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2014.01.21

「文庫書き下ろし時代小説」の定義についてあれこれ考えたメモ

 いわゆる「文庫書き下ろし時代小説的な作品」とは何か、というものについて考えてみたいと思います。と、いきなり大上段に振りかぶりましたが、これから述べるのは、きちんとしたデータに基づくものではなく、あれこれ頭を捻っている間に浮かんだイメージを、忘れぬうちにメモしたものであります。

 今では完全に定着し、時代小説シーンで決して無視できぬ存在となった「文庫書き下ろし時代小説」でありますが、その名が示すように、元々は単なる刊行形態を示すものであることは言うまでもありません。そして最近ではその内容も相当に多様化し、私が好んで取り上げるような時代怪異譚で、この形態で刊行されるものも幾つもあります。

 にもかかわらず、「文庫書き下ろし時代小説」(以下、文庫書き下ろしと略します)と言った場合、我々の頭の中には、ある程度共通的なイメージがあるように感じます。
 それは何か――共通的と言いつつ曖昧模糊としたものを掴むために、その中心となるべき主人公のキャラクター…というよりその身分に目を向けてみましょう。

 冒頭で断ったとおり、これはあくまでも私の持っている印象でありますが、文庫書き下ろしの主人公の身分で飛び抜けて多いのは、浪人と町方同心ではありますまいか。

 たとえば書店の文庫書き下ろしが置かれた一角に行って書名を見てみれば、「○○兵衛△△剣」や、「□□同心××帖」というものが――一時期よりは減ったとはいえ――数多く目に付きましょう。
 これはそんな印象に基づくイメージに過ぎませんが――しかしこの両者には、実は二つの共通点があります。

 その一つは、彼らが江戸に(あるいは他の都市に)暮らし、それだけではなく、そこに暮らす庶民の目線に極めて近しい目線を持っていること。
 そしてもう一つは――これは当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが――あくまでも彼らが武士という身分であること。この二つであります。

 まとめて言えば、文庫書き下ろしに多い――言い換えれば、多くの読者に受け入れられ、憧れの対象となっているのは、多くの読者がそうであるであろう庶民の目線を持ち、庶民の味方でありつつも、庶民より少し上の(しかし厳然と離れた)階級の人間なのです。

 そこにいるのは、ただ己の気の赴くままに己が殺人剣を振るい美女を抱く超人的な剣豪ではなく、天下の経世のために小を切り捨てても大を取る辣腕を振るう幕吏ではなく、ただ謎を解く快味に退屈を紛らわせることを求める天才的な探偵ではなく――自分たちと近くてちょっと遠い(ちょっと上の)人間なのです。


 閑話休題、文庫書き下ろしの一般的なイメージとは、彼らのような江戸市井に暮らす武士の(戦う力を持ち、身分も上の)主人公たちが、様々な事件を解決する物語…ということになりましょうか。

 もちろん、繰り返し申し上げているように、これはあくまでも私のイメージをまとめたものであって、穴は数多くあることは認めます(特に、決して少なくない職人・料理人・芸術家といったタイプの主人公がここからは漏れています)。

 とはいえ、たとえばこうして大衆小説の主人公像の最新モデルを見ることでその変遷を考えたり、また時代小説史を考える際に文庫書き下ろしの源流が奈辺にあるか考えたりするヒントにはなるのではないか…と考えています。
 そして何よりも、(身も蓋もない言い方をすれば)、今あるいは少し前まで、どのような作品が売れ筋であったのか、そしてそれは何故かということを考えることができるのではないかと感じます。

 いずれにせよ、折に触れてこのメモは見直してみたいと思います。



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