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2014.01.20

「時砂の王」 歴史を変える重みと罪の先に

 西暦248年、邪馬台国の若き女王・卑弥呼を襲った奇怪な物の怪。彼女を救ったのは、2300年後の未来からやって来た「使いの王」オーヴィルだった。物の怪=地球を襲う謎の機械生命体・ETに対し、時を遡りながら戦い続けてきたオーヴィルは、卑弥呼にETと戦う準備をするように告げるのだが…

 今頃の紹介で恐縮なのですが、3世紀、邪馬台国の卑弥呼の時代を主な舞台とする、時間SFの名品であります。

 まだ若く、窮屈な暮らしに飽き飽きしていた卑弥呼が、宮廷を抜け出して出かけた山中で出会ったのは、生き物とも何とも知れぬ奇怪な物の怪。
 こちらの攻撃が効かぬ相手から必死に逃げる彼女が追いつめられたとき、そこに現れた一人の男が、易々と物の怪を粉砕、彼女は、男こそが代々伝えられてきた「使いの王」であることを知ります。

 その使いの王こそは、26世紀の未来からやってきた人工知性体の一人であるオーヴィル。突如襲撃してきた戦闘機械群「ET」によって地球を滅ぼされ、海王星まで撤退を余儀なくされた人類は、時間を遡って人類を滅ぼさんとするETに対抗するため、オーヴィルらを送り出したのです。
 時間を遡りつつ絶望的な戦いを続けてきた彼は、最終防衛ラインであるこの時代を守り抜くべく、邪馬台国に現れたのですが――


 本作は、この卑弥呼から見た3世紀におけるETと人類の戦いと、オーヴィルが様々な時代で経験してきた戦いを、交互に描いていきます。
 ただ人類を滅ぼすことのみを目的として増殖・進化していく機械生命体との、タイムトラベルを駆使した死闘というと、やはりどうしてもセイバーヘーゲンの「バーサーカー 皆殺し軍団」が浮かんでしまいます。

 しかし本作が決定的に異なるのは、舞台となるのが我々の地球であること以上に、本
本作におけるタイムトラベル観が、時間分枝を伴うものであること――すなわち、一度過去を改変した時点で時の流れは枝分かれし、「かつての」未来そのものが変わるわけではないという点でありましょう。

 …冒頭でSFが好きだと申し上げましたが、実は例外があります。私は時間SF――それも歴史改変を伴うものがどうしても好きになれないのです。
 それは私が、どれほど荒唐無稽に見えようとも、決して厳然な史実を乗り越えることができない伝奇時代劇を愛するからだけではありません。
 それ以上に、ある目的のために歴史を変える行為が、改変される前の過去(それがどれほど苦しいものであったとしても!)に暮らした人々への冒涜であり、さらに言えば彼らの存在を否定することに繋がると――大袈裟に言えばそう感じているからであります。

 その意味では、本作は一見、まさにそんな歴史改変ものであります。オーヴィルたちは人類を生き延びさせるために戦いながらも、まさにその目的故に、ある歴史の人類が滅びることを黙認すらするのですから。
(時間分枝の概念がそれを可能とするわけですが…)

 …しかしオーヴィルは、その「罪」を、その重さを、誰よりもその身で知る者であります。ある歴史を見捨て、そこに生きた人々が死滅するのを見つめながらも、彼は逃げることができない。誰よりもその重みを知りつつも、生き続けて、ETを滅ぼすために戦うこと以外、彼には許されていないのです。

 さらに言えば、彼がかつて愛し、守りたいと願った人が暮らす「かつての未来」、その時間に、彼が戻ることはできません。「いま」を変えるために送り出されながらも、その行為のために無限に分岐した「いま」に、彼は戻ることができないのであります。

 いかにひねくれ者の私とて、それだけの重みを背負ったオーヴィルの、そんな彼の苦しみを分かち合うために立つ卑弥呼の物語を嫌うことができましょうか?


 もちろん瑕疵が皆無とは申しません。冷静に考えると結末ではパラドックスが生じているようにも思いますし、何よりもその結末が美しすぎるお約束であるというのも、頷けるところではあります。

 しかし、オーヴィルが幾多の歴史を犠牲にしながらも守り続けてきた想い、「人」として彼が背負ってきたその想いが確かに受け継がれた先にこの結末があることを思えば、私はまさにこの結末しか本作にはありえないと、そう感じてしまうのであります。


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