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2014.08.31

「戦国武将列伝」2014年10月号(その一) 真の敵、その正体は

 隔月刊の雑誌の場合は、発行月の二ヶ月先の月を号数とするわけで、この「戦国武将列伝」誌は10月号。何やら時間の流れの早さを感じさせます。今号では連載レギュラー陣に加え、ゲストとして初登場の三宅乱丈の短編が掲載されています。今回も、印象に残った作品を個別に紹介していきましょう。


『セキガハラ』(長谷川哲也)
 単行本第3巻発売ということで巻頭カラーの本作、展開されるのは、後に関ヶ原で激突する石田三成と徳川家康のそれぞれが、黒田家の前当主・現当主と激突するという展開。
 三成vs長政、家康vs如水――ある意味関ヶ原の前哨戦とも言える顔合わせですが(如水の場合、戦に乗じて九州を奪おうとしていたという巷説を採れば)、なるほど、第三勢力としてぶつけるには、黒田家はうってつけかもしれません。

 面白いのは、牢内に囚われた三成を襲うために現れた長政を、ある記憶が苦しめるという展開。牢といえばどうしても父の如水の方を連想しますが、こういう視点もあったか、と納得です。
 そしてどう考えても天魔というより「アラビアンナイト」に登場する怪物と化した(一体化?)した如水は、ある意味掟破りの外来語を冠した技を連発、超肉体派の家康を苦しめるのですが…
 ラストに登場したある存在がこの先物語にどう絡むのか、案外根の深いことになりそうであります。


『孔雀王 戦国転生』(荻野真)
 稲葉山城編も今回でクライマックス、濃姫に誘われた向かった先で繰り広げられる五番の呪い能の中で、自らの出生の秘密を知ってしまった信長ですが…

 前回もこの信長の、もう一人の孔雀王と言うべき出生に唸らされたのですが、今回の戦いの果てに浮かび上がる真の敵の正体が実に面白い。
 これまで幾度となく肉体を変えながら生き続け、呪われた子・信長をこの世に生み出し、利用しようとしたモノ。そして孔雀にとっては、阿修羅の運命をねじ曲げ、この戦国時代に誘った存在…

 最後の最後にほのめかされるその存在の正体は、意外というか罰当たりと言いましょうか(ただし、最初のシリーズにも題材となっていた記憶が)、しかしそれでこそ『孔雀王』! と言いたくなってしまうもの。
 前回の感想でも述べましたが、舞台となる時代は変われど、きっちりと『孔雀王』してくれるのが実に嬉しいところであります。

 そして「古き神」の存在が言及されたことを鑑みれば、あるいは未完の『曲神記』まで繋がっていくのでは、というのはいくら何でも欲張りすぎとは自分でも思いますが…


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 前回元服したかと思えば今回は婚儀と、毎回激動の(?)連続である本作、当然のことながら今回は、婚儀の相手である愛姫がメイン。

 いかにも作者のキャラらしく可愛らしいビジュアルの一方で、坂上田村麻呂から続く実家の家系を鼻にかけた愛姫を、政宗がどう扱うか…と思いきや、ここでもう一人のタイトルロールが動き出すという展開は、定番ながらもやはりよくできた展開と感じます。

 伊達輝宗や喜多のボケっぷりも楽しく(特に後者のむしろ暴走にはちょっとドキドキ)、やはりこの辺りの呼吸は作者ならではと感じます。


 長くなりますので次回に続きます。


「戦国武将列伝」2014年10月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2014年 10月号


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2014.08.30

『おそろし 三島屋変調百物語』 第1夜「曼珠沙華」

 宮部みゆきの連作ホラー時代劇をドラマ化した『おそろし 三島屋変調百物語』の放映が始まりました。原作のファンということもあり、私も非常に楽しみにしておりましたが、この第1回「曼珠沙華」を観た限りでは、期待以上の作品となりそうな予感であります。

 本作の舞台となる三島屋は、江戸神田三島町に店を構える流行の袋物屋。その三島屋の主人・伊兵衛夫婦の姪である主人公・おちかは、ある事件が元で川崎宿の実家を離れ、三島屋に身を寄せることとなります。
 三島屋で奉公人に混じって忙しく働くおちかですが、ある日、伊兵衛が急用で店を離れた際に訪れた客の相手をしたことで、彼女の運命は思わぬ形で変わっていくことに――

 というのが本作の基本設定。既にシリーズ三作が発表されており、原作ファンには既にお馴染みの内容ではありますが、このドラマ版も、この設定に忠実に展開していくこととなります。
 そして今回の「曼珠沙華」は、いわばシリーズのプロローグとも言うべき内容であり、原作で読んだ際には、他の収録作に比べれば少しだけ軽めの内容と感じたのですが…いやはや、このドラマ版ではしっかりと怖かった。

 先に述べたとおり、伊兵衛の客・藤兵衛の相手をすることとなったおちか。年相応に落ち着いた雰囲気の藤兵衛は、しかし三浦屋の庭に咲く曼珠沙華の花を見た途端に、発作でも起こしたような恐怖の表情を見せます。
 やがて落ち着きを取り戻し、おちかの中に自分と同じものを見たのか、これまで秘め隠してきた己の過去を始める藤兵衛。それは自分と自分の兄にまつわる罪の記憶の物語…

 というわけで内容自体は原作にほぼ忠実なのですが、まずおちかをはじめとするキャストの時点で実にしっくりと原作の空気にはまっており、まずその時点で合格点を差し上げたい気分となります。

 おちかを演じる波瑠は、恥ずかしながら初めて拝見する方なのですが、おちかの、というより宮部時代劇のヒロインのキャラクターを見事に体現しているという印象。
 すなわち、美しく清楚で、しかし決してそれだけではなく、内に秘めた強さ――自分の中の弱さと社会の理不尽に向き合い戦おうとする想い――を感じさせる姿はまさにはまり役と言うほかありません。

 しかし今回、それ以上に感心させられたのは、藤兵衛とその兄のキャストの使い方であります。
 年の離れた、しかしよく似た兄弟という設定のこの二人。少年期の藤兵衛と青年期の兄、青年期の藤兵衛と壮年期の兄、そして壮年期(現在)の藤兵衛――それぞれすれ違って登場する二人を、青年期と壮年期、それぞれで同じキャストが演じるのが実に面白い。
 血の繋がりはありながらも、心は完全に離れてしまった二人。そんな二人がそれぞれ抱えた罪悪感の「顔」を、このドラマ版は、同じキャストを使うことにより、実に印象的に、そして何よりも恐ろしく描き出します。

 正直に申し上げて、藤兵衛の兄が×××するシーンなど、もうやめて! と言いたくなるほどだったのですが(この直後、×××した兄の姿と、頭を垂れた今の藤兵衛の姿が重なる演出もうまい)、この兄弟が見ていたものは果たしてどちらだったのか、という疑問を敢えてこちらの頭に浮かばせるのも心憎いと言えましょう。


 正直なところ、特撮を用いたシーンがそれ以外のドラマパートと浮いている印象は否めませんし(そこは敢えてやっているという可能性もありますが)、「江戸版ウルトラQ」を謳いつつ、タイトルバックの演出がそのままというのもどうかとは思わなくもありません。
 しかし仮にその点を差し引いたとしても、この先の期待が非常に高まる第1回であることは間違いありません。
(ビジュアルだけ見るとどう見ても悪役の伊兵衛(佐野史郎)と口入れ屋の灯庵(麿赤兒)の二人も実にいい)


 そしてラストには、原作ファンでは「ヒッ」となること請け合いの人物も登場。原作でも最も恐ろしかった第2話がどのように描かれるのか、期待を大きく持ちすぎるのは禁物と思いつつも、やはり楽しみなのであります。



関連サイト
 公式サイト

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2014.08.29

「江戸ぱんち」秋 江戸庶民を描く貴重でユニークな漫画誌

 何ヶ月かに一度のお楽しみ、「お江戸ねこぱんち」誌…ではありません。猫漫画に限らず、広く時代漫画を収録した「江戸ぱんち」誌の登場です。ある意味最大の武器とも言うべき猫の存在を封印して、果たしてどうなるか…と思いきや、これがなかなかの良作揃いであります。

 この「江戸ぱんち」誌に収録されているのは、全部で12作品。執筆陣の顔ぶれは、基本的に「お江戸ねこぱんち」と重なるところではありますが、何人か、初めて作品を拝見する方もおります。

 収録されている作品の傾向としては、タイトルどおり江戸の、それもほとんどの作品が町人の世界を舞台としているのが一つの特徴でありましょうか。
 武士が主人公の作品、武士が登場する作品もあるものの、切ったはったの世界でも、四角四面なお勤めの世界でもなく、江戸の庶民の文化に極めて近いところの、人情話が主体となった一冊であります。

 その意味では私の好みからは少々遠いところにあるようにも思われましたが、しかし実際に目を通してみれば、なかなかにバラエティに富んでいる上に、気持ちの良い作品揃い。
 こういう表現は誤解を招くかもしれませんが、猫という縛りが外れたことが、吉と出た作品が多いやに感じられたところです。

 その中でも特に印象に残った作品を幾つか挙げると――

『猫絵十兵衛異聞 飛び耳茶話』(永尾まる)
 本書で数少ない不思議の世界を描くのは、やはりこの作者。タイトルに「猫絵十兵衛」とありますが、ほとんどそちらとの関連はなく、自由に怪異の世界が描かれます。
 その怪異というのが、作者のファンであればタイトルの時点でニヤリとできる存在。耳で空を飛ぶ妖怪とくれば、むしろ作者の「ななし奇聞」を思い出します(豆犬も登場しますしね)。

 冷静に考えれば、ビジュアル的にはかなり恐ろしい存在なのですが、しかし本作に登場するのはなかなかに可愛らしい…そして、少々姿は変わるものの、我々と変わることない、この世に暮らす者。
 この辺りの、人もそれ以外も、地続きの存在として優しい目を向けるのは、まさに作者ならではでありましょう。


『近世芝居噺 がくや落』(糀谷キヤ子)
 初めて拝見する作家の方の作品ですが、調べてみると、三代目澤村田之助に関心を寄せられている方との由。
 なるほど、本作の主人公も澤村家の女形で由次郎とくれば、その田之助が題材と思って良いでしょう。

 物語の方は、その由次郎に踊りを教える師匠・ミツが主人公。師匠といっても故あって由次郎とあまり年は変わらぬ彼女は、才能があるにもかかわらず本気を出さない由次郎に歯がゆさを隠せず…と、この二人の想いのすれ違い、ぶつかり合いが見所であります。

 ミツの想いの根底にあるのは、実は舞台をこよなく愛しながらも、女であるがために舞台に上がれぬ自分自身への歯がゆさ。
 この辺りの、現代においても形を変えて存在する、自分の望む自分になれない悔しさを、江戸時代ならではの形で描き出して見せる手腕にまず感心いたします。

 が、さらに良いのはそれを決して湿っぽい形でなく、瑞々しい筆致で、いかにも江戸っ子らしい彼女の感情の爆発で昇華してみせる点でしょう。
 気になる作家がまた増えた、という印象です。


 その他、「お江戸ねこぱんち」ではファンタジックな人情活劇を描いている須田翔子の「髪結いのりよ」は、ある意味ストレートな人情ものながら、素直になれない主人公のキャラクターが楽しい作品…などと挙げていけばキリがありません。

 何はともあれ、中高年の時代劇ファン向けの劇画誌でもなく、若い歴史ファン向けの漫画誌でもなく、ある程度広い年齢層(の女性)を対象とした(江戸)時代漫画誌というのは、非常に貴重な存在であり、ユニークな試みでありましょう。
 「お江戸ねこぱんち」ともども、こちらも是非、巻を重ねていっていただきたいものであります。


「江戸ぱんち」秋(少年画報社COMIC江戸日和) Amazon


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2014.08.28

『大江戸恐龍伝』第4巻 冒険! 秘境ニルヤカナヤ

 前回の紹介から少々時間が空いてしまいましたが、『大江戸恐龍伝』もいよいよクライマックスの第4巻であります。竜を求めて、江戸から琉球、そしてついに伝説のニルヤカナヤへと長い旅を続けてきた平賀源内。ついにニルヤカナヤに乗り込んだ一行を待ち受けていたものとは?

