「シャーロック・ホームズたちの冒険」(その二) ミステリとして、新解釈として
田中啓文による、歴史上の有名人たちを探偵役に据えた極めてユニークな短編集の紹介、今回は残る三篇を取り上げます。
「名探偵ヒトラー」
実は大のホームズファンだったヒトラー。その彼が大本営で過ごす夜に次々と起こる怪事件。消失したロンギヌスの槍の行方を巡る彼の推理は…
本書の中ではある意味最大の問題作でありましょう。かのアドルフ・ヒトラーが実は自らホームズを気取るほどのホームズファンであるという設定のもと、ワトスン役のマルチン・ボルマンとともに、大本営で起きた怪事件の謎に挑むというのですから…
しかしその意表を突いた設定に留まらず、本作はミステリとして実に面白い。厳重に警戒されているはずの大本営に忽然と現れたユダヤ人囚人、国内に跳梁し大本営にも現れた夜行怪人、そして怪人に奪われたロンギヌスの槍――短い中によくここまで詰め込んだ、といいたくなるような外連味に満ちた事件が、ここでは描かれるのであります。
犯人自体は比較的早く気付けるかもしれませんが、ハウダニットそしてホワイダニットは本作ならではのもの。そしてそれ以上に(そこに密接に結びつくのですが)、ヒトラーとボルマンの二人が体現するナチスの狂気は、この設定だからこそ描けたものでしょう。
一種伝奇的な結末も面白いのですが、何よりもこの胸の悪くなるような――作者の普段のそれとは全く別のベクトルでの――描写が強く印象に残ります。
「八雲が来た理由」
各国を巡り日本の松江に辿り着いた小泉八雲。ろくろ首にのっぺらぼう、耳なし芳一と次々と怪事件に出くわす八雲だが…
小泉八雲が日本に来るまでの半生と、松江で出くわした事件の数々がぎゅっと詰め込まれた作品であります。 作家が探偵役の作品にはしばしば見られる、作家が実際に出くわした事件の内容が、実は後の作品のモチーフになるというスタイルの本作。
ここで登場するのは「ろくろ首」「のっぺらぼう」「耳なし芳一」です。
この中でも特にユニークな最初の事件は、山中で女性の悲鳴を聞いて駆けつけた八雲が、袂に女の生首をぶら下げた男に出くわすという内容。女の体はそこから一間も離れた場所に立っており、男は彼女は実はろくろ首であり、自分は無実だと主張するのですが――
いささか偶然に頼った部分はあるものの、その謎解きは本書ではピカイチの面白さであります。
しかし本作の最大の趣向は、タイトルにある八雲来日の理由の謎解きなのですが…元々連作で構想されていたものを一つの短編にまとめたということで、ちょっと詰め込み気味であまり印象に残らないのが残念。
そしてエピローグは…まあいつものことということで。
「mとd」
ある貴族が持つという秘宝を盗み出そうと予告状を叩きつけたルパン。しかし秘宝は恐るべき大ミミズクに守られ、しかも名探偵ホームズまでもが出馬することに…
本書の掉尾を飾るのは、ある意味ホームズの対極に立つ男、怪盗アルセーヌ・ルパンであります。。久々にルブランの前に現れたルパンが狙う秘宝の守護者は、凶暴な大ミミズク。その弱点を示すという「mとd」という言葉の謎にルパンは挑むこととなります。
…のですが、ここで登場する「弱点」の正体は、正直に申し上げてあまりに無理のありすぎる一方で、伏線が見え見えのため、予想もつきやすいもの。
むしろ本作で注目すべきは、結末で語られる、ある「真実」でありましょう。これもまたあまりに豪快なアイディアではありますが、ルパンという人物の性質を踏まえたものであるとともに、作中でさりげなく示された謎への解答となっているのには感心いたしました。
以上五篇、出来にムラがないわけではありませんが、しかしいずれもミステリとしての面白さとともに、題材となった人物、作品をきっちりと踏まえた上で新解釈を示してみせるという、二重三重の離れ業を行っているのには、敬意を表するしかありません。
個人的には、前回も触れたとおり、意表をついたミステリであるとともに、作品世界の根本的な構造にまで踏み込んでみせた「忠臣蔵の密室」に特に感服した次第です。
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