをかすめ取る…そんなゆめじいのダーティーな生臭さと、作者の絵柄や物語そのものから感じられる暖かみがいい意味で打ち消しあっているのがなかなか楽しいのであります。


 さて、そんなゆめじいの稼業も、この巻の後半では少々様相を変えていくこととなります。

 後半で描かれるのは、裕福で社会的地位のある華族でありながら、陰惨な殺人も辞さない青年、そして彼に利用される強力な霊能少年が登場、ゆめじいと対等以上の力を以て挑んでくるという展開。
 そしてその対決は、前の巻で登場したある女性の運命も絡んでスケールアップしていくこととなります。
(この巻の冒頭のエピソードは、最初に読んだときは何故前の巻に入れなかったのか不思議に思いましたが、後半まで読んで構成に納得)

 この辺り、ある意味無敵の第三者であったゆめじいが挑戦を受け、苦戦するという点でなかなか面白いのですが、ゆめじいのちょいワルでちょっとイイ話を楽しんでいた身からすると、いささか戸惑ってしまったのは事実。
 特にこの巻のラストのエピソードは、本作としては異例のスケールの大きさで、実のところ違和感の方が大きかったのですが…


 どうやらこの路線はまだこの先も続く様子ですが、果たしてこの先物語がどこに向かい、どこに落ち着くのか…不安と期待が入り交じっているというのが、今の正直な気持ちであります。


「明治骨董奇譚 ゆめじい」第2巻(やまあき道屯 小学館ビッグコミックス〔スペシャル〕) Amazon
明治骨董奇譚 ゆめじい 2 (ビッグコミックススペシャル)


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2014.01.10

「天王船」(その二) 真の結末と秘められた始まりと

 宇月原晴明の「黎明に叛くもの」の外伝集「天王船」に収録された四編の紹介の後半であります。残る二編は、ある意味前半二作以上に奇怪かつ魅力的な作品。作者の奇想を存分に味わえる名品です。

「神器導く」
 備中で対峙しつつも、陰で不思議な交流を結ぶ小早川隆景と秀吉。そんな中、光秀から届けられたものを前に隆景が下した決断は。

 三番目の物語は、本伝が終了した後の物語、久秀も信長も炎の中に消えた後に残された者たちの物語であります。
 本能寺の変に際しての、秀吉のいわゆる中国大返しは、間違いなく後の歴史を変えたと言えますが、それがあまりに劇的であるがゆえに、かえって陰を感じさせるのも事実。

 題材となっているで描かれる隆景と秀吉の密約説自体は、さまで珍しいものではないように思いますが、しかしそこに絡むのが、本伝にも登場した神器であり、そしてその神器の力を証明するのが吉備津の釜とくれば、もう完全に作者の世界でありましょう。
 二人の前に現れた神器が本物であることを示すのが、あの「雨月物語」などで描かれた吉備津の釜というのは、痺れるものがあります。

 …が、本作で中心となるのは、むしろそうした神々の世界に背を向けた人間の世界の物語。天下を望むことなく家を守り続けようとした隆景の、あくまでも等身大の人間として悩み、決断し、生きていく姿が、本作においては描かれることとなります。
 そして、そんな隆景であるからこそ、あの奇怪な自動人形の誘いを断ち切ることができたのであり――これをもって、「黎明に叛くもの」の真の結末と見ても良いのではないかと感じた次第です。

 しかし、自動人形の影は、もう一人の男に取り憑き――そして作者の「聚楽 太閤の錬金窟」に繋がったと想像するのは、なかなかに心躍るものではありますまいか。


「波山の街 『東方見聞録』異聞」
 死を目前としたマルコ・ポーロが遺した一通の手紙。そこに記されていたのは、福州市は波山の街に潜む謎の宗派にまつわる、奇怪極まりない物語だった…

 そしてこの短編集の掉尾を飾るのは、本書で最も長い物語であり、本伝が始まる遙か以前の異国の物語――かのマルコ・ポーロが、かつてタタール帝国に仕えていた頃に出会った、東方見聞録にも語られなかった事件。後に久秀と道三が継ぐこととなる暗殺の技、そして久秀の影のように付き従った金髪碧眼の自動人形・果心のルーツが語られる物語であります。

 二度の日本侵攻が失敗した後、帝国内に己の威を示すために南方に向かったフビライ。
 その主への土産話として、福州で波山と呼ばれる宗派に近づき、頑なだった彼らの心を解きほぐしたマルコは、やがて彼らが紛れもなくキリスト教の流れを汲む者たちであると知ります。
 そしてマルコはフビライの御前に彼らを連れていくこととなるのですが…

