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2014.02.14

「義経になった男 1 三人の義経」 義経たちと奥州平泉の精神と

 俘囚と呼ばれ近江に暮らす蝦夷のシレトコロは、三条の橘司信高なる男によって奥羽に連れて行かれる。橘司はある目的のため、源氏の血筋――源義経を奥州に迎えようとしていた。義経の影武者として選ばれ、シレトコロから沙棗と名を変えた彼の目に映った義経は複雑な人格の持ち主だった…

 昨年の大活躍に見られるように、いまや斬新な作品を次々と発表する時代小説家としての地位を固めたと感じられる平谷美樹ですが、その初時代小説が、「義経になった男」です。
 作者の作品の多くに見られるのは、東北から中央を見る眼差し、理想郷としての平泉の存在といった要素ですが、それらは初時代小説の時点で既に存在――というより作品の中心となって――いるのであります。

 さて、その本作の主人公となるのは、タイトルにあるとおり「義経になった男」であり、全4巻の第1巻である本作「三人の義経」にある三人のうちの一人、源義経の影武者であり、蝦夷の生まれである少年・沙棗(シレトコロ)。
 朝廷の異民族対策の一環として近江に強制移住させられた蝦夷=俘囚として、周囲からの蔑みの目と、そしてそれに逆らわない家族の態度に強い反発を抱いていた彼が、大商人・橘司信高と出会ったことから、運命は大きく動き始めることとなります。

 後世に金売り吉次として知られる橘司信高。本作において彼は、藤原氏と奥州鍛冶の血を引き、この国の支配体制を根こそぎ転覆するという巨大な目的のために暗躍する、一種の怪人として描かれます。
 時あたかも平清盛の下、平氏が栄華の絶頂を極めていた頃。橘司は現在の権力者のカウンターとして、源氏の血筋を奥州に引き込み、それを旗印に戦いを始めようとしていたのであります。
 そのためのコマの一つ、義経の影武者として選ばれたのがシレトコロなのですが――

 そして、本作のもう一人の主人公として登場するのが、他ならぬ義経その人。
 世に知られる通り、鞍馬山に預けられた義経は、弁慶ら悪僧を味方につけ、やがて橘司の手引きで平泉を訪れるのですが…彼のキャラクターがまた一筋縄ではいきません。

 武術・体術・知謀に優れた生まれながらの武人でありつつも、戦いに勝つためであれば手段を選ばない冷徹さ、沙棗を蝦夷風情とあからさまに見下す傲慢さを持つ義経。
 しかしその一方で彼は、父を知らず、母に裏切られた過去から肉親の情に飢え、まだ見ぬ兄・頼朝に対して、ほとんど信仰に近い敬慕の念を抱いているのであります。

 沙棗は義経の態度に大いに反感を抱きつつも、その複雑なキャラクターに惹かれ、不思議な主従関係を結んでいくのであります。


 そんな二人の姿(もう一人の影武者が存在するのですが、本作の時点では影が薄いのが残念)を通じて描かれる「義経になった男」という作品は、誰もがよく知る義経の物語を、その外枠はきっちりと維持した上で、しかし完全に新しい物語として再構成する試みと言えるでしょう。
 そしてその舞台――あるいは精神的バックボーン――となるのは、奥州、特に平泉であります。

 奥州藤原氏の下、蝦夷も和人もない、侍も農民もない、当時としては破格の平等さを実現していた平泉。沙棗と義経は、半ば異邦人でありつつも、しかしそこで暮らすうちに、奥州の、平泉の精神性を身につけ、それを通じて物語と向き合っていくこととなります。
(そしてその奥州観が、後の「風の王国」「藪の奥」に繋がっていくことは言うまでもありません)

 もちろん、奥州平泉が単なる理想郷として描かれるわけではありません。
 奥州を戦火に包んでも自分の念願を果たそうとする橘司、義経の存在が奥州に滅びをもたらすことを知りつつも、その平等の精神から彼を受け入れる泰衡――奥州の人々、特に彼ら二人の存在は、奥州もまた、悩める人々の暮らす地であることを象徴しているといえるでしょう。


 そして作中の時間の流れは想像以上に早く流れ、本作のラストで早くも屋島の戦直前といったところ。
 この先に義経を待つものは歴史が証明する通りではありますが――それを沙棗の存在がどのように塗り替えていくのか。続きも近日中に紹介しましょう。

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