« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014.07.31

「必殺仕事人2014」 仕事人と仇討ち屋の間にあるものは

 ある晩、渡辺小五郎の前に表れ、これからの激動を予告する安倍川の仙吉。その言葉通り、復讐代行業「仇討ち屋」が幕府により許可され、仕事人の出番はなくなってしまう。一方、とある村の寺に厄介になっていた経師屋の涼次は、住職の隆斎とその息子・隆生と出会うのだが…

 レギュラーシリーズであった「必殺仕事人2009」以来、ほぼ一年に一作のペースでスペシャルが制作されてきた、東山紀之演じる渡辺小五郎主演の必殺シリーズ最新作であります。
 当初からの仕事人チームは、他には経師屋の涼次(松岡昌宏)と花御殿のお菊(和久井映見)だけになってしまいましたが、今回は初の平成生まれが演じるニューフェイス・隆生(知念侑李)が登場。脇を高橋英樹や中村梅雀が固めるという、それなりの布陣となっております。

 冒頭から描かれるのは、小五郎によるヤクザへの仕掛け。首尾よく仕留めたものの、依頼人の子供は団子を買う鐚銭すらなくし、仕事の翌朝には冷たくなっていた…
 と、小銭で仕事を請け負う印象が多かった小五郎チームにカウンターを食らわせるような開幕であります。

 さて、良くも悪くも時事ネタとは無縁でいられない必殺シリーズでありますが、今回題材となっているのは、TPPと…それ以上に、東京オリンピックに向けたいわゆる町の浄化作戦。
 開国に向けて招いた海外の視察団が江戸を訪れる前に、江戸の悪所を一掃しようともくろんだ開国派の若手老中・加門により、江戸に「仇討ち屋」なる商売が認められたことをきっかけに大騒動が起きることとなります。

 この「仇討ち屋」、簡単に言ってしまえば復讐代行業。町の人々の依頼で恨み重なる相手に制裁を――すなわち殺しを――請け負うという、仕事人と同様の存在ながら、決定的に異なるのはこれが表の稼業であること。
 かつて小五郎たちと因縁のあった同業者・安倍川の仙吉(高橋英樹)らは、この仇討ち屋として、大手を振って仕事を行うようになります。

 しかし急に規模が大きくなれば綻びが生じるのも当然の話であります。仕掛ける相手を間違えて別人を殺した、相手に返り討ちにされた…仇討ち屋に関するトラブルも続発し、さらに公然と暴力を振るう彼らの存在に、次第に町の人々は恐怖を感じるようになっていきます。

 そこに現れたのが、父の仇を追って江戸にやってきた少年・隆生と許嫁のおつう。故郷で涼次と、そして江戸で小五郎とおかしな縁で知り合った隆生は、復讐に猛る心を次第に沈めていくのですが…


 これまで、悪徳仕事人、ライバル仕事人登場というのは(特にスペシャルでは)珍しくないパターンでありますが、しかし今回決定的に異なるのは、彼らが幕府公認という点であることは言うまでもありますまい。
 そこに働くのは幕府側の思惑…というのは当たり前と言えば当たり前ですが、それだけでなく、復讐を望む側も軽い気持ちで、覚悟なく依頼してくるという描写があるのは、なるほど面白い視点であります。

 この幕府側の強引かつ浅薄なやり口に、安易に暴力に走る者たちとそれを許容する者たちが加わって起きる狂奔の中に、薄幸の若きカップルが巻き込まれて…というのが今回の展開。
 権力の手で守られることのなかった人々の恨みを晴らすはずの仕事人がその権力自体によって作られ、そしてそれがさらに無辜の人々を害し、新たな仕事人を生み出す…という極めて皮肉に満ちた展開は、なかなかに魅力的であります。


 …が、どうにも引っかかってしまうのは、本来であれば本作の肝であろう、仕事人と仇討ち屋の違いが、ほとんど全く作中から伝わって来なかった点であります。

 晴らせぬ恨みを晴らすための暴力は許されるのか、暴力はさらなる暴力を生むだけではないのか――
 ある意味、悪を討つ(公権力に属さない)正義の味方につきまとう問題を、最も先鋭化した形で描くことが可能な、いや描かなければならない「必殺」という物語。

 それをスルーしたのでは、本作は単なる荒唐無稽な時代劇となってしまいます。
 上で触れた冒頭のシーケンス、あるいは初めての仕事での隆生の言葉など、印象に残る部分も少なくないのですが、もう少し設定を活かした物語が描けたのではないかと、久しぶりの再会にも関わらず感じてしまったというのが正直なところであります。

関連サイト
 公式サイト


関連記事
 今ごろ「必殺仕事人2007」
 「必殺仕事人2009」 一年半ぶり、帰ってきた仕事人!
 「必殺仕事人2009」第01話 ひねりにひねった変化球
 「必殺仕事人2009」第02話&第03話をまとめて
 「必殺仕事人2009」第04話「薬物地獄」
 「必殺仕事人2009」第06話「夫殺し」
 「必殺仕事人2009」 第8話「一発勝負」
 「必殺仕事人2009」 第10話「鬼の末路」
 「必殺仕事人2009」 第11話「仕事人、死す!!」
 「必殺仕事人2009」 第13話「給付金VS新仕事人」
 「必殺仕事人2009」 第14話「武士の異常愛」
 「必殺仕事人2009」 第17話「ゴミ屋敷」
 「必殺仕事人2009」 第21話「最終章~仕事人狩り!」
 「必殺仕事人2009」 最終話「最後の大仕事!!」
 「必殺仕事人2010」 帰ってきた小五郎チーム!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.30

「遠野物語remix」(その2) 加除により生まれ変わる物語

 京極夏彦が柳田國男の「遠野物語」に挑んだ「遠野物語remix」の紹介の続きであります。原典を現代語訳するのみならず、収録順を一端リセットして並び替えることで「物語」としてリミックスしてみせた本作。しかし本作のリミックスたる所以は、それだけにとどまりません。

 個人的にはそれ以上にリミックスらしさを感じさせられたのは、各挿話において、作者(京極夏彦)の手により、原典からの加除が巧みに行われている点であります。

 試みに本作の前半に収録されたものから例を挙げてみましょう。

 たとえば第8話、ある日突然、寒戸という土地から姿を消し、三十年後に年老いた姿で突然戻り、再び姿を消した娘の物語…寒戸の婆。
 元話からして、何とももの悲しく、切ない余韻を漂わせた内容なのですが、本作においてはそこにある事実を――原典から抜け落ちた事実を――つけ加えることにより、更なる不思議の味わいを生じさせてみせるのです。

 さらに心憎いのは第7話――異人によって山中に攫われていき、幾人もその子供を産まされたという娘の物語です。
 その生々しい内容も印象的なのですが、何よりも心に残るのは、彼女を攫ったモノの描写――娘の口を通じて語られる、「目の色が凄い」ほかは普通の人間と変わらぬモノたちの存在でありましょう。

 彼らが、山中に暮らすだけでなく、町に出て人と普通に交わっていることをほのめかす原典の内容は、その時点で実に怖い内容ではあります。
 しかし、本作においては、原典の末尾に記された「二十年ばかりも以前のことかと思はる」という一文を省くことにより、それが「いま」この時の怪異であると言ってのけるのであります。


 単なる現代語訳に留まるものではなく、単に順番を入れ替えただけでもなく、さらにそこに加除することにより、見事に新しい、作者自身の物語として再生させてみせる――なるほど、この行為はリミックスというべきでしょう。

 作者のファンはもとより、原典の愛好者も、新たなる「遠野物語」を味わっていただきたい本作。
 そのためには、前回の冒頭に述べた2つのバージョンのうち、原典も併録された角川ソフィア文庫版の方を、強くお勧めするものであります。
 少なくとも上で例に挙げた加除は、この版でなければ気づかなかったものでありましょうから…


「遠野物語remix 付・遠野物語」(京極夏彦/柳田國男 角川ソフィア文庫) Amazon
遠野物語remix 付・遠野物語 (角川ソフィア文庫)


関連記事
 「旧怪談」 怪談の足し算引き算

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.29

「遠野物語remix」(その1) 再構成された物語の世界

 柳田國男のあの「遠野物語」に、京極夏彦が新たな命を吹き込んでみせた「遠野物語remix」が文庫化されました。以前から気になっていた一冊でありましたが、この度の文庫化は2バージョン、通常版と、「遠野物語」の原典が併録されたものが刊行されております。

 「遠野物語」については、ここでくだくだしく述べる必要はありますまい。柳田国男が、遠野出身の友人・佐々木鏡石から聞き取ったその土地の様々な言い伝え、風聞を記した同書は、柳田にとって、そして何よりも日本の民俗学にとって、大きな意味を持つものであります。

 それに京極夏彦が手を加えたものが本書というわけですが…やはり何よりも気になるのは、タイトルに冠された「remix」の一語でありましょう。リライトではなくリミックス…何やら不思議な気がしますが、なるほど、一読すればリミックスと呼ぶほかないことがよくわかります。

 京極夏彦は、考えてみればその作品のかなりの割合で、古典を題材としている作家ですが、直接的に古典に手を加えたと言えば、思い出されるのは「旧怪談」。
 根岸鎮衛の「耳嚢」を現代風に訳した作品でしたが、これがリライトだとすれば、本作はやはりそれとは似て非なるものでしょう。

 本作は、その基本は原典に忠実に、その内容を現代語で記したものと言えます。それにremixが冠されている最大の理由は、やはり各挿話を、原典の収録順ではなく、作者(京極夏彦)の基準で並べ替えていることでありましょう。

 原典をご覧になれば瞭然ですが、原典の挿話の収録順は、その内容に依ってないと申しましょうか――悪く言えば雑然と、おそらくは語られた順、書き留めた順そのままに、内容・題材とは無関係に並んでいるのであります。
 それが本作においては、いったん原典の順番をリセットし、似たような題材、近しい内容、共通する人物の挿話をまとめることにより、「遠野物語」をあたかも一つの――あるいは幾つかの章にわかれた――「物語」として、再構成してみせるのです。

 しかし――(次回に続きます)


「遠野物語remix 付・遠野物語」(京極夏彦/柳田國男 角川ソフィア文庫) Amazon
遠野物語remix 付・遠野物語 (角川ソフィア文庫)


関連記事
 「旧怪談」 怪談の足し算引き算

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.28

8月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 いよいよ梅雨も明け台風もやってきて、暑い暑い8月。私には関係ありませんが、夏休みを取る方も多いことでしょう。当然出版社も夏休み…というわけでもないのが8月のラインナップ。暑い中、我々を楽しませてくれるすべての方に感謝を捧げつつ、8月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 さて、かなり豊作なのが文庫小説。なんといってもまず気になるのは、瀬川貴次「ふたりの大陰陽師」 …シリーズタイトルは冠されていませんが、レーベルがコバルト文庫であることも踏まえると、まず間違いなく「鬼舞」シリーズの前日譚でありましょう。

 そしていま私が一番推している時代小説家の一人である平谷美樹の新作は、「蘭学探偵 岩永淳庵」。内容はまだわかりませんが、作者らしい、意外性と新鮮さに満ちた作品になることでしょう。

 また、高橋由太の新作は「新選組!!! 幕末ぞんび」と、またずいぶんと挑発的なタイトル。うるさ方の多い幕末もの、新選組を作者が如何に料理したのか――ゾンビ時代小説研究家(今名乗りました)としても気になるところです。

 一方、同月には「零」のノベライズも刊行される大塚英志の新作は、「代筆屋・中川恭次郎の奇っ怪なる冒険」。松岡國男妖怪退治外伝と冠されているところを見ると、かの漫画を別の角度から小説化したというパターンでありましょうか。

 そして面白いのは、浅田翔太「石燕妖怪戯画」です。おそらくは時代小説かと思いますが、そうだとすれば今年に入って鳥山石燕を題材にした時代小説はもう三作(シリーズ)目。ある意味メジャーな人物とはいえ、こういう形で短期間に重なるのは、やはり興味深いことです。

 そしてシリーズものの最新巻では、やはり大いに気になるのは、先日TVドラマでも大活躍した静湖姫の活躍を描く風野真知雄「姫は、三十一」第7巻。前の巻のとんでもない展開を受けて、果たしてどのような結末を迎えるのか、これは必見でありましょう。

 その他、文庫化の方では、翔田寛による明治ミステリ「築地ファントムホテル」が楽しみなところですn


 文庫に比べると少々少な目に感じますが、それでもかなりの豪華ラインナップの漫画。
 何といっても一番気になるのは、雑誌休刊により惜しくも完結となった金田達也「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第10巻、最終巻であります。

 そしてシリーズものの続巻、最新巻も気になる作品揃い。
 水上悟志「戦国妖狐」第13巻、鷹野久「向ヒ兎堂日記」第4巻、長谷川哲也「セキガハラ」第3巻、さらに熊谷カズヒロ「モンテ・クリスト」第2巻――いやはや、先が気になって仕方なかった作品ばかりです。

 気になるといえば、コンビニコミックで発売の高瀬理恵「豪の剣 闘の剣 時代劇傑作選」も非常に気になるところ。収録作品は不明ですが、何が飛び出すかわからないコンビニコミックの短編集だけに、大いに期待しているところです。

 最後に、戦国四コマの二大巨頭の最新巻――大羽 快「殿といっしょ」第9巻、重野なおき「信長の忍び」第8巻が登場するのも嬉しいところ。さらに後者は「信長の忍び外伝 尾張統一記」第1巻も登場と、大いにノっている印象であります。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.27

「棘の闇」 室町の妖しく昏い輝きを集めた宝石箱

 最近は矢継ぎ早にコミカルな妖怪時代小説を発表している朝松健ですが、このブログでもこれまでご紹介してきたように、元々は伝奇ホラーの名手。その中でも、一休宗純ものを中心に、作者の独壇場というべき室町伝奇ホラーの名品を集めた久々の短編集であります。

 本書に収録された室町伝奇ホラーは全5編。いずれもホラーアンソロジー「異形コレクション」に掲載されたものであります。

 この「異形コレクション」、Amazon等の紹介文を見ると「伝説のホラーアンソロジー「異形コレクション」から」、という表現が使われていて、リアルタイムで読んできた人間には少々複雑な気分になるのですが、しかし振り返ってみれば、確かに「伝説」でありましょう。

 というのも本シリーズは雑誌等に掲載されたものではなく、書き下ろし、それも一冊一テーマの下で書き下ろされた短編ホラーを、毎回20作品近く収録してきたのですから。
 残念ながら、この数年間刊行が止まっておりますが、しかし刊行中の驚異的なペースも含めて、間違いなく日本ホラーの一つの到達点でありましょう。

 そしてそんな「伝説」の中で、一際異彩を放っていたのが、朝松健の室町伝奇ホラーなのであります。
 先に述べたとおり、毎回テーマを定めて刊行された「異形コレクション」。そのバラエティーに富んだテーマ、どう考えてもこれは無理だろうというものまで、ことごとく作者は室町伝奇ホラーを――そして言うまでもなく優れた作品を――送り出してきたのですから。

 以下に、本書に収録された作品のタイトルと内容、そしてその時のテーマ名を()内に挙げましょう。

 降霊会の座興で行われたある遊びが、その場に奇怪な地獄絵図を生み出す「異の葉狩り」(「夏のグランドホテル」)
 妖管領・細川政元に我が子をさらわれた男が、救出に向かった島で見た悪夢「この島にて」(「進化論」)
 ある貴族の恋の仲立ちをした一休が、相手の娘にまつわる奇怪な噂を知る「屍舞図」(「Fの肖像――フランケンシュタインの幻想たち」)
 若い女性を空から襲い食らうという女の顔を持つ怪物と一休の死闘を描く「醜い空」(「怪物團」)
 剣豪・諸岡一羽の技を盗もうとした男が知った秘剣の恐るべき正体「輝風 戻る能わず」(「アート偏愛」)

