「女神の助太刀」 人と神――ギャップの笑いの先に
つい先日ご紹介いたしました「長屋の神さま」の続編であります。神田の裏長屋に住むご府内一頼りない神さま・祥太夫を主人公に、新たなレギュラーも加えていよいよ賑やかな神さまライフ(?)を描く…作品ではあるのですが、冒頭から大変な事態となっております。
奥に小さな祠のあった神田の甚兵衛長屋、その一番奥の部屋に暮らす、白い狩衣姿のはんなりした美青年・祥太夫――いつものほほんと明るく、底抜けにお人好しの彼は、実は京の都の八幡様の末の息子であります。
あまりに暢気すぎて信仰が廃れ、祠が小さくなってしまった彼とお供の犬(実は狛犬)の黒と猫(実は獅子)の寅は、祠を出て長屋の一部屋で暮らしていたのですが――
何とか神威を示して信者を増やそうという彼の奮闘が描かれたのが前作だったのですが、本作の冒頭で語られるのは、何と努力むなしく祠は家主に撤去されてしまったという衝撃の事実。
神も仏もないものか…と思いきや、それを聞きつけた祥太夫の姉で今は駒込の神社の祭神・琴音が乗り出してきたはずが、何だかおかしな方向に話は転がって――というのが表題作「女神の助太刀」であります。
その後も、町で黒が意気投合(?)した小間物屋の男・貫助を巡り、意外な騒動に発展する「祠の男」、甚兵衛長屋に新しく越してきた二人の元女郎にまつわる哀しくも切ない物語「金猫銀猫」の、全三話が本作には収録されています。
本シリーズの魅力は、人情もののフォーマットの中に、頼りない神さまという異物を投入したことから生まれるギャップである…というのは、これは前作から変わらない点ではありますが、しかし本作は本筋から枝葉の小ネタまで、その可笑しさ、面白さが遙かにパワーアップしている印象があります。
設定紹介的な側面もあった前作に比べ、キャラクターやストーリーの描写に、より分量を割くことができるようになったという点はあるでしょう。しかしそれ以上に、作者が作品に前作以上にノってきたのではないかな…と思うほど、本作からは勢いが感じられるのです。
あるいは物語の構造から見れば、第二話から登場する、祥太夫たちの正体を知りつつも対等に接する人間キャラ(しかもちょっとひねくれたツンデレ気味)の登場も、愛されキャラでボケ役の祥太夫へのツッコミ役としていいアクセントになっていると感じます。
そしてまた、前作で少々気になった神通力の使いどころも、本作ではより考えられているやに感じられます。
いかに落第気味とはいえ神さま、その気になれば大抵のことはできてしまう祥太夫。極端なことを言えば、作中の登場人物たちが抱える悩み事そのものを忘れさせることで一応は自体は解決できるかもしれませんが――
しかし祥太夫は、そうした便利な手段を基本的に取ろうとはしません。
人間たちの中で暮らして祥太夫が日々学んでいること。それは人の願いにも様々な形があること、誰かの願いを叶えることが他の誰かを悲しませるかもしれないこと、そして神さまでも解決できない、解決してはいけない悩みがあること――そんな人の情の難しさであり、素晴らしさであります。
それがあるからこそ、本作は面白おかしいだけの作品では終わらないのであります。
人間と神さまのギャップから生じるのは笑いだけではありません。それを乗り越え、互いに理解し合った先に生まれる感動が、本作にはあるのです。
あるいは人間と直に触れ合い、そして神さまとしてはちょっと頼りない分だけ、逆に祥太夫は真に優れた神さまになれるのかもしれない…というのは褒めすぎのような気もしますが、そんな祥太夫同様、本作自体も非常に魅力的なのは間違いありません。
いささか気が早いかもしれませんが、さらなる続編を楽しみにしているところです。
「女神の助太刀」(鈴木晴世 学研M文庫) Amazon
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