 あたかも伝説の「竜」に引き寄せられるように、様々な奇しき因縁から、ニルヤカナヤに向けて旅立った源内と仲間たち。
 いまだその正確な位置もわからぬまま琉球に到着した一行は、そこに残された謎を解き明かし、ついにニルヤカナヤに上陸するのですが、到着したその晩に巨大な竜が出現、幾人もの犠牲が出ることとなります。

 それでもニルヤカナヤの探検を始めた源内一行は、謎の美女・樊があわや生け贄にされんとするところに出くわし、彼女を救出。彼女の口から、彼女たちが蓬莱島と呼ぶこの島で、方丈国と瀛州国、二つの国が争っていることを知るのでありました。


 蓬莱・方丈・瀛州といえば、中国の東方にあると言われる神仙国(神山)の名前。そしてその三つを求めて海を渡ったのは、本作においても何度も名前が現れた徐福…!
 ここに物語冒頭から描かれてきた様々な要素がついに結びつき、一つの巨大な伝奇絵巻が描き出されることとなります。

 そしてその数々の謎が描かれる世界と、そこで繰り広げられる物語は、まさに秘境冒険物語の世界。
 『失われた世界』や『ソロモン王の洞窟』などで描かれた、手つかずの秘境に秘宝(に類するもの)を求めて訪れた文明人が、そこで原住民を二分する争いに巻き込まれ…という懐かしき物語であります。

 正直なところ、あまりにそのフォーマットに則りすぎている感はあるのですが、しかし地球上から秘境というものが消えると同時に衰えていったこのジャンルを、時代小説において、平賀源内を主人公に、真っ正面から復活させてくれたというのは、やはり実に嬉しいことではありませんか。
(個人的には、これまでの溜めに比べると、ニルヤカナヤでの冒険は少々あっさり目とすら感じられるのですが…)


 しかしここには、同時に、本作ならではの色彩が加わっています。
 それは源内が抱えた鬱屈――自分はこれまで何を為し得てきたのか。自分はこれまで何も為し得なかったのではないかという想いであります。

 天才を自負しながらも、それ故に世間と自分との、自分の求める自分自身と現実とのギャップに苦しんできた源内。
 その源内の鬱屈は、これまでも物語の中で折に触れて描かれてきたところではありますが、ニルヤカナヤで経験した自分を絶対的に上回る自然界の存在――竜との出会い、あるいは九死に一生を得るような命がけの冒険行を通じ、彼は自分自身の存在のなんたるかを根底から見直すこととなります。

 かつての秘境冒険小説が、文明人による自然の征服という側面を持っていたのに対し、本作で描かれるのは、自然と相対して己自身を見つめ直す文明人の姿…
 それは、秘境冒険小説の現代におけるアップデートと言えるかもしれません。


 さて、ついにニルヤカナヤを離れ、江戸への帰途についた源内。ここでめでたしめでたしとなってもおかしくはありませんが、1巻分の物語が残されております。
 そこで描かれているものは――それはもちろんこちらの期待する展開でありましょうが、さてその物語がいかに落着するか? 最後の最後まで目が離せません。


『大江戸恐龍伝』第4巻(夢枕獏 小学館) Amazon
大江戸恐龍伝 第四巻


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2014.08.27

『ますらお 秘本義経記 大姫哀想歌』 未来から見た過去の物語、結末から語られるこれからの物語

 実に18年の時を経て復活した『ますらお 秘本義経記』の新作エピソードであります。18年前からの読者と、新たな読者の双方を意識した本作は、「現在」と「過去」が交錯する中、一組のカップルの悲劇を通じて、最も美しく歪んだ義経の物語がまた別の角度から浮かび上がることとなります。

 一の谷の合戦が終わり、そして屋島へ、という時点でひとまず完結となった『ますらお』。それから18年後に復活した本作は、そこから直結した続編ではなく、少々複雑な構造をとります。
 簡単に言えば、後日談であり、リトールドであり、予告編でもあり…18年前に描かれた義経と木曾義仲の戦いを、もう一度別の角度から描いた作品なのであります。

 本作のサブタイトルにある「大姫」とは、頼朝の娘であり、義仲の嫡男・義高とかつて許嫁の間柄だった女性。フィクションの世界でも、悲劇の女性として描かれる人物ですが――

 本作の冒頭、全てが終わり、鎌倉幕府が樹立された後の世界で描かれる彼女の姿は、想像を絶するような浅ましいもの。
 なぜ彼女がそうなったのか…本作は、それを彼女自身が、かつての静を思わせる面影の下女に対して語ったものという形を取ります。

 かつて義高が鎌倉に暮らしていた頃――まだ婚姻を結ぶには幼すぎる義高と大姫の近くにあったのは、この当時、頼朝の下に馳せ参じたばかりの義経。
 義高の世話係的役目を命じられていた義経は、怨敵・平氏との戦いに迎えぬ焦りと憤りを抱えながらも、親たちの思惑に翻弄され、命すら危うい境遇にある義高に、彼はかつての自分自身を見るのですが…

 と、これは18年前のシリーズでも描かれたエピソード。その意味では語り直しという形となりますが、本作はそれを大姫と義高の視点から描き直すことで、その際に描かれなかった義経の素顔を――彼が秘め隠すようになっていた歪みを――浮き彫りとする形となっているのです。

 そしてもう一つの本作の特徴は、大姫が語る物語、義経の物語は既に過去の出来事であり――義経は頼朝に討たれ、そして彼と静の間の子も命を奪われた後という、救いのない、そして史実同様の結末を迎えたことが明らかにされる点でありましょう。

 未来から見た過去の物語、結末から語られるこれからの物語――一見ややこしいように思えますが、そこに大姫と義高の悲恋を絡めることにより、もう一つの物語として成立させているのには唸らされます。


 もっとも、少年誌から青年誌へと掲載媒体が変わったこともあり、(性的な意味で)より生々しい描写が増えたのは、個人的にはあまり好きになれない点ではあります。
 義経の歪みを描くのに、主に彼の表情の歪みを以てするのも同様です。

 それもなお、本作の結末、その未来から見た過去の物語が、過去の新たな物語の序章に直結していくのには――未来の悲しみが昇華され、過去の戦いの幕がもう一度上がる様には――これはただ感動と言うべきか、感慨深いと言うべきか…

 今はただ、ここからもう一度始まる物語の続きを、早く、少しでも早く読みたいと願うのみであります。


『ますらお 秘本義経記 大姫哀想歌』(北崎拓 少年画報社ヤングキングコミックス) Amazon
ますらお 秘本義経記 大姫哀想歌 (ヤングキングコミックス)


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2014.08.26

『未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団』 未来の少年少女が過去から現在に伝えるもの

 享保の江戸に現れた風変わりな五人の少年少女。彼らは二十二世紀から訪れた未来S高校航時部の面々だった。長屋で起きた密室殺人事件に巻き込まれた一行は、犯人と疑われた町娘を助けるため、行動を開始するのだが…その先に待っていたのは、思いも寄らぬ巨大な敵と、彼ら自身の謎だった!

 辻真先といえば、TV創世記から現在に至るまで活躍を続ける脚本家、そしていまでいうライトノベルであるジュブナイルの名手。
 その作者が現代の少年少女に向けて贈る本作は、未来の少年少女が過去の時代で活躍する、幾つものジャンルをまたいだ快作であります。

 時は享保、将軍吉宗の時代。今日も今日とて平和な江戸に現れたのは、五人の少年少女――文武両道の美少年・黎、歴史オタクの美少女・真琴、古武術の達人の凜音、おっちょこちょいの超能力坊主・越人、そしてマイペースだが頭脳明晰な学。
 彼ら五人(と顧問の美女教師・蓮橘)は、実は二十二世紀の未来からやってきたタイムトラベラー。その時代にはタイムトラベルが実用化され、高校生の部活動に使われるほどだったのであります。

 そんな彼らが到着早々に巻き込まれたのは、長屋で起きた二つの密室殺人事件。仲良くなったばかりの町娘が事件の犯人として番屋に捕らえられたのを救い出すため、彼らは江戸版探偵団として、勇躍乗り出すことに――


 とくれば、なるほど、未来の知識を持った少年少女が、江戸の怪事件を解き明かすSF風味の時代ミステリなのだな、と当然ながら考えてしまうところですが、さにあらず。
 この先に待ち受けているのは、ミステリ、SF、時代小説、異能バトル、青春もの…数々のジャンルがクロスオーバーした、全く先の読めないエンターテイメント世界なのであります。

 ここから先は何を書いても内容の核心に触れかねないのですが、彼らがこの先挑むことになるのは、何やら陰謀を企む伊賀亮と天一坊(!)なる怪人物。そしてもう一つ、彼ら自身の「過去」に隠された秘密であります。

 果たして何が真実で、何が虚構なのか。そして何を信じ、何を疑うべきなのか――少年少女の暮らす世界観そのものが揺るがされる後半の物語の崩壊感覚にはただただ圧倒されるばかりです。
(個人的にはこうした趣向は大好物ゆえ、大いに楽しませていただきました)

 しかし何よりも驚くべきはその先――本作はそして「過去」と「未来」が交錯するその先に、本作は思わぬ形で「現在」を、本作の主たる読者層であろう若者たち(昔そうだった人も含めて)が生きる「現在」への風穴を開けてみせるのであります。

 そこで描かれるものは、あるいは現在の読者にとっては愉しからざる世界であるかもしれませんし、そしてある意味一面的なものであるかもしれません。
 しかしやはりそれは今ここにあるまぎれもない現在の姿の一つであり――そしてそれはありえたかもしれない過去の未来の姿、ありえるかもしれない未来の過去の姿なのです。

 ある意味、ここから感じられるのは懐かしい手触り――かつての日本SFにあった未来への恐れと過去への憧れ、そして現在への決意がない交ぜとなった感覚であります。
 しかし本作はそこにライトノベル的なキャラクター配置を持ち込み、そして過去と未来を縦横無尽に駆けめぐる冒険を展開することで――そしてそれを八十歳を超えた作者が若者たちに贈ることで――様々な意味で文字通り時代を超えた魅力を生み出してみせた…というのは格好良く言い過ぎでしょうか。

 しかし――冷静に考えれば相当に重い話であるにも関わらず本作の読後感の何ともいえぬ爽やかさは、「未来」ある少年少女たちを主人公として描いたゆえであることは、間違いありますまい。


 なお、作者の言によれば、本作はシリーズ化を予定しており、次回作は大坂夏の陣が舞台となるとのこと。
 ある意味本作の舞台とは正反対の激動の時代だけに、どのような物語となるのか、大いに気になるところであります。


『未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団』(辻真先 講談社ノベルス) Amazon
未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団 (講談社ノベルス)

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2014.08.25

『モンテ・クリスト』第2巻 復讐劇を突き動かす人間の情念

 史上最も有名な復讐劇たる大デュマの原典を、スタイリッシュなバイオレンスと情念の爆発を描かせたら右に出る者のない熊谷カズヒロが甦らせた『モンテ・クリスト』待望の第2巻であります。己を罠に嵌め、全てを奪った三人の男に対するモンテ・クリストの第一の復讐の幕がここに上がります。

 謝肉祭を目前に控え、何かと喧しいニースの街。このニースを表と裏から支配する男・ダングラール男爵――バスデュール社のトップであり、その財力・権力・暴力で人々の上に君臨する男こそが、モンテ・クリスト、かつての名をエドモン・ダンテスの最初の復讐のターゲットとなります。

 下司・外道を描かせれば屈指の作者によって描かれるこのダングラールの姿と行動は、まさに人間の悪しき部分を寄せ集めたかのような醜悪なもの。
 エドモン・ダンテスに止まらず、今も周囲の人々を苦しめ続けるこの男の姿を見せられれば、モンテ・クリストの痛快な制裁を期待したくもなるというものであります。

 かくてニースの表と裏で繰り広げられる物語で描き出されるのは、第1巻はまだまだ序の口だったと言わんばかりの情念と暴力とエロの連べ打ち。
 タキシードやスーツをりゅうと着こなし、時に無邪気とすら感じられる笑みを浮かべるモンテ・クリストが、一度牙を剥けば獣のような狂気・凶気とともに仇を追い詰めていく様には、月並みな表現ではありますがただただ圧倒され、目が離せなくなってしまうのであります。

 もちろん、あの極端なパースとディフォルメから描き出されるアクションも健在、日本刀を操る暗殺者・アリ(彼もまた原典由来のキャラクターでありますが)との激突は、決してページ数は多くないものの、この作者ならではの外連味に溢れる名シーンでありましょう。


 しかし、そんな尖った活劇に目を奪われつつも、こちらの心に深く刻まれるのは、原典でも描かれた問いかけ――神に代わって人を裁くことが許されるか、というそれであります。

 なるほど、本作におけるモンテ・クリストは、孤島に眠っていた、それこそ神の如き力を持つ存在により、超人の力を与えられた存在。
 ほとんど向かうところ敵なし(の彼が冷や汗を垂らしたのが、作者の昔ながらの読者にはニヤリとできる相手なのも楽しい)の彼の姿は、神の代行者とすら感じられるかもしれません。

 が、そんな彼の姿から伝わってくるのは、そんな超越者とはある意味対極にある、どこまでも生々しい一人の人間の姿であります。
 そもそも、復讐という行為自体、ある意味極めて人間的なものと言えましょうが、いずれにせよ彼がまき散らすのは極めて濃密な――周囲の人間たちを巻き込み、暴走させるほどの――喜怒哀楽。人間の持つ情念のなのであります。
(尤もそれは、容易に獣のそれに転落しかねないものでもあるのですが…)


 そして興味深いのは、本作において(今のところ)遠景にあり、彼の仇たちの背後に潜む結社・永劫教会の存在でしょう。
 この巻で明確に描かれる彼らの目的は生命の創造――すなわち神の御技。

 神の御技を為すために人間を消費していくというまさしく「非人間的」な彼らの存在こそは、神の如き力を持ちつつも極めて人間的な情念に突き動かされるモンテ・クリストとは、まさに対極にあるのではありますまいか。

 まだまだ先の読めない本作ではありますが、あるいは物語の先にあるのは、復讐という空しい行為を、そして神を奉じる者たちとの殺し合いを通じて、人間という存在の何たるかを浮き彫りにする試みなのでは…
 などというのは牽強付会が過ぎましょうが、本作の持つ魔力にも似た吸引力に晒されていれば、そのような想いも浮かんでくるというものなのです。


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 「モンテ・クリスト」第1巻 しかし、の中の強き意志

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2014.08.24

大年表の大年表 更新

 古代から戦前までのある年に起きた史実上の出来事と、小説・漫画等伝奇時代劇の中の出来事、人物の生没年をまとめた「大年表の大年表」を更新(データを追加)いたしました。前回の更新が今年の1月だったので、約7ヶ月ぶりの更新となります。古今東西の虚実取り混ぜたこの年表、自己満足といえば自己満足以外の何ものでもありませんが、何となく眺めていてもなかなか面白いものになっているのではないかと思います。

