「鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録」第1巻 芭蕉と曾良、(超)自然と世俗の合間を行く
門人にしてお目付役の河合曽良とともに、東北の歌枕を巡る旅――後にいう「おくのほそ道」の旅に出た松尾芭蕉。しかし彼の目には、この世ならざるものを視る力があった。その目に導かれるように、各地で不思議な事件に出会う二人。しかし二人を待ち受けているのはそれだけではなく…
少女漫画の時代ものは宝物の山だと常々考えているのですが、本作もそんな宝物の一つでしょう。誰もが知る松尾芭蕉と河合曽良の東北紀行――「おくのほそ道」の世界を、ちょっぴり不思議でユニークな世界に移し替えてみせた作品であります。
「おくのほそ道」で描かれるのは、芭蕉と曾良が元禄2年の春から秋にかけての約半年間、江戸から東北、北陸を経て、美濃までの旅。本作のタイトルは、その江戸を発った際に芭蕉が詠んだ句であります。
本作はその旅程を忠実に辿る(と思われる)ものですが、しかし旅の主役たる芭蕉・曾良のコンビの造形がなかなか楽しい。
ちょっと天然気味で常にテンション高め、そして超の付く源氏マニアの芭蕉。師と対照的にクールで突っ込み役兼抑え役、それでいて温泉マニアというおかしな(?)一面を持つ曾良。
そんな師弟のやりとりを見ているだけでも楽しいのですが、しかし二人の設定には、さらに一ひねりが加えられているのです。
その一つが、芭蕉の持つ、この世のものならざるものを視る力であります。神仏や妖怪といった、摩訶不思議な存在――芭蕉の目が青く光る時、そこには彼らの姿が浮かび上がり、そして時に芭蕉を助け、時に芭蕉を迷わせるのであります。
果たして芭蕉のその力は何に由来するものなのか…物語の中でしばしば芭蕉が見る、幾多の人々が命を落としていく戦場の夢。東北でかつて行われたと思しきその戦が、彼の力とどのような関わりを持つのか、気になるところであります。
そんな力を持つ芭蕉が巻き込まれるのは、しかし、そうした超自然的な存在がもたらす事件のみではありません。
むしろ極めて世俗的な面倒事――彼らを幕府の隠密と見做し、警戒する諸藩の動きが、彼らの旅をさらにややこしいものとしていくのであります。
作中でも触れられますが、芭蕉が伊賀の出身であることはよく知られた話。それ故か、彼のおくのほそ道の旅が(そしてその他の旅も)、隠密として各地を探りに行く旅であった…というのは、しばしば用いられる題材であります。
本作はそれを一応は否定するものの、しかし曾良が何やら謎の顔を持つことがほのめかされるのですが…さて。
(超)自然と世俗と、幾重にも入り組んだ芭蕉と曾良の旅。しかし考えてみれば、自然と世俗の両方に身を置き、そこで目に映ったものをわずかな文字の中に詠み込んでいくのが俳諧でありましょう。
その意味では、本作で繰り広げられるユニークな騒動の数々もまた、俳諧の在り方に根ざしたものであり――それ故に、作中で芭蕉が詠む句の数々が、より新鮮に、意味深く感じられるのであります。
この第1巻の段階では、まだ二人の旅は白河の関の辺り、日数でいえばようやく出発から一ヶ月を過ぎたか過ぎないかといったところ。
まだまだ続く二人の旅で何が描かれるのか、そしてそれが我々のよく知る「おくのほそ道」と何が重なり、何が異なるのか――何とも楽しみな旅の始まりであります。
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