 そもそも、本伝で語られた暗殺教団の伝説は、東方見聞録の中でマルコが語ったものが後世に広がったもの。それが回り回って、マルコを語り手とした本作に回帰していくのが何ともユニークな趣向ですが、本作で語られるその内容は、まさに作者らしい、作者ならではの奇想の数々。

 マルコが最期の時まで封印してきた物語、古のキリスト教の教えをアジアで受け継ぐ謎の流派、彼らが崇める美しい金髪の磔刑像――謎と神秘と妖美に満ちた物語の構成要素に酔わされたと思えば、最後に待ち受けるのは壮絶きわまりない大殺陣…
 この辺りの緩急は「聚楽」でも見られた作者一流のエンターテイメントのさじ加減かと思いますが、幻想味だけでは終わらないのが、何とも嬉しく感じるところです(マルコを主と崇める謎の老人がまた実に良いキャラで…)

 そして結末において、マルコはこれでも知っていることの半分も語ってはいない、という言葉を残すのですが――それが真実であることは、作者の次の長編である「安徳天王漂海記」が示したとおりであります。


 以上四編、「黎明に叛くもの」の外伝でありつつも、それぞれが独自の世界を描き出し、そしてその先に作者の他の作品の存在を垣間見せる、まことに心憎い作品揃い。
 あるいは本書を以て宇月原伝奇の世界に足を踏み入れるのも、悪くない選択であるかと思います。


「天王船」(宇月原晴明 中公文庫) Amazon
天王船 (中公文庫)

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2014.01.09

「天王船」(その一) こぼれ落ちた奇想の数々

 宇月原晴明の「黎明に叛くもの」は、比較的ユニークな経緯を辿った作品であるように思います。まず単行本で出版→四分冊の上、各巻に書き下ろし短編を収録してノベルス化→再び一冊となって文庫化、書き下ろし短編は別途一冊にまとめて文庫化 と。本書はその短編四編を収録した文庫版であります。

 「黎明に叛くもの」は、以前にもこのブログや「いま本当におもしろい時代小説ベスト100」でも取り上げておりますが、この短編の方は、まだきちんと取り上げていなかったやに思います。

 本伝の方は、松永久秀を主人公に、彼と斎藤道三が実は日本にその系譜を繋いでいた暗殺教団ニザリ・イスマイリの技を継ぐ暗殺術/妖術使いであった…という奇想天外な設定から、奇怪な戦国絵巻が綴られる長編であります。
 一方、その外伝たるこの書き下ろし四編は、それぞれ異なる時代と場所を舞台として本編を補完しつつも、同時に作者の他の作品とも微妙なリンクを見せるという、いかにも作者らしい奇想に満ちた作品集であります。

 以下、四編を一つずつ取り上げていくとしましょう。


「隠岐黒」
 とある武将のもとに、衆道の相手として侍ることとなった傀儡師の美童。黒水晶や木の棒のみを手にした美童の真の顔は…

 本書の中では一番「黎明に叛くもの」本編に近い、一種プロローグとも言える作品であります。
 上で触れたように、ペルシアの暗殺教団の技を受け継ぎ、暗殺者として働いていた幼い日の久秀――久七郎の、単独での初仕事を描いた作品であります。

 異様なまでに暗殺を恐れ、家臣に武器も持たせぬ相手の命をいかに奪うか、ほとんど徒手空拳の状態からやり遂げてみせる久七郎の技もユニークですが、注目すべきは、その後に描かれる、久七郎とあるモノの出会い。
 本編で、そしてこの短編集でも大きな意味を持つあの蠱惑的な存在は、戦国の蠍がその一歩を踏み出した時から共にあったのだと思えば、なにやら感慨深くすら感じられます。

 ちなみに兄弟子たる道三――庄五郎も顔を見せますが、二人のいちゃつきぶりが微笑ましくも、その後の展開を考えればいささか切なくもあります。


「天王船」
 道三が惚れ込んだ織田信長を一目見ようと津島天王祭に向かった久秀。天王川に浮かぶ巻藁船の上で対峙する久秀と信長だが…

 時代は流れて、既に下克上を成し遂げた久秀の姿が描かれる本作。本伝の冒頭で、それぞれこの国の西と東を奪い取り、都に攻め上ろうと誓いあった久秀と道三ですが、その後の道三が美濃を奪ったものの、信長にある意味それを譲り渡すような形で消えていったのは史実が示す通りであります。

 本作はそれよりも少々前の時代でありますが、自らの兄のような存在であり、そして最大の好敵手であった道三が、他の男に入れ込むというのは久秀にとって面白いはずはない。
 かくて、久秀は大胆にも尾張に乗り込み、いまだうつけと呼ばれていたその男――信長と対面することになります。