 今回の更新で追加した作品名は以下の通りです(五十音順)。明らかに伝奇時代劇じゃないだろう、というのも混じっていますが気にしない。
『安倍晴明あやかし鬼譚』『いくさの子 織田三郎信長伝』『うろつき夜太』『エンバーミング』『応天の門』『鬼狩りの梓馬』『仮面の忍者赤影Remains』『からくり隠密影成敗 弧兵衛、推参る』『官兵衛の陰謀』『吸血鬼ドラキュラ』『斬られて、ちょんまげ』『慶応水滸伝』『剣は知っていた』『シャーロック・ホームズ対ドラキュラ』『宿神』『蒼眼赤髪 ローマから来た戦国武将』『タイムスキップ真央ちゃん』『墜落乙女ジヱノサヰド』『築地ファントムホテル』『天皇家の忍者』『天保水滸伝』『東天の獅子 天の巻』『ニコライ盗撮』『廃帝綺譚 大海絶歌』『火男』『風神の門』『ホック氏の異郷の冒険』『股旅探偵 上州呪い村』『松永弾正』『まほろばの王たち』『明暦水滸伝』『闇の土鬼』『妖草師』『義経になった男』『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』『蘭学探偵 岩永淳庵』『煉獄に笑う』

 ネタバレをせずに、しかし作品の内容を一文で表すというのは簡単なようでなかなか難しいのですが、その作品や時代背景に興味を持っていただく一助になれば幸いです。

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2014.08.23

『隠密愛染帖』 逆隠密・日本左衛門、裏社会での暗闘

 高木彬光が、享保期に活躍したという大盗賊・日本左衛門を主人公とした全5話の連作短編集であります。彼については虚実取り混ぜ様々な逸話が残されていますが、本作はその中でも有名な、彼が元は尾張徳川家に仕えた武士であったという説を踏まえ、虚々実々の暗闘が描かれることとなります。

 本作に登場する日本左衛門は、六尺豊かな体躯の堂々たる押し出しの男。得意とするのは緑林流の投げ玉(鎖鎌から鎌を外したという武器)、これを左手に、太刀を右手に暴れ回れば、向かうところ敵なしという豪傑であります。

 さて、高木彬光の時代小説――というより、オールドファッションな時代伝奇小説全般と言うべきでしょうか――においては、彼のような大盗賊はほとんど毎回のように登場いたします。
 そしてこれもほとんど毎回のように、心正しき主人公を悩ませ、最後には倒される役回りなのですが…本作においてはその大盗賊が主人公というわけで、いささか捻った設定が用意されています。

 実は本作の日本左衛門は、最初に述べたように、旧主である尾張万五郎のために敢えて盗賊となった男。
 将軍位を狙うかつてのライバルであり、今なお油断ならない相手という疑心暗鬼にとらわれた将軍吉宗の張り巡らす隠密網に対し、地下に潜り、逆隠密として牽制しようと考えたのが日本左衛門なのであります。

 かくて本作で描かれるのは、日本左衛門と幕府隠密団、さらにはまた別の立場から日本左衛門を捕らえんとする大岡越前の町奉行所との、三つ巴の暗闘。
 誰が味方で誰が敵かわからぬ状況の下で繰り広げられる戦いの様は、ピカレスクものや隠密ものというよりも、時にアンダーカバーもののような味わいすら感じさせるものであります。


 正直なところ、ストーリーや人物描写における深みという点では…な高木時代小説の法則(?)は本作においても当てはまる部分はあるのですが、しかしこの設定に妙により、救われている部分が大きいのも事実です。

 特に第1話「美女と怪盗」は、日本左衛門を名乗る男が、日本左衛門の愛妻を殺すという意外性に満ちた場面から始まり、愛妻と瓜二つの娘の登場に女賊の跳梁、黒装束の一党の暗躍に大岡越前の知恵と盛り沢山の内容。
 それだけでなく、描かれる事件の数々にはほとんど全て裏があり、次から次へとひっくり返されていく果てに真実が見えるという構造は紛れもなくミステリのそれで、高木彬光のミステリ作家としての顔と時代小説作家としての顔が最も良い形で結びついた作品――というのも、あながち大げさではないかもしれません。

 そのほか、尾張徳川家の秘事が記されてるという青竜秘帖を巡り、これまでの三つ巴に加え、不敵な振袖若衆・雲間竜之丞(これまた作者が得意とするタイプのキャラクターであります)が様々な勢力を向こうに回して活躍する第3話「隠密若衆」も面白い。
 ある程度展開の先は見えてしまうのですが、日の当たる武士の世界の裏側で陰険な戦いを繰り広げる盗賊や隠密の世界の非情さは印象に残るところであります。


 ちなみにこの吉宗と宗春の暗闘の背後で暗躍する日本左衛門という構図は、作者の時代小説の中でも最長編の一つ「隠密月影帖」にも共通するものであり、やはりいずれそちらも取り上げなければ、と考えているところであります。


『隠密愛染帖』(高木彬光 春陽文庫) Amazon

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2014.08.22

『あやかし絵師』 青年石燕、大事件に奔走す

 絵師修業中の青年・佐野英之助(後の鳥山石燕)には、幼い頃からあやかしを視る力があった。ある日、既に亡くなった祖母を訪ねて、見かけは小さな男の子のあやかし・白児が現れた。師匠の犬神に破門され、英之助のところに居着いた白児らとともに、英之助は江戸の怪事件解決に奔走することに…

 最近ブームの妖怪時代小説については、このブログで毎月のように取り上げていますが、その中でちょっと興味深いのは、鳥山石燕の人気。既に一シリーズ、今月末にも新たな作品が刊行、そして紹介が遅れてしまいました本作も…と、私の目に入る範囲でも、今年になってから三つ石燕を主人公にした妖怪時代小説が登場することになります。

 さて、その一つである本作は、齢60を超えた石燕のもとを、弟子の北川豊章(喜多川歌麿)と恋川春町が年始の挨拶に訪れる場面から始まります。
 道に迷って途方に暮れるうちに夜になってしまった二人が明かりを頼りに近づいてみれば、そこにいたのは百鬼夜行の群れ。
 実は妖怪たちも向かう先は石燕の屋敷、かくて石燕邸での人間妖怪入り乱れての宴会の中で、石燕と妖怪たちの若き日の四つの物語が語られる、という趣向であります。


 さて本作の石燕は、土御門家の末裔という祖母の血を受け継いだか、常人には見えぬあやかしが見えるという設定。その血(と祖母の存在)が、石燕を毎度妖怪がらみの事件に巻き込むこととなります。

 第一話の「猫又の恩返し」は、そんな彼の前に、彼の相棒役といえるやんちゃな妖怪・白児が現れたことから始まる物語。
 見かけは五、六歳ながら、実は五百数十歳という白児ですが、頭の中身は外見通り、いたずらが過ぎて師匠の犬神から破門され、石燕の祖母のもとを訪ねてみれば…というわけで、あやかしが見えるのをいいことに、白児の世話を押しつけられてしまった石燕が、白児とともに町の殺人事件解決に奔走することになります。

 その後も第二話では江戸城大奥で起きる怪事件の解決、第三話では行き会う人を殺すという百鬼夜行の追跡、そして第四話では将軍吉宗暗殺を狙う陰陽師との対決と、冷静に考えれば一介の絵師見習いが扱うには大きすぎる事件に挑む羽目になる石燕。
 そんな石燕が、白児をはじめとしてちょっと微妙な妖怪たちや、剣術道場の兄弟子で大岡越前の内与力・神崎新九郎とともに、必死に、そしてどこかユーモラスに事件を解決しようと努力するのが、本作の魅力でありましょうか。


 …が、まことに申し訳ないのですが、設定はなかなか面白いものの、正直なところ作品は、平板な印象が強くあります。
 上で述べたように設定自体は面白いのですが、起きる事件や登場人物・妖怪の描写、そして物語展開が、どこか淡々として感じられるのであります。

 作品全体の趣向としては、年老いた石燕を囲んでの宴席で話題になった過去の事件が一つずつ語られていくというもので、それ自体は悪くはないのですが、それも読み進めていくうちにワンパターンに感じられてしまうという…

 作中の事件のスケールを考えれば、あるいはもう少し話数を減らしたり、一冊丸ごと一つの事件でも良いのではないか…というのは素人の浅知恵でまことに恐縮ではありますが、少々もったいない作品に感じられたのは事実であります。


『あやかし絵師』(森山茂里 廣済堂モノノケ文庫) Amazon
あやかし絵師 (廣済堂文庫)

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2014.08.21

『信長の首』 葬送者が見た本能寺の変

 織田信長は今なお小説などフィクションの世界においても人気の存在ですが、その理由の一つに、あまりに劇的なその最期があるのではありますまいか。本作は加野厚志がその信長の最期を描いた作品ですが、いかにも作者らしい視点から描かれるユニークな内容であります。

 本作の主たる舞台となるのは天正元年からの十年間…足利幕府を滅ぼして以降、天下布武に向けて王手をかけた、信長の人生において最も輝ける期間であり、そして言うまでもなく信長最後の十年間であります。

 しかしこの時期を舞台とした作品が無数にある中で異彩を放つのは、本作が、長谷川宗仁の視点から描かれている点でしょう。
 正直なところ、宗仁については戦国時代の商人で茶人という程度の知識しかなかったのですが、しかし本書で描かれた、本作を通じて知った彼の人生は激動の一言であります。

 商人というより茶人の立場から信長の準家臣的位置にあった彼の、しかしある意味最大の役目は、彼が京の町内の葬送を扱っていたことからきた、一種の葬祭業者としてのそれ。
 本作で描かれるように「獄門宗仁」と呼ばれたかはわかりませんが、この時期に信長に滅ぼされた朝倉義景や武田勝頼の首級を、信長の命により獄門に晒したというのは史実のようです。

 本作ではそんな宗仁を、商人・茶人でありつつも、ある意味最も近くで武将たちの生と死を見つめた存在とし――その彼のある種客観的視点からから信長と彼の周囲の人々の狂奔を描くのであります。

 彼の目に映る信長をはじめとする武将たちの姿は、戦場での華々しい(というのも一種の虚構なのですが)活躍とは裏腹の、陰険な調略を繰り返し、平然と相手を裏切る存在。
 信用こそが命である商人とは真逆を行く戦国武将の世界――それは確かに、宗仁のような立場からでなければ描けますまい。


 しかし――本作の最大の特徴は、本能寺の変に至るまでの流れを、一種の陰謀劇として描くことであります。
 いや、本能寺の変を陰謀、謀略として描くのは、ある意味全く珍しいことではないでしょう。本作で印象的なのは、そこに、これまでにないある人物の影を浮かび上がらせることであり――そして宗仁がその人物の意志に迫る姿が、作者らしいスタイルで描かれている点です。

 これまでこのブログでも様々な作品を扱ってきましたが、作者の時代小説は、ミステリ、あるいは謀略小説的性格を色濃く持つものが大部分を占めるように感じます。

 ある事件(その多くは史実に残るものですが)に対し、巻き込まれた主人公が真実を探っていく…というのは当たり前ですが、しかし作者の作品は、真相に見えたもの、真犯人・首謀者に見えたものが目まぐるしく変わっていくのが最大の特徴であります。
 事件のことを探れば探るほど、容疑者の意外な素顔が明らかになり、事件にまた別の側面があることが浮かび上がる。誰が犯人なのか、そして何を信じるべきなのか、最後の最後までわからない、不安定な世界…そんな作者の作品世界は、本作でも健在であります。

 もちろんここでは、その真犯人の名は挙げませんし、その是非(信憑性)は問いません。

 しかし、この時期において信長に叛逆した三人の武将――松永久秀、荒木村重、そして明智光秀と共通して、その人物が交流を持っていた、そして本能寺の変の際にその消息が不明だったというのは、大いに心引かれるものであります。


 題材が題材だけに、よく知られたエピソードも多く、その辺りはもう少し絞ってもよかったのではないか、という印象も正直なところあります。
 上で述べたような作者のスタイルが、迂遠に感じられるかもしれません。

 それでも、戦国武将たちの陰に隠れ、しかし彼らに負けず劣らず数奇な運命を辿った宗仁の視点は、なかなかに得難いものを感じるのであります。


『信長の首』(加野厚志 文芸社文庫) Amazon
【文庫】 信長の首 (文芸社文庫 か 1-4)

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2014.08.20

『築地ファントムホテル』 外国人写真家が見た明治の幽霊たち

 明治5年、銀座大火で築地ホテル館が焼失した。英国人写真家フェリックス・ベアトは、英語の生徒の青年・菅原東次郎と共に取材に向かった先で、ホテルで一人の英国人が殺されていたことを知る。成り行きから事件の捜査に協力することとなったベアトと東次郎だが、事件は複雑怪奇な様相を呈する…

 名手・翔田寛の『築地ファントムホテル』が文庫化されました。以前このブログでも紹介いたしました『参議暗殺』同様、明治初頭に起きた事件を題材に、その背後に蟠る時代の闇を描き出した時代ミステリの名品であります。

 本作の舞台となるのは、かつて築地に存在した日本初の本格洋式ホテルである築地ホテル館。時代ミステリファン的には、どうしても山田風太郎『明治断頭台』を思い出してしまう場所ですが、このホテルが焼亡したという史実から、物語は始まります。

 本作の主人公たるフェリックス・ベアトは、この時代の清や日本の歴史的事件の現場に居合わせ、数々の貴重な記録を残した実在の写真家ですが、その彼が取材のために駆けつけたホテル跡で知ったのは、その炎の中で一人の英国人が何者かに刺殺されていたという事件。
 しかも火事の混乱の中、偶然被害者の部屋に足を踏み入れた発見者は、炎の中に、長大な剣を持ち、鎧兜を身につけた男を目撃したというのであります。

 そして取材の最中、捜査責任者の米倉警視と出会い、独占取材と引き替えに、焼け出された外国人たちへの取材(という名目の探索)をすることになるベアト。
 かくてベアトは、英語を教えている生徒である青年・東次郎を助手に、事件の謎をおうことになるのですが――


 これまでも数々の時代・歴史ミステリの名品を送り出している作者だけに、本作はもちろん、本格ミステリとして実に興味深い内容となっています。

 一見誰もが出入りできるように思われる場所でありながら、当時の特異な社会情勢から、一種の出島的存在として政府の監視を受けていた――すなわち不審者の出入りは不可能な一種の密室となっていたホテル。
 あたかも「幽霊」のようにそこに潜入した犯人の正体は、何故被害者は殺されたのか。そして何よりも炎の中にいた鎧兜の怪人とは…

