「ばけもの好む中将 弐 姑獲鳥と牛鬼」 怪異と背中合わせの現実の在り方
今日も「ばけもの好む中将」こと宣能に引きずられて怪異を探しに行く羽目になった宗孝。しかし都の外れで彼らが見つけたのは、曰くありげな赤子だった。やむなく赤子を預かったものの父親は宣能ではないかと疑う宗孝は、宣能の妹の初草の君と共に母親を探し始める。しかしそんな二人に妖しい影が迫る…
コバルト文庫などでコミカルでホラー風味の平安ものを中心に活躍してきた瀬川貴次が久々の一般レーベルで発表した「ばけもの好む中将」の、待望の続編であります。
本シリーズの主人公は、上に十二人の姉がいるというほかはごく普通の下級貴族の青年である右兵衛佐宗孝。そんな彼が、ふとしたことから今をときめく右大臣家の貴公子、左近衛中将宣能と知り合ったことから、彼の受難の日々が始まることとなります。
というのは、宣能は実は「ばけもの好む中将」の異名を持つほどの、大の怪異マニア。怪異の噂を聞けば嬉々として西へ東へ飛んでいく怪人物なのであります。
そんな彼に何故か気に入られてしまった宗孝は、嫌々ながら彼とともに怪異めぐりをする中で奇妙な事件に出くわして…というのが前作のあらすじであり、その構造は本作も変わりません。
異なるのは、前作はほぼ等しい長さの四つの短編から構成されていたのに対し、本作は二つの短編と一つの中編から構成されている点であります。
プロローグであり、設定の紹介編とも言うべき「華麗なる中将たち」に続くのは、恋多き女性だった宗孝の四の姉君のもとに現れる火の玉の怪を描く「憑かれた女」。
そしてこれら二編を受けて展開するのが、本編とも言うべき表題作「姑獲鳥と牛鬼」であります。
泣き石の怪を求めて宣能と出かけた先で曰くありげな赤子を見つけてしまい、一時的に預かることとなった宗孝。頼りの宣能は公務で都を離れてしまい、姉たちからは宗孝自身の子供だと誤解される中、宗孝はこの一件が、自分に子供を押しつけようとした宣能の陰謀ではないかと考え始めます。
赤子の産着に入っていた一首の和歌を手ががりに、文字が色と動きを持って感じられるという宣能の妹・初草とともに母親を――宣能のお相手を――探し始める宗孝。
数々の苦難の末、ようやく見つけた母親は意外な人物。その事実を巡り様々な人物が暗躍し、さらに宗孝たちの周囲には、赤子を狙うという姑獲鳥にも似た何者かの影が…
実は読んでいる最中は、あまりそうは感じないのですが、本作をあえてジャンル付けするとすれば、時代ミステリということになるでしょうか。
言ってみれば、エキセントリックな奇人の宣能がホームズとして、愛すべき一般人である宗孝がワトスン役として展開していく本シリーズですが、しかしそこで彼らが解き明かす謎は、必ずしも事件性のあるものではありません。
彼らが挑むのは、怪異としか思えぬ現象の真偽であり…そしてその背後にある、一種のホワイダニットとも言うべき人の心の謎。
怪異は人の心が生むもの…などといえばいささか味気なく見えてしまいますが、彼らが挑む謎は、怪異と背中合わせの現実の姿でもあるのです。
そんな本作で描かれるのは、探偵役不在の、いや探偵役が犯人かもしれない中で謎と怪異に挑む宗孝の姿。
あちらこちらに散りばめられたギャグにクスリとさせられつつ、その一方でハッとさせられるようなドラマ展開に驚き…作者の他の作品同様、コミカルな部分とシリアスな部分の配置、組み合わせが絶妙で(詳しくは述べられませんが、ここでこう繋がるのか! という部分も含めて)作者の良いように転がされるのですが、しかしそれが実に楽しい。
さらに本作では、クライマックスに意外なスペクタクルが用意されているのもまた、心憎いところであります。
そして、そんな冒険の先に待っているのは、切なくも美しい、一つの人の心のあり方。それは宣能の求めるものではなく――いやむしろそれに背を向けて彼は怪異を求めているのでありますが、しかしそれもまた怪異と背中合わせの現実の在り方と感じられます。
怪異の中に現実を見る…そんな彼らが怪異の中の怪異を見つけることができるのか。その答えがどちらであれ、そして宗孝君には申し訳ないのですが――まだまだ二人の怪異めぐりを見続けたいと願う次第です。
「ばけもの好む中将 弐 姑獲鳥と牛鬼」(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon
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