 もちろん、対面がただで済むはずもなく、それは刀を取っての命がけのものとなるのですが…その舞台が、絢爛たる輝きを放つ天王船――牛頭天王を祀る天王祭の最中、天王川を行く船上というのが、いかにも久秀らしい趣向というほかありません。

 分量的には本書の中で最も少ない作品ではありますが、明けの明星と沖天の太陽と、その最初の出会いを強く印象付ける作品です。

 そして本作における信長が、己の美しすぎる顔を隠すために面をつけたという伝説を持つ蘭陵王の面をつけて登場する辺りも含めて、作者の奇作「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」を想起させるのであります。


 残り二編、次回に続きます。


「天王船」(宇月原晴明 中公文庫) Amazon
天王船 (中公文庫)

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2014.01.08

「新笑傲江湖」第7話 ようやく弟子入りした人と遊郭ドタバタ騒動

 久々の紹介となります「新笑傲江湖」、第7話の今回も相変わらず原作通りのようなそうでもないような展開。東方不敗がいる時点でもう原作と異なるわけですが…それでもようやく林平之が華山派に弟子入りすることになります。

 衡山派の劉正風引退式に出席するために集まった正派の総帥たち…ですがその話題は、令狐冲の悪評。本人が死にかけ&行方不明になっている間に、田伯光と一緒に儀琳を拐かし、青城派の弟子を殺害した(これはまあ正しい)ということになっております。
 このままでは欠席裁判で詰め腹を切らされることに、というところに帰ってきたのは件の儀琳、彼女の証言でようやく令狐冲への嫌疑は晴れるのですが…いきなり令狐冲が死んだと言いだし、では死体はと言われたらいつの間にか消えましたと、彼女の発言も大概であります。
(ただまあ、自分は助けられたのに令狐冲が田伯光の一味と明確に嘘をつき、それがばれた後も平然としていた天門道長は人間のクズってはっきりわかんだね)

 と、そこで盗み聞きしていた林平之が見つかってしまい、追いかけた余滄海と木高峰が激突。さらにそこに無数の蜂が入り込み、一同がそれを追い払ううちに、飛び込んできた東方不敗が儀琳をさらっていきます。そしてその後を蝙蝠に追わせる余滄海…こんな技があったとは、いかにも悪人らしくてよろしい。

 さて、その令狐冲は前回描かれたとおり曲洋に救われ、遊郭で(令狐冲を助け、曲洋の力を削ごうとする)東方不敗の命を受けた曲洋に気を吹き込まれておりました。
 ここで曲洋が内力を削って自分に吹き込んでいること、彼が友人のことを心配してることを知った令狐冲は、死にかけの自分のことは構わずに友人のところへ行ってくれと何の躊躇いもなく言い放ちます。
 なるほど、これぞ好漢! と思ってみていたら、その思いは曲洋も同じだったか、高笑いして令狐冲を大いに気に入った様子です。

 そこに曲洋と入れ替わりにやってきたのは儀琳を連れた東方不敗。妓楼の寝台に男が寝ているだけで相手も見ずに顔を伏せるほど無駄におぼこい儀琳が何の役に立つのか…と思いきや、恒山派には秘薬があったのでした。
 と、そこに蝙蝠を追いかけて来たのは余滄海ら正派の面々。顔を合わすと面倒だと逃げる令狐冲たちがよその部屋で出会ったのは、店で遊んでいた田伯光…このドラマ版の田伯光は、色魔というよりアホみたいな女好きで、なかなか面白いキャラであります。

 その田伯光に 武林の連中の足止めを頼んだところ、彼が足止めしたのは恒山派の定逸師太のみというのが、ある意味彼らしいというか…結局、東方不敗と儀琳を庇った令狐冲は余滄海と弟子に見つかってしまうのでした。
 ネチネチ嫌みを言ってくる余滄海ですが、口では令狐冲に勝てるわけがない。カッときて襲いかかってきたところに割って入った…というか割って入らせたのは林平之。なんだかわからないまでも余滄海が狙っているならスゴイものなのだろうと辟邪剣譜を狙うことにした木高峰と余滄海の戦いがここで始まるのですが…(しかし散々狙っておきながら平之の顔を余滄海が知らなかったのは面白い。知らないと言えば、原作と異なり、木高峰は辟邪剣譜の存在を知らなかったのもちょっと面白い)

 ここで掌と掌の激突の間に挟まってしまった平之。二つの気がぶつかる間にいてはとても助からないところですが、余滄海はもちろんのこと、木高峰も引こうとはしません。幸い岳不群が割って入ったおかげで助かった平之は、木高峰に不信を抱き、岳不群に弟子入りを直訴して認められるのでした。
 実は私は林平之の何がいけなかったのか、「笑傲江湖」に触れるたびに思うのですが、要するにこの人は短慮ですぐ周囲が見えなくなってしまうのがいけなかったのだろうなあ…と、この辺りのシーンを見て改めて感じた次第です。