 作品の内容と、各巻のテーマをご覧いただければ、与えられたテーマに対して職人芸ともいうべき切り返しを見せる、作者の技がうかがわれるのではないでしょうか。

 その中でも特に注目すべきは冒頭の「異の葉狩り」でしょう。何しろ本作が収められたのは、そのタイトルが示すとおりのグランドホテル形式(ある場所に偶然集まった人々それぞれの姿を描くスタイル)、現代のとあるホテルの夏の一夜を描く一冊だったのですから。

 それが如何にして室町に結びつくのか、という点だけでも気になりますが、その上、本作は、同時に一休宗純ものでもあるのですから、これはもう離れ業などという言葉ではすまされますまい。


 しかし――これだけテーマとの関係を称揚しておいて言うのも恐縮ですが、本書に収められた作品たちは、もちろん、その作品自体が実に魅力的であることは言うまでもありません。
 実はこのブログでは、これまで5作品とも初出時に紹介しておりますが、今回こうして読み返してみると、アンソロジーに収録されていた時とはまた異なる――誤解を恐れず申し上げれば、作品の本来の味わい、それぞれの作品が持つ、濃密な世界を堪能することができました。

 各作品が収められた「異形コレクション」が、色とりどりの万華鏡であったとすれば、本書は昏く妖しい光を放つ秘石たちが集められた宝石箱と言うべきでしょうか――
 一度に読み切ってしまうのが惜しいほどの、一編一編味わって読みたい、それほど濃密な室町の闇を味わうことができる一冊であります。


 ちなみに本書の――このレーベルにしては珍しい――解説を担当するのは井上雅彦。
 なるほど、自身がホラーの名手であり、そして何よりも「異形コレクション」の編者であった氏以外に、本書の解説者に適任はおりますまい。こちらも、堪能させていただきました。


「棘の闇」(朝松健 廣済堂モノノケ文庫) Amazon
棘(おどろ)の闇 (廣済堂モノノケ文庫)


関連記事
 「異の葉狩り」 夢と現が交差するホテルで
 「この島にて」 恐るべき進化の果てに
 「屍舞図」 恐るべき二つの地獄絵図
 「醜い空」 その怪物の正体は…
 「輝風 戻る能はず」 剣の極限、殺人芸術の極致

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.26

「眠狂四郎殺法帖」下巻 一筋縄ではいかぬ男の旅のゆくえ

 眠狂四郎シリーズ第3作、豪商・銭屋五兵衛の巨大な陰謀に挑む狂四郎の孤独行もいよいよ後半戦に突入。江戸を離れた狂四郎はいよいよ敵の本拠地とも言うべき加賀に乗り込むこととなるのですが、そこには意外な強敵たちが待ち受けているのでありました。

 後見人である水野忠邦の側用人・武部仙十郎の依頼で、佐渡金山を巡る不正の証拠にまつわる事件に巻き込まれた狂四郎。
 飄然と死地に踏み込み、次々と襲いかかる敵を斬った先で狂四郎が知ったのは、開国を狙い老中・水野忠成と結んだ銭屋五兵衛が、なんと時の将軍・徳川家斉に麻薬を盛り、廃人と化さしめるという陰謀でありました。

 別に徳川家に恩があるわけでもなければ銭屋に恨みがあるわけでもないが、そこに危険があれば踏み込むというのが狂四郎という男。結果として、彼は銭屋の陰謀を次々砕いていくこととなるのですが…

 と、そんな本作でありますが、この下巻に入ってからはしばらく物語の色彩を変じることとなります。
 というのも、この下巻の半分辺りまでで描かれるのは、物語の本筋とほとんど関係なく、狂四郎が各地を旅し、そして様々な事件に出会うという旅日記スタイルの連作。時折思い出したように本筋に絡む展開があるものの、基本は独立したエピソードの連続であります。

 その意味では、少なくともこの部分では長編としての構成はほとんど破綻しているのですが、しかし個々の物語は猛烈に面白いから困る…いや困りません。

 特に狂四郎が出会った底辺に生きる夫婦の姿を描く「弱い狂四郎」、アル中同士の敵討ち譚が奇妙な結末を迎える「酔眼記」、ある男の長年に渡る愛欲の妄執の切ない幕切れ「黒髪恋い」など、異形の人情譚とも言うべきエピソードの切れ味が素晴らしい。
 およそ常人の人情とは無縁のような――それでいて実は情を完全に捨て切れぬ――狂四郎だからこその佳品たちであります。


 しかしもちろん、物語が進むにつれて、展開は本筋に戻っていくこととなります。
 それも本作におけるクライマックスは、銭屋に雇われた五流派の忍び――上杉流・武田流・真田流・平氏流・源氏流の達人たちが、一人一人狂四郎に襲いかかるという一種メジャーな展開。

 それぞれがそれぞれに得意とする技を持ち、そして誰が術者であるか全く悟らせぬままに、狂四郎に数々の罠を仕掛けて待ち受けるというのは、やはり大いに盛り上がる展開であります。

 しかし本作の盛り上がりはそれに止まりません。五人の忍びの一人にして最後の敵・真田流の忍びの名は「影」。柴錬ファンであればその名に「おっ」となるでしょう。
 そう、名作「赤い影法師」で、寛永御前試合を散々に騒がせた孤高の忍びの子孫なのであります! 思わぬドリームマッチの実現に、テンションの上がらぬファンはいないでしょう。

 …と、盛り上がる要素はあり、もちろん個々のエピソードも見事なものばかりですが、しかし先に述べたとおり、長編としての完成度には不満が残る本作。
 それでもやはり面白く読んでしまうのは――そして面白く出来ているのは――「敵の刃では疵つかない御仁だが、自分の言葉で自分を傷つけ」る、一筋縄ではいかぬ狂四郎のキャラクターがそのまま現れているようなのが、何だか面白く感じられるのです。


 ちなみに本作を原作にしたのが、市川雷蔵が狂四郎を演じた記念すべき第1作である同名の映画。
 こちらは原作の本筋やキャラクターを巧みにまとめ、結局本編では脇役に終わってしまった中国拳法の達人・陳孫(演じるは若山富三郎!)とラストの決闘を行うという内容であります。

 しかし物語の格好としてはこちらの方が優れているものの、全体の味わいの豊かさという点では原作に軍配が上がるように感じられるのが、やはり狂四郎の厄介さであるなあ…と、感じ入った次第。


「眠狂四郎殺法帖」下巻(柴田錬三郎 新潮文庫) Amazon
眠狂四郎殺法帖 (下) (新潮文庫)


関連記事
 「眠狂四郎殺法帖」上巻 奇怪なヒーロー、狂四郎がゆく

 「眠狂四郎独歩行」上巻 風魔と黒指と狂四郎と
 「眠狂四郎独歩行」下巻 亡霊と亡霊の対決の果てに
 「眠狂四郎京洛勝負帖」 狂四郎という男を知る入り口として

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.25

「風神の門」下巻 自由児の孤独とそれを乗り越えるもの

 大坂の陣迫る中、徳川と豊臣の間で己の技を示すべく神出鬼没の活躍を見せる伊賀者・霧隠才蔵の姿を描く「風神の門」下巻であります。比較的静かな展開の続いた上巻と打って変わり、ここで展開するのは歴史の変換点ともいえる激しい戦い。果たしてその中で才蔵は才蔵たり得るのでしょうか?

 東西どちらにつくでもなく、己の腕を撫しつつも飄々と暮らしていた才蔵。ある時、八瀬で何者かと間違えられて刺客の襲撃を受けた彼は、謎の美女・隠岐殿に興味を持ちます。
 大坂方の隠密を束ねる隠岐殿に接近するうち、甲賀の猿飛佐助と死闘を繰り返し、その中で奇妙な友情を育んでいく才蔵。そして佐助の主君である真田幸村と対面した才蔵は、その器の大きさに感服し、真田方で戦うこととなります。

 折しも東西手切れ寸前、才蔵と佐助(と三好清海)は、家康を暗殺すべく、駿府を目指すことに…

 という辺りから始まる下巻ですが、まず前半で繰り広げられるのは、家康の首を狙う才蔵・佐助と、家康を守る怪忍者・風魔獅子王院の攻防戦であります。
 獅子王院といえば、かつてのNHKドラマ版で才蔵と死闘を繰り広げた宿敵でありますが、原作においても、才蔵を幾度となく退け、忍びの技でもって上回ってみせる強敵。

 果たしてこの獅子王院を退け、家康を討つことができるのか――
 と、その結果に触れるのは野暮の極みですが、やはり何度読んでも、ドラマ版の印象が強いと、こちらの獅子王院の姿には…となりますがそれはさておき。

 そしていよいよ始まる豊臣と徳川の最終決戦、大坂の陣でありますが――さすがにこれだけ大規模な戦では、才蔵たちの出番はない、などということはもちろんありません。
 「影法師」と名乗っての東軍攪乱に、捕らわれの身となった隠岐殿を救出するための忍び戦、さらには宮本武蔵との対峙…

 たとえ大戦の中でも才蔵は才蔵、実に彼らしい自由闊達な活躍を見ることができるのですが――しかし、その背後に、自由児ゆえの孤独を見ることは難しくありません。

 佐助のように終生主君に仕えるのではなく、ただその時その時の相手に己の技を売る才蔵。確かに幸村には心服したものの、幸村が味方する大坂方には何の恩もありません(そしてまた定番とはいえ、大坂方の無能ぶりが際だつ)。
 それ故、大坂城においても飄々とした生き様を崩さぬ才蔵ですが…しかし、ここを死に場所として命の残り火を燃やす幸村や後藤又兵衛、塙団右衛門らの姿に比べれば、そこにある種の軽さというものを感じてしまうのもまた事実。

 己以外に、己の命を賭ける相手がいない不幸――といっては言い過ぎかもしれません。華々しい散り様とはいえ、幸村たちの生き方は一種の自決とも言えましょう。
 それでもなお…自由であることの素晴らしさを存分に描きつつも、才蔵の姿からは、同時に何とも言えぬ空しさと寂しさが感じられるのであります。


 自由であること、の光と陰を、忍びという特異な存在を通じて描き出した本作。
 忍者ブームの最中で描かれた、忍者ものとしての魅力に満ちた快作でありつつも、その中で極めて現代的な人間像を感じさせるのは、さすがは…と言うべきでありましょう。

 そしてまた。人の生にあるものは決して空しさや寂しさだけではなく、それを乗り越える力として、個人と個人の結びつきがあることを示してくれる結末は、また別の意味で現代的な思想であり――そしてまた、その現代を生きる我々にとって、たまらなく嬉しく、ほっとさせられるものとして感じられるのであります。


「風神の門」下巻(司馬遼太郎 新潮文庫) Amazon
風神の門 (下) (新潮文庫)


関連記事
 「風神の門」上巻 自由人、才蔵がゆく

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.07.24

「モノノ怪 海坊主」上巻 彼女の目に映る薬売り

 連載開始時にも紹介いたしましたが、あの薬売りが帰ってきました。今からちょうど7年前に「ノイタミナ」枠で放映された時代アニメ「モノノ怪」のエピソードの一つ、「海坊主」が、蜷川ヤエコにより漫画化された、単行本上巻が、このたび発売されたのであります。

 アニメ「モノノ怪」は、「座敷童子」「海坊主」「のっぺらぼう」「鵺」「化猫」と、全部で5つのエピソードからなる作品。その前年に「怪 ayakashi」で放映された「化猫」の続編に当たります。
 と言っても、各エピソードは、ほぼ主人公とモノノケの存在にまつわる設定のみを共有する独立した緩い連作。様々な時と場所で繰り広げられる、モノノケと謎の薬売りの対決を描く作品でありました。

 その中でこの「海坊主」は、「モノノ怪」では2番目、「怪 ayakashi」から通算すれば3番目のエピソードとなります。3番目を漫画化、というと奇異に感じられるかもしれませんが、上で述べたとおり個々のエピソードは独立したものであるのでその点は問題ありますまい。

 むしろ、それとは矛盾しているようで恐縮ですが、この「海坊主」は、シリーズでも数少ない、他のエピソードと関係する要素を持つエピソードである点が、今回選ばれた理由でありますまいか。

 実はこの「海坊主」には「怪 ayakashi」の「化猫」に登場したキャラクター・加世が引き続き登場しています。そしてその「化猫」を、本作と同じ蜷川ヤエコが以前漫画化していることから、一種続編的な位置づけで「海坊主」が選ばれたのでは…(実は物語内容的にも「海坊主」は「化猫」と対になる部分があるのですが、それは下巻で触れることにしましょう)


 と、いきなり原作アニメをご覧になっていない方を置き去りの話になってしまい恐縮です。しかしそんなことをわざわざ述べたのは、上で触れた加世の存在が、モノノケ、そして薬売りという本作ならではの特異な設定の、アニメとは異なる、本作ならではの語り手的な立ち位置となっていると感じられたためであります。

 本作でも過去の出来事として語られる「化猫」事件。加世はその事件の最中で薬売りと出会い、彼に救われて事件の数少ない生存者となった娘です。
 すなわち、彼女は本作の登場人物の中で唯一、モノノケ(そしてそれと似て非なる存在であるアヤカシ)と、それを唯一討つ力を持つ薬売りのことを知る存在なのであります。

 いわば彼女は本作の特異な世界観の紹介役的な立ち位置を与えられているのですが――特に彼女が既に知っているはずの薬売りの存在が、逆により得体の知れない存在として彼女の目に映るのが実に面白く、そしてアニメ版を観た人間にとっても新鮮に感じられるのであります。

 基本的に、よくぞここまで…と驚くほど、アニメと漫画、メディアの違いを乗り越えて、原作をほとんどそのまま再現していると感じられる本作ですが、しかしこうした技の利かせ具合には感心いたします。


 さて、この上巻では、人の心の中の恐怖を読み取り、本人に突きつけるアヤカシ・海座頭が登場、薬売りもその力の前に…という場面で終わりましたが、まだまだモノノケの形と真と理の正体はわからぬまま。

 この先描かれる真実を、この漫画版はどのように再現し、そしてどのように変えてくるのか…7年前の気持ちを思い出しつつ、楽しみにしているところであります。


「モノノ怪 海坊主」上巻(蜷川ヤエコ 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon
モノノ怪-海坊主- 上 (ゼノンコミックス)


関連記事
 「モノノ怪 海坊主」連載開始 久方ぶりのモノノ怪、久方ぶりの薬売り
 「モノノ怪」第一巻 そのままではなく、そのものの世界
 「モノノ怪」第2巻 漫画としてのモノノ怪世界

 「モノノ怪」 第三話「海坊主 序ノ幕」
 「モノノ怪」 第四話「海坊主 二ノ幕」
 「モノノ怪」 第五話「海坊主 大詰め」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.23

最近の「絵巻水滸伝」 近くて遠い物語の終わりへ

 取り上げるのは大変久方ぶりになりますが、森下翠&正子公也の「絵巻水滸伝」が、この一年近く、最大の盛り上がりとなっております。梁山泊を離れ、数々の強敵を打ち倒してきた百八人の好漢たち。その前に立ち塞がるのは、最強最大の敵・方臘軍――百八星、最後の戦いの始まりであります。

