「明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者」第5巻 すれ違う近代人の感情と理性
女学校に通うじゃじゃ馬娘・菊乃と、彼女を主君と仰ぐことになったリストラで失業中の忍者・清十郎の二人のおかしな主従関係から明治という時代を浮き彫りにする「明治失業忍法帖」、待望の新刊であります。ようやく前の巻で両思いになったように見えたものの、まだまだ素直になれない二人の関係は…
女学校に通う条件として、婚約を――その実は主従の雇用契約を――清十郎と結ぶことになった菊乃。もちろん婚約はあくまでも方便、偽りの約束のはずが、一筋縄ではいかないひねくれ者の、しかし底が知れない清十郎に、彼女は徐々に惹かれていくことになります。
「進歩的」な自分と、「女の子」としての自分の間でなかなか素直になれなかった菊乃が、ようやく自分の中で気持ちに折り合いをつけ、想いを告げたと思ったら、今度は清十郎の方が、自分に愛される資格があるのかと揺れに揺れることに…と、二人の関係は一新一進一退であります。
これまでも述べてきたように、そんな二人の関係は、ある意味ラブコメの定番パターンではあります。しかし本作が真に優れているのは、そうした関係を単純に明治という舞台背景にはめ込んでいるだけではなく、二人の姿が明治という時代、近代という時代の諸相を示すように、時代背景に落とし込み、一体化させている点でありましょう。
正しいことは正しいと信じたい、自分の想いに正直でありたい。そんな菊乃の姿が、近代人の感情の部分を――
常に合理的な判断を下し、菊乃の姿に冷笑的に接しながらも、彼女の姿にとまどいと魅力を覚える。そんな清十郎の姿が、近代人の理性の部分を――
そうくっきりと分けてしまうのは必ずしも正しくない見方であり、それほど単純に割り切れるものではないのは承知の上ではありますが、二人の関係からは、近代人の、そんな人々が暮らした明治という時代のある断面が見て取れるように感じるのであります。
と、そうした見方を抜きにしても十分に面白い本作。この巻では全部で3つのエピソードが収録されており、どれもそれぞれに趣向がしめされているのですが、特に印象に残ったのは最初のエピソードです。
東京を騒がす連続猟奇殺人事件が縦糸にと、菊乃が街で出会った不幸な少女との交流が横糸に――
一見全く関係ない二つの流れが絡み合い、意外かつやるせない結末へとなだれ込んでいくドラマ造りの妙(不幸な他者へ向けられる善意の難しさ、という重い題材の料理の仕方も巧み)はもちろんのこと、時代ミステリとしても本作は実にうまい。
連続する殺人事件(さらに菊乃も犯人に狙われることに)の被害者に共通点はあるのか――その謎解きはまさにこの時代ならではのものでありますし、犯人の存在を、あるモノを手がかりに清十郎が推理するという展開には、唸らされるばかりであります。
(特に後者など、同時代を扱った作品でもこれまでにない着眼点ではありますまいか)
元々本作はミステリ的趣向が強めの作品ではありましたが、今回は特にその印象が強く、この部分を期待した読者も満足できるものではないかと感じます。
そして。王子山の花見を舞台に異文化コミュニケーションの難しさがコミカルに描かれた2つ目のエピソードに続き、ラストには前の巻に登場した謎の陸軍士官・楡が再び登場。
清十郎の素性を執拗に探り、自らも伊賀の忍術を知る楡と清十郎が、菊乃を間に挟んで頭脳対決を繰り広げるという展開だけでも非常に面白いのですが、その先に、ある意味本作の根幹に関わる謎が浮かび上がるのには、全くもって驚かされました。
その詳細については伏せますが、旧幕府側の武士(の一部)が明治政府でどのように遇されたかを思えば、清十郎の存在にはある種の不自然さがあることは否めません(さらにそれが当時の時代背景、そして楡の行動理由に繋がるのも見事)。
しかしそうだとしたら、何故清十郎はここにこうしているのか――物語の基本設定として看過していたものが、いきなり大きく立ち上がってきたのには痺れるばかりです。
ラブコメとして、明治という時代を生きた人間を描くドラマとして、時代ミステリとして――多くの顔、多くの魅力を持つ物語に、また大いに気になる要素が加わったものであります。
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