 さて、機転を利かせて余滄海の弟子をダウンさせ、遊郭にはつきものの(?)抜け道から脱出した令狐冲・東方不敗・儀琳。何も考えてない儀琳に強烈な薬を飲まされたおかげで意識朦朧の令狐冲を廃屋に担ぎ込んだ東方不敗はどこかに消え、令狐冲と儀琳のみが残されます。
 ここで令狐冲に薬を塗ってあげる儀琳ですが、男の素肌を見たおかげで、自分がケダモノとなった令狐冲に襲われるのではないか…と失礼な妄想(令狐冲の顔が狼になる無駄なCG付き)を始めた、本当にどうでもいいシーンでこの回は終わります。


 いや、今回本当にドタバタしているうちに終わったな…という印象であります。



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2014.01.07

「時代活劇画伝 斬」 「PEACE MAKER鐵」「曇天に笑う」ファン必読の一冊

 昨年末、「時代活劇画伝 斬」というムックが発売されました。連載再開が決定した黒乃奈々絵「PEACE MAKER 鐵」と、アニメ化が決定した唐々煙「曇天に笑う」の新作を中心とした一冊であります。

 「PEACE MAKER鐵」の方は、約3年前に完結した「油小路篇」に続く新章(そしておそらく最終章)である「北上篇」の序章であります。
 史実にあるとおり、敗北を重ね、蝦夷地に敗走していく幕府軍。そこに加わることを望んだ最後の新撰組隊士の一人・田村銀之助は、死神と恐れられる一人の青年と出会うことに――

 言うまでもなく、この青年とは本編の主人公である市村鉄之助。しかしかつて輝いていたその瞳は、今は感情を見せず黒く沈み、平然と戦場で人の命を奪うようになっていました。
 油小路の戦いから蝦夷地敗走の間には、幾つもの戦いがあったことは言うまでもありませんが、この序章はそれの間をいったん飛ばして、ある意味結末を先に見せるという手法。そしてそこに新たな視点として登場するのが、かつての鉄之助を思わせる少年・銀之助というのも心憎い(にしても史実とはいえ出来すぎのネーミングではあります)。

 この間のエピソードはいわゆる鬱展開の連続。その結果が今回登場した鉄之助であるわけですが、正直なところ油小路篇の時点でかなり精神的にキツい展開だっただけに、個人的に戦々恐々としている状態ではあります(しかもインタビュー記事を見る限り、作者は大いにやる気であります)。
 しかしそれだけに、本作でなければ描けない物語が必ずあるはず。作者が逃げないのであれば、もちろんこちらも逃げるわけにはいきますまい。


 一方、「曇天に笑う」の方は、外伝が一挙に二話、さらにミッシングリンクであった本編の三百年前を描く「煉獄に笑う」と、豪華三本立て。

 外伝の方は第一話で本編終了の一年後の登場人物たちの姿が、そして第二話では本編開始十年前、曇三兄弟の長兄・天火と彼の仲間たちの青春が描かれることとなります。
 ある意味ファンサービス的な内容ですが、第一話では原作終盤で消息不明になって(まず大丈夫とはいえ)心配していたあの人物が元気にデレる姿が描かれ、また第二話では設定的にかなり重要と思われながら出番が少なめだった芦屋の存在をフォローしているのが嬉しいところであります。

 そして「煉獄に笑う」の方は、何と石田三成視点で描かれる物語となる模様。島左近や羽柴秀吉なども顔を見せ、かなり正当派の(?)時代伝奇活劇となりそうな印象です。
 本編の方では歴史上の有名人物が岩倉具視くらいしか登場しなかったため、この辺りは最初は少々意外には感じました。
 が、冷静に考えれば物語の舞台は琵琶湖畔。琵琶湖畔に城を持っていたといえば石田三成…というわけで、ここで三成が登場するのはむしろ自然と言うべきでしょうか。

 物語の方はまだまだプロローグというべきか、今回描かれるのは三成が忌み子と周囲から厭われる曇神社の双子と出会う辺りまでなのですが、三成が求めるのが「髑髏鬼灯」なる実にいい雰囲気のアイテムであったり、本編では地域住民のアイドル的存在だった曇神社の人々が正反対の扱いとなっているのも面白い。
 何よりも、ラスト直前の見開きページで、いずれも一癖も二癖もありげなキャラクターたちがシルエットで登場する場面が最高に格好良く(この辺り、非常に舞台劇的)、本編との関係を抜きにしても先が大いに気になる作品であります。