 これまで一人として欠けることなく、大宋国の四寇のうち三つ――遼国、田虎、王慶までを平らげてきた梁山泊の好漢たち。残るは江南の方臘…宗教教団を核に、強固な信仰心で結ばれた強大な集団、史実でも大いに宋国を――梁山泊とは比べものにならぬほど――悩ませた強敵であります。
 そしてこの戦いにおいて、百八星は実にその三分の二を失うことになるのです。

 この方臘軍は、原典でも最後の敵でありますが、我が国の水滸伝リライトでは、小説や漫画とメディアを問わず、描かれることが少なかった存在であります。
 というのも、我が国の水滸伝リライトでは、百八星集結の時点で完結…とまでは言わないまでも、それ以降の物語は相当にダイジェストされ、むしろエピローグ的に語られるのみ。方臘軍も、最後の敵というより、梁山泊崩壊の加害者的に名前が挙げられるのが大半であります。

 そんなわけで水滸伝リライトで方臘軍が明確に描かれるのは杉本苑子の「悲華水滸伝」と北方謙三の水滸伝程度。
 そして両作品とも――後者は言うに及ばず、前者もこの部分については――かなりアレンジされていることから、方臘戦、すなわち梁山泊最後の戦いが原典に(ある程度)忠実に描かれた水滸伝リライトは、実はほとんどなかった、ということになります。

 さて、そこで絵巻水滸伝であります。これまで、細部においては自由なアレンジ…というよりも、細部を掘り下げ、隙間を埋めていくアプローチを取ってきた本作において、この最後の戦いが如何に描かれるか、それは明らかでしょう。
 原典の流れはそのままに、方臘軍の脅威を掘り下げ、そして何よりも、一人また一人斃れていく梁山泊の好漢たちの姿をドラマチックに描いていく――それであります。

 実際のところ、原典で描かれる好漢たちの最期の姿は、現代人の感覚からすればひどくあっさりしたものであります。少数の例外を除けば十把一絡げ、乱戦の中でいつの間にか死んでいたり、疫病でまとめて亡くなったことが、わずか数行で片づけられるのみ…
 もちろん、小説というものの在り方が現代と大きく異なる時代の作品であれば、これはこれで仕方ないとは言えましょう。しかし現代の読者からすれば、これまで親しんできた豪傑たちの最期は、避けられないことであれば、やはり最後まで壮烈に描ききって欲しいというのが、正直な気持ちであります。

 そして現在に至るまで、本作においては既に五人の好漢が命を落としておりますが、その最期の姿はまさに(こういう表現を用いるのはさすがに抵抗感もありますが)期待通り――
 失礼ながら原典では脇役であった、そしてこれまで本作が掘り下げ、新たな生命を与えられてきた好漢たちの物語の結末として遜色ないものであります。そしてもちろん、それは彼らの相対する方臘軍の姿をも、これまでにないものとして描くことにほかなりません。

 もっともそれは、裏を返せば、思い入れのある読者には非常に重い展開の連続ではあります。既に原典での好漢たちの結末――それは本作でもほぼ踏襲されることでしょう――をよく知っている人間にとっては、一つ一つの何気ない描写が死亡フラグに感じられる…というのは半分冗談、半分本気であります。


 しかしそこに描かれるのは、必ずしも暗い死の翳だけではありません。例えば最新回で描かれた、ある人物のその後――好漢の過去のある行動が、現在に思わぬ結果をもたらす様は、大河ドラマの醍醐味である以上に、人の生の妙というものを感じさせてくれるのであります。


 そして上記のある人物が、実は原典では過去の時点で命を落としている人物だという点に、形を変えて受け継がれていく生という、ある種の希望というものを感じるのですが…
 何はともあれ、方臘編は始まったばかり。物語の終わりは、既に近く、そしてまだ遠くにあるのです。


関連サイト
 キノトロープ 水滸伝

関連記事
 「絵巻水滸伝」 第88回「幽明」 いよいよ田虎編突入!
 「絵巻水滸伝」 第89回「天兵」
 「絵巻水滸伝」 第99回「破滅之門・後篇」 田虎篇、ついに大団円!
 「絵巻水滸伝」 王慶篇完結、そして最終章へ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.22

「夜風から、夢 柏屋藍治郎密か話」 人の歪みへの優しき眼差し

 身よりもなく一膳飯屋で働くおときは、ある日突然訪ねてきた仙助の誘いで薬種問屋・柏屋に女中奉公に入ることになる。彼女が世話することとなったのは、女物の着物を好んでまとう柏屋の次男坊・藍治郎だった。幼い頃から持つという「先を見る力」で占い稼業を営む藍治郎のもとでおときを待つものは…

 遊郭怪談の名品「柳うら屋奇々怪々譚」の篠原景、待望の第二作である本作は、どこか歪みを抱えた三人の男女の姿を描く作品。ジャンルでいえば人情ものということになるかと思いますが、その言葉から通常受けるイメージとは一風異なる不思議な味わいの作品です。

 主人公・おときは、幼い頃にある事件で両親を失い、親戚をたらい回しにされた末に、今は一膳飯屋で働く娘。そんな彼女の前に現れた青年・仙助は、突然、自分が奉公しているという薬種問屋・柏屋の主の弟・藍治郎付きの女中ににならないかと持ちかけます。
 少々変わり者だという藍治郎に、三ヶ月という期間を区切って仕えるという少々不思議な申し出に惹かれたおせんは、二つ返事で引き受けることになります。

 しかし柏屋で待っていた藍治郎は、女性と見紛うような美男であり、、純粋に美しいものが好きだからという理由で女物の着物に身を包み、人を食ったような言動を見せる少々ではすまないほど変わった男でありました。
 そして何より、彼は先を、未来を見る力を持ち、その力で商家の旦那衆相手に占い稼業を営んでいたのであります。仙助とともに藍治郎の側に仕えるうちに、おせんは藍治郎の占い稼業を間近に見ることになるのですが…

 このあらすじを見れば、本作は、藍治郎の不思議な能力を通じて、おせんが普段は秘め隠された様々な人間模様を目の当たりにする物語かと思われることでしょう。
 もちろん、そうした要素は確かにありますが、しかしそれは本作を構成するものの半分程度といったところ。真に本作で描かれるのは、おときが心のうちに抱え込んだある歪みの存在と、そこからの解放の様であります。

 実は父が人を殺して打ち首となり、母はその後を追うように喉を突いて自害したという過去を持つおせん。その両親の死に様が強く印象に残ったためか、彼女は昔から「喉を破って流れ出す血」のイメージに取り憑かれていたのであります。
 そんな一種の強迫観念に突き動かされて、彼女は時折、密かにある行動を取っていたのですが…

 そのおときが秘め隠し、藍治郎の力が見抜いた秘密は、常人から見れば少なからず驚かされるものであり、確かに、「歪み」と言うほかないものであります。
 しかし――そんな歪みを、そんな歪みを持つ彼女自身に相対した藍治郎と仙助は、そんな彼女の存在を、あるがまま受け入れます。彼らにとっては、そんな歪みなどは、ごく普通のものだと言わんばかりに…

 なるほど、考えてみれば、藍治郎の存在は、常人とはかけ離れたものであります。幼い頃から不思議な力を持ち、女装して占い稼業で暮らす彼の存在自体が、見ようによっては強烈な歪みでありましょう。
 そしてまた、常に穏やかな態度を崩さない仙助も、明敏過ぎる感覚を持つゆえの不思議な行動を見せることがあります。

 さらに、藍治郎のもとに相談事を持ち込む人々の秘めた心中もまた、他人から伺いしれぬものに満ち満ちていることを考えれば…
 おときの、そして藍治郎の、仙助の、彼らの持つ歪みは、実は――もちろん程度の差こそあれ――誰もが持つものであると我々は知ることになります。
 そう、我々人間が生きる上で、誰もがそれぞれの歪みを抱えていくのだと…

 しかし本作は、その歪みの存在を、必ずしも否定的なものとしては描きません。もちろん、それがその人の生に悪しき影響を与えることもありましょう。しかし、本作で描かれるのは、その歪みを持つことが即ち邪なものではないということ――
 そしてまた、人は他人と交わることでその歪みを表に出すことなく、共存して生きていくこともできるのだという、単純な、そして美しい真実であります。

 そしてそんな、人の生の――決して平坦ではない――あるがままの姿を優しく受け止める眼差しは、作者の前作にも共通するものでありましょう。


 ある意味、変化球の物語であります。おときの心情描写を中心とした構成にも、戸惑うことが皆無とは言えません。
 それでも、なお――本作で描かれる三ヶ月間の物語は、おとき自身にとってもそうであるように、不思議な夏の間の夢のように、美しく、どこか懐かしさすらもって、感じられるのであります。

「夜風から、夢 柏屋藍治郎密か話」(篠原景 ハルキ文庫) Amazon
夜風から、夢 柏屋藍治郎密か話 (ハルキ文庫 し 9-1)


関連記事
 「柳うら屋奇々怪々譚」 怪異という希望を描く遊郭怪談の名品

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.21

「蒼眼赤髪 ローマから来た戦国武将」第1巻 奇なる事実が描く騎士と武士

 観音寺城の戦いで織田信長の猛攻により死を目前とした蒲生鶴千代(氏郷)。その前に現れたのはローマからオルガンティーノの護衛としてやってきた十字軍騎士、蒼眼紅毛の巨人・ジョバンニ=ロルテスだった。圧倒的な力で鶴千代を救い出したジョバンニ。二人にはある因縁があった…

 日頃少々変わった本を読んでいるせいか、滅多にこの言葉は使わないのですが、「事実は小説より奇なり」というのは、確かにあるものだと久々に感じました。
 それが本作の主人公、ジョバンニ=ロルテス――蒲生氏郷に仕えたという、ローマ人戦国武将の存在であります。

 かの宣教師・オルガンティーノとともに来日し、キリシタンであった蒲生氏郷に随身、山科羅久呂左衛門勝成と日本名を名乗り、氏郷の下で活躍したというジョバンニ。その活躍期間は長かったらしく、秀吉の九州討伐の際に、島津の岩石城攻めで活躍したという記録が残っているようであります。
 そのジョバンニを、本作はパワフルに、そして桁外れの存在として描き出します。

 何しろ、冒頭で描かれる鶴千代(氏郷の幼名)とジョバンニの出会いが、ローマを舞台としているのだから驚かされます。信長の使節として海を渡った鶴千代と兄は、そこでキリスト教とイスラム教の争いに巻き込まれ、そこでジョバンニの活躍を目の当たりにすることになるのですが…

 と、氏郷が遣欧使節を送ったという説に基づくと思しい展開ですが、さすがに本人が海を渡るのは、などと小さなことは言いますまい。この時に鶴千代とジョバンニが出会ったことが、彼らの終生の絆を結ぶきっかけとなったのですから…

 そして時は流れ、観音寺城の戦い。当時蒲生家が与力していた六角家と織田家の戦いの中で追いつめられた鶴千代の前に現れたジョバンニ。しかし彼は鶴千代ともども信長に捕らえられ、思わぬ命を下されることになります。
 さらに鶴千代を襲う、過酷かつ意外な運命の変転。そんな彼を支えるジョバンニは、その巨体と戦闘力を生かして大暴れするのでっすが…


 武士と騎士、ともに中世封建社会の支配階層兼戦士であり、ともに精神的支柱としての「道」を持つ(とされている)ことから、何とはなしに近しいものを感じる概念です。
 しかし武士はともかく、騎士は我々にとってはまだまだ未知の部分も多い存在。いや、知っているつもりの武士ですら、意外に感じる部分も実は少なくないのであります。

 本作で描かれるのは、そんな近くて遠い、知っているようで知らない、武士と騎士の姿なのでありましょう。
 重なる部分も少なくないものの、しかしやはり異なる存在である武士と騎士――その両者を兼ねたジョバンニという存在を物語の中心に置くことで、本作は武士と騎士の、時に重なり合い、時にすれ違う部分を描き、それによって両者の姿をそれぞれ浮き彫りにせんとしているのではありますまいか。

 そんなジョバンニの存在感が、もっともはっきりと現れたのは、捕らえられ、信長の前に引き据えられた彼が取った行動でありましょう。
 日本の武士の姿からはあまりに異なる、エキセントリックとすらいえる彼の言動は、しかしそれだけに、騎士という存在のある側面を、強烈に印象づけてくれるのであります。


 しかし、それでも、いやそれだからこそ残念に感じるのは、ジョバンニと対比されるべき日本の武士――信長や秀吉、いや鶴千代もまた、今一つ魅力が感じられない点であります。
 今のところ、あまりにも異質で奇怪な敵としか感じられない信長と秀吉、過酷な運命に振り回されているとはいえ、力強さの感じられない鶴千代…

 前者は、騎士と武士の異質さの象徴を描くための描写かもしれません。後者は、これから成長する姿が描かれていくのでしょう。

 そうした点は理解できるものの、やはり現時点では彼らは感情移入できない存在であり…その反動で、ジョバンニもまた、悪い意味で浮いた存在に見えてしまうのであります。

 もちろん物語はまだ序章といったところ、これからそれぞれの真実の顔が見えてくるのでしょう。
 事実は小説より奇なり――その言葉を地で行く男の活躍を、心ゆくまで楽しめるようになるよう、今後の展開に期待します。


「蒼眼赤髪 ローマから来た戦国武将」第1巻(幸田廣信&太田ぐいや 双葉社アクションコミックス) Amazon
蒼眼赤髪 ~ローマから来た戦国武将~(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.07.20

「燦 5 氷の刃」 田鶴に仇なす者、運命を狂わされた者たち

 ここのところは年1冊の刊行ペースとなり、ファンを悶え苦しませてきたあさのあつこの「燦」、待ちに待ったその最新巻であります。謎の敵・闇神波の出現、卑劣な刺客の刃の前に絶体絶命の窮地に陥った伊月と、気になる展開だらけだったのですが、ようやく物語の続きを読むことができます。

 父や兄の急逝により、江戸に出て藩主になる準備を始めた田鶴藩の後嗣・圭寿と、彼に常に付き従ってきた伊月。
 特に読本作家を目指していた圭寿にとって江戸での生活は刺激的なものでありましたが、しかしそんな彼らに迫るのは、謎の刺客、そしてその影に存在する、闇神波なる謎の存在であります。

 奇しき因縁に結ばれた燦――田鶴藩に滅ぼされた神波一族の生き残りにして伊月の弟――とともに、刺客に挑む伊月。
 しかし圭寿の兄の側室であり、今吉田御殿とも言うべき乱行を繰り返す妖婦・静門院に招かれた帰り、何もかに毒を盛られた伊月は、刀も満足に振るえぬまま、刺客とただ一人対峙することになるのですが…


 と、絵に描いたようなクリフハンガーで一年間待たされたわけですが、しかし待たされた本作は、やはり実に面白いのです。

 深手を負った伊月を前にした燦と圭寿のやりとりと、二人の伊月への態度の違い。初登場時は明らかにブラックにしか見えなかった静門院の秘めた哀しい過去。そしてこれまで伊月たちを苦しめてきた刺客の意外な正体――
 いずれも本作の肝とも言うべき部分であり、力が入っていて当たり前と言えば当たり前かもしれません。しかし、時に軽妙に、時に哀切に、時に緊迫感に満ちた作者一流の筆で描かれる物語の前には、ただただ、こちらの感情を手玉に取られるばかりなのであります。

 特に感心させられたのは、静門院の過去の物語であります。
 よくある内容と言えば言えるかもしれませんが、しかし瑞々しくも痛々しい女性の心理を描かせれば超一流の作者だけあって、彼女の背負った悲しみは、それが我がことのように、こちらの胸にも突き刺さるのです。

