『陰陽師 螢火ノ巻』 なおも新しい魅力とともに
ありがたいことに最近はほぼ年に一冊は夢枕獏の『陰陽師』シリーズが刊行されているのですが、そのシリーズもこの『螢火ノ巻』で第14巻め。長きに渡れどもまったく面白さの変わらぬシリーズですが、この巻ではこれまでに比べるといささか異なる趣向が用意されているのです。
今回は『双子針』『仰ぎ中納言』『山神の贄』『筏往生』『度南国往来』『むばら目中納言』『花の下に立つ女』『屏風道士』『産養の磐』と、全9編が収録された本書。
人並み外れた才を持つ陰陽師・安倍晴明と、彼の親友であり笛の名手の好漢・源博雅が、都を騒がす怪異を解決していく……
というシリーズの基本スタイルは今更申し上げるまでもないかと思いますが、実は今回、うち3編はそのスタイルから大きく外れることとなります。
というのも、そこで主人公を務めますはあの蘆屋道満……晴明に匹敵する腕を持ちながらも野にあって飄々と生きるあの怪人。
都に居を定めた晴明に対し、一つところに留まることなく放浪を続ける彼が出会った怪異の数々が、本書では描かれます。
たとえばその一つ、『山神の贄』は、常陸の山中で破落戸たちに襲われていた女を助けた道満が巻き込まれた事件を描いた作品。
その美声を気に入られて山神に夫を奪われたという女のため、なりゆきから道満は山神と対峙することになるのですが――
お話そのものは比較的シンプルですが、ここで印象に残るのは道満の人間くささ。ライバルたる晴明が怒りや涙をほとんど全く見せないのに対し、道満は無頼のようでいて、本作のラストで見せるように、実はまことに感情豊かなのが何とも楽しいのであります。
あとがきで作者が触れているとおり、なかなか都から離れられない晴明とは違い、ふらりとどこか遠くに顔を出せるのも道満の魅力で、これからも彼の活躍は続くのでしょう。
しかし、もちろん晴明と博雅も負けてはいません。今回もそれぞれに味わい深い作品が並びますが、まずその中で特に印象に残ったのが、『仰ぎ中納言』であります。
物語の中心となるのは星を仰ぎ見るのが好きでたまらないことから、仰ぎ中納言のあだ名をつけられた老貴族。
しかしこの中納言、口にしたものがすべて現となるようになり、特に人の不幸を当ててしまったことから、周囲から敬遠されるようになってしまいます。
そんなある日、彼に語りかける何者かの声。声は、藤原兼家に不幸が起きると口にせよと脅してくるのですが…
ユニークな登場人物に、彼を襲うこれまたユニークな怪異。その怪異の謎解きだけでも楽しいのですが、本作ではさらにその先に、もう一つの、何とも唖然とするようなスケールの謎解きを用意しているのがたまりません。
それほど数が多いわけではありませんが、本作のように、一種お伽噺的な、野放図なスケール感もまた、シリーズの魅力の一つでありましょう。
そしてもう一編挙げるとすれば、何とも味わい深いのが『屏風道士』。山水の中に立つ、窓も入り口もない堂を描いた屏風を手に入れた藤原兼家。古びたその屏風を直すため、名人として知られる老渡来人を招いた兼家ですが、その老人は堂に扉を描くと、なんとそこから絵の堂の中に入り込み、閉じこもってしまい……
絵の中に描かれた風景の中に消えてしまうというのは、これは神仙譚ではしばしば見かけるパターンではありますが、しかし本作においては消えず、絵の中に閉じこもるのみ。
本作で晴明と博雅が解き明かすのは、そんな老渡来人の行動の理由なのですが――
本作に限らず、本書の随所に見られるのは、「老い」との対峙……と言うと少々言い過ぎかもしれませんが、自分や周囲が年経りていくことをどう受け止めるかという、平安の世においても今このときにおいても通じる問題が、本書の遠景にはあります。
そして本作で描かれるその答えは――切なくも『陰陽師』らしいそれと言うべきでしょうか。
既にシリーズ開始から約30年が経ちながらも、まだまだ新しい魅力が現れる『陰陽師』。この先も、末永くこの世界が続くことを楽しみにしております。
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