『猫絵十兵衛御伽草紙』第10巻 人間・猫・それ以外、それぞれの「情」
『ねこぱんち』誌の看板作品の一つである『猫絵十兵衛御伽草紙』も、ついにこの最新巻で二桁の大台に乗りました。人間の猫絵師の十兵衛、(元)猫仙人のニタの凸凹コンビや、彼らを取り巻く人間と猫、それ以外の面々も相変わらず元気であります。
さて、記念すべき第10巻といっても、良い意味でいつもと変わらない世界が展開される本書。
今回収録されているのは、「猫和尚の修行」「翼ある猫」「猫先生の終日」「お伊勢猫」「鉄之猫」「年猫」「角力猫」「衝立猫」と、今回も少し多めの全8話となっております。
お話の方も、猫又やら付喪神やらが登場するちょっと不思議なお話から、江戸の庶民と猫の日常の触れあいまで、相変わらずバラエティに富んだ内容。
そしてそこに共通するのは、狂言回しとしての十兵衛とニタの存在は言うまでもなく、江戸の文化の確かな描写と人情の暖かさ、そして猫たちの可愛らしさであります。
例えば「お伊勢猫」は、病身の飼い主のために一念発起してお伊勢参りに出かけた猫のお話。
…というとまるで猫又のようですが、あくまでも本作に登場するのは、ごく普通の猫。
犬がお伊勢参りに行ったという話は私も何かで読んだことがありますが、本作はそれを踏まえつつ、猫をお伊勢参りに向かわせたというのが何とも楽しい。
しかしもちろん楽しいだけでなく、人や犬に比べれば弱い存在である猫が、それでも必死に伊勢に向かうその姿の健気さ――猫又ではなく普通の猫だからこそ、無言で旅するその表情のひたむきさが胸を打ちます――と、猫を見守り、彼もまたお伊勢参りの一員として遇する人々の姿が、強く印象に残ります。
一方、「鉄之猫」は、年を経た五徳(炭火の上に置いて鉄瓶などを載せる三本足の器具)が変化した付喪神・五徳猫と十兵衛&ニタの交流を描く物語であります。
猫の姿をしているものの、器物の精というある意味ピュアな存在である五徳猫。
そんな彼(?)に対する十兵衛やニタの接し方を通して、人間とそれ以外の間に厳然として存在する種の違いを浮かび上がらせるのにはドキッとさせられますが(そして同時に妖怪ものはこうでなくては、と頼もしくも思うのですが)、そこからさらに、そんな違いを越えた個の在り方に繋げていくのが実に本作らしい。
人間も動物も、猫又や妖怪も、あるいは神仏も――姿形や生まれこそ違え、皆この世界の住人であり、そしてそれぞれに「情」を持つ存在であると描いてみせる点こそが、本作の持つ根本的な優しさ、暖かさの所以ではないか…
と、第10巻のこの巻で、改めて感じさせられた次第です。
(その一方で、猫好きなのにもかかわらず、いやそれだけに猫に避けられる人の姿をひたすら描く「衝立猫」のような、猫好きにとっては大いに苦笑と共感を誘うエピソードもあるのがまた本作らしいのですが)
人間も猫もそれ以外も、皆等しく自分自身として存在している世界。
それは実は、本作の中においてすら成立が難しい一種の理想として描かれてはいるのですが、しかしそれだけにどこまでも魅力的であり――そしてその一端が示されたときに人を感動させます。
本作では、これからも変わることなく、そんな理想郷を描いていっていただきたいものです。
ちなみに作中でニタが十兵衛を罵る際の台詞に、まげも結えないような頭、というようなものがあるのですが、これは単に十兵衛が極度の癖っ毛なのか、はたまた(その育ちによる)不思議な体質なのか…?
小うるさいファンとしては、こういうところにきちんと設定があると嬉しくなってしまうのですが、さて。
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