 決して彼女の所業は受け入れられるものではありませんが、しかし決して彼女の心のうちは理解できない怪物でもない。
 そんな彼女の姿は、本作でついに姿を現す刺客の素顔と対比されるべきものであり――そして田鶴藩に仇なす者と見做されていること、そして田鶴藩によって運命を狂わされた者という意味では、燦と…あるいは伊月や圭寿と等しい存在なのかもしれません。

 そんなシビアな物語が展開される一方で、燦と伊月と圭寿と――三人の少年のやりとりは、実に活き活きとして心地よい。
 先に女性の心理描写について触れましたが、それと同じくらい作者が得意とするのは少年の心理描写であり、この点を楽しみに本シリーズを読んでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか(後半で明らかとなる、誰もが突っ込むであろうある真実には大いに笑わせていただきました)。


 しかし…まことに恐縮ですが、これまで同様、今回も言わなくてはなりません。やはり分量が少なすぎると――

 読者の側の我が儘なのは百も承知、しかしこれほどの作品、一年間待ち続けた作品を、あっという間に読んでしまう、いや分量的な意味であっという間に読み終わってしまうのは、やはり残念でなりません。

 せめてもう少しスピードアップを…と、今回も願ってしまうのであります。

「燦 5 氷の刃」(あさのあつこ 文春文庫) Amazon
燦 5 氷の刃 (文春文庫)


関連記事
 「燦 1 風の刃」
 「燦 2 光の刃」 三人の少年の前の暗雲
 「燦 3 土の刃」 三人の少年、ついに出会う
 「燦 4 炎の刃」 現れた二つの力

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.19

「風神の門」上巻 自由人、才蔵がゆく

 豊臣と徳川の間が一触即発となった頃、伊賀の忍び・霧隠才蔵は、人違いで襲われたのをきっかけに、両者の暗闘に巻き込まれる。自分の技術を存分に生かすことを望む才蔵は、両者の間を渡り歩くが、その前に甲賀の猿飛佐助が現れる。彼の主人・真田幸村に出会った才蔵は、その器量に惚れ込むが…

 誰もが読んでいるような名作は、かえって読んだのが昔過ぎて、このブログ等で紹介しそびれていたのですが、本作もその一つ。
 司馬遼太郎の忍者ものの代表作であり、NHKでドラマ化されたことで知名度も高い「風神の門」であります。

 私などはドラマの方の印象が強すぎて、初読時には色々とギャップを感じたりもしましたが、今回読む分にはいい具合に(?)記憶が薄れ、新鮮な気持ちで楽しめた次第です。

 さて、主人公は霧隠才蔵、そして彼の周囲にいるのは猿飛佐助に真田幸村…とくれば、舞台となるのは、ほぼ予想できるとおり大坂の陣直前の混沌たる時代。
 関ヶ原の戦で徳川家康が天下を掌中に収めたとはいえ、大坂城には豊臣秀頼が健在であり、何よりも家康も老齢であり、寿命もあとわずかと思われるところ、まだまだ天下の趨勢はどちらに転ぶかわからない…と思われていた頃です。

 そんな時代に現れたのが、伊賀にその人ありと知られた忍びの達人・霧隠才蔵であります。物語が始まった時点では気儘に暮らしていた才蔵でありますが、しかし彼の望みは一風変わったもの。徳川でも豊臣でも良い、己の技術を高く買う者の側について、己の腕を存分に振るい、天下に名を上げたい――
 一見、当時の武士であれば当然の望みのようではありますが、しかし彼には忠義の心などはなく、相手に仕えるつもりはない。そして他の忍びのように、密やかに活動し、己の名も存在も知られぬまま生きるというのでもない。
 個人技を旨とする伊賀出身ゆえといえるかもしれませんが、いずれにせよ、この、忍びらしくない忍びたる才蔵のキャラクターこそが、本作の最大の魅力と言っても良いでしょう。

 忠義と引き替えに禄を得るのではなく、己の技術と引き替えに金を得る。戦国の群雄同士の争いが華やかなりし頃、武士は七人主君を替えて当たり前、と言われましたが、才蔵のメンタリティは、この頃の武士に近いものと申せましょう。
 もちろん、このような武士は世が定まるにつれて姿を消し、やがて朱子学を基底とした窮屈な武士道が生まれるわけですが、そのきっかけとなったのが、大坂の陣の結果で徳川が天下を取ったことだとすれば、才蔵は、その最後の時代に間に合ったといえます。

 しかしもちろん、この当時ですら――特に忍びとしては――彼の生き様は奇矯なもの。才蔵と並ぶ忍びでありつつも、あくまでも旧来の(あるいはこの後の時代の)忍びらしい忍びとしてのあり方を守る佐助にとっては、風狂・傾奇者以外の何ものでもないと感じられるのですが…

 現代の我々にとって、才蔵のキャラクターが違和感なく、魅力的なものとして感じられるのは、もちろん、己の技量のみで立つ彼の生き様に憧れを禁じ得ないためであり――それは同時に、彼の生きる時代と我々の生きる時代と、不自由さではさまで違いがないためかもしれません。


 …と、ひたすら才蔵の魅力ばかり述べてしまったのは、この上巻の時点では、まだあまり事態が大きく動いていないためでもあります。

 しかし上巻の終盤では、才蔵・佐助・三好清海(戦場往来の古武士にして今は酒乱でボケ老人というキャラクター造形がまた強烈)が、家康暗殺に乗り出すという展開。物語を彩る四人のヒロインも全員出揃い、いよいよ物語も佳境に入った印象なのであります。


「風神の門」上巻(司馬遼太郎 新潮文庫) Amazon
風神の門 (上) (新潮文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.18

「信長のシェフ」第10巻 交渉という戦に臨む料理人

 ドラマ第二期のスタートとほぼ同時に発売された「信長のシェフ」最新巻、ついに二桁の大台に突入の第10巻であります。武田家に拉致され、そこから逃れたものの徳川方で三方ヶ原の戦に参加し…と激動続きのケン。ようやく織田家に帰ってきても、まだまだ彼の料理人としての戦いは続きます。

 ここしばらく、絶体絶命の展開続きだったケンですが、大きな合戦(に参加すること)もなく、物語展開的には比較的落ち着いた印象のこの巻。
 しかしむしろ平時こそ料理人としての真価が問われるのは言うまでもない話であります(というより、ケンが戦場でも大活躍しすぎているのですが)。

 今回彼が活躍するのは、戦の合間の交渉時、美味しいものは人の心を動かし、そして人の心を露わにしますが、ケンの料理が今回も意外かつ大きな効果を上げることになるのです。


 …と、この巻で最初に描かれるのは、ある意味、戦以上に大きな大きな意味を持つ交渉。これまで信長と陰に日に対立を続けてきた将軍・足利義昭を降伏させるための交渉なのですから。

 信長と義昭の軋轢とその結末については、言うまでもなく史実にはっきりと残されているところですが、本作において、ケンと義昭の間にも様々な因縁がありました。
 そんな相手の、あるいは今生最後となるかもしれない食事に、ケンが何を作るのか――

 気のせいか、一度織田家を離れてからケンのキャラクターに一種の厳しさと申しますか、覚悟のようなものが感じられるようになってきましたが、ここで彼が見せたのはまさにその厳しさと――そして変わらぬ優しさ。
 比較的物語冒頭から完成して感じられるケンのキャラクターではありますが、なるほど、彼もまた成長を続けていると感じたところであります。

 そんな彼の厳しさと優しさは、後半の阿閉貞征調略のエピソードでも感じられるところですが、やはり彼の、本作の最大の魅力は、戦国時代という、食材も道具も限定された舞台で、いかに見事な料理を作ってみせるかでありましょう。

 そんな魅力が大爆発したのは、中盤の山科言継との交渉、いや接待の席でのこと。信長にとっては、ある意味戦と同等、いやそれ以上の意味を持つこの席で、ケンが用意した料理とは…

 いやはや、これまでも意外な組み合わせを見てきたものですが、今回の爆発力は――その料理がまたある意味可愛らしく、そして現代ではありふれたものだけに――相当のもの。
 時代漫画としての本作の面白さは、上で述べたようにある種の限定(条件)に依るところが大ですが、しかしそれだけではなく、加えること――すなわち、この人物にこの料理が、この事件にこの料理が、という点があるということを、再確認させられました。


 そして、交渉はまた、次なる戦のためのものでもあります。いよいよ始まった浅井・浅倉との決戦。ケンも浅からぬ縁のある浅井家との戦の中で、彼の料理がいかに働くのか――
 そしてまた、この巻でケンの姿と平行して描かれてきた、織田の女忍・楓の運命も気になるところ。再びのドラマ化も相まって、本作の勢いもまだまだ留まるところを知りません。


「信長のシェフ」第10巻(梶川卓郎&西村ミツル 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 10 (芳文社コミックス)


関連記事
 「信長のシェフ」第1巻
 「信長のシェフ」第2巻 料理を通した信長伝!?
 「信長のシェフ」第3巻 戦国の食に人間を見る
 「信長のシェフ」第4巻 姉川の合戦を動かす料理
 「信長のシェフ」第5巻 未来人ケンにライバル登場!?
 「信長のシェフ」第6巻 一つの別れと一つの出会い
 「信長のシェフ」第7巻 料理が語る焼き討ちの真相
 「信長のシェフ」第8巻 転職、信玄のシェフ?
 「信長のシェフ」第9巻 三方ヶ原に出す料理は

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.07.17

「茶会の乱 御広敷用人大奥記録」 女の城の女たちの合戦

 快調なペースで続く御広敷用人大奥記録ですが、それはとりもなおさず水城聡四郎の苦闘が、そして大奥における陰湿な争いが続くということでもあります。本作のタイトルは一風変わった「茶会の乱」、文字通り大奥における茶会を巡る一波乱が描かれることになるのです。

 将軍就任からほどなくして大奥粛正に乗り出した将軍吉宗。天英院と月光院、先代、先先代将軍の時代から大奥を牛耳る二人に対して当てつけるように、吉宗が近づいたのは、大奥で忘れ去られていたように暮らしていた竹姫であります。

 俄然、大奥の注目を集めるようになった竹姫を守り、支えることとなったのが、我らが聡四郎。前作では、代参で城外にで出た竹姫を襲った刺客と死闘を繰り広げた聡四郎ですが、本作で展開されるのは、その聡四郎の剣も及ばない戦い――大奥での茶会であります。

 吉宗憎しで時に結託するものの、元々は不倶戴天の敵とも言える天英院と月光院。その二人が茶会を開くことになったのですが…しかし茶会とは言い条、そこで繰り広げられるのは、相手を引きずり下ろし、自分が上に立とうという陰湿な争いであります。

 茶会で用いられる茶や菓子の手配、場所取りに至るまで…今回繰り広げられるのは、ここまでやるか! と言いたくなるような、潰し合いとも言うべきもの。なるほど、女の城たる大奥で行われるこれは、女の合戦と言うべきでありましょうか。

 さて、その「合戦」に巻き込まれることとなった竹姫ですが、直接の危険はないとはいえ、吉宗の命で竹姫付きの用人となった聡四郎にとっては、おろそかに出来ぬイベント。
 しかしもちろん、彼が直接足を踏み入れることができぬ大奥において、彼が如何にして竹姫を助けるか? それが本作の注目ポイントかと思いきや――全てを上様がかっさらっていくのですから、本当に人が悪い。

 普段は聡四郎に対して無理難題をふっかけこき使う(上田作品定番の)鬼上司の役回りの吉宗ですが、本作のクライマックスにおける姿は威風堂々、台詞がマツケン声で聞こえてくるような頼もしさなのであります。

 しかしその直後に、吉宗が竹姫に執着する真の理由が明かされるというのがまた心憎い。あまりの年の差カップルぶりに、上様はもしや…などと思ったこともありましたが、いやはや、やはり陰謀家という点では本作一、実に「らしい」吉宗像にはニヤリとさせられます。


 さて戦いは、しかし、女の城で繰り広げられるものだけではありません。本シリーズの陰の主役、負の主役とも言うべき伊賀者たちも、まだまだ元気に(?)暗躍いたします。

 物語の冒頭から聡四郎と対立を続ける御広敷伊賀者。これまで幾度となく聡四郎を襲撃し、ついに前作で進退窮まったと思われた(元)組頭・藤川は、ついに御広敷伊賀者の身分を捨てるのですが――さて、禄を離れた彼が、いかにしてこの先生きていくのか?

 本作で描かれる彼の、ある意味鮮やかな去就、そしてそれが引き起こす影響は、むしろここまで来れば感心する域。禄を離れるという、侍の――そして上田作品の登場人物たちの――行動原理の逆をいく彼は、これからも本シリーズをかき乱すのではありますまいか。


 大奥の女たち、将軍、禄を捨てた忍び…こうした破格の面々に対すると、正直なところ、今回も聡四郎は食われがち、というより、狂言回し的な立ち位置という印象ではあります。
 しかし彼と紅にとって、人生最大のイベント――そしてそれは上田作品共通のテーマ「継承」の象徴でもあります――が近づく中、同時に彼らに迫る命の危機。

 前作で聡四郎に捕らえられたくノ一・袖の去就も含め(紅や玄馬との会話は、ある意味本シリーズのテーマを示すものとして実に印象的であります)、やはり次の展開が気になってしまうのです。

「茶会の乱 御広敷用人大奥記録」(上田秀人 光文社文庫) Amazon
茶会の乱: 御広敷用人 大奥記録(六) (光文社時代小説文庫)


関連記事
 「女の陥穽 御広敷用人 大奥記録」 帰ってきた水城聡四郎!
 「化粧の裏 御広敷用人 大奥記録」 嵐の前の静けさか?
 「小袖の陰 御広敷用人大奥記録」 大奥の波瀾、外の世界を動かす
 「鏡の欠片 御広敷用人大奥記録」 最強の助っ人!? 女の覚悟と気迫を見よ
 「血の扇 御広敷用人大奥記録」 陰の主役、伊賀者たちの姿に

 今日も二本立て 「大江戸火盗改・荒神仕置帳」&「破斬 勘定吟味役異聞」
 「熾火 勘定吟味役異聞」 燻り続ける陰謀の炎
 「秋霜の撃 勘定吟味役異聞」 貫く正義の意志
 「相剋の渦 勘定吟味役異聞」 権力の魔が呼ぶ黒い渦
 「地の業火 勘定吟味役異聞」 陰謀の中に浮かび上がる大秘事
 「暁光の断 勘定吟味役異聞」 相変わらずの四面楚歌
 「遺恨の譜 勘定吟味役異聞」 巨魁、最後の毒
 「流転の果て 勘定吟味役異聞」 勘定吟味役、最後の戦い

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.16

「星紋の蛍」第1巻 姫になれぬ彼女が挑むもの

 隠の里に生まれ、忍びの父と兄を持ちながらも、その素顔を隠すように大事に育てられた少女・蛍。戦で父と兄が消息を絶ち、天涯孤独となった蛍を、ある日自らの屋敷に伴ったのは、石田三成だった。自分を姫君のように育てる三成に、密かな想いを募らせていく蛍だが、彼女を待っていた運命は…

 「天下一 !!」で天正年間に織田信長とその小姓たちを描いた碧也ぴんくが、その信長が本能寺の炎に消えた直後の時代を描く、時代ロマンであります。

 主人公となるのは、類希なる美貌を持つ忍びの生まれの少女・蛍。そして彼女が想いを寄せるのは、次代の覇者たる羽柴秀吉の懐刀――石田三成であります。

 父も亡き母も、兄も忍びとして働きながらも、何故か忍びの技を教えられず――それどころか、己の顔を隠すように育てられた蛍。
 しかし偶然その顔を見た三成は、蛍の父と兄が戦場に消えた後、蛍を引き取り、己の屋敷に住まわせるようになります。

 正室が嫉妬するほどにまるで深窓の姫君を育てるかのように蛍を磨き上げ、飾り立てていく三成。そんな三成に、半ば当然のように惹かれていく蛍なのですが、しかし三成の真意が、残酷な形で蛍の前に明らかになるのです。


 私のようなおっさんが言うのもなんですが、やはり貴公子に見初められ、美しく磨き上げられて、彼と結ばれるというのは、女性にとって一つの理想――という言い方がよろしくなければ、繰り返し物語のモチーフとされるだけの魅力を持つ内容と申せましょう。

 本作において、蛍が夢中になって読みふける源氏物語がそうであるように。
 …そして、その源氏物語に描かれる恋愛模様、人間模様が決して美しいばかりではないように、蛍の運命もまた、皮肉かつ残酷な形で大きく動かされることになります。

 最近ではすっかり良い役回りの多くなった三成ですが、本作の三成も、颯爽としたビジュアルかつ才気煥発、そして(蛍にとっては)優しく頼りがいのある男性として描かれます。
 が、彼にとって決定的に欠けるのは――これはこれまでの三成像に重なる部分が大きいですが――周囲の人間の心を慮るということ。自分の正室の名前を忘れる(覚えていない)ほど、ある種の合理性を持つ彼が、単に蛍が美しいからといって、彼女の世話をするものかどうか?