 その他、両作品のコラボギャグあり、それぞれの作品の四コマ&コメディ篇(本編が本編だけに、ピスメの方は相当に切ないのですが)ありと、相当に充実した内容の本書。

 いくつか難を言えば、本書がアニメイトでしか手に入らないこと、両作品の続きがいつから読めるのか(そしてどこで読めるのかも小さくしか)表示していない点はありますが、両作品のファンであれば手にとって損はない…というより必読であるかと思います。


 …ちなみに「煉獄」の曇神社の双子、名前の初出は四コマの方ではありますまいか。

「時代活劇画伝 斬」(マッグガーデン)

関連サイト
 公式サイト

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2014.01.06

「天下一!!」第6巻 そして彼女の覚悟の行き着くところ

 タイムスリップした女子高生が織田信長の小姓に!? とキャッチーながらシリアスな物語を展開してきた「天下一!!」もついに最終巻。元の時代に変えるため…いや愛する人を守るため、本能寺の変を回避するための最後の奮闘が始まります。

 現代から戦国時代にタイムスリップしてしまったヒロイン・武井虎。彼女の前に現れた謎のウサギ男の提示した元の時代に帰るための条件とは、信長を本能寺で生き延びさせること。
 かくて現代に帰るため、いやそれ以前にこの時代で生き延びるために奮闘する中、信長の小姓として頭角を現していく(?)虎ですが、いつしか同僚である森蘭丸とラブラブ、いやそれどころかお腹には子どもまで…

 という風雲急を告げるなか始まった最終巻ですが、もう冒頭から急展開の連続。虎の正体が暴かれてしまうのか、蘭丸との仲はどうなってしまうのか、他のタイムトラベラーの動向は、そして何よりも、本能寺の変は起こるのか…
 これまで積み上げられてきた物語が、一気に動き出す様は壮観の一言であります。

 そしてその中で注目すべきは、彼女が戦う理由の変遷でありましょう。
 はじめは現代に帰るために本能寺の変を回避しようとしてきた虎。そのために信長に近づいた彼女ですが、しかしそれが結果として彼女の心を変えていくこととなります。

 そう、いまや彼女が戦う理由は、現代に帰るためではなく、愛する人を、森蘭丸を生き延びさせること。言うまでもなく史実では信長とともに本能寺の炎の中に消えた蘭丸、彼を生き延びさせ、ともに生きること…もはや現代に帰ることを捨てた彼女の決意は、この巻でこれ以上なく明確に示されることとなります。
 そしてクライマックスで描かれるのは、覚悟を決めた彼女の最後の戦いなのですが…

 しかし、本能寺の変を回避するということは森蘭丸を生かすことであると同時に、彼女が未来に帰る条件でもあります。
 どう転んでも蘭丸とは(そして一歩間違えば彼女自身の命と)悲しい別れにしかならないのでは、とここ数巻はハラハラさせられどおしでありました。

 そして迎えた結末は――もちろんここでは触れませんが、良い意味で開いた口が塞がらない幕切れ。
 こんなのありか!? いやこれもありか…いやこれ以外のオチは考えられないという結末であります。

 色々と矛盾やパラドックスはありますし(あれの正体があの人物、というのは素晴らしいどんでん返しでしたが、冷静に考えると疑問点だらけに…)、何よりもこの先どうするんだろうという気持ちにはなりますが、それも含めてのこの物語。
 虎の破天荒な戦国ライフの先にこの結末があったと思えば、それも大いに納得でしょう。

「まだまだ どんどん行こかァ」という作中の言葉がそのまま当てはまる、素晴らしく解放感のある結末でありました。


「天下一!!」第6巻(碧也ぴんく 新書館WINGS COMICS) Amazon
天下一!! (6) (ウィングス・コミックス)


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2014.01.05

「読楽」2014年1月号 「時代小説ワンダー2014」(その2)

 徳間書店の「読楽」1月号の特集「時代小説ワンダー2014」に掲載された四つの短編の紹介の続きであります。いずれも私好みの作品ですが、今回紹介する武内涼、越水利江子の両作品も実にユニークかつ作者の持ち味が出ていると感じます。

「伊藤若冲、妖草師に遭う」(武内涼)
 妖草師なる聞き慣れない言葉を冠した本作は、いかにも作者らしい植物時代伝奇小説(?)です。

 妖草とは、この世に現れた常世――異界の植物、そして妖草師とは、その妖草を狩る、いや狩る者。そして本作の主人公は花道を継ぐ公家の家に生まれながらも、故あって外に出された青年・庭田重奈雄と、同じく花道の家に生まれ、天眼通の力を持つ京娘・池坊椿であります。

