「百万石の留守居役 三 新参」 強敵たちと無数の難局のただ中で
出だし絶好調という言葉がこれ以上ないほどしっくりくる「百万石の留守居役」シリーズ第3弾であります。いよいよ主人公・瀬能数馬もタイトルどおり江戸留守居役に任じられ、活躍はこれから…と言いたいところですが、前途多難というも愚かな障害の数々が、彼の前に立ち塞がることとなります。
4代将軍家綱の命が旦夕に迫る中、前田綱紀を第5代将軍に据えようという奇策に出た大老・酒井忠清。辛うじてこの罠を回避したものの、その影響は決して小さいものではありません。
そしてその影響を最も大きく被ったのは、数馬であることは言うまでもありません。その剣と頭の冴えを見込まれ、家老・本多政長の娘婿とされた上、幾多の剣戟に巻き込まれ、果ては異例の若さで江戸留守居役に抜擢されてしまったのですから…
剣戟はともかくその他は一見うらやましい境遇のようにも思えますが――しかしそうそう簡単なものではないのは言うまでもない話。
簡単に言ってしまえば、留守居役は外交官のようなもの。その座に就くのは、通常であれば政治・行政的にある程度の経験を積んだ人間が選ばれるべきところ、役勤めの経験もない数馬がいきなり活躍できるはずもありません。
しかもこの抜擢の背後にいるのは、かの謀臣・本多家の最後の血を引く父娘。いかに数馬が年の割りに切れ者とはいえ、その裏には当然剣呑な理由があるわけで…
しかも時は将軍が後嗣を持たぬまま死の床にある=後継争い必至という、荒れに荒れる状況。そんな中に放り込まれた数馬は、自分の役目を把握するのもそこそこに、言葉による戦いに臨むことになるのであります。
剣の腕は立つものの、まだ若く経験の浅い主人公が、突然権力闘争のまっただ中に放り込まれ、自らの手に余るような強敵と、時に敵より始末の悪い上司に悩まされる――
これは上田作品の一つの定番でありますが、本作もその系譜に属するものと言えるでしょう。
しかし明確に異なるのは、これまでの主人公たちがいずれも幕臣、将軍の直臣であったのに対し、数馬は外様大名家の家臣という点でしょう。
これまでの作品ではまがりなりにも味方、自分の側であった幕府が、本シリーズにおいては最強の敵に回りかねない…いや、戦うべき相手はそれだけではありません。石高の違いはあれ、立場的には同格の他大名家もまた、油断できないライバルとなるのですから…
正直に申し上げて、本作の段階では、まだまだ数馬はこの強敵たちの間で埋没しているという印象。
何しろ、嫌みな先輩たちのために宴席を開いたり、招かれて吉原に行くというだけでも大仕事なのですから…
それでも本作が物足りないと思わせないのは、そんな数馬の奮闘ぶりの面白さ(というのはちと申し訳ないのですが…)もさることながら、そんな彼を取り巻く状況――それを動かす人間たちも含めて――が実に興味をそそるからにほかなりません。
一種企業小説的な内容の(ちなみにこれまでの作品は官僚小説的と言えるかもしれません)作品ではありますが、もちろん本シリーズはそれ以前に時代小説。
たとえば本作のクライマックスともいえる5代将軍選びを巡る幕閣や御三家、その家臣たちの動きなどは、史実を踏まえているからこその面白さがあります。
そして、これまではあの人物の専横の結果として描かれることがほとんどだったある出来事が、全く逆の角度から描かれるなど、それだけに留まらないのも嬉しい。
この史実を踏まえつつもその背後の意外な「真実」を描いてみせる伝奇性こそは、作者の大きな武器の一つ…というのはこちらの偏った見方かもしれませんが。
いずれにせよ、時代の流れが意外なまでに早く動いていく中で、数馬に求められているのは、その流れに押し流されず生き延びること、いやそれだけでなく、自分自身の流れを作り出すことでしょう。
新参者で済まされる期間はごくわずか、外でも内でも油断できない厳しい現実が彼を待ち受けているのですが…彼ならばこの難局を切り抜けてくれる、そう信じられる輝きがあることもまた事実であります。
とはいえ、本作のラストで描かれるのは、また全く異なるベクトルの難局。まずはこれを如何に御してみせるのか…お手並み拝見であります。
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