 ここで描かれるのは、男の身勝手さ――というよりある種の無神経さでありましょう。そしてそれに泣くのは、蛍ばかりではありません。
 そう、この第1巻終盤に登場するのは、ある意味最もそれに泣かされた人物。後世には――かつての三成のように――悪評の方が多く残される人物ですが、しかし客観的に、いや彼女の立場になって考えてみれば、その人生がどれほど惨苦に満ちたものであったかは、容易に想像がつきましょう。

 姫として生まれながらも泣くことすら忘れた彼女と出会うことで、姫たることを求められながらも姫になれない蛍の何が変わるのか。
 それは、言い換えれば、個人の想いなど容易く押しつぶす残酷な歴史のうねりの中で、人に何ができるかを問うことになるのではありますまいか。
 そしてそれは、作者の歴史漫画のほとんどに共通する主人公像であります。


 蛍の物語は、この第1巻の時点では、ようやく本編に入ったところでありましょう。
 季刊誌ゆえ、なかなか先の展開を読むことができないのがもどかしいのだけが、残念な点ではありますが、こちらもじっくりと腰を据えて、彼女の挑戦を追っていくことといたします。


「星紋の蛍」第1巻(碧也ぴんく 祥伝社幻想コレクション) Amazon
星紋の蛍(1) (幻想コレクション)


関連記事
 「天下一!!」第1巻 ギャップを越えて生き延びろ!
 「天下一!!」第2巻 異なるもの、変わらないもの
 「天下一!!」第3巻 彼女のリアリティは何処に
 「天下一!!」第4巻 彼女が歴史を変えるわけ
 「天下一!!」第5巻 リア充パワーは歴史を変えるか!?
 「天下一!!」第6巻 そして彼女の覚悟の行き着くところ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.15

「安倍晴明あやかし鬼譚」(その二) 虚構と現実の関係性の先に

 六道慧の「安倍晴明あやかし鬼譚」の紹介の後編であります。本作における「現実」に影響を与える「源氏物語」の存在が意味するものは――

 我が国最大の「物語」として、今なお読み継がれる「源氏物語」。
 しかしすべての物語が(主に著者を取り巻く)現実と無縁ではないのと同様、「源氏物語」もまた、当時の宮中の、当時の都の現実を映し、影響を受けているのです。

 そしてそれと同時に、「源氏物語」が現実世界に様々な影響を与えてきたのもまた事実。本作は、そんな現実と物語の関係性を、物語の中心に取り込んで見せます。

 物語の中で、紫式部の思惑とは異なるところで生命を持ち始める「源氏物語」。事件の黒幕が仕掛け、そして晴明が取り込まれたのは、このいわば「物語の魔」と言うべきものであります。
 そして超自然的なものとは全く別の、むしろ正反対のベクトルで物語を歪めようとする権力者の傲慢(しかしそれに対して下される裁きの痛烈なこと!)さ。そして物語を著すことへの紫式部の――当然彼女には作者自身の姿が投影されていることでしょう――不安と自負。

 そうしたものが入り交じった結果、本作は優れた平安伝奇であるのみならず、「源氏物語」という作品を通じて、現実を侵食する物語の姿を描く一種のメタフィクショナルなホラーとして、見事に成立しているのであります。


 しかし――本作で真に印象的な点は、さらにその先に存在します。

 本作の主人公は、安倍晴明であり、そして同様に重要な役割を果たすのが紫式部であることは上で述べたとおり。
 しかし、本作で真に中心となるのは、実は二人の女性――共に一条帝の寵を競う藤原顕光の娘・元子と、藤原道長の娘・彰子なのであります。

 同じ帝の女御として入内しながらも、彼女たちはそれぞれに鬱屈を抱えています。
 悲しい事情により尼となり、父の虐待に近い悪罵に晒される元子。父に大事にされながらも同時に父の強引な振る舞いに心を痛める彰子。

 しかし彼女たちにとっての最大の悲劇は、共に一条帝を愛しながらもそれを素直に表に出せず、そして何よりも帝の心の中には、亡き中宮定子があること。
 そんな二人の境遇が、「源氏物語」に共鳴し、様々な怪異と結びつくことになるのですが――

 そんな、自分の人生を生きることができず、いわば他人の物語の登場人物であることを強いられていた彼女たちは、しかし、本作の物語を経て、自分が自分の物語の主人公たることに目覚めることになるのです。


 奇想に富んだ伝奇物語の先に、物語が現実に与える影響は、決してネガティブなものだけではないこと――そして人は、自分の物語の主人公たり得ることを、日本最大の物語を題材に示してくれる本作。
 先に述べたとおり、現実と物語の関係性を巧みに浮き彫りにしてみせた名品であります。


「安倍晴明あやかし鬼譚」(六道慧 徳間文庫) Amazon
安倍晴明あやかし鬼譚 (徳間文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.14

「安倍晴明あやかし鬼譚」(その一) 晴明と紫式部、取り合わせの妙を超えるもの

 都で頻発する怪異と奇怪な人死に。それと時を同じくして安倍晴明は自分が「光の君」と呼ばれる夢を見る度に若返り、陰陽師としての力を失っていく。謎の弥勒法師が暗躍する中、うち続く怪事は「源氏物語」と奇怪な符合を示していく。果たして晴明は絡み合う謎を解き、都を守ることができるのか?

 今から13年前に「源氏夢幻抄 安倍晴明伝」のタイトルで刊行された作品が改題文庫化された作品であります。実は私は今回が初読なのですが、それを土下座して詫びたくなるほどの作品、物語と現実が複雑に入り乱れる平安伝奇の快作です。

 大陰陽師として知られながらも、齢84となり、数年前から衰えを隠せない晴明。しかしある晩、自分が「光の君」と呼ばれる少年となった夢を見た晴明が目を覚まして知ったのは、いかなる不思議か、彼の体が壮年のそれに若返っているという事実でありました。

 一方、その頃都を騒がせていたのは、大内裏北面の不開の門が何者かによって開かれ、さらに突然人々が命を落とす鬼撃病の流行と、数々の怪異。
 息子の吉平とともに怪異を祓うべく挑む晴明ですが、しかしうち続く怪異に手を焼くばかり。そればかりか、幾度も光の君の夢を見るたびに彼は若返り、そして同時に陰陽師としての力を失っていくことに…


 貴族たちが陰湿な権力闘争を続け、姫宮たちが帝の寵を巡って対立する中、都を滅ぼさんとする何者かの陰謀に陰陽の技を以て立ち向かう…
 というのは安倍晴明もの、というより陰陽師ものの典型的なパターンでありましょう。

 本作も表面的にはその系譜に連なるものではありますが、しかし類作とは大きく異なる魅力があります。
 それは、本作において、「源氏物語」が大きな意味を持つ点であります。

 本作にも描かれているように、晴明は当時としては相当に長寿を保った人物。それ故、彼と接点のあった――あるいは彼と同時代を生きた歴史上の有名人は少なくありません。
 あるいはこの点も晴明を主人公とした作品が引きも切らない理由の一つかもしれませんが、それはともかく、紫式部との共演はなかなかに珍しく、それだけでも大いに胸躍るものがあります。


 しかし本作の魅力は、そうした取り合わせの妙に留まりません。
 本作において、晴明は夢の中で光の君=光源氏と一体化して物語の一部を体験し、そして同時に現実において、あたかも「源氏物語」の内容を敷衍するような出来事が頻発することになります。

 いや、そればかりか、紫式部が発表する前の草稿に、現実の出来事がいつの間にか書き込まれ――ここに現実と物語は複雑に入り交じり、互いに影響を与えながら、互いを変容させていくのであります。

 以下、長くなりますので次回に続きます。


「安倍晴明あやかし鬼譚」(六道慧 徳間文庫) Amazon
安倍晴明あやかし鬼譚 (徳間文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.13

「いかさま博覧亭」単行本未収録分復活!

 両国の見世物小屋を舞台に、ちょっとおかしな人間たちと妖怪、付喪神たちが引き起こす騒動を描いたお江戸コメディ漫画「いかさま博覧亭」。掲載誌の終了によって無念の無期限停止絶となった本作には単行本未収録分があったのですが、この度それを意外な形で読むことが出来るようになりました。

 それがAndroidアプリ「【マンガ全巻無料】いかさま博覧亭」であります。
 タイトル通り、「いかさま博覧亭」全巻をダウンロードして読むことができるこのアプリ、前作に当たる「怪異いかさま博覧亭」全5巻に、「いかさま博覧亭」の既刊2巻の全7巻が読めるのですが…そこに何と8巻目の表示が。

 この幻の8巻目こそが単行本未収録分――といっても、実際は40ページほど(大体普通の単行本の1/4程度)なのですが、それでもこうして読めるようになったのは本当に嬉しいことであります。
 何しろ本作が掲載されていた「電撃コミックジャパン」はwebコミック誌。紙の雑誌であれば、単行本未収録分も探せば手に入る可能性がありますが、webでは公開停止となってしまえばそれまでなのですから…

 今回の公開形式がベストなものであるかは私には判断できませんが(私はそうでもありませんが、無料ゆえアプリ中に広告が多いことやアクセス権限を気にされる方もいるでしょう。そこは自己責任で)、どんな形でもこうして復活してくれたことは、本作の大ファンとしては本当に嬉しいことであります。

 さて、今回の未収録分は十一幕、十二幕に相当する2つのエピソードから構成されています。

 十一幕で描かれるのは、付喪神の一人にしてある意味本作では珍しい正当派ヒロイン(?)の八咫メインのお話であります。
 熊野牛王の起請文に描かれた烏たちが変じた八咫。主人公・榊にベタ惚れしつつも照れ屋でなかなか行動を起こせなかったものが、自分でも気付かなかった秘密を知って…
 と、いかにも本作らしい、きわどくなりそうで全くならない、微笑ましい一幕です。

 そして十二幕の舞台は、年の瀬の四ツ目屋。博覧亭や両国の見世物小屋の面々が、年末恒例の餅搗きのバイトに励む中でのエピソードです。
 こちらは(人間の)レギュラー陣ほぼ総登場のところに、また何とも面倒な新キャラが登場しての、こちらもまた実に本作らしい楽しいお話でありました。


 これまで幾度も復活してきた本作…ということはそれだけ苦難の道を歩んでいるということではありますが、しかしそれでもちゃっかり復活してきたのは、本作に登場してきた妖怪たちの生命力や、何よりも榊たちのしたたかさを思わせてくれます。
 今回の復活が、今後に繋がるか――それはもちろんまだわかりませんが、私にとっては、これからも待ち続ける格好の燃料となったことは間違いありません。



関連記事
 「怪異いかさま博覧亭」 面白さは本物の妖怪コメディ
 「怪異いかさま博覧亭」第2巻 妖怪馬鹿、真の目的?
 「怪異いかさま博覧亭」第3巻 この面白さに死角なし
 「怪異いかさま博覧亭」第4巻 陰と表裏一体の温かさ
 「怪異いかさま博覧亭」第5巻 博覧亭、これで見納め!?
 「いかさま博覧亭」第1巻 博覧亭、いよいよ新装開店!
 「いかさま博覧亭」第2巻 相変わらずの妖怪騒動
 「いかさま博覧亭」同人ドラマCD いかにもな感触のCD化
 「いかさま博覧亭」同人ドラマCD2 音だけでも楽しい大騒動
 「いかさま博覧亭」同人ドラマCD3 豪華3エピソード収録…?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.07.12

「真・餓狼伝」第6巻 古い時代を背負う者から新たな時代へ旅立つ者へ

 明治を舞台に若き格闘家たちの激突を描いてきた「真・餓狼伝」も、この第6巻で完結。想像以上に早い完結はまことに残念ではありますが、しかしこの最終巻で描かれたのは、一つのまことに美しい物語の結末と始まりであったかと思います。

 丹波流の交流会(という名の潰し合い)に優勝した丹波文吉に迫る奇怪な影。それは丹波流の先達たち――実は丹波流には80年に一度、交流会の優勝者が、その時代に最強の流派に挑み、これを潰すというしきたりがあったのであります。

 いきなり伝奇的な…いや文明開化の時代にアナクロ極まりないしきたりでありますが、これを拒めば待つのは死。そして、その命を果たしたとしても待つのはおそらく死…
 行くも死、行かざるも死の運命から文吉を逃すために、父・久右衛門は大いなる選択をすることとなります。


 本作において最大の謎であった久右衛門の行方。物語開始時点には既に亡くなっていたこと、そしてそれが講道館と関係があるであ
ろうことは、文吉の行動から読みとれますが、しかし謎のままであったその詳細が、ここに明らかになるのであります。


 実に、この最終巻の主役は久右衛門と言っても過言ではないかもしれません。
 これまでもそのユーモラスなビジュアルや言動、しかしその中に熱く脈打つ自流派への誇り、そして何よりも文吉への愛は強く印象に残ってきたところではありますが――この巻で描かれた二つの戦いは、そんな久右衛門という人物の集大成と言えましょう。

 指導者として、研究者としては超一流であっても、格闘者としてはお話にならなかったはずの久右衛門。そんな彼が挑む二人の敵は、作中でも屈指の存在であります。

 そんな相手に対し、久右衛門が如何に戦ったか、そして彼を突き動かし、支えたものが何であったか…
 文吉に対してそれが明らかにされるラストは、そしてそこで久右衛門を評する嘉納治五郎の言葉には、ただ涙涙であります。

 近世から近代へと大きく移り変わる時代の中で、格闘に打ち込む者、そして彼らを育てる者たちの姿を描いてきた本作。
 その結末に、古い時代を背負ってきた者が、新たな時代へ旅立つ者に想いが受け継がれる姿が描かれ、そしてそれがそのまま、新たな戦いの始まりへと繋がっていくというのは、まことに美しい終幕と言えるのではないでしょうか。


 まだまだ描くべき内容、描ける内容はあったと思います。基本的にイイ話のため「餓狼伝」という印象があまりなかったという点はあります(個人的には、前田光世を描く予定だという「東天の獅子 地の巻」の序章と呼んでもよいのではないかという気もしますが、それはそれでよし)。

 しかしそれでも本作で描かれたもの、移りゆく時代の中で変わっていく格闘者たちの生き様、そして変わらず受け継がれる想いは、爽快極まりないものであり――ここまでの物語で、それは明確に描けていたとも感じるのであります。
 「時代」格闘漫画として、よいものを見せていただきました。