 今回重奈雄と椿が挑むことになるのは、丹波の山村に現れた奇怪なオモダカ――周囲の草を枯らし、そしてそれを刈らんと近づく者の身を焼け爛らせるというまさに妖草。この妖草を近づかずにして、そして周囲にこれ以上の被害を与えることなくいかに滅ぼすか?
 相手が動かぬ草だとしても油断はできない、そんな人と草の戦いの面白さは、デビュー作から一貫して人と自然の関わり、自然の中の人を描いてきた作者ならではでしょう。

 そしてもう一つ本作の趣向は、タイトルにあるとおり、伊藤若冲の登場でしょう。言うまでもなく若冲は綿密な写生を基に、数々の動植物画の名作を残した画家。その若冲が、いかに妖草と、妖草師と関わり合うことになるのか…詳細は触れませんが、それは人と植物の、自然の関係性の一つの象徴とも言うべきものと言えるかもしれません(もっとも、タイトルから受ける印象ほど若冲が目立たないのは少々残念ですが)

 それにしてもこの重奈雄と椿のコンビ、この短編一つで終わるのはあまりにも勿体ない…と思いきや、二月に文庫でお目見えする模様。これは非常に楽しみです。


「うばかわ姫」(越水利江子)
 特集のラストを飾るのは、これまで児童文学で活躍してきた作者の、時代ファンタジー。児童文学といっても「忍剣花百姫伝」のように大人が読んでも、いや大人だからこそわかる面白さのある作品を発表してきた作者だけに、本作も実に個性的かつ魅力的な作品となっております。

 舞台となるのは戦国乱世も収まりつつある頃の琵琶湖。雛にも希なる美貌を持った娘・野朱は、東国の武家の側室となるための旅の途中、野伏せりに襲われて供を皆殺され、自分も追われる身になってしまいます。
 そんな彼女の前に現れた老婆は、野伏せりから彼女を逃すため、姥皮なるものを貸すのですが――ある程度予想はつくかと思いますが、その代償として彼女から奪われたものは若さと美貌。老婆そっくりの姿となってしまった野朱の運命は…

 と、ある種寓意的なものを感じさせる本作ですが、しかしお説教的な内容となるのではなく、また逆に生々しい展開となるわけでもなく、その間をバランスよくくぐり抜け、一種の極限状態下でもなおも生きんとする人間の姿を描いた物語として成立させているのは、これは作者の筆の力によるのは間違いありますまい。

 そしてまた実に魅力的なのは、彼女の前に現れるある怪異――かつて琵琶湖畔に存在した城の主とその従者の存在であります。
 時に彼女を導き、時に翻弄する二人…彼らの存在こそが怪異の源となるという設定は実にユニークであり、本作以降も物語を広げていくことのできる趣向ではないかと感じたところであります。


 というわけで「時代小説ワンダー2014」、どの作品もまさにワンダーに満ちた作品でありましたが、同時にこの先へ先へと物語を繋げていくことができる内容となっていたのが実に興味深いところであります。
 ぜひ今回掲載された作品たちの続編を、そしてさらなる「時代小説ワンダー」を見せていただきたいものです。


「読楽」2014年1月号(徳間書店)

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2014.01.04

「読楽」2014年1月号 「時代小説ワンダー2014」(その1)

 徳間書店の「読楽」誌の1月号の特集は「時代小説ワンダー2014」。仁木英之、天野純希、武内涼、越水利江子による四つの短編から成る特集ですが、これが顔ぶれといい内容といい、実に私好みなのであります。かくて、ここに取り上げる次第です。

 それにしても時代小説ワンダーとは聞き慣れない言葉ですが、これはワンダーに満ちた時代小説、すなわち時代伝奇小説に近しい存在と考えてもよいのでありましょう。
 事実、今回掲載された作品はいずれもファンタジックな、あるいは奇想に満ちたものばかり。以下に一作づつ取り上げていきましょう。


「魔王の子、鬼の娘」(仁木英之)
 偉大な父・信長の後継者となるべく励んできた織田信忠。光秀の裏切りにより二条城の炎に消えた彼が目覚めた時に見たものは…

 2013年は「大坂将星伝」そして「くるすの残光」シリーズ等、時代小説でも活躍した作者が次に描くのは、信長の息子にして父と同時に光秀に討たれた信忠。
 信忠が主人公となる時代小説は絶無ではありませんが、しかし本作は間違いなくその中でも最も奇怪な作品でありましょう。

 というのも、本作で描かれるのは、実は二条城で死ななかった彼が、新たな戦いに踏み出す姿であり…と書くと架空戦記のようですがさにあらず。
 彼が二条城の炎から救い出されて意識を取り戻したのは、彼とは因縁の――彼が妻を迎え、そしてその兄を滅ぼした――信州。そして彼が戦う相手は、人ならぬ存在なのですから…