 詳細は語れませんが、さらに物語は後半に至り二転三転、意外な展開を見せるのですが、そのいずれにも論理的な回答が容易されているのにはただ唸らされるのみです。
(特にある重要なキャラクターの○○に、全く別の意味が――そして人物設定を考えれば至極当然の――用意されていたのには感心)

 しかし本作を本格ミステリであると同時に、優れた時代もの・歴史ものとして成立させているのは、事件の背後にこの時代の(安易な言い方に聞こえるかもしれませんが)闇の存在が描かれている点であります。

 ベアトら外国人の目から見れば「革命」というほかない政治的・社会的変動が起きてからわずか五年――目まぐるしく変化していく日本という国家。
 しかしその変化の陰には、巨大な歪みが存在しているのであり、そして変化について行くことができず、歪みに囚われた者たちも無数にいたであろうことは、容易に想像できます。

 本作で描かれる事件の背後にあるものは、まさにこの変化と歪み。本来であれば人を救うはずのものが、かえって貶められ、人を苦しめることとなるという、痛切なまでに皮肉な真実が、そこにはあります。


 本作のタイトルである「ファントム」、すなわち「幽霊」とは、上で述べたように幽霊のようにホテルに現れ、消えた犯人のことを指します。
 しかしそれと同時に、時代の変化と歪みの中で、あたかも幽霊のように存在を無視され、消されていった者たちの存在もまた、指すのでありましょう。

 アジア史の一ページを後世に残した外国人写真家が写した、時代の陰の幽霊たちの記録――本作をそのように評するのは、少々センチメンタルに過ぎるでしょうか。


『築地ファントムホテル』(翔田寛 講談社文庫) Amazon
築地ファントムホテル (講談社文庫)


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2014.08.19

『新・若さま同心徳川竜之助 7 大鯨の怪』 鯨と猫、消えた大小の動物

 本編の語られざる物語を描く『新・若さま同心徳川竜之助』シリーズも7巻目、本編が全13巻でしたからまだ半分程度ですが、この調子だとそれに並ぶのでは、という勢いであります。今回の事件は、江戸湾で捕らえられた鯨が姿を消したという、不思議なようなそうでないようなものですが…

 毎度毎度、怪事件・珍事件を担当する(周囲から押しつけられる)ことになる竜之助でありますが、今回は鯨と――猫と、大小二つの動物にまつわる事件に挑むこととなります。

 江戸湾に迷い込み、一度は逃げたものの、二度目に現れたところを漁師たちに捕らえられた鯨。しかし魚河岸まで曳いてこられた鯨は一夜にして跡形もなく姿を消してしまったのです。
 折しも沿岸では不審船が目撃されている中、竜之助は、例によって例のごとく、この一件の調べを押しつけられるのでありました。

 一方、それと並行して発生したのは龍之助の(元)許嫁の美羽姫の親友の嫁入り道具である小さな黒猫の人形が、職人の手元から盗まれた一件。
 細かいことなら見逃さない職人の目をかいくぐり、如何にして人形は盗み出されたのか? 龍之助はこちらの事件も同時に探索することになるのでした。


 海に囲まれた我が国――なかんずく海に面した江戸――の人々にとって、鯨というのは適度に遠く、適度に身近な巨獣であったように感じられます。

 現物に早々簡単にお目にかかれるものではないが、同じ国の中ではこれを捕って暮らす人間もおり、そして時にして自分の暮らしている目と鼻の先に迷い込んでくることもある。

 実際に江戸時代には江戸湾に鯨が迷い込み、物見高い江戸っ子たちを大いに騒がせた記録もあるのですから、本作のシチュエーションは十分にあり得るものであります。

 そして面白いのは、上で述べたように、その大きな鯨の消失事件と並行して、小さな猫(の人形)の消失事件が描かれることでしょう。
 同じく姿は消え失せながらも、そのサイズは雲泥の差。そして鯨の事件は同心・福川竜之助にとってのお役目、公のものであり、猫の事件は徳川竜之助として個人的に頼まれた私のものであるという対比もまた、それなりに面白い構図です。
(さらに、鯨の方には熱血御船手、猫の方にはやたら細かい職人と、それぞれにちょっとオカシな協力者が登場するのも楽しい)


 そんなわけで、これまでの作品同様、ライトでユニークな時代ミステリとして楽しい作品…と言いたいところですが、全てを台無しにしかねないのが犯人のキャラクター。
 これがまた自分勝手…はともかく、とにかく短慮で、犯行のトリックはともかく、その動機については納得できないことおびただしいのであります。

 過去の作品でも、事件そのものは面白いのに犯人がどうにも…というケースがありましたが、しかし本作はそれに輪をかけて困ったキャラであります。
 正直に申し上げて、ミステリとして、いや小説として説得力に破綻をきたしかねないクラスで――
(いや、そういう人物だから、と断言されればそれまでなのですが)

 そこまで楽しく読んできたものが、着地まできて大きくひっくり返った感があり、折角の面白剣法の登場も、それを覆すには至らなかった、という印象であります。


『新・若さま同心徳川竜之助 7 大鯨の怪』(風野真知雄 双葉文庫) Amazon
大鯨の怪-新・若さま同心 徳川竜之助(7) (双葉文庫)


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2014.08.18

『将軍家の秘宝 献上道中騒動記』 人の作った山中異界で

 寺を飛び出した青年僧・秀全は、旅の途中、行商人・平助と山に住む女・まつと出会う。裏の顔を持つ平助の仲間であり、まつの恋人である男・嵐を加えた一行は、山中で山上がり衆の不可解な動きを目撃、彼らの後を追ううちに、藩の御留山に近づく。果たして御留山で守られている秘密とは…

 出久根達郎による、信州の山岳を舞台とした時代活劇であります。
 単行本時点のタイトルが『御留山騒乱』であったことからわかるように、舞台となるのは御留山――藩によって入山禁止とされ、役人に守られた山を舞台とした物語です。

 主人公の一人は、諸般の事情で修行中の寺から飛び出した青年・秀全。町で知り合ったいわくありげな薬売りの男・平助とともに賭場に出かけた彼は、平助がいかさまを見破ったとばっちりでともども山小屋に閉じ込められ、そこの主・動物を操る山女のまつと出会うこととなります。

 …と、ここから後はもうひたすらジェットコースターのように止まらず物語が動き続けることとなります。

 実は藩の不正探索方であった平助は、彼の同僚であり、行方をくらましていた嵐という男を捜していたのですが、彼は実はまつといい仲。
 現れた嵐を問いただしてみれば、任務に嫌気がさした彼は山中で見つけた宝を狙っているということですが…そこに向かう途中で一行は、山上がり衆(逃散して山に住み着いた元農民)の人々が、何やら不審な動きをしていることに気付きます。

 さらに現れた謎の一団の襲撃から、山上がり衆の一人・重助を救った一行は、彼の言葉から藩の御留山に何らかの秘密があることを知るのですが――


 山が多い我が国において、山の中の世界というのはある種の魅力を感じさせるものか、伝説や言い伝えはもちろんのこと、時代小説にも、しばしば山中異界という舞台装置は登場いたします。

 本作もその系譜に連なるものと言えそうですが、ユニークなのは、本作におけるそれが、藩の御留山という、あくまでも人の手によって作られた――言い換えれば、平地の世界の延長にあることでしょう。
 そして作中に登場する山の民もまた、逃散農民という近世的な社会システムが生み出した存在で、これもまた、平地との関係が色濃く残っていることとなります。

 この辺り、退屈を嫌って寺を飛び出した秀全が、放浪の末に辿り着いた山中での冒険の末に、また日常に帰って行く…という物語の構図に重なるような気もいたします。


 と、理屈をこね回してしまいましたが、本作の基本はあくまでもノンストップの時代活劇。
 キャラの個性が十二分に活かされているとは言い難く、文庫版タイトルもちょっと違うのではと思いつつも、(舞台が殺生禁断の山というのもあって)作中の全体的に緩やかな雰囲気に包まれて、まずは肩の凝らない活劇として楽しませていただきました。

 ラストが和やかな笑いで終わる冒険も悪くないものであります。


『将軍家の秘宝 献上道中騒動記』(出久根達郎 実業之日本社文庫) Amazon
将軍家の秘宝 献上道中騒動記 (実業之日本社文庫)

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2014.08.17

9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 まさに暑い暑い夏真っ盛りのいま、先のことを考えるのもなかなか難しいのですが、しかしそれでも時は流れるわけで、9月の新刊予定が公開されました。来月はベテラン勢の作品は比較的少なめですが、その分フレッシュな作品が…というわけで、9月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 文庫小説の方でまず驚かされるのは、毎月のお楽しみの廣済堂モノノケ文庫が、 夏は終わってもまだまだモノノケは元気ということでありましょうか一挙3点刊行されることです。
 朝松健「およもん」第3巻、澤見彰「もぐら屋化物語 3 用心棒は就活中」とシリーズものの最新巻のほか、人間と雪女の間の娘を主人公とした嵯峨野晶「雪姫もののけ伝々」が登場、バラエティに富んだラインナップとなっています。。

 その他、シリーズものの最新巻としては、友野詳「からくり隠密影成敗」第2巻、上田秀人「妾屋昼兵衛女帳面」第7巻と、楽しみな作品が並びます。
 また、文庫化の方でも、仁木英之「くるすの残光 月の聖槍」、輪渡颯介「猫除け 古道具屋皆塵堂」、そして夢枕獏「東天の獅子」第1巻・第2巻と名品揃いであります。


 さて、小説以上に充実しているのが漫画のラインナップ。

 初登場で気になるのは、明治の遊郭を舞台とした怪異譚だという森野きこり「明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲」、どのように紹介すべきかちょっと言葉を失うとみ新蔵「剣術抄」、名作ホラー漫画の時代劇版である楠桂「鬼切丸伝」のそれぞれ第1巻でありますが…

 個人的に一番見逃せないのは、あの夏目漱石が、倫敦留学時代に実在の大魔術師マクレガー・メイザースと出会っていた、という星野泰視「メイザース ソロモンの魔術師と明治の文豪」第1巻であります。
 ありそうでなかった顔合わせですが、クロウリーやウェストスコットも登場と、好きな人間にはたまらない世界となりそうです。

 その他、シリーズものの続巻ではせがわまさき「十 忍法魔界転生」第5巻、睦月ムンク「陰陽師 瀧夜叉姫」第5巻、永尾まる「猫絵十兵衛 御伽草紙」第10巻、吉川うたた「鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録」第2巻、横山仁「大帝の剣」第3巻、山田章博「ラストコンチネント」下巻と、ちょっと驚くくらいの点数であります。


 最後に、非時代伝奇ではありますが個人的に楽しみなのが、北原尚彦「ジョン、全裸連盟へ行く」。
 何やらすごいタイトルですが、これが実は私も大好きなドラマ「SHERLOCK」の公式パスティーシュ。しかも書くのは日本一のシャーロキアン作家とくれば、これは期待せざるを得ません。



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2014.08.16

『ねこねこ日本史』 擬「猫」化がえぐり出す人物史?

 動物ネタを中心に活動し、最近は私も毎週楽しみにしている「猫ピッチャー」ブレイク中のそにしけんじが、webコミック誌「ねこきゅん!!」に連載していた作品が単行本化されました。簡単に言えば、歴史上の有名人たち(以外の人たちも)を猫にしてしまったという、擬「猫」化漫画であります。

 ――と、いきなり説明が終わってしまいましたが、本作は日本史を古代から幕末まで12人の偉人…いや12匹の偉猫(?)を中心に描いた作品。

 その顔ぶれは、卑弥呼、聖徳太子、聖武天皇、藤原道長、源頼朝、足利尊氏、武田信玄、織田信長、徳川家康、徳川綱吉、大石内蔵助、坂本竜馬。
 戦国時代に偏りすぎとか、元禄時代に2人とかという点は気になりますが、特に前半についてはまず納得のメンバーでありましょう。

 そして内容の方はといえば…これはもう、そにしけんじお得意のゆるさと猫の可愛らしさに充ち満ちているのですが、そこで繰り広げられるのは、もちろん史実を徹底的にパロディにした世界であります。

 卑弥呼の鬼道がねこじゃらしだったり、生類憐れみの令で綱吉が犬を飼って大変なことになったり、アメショのペリーが黒船で来航したり…
 猫のビジュアルの可愛らしさと、歴史上の人物の振るまいが相まって、何ともユルくも楽しいもう一つの日本史が、ここにはあります。

 しかし、ギャグの楽しさ、猫の可愛らしさだけではありません。時折驚かされるのは、作中の人物描写の意外な鋭さであります。
 本作においては、毎回のタイトル(人物名)の下に主な登場人物(猫物)が三匹ほど描かれているのですが、実はその説明がなかなかくせもの。

 聖武天皇は「遷都ぐせがある」
 源義経は「戦は天才的だが、おつむが…」
 そして足利尊氏は「敵味方の区別がつかない」
 一見、身も蓋もない一刀両断ぶりですが、これが史実に照らしてみるとなかなかに的を射たものであることに気づきます。

 特に尊氏など、あの南北朝の争乱の中で立ち位置と戦う相手をコロコロ変えていく様は、なるほど敵味方の区別がつかず、とにかく自分の周囲の動くものに飛びかかる猫のよう。
 これが実際に絵がついて四コマ漫画になってみると、もちろんまた別の面白さがあるのですが、私としてはこの尊氏像を見ただけで、本作を手に取った甲斐があった…というのはさすがに言い過ぎかもしれませんが。


 もちろん基本はギャグ漫画ではありますが、しかしその陰にあるのは、優れた観察眼。
 猫たちの可愛らしさに目を細めつつ、パロディの視点から切り込んだ日本史の姿にハッとさせられる、そんな一冊であります。

 ちなみに作者には、宮本武蔵が五輪書の印税でハワイに移住してゴロゴロする(だけ)という『トロピカル侍』もあり、こちらはある意味本作以上に元ネタと関係ない世界に突入しているのですが、妙にクセになる作品であります。


『ねこねこ日本史』(そにしけんじ実業之日本社) Amazon
ねこねこ日本史 (コンペイトウ書房)

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2014.08.15

『向ヒ兎堂日記』第4巻 交わり始めた二つの物語

 国が怪異やそれを記した書物を取り締まる違式怪異条例が施行された明治時代を舞台に、禁書である怪異にまつわる書籍ばかりを集めた貸本屋・向ヒ兎堂とそこに集う人と妖怪を描く『向ヒ兎堂日記』の新刊が発売されました。宿敵(?)ともいえる違式怪異取締局が大きく揺れ動く中、兎堂は…

 明治時代に至り、廃止された陰陽寮の流れを汲む違式怪異取締局。明治の世に生きる妖怪たちを捕らえ、封印していく彼らの中にも二つの派閥がありました。
 クーデターによって主権を握った副長派に対し、これまで何かと兎堂と関わりのあった
局員・都筑たちは半ば追放状態に…

 と、いきなりシリアスな展開となった本作ですが、兎堂の方は相変わらずの日常。
 店に持ち込まれた鈴姫の鈴を元の場所に返すために奔走したり、山からやって来た河童のかつての友達を一緒に探したり…それなりに深刻ではあるものの、どこか暢気な兎堂の日常は相変わらずであります。
(それでいて河童のエピソードでは、ある出生の秘密を背負って生まれ、子供の頃は鬼に育てられていたという主人公・伊織の屈託を絡めてくるのが実にうまいのですが)

 しかしもちろん(?)、それだけで済むはずがありません。都築の部下で、兎堂に入り浸るようになった青年・仙石は兎堂で決定的な瞬間を目撃し、そして河童を連れていた伊織の前に現れたのは、副長派の式神使い…

 本作においては、違式怪異条例という存在を中心において、兎堂と妖怪たちの物語と、違式怪異取締局や陰陽道にまつわる物語と、二つの物語の流れが存在していたといえます。
 これまで時にすれ違い、時に並行して走ってきた物語が、いよいよ交わるかもしれない…それも伊織を軸に、全く予想もしていなかったような形で。

 失礼ながら、物語が始まった際には、このような展開を見せるとは思わず、人間と妖怪の人情話(?)が静かに描かれていくものとばかり思っていた本作。
 あたかもらせん階段を上っていくかのように、物語世界が少しずつ深まり、これまで隠れていたものが見えてくるのは、なかなかにゾクゾクさせられるものがあります。

 そしてまた、その先に見える景色が、優しく暖かいものであることを願っているところなのです。


『向ヒ兎堂日記』第4巻(鷹野久 新潮社バンチコミックス) Amazon
向ヒ兎堂日記  4 (BUNCH COMICS)


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 「向ヒ兎堂日記」第1巻 怪異消えゆく明治の妖怪人情譚
 「向ヒ兎堂日記」第2巻 入り交じる人情と伝奇と
 「向ヒ兎堂日記」第3巻 伊織、出生の秘密!?

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2014.08.14

『戦国妖狐』第13巻 そして千夜の選んだ道

 決戦前夜という一番気になる場面を描いた前の巻から少々間が空きましたが、いよいよ決戦の始まりであります。多くの闇(かたわら)を手中に収め、強大な力を持つに至った無の民に対し、第一部も含めてこれまでの物語に登場してきた多くのキャラクターたちが結集、全面対決に突入することとなります。

 ある目的のために狂える神を生み出し、歴史の影で暗躍してきた無の民。一度は千夜や足利義輝によって撃退された彼らは数年後に再来、これまでとは比べものにならない強大な力を手にすることになります。

 無の民の側は第一部の主人公にして狂える千本妖狐と化した迅火、千夜の父である龍の男・神雲、巨大な入道雲の闇・万象王、そして無数の闇たち。
 これに対するは、千夜、神雲のライバルであった虎の男・道錬、千夜のライバルにして今は道錬の弟子のムド。そして決戦に参加すべく彼らの後を追う妖狐たま、真介、月湖、京の土地神・華寅…

 かくて、奇しくも第一部の決戦の場でもあった断怪衆総本山において、正邪(と単純に色分けするのは躊躇われるのですが)の決戦が開幕することとなります。

 とにかく、決戦というだけあってこの巻では最初から最後までバトルまたバトル、いきなり最強の龍・神雲との頂上決戦が始まったかと思えば、人質(闇質?)とされた闇を救うべく、千夜は単身無数の闇の群に突入。

 意外な乱入者や、ここに来て新ヒロインの登場!? ととにかく盛り沢山の展開で読み応えは十分なのですが…
 正直に申し上げると、こういう展開の時にはここで紹介することが少なくなってしまうのは、個人的には痛し痒しではあります。

 が、やはり油断できないのがこの作品であり、この作者。この巻のクライマックスにおいて、千夜が示す決意の姿こそがそれであります。

 闇と戦うための人間兵器として、幼い頃にその身に千体の闇を宿した千夜。真介との出会いによりその心は救われ、千体の闇とも想いを一つにすることはできた千夜ではありますが、その身が人と闇の不安定な――という言葉ではすまぬほど危険な――状態にあることには変わりありません。

 かつて迅火が己の中に宿した妖狐の力を暴走させた果てに、全ての生命力を食らいつくす千本妖狐と化したごとく――いや、それ以上に危険な存在に化すのではないか。
 それが周囲の、そして千夜自身の恐れるところだったのですが…

 しかし、ここで描かれるのは、その恐れを超えて千夜がたどり着いた己が歩むべき道と、それを象徴する姿であります。
 そう、その姿とは――とさすがにこれは伏せますが、なるほど、千本妖狐に対置される存在として、これがあったか! と唸らされることは間違いありません。

 そして両者の姿の違いこそは、人を嫌い闇になろうとした迅火と、闇を宿しながらそれを受け入れ、なおも人であろうとする千夜の違い――そしてそれは、彼らの境遇、接してきた人々の違いでもあるのですが――でありましょう。

 まだまだ先の読めない作品ではありますが、新旧主人公の対決は、人と闇の――人と他者の関わり合いを描いてきた本作の一つの結実を示すものになることは、間違いありますまい。


 と、その前に第一部からの読者にとっては大いに気にかかる展開が待っています。

 かつて悲痛な別れを経験し、今また敵味方として分かれることとなった真介と灼岩。
 人と闇の架け橋として、本作の影の主人公ともいうべき存在であった彼の魂の輝きに運命は力を貸すのか?

 千夜の運命もさることながら、真介たちの運命もまた、気になって仕方のない、早く次の巻を、と言いたくなってしまうところなのであります。


『戦国妖狐』第13巻(水上悟志 マッグガーデンブレイドコミックス) Amazon
戦国妖狐 13 (BLADE COMICS)


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 「戦国妖狐」第12巻 決戦前夜に集う者たち

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2014.08.13

『新選組!!! 幕末ぞんび 斬られて、ちょんまげ』 黄昏の時代の人とゾンビと

 麻疹のような病の流行が全ての始まりだった。夜回りに出た近藤・土方・沖田は、その病によって一度死に復活した「ゾンビ」の群の襲撃を受け、沖田はゾンビに噛まれてしまう。芹沢鴨と一橋七郎麿によって救われた近藤らは、京にいるというゾンビの首魁を求め、浪士組と称して入洛するのだが…

 時代劇にゾンビはもはや定番、というのはもちろん過言ですが、しかし先日も新選組を題材にしたゾンビもの映画の製作が発表されたように、決して縁遠い存在というわけではありません。

 そして登場した本作、作者はコミカルなもののけ時代小説でお馴染みの高橋由太、サブタイトルもいかにもな脱力もので、期待半分心配半分で手に取ったのですが――読み終わってみれば、この先の展開に期待全部となるような作品でありました。
 というのもサブタイトルとは裏腹に、本作で描かれるのは、密かに進行するゾンビ禍によって滅びつつある幕末の日本の姿なのですから。

 長崎から始まり、江戸にまで広がった麻疹に似た病の流行。
 その病で死んだものの遺骸がいつの間にか消え、そして夜毎異形の姿と化して徘徊する…そんな奇怪な噂が紛れもなく真実であったことを知る羽目になったになったのは、近藤勇・土方歳三・沖田総司の試衛館の三人組でした。

 突如現れた生ける死者たちに包囲され、苦戦する近藤らを救ったのは芹沢鴨(その際の手段に大ウケ!)、そして一橋七郎麿――慶喜でありました。
 彼らの口から、死者たちの正体がゾンビ――アヘン戦争直後の清に現れ、瞬く間に清を死者の国に変えた存在であることを知った近藤たち。

 一度は彼らとの戦いを拒否した近藤たちですが、しかしある事情から、浪子組の一員として今日に向かうことになるのですが…


 というわけで、実は新選組は対ゾンビのための秘密部隊だった! というある意味キャッチーな設定の本作。
 新選組ものとしては定番の造形でありながら、どこか可笑しい近藤や沖田のキャラクターなど、いかにも作者らしいコミカルな味付けももちろんふんだんに散りばめられてはいます。

 しかし物語の根底にあるのは、人と、かつては人だったそれ以外の存在の姿。
 ゾンビ(ロメロによってメジャーとなった、吸血鬼的性格を持つゾンビ)という存在が他のモンスターと異なるのは、かつては我々と同じ人間であり――そして我々もいつ彼らと同じ存在となるかわからない点でありましょう。

 本作に登場する登場人物とゾンビとの関係もそれに変わることはありません。
 親しき者がゾンビに変わっていく苦悩、自分もいつかゾンビに変わっていくという恐れ…本作の活劇の背後に流れるそんな人の、ゾンビの想いは、作者の作品で繰り返し描かれてきた「人でいられなくなった者たちの哀しみ」のそれとぴったりと重なるものであります。
 その意味で本作は書かれるべくして書かれた作品なのかもしれません。


 幕末ものにも様々ありますが、しかし共通するのは、良くも悪くも活気に満ちた時代として幕末を描く点ではないでしょうか。
 しかし本作において描かれる幕末は、活気に満ちた時代でも平和な時代でもなく、一つの終わりを前にした黄昏の時代であります。

 その黄昏の中を、近藤は、土方は、沖田はどのように生き抜いていくのか。
 あるいはそこに、巨大なもう一つの幕末史が描かれることになるのではないか――というのは褒めすぎかもしれませんが(有名人の最期に尽くゾンビが絡んでいるという展開に落ち着く気もしますし)、しかしやはり期待してしまうのであります。


『新選組!!! 幕末ぞんび 斬られて、ちょんまげ』(高橋由太 双葉文庫) Amazon
斬られて、ちょんまげ-新選組!!! 幕末ぞんび (双葉文庫)

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2014.08.12

『蘭学探偵 岩永淳庵 海坊主と河童』 科学探偵、江戸の怪事に挑む

 優れた頭脳と知識を持ちながら、トラブルを起こして今は辰巳芸者の豆吉のもとに居候になっている若き蘭学者・岩永淳庵。ある日、豆吉とともに江戸で評判の高櫓を見物に出かけた淳庵は、温泉掘りのためだという工事の目的に不審を抱く。火付盗賊改同心・瀬川又右衛門とともに謎を追う淳庵と豆吉だが…

 いま注目の時代小説家は? と問われれば、私にとっては自信を持ってこの方、と答える平谷美樹の新作であります。
 タイトルは『蘭学探偵 岩永淳庵』――色々あって失業中、辰巳芸者のもとに転がり込んでいる蘭学者・岩永淳庵が、素人探偵として、江戸で起きる怪事件に科学の目で挑む痛快な連作短編集であります。

 冒頭に記したのは、全四話が収録された本作のうち、第一話「高櫓と鉄鍋」のあらすじです。
 温泉を掘るために江戸の四方に立てられ、ちょっとした観光名所となった高櫓。しかし掘削には巨額の費用がかかったにもかかわらず、結局温泉は出ずじまい…
 というだけであればよくある話のようですが、この計画に関わっていたのがとある蘭学者だったことで、淳庵が興味を持つことになります。

 さらにそこに絡んでくるのが、空から落ちてきたという鉄鍋の謎。一見無関係に思われたこの二つが結びついた時、文字通り驚天動地の計画が浮かび上がるのであります。

 時代小説において、科学的知識を用いた陰謀が描かれるといえば、真っ先に思い浮かぶのは、同じ作者の「採薬使佐平次」の第一作。
 あちらでも、この時代にこんなことができるのか!? と驚くほどのアイディアが展開されておりましたが、本作は短編ながらもとてつもないアイディアが投入されており、この辺りは、SF作家でもある作者の、理系時代小説作家としての面目躍如と申せましょう。

 そしてその本作ならではの味わいは、青い鬼火による連続放火事件と現場に残された革紐の謎を描く第二話、盗賊が狙う絵図面に記された陸奥の秘宝の在処を追う第三話、そして江戸の海や川に出没する奇怪な海坊主や河童の正体に挑む第四話と、実にバラエティに富んだアイディア・切り口で展開されていくのです。

 そして本作の楽しさは、科学探偵ものという趣向に留まりません。
 飄々としながらもどこか屈折したものを抱える淳庵、実は旗本の娘で(たぶん)作中では最強の武術の使い手・豆吉、仕事柄強面だが淳庵・豆吉とはしょっちゅうつるんで馬鹿騒ぎしている火盗改同心の瀬川――

 本作のメインキャラ三人は、いずれも個性的で、何よりも気持ちのよい連中。
 謎解きの面白さだけでなく、キャラの面白さもまた、ミステリには――特に時代ミステリには――必要な要素かと思いますが、そちらも抜かりなし、なのであります。


 書く作品書く作品、毎回こちらを驚かせるような新機軸を打ち出してくる作者らしい、驚きと楽しさに満ちた本作。
 第四話には淳庵のライバルになりそうな人物も登場(その名前がまた…)、また一つ、先が楽しみな作品が誕生したことは間違い在りません。

(ちなみに本作、ほとんど毎回、作者のファンであればニヤリとさせられるような小ネタが交えられているのも嬉しいのであります)


『蘭学探偵 岩永淳庵 海坊主と河童』(平谷美樹 実業之日本社文庫) Amazon
蘭学探偵 岩永淳庵 (実業之日本社文庫)


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2014.08.11

『サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録』第10巻 そして別れと新たな出会い

 ついにこの時が来てしまいました…天正遣欧少年使節第五の少年・播磨晴信と、彼と主従の契約を結んだ忍び・桃十郎の世界を股にかけての冒険譚「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」の最終巻、第10巻であります。ゴアで二人が経験する別れと出会いとは――

 中国、アユタヤで大冒険を繰り広げ、ついにアジアにおけるイエズス会の拠点があるゴアに辿り着いた一行。
 そこでかつてザビエルを日本に案内したアンジロウの同名の孫であり、剣術の達人である青年と出会った晴信は、彼を従者に加えることに。

 一方、桃十郎は、自分が求めても届かぬ存在であった織田信長を思わせる男、ムガル帝国皇帝・アクバルと出会い、強く心を動かされることとなります。
 ゴアを騒がす暗殺教団・サッグの本拠に乗り込んだ晴信・桃十郎・アンジロウですが――

 と、この巻でメインとなるのは、晴信と桃十郎の別れであります。
 これまで長きにわたり名コンビぶりを発揮してきた二人ですが、元々は一年限りの主従の契約。そしてその一年も終わりに近づいた今、晴信は自分に足りないものを見出し、そして桃十郎は自分を満たしてくれる者を見出し、それぞれの道を歩み始めることとなります。

 もちろんこれまでも別行動を取ってきたことはあったものの、完全に別れることはなかった二人。それが初めてそれぞれの道を行くことで何が生まれるか…
 それはある意味、晴信と桃十郎という、本作の中心構造の在り方の問い直しであり、言うまでもなくそれは本作で最も大事な展開の一つでありましょう。

 結論から言えば、それが十二分に分量を取ることができなかった、という印象はゼロではありません。
 特に晴信のもとを離れた桃十郎の活躍は、もう少し見てみたかったという気持ちはありますが――しかしむしろここは、限られた紙幅の中で、見事に桃十郎の求めていたもの、求めるものを浮き彫りにし、そこに向かって新たな一歩を踏み出した彼の姿を描いたことを讃えるべきでありましょう。

 そしてもちろん、彼の求めるものがどこにあるのか、それをくだくだしく述べる必要は、本作の愛読者には必要ありますまい。


 長期休載と雑誌の休刊というアクシデントが重なり、やむなくここで物語の結末を迎えることとなった本作。
 しかしその、歴史という一見定められた枠の中で、自由闊達に新たな世界を求め、見出してみせる精神は、最後の最後まで失われず…そして新たな世界に向けて旅立ってみせたと言えましょう。

 もちろん、晴信と桃十郎の旅の最後の最後まで見届けることができなかったのは残念ですが――彼らが再び出会い、そして共に新たな一歩を踏み出す姿を見ることができたのは、何よりの喜びであります。


『サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録』第10巻(金田達也 講談社ライバルKC) Amazon
サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録(10)<完> (ライバルKC)


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 「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第6巻 偸盗の技、人間の怒り
 「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第7巻 決戦三対三、切り離された相棒!?
 「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第8巻 主従と親友と二人の少年
 「サムライ・ラガッツィ 戦国少年西方見聞録」第9巻 褐色の信長、その名は…

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2014.08.10

『怪建築十二段返し』 古風にして「新しい」時代小説の誕生

 突然ずいぶん古い作品を、と思われるかもしれませんが、深い意味はございません。『富士に立つ影』の白井喬二のデビュー作をはじめとした初期短編四編を収めた作品集、はじめ桃源社の日本ロマンシリーズで刊行され、後に大陸文庫からも同じ作品を収めて刊行されたものであります。

 表題作、そしてデビュー作である『怪建築十二段返し』は、タイトルのとおり、江戸に作られた怪建築を巡る奇談であります。
 姪が行方不明となった建築家が、彼女の手がかりを追ってたどり着いた先は、かつて自分が設計した、しかしその全容を知らされることはなかった怪建築。そこに潜入するも消息を絶った建築家を追い、その息子や町奉行所の敏腕与力が謎に挑むこととなります。

 ここに奉行所の与力が登場することからわかるように、本作は一種の捕物帖として読むことが出来ますが、それは本書に収録された他の三編も程度の差こそあれ同様。
 黒船来航を背景に、江戸の商人たちを狙う大陰謀に奉行所与力と船大工が挑む『全土買占の陰謀』
 仕事のために預かった将軍家の文書を紛失した漆器職人が忍術修行の末に活躍する『白雷太郎の館』
 奇怪な巫女との術比べに破れた奇術師が、彼女が開いた新興宗教の神殿で繰り広げる冒険『江戸天舞教の怪殿』

 いずれも探偵趣味と怪奇趣味、そしてテクノロジーへの興味が濃厚に漂う作品ばかりであります。


 しかし正直に申し上げれば、本書の収録作品は、今の目から見ればかなり粗い内容という印象は否めません。
 特に表題作などは、まだまだこれから、というところでバタバタと物語が畳まれておしまい、という狐につままれたような気分になってしまう結末で、悪い意味で驚かされます。

 もっともこの辺りは、掲載誌がいわゆる講談誌(名前もそのまま「講談雑誌」)に掲載されていたことや、表題作の発表が1920年という今から百年近く昔という時代背景を考えるべきかもしれません(特に慌ただしい結末は、講談の、続きはまたのお楽しみ的な方式ともとれます)。

 とはいえ、今の時代の万民に勧められるかといえば、それは少々躊躇われるものがあるのですが――


 しかしここで注目すべきは、上で触れた本書の収録作品の発表時期であります。表題作は1920年、その他の作品もその1、2年後に発表されたものですが――捕物帖の祖たる『半七捕物帖』の開始が1917年であったことを考えると、わずか三年後に、捕物帖は大いに進歩したものだと驚かされます。

 これも先に述べたように、本書の収録作に共通するのは、一種のテクノロジーへの興味であります。

 その象徴となるのが、表題作をはじめとして、どの作品にも登場する怪建築でしょう。
 その存在自体は、むしろ江戸時代の読本などの影響も濃厚に感じますが、しかしたぶんに煙に巻くような表現ではあるとはいえ、どこかロジカルに描かれたその描写は、確実に新しい時代のものであると申せましょう。
(さらにいえば、表題作で描かれる催眠術や電気を用いた捕物術などのガジェットも同様の流れによるものでしょう)

 この辺りに着目すると、題材こそ一見古風であっても、確実に本書の収録作は「新しい」作品であった、と言ってもよいように感じられるのです。


 さらに言えば、これも本書の収録作に共通する要素として、物語の主人公/中心人物が、いずれも何らかの技術者である点も、このテクノロジーに対する興味の度合いを感じさせるものであり――そして、『富士に立つ影』の主人公たちがどのような職業・身分であったことを考えれば、さてこそは、と頷ける気がするのであります。


『怪建築十二段返し』(白井喬二 大陸文庫) Amazon

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2014.08.09

『どくろ検校』 名作の幻の漫画版、ここに復活

 Kindleなど電子書籍で本を読むのにもすっかり馴れましたが、個人的に一番電子書籍に期待しているのは、紙の書籍では手に入らなくなった作品の刊行です。本作はそんな期待に応えてくれた作品、横山まさみちが横溝正史の原作を漫画化した『どくろ検校』であります。

 本作の原作となるのは、もちろんあの名作『髑髏検校』。調べてみると今から約45年前の1970年に月刊別冊少年マガジンに掲載されて以来、単行本未収録だった模様です。
 その作品が何故いま突然…というのは謎なのですが、しかしこれまで原作は不死身の生命力を持って幾度も復活(復刊)されている作品だけに、その漫画版も復活しても不思議はない…というのは言いすぎかもしれませんが。

 さて、原作の『髑髏検校』は以前もこのブログで取り上げたことがありますが、簡単に言ってしまえばブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の翻案。
 トランシルヴァニアを九州の孤島に、ロンドンを江戸に、ジョナサン・ハーカーを鬼頭朱之助に、ヴァン・ヘルシングを鳥居蘭渓に、そして実在の人物であるドラキュラを…
 と、原典を巧みに怪奇時代小説の世界に移し替え、そしていかにも作者らしい妖異の世界を展開してみせた作品であります。

 そしてこの『どくろ検校』の方は、この原作の流れを踏まえつつ、独自の展開を見せる作品。
 第一部が検校の存在を語る朱之助の手記、第二部が江戸に出現した検校と蘭渓の対決と二部構成の本作、分量でいえば100ページ程度ですが、原作の枝葉をばっさりとカットしてテンポよく物語が進む本作には、むしろほどよいボリュームという印象があります。

 一方、劇画の王道を行くような作者の絵柄(ちなみに我々の世代ではオットセイを連想してしまう作者ですが、元々は貸本漫画出身で、時代・歴史ものの漫画も数多くものされている方であります)ゆえ、そして掲載誌の性格もあってか、原作の妖美さは薄れた感はあります。
 この辺り、原作にあった市村座のくだりが省かれていることもあってか、少々残念ではあるのですが、しかしクライマックスで検校と対峙した者たちの「あの構え」の迫力はやはりなかなかのもの。

 そして何よりも面白いのは、実は後半に、原作と異なる展開が取り入れられている点であります。

 未読の方の興を削がない程度にご紹介すれば、原作では孤島に置いていかれ、ボロボロになって一人江戸に帰り着く朱之助ですが、本作では検校によって(血を吸われることもなく)江戸に伴われてきたという展開。
 それにはもちろん理由があるのですが、ここにあるのは、吸血鬼という怪物の(比較的忘れられやすい)特徴の一つ…外見だけでは普通の人間とは区別がつかないという点と、それを利用する検校の恐るべき奸智であります。

 そしてそんな検校の魔手は鳥居家にも…というように、ちょっと予想していなかった方向に物語は進み、原作読者にとっても実にサスペンスフルな展開となるのが素晴らしいのであります。
 正直なところ、原作はかなり終盤が駆け足だったのですが、その辺りをこのような形でアレンジしてくるとは、と唸らされた次第です。


『どくろ検校』(横山まさみち&横溝正史 ゴマブックス) Amazon
どくろ検校


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2014.08.08

『タイムスキップ真央ちゃん』 過去の先にある現在を見つめた少女の瞳

 小学6年生の真央が拾った喋る携帯電話。それは持ち主の意識を過去の時代に飛ばすタイムスキッパーであり、真央の意識は森乱丸の体に宿ってしまう。戸惑いながらも何とか周囲に馴染み始めた真央の目に映ったのは、苛烈ながら無邪気な織田信長と、彼を敬愛する聡明な明智光秀の姿だったが…

 タイトルを見ただけではいきなりどうしたことかと思われるかもしれませんが、戦国時代へのタイムトラベル(本作の語で言えばタイムスキップ)を扱ったジュブナイルの名作であります。

 今から10数年前の「小学5年生」~「小学6年生」に1年間連載された(後に「1582年の異邦人」と改題され、「コミック戦国マガジン」誌に掲載)本作の主人公は、小学6年生の少女・生田真央。
 現代人が織田信長の時代にタイムスリップするという作品は、調べてみると驚くほどたくさんありますが、小学6年生というのはかなり若い部類ではありましょう。

 さて、本作は、学校で本能寺の変のことを教わったばかりの真央が、学校帰りに不思議な携帯電話を見つけて…という場面から始まります。気がつけばそこは織田と武田の戦の真っ直中、何と森乱丸の体の中に意識だけ飛び込んでしまった彼女は、戦意をなくした武田軍を殲滅しようとした信長に食ってかかるのですが…

 とりあえずは初陣故の混乱ということで赦された真央/乱丸ですが、このままではいられない。自分が未来から来た人間であることを何とか信長に理解させようと悪戦苦闘することとなります。
 そこで未来では飛行機が空を飛んでいることを信じさせようと、紙飛行機を作って飛ばした見せたものの、信長が子供のように無邪気に紙飛行機に夢中になるのに驚きを覚える真央。
 さらに、後に信長を裏切ると習った光秀も、そんな信長を敬愛し、信長とともに一喜一憂する姿を見せるのですが…

 さらに、徐々に乱丸の意識が目覚め始め、一人の体に二つの意識とややこしいことになったり、信長に恨みを持つ伊賀の少女忍が安土城に潜入してきたりと、様々な波乱に巻き込まれる真央。しかし中盤からの本作は、思わぬ展開を迎えることとなります。


 戦国時代に限らず、ある過去の時代に現代の人間が訪れた、当時の考えや行動と全く異なる、現代のそれをぶつけた時、そこに何が生まれるか――それこそが、タイムトラベルものの魅力であり、醍醐味でありましょう。

 もちろん、それが一方的な過去の否定に(あるいはその逆に)繋がるのであれば、それもまた問題でありましょう。
 そうではなく、それぞれの時代にそれぞれの事情があり、それを互いに理解しつつも――しかしそれでも生じる価値観の相違は、それは大いに意味あるものと言えます。

 本作はそれを、女子小学生という、ギリギリ純粋で、それでいて色々と背伸びした考えも持つ世代の少女を主人公とすることで、より強調する効果をあげていると感じるのです(これが男子小学生だと、武将カッコイイ! で終わりかねない)

 そしてまた、信長も光秀も、よくあるキャラのパターンにはめ込むのでも、単一の側面だけを持つ人間として描くのではなく、長所と短所を持つ、ごく普通の人間として描く点もまた、それをさらに効果的にしていると感じるのであります。


 そして本作のさらに素晴らしい点は、真央が、そうした過去(さらに未来)の時代を、自分自身と無縁のものと考えるのではなく、そして自分自身が無力な存在と考えるのではなく――いや、初めはそう考えていたものが、一連の冒険の中で考えを改め、大きく成長していく点にこそあります。

 決して過去と現在は切り離されたものではなく、決して自分は過去を訪れた単なる異邦人ではない…タイムトラベルものとしてはお約束の展開かもしれませんが、しかしピュアな少女の姿を通じて描かれたそれは、強く強く胸に残るのであります。


 しかし――いまはすでに成人し、社会に出ているであろう真央は、今の日本の姿をどう見ているのだろう…というのは蛇足でありましょうか。

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タイムスキップ真央ちゃん (てんとう虫コミックススペシャル)

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2014.08.07

『鬼舞 ふたりの大陰陽師』 「芦屋道満」の見た絶望と希望

 先日、平安京を炎に包む一大クライマックスの末に第一部「呪天編」完結を迎えた「鬼舞」シリーズ。今回はその呪天編のエピローグであり、次なる物語へのステップであり、そして何よりも、全ての始まりの物語である過去編という趣向。タイトルも「見習い陰陽師」ではなく、「大陰陽師」であります。

 様々な鬼を操り平安京を騒がせた怪人・呪天による大混乱の中、ついにその姿を現した宇原道冬の中の「漆黒」。
 これまでも魔を惹きつけ、そして強大な、そして制御不能の力を発揮してきたその漆黒により、呪天も及ばぬほどの災厄が都に及ばんとした時、かろうじて道冬が漆黒の正体たるある怨念をくい止めたところで、呪天編は完結となりました。

 本作は、そのラストシーンの翌日の物語。己の中に眠るものの正体を知った道冬に対し、彼の父・蘆屋道満を殺したと噂される安倍晴明が、ついに真実を語ることになります。

 言うまでもなく蘆屋道満と言えば、安倍晴明最大のライバルとして知られる陰陽師であります。様々な伝説や物語の中で対決してきたこの二人ではありますが、本作においてはそうした大陰陽師像を踏まえた上で、全く新しい二人の――道満の物語が描かれることとなるのであります。

 これまでもこのシリーズの過去エピソードにおいて、二度ほど登場している道満。その人物像は、まだ幼さすら感じさせる容姿でありつつも、どこか人として欠落した部分を感じさせるものとして描かれてきました。
 それはある意味、晴明の「敵役」として相応しいキャラクターに感じられますが、しかし本作において描かれるのは、その道満の内面――彼が何ゆえにそうなり、何を思って晴明と対峙し、そして道冬が何を託されたのか、それであります。


 行近を連れての旅の途中、とある地方貴族の姫君・灯子と出会った道満。彼女が縊鬼に苦しめられているらしいこと、そして何よりもそれを祓うために都から晴明が呼ばれたことを知った道満は、半ば強引に、晴明が来るまで彼女を守る役目につきます。

 幼い頃に実の母を亡くし、継母に虐げられる灯子。父も母も早くに亡くし、そして幼い頃から「蘆屋道満」の名と使命を背負わされていた道満。偶然の、そしてかりそめの出会いに過ぎなかったはずの二人は、しかし孤独な魂を埋め合わせるように、次第にその距離を縮めていくことになるのですが…

 ここから先は物語の根幹に関わる部分ゆえ、なかなか紹介が難しいのですが、本シリーズにおける「蘆屋道満」とは、かの漆黒とは決して離れることのできない宿命を背負わされた存在。
 道満の特異なキャラクターは、その過酷な宿命に対する、一種の絶望の発露だったのであります。

 しかし同時に本作においては、彼の前にあったものが、絶望だけでなかった…いや、絶望だけではなくなったことをも描き出します。
 それが何故か、そして彼にとっての希望の「象徴」が何なのか…それはここで言うまでもありますまい。

 一つだけ言えるのは、この「鬼舞」という物語自体が、芦屋道満にとっての――いや、彼に関わった人々にとっての、絶望と希望の姿であるということ。
 そして少なくとも今のところは、希望が絶望に打ち克っていると…そう言っても良いでしょう。


 さて、最大の謎とも言える過去の物語が明かされた「鬼舞」ではありますが、物語は続きます。そこに何が待つのかは、まだまだわかりません。しかしそこで描かれるのが、次代の希望の勝利であることを、今から願ってやみません。

 そしてもう一つ――本作で嬉しいのは、名前こそ出なかったものの、どこかで見たような懐かしいキャラクターの消息が語られること。あとがきも含めて、あのシリーズのファンは必見であります。

『鬼舞 ふたりの大陰陽師』(瀬川貴次 集英社コバルト文庫) Amazon
鬼舞 ふたりの大陰陽師 (コバルト文庫 せ 1-53)


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 「鬼舞 見習い陰陽師と悪鬼の暗躍」 緩急自在のドラマ、そして畳
 「鬼舞 ある日の見習い陰陽師たち」 若き陰陽師たちの拾遺集
 「鬼舞 見習い陰陽師と呪われた姫宮」 ついに出現、真の敵!?
 「鬼舞 見習い陰陽師とさばえなす神」 ギャグとシリアス、両サイドとも待ったなし
 「鬼舞 見習い陰陽師と応天門の変」 ついに交わる史実と虚構
 「鬼舞 見習い陰陽師と漆黒の夜」 決着!? 炎の都に広がる闇

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2014.08.06

『慶応水滸伝』(その二) 受け継がれる侠たちの心意気

 『天保水滸伝』『明暦水滸伝』に続く柳蒼二郎の江戸水滸伝三部作のラスト『慶応水滸伝』の紹介その二であります。時代も舞台も異なる三つの作品を繋ぐものとは…

 そう、三つの作品を繋ぐもの、そして何よりも読者として嬉しいのは、辰五郎の中に、これまで江戸水滸伝として描かれてきた『天保』『明暦』の侠たちの魂が受け継がれていることであります。
 この江戸水滸伝三部作は、三部作と銘打ちつつも、直接的に個々の作品が繋がるというスタイルではありません。

 しかしその中でも、『天保』と本作では、両作品で座頭の市が極めて重要な位置を占めるように、地続きの世界として、ある種連続した物語が描かれ、主人公の平手造酒の名も語られることとなります。
 一方、時代の大きく離れた『明暦』とは共通点がないようにも見えますが――『明暦』の物語の重要な要素であり、主人公の水野十郎左衛門や幡随院長兵衛らが立ち向かったものが江戸を焼き尽くす大火であったことを見逃すわけにはいきますまい。

 両作品の主人公は、しかし人から見れば決して幸せな生を生きたわけではないようにも感じられます。
 生家を捨て、病魔に犯されながらも義のために剣を振るった平手造酒。肩で風切って歩きながらも、既に自分たちの身の置き所が世にないことを知っていた水野十郎左衛門。
 彼らの生き様は、それぞれに侠のそれでありつつも、それだけに人として哀しいものがあったのですが――

 しかしその先に、侠として生きながらも、人としての生を全うした辰五郎の姿があると思えば、大いに救われた気持ちがするではありませんか。


 そしてもう一つ――これはお詫びしなければいけないことがあります。

 私はこれまで、作者の作品で描かれてきたもの、中心となってきた人物像を、世からドロップアウトしながらも意地を捨てない者たちと紹介してきました。
 しかし本作を読めば、それが一面的なものでしかなかったことは明らかでしょう。

 ドロップアウトしようがしまいが関係ない。放浪者であろうと無頼であろうと誰であろうと…どんな道を歩もうとも決して己の節を曲げず、己の心意気を貫いた者たち――それこそが作者がこれまで描いてきたものであり、そして本作は間違いなく、その総決算と言えましょう。

(誤解をしておいて言うのも何ではありますが)作者のファンとして、時代小説ファンとして、そして侠たちが生きてきた時と場所の先に生きる者として――『慶応水滸伝』という作品に出会えたことは、この上ない喜びなのであります。


『慶応水滸伝』(柳蒼二郎 中公文庫) Amazon
慶応水滸伝 (中公文庫)


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2014.08.05

『慶応水滸伝』(その一) 侠だ。侠の所業だ!

 『天保水滸伝』『明暦水滸伝』と刊行されてきた柳蒼二郎の江戸水滸伝三部作のラストであります。前2作が過去の作品の改題文庫化なのに対し、本作は大ボリュームの書き下ろし。それだけでも嬉しくなってしまうのですが、内容の方も、男の生き様を描いてきた物語のラストに相応しい快作であります。

 タイトルのとおり、慶応――すなわち幕末を舞台とする本作の主役を務めるのは、町火消にして大侠客として知られた新門辰五郎。
 幕末の江戸を舞台とした作品、特に徳川慶喜が登場する作品にはしばしば登場する人物ですが、調べてみると相当に面白い人物であります。

 小金井小次郎や清水の次郎長といった博徒・侠客だけでなく、勝海舟や慶喜といった幕府上層とも交流のあった辰五郎の一生を描いた作品、有名なエピソードや史実をきちんと踏まえつつも、本作ならではの、作者ならではの味付けが施され、快男児が、快男児たちが活躍を繰り広げる、全編どこをとっても痛快と言うほかない物語として成立しているのであります。

 幼い頃に両親を火事で失って町火消「を」組の頭に引き取られ、以来、町火消としてめきめき頭角を現していく辰五郎。本作の第一章、第二章は、彼が「新門」と呼ばれるまでを描く、いわば誕生編なのですが、既にこの時点でとてつもなく熱い。

 失火したことを恥じ、最期の瞬間まで周囲の人々を救い、炎の中に消えていった辰五郎の両親。その想いを胸に立ち上がり、自分のような人間を増やさぬために火消しとして活躍する辰五郎の想い。そんな彼の微笑ましくも熱い恋の姿や、胸のすくような火事場の仕切りっぷり。
 そして彼が浅草の顔役として、旧来の悪辣な連中と対峙して絶体絶命となった時に聞こえてくる按摩の笛の音! と、どこを切っても魂が震えてくるような展開の連続、序盤でこんなに盛り上がってしまってよいのか、とすら感じてしまうのですが…

 しかし、その後も全くテンションが下がらぬことこそ恐るべし。
 名実ともに江戸の町火消しの頂点に立った――すなわち、江戸最高の「侠」となった辰五郎の前に現れるのは、彼に負けず劣らずの綺羅星のような侠たち。
 国定忠治、清水次郎長のような侠客だけでなく、勝海舟、徳川慶喜、さらに出番は少ないものの土方歳三や榎本武揚や山岡鉄舟といった武士たちまで…冒頭で述べたような史実上の関わりがあった者のみならず、果たして関わりがあったかわからぬ者まで、とにかく一廉の人物という共通点を持った侠たちが出会いと別れを繰り返す姿は、なるほど「水滸伝」を冠するに相応しいでしょう。

 しかし、そんな辰五郎をはじめとする侠たちが生きた時代は、決して生易しいものではありません。大地震のような天災、開国を求める諸外国からの圧力、自分の立場しか考えぬ指導者たち…と書くとどこか他人事ではないような気もしますがそれはさておき。

 そんな中でも、いやそんな中だからこそ、辰五郎たちの輝きが失われることはありません。いや、人を助けることが生業の火消だからこそ、彼はそんな困難の中に自ら向かっていくのであります。これを侠の所業と言わずなんと言いましょうか?

 そして…(以下、次回に続きます)


『慶応水滸伝』(柳蒼二郎 中公文庫) Amazon
慶応水滸伝 (中公文庫)


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2014.08.04

『股旅探偵 上州呪い村』 時代もの+本格ミステリ+メタの衝撃再び?

 旅先で看取った青年の末期の言葉を携え、上州の山中の火嘗村を訪れた渡世人の三次郎。そこで彼を待ち受けていたのは、滝壺に吊された女の死体だった。捻れた植物しか生えぬ土地、跳梁するモウリョウの伝説…名状しがたきものたちが蠢く火嘗村で、関わりのねえ事件に次々と巻き込まれる三次郎だが…

 『猫魔地獄のわらべ歌』で時代小説ファン、本格ミステリファン(主に後者)の間で賛否両論を巻き起こした幡大介の時代もの+本格ミステリ(+メタネタ)の第2弾であります。
 内容的には全く関係はありませんが、基本路線は同じ…に見えて全く異なるのは、タイトルにあるとおり、時代ものは時代ものでも、本作が股旅ものであること。
 そして舞台となるのは奇怪な伝説や因習の残る僻地――身も蓋もない言い方をしてしまえば、紋次郎meets横溝世界(暗黒神話体系もあるよ!)といったところでしょうか。

 しかし、それでいてきっちりと本格ミステリしているのが、本作の何とも心憎いところであります。


 ふらりと中山道の宿場町に現れた渡世人の三次郎。そこで起きた不可解な殺人事件の真相を暴いてみせた彼は、それが縁で重い病となった青年の死を看取ることとなります。
 自分が帰られなければ3人の妹が殺される云々と、どこかで聞いたような青年の言葉を旨に、その故郷である火嘗村で青年の祖父である名主に歓迎を受けるのですが――

 しかしほどなくして起きる第一の事件。村の女が、人が登ることはほとんど不可能な険しい滝壺に吊り下げられた死体となって発見されたのであります。
 死の直前、姿は同じながらまるで別人のように変貌していたという女とその夫。さらに名主の息子(青年と妹たちの父)の墓から死体が消えていたことから、村人たちは土地に伝わるモウリョウの仕業と怯え始めます。

 名主の依頼で3人の娘たちを警護することとなった三次郎ですが、しかし彼や村人の備えを嘲笑うように、第二、第三の事件、そして恐るべきカタストロフが…


 そもそも、股旅ものとミステリという組み合わせは一見異色に感じられるかもしれませんが、股旅ものの代表というべき『木枯し紋次郎』の作者は、ミステリ作家でもある笹沢左保。そして実際にシリーズ中にミステリ仕立ての作品も含まれていることを思えば、不思議ではありません。

 そしてその共同体とは何の繋がりもしがらみも持たぬ外部からやってきて、そこで起きた事件(に巻き込まれ、それ)を解決し、そして去っていく…股旅と探偵は――なかんずく、横溝的な世界観におけるそれは――なるほど、共通点があるではありませんか。
(そして、口数の極端に少ない渡世人という設定が、本作のような展開の事件の探偵役には実によく似合う)

 そして本作にはもう一つ、濃厚な怪奇性という特徴があります。
 先に述べたように、奇怪な伝説が息づく地で起きた、その伝説を地で行くような、あるいはこれはホラーではないか? といいたくなるような事件…というのは、ある意味定番のスタイルではありますが、本作はそれが見事に狙いどおりにはまっていると言えましょう。

 何しろ、火嘗村に近づいた三次郎が見た周囲の風景というのが、ホラーファンであればニヤリとするようなもの。後半ではその趣向がさらに濃厚になっていくのですが(そしてそれにやりすぎ感も感じるのですが)、果たしてこれらの怪奇に合理的な解決が見られるのか、というのもこの手の作品の醍醐味でありましょう。


 しかし――本作においては(特に読み始める前には)個人的にはどうしても気になる点がありました。
 それはもちろん、本作の特徴の一つであるメタネタ…作中の登場人物が、本作をミステリと認識して、ミステリ問答を繰り広げるというやつであります。

 この趣向は『猫間…』から共通する部分ですが、前作ではまさにこの点が、冒頭で述べた賛否両論を読んだ部分。個人的には、作品の根幹の部分に対するエクスキューズに使われた感があって、前作では大いにポイントを下げた点ですが…

 この辺りの賛否は作者も計算に入れてか、明らかに今回は抑えめの印象。文字通りメタ「ネタ」、笑いを呼ぶ部分として機能していたので、さほど拒否感はありませんでした。
 しかし、それが逆に、本作を無難な印象にとどめている感もあり――もっともそれは、結末による部分が大きいのですが――なかなか難しいものではあります。


『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介 講談社文庫) Amazon
股旅探偵 上州呪い村 (講談社文庫)


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2014.08.03

『血汐笛』 ニヒリズムと表裏一体のロマンチシズム

 ある晩、何者かに襲われていた旗本の娘・由香を助けた若き浪人・きらら主水。ことの成り行きに興味を抱き、彼女を守ることとなった主水の前に、不敵な怪盗・笛ふき天狗が現れる。由香を巡る秘密、そして幕府と朝廷を揺るがす陰謀に対し、主水と笛ふき天狗は、時に対立し、時に手を組み立ち向かう。

 柴錬の時代伝奇活劇であります。発表時期は昭和32年と、『眠狂四郎無頼控』や戦国三部作とほぼ同時期――すなわち初期作品に属するものであり、それゆえ後の作品とは少々変わった味わいの部分もございますが、しかし面白さは当然変わることはありません。

 本作の主人公の一人・きらら主水は、秀麗な面差しながら虚無的な陰を湛え、黒の着流しをまとった浪人。孤独な生の中、日々を虚しく過ごし、自ら望んで危険の中に身を置き、必殺の剣法を振るう――
 とくれば、これはもう完全に柴錬ニヒリスト主人公の定番に見えますが、主水の場合はまだ若い、というのが特徴と言えましょうか。真に虚無的になりきっておらず、まだ正義感や熱き血潮を色濃く残した青年であります。

 そんな主水を支えるかのように登場するのが、もう一人の主人公たる笛ふき天狗。頬に赤い笛の刺青を入れた神出鬼没な怪盗であり、実によいタイミングで現れては、何故か主水たちを助けるというその立ち位置は、柴錬主人公ではかなり珍しい部類に入りますが、伝奇時代劇ではしばしば見られるキャラクターともいえます。

 さらにその正体が(すぐに明らかになることゆえ明かしてしまえば)その将来を嘱望されながら、何のためらいもなく職を辞してきままに暮らす先の若年寄・松平千太郎とくれば、これは虚無どころかむしろ明朗型主人公と言えましょう。

 このように主人公像を見ても、後の柴錬作品とはだいぶ異なる印象がある――いわば「普通の時代劇」的な本作。
 もちろん、柴錬一流のどこか気品すら感じられる端正な文体は本作においても健在であり、むしろその明るさが好もしく感じられる作品ではあります。

 しかしそれでも私が、ああ柴錬作品だなあと本作を読んで感じるのは、主水の行動原理が、あくまでも「美しいもの、愛するものを命を賭けて守る」ことにあります。

 柴錬主人公たちも様々ですが、およそ彼らの中でかなりの割合で共通するのは、彼らが戦う理由が、社会正義や大義のためといった公に属するものではなく、むしろそれとは反対側にある、ある種私的な感情にあると言うことはできましょう。
 これまで再三述べてきたように、柴錬主人公のメインストリームともいえるニヒリストたちは、いずれも個人の感情の赴くまま、その剣を振るっているのですが――

 しかしその個人の感情で最も強いものは――少なくとも作者がそう信じているのは――愛ではありますまいか。
 女性に狼藉を働くことも躊躇わぬニヒリストになんの愛よ、と笑われるかもしれませんが、その代表格たる狂四郎が、母や最愛の妻のような薄幸の女性にどれだけ真摯な眼差しを向けていたか――しかしそれが同時に自虐的な振る舞いと表裏一体なのがまた彼らしいのですが――を考えれば、明らかでありましょう。

 そして本作においては主水のほかにもう一人、愛に命を賭ける男がいます。未読の方のために詳細は伏せますが、いかにもな悪役、典型的な剣鬼キャラとして登場しながら、その無頼の心に残っていた最後の愛故に、男は大きくその運命を変えていくこととなります。


 柴錬作品から人が受けるイメージは、やはり「無頼」「ニヒリズム」でありましょう。しかし私はむしろそこからそれと表裏一体の「ロマンチシズム」を感じます。

 虚無的に生きるしかないこの生においても、必ず命を賭けるに相応しい美しいものが存在する――それこそが柴錬のロマンチシズムであり、まだそれを覆うスタイルが確立する以前の作品だからこそ、本作はそんなロマンチシズムが特に色濃く感じられる作品なのではないか、と考えてしまうのは、贔屓の引き倒しでありましょうか。


 ちなみに、インパクト重視のネーミングが多い柴錬キャラの中でも、おそらくは「きらら主水」は最強でありますまいか(まさしくキラキラネーム?)
 小島剛夕がパロディにしたのもむべなるかな。


『血汐笛』(柴田錬三郎 春陽文庫) Amazon
血汐笛 (春陽文庫)

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2014.08.02

『ますらお 秘本義経記 修羅の章』 「義経たち」の叫びの先に

 既にシリーズ最新作『大姫哀想歌』が刊行された後に今頃で恐縮ですが、その前に廉価版コミックで刊行されてきた18年前のシリーズの完結巻『修羅の章』を紹介いたしましょう。ついに挙兵した兄・頼朝の下に馳せ散じた義経。しかし彼が怨敵・平氏の前に戦うこととなった相手とは――

 瀬戸内、九州と、数々の死闘の果てに少しずつ成長し、仲間を増やしてきた義経。そして奥州に招かれた彼は、そこで一時の安らぎを得、人間性を回復していったかに見えたのですが…しかし歴史が示すように、この先に彼を待つのは修羅の生。そしてこの巻で描かれるのも、頼朝麾下で戦いに次ぐ戦いを繰り広げる義経の姿です。

 鞍馬山を脱出し、荒れ狂う少年時代の義経を描いた第1巻、放浪時代の義経主従の姿を伝奇性豊かに描いた第2巻に比べれば、この巻で描かれるのは、ある意味史実通りの義経の姿であります。
 しかし、表に表れる姿は史実通りであっても、その下の義経の――そして彼と同じ時を生きる人々の心は、優れて本作独自の、本作ならではのものでありましょう。

 その本作独自の視点が象徴的に表れているのが、この巻で描かれる義経最初の戦い――旭将軍・木曾義仲との戦いであります。

 平氏を都から追って凱旋し、一度は征夷大将軍の位に就きながらも、その横暴により同族である義経ら鎌倉勢に討たれた義仲。
 …と書けば何の疑問もない史実(通りの物語)のようですが、しかし本作においては、実は矛盾があります。

 というのも本作の義経の戦う動機は、己の運命を歪めた平氏への復讐。たとえ周囲の思惑はあれど、その義経が自分の血族であり、平氏と戦う同志を討つ理由はないのですから…

 しかし、そこで大きな意味を持って描かれるのが、義仲の息子であり、頼朝の娘・大姫の許嫁である義高の存在であります。
 娘の許嫁とは言い条、実質的には人質の身である義高。つまり大人たちの思惑によって自由を失った籠の中の鳥である義高は、本作の義経にとっては、もう一人の自分とも呼べる存在なのです。

 そして義経が義仲との戦いに向かうのは、義高の父である義仲を救うため――すなわち義高を、さらに言えば過去の自分を救うため。いささかウエットにすぎる――特にこれまでの義経の姿からすれば――と感じられるかもしれませんが、しかし本作の義経からすれば、いささかも矛盾はありますまい。

 それにしてもこれまで無数に描かれてきた義経ものではありますが、ここまで義高の存在を、いわばもう一人の義経としてクローズアップした作品はほとんどなかったのではありますまいか?(「大姫哀想歌」ではその度合いがさらに高まっているのですが…)


 そしてこの先描かれるのは、義経にとっての真の戦い――物語当初からのライバル(とあちら側がみなしていた)平維盛、そして義経にとっては最大の敵となる平知盛との戦いなのですが…
 しかし、その戦いの中においても、単純に善悪が分かれて描写されることはないことは言うまでもありません。いや、そもそもこの戦場に善悪などはなく――そこにあるのは、ただ歴史のうねりに運命を狂わされた者たちの怒りと怨念の叫びのみでありましょう。

 それこそが本作における義経の「歪み」なのであり――そしてその歪みを背負ったのが一人彼のみでなく、義高も、義仲も、維盛も、知盛も、そして敦盛もそうであることを思えば、本作はあるいは「義経たち」の物語であり、その総称としての「ますらお」だったのではありますまいか。


 しかしそんな世界に救いがあるとすれば、そんな中でも人を信じ、愛する静のような存在があることでしょう。
 そんな彼女と義経の再会で本作が一旦の幕を閉じるのは、一つの救いと感じられるのですが…

 それがほんの一時のものでしかなかったことは、18年後の続編が語ることとなりますが、それはまた別にご紹介するとしましょう。


『ますらお 秘本義経記 修羅の章』(北崎拓 少年画報社ヤングキングベスト廉価版コミック) Amazon
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2014.08.01

「義風堂々!! 直江兼続 前田慶次花語り」第1巻 時代に散る花の物語、開幕

「義風堂々!! 直江兼続」の第3シリーズにして最終シリーズ、「前田慶次花語り」の第1巻が刊行されました。原作は言うまでもなく原哲夫、作画担当は出口真人に替わり、豊臣秀吉の死から関ヶ原の戦に向かう怒濤の時代と、そこに生き、散っていった男たちの姿が描き出されることとなります。

 これまで、第1シリーズの「月語り」では、信長の時代を主な背景に兼続の青春時代と主君・上杉景勝との絆を、そして第2シリーズ「酒語り」では秀吉の天下取りを背景に兼続の出生の秘密が隠されたアイテムの争奪戦を描いてきた「義風堂々!! 直江兼続」。

 そしてこの「花語り」では、幕府樹立を狙う徳川家康とそれに抗する石田三成らの決戦である関ヶ原の戦――戦国時代の終わりの始まりが描かれることになります。
 その関ヶ原において上杉家が、兼続が独自の、大きな役割を果たしたことは言うまでもありません。本作においては、そんな彼の姿もまた、当然描かれることになるのでしょう。

 さて、「義風堂々!! 直江兼続」シリーズは、元々原哲夫の「花の慶次 雲のかなたに」のスピンオフという扱いであったと記憶しています。
 その「花の慶次」の終盤では、関ヶ原の戦前後の慶次の姿が描かれましたが、戦そのものはさして描かれていなかった印象。いわばミッシングリンクと言える部分であり、それがこうして読めるというのはなかなか感慨深いものがあります。

 しかしこの第1巻で描かれるは、まだ戦の2年前の時点。秀吉の死と、それを機にしての家康の暗躍、そして三成の苦闘が描かれることとなります。
 その中で中心となるのは、やはり三成の存在。兼続の親友であったことを考えれば当然かとは思いますが、本作においては敬愛する秀吉の死に涙を流し、家康の野望に苦しむ姿は、ほとんど主人公扱いと感じられます。

 この辺り、「花の慶次」で三成がさんざんコケにされていた姿を思うと隔世の感がありますが、フィクションの世界での三成観の変化もあると思うべきでしょうか。

 一方、兼続の方は、旧シリーズから登場している豊臣方の忍び・乱裁道宗によって秀吉の死と、豊臣家守護を託され…という扱い(北条氏康も武田信玄も、子には上杉謙信を頼れと遺言していたから、というロジックがちょっと面白い)。


 というわけで、この第1巻ではこれから三成が朝鮮からの撤兵調整に向かうという時点で、物語はまだまだこれから。
 唯一気になったのは、冒頭で触れたとおり、今回から交代となった作画が、明らかにパワーダウンしていることなのですが…

 ちらりと出てきた秀忠のキャラが、どう見ても隆慶作品の秀忠像だったり、家康の周りには影武者だらけという台詞があったりと、個人的にはツボの部分もあるのですが…
(もっともこの辺り、隆慶作品とはややこしい関係となっている本シリーズのことを考えると複雑な気分ではありますが…)

 物語はこれからが本番、この先の展開に期待しましょう。


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