「真・餓狼伝」第6巻(野部優美&夢枕獏 秋田書店少年チャンピオン・コミックス) Amazon
真・餓狼伝 6 (少年チャンピオン・コミックス)


関連記事
 「真・餓狼伝」第1巻 混沌の明治に餓狼現る
 「真・餓狼伝」第2巻 餓狼を支える血の絆
 「真・餓狼伝」第3巻 明治の武術に人が求めるもの
 「真・餓狼伝」第4巻 拳と剣、時代を超えるための死合
 「真・餓狼伝」第5巻 開かれた未来と立ち塞がる過去と

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.11

「眠狂四郎殺法帖」上巻 奇怪なヒーロー、狂四郎がゆく

 権力の座を巡り、激しく争う水野忠邦と水野忠成。眠狂四郎は、佐渡金山で行われた不正の証拠を巡る両者の暗闘に巻き込まれる。狂四郎がやがて知ったのは、忠成一派が、将軍家斉に麻薬を盛り、人事不省に陥らせているという陰謀だった。さらに一連の事件の影には、大商人・銭屋五兵衛の姿が…

 眠狂四郎シリーズ第3弾は、激しく火花を散らす老中同士の暗闘と、加賀の大商人・銭屋五兵衛の陰謀を描く「眠狂四郎殺法帖」であります。

 縁あって、西丸老中・水野忠邦の懐刀・武部仙十郎を後見人としている眠狂四郎。その依頼で、忠邦の上屋敷から消えた極秘の文書を探す狂四郎が見破ったその在処は、なんと将軍家お手付中臈の…
 という、まことに眠狂四郎らしい趣向の「美女放心」から始まる、長編ストーリーであります。

 長編と言いつつも、他のシリーズ作がそうであるように、むしろスタイル的には長編の各章が短編の形式となっている、と言うべき本作。

 西丸老中と本丸老中の権力闘争の鍵を握、佐渡金山を巡る汚職と、それを探るべく散っていった幕府隠密を巡る謎、本丸老中一派と結ぶ銭屋五兵衛が巡らせる驚くべき陰謀、さらには事件の中で狂四郎に恨みを抱いた忍び一派との死闘――

 メインとなるストーリーラインはもちろんあるものの、やはり印象に残るのは、切れ味鋭い、そして雅味すら感じさせる筆致で描かれた、眠狂四郎が出会う奇怪な事件、人間模様の数々でありましょう。


 それにしても眠狂四郎というのは、実に奇怪なヒーローであります。

 というのも、彼を構成する特徴の数々を説明することは容易くとも、彼の行動原理、依って立つところを――たとえば作品を全く未読の人間に――説明するのは、実は非常に難しい、のであります。

 彼の基本は市井無頼の徒であるものの、先に述べたとおり、後見人の武部仙十郎の依頼があれば、将軍家のために剣を振るうこともある。
 しかしもちろん、それはあくまでも彼が興味を覚えた場合に限るのであり、天下の権力や法などといったものに縛られるものではなく、むしろ平然と背を向けるものでもある…しかし、だからといっていたずらに弱者を苦しめる悪人でもなく、同時に女人を犯すのに躊躇うものでもない。

 そんな狂四郎の複雑怪奇な行動は、本作においても遺憾なく描かれていると申せましょう。何しろ、本作のメインの流れにおいて、彼が謎解きに乗り出し、孤剣を振るう理由が、振り返ってみれば明示されているわけではない――ないわけではないが、通常の物語からすればあまりにも弱い――のですから。

 冷静に考えてみればある意味恐ろしい話ではありますが、しかしそれこそが狂四郎らしい、と納得できてしまうのも、また事実なのであります。
 明確に彼が行動原理を、その立ち位置を語ることはなくとも、彼の一挙手一投足が、雄弁にそれを物語る、我々を納得させる――ある意味、キャラクター小説の極みに達している感すらあります。


 しかし、その魅力はもちろん、その狂四郎の活躍の舞台となる物語の、それを描き出す描写の妙があってこそ。本作で見れば、上巻後半の3連作――狂四郎を仇と狙うおばばによる残酷な復讐と、囚われの身になった狂四郎の苦境と脱出を描く一連のエピソードは、その一つ一つの要素が、大衆文学の妙と呼んで差し支えないほどの完成度として感じられるのであります。
 特に脱出した狂四郎が追っ手との決闘に臨む場面など、彼自身が、少々芝居がかっていると自嘲するほどの美しすぎる決闘シーン。見事としか言いようがありません。


 もっとも、その一方で「無頼控」ラストで壮絶な最期を遂げたはずの悪役が平然と登場していたりと(まあ、史実ではさらにその前に既に死んでいるのですが…)、粗もあるのもまた事実。

 サブキャラクターが途中退場してしばらく登場しないなど困った点もあるのですが…それでも早く下巻を読みたくなる気持ちには変わりはない、そんな作品であります。


「眠狂四郎殺法帖」上巻(柴田錬三郎 新潮文庫) Amazon
眠狂四郎殺法帖 (上) (新潮文庫 (し-5-14))


関連記事
 「眠狂四郎独歩行」上巻 風魔と黒指と狂四郎と
 「眠狂四郎独歩行」下巻 亡霊と亡霊の対決の果てに
 「眠狂四郎京洛勝負帖」 狂四郎という男を知る入り口として

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.10

「炎を統べる るろうに剣心・裏幕」前編 描かれるか、志々雄の歪み

 いよいよ劇場版第2弾公開も目前となった「るろうに剣心」ですが、前回同様、今回も「ジャンプSQ」誌に和月伸宏による漫画が掲載されることとなりました。「るろうに剣心・裏幕」と謳って、剣心の最大の敵・志々雄真実を主人公とした番外編、「炎を統べる」です。

 物語の舞台となるのは明治10年。かつて剣心を継ぐ人斬りとして活躍した志々雄が、その危険性から抹殺されかけ、全身包帯の異様な姿に変じてから後の物語となります。

 既に瀬田宗次郎と佐渡島方治を配下とした志々雄が姿を現したのは新吉原、そこに身を潜めた彼は、各地で集めた「十本の刀」が揃うのを待っているというのですが…
 そこで彼と出会ったのが、見世で昼三を務める駒形由美。後に志々雄の情婦となり、最後の最後まで彼と運命を倶にした美女であります。

 かつて炎を纏った剣を操る男に家族を皆殺しにされて遊女に身を落とした由美ですが、昼三といえば一番の売れっ子。本編でも語られたマリア・ルーズ号への怒りを胸に、明治政府の人間だけは客に取らないという気概の持ち主です。

 本作は、この志々雄と由美の出会いの物語。上で述べたように、後には深い絆で結ばれた二人ではありますが、本作の段階ではまだ客と遊女――いや、志々雄は彼女の客ですらなく、見世の居候的存在であります。

 自分だけでなく、妹分と二人の禿のことも背負って生きんとする由美を、馬鹿者とあざ笑う志々雄。そしてまだ明言はされていないものの、おそらくは志々雄が家族の仇であろう由美。
 尋常な形では交わりそうにない二人の生き方が、果たしてどのようにこの先結びつくのか――それが気になるところであります。そしてその中で、由美が見出した志々雄の魅力というものが描かれるのでしょう。


 個人的な印象ではありますが、本編をリアルタイムで読んでいた際には、今一つ志々雄というキャラクターに魅力が感じられませんでした。
 弱肉強食・適者生存を唱え、自らを強者としてこの世の支配を目論む野望の男――なるほど、一つの人物の在り方かもしれませんが、いかにも少年漫画の悪役という印象は拭えません。

 これは一つに、「るろうに剣心」という作品、いや、現在に至るまでの作者の作品に登場する悪役が――敵役のための敵役である雑魚は除いて――どこか普通ではない、一筋縄では行かない「歪み」を持っていることにもよるのではないかとは思います。
 その点からすれば、志々雄のキャラクターはある意味ストレートに過ぎたようにも思うのですが…

 しかしその志々雄が、「武装錬金」や「エンバーミング」を経た作者の手によって、どのように「歪み」――もちろん、「歪みない」という「歪み」も含まれます――を持ったものとして描かれるのか。

 今回の敵役であろう、西南戦争で活躍したという弘原海兵団を率いる一ヶ瀬鮫男(士族でも浪人でもなく「軍人」という立ち位置は面白い)と志々雄の対峙の中で、おそらくはそれ描かれるのではありますまいか。
 まだ見ぬ志々雄の真実に期待する次第です。


「炎を統べる るろうに剣心・裏幕」前編(和月伸宏 「ジャンプSQ」2014年8月号掲載)


関連記事
 「るろうに剣心 銀幕草紙変」 もうひとつの劇場版るろうに剣心
 映画「るろうに剣心」(前編) 良い意味での漫画らしさを映像に
 映画「るろうに剣心」(後編) 描かれたもの、描かれるべきだったもの
 「るろうに剣心 キネマ版」 るろ剣という物語の過去・現在・未来

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2014.07.09

「ろくヱもん もののけ葛籠」 明るさと健全さの妖怪活劇

 夢のお告げで、鈴ヶ森の刑場近くにやってきたろくヱもん。そこに現れたのは奇怪な妖怪に追われる老人と娘のお鈴だった。舌切雀のお宿の物ノ怪葛籠を探すという二人を助けたろくヱもんだが、その前に妖怪師・和田倉式部が現れる。ろくヱもんとちま又は、お鈴を守り、葛籠を見つけることができるか!?

 自称・六道の辻の守り番、ろくヱもんこと辻風六右衛門が帰ってきました。江戸の辻に立って通る人を占い、そして無辜の民に取り憑いた妖怪・魔物・祟り神を祓う、謎めいたヒーローであります。

 謎めいたというのはほかでもない、彼が力を借りるのは第六天魔王、そして彼の住むのは、数多くのおかしな妖怪たちが住み着いた魔天屋敷――普段は飄々とした暢気な顔を見せるかと思えば、凄まじい妖術・武術を操る、そんな怪青年なのであります。

 前作にしてデビュー作「大江戸もののけ拝み屋控 ろくヱもん」では、江戸を騒がす巨大な魔・のびあがりと激闘を演じたろくヱもん。その時に相棒となったちびの猫神・虎縞長尾守ちま又之助強髭、通称ちま又も相変わらず元気で、マスコット兼コメディリリーフとして、物語をひっかき回してくれます。

 さて、そんなろくヱもんとちま又が巻き込まれる今度の事件は、なんとかの「舌切雀」のおとぎ話に登場する、あの大きな葛籠と小さな葛籠にまつわる戦い。
 実は現実のものであった――いやそれどころか、何ともスケールの大きな、伝奇的出自と秘密を持つ葛籠を巡り、ろくヱもんはその葛籠を求めてやってきた少女・お鈴を守り、葛籠の在処にまつわる謎に挑むことになります。

 彼らの敵となるのは、妖怪老中の異名を持つ悪徳武士と、その配下の妖怪師(妖怪使い)・和田倉式部。
 邪悪な権力者と結び、奇怪な妖術・妖怪を操る妖術師に苦しめられる人々を救うため、ヒーローとすっとぼけた妖怪たちが活躍するというのは、朝松妖怪時代小説の定番ではありますが、今回は葛籠の在処を巡る謎解きと、魔天屋敷の妖怪たちの大暴れが、ぐいぐい物語を引っ張っていくことになります。

 特に本シリーズにおいては、先に述べたリアル猫侍とも言うべきちま又が、猫らしい騒々しさと憎たらしさ、そして何よりもかわいらしさで楽しませてくれるのですが、今回は謎解きに忙しいろくヱもんに代わっての大活劇。
 さらにそこに助太刀として加わる魔天屋敷の妖怪連中が、ちょっと意外な面子で実に楽しい。こんなのが役に立つのかしら? と思ってしまうような連中が大活躍、というのは一種のお約束かもしれませんが、いやはや、そのすっとぼけぶりがなかなかよろしいのであります。

 そして葛籠の謎解きの方も、ちょっと意外な内容ではありますが、作者のファンにとってはなるほど、と感覚的に理解できてしまう趣向なのが嬉しいところ。
 作中に、魔術的趣向をフッ盛り込んでくるというのは、前作も同様でしたが、これは本シリーズに共通する隠し味なのかもしれません。


 …しかし何よりも本作の最大の魅力は、その明るさ、健全さでありましょう。

 悪人や妖怪が跋扈し、妖術魔術が入り乱れる世界でありながら、しかし本作の読後感、いや、読んでいる最中も明るく爽やかに感じられます。
 それはそんな世界だからこそ――そしてそれを読む我々がこんな現実だからこそ――それに挑む者たちは、どこまでも明るく楽しく、頼もしく描きたいという、作者の想いあってこそ。

 そしてそれを体現するのが、どんな時でも明るさを忘れないろくヱもんのキャラクターであることは、間違いありません。

 ヘビーで複雑怪奇な妖怪時代小説ももちろん結構であります。しかし時には現実のことは忘れて、楽しい怪異の世界に遊びたいという気持ちになることもまたあります。
 そんな時には何よりの、明るく楽しく正しい妖怪時代小説であります。


「ろくヱもん もののけ葛籠」(朝松健 徳間文庫) Amazon
もののけ葛籠: ろくヱもん (徳間文庫)


関連記事
 「大江戸もののけ拝み屋控 ろくヱもん」 明るく、激しく、恐ろしいニューヒーロー見参編

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.08

「朧月夜の訪問者」 美しくも無惨な純粋平安ホラー集

 長尾彩子といえば、「裏検非違使庁物語」など、少女向けレーベルで、気になる作品を発表している作家。本書は、どちらかと言えば明るい作風という作者のイメージを一変させるような、平安時代を舞台としたホラー小説集。「cobalt」誌に発表した三編に、書き下ろし一編を加えた全四編構成であります。

 本書に収められた四編は、いずれも同じ時代を舞台とするらしく、共通する脇役も登場するものの、各編は内容的には完全に独立し、主人公もまた別々の人物となります。
 …しかしそれも道理、各編で主人公が迷い込むのは、この世のものならぬ怪奇と、この世の人間の狂気が入り乱れる世界。一度そこに踏み込んで、無傷ですむなど、あろうはずがないのですから…

 そんなわけで、本書の収録作で描き出されるのは、一見少女レーベルの平安ものに相応しい舞台・キャラクターを配置しつつも、いずれも驚くほど凄惨でおぞましい物語の数々。
 平安時代を舞台とするホラー、それも少女レーベルで、というのは――特に作品の一要素ではなく、そのものズバリというのは――意外に少ないかと思いますが、その中でもこれほど救いようのない物語が大半を占めるのは、相当に珍しいのではありますまいか。

 孤独に暮らす美しい姫君とその乳姉妹が、つきまとう男の狂気に次第に追いつめられていく「朧月夜の訪問者」
 青い瞳と桜のような爪を持つ美少女が、血の繋がらない愛する兄の秘密を知ったことから恐怖に巻き込まれる「瑠璃と桜の人魚姫」
 過去の悲しい事件から声を失った姫君が、ようやく心を動かす男性と出会ったものの、罪の意識に怯えて…という「白露の契り」
 身寄りのない少年が、実は自分の兄だという大陰陽師の家に迎えられるものの、そこで悪意と狂気に苛まされる「紅雪散らす鬼」

 美しいタイトルに相応しい、美しい登場人物、美しい舞台、美しい物語――それが容赦なく壊されていくという悪夢めいた世界に最も近いのは、やはり少女漫画のホラーものでありましょうか。
 恐怖とのバトルではなく、ただ恐怖そのものを描く…ある意味純粋な世界でありましょう。


 とはいえ、正直に申し上げれば、本作の描写は、純粋に恐怖を、あるいは平安世界を味わうには、感心できない部分はあります。
(その最たるものが、あたかも現代っ子のような、そして身分や立場の違いを感じさせない口調で喋る女性キャラたちであることは間違いありますまい)

 また、収録作の間で出来にムラが感じられるのも事実。特に発表時期が最も古い表題作は、逆に驚くような平板さであって…

 と厳しいことを書いてしまいましたが、少なくとも後者は、裏返せば発表時期が新しくなるにつれ、尻上がりに作品の質が上がっているのと同義であります。

 特にラストに収められた、つい先日雑誌掲載されたばかりの「紅雪散らす鬼」は、生まれつきこの世のものならざるものを視ることができる少年が、ある日、本当の生家に引き取られて陰陽師としての修行を積むことに…
 という、いかにも平安ものにありそうな設定を用意しながらも、その先に待ち受けるのは少年の希望や成長の一切を――すなわち、「そういう」物語構造そのものを――否定するような悪意の数々という、底意地の悪さがたまらないのであります。


 読後感的にはかなり悪い(もちろんこれはほめ言葉ではあります)一冊であります。上で述べたような瑕疵も存在します。
 しかし、それでも本書は純粋平安ホラー作品集として珍重すべきものであり――そしてこの先も、この美しくも無惨な世界の物語が書き継がれることを、私は望むものであります。


「朧月夜の訪問者」(長尾彩子 集英社コバルト文庫) Amazon
朧月夜の訪問者 (コバルト文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.07

「戦国武将列伝」2014年8月号(その二) 平安に生まれる鬼の子、その姿は…

 リイド社の「戦国武将列伝」8月号の掲載作品紹介、後編であります。

「鬼切丸伝」(楠桂)
 これまでは戦国時代を舞台としてきた本作ですが、今回はグッと時代を遡って平安時代。
そしてそこで語られるのは…なんと鬼切丸の誕生秘話!? これは大いに驚きであります。
 私の記憶が正しければ、オリジナルシリーズである「鬼切丸」では、主人公の少年がいつ生まれたかは明確にされていなかったはず。それがここで描かれるとは!