 何故彼が救い出されたのか、そして何故都から遠く離れた信州なのか…その点ももちろん大いに興趣をそそりますが、しかし本作で注目すべきは、熱に浮かされたような夢とも現ともつかぬ中で目にする、奇怪なヴィジョンの数々でしょう。
 それは彼が新たに生きるべきこの世の影の世界の姿のみならず、彼がこれまで生きてきた人としての生の姿。そしてそこでの彼の選択こそが、彼が人となるか鬼となるか、はたまた魔王となるかの分水嶺なのですから。

 彼が戦うべき相手はすぐに予想がつきますし、結末は「戦いはこれからだ」なのですが、しかしそれだけにその先を――信忠が選んだ道の行方を――見たくもなるのです。


「異聞 巌流島決闘」(天野純希)
 戦国ものを中心としつつも、骨太な歴史絵巻を、あるいはそこで翻弄される青春群像を描いてきた作者の作品は、意外にも軽妙な剣豪もの。
 タイトルを見ればわかるとおり、題材となるのは巌流島の決闘、すなわち武蔵と小次郎の真剣勝負なのですが…

 しかし主人公たる武蔵は、何とも人間くさいおかしみに満ちた人物。長い戦いに倦み疲れて、さりとて仕官のあてもなく…という時に鼻先にぶら下げられた高禄を目当てに、小次郎との決闘に挑む――
 という時点でユニークですが、この武蔵はどうにも格好良くない。臆病風に吹かれ、敵の罠にことごとくひっかかり、女性には振られ…早い話が失敗ばかりなのですが、しかしそんな姿が不思議と不快ではありません。

 思うに武蔵という人物は、フィクションの世界においては求道的な剣聖か、あるいはその正反対の狷介固陋な剣鬼か、両極端に描かれてきた人物。
 それはもちろん、吉川英治の武蔵像が大きすぎるが故の反作用であり、本作の武蔵像も、求道者武蔵のアンチテーゼではありましょう。

 しかしそれがアンチテーゼがともすれば陥りがちな武蔵を貶める方向ではなく、むしろそこから人が生きることの難しさ、切なさを感じさせるのは、これは作者の人に向ける眼差しの優しさからくるものではありますまいか。
(また、コミカルな描写は作者のデビュー作を思い起こさせます)

 その一方で、小次郎を――これまでの作品で描かれてきたのとは全く別の意味で――武蔵と対照的な人物として描いているのも実に面白いところであります。

 巌流島以後、武蔵が腰を落ち着けるまで、なおしばらくの時が必要なわけですが、これはぜひ「それからの武蔵」が見たいと感じた次第です。


 残り二作品は次回取り上げます。


「読楽」2014年1月号(徳間書店)

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2014.01.03

大年表の大年表 更新

 伝奇時代劇年表&データベース「妖異聚成」の一コーナー、古代から戦前までのある年に起きた史実上の出来事と、小説・漫画等伝奇時代劇の中の出来事、人物の生没年をまとめた「大年表の大年表」を更新いたしました。一昨年の7月から、実に一年半ぶりの更新です。
 こちらは山田風太郎先生いうところの「自分用の年表」の変形バージョンと言いますか、史実もフィクションも古今東西一緒くたにして、意外な組み合わせを楽しんでいただければと思います。

 今回の更新で追加したデータ(作品名)は以下の通りです(五十音順)
「安徳天皇漂海記」「いかさま博覧亭」「伊藤博文邸の怪事件」「いまはむかし」「右門捕物帖」「うわん 七つまでは神のうち」「大江戸恐龍伝」「表御番医師診療禄」「海王」「かおばな憑依帖」「嶽神伝 無坂」「黄蝶舞う されこうべ」「義風堂々!! 直江兼続」「砕かれざる者」「幻海」「元禄の雪」「ゴミソの鐵次調伏覚書」「採薬使佐平次」「佐助を討て」「参議暗殺」「聚楽 太閤の錬金窟」「将軍の象」「書楼弔堂 破暁」「真・餓狼伝」「青蛙堂鬼談」「石燕夜行」「早雲の軍配者」「中年宮本武蔵」「妻は、くノ一 蛇之巻」「天海の暗号」「曇天に笑う」「信長の忍び」「百万石の留守居役」「伏 贋作八犬伝」「芳一」「蘭学塾幻幽堂青春記 夢追い月」「煉獄の鬼王」

 また、海外を舞台にした以下の作品も追加しています。
「ヴィクトリアンアンデッド」「邯鄲の誓」「ガンブレイズウエスト」「拳侠黄飛鴻 広東篇」「ジョジョの奇妙な冒険 戦闘潮流」「スウォーズマン 女神伝説の章」「大唐風雲記」「ツングース特命隊」「虎と月」「禿鷹の要塞」「百万のマルコ」「名探偵クマグスの冒険」「モンテ・クリスト伯」「ヨス=トラゴンの仮面」

 その他、明らかにこれは伝奇時代劇とは関係ないだろうというような作品も色々と追加しておりますので、面白がっていただければ幸いです。

 金庸の武侠ものが入れられなかったのは残念ですが、次回の更新時にはなんとか…

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2014.01.02

「桜ほうさら」(ドラマ版) 原作の毒を薄めた正月時代劇

 毎年恒例となっているNHK正月時代劇ですが、今年は宮部みゆき原作の「桜ほうさら」でした。原作については既にこのブログでも取り上げましたが、ドラマ版は原作にアレンジを加え、本筋は同じなれど、印象は少々異なる物語を描いておりました。

 本作の主人公は、父に汚職の罪を着せ、切腹させた犯人を探して江戸にやってきた青年武士・古橋笙之介。本作は、彼が引きこもり気味の美女・和香らの助けを借りて謎に迫る中、徐々に成長していく姿を描いた物語であります。

 このドラマ版で笙之介を演じたのは、玉木宏。正直にいって原作の笙之介からすると少々格好良すぎる&強そうな印象を受けるのですが、終盤の決して格好良くない、しかし真っ正直に真実にぶつかろうとする姿はなかなかよろしかったと思います。
(ちなみに玉木宏は「平清盛」では源義朝を演じていましたが、そちらで弟の為朝を演じていた橋本さとしが、本作では兄役なのが面白い)

 一方、和香役は貫地谷しほりで、こちらは文句なしのキャスティング。顔や体の痣のために人とふれあうのを厭っているという難しい設定のキャラを好演していたと思います。
 ただし、このドラマ版においては和香の出番が少な目に感じられたのが大いに残念。二人の距離感もあっさりと縮まってしまった印象であります。


 さて内容の方ですが、原作では全四話構成だったところを、このドラマ版では第一話、第四話のみをピックアップして映像化したというところ。元々原作の時点で第二話、第三話は本筋との関連は薄めだったので、これはこれで二時間弱のドラマ化にはやむを得ない省略でしょう。

 むしろ原作から大きくアレンジされたのは、笙之介と、戯作者(?)押込御免郎の関係であります。
 笙之介とはある因縁を持つこの御免郎、ドラマでは笙之介と行動を共にし、ある意味人生の先輩的態度を見せるキャラクターなのですが、原作では実は笙之介と直接顔を合わせるのはごくわずか。

 冷静に考えると、御免郎が笙之介に接近するのはちょっと無理があるような気もするのですが、しかしその一方で御免郎の性格を考えると、それもアリと言えるかもしれません。
 何よりも、笙之介と御免郎が、ポジとネガの関係にあったことを原作以上に明確に見せたという点で、このアレンジはかなりうまくいったのではないでしょうか。

 その一方で個人的にはしっくりこなかったアレンジは、古橋家の家庭事情が、原作ほど厳しくないといいますか、比較的普通の一家として描かれていた点であります。
 この辺りは物語の核心に絡んでくるのでなかなか表現が難しいのですが、少なくとも、原作者が本作を語る際に用いた「家族は万能薬ではない」という言葉からは大きく逸れてしまった印象があります。

 この辺りの、家族の(無条件の)一体感という幻想を打ち砕くのが原作者ならではの毒であり、そしてその一方で、本来であれば無関係の個人同士の繋がり――笙之介と和香に代表されるような――に希望を見いだす点に原作者ならではの優しさがあったやに感じているのですが、ドラマ版からは、その点はほとんど感じられなかったように感じます。

 もちろん、正月時代劇にどこまで毒を混ぜるかというのは難しいお話ではあり、単独の作品としてみた場合、本作のアプローチは、これはこれで正しかったかとは思います(ただし、ラストのあの子供の台詞は明確に蛇足だったかと…)。


 原作ものとしてはいささか不満はありますが、正月時代劇としては水準…原作読者としてはそんな印象を受けた次第です。



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2014.01.01

本年もよろしくお願いいたします

 あけましておめでとうございます。
 昨年一年については昨日、一昨日と長々と書かせていただきましたが、色々あったようななかったような…手応えがなかったなどとは間違っても申しませんが、まだまだなにかできたのではないかと考えさせられた一年でした。
 自分が何をしたいのか、自分に何ができるのか、時に原点に戻って考えつつ、前に進んでいきたいと思います。
 まあ、原点というのはただ一つ、少しでも多くの伝奇時代劇を紹介し、伝奇時代劇の楽しさを皆さんと共有することなのですが――
 伝奇時代劇アジテーターとして今年も頑張ります。まずは毎日の更新から…本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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