『操の護り 御広敷用人大奥記録』 走狗の身から抜け出す鍵は
まだまだ続く吉宗と大奥の対立。吉宗の尖兵として大奥を相手にする御広敷用人・水城聡四郎の戦いもまた、いつ終わるともわかりません。しかしこの巻では再び吉宗の愛する竹姫に魔手が――それも卑劣極まりないものが迫ることになります。それに対する聡四郎の秘策とは……
吉宗の打ち出した大奥改革に激しく反発する天英院と月光院。その矛先は、これまで大奥で忘れられたように暮らしていた、そして今や吉宗の想い人である竹姫に向かうことになります。
茶会の場で彼女に恥をかかせようという陰湿な企みは吉宗の計らいで阻まれたものの、天英院は竹姫を大奥から放逐するため、さらなる悪辣な企みを巡らせます。
ここで述べるのも憚られるような、あまりに汚らわしく下劣な企みの内容は本作のタイトルから察していただくとして、それを阻むべき聡四郎の方も、己の身に降りかかる火の粉を払うのに必死であります。
ほとんど私怨に近い形で続く伊賀者の襲撃は止むことなく、自宅で保護していた伊賀のくノ一・袖にまで突然の攻撃を見舞われる始末。
襲撃の首謀者たる御広敷伊賀者頭・藤川は、その座から放逐されたもののかえって執念を燃やし、さらなる策を巡らせます(さらに、御広敷用人内部でも地味に陰謀が……)
その状況を一気に打開する、とまではいかないまでも、一石二鳥となる聡四郎の策の効き目は……
と、そんな本作で特に印象に残るのは、しかし、聡四郎以上に、過酷な運命に追いやられた人物の存在であります。
それは天英院と結ぶ館林松平家から、大奥に五菜(大奥で働く男の使用人)として送り込まれた男・太郎。
最下級とはいえ武士の身分から、権力者の道具として五菜にされ、家族まで人質に取られた彼は、本作においてある命を与えられます。
あまりにも愚劣にして理不尽な命に逆らいたくても、上役の命令と家族の生命、幾重にも縛られ、従うしかない彼の姿は、まさに走狗としか言いようがありませんが――
しかし、その彼を愚かと無条件に笑うことが果たしてできるのか、大いに考えさせられるのです。
権力者に見込まれたばかりに難題を押しつけられ、苦闘を強いられる――それは上田作品の主人公には定番ではありますが、しかし彼らの敵に回る側にも同様の状況があります。
権力者でなければ走狗となるしかない……というのは極論かもしれません。
しかし、果たしてそのような状況に陥った時に如何に行動するべきか、そして何よりも、主人公たちとそれ以外を分かつものは何なのか――上田作品を手にする時、そんな思いは常に胸をよぎるのであります。
(そして今回、その権力者たる吉宗に対して、竹姫への下劣な企みにも匹敵する嫌悪感を感じてしまうのは、これは無理もないことではないでしょうか)
しかし、その苦しみから抜け出す鍵の一つは、個人と個人のポジティブな結びつき――男女の愛、家族の愛にあるのでしょう。
本作で描かれる、聡四郎の右腕とも言うべき大宮玄馬とある女性の間に生まれつつある感情は――あまりにも不器用すぎて不思議な微笑ましさすらあるのですが――その希望の萌芽として感じられるのであります。
思えば作者の作品では、デビュー以来一貫して継承を巡る暗闘と、その中での権力と個人の相剋が描かれてきました。
その先に何があるのか、本シリーズならではの答えが出される日は遠くないのではないか。本作の結末からは、そう感じさせられるのです。
『操の護り 御広敷用人大奥記録』(上田秀人 光文社文庫) Amazon
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