 というわけで、平安時代に鬼といえば、当然登場するのは大江山の酒呑童子。都を騒がす酒呑童子一党に対し、源頼光の夢寐に現れた御仏は、「美しき女子」の胎内に鬼の天敵の御子を授けたと語るのですが…

 正直なところ、展開は予想がつきます。少年の悲劇についても、いささか無理があるように感じなくもありません。オリジナルシリーズの説明と、矛盾する点も感じられるのですが…
 それでも圧倒されるのは、少年が鬼と化した理由、「人間が激しい憎しみなどの感情を抱くと鬼になる」というルールが、本来であれば…である彼に対しても適用されてしまった、その経緯でありましょう。

 冷静に考えれば雑誌タイトルからは外れた内容なのですが、しかしもちろんこれはこれで大いにあり。少年の出自が明確に描かれたことで、オリジナルシリーズからついに一歩踏み出した印象すら感じられるのであります。


「セキガハラ」(長谷川哲也)
 前回は、一度は思力を失った三成の復活&成長編でありましたが、今回のエピソードの中心となるのは、家康と柳生石舟斎。
 ついに家康の下から追い出された石舟斎が出会ったのは、一度は異界に放逐された黒田長政で――

 と、本作においては今ひとついいところがなく、周囲の化け物連中に振り回されていた感のある石舟斎が、ついにリベンジか!? という今回。長政と組んでのパワーアップは、ある意味とんでもないド直球で楽しいのですが…

 しかし今回、個人的に強く印象に残ったのは、三成が島左近に投げかけた、「悪とは何か?」という問いかけの答えであります。長谷川作品で「悪」といえば、「アイゼンファウスト」で描かれたあの言葉ですが、それが今回そのまま登場…なのですが、非常に説得力のないビジュアルなのがまた可笑しいというかなんというか。

 ラストにはもう別の漫画の存在としか思えないような人物(?)も登場、果たして歴史通りの展開に落ち着くのか、今更ながら先が読めません。


「戦国自衛隊」(森秀樹&半村良)
 前回本能寺から信長を救出したことで、歴史からも、原作からも大きく離れることとなった本作。
 しかし歴史の自己修正力から本当に逃れることができるのか? という今回、よりによって救い出した信長が大暴走して…

 なるほど、これまでの「戦国自衛隊」とは異なり、人間に対して銃を向けるのは本当に最小限に留めてきた本作ですが、それがこういう形で破られるとは。
 今回、展開的にはそれほど進んでいないのですが、信長の存在感のおかげでお腹いっぱいという印象ではあります。


 というわけで想像以上に大量になってしまった「戦国武将列伝」8月号。
 特別読切の「紅娘の海」(叶精作&篁千夏)は、個人的には趣味が合わなかったのが残念。このコンビに期待されている役割はきっちり果たしているとは思いますが…


「戦国武将列伝」2014年8月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2014年 08月号 [雑誌]


関連記事
 「戦国武将列伝」2013年6月号 新登場、二つの剣豪伝
 「戦国武将列伝」2013年10月号(その一) 鬼を斬る少年、見参!
 「戦国武将列伝」2013年10月号(その二) 見よ、又兵衛の瞬発力!
 「戦国武将列伝」2013年12月号(その一) 大剣豪、その奥義は
 「戦国武将列伝」2013年12月号(その二) 若き剣豪、その歩む先は
 「戦国武将列伝」2014年2月号 自衛隊と鬼と、二つの新連載
 「戦国武将列伝」 2014年4月号 層の厚さ、安定の内容
 「戦国武将列伝」 2014年6月号 呪術と自衛隊と鬼と

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.06

「戦国武将列伝」2014年8月号(その一) 戦国に生まれる魔の子、その名は…

 早いものでもう偶数月の月末を迎えました。「戦国武将列伝」の最新号の発売であります。今回は特別読切が一本あるほかは、通常の構成でありますが、相変わらずの内容の充実ぶり。今回も印象に残った作品を一編ずつ紹介していきましょう。

「魔剣豪画劇」(山口貴由)
 残念ながら今回で最終回を迎えた本作、ラストの登場となるのは針ヶ谷夕雲。ぐっと渋いところでありますが、本作らしく、いやこれまで以上にとんでもない内容であります。

 無住心剣流の流祖、「相抜」の境地で知られた夕雲。今なお謎多きこの境地を、本作は如何に描いたと思えば…いやはや、本当に相手を抜けてしまうとは。
 これまで数々の魔剣豪を描いてきた本作ですが、本当に魔の域に踏み込んでしまうとは。しかしそれもまた、それを意外と思わせぬ妖気溢れる画の力あってこそでしょう。

 絵物語という古式ゆかしいスタイルに新しい息吹を吹き込んでくれた本作。今回で最終回というのはまことに残念でありますが、最後の最後まで、何が飛び出してくるかわからない、見事な作品でありました。


「孔雀王 戦国転生」(荻野真)
 半ば望んで稲葉山城に拉致された信長。そこで待つのは、かつて信長に関わりのあった死者たちによる五番の能であり、その四番に登場したのは信長の父・信秀で――

 と、信秀が語る信長誕生秘話が今回のメインなのですが、これがまた実に「孔雀王」しているのに驚かされます。
 道三によって信秀に与えられた南蛮女。彼女の名前が意味するものは、そして彼女から生まれた信長の存在の意味とは…

 思えば、最初の「孔雀王」は、呪われた魔の子を地上に降臨させようとする者と、その魔の子として生まれた孔雀の戦いの物語でありました。
 本作はここでその構図を見事に復活させてみせたのであり――そしてそれにより、孔雀がここで戦う必然性を提示してみせたのは、見事というほかありません。

 魔の子を降臨させようとする者の企みは常に、その子をこの世に絶望させようというものでありました。果たして孔雀はそれを粉砕できるのか…いよいよクライマックスであります。


「政宗さまと景綱くん」(重野なおき)
 今回は梵天丸の元服であり、「伊達政宗」の誕生編。もうというかまだというか…とも感じますが、実際に読んでみれば非常にテンポよく進んでいる印象があります。

 母・義姫による竺丸擁立の動きが進む中の元服。その元服と政宗の名の持つ意味を、本作はギャグを交えつつ伝えてくれます。
 というより、今回はギャグ少な目な印象…ではありますが、それでも非常にわかりやすいのは、さすがと言うべきでありましょう。

 ちなみに今回、一コマあの信長が顔を出しているのは、同時代人なのですから当然ではありますが、ちょっと嬉しいサービスであります。


 長くなりますので二回に分けます。


「戦国武将列伝」2014年8月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2014年 08月号 [雑誌]


関連記事
 「戦国武将列伝」2013年6月号 新登場、二つの剣豪伝
 「戦国武将列伝」2013年10月号(その一) 鬼を斬る少年、見参!
 「戦国武将列伝」2013年10月号(その二) 見よ、又兵衛の瞬発力!
 「戦国武将列伝」2013年12月号(その一) 大剣豪、その奥義は
 「戦国武将列伝」2013年12月号(その二) 若き剣豪、その歩む先は
 「戦国武将列伝」2014年2月号 自衛隊と鬼と、二つの新連載
 「戦国武将列伝」 2014年4月号 層の厚さ、安定の内容
 「戦国武将列伝」 2014年6月号 呪術と自衛隊と鬼と

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.05

「僕僕先生」漫画版 連載開始!

 既に一月近く前の話題で恐縮ですが、ボクっ娘仙人の僕僕と、ニートの無気力青年・王弁の不思議な旅を描く 仁木英之の中華ファンタジー「僕僕先生」が漫画化されました。朝日新聞出版の「Nemuki+」誌の7月号からの連載開始、作画を担当するのは大西実生子であります。

 「僕僕先生」シリーズについては、これまでも全作このブログで取り上げておりますが、仁木英之のデビュー作であり代表作、これまで短編集を含めて7巻刊行されているシリーズであります。
 中国は唐代を舞台とした神仙妖魔入り乱れるファンタジー…といえばさまで珍しくないようにも感じられるかもしれませんが、本作の最大の特徴が、タイトルロールたる僕僕先生が、ボクっ娘の美少女であることは、間違いありますまい。

 当然、本作を漫画化するとすれば、僕僕先生のビジュアルが最大の眼目と申しましょうか、最も気になる点であるのですが――
 少なくともキャラクターデザインの点では、全く問題なし、作中の、原作の表紙イラストのイメージを崩すことなく、ミステリアスな美少女仙人を描き出していると感じます。

 ここでキャラクターデザインの点では、といういささか奥歯にものが挟まった表現となってしまったのは、実は連載第1回においては、ようやく僕僕先生が顔を出したところで次回に続く、という展開であるためなのですが…
 しかし、夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を達者な筆で漫画化してみせた(早期の連載再開を望む!)作者ならではの柔らかな描線は、作品のムードによく合っているように感じるのであります。

 しかし個人的にこの連載第1回で強く印象に残ったのは、酒場を訪れた王弁が、一番遠くからやってきた者として、盲目の楽士から異境の物語を聴く場面であります。

 王弁にとっては(無気力な彼にとって精一杯の外界への憧れを示すものであったとしても)一時の気散じであったものが、相手にとっては二度と戻れない故郷への懐旧の念の表れとなる…
 というこの場面は、原作を初読の際はさらりと読んでしまいましたが、その後の王弁の旅が、突き詰めれば異境の人々――いや異界の人ならざる者たちも含めて――との関係性を描く物語としての性質を強く持つことを思えば、重要な場面とも感じられます。

 その場面を、本作においては静かな筆致で、しかし心に残るような重みを以て描き出しており、この点を鑑みれば、今後の展開も期待できるのではないかと感じた次第。


 実は物語冒頭には、原作読者が「おっ」と思うようなアレンジも施されており、なおさら期待は高まろうというものです。


「僕僕先生」(大西実生子&仁木英之 朝日新聞出版「Nemuki+」連載) Amazon
Nemuki+ (ネムキプラス) 2014年 07月号 [雑誌]


関連記事
 「僕僕先生」
 「薄妃の恋 僕僕先生」
 「胡蝶の失くし物 僕僕先生」
 「さびしい女神 僕僕先生」
 「先生の隠しごと 僕僕先生」 光と影の向こうの希望
 「鋼の魂 僕僕先生」 真の鋼人は何処に
 「童子の輪舞曲 僕僕先生」 短編で様々に切り取るシリーズの魅力

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.04

「帝都探偵 謎解け乙女」 お嬢様の挑む美しき探偵事件簿

 名探偵ホームズに憧れ、突然名探偵になると言い出した仁井田家の令嬢・菜富。家付きの車夫であり、彼女に忠実に仕える寛太は、彼女の助手として振り回されることになる。次々と舞い込む事件に挑む二人だが、謎を解くのは助手のはずの寛太の方。果たして数々の事件の先で二人を待つものは…

 大正時代を舞台に、好奇心旺盛な富豪の令嬢と、彼女の幼なじみであり家のお抱え車夫のコンビが難事件に挑む連作短編集であります。
 舞台的にも大いに気になっていた本作、時代ものそしてミステリの大先輩が太鼓判を押していたこともあり手に取りましたが――なるほど、これは見事な作品であります。

 翻訳されて間もない名探偵ホウムス(ホームズ)にかぶれ、自分も名探偵になると宣言したお嬢様・菜富。常に近くに仕えていたことから、彼女のその思い付きに振り回されることになった車夫・寛太は、ワトスン役として、彼女を支える羽目になります。

 しかし素人探偵が急に開業を宣言しても…と思いきや、様々なつてから彼らの元に舞い込む怪事件・珍事件の数々。
 死んだはずの親友からの手紙に怯える女学生から持ち込まれた「死者からの手紙」。
 不可解な状況下で消失した木彫りの像の行方を追う「密室から消えた西郷隆盛」
 未来から来たと自称する男からの依頼である男を捜すことなった「未来より来たる男」。
 火事で死んだはずの夫と出会った美女からの依頼から数年前の謎に挑む「魔炎の悪意」。
 そして…


 名探偵かぶれの素人探偵が、名探偵の真似をしてことごとく失敗するというのは、ユーモアミステリでしばしば見られるパターン。そしてお嬢様探偵と(真の名探偵である)使用人という構図もまた、今では既にある種お馴染みのパターンでありましょう。
 そんな二人がユーモラスなやりとりをしつつ、どこか不思議で奇妙な事件の謎を解き明かしていく…というスタイルもまた、そうしたパターンと相まって、いかにも気軽なのライトミステリ然とした第一印象を与えてくれます(お嬢様があからさまにツンデレ気味とくればなおさら)。

 もちろん、そうした作品として本作を読むことは間違いありませんし、ライトミステリとしてもキャラクターものとしても、本作は第一級であることは確かなのですが――

 が、本作がそれだけの作品だと思ったら大間違い、なのであります。

 ミステリというジャンルゆえ、ここでこれ以上説明するのが途端に難しくなってしまうのですが、一つだけ説明すれば、寛太には、トラウマと言うべき過去があります。
 彼がまだ幼い子供であった時分、無理矢理外に連れ出した菜富が遭った交通事故――そんな過失にもかかわらず自分を許し、車夫として雇ってくれた仁井田家の人々、何よりも菜富に対し、彼は大きな恩を感じているのであります。
 そんな彼の望みは、かつて菜富をひき逃げした犯人を見つけ出すこと。そのために彼は…


 という背景を説明すれば、終盤の展開は予想できましょう。しかしそこからまだ先が、まだまだ先が…そしてこれまで物語で描かれてきた全てが、一瞬のうちに別の意味を持って立ち上がってくるのであります。

 確かに荒唐無稽ではあります。出来過ぎた話ではあります(それもまた…なのですが)。しかしそれをそうと感じさせないのは、時にテクニカルに(一種の○○トリック的な部分にはただ感心)、時に力業で物語を描き出す作者の筆ももちろんのことであります。

 しかしそれと同時に、大正時代という、現代の我々の知る文化風物が生まれながらも、しかしなおも様々な点で現代の我々とは異なる――ある意味、より不自由な――舞台設定が、有効に機能していると感じられるのであります。

 その不自由さについては、作中でも折りに触れて描かれることになりますが、そんな世界でより良く、より幸せに生きるために何ができるか? 本作に描かれているのは、そのための微笑ましくも切ない、そして何よりも美しい乙女の試みなのであります。


 キャラクターものとして、大正ものとして、そして何よりも超一級の本格ミステリとして――全てを同時に成立させてみせるという離れ業を見せてくれた本作。
 最後まで読み終われば、必ず最初から、最初の最初から読み返したくなる名品であります。


「帝都探偵 謎解け乙女」(伽古屋圭市 宝島社文庫『このミス』大賞シリーズ) Amazon
帝都探偵 謎解け乙女 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.03

「迎え猫 古道具屋皆塵堂」 猫が招いた幽霊譚?

 深川の古道具屋を舞台に、真剣に怖くてちょっとイイ話の数々を描く連作シリーズ「古道具屋・皆塵堂」、待望の最新作であります。これまで数々の悩める若者を救ってきた(?)皆塵堂、果たして今回は…と思いきや、ちょっと意外な変化球。しかしもちろん、面白怖さは今回も健在であります。

 釣り好きの店主・伊平次のアバウトさもあって、曰く付きの品物ばかりが集まってくる皆塵堂。当然(?)そのために何やら怪奇の事件が起きることもしばしばでありますが、それに巻き込まれるのは、その時々、それぞれの事情で店に身を置いてきた若者たちでありました。
 幽霊が見えるのがトラウマだった太一郎、不運と陰気さの塊のような庄三郎、盗人の手引きに利用されかけた益治郎――いずれもそれぞれに不幸な若者ですが、しかし何故か皆塵堂で恐ろしい目に遭ううちに救われていくことに…というのが、これまでの本シリーズの基本ラインであります。

 当然、今回も同じだろうと思いきや、しかし今回は変化球。確かに悩める若者も現れますし、皆塵堂に新しい住人もやってくるのですが…
 その悩める若者は、太一郎の親友で棒手振りの魚屋・巳之助。そして皆塵堂に転がり込むのは彼ではなく、彼が愛してやまない存在――猫たちなのであります。

 気っ風が良くて短気で脳天気と、江戸っ子の典型のような巳之助。繊細な太一郎とは正反対の彼ですが、そんな彼の泣き所は、嫁さんがいないことと、長屋で猫を飼えないこと。それが解決するよう、毎日神社に手を合わせる巳之助ですが、何故か次から次へと、猫と古道具絡みの幽霊騒動に巻き込まれることになってしまいます。

 かくて始まるのは、皆塵堂の新旧住人たちを巻き込んで展開される大騒動であります。
 経具屋の弟子たちが次々と首をくくっていく「次に死ぬのは」
 肝試しで潜り込んだ廃屋でのいたずらが怪異を招く「肝試しの後に」
 益治郎の店で働く元遊び人と木彫りの像の因縁「観音像に呪われた男」
 煙草道具にまつわる怪異の陰に潜む意外な真実「煙草の味」
 そしていよいよ成就かと思われた巳之助の野望が思わぬことで危機に陥る「三途の川で釣り三昧」

 いずれもいかにも本シリーズらしい、いかにも作者らしい、怖いときには真剣に怖い、楽しいときには存分に楽しいエピソード揃いですが、やはり今回の最大の特徴は、やはり巳之助のキャラクターと、猫描写でありましょう。

 先に述べたように、いずれも暗い影を背負って皆塵堂にやってきたこれまでの主人公たち。それに比べると巳之助は明らかに陽性のキャラクターであり、幽霊は人並みに怖がるものの、それ以外は腕っ節と気合いにものを言わせて解決してしまうタイプです。
 そんな彼がメロメロになるのが猫たちの存在ですが――本作に登場する猫たちは、いずれも実にかわいらしく、そして猫らしい。猫らしいというのは、ああ猫はこういうことする、と納得の描写と申しましょうか、猫としてのリアリティであります。

 そしてそんな猫たちに対する巳之助のリアクションもまた実にリアルで――猫好きの方、それも自分の家で猫を飼えない方であれば、自分の行動範囲のどの家で猫を飼っており、どこに行けば猫に逢えるかは熟知しているのではないかと思いますが、本作の巳之助の行動はまさにそれ。
 猫好きという点では彼と同じ私にとっては、大いに頷ける、そしてにんまりしてしまう描写の数々でした。

 そしてもちろん、巳之助の存在も、猫たちの存在も、物語の根幹に深く関わってくることは言うまでもありません。
 何故今回、皆塵堂に幽霊と猫絡みの事件ばかり持ち込まれてくるのか――その真相のバカバカしくもどこかホロリとくる味わいは、まさにこのシリーズならではのものでありましょう。

 確かにこれまでのシリーズに比べると、怖さはちょっと薄味という点はあり、また、幽霊の出現シーケンスも似通っているのが気にかかる点ではあります。
 しかし、恐ろしい怪奇現象と、その背後に蟠る人の心の昏い部分を描きつつも、本作ラストの伊平次の言葉に象徴されるように、どこまでも現実を、人の生を肯定的に捉える本作はやはり気持ちがいい。

 シリーズ第5弾も早く…と楽しみにしてしまうところなのであります。


「迎え猫 古道具屋皆塵堂」(輪渡颯介 講談社) Amazon
迎え猫 古道具屋 皆塵堂


関連記事
 「古道具屋 皆塵堂」 ちょっと不思議、いやかなり怖い古道具奇譚
 「猫除け 古道具屋 皆塵堂」 帰ってきたコワくてイイ話
 「蔵盗み 古道具屋皆塵堂」 人情譚と怪異譚、そしてミステリの隠し味

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.02

「天保水滸伝」 己の道を貫いた竜の美しき心意気

 かつて北辰一刀流・千葉道場で竜・虎・鯨と呼ばれた平田造酒之進、神崎圭助、市松。しかしある事件が彼らの運命を一変させた。家を捨て名前を変え、流浪の末に下総に流れ着いた平手造酒は、笹川繁蔵の用心棒となり、一時の安らぎを得る。しかし、運命は三人を皮肉な形で再会させるのだった…

 中公文庫から三ヶ月連続刊行された柳蒼二郎の江戸水滸伝三部作の一作目、「天保バガボンド」のタイトルで刊行されたものの改題であります。
 「天保水滸伝」といえば、講談や浪曲で知られた笹川繁蔵と飯岡助五郎の争いを描いた物語。特に、笹川方の用心棒・平手造酒が大利根河原の決闘に臨むくだりは名場面としてよく知られていますが――本作はそれを踏まえつつも、全く新しい男の熱い魂の物語を描き出してみせた快作であります。

 千葉周作の下で剣技を磨く三人の青年――旗本の嫡男・平田造酒之進、貧乏御家人の次男・神崎圭助、平田家の下男・市松。それぞれに恐るべき剣の天稟を持ち、師から一門の竜虎、そして鯨と呼ばれた三人を、ある事件が無惨に引き裂き、大きくその運命を変えることになります。

 自ら廃嫡を望み、家を捨てて流浪の身となった平田造酒之進改め平手造酒。立身の野望から、八州廻りの家に養子に入った神崎圭助改め桑山圭助、目の光を失い、按摩と抜刀術を身につけた市松改め座頭市…
 運命の変転により生き方を、名前を変えた男たち。そして彼ら三人は、いずれも「天保水滸伝」を彩った男たちなのであります。
(座頭市に関しては、子母澤寛の「座頭市物語」がさらにベースとしてあるのは言うまでもありませんが)


 笹川方の用心棒の造酒、飯岡の子分の市、八州廻りの圭助、それぞれ対立する立場にあった彼らが、実はかつて同門の仲間たちであった、というだけでも痺れます。
 しかし本作の最大の魅力は、心ならずもアウトローとなった男たちのその生き様でありましょう。

 三人の男たちの中でも中心となる造酒は、客観的に見れば、堕ちに堕ちた人物であります。旗本の嫡男という恵まれた地位にありながらも、やむを得ぬ仕儀とはいえ怒りに身を委ねて人を斬り、出奔。流浪の末に労咳を病み、酒と剣だけを生きがいに、下総の片田舎で博徒の用心棒となる――

 絵に描いたような無頼浪人の転落の様であり、事実、彼をそのような視点から描いた作品も少なくありません。本作における彼の人物像も、それを敷衍したものではあります。
 しかしながら、本作における造酒像が従来のものとは全く異なる、むしろ好漢としてのそれとして映るのは、たとえアウトローとなろうとも、彼が男としての潔さと爽やかさ、剣士としての清冽な誇り、そして何ものにも――己の迫り来る死期にも――恬淡とした心意気を持った者として描かれるゆえでありましょう。

 そしてそれは、かつての親友でありながら、宿敵ともいえる立場となった圭助の人物像と照らし合わせた時、より明確になります。
 無宿者たちを取り締まる地位という、アウトローとは正反対の立場に異数の出世を遂げた桑山。しかし彼の用いる手段は、そして心の内は暗く澱み、そして彼もまた、より大きな力に流される存在でしかないのであります。

 さらに本作はそこに、人として自由に飄々と生きる市を加えることにより、単純な善悪の対決な物語に留まらない構造としているのも心憎い。
 そう、本作においては、造酒も市も繁蔵も助五郎も、そして圭助もまた、己の中に複雑な光と影を抱え、望まないままに剣を振るい、他人を、そして自分を傷つけていく存在として描かれるのであります。
(特に圭助が心の内に抱えた空虚は、彼の行動を決して正当化できないものの、しかし全否定できぬ哀しみを感じさせるものとして印象に残ります)


 しかしその中でもやはり群を抜いて造酒の存在が印象に残るのは、先に述べた通り、彼の心の中にあるのが、アウトローという立場に屈しない、いやそれを輝かせる男の心意気である点でありましょう。

 私は、「水滸伝」という物語の最大の魅力は、常の道を外れることを余儀なくされながら、それでも己の道を貫こうとする好漢たちの心意気にあると常々考えております。
 その点からすれば、本作はまさしく、「水滸伝」の名を冠するにふさわしい物語と感じるのであります。


「天保水滸伝」(柳蒼二郎 中公文庫) Amazon
天保水滸伝 (中公文庫)


関連記事
 「無頼の剣」 無頼と餓狼と鬼と

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.07.01

「読楽」2014年7月号 短編特集「斬撃の輪舞曲」(その2)

 「読楽」誌7月号の時代伝奇小説特集「斬撃の輪舞曲」掲載作品の紹介、後半であります。全四編のうち、今回紹介するのは残り二編、いずれもユニークな作品であります。

「狐剣は摧れず」(荒山徹)

 主君の愛妾の正体が狐であると知ってしまった弦之丞。彼女を斬る決意を固める弦之丞だが、その背後には意外な真実があった。

 当代、時代伝奇小説といった時に、時代伝奇ラブに燃えるこの作者を無視するわけにはいきますまい。先日も超古代伝奇「シャクチ」が文庫化されたばかりの荒山徹であります。
 そして本作のタイトルは…先生、今度は柴錬ですか、と言いたくなるのですが(そして中身はほとんど全く関係ないのがまた)、それはさておき、作者一流の奇想と描写力に支えられた伝奇活劇であります。

 宿直の晩、偶然迷い込んだ先で、主君の寵愛する葛葉御前のシルエットが狐に変わるのを目撃してしまった夕霧弦之丞。彼の仕える渡辺基綱が領する和泉国は、かねてより美女に変じた狐の伝説が伝わる地であり、彼女が妖魔の眷属であることを確信した弦之丞は、決死の覚悟を固めるのですが…

 正直に申し上げれば、葛葉御前のネーミングの時点で題材はわかってしまうように感じられる本作。しかしそれは早計、物語の半分しか理解していないことを思い知らされます。
 一転、舞台を江戸に移して描かれるのは、これも作者らしい無惨かつ怪異な一幕。果たしてこれが、和泉国での妖狐の跳梁と如何に結びつくかと思いきや――いや、やられました。

 メジャーな題材を用いつつも、そこに一ひねりも二ひねりも加えた上で、恐るべき超常の暗闘を描いてみせるのは、これは作者ならではと言うべきでありましょう。
 ただ残念なのは、この物語は、短編で描くには少々分量が足りないことで――その気になれば長編一本もいけるアイディア、ぜひともその全貌を見てみたいものです。


「妖刀・籠釣瓶」(毛利亘宏)

 顔の醜い痣から女と無縁の次郎左衛門の慰めは、妖刀・籠釣瓶だった。しかし彼が花魁・八ッ橋に惹かれた時、惨劇の扉が…

 特集最後に収められた本作ですが…恥ずかしながら、これを読むまで作者のことは存じ上げませんでした。巻末の作者紹介を見てみれば、劇団の主催であり、「仮面ライダーオーズ」「ゴーバスターズ」といった特撮ものの脚本も書かれている方とのこと。

 そんな作者の本作もまた、見る人が見れば、本作のタイトル、そして主人公――佐野次郎左衛門の名から、いかなる物語であるかは容易に予想できるでしょう。
 …そしてまた、その予想は裏切られることとなります。なぜならば本作の語り手は、タイトルにある籠釣瓶、己の意志を持つ妖刀たる「彼女」なのですから。

 生真面目に商売を続け、江戸でもそれなりに知られるようになった商人の次郎左衛門。しかし生来の醜い痣から女に相手にされなかった彼の楽しみは、籠釣瓶の刀身に己の顔を――痣のない部分を映して見ることでありました。そんな彼が、ある日付き合いで連れて行かれた吉原で、己の痣を恐れない八ッ橋太夫と出会ったことで、二人の、籠釣瓶の、いや周囲の人々の運命は大きく狂っていくことになります。

 本作のベースとなっているのは、史実上のとある事件であり、上でほのめかしたように歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」であります。そして本作の、これまで異性に愛されなかった男が愛を見つけるものの、裏切られて…というプロットもまた、新味ないと言えるでしょう。

 しかしそれが、刀から、それも本来であれば人の血を見なければ収まらない、しかし持ち主を(異性として)愛してしまった妖刀からという第三者の視点から描くことで、本作は生まれ変わります。
 そこにあるのは、異常な、そして哀切な三角関係の物語であり――次郎左衛門も八ッ橋も、そこで通り一遍のものではない、複雑な人格を持った「人間」として生まれ変わるのであります。

 繰り返し述べたとおり、結末自体は予想がつくものではあります。その点は物足りなくはありますが、しかしそこに浮かび上がる心の有り様には奇妙に惹かれる――そんな作品であります。


 以上四編、一口に時代伝奇小説といっても、そして特集のタイトルにあるように刀(剣戟)をモチーフとしつつも、しかし内容は実に個性的な作品揃い。
 時代伝奇ものの持つ自由さ、豊穣さを示すものとして、第二弾、第三弾にも期待したくなってしまうのであります。


「読楽」2014年7月号(徳間書店) Amazon
読楽 2014年 07月号 [雑誌]


関連記事
 「読楽」2014年1月号 「時代小説ワンダー2014」(その1)
 「読楽」2014年1月号 「時代小説ワンダー2014」(その2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »