『ヤマダチの砦』 山の民と成長劇と時代ウェスタンと
とある小藩の江戸家老の三男・新三郎は、見かけは美男だが品性愚劣な遊び人。父に京までの使いを頼まれた新三郎は、気楽な気分で旅に出るが、箱根山中でヤマダチ(山賊)の襲撃を受ける。強弓を自在に操る謎の男・魁に救われ、行動を共にすることになった新三郎。だが事件には複雑な裏が……
まことに申し訳ないことですが、特に理由はないにも関わらず、すっぽりと紹介しそびれていた作品というものがあります。
ユニークな時代活劇を次々と発表する中谷航太郎のデビュー作であり、後に「激闘秘録 新三郎&魁」のタイトルでシリーズ化された本作も、その一つであります。
本作の主人公となるのは、シリーズタイトルにあるように、新三郎と魁の二人の若者ですが、これが実に対照的な二人。
新三郎は小藩とはいえ江戸家老の息子という歴とした武家の生まれ。六尺豊かな長身に、不釣り合いなほどの美貌の持ち主なのですが、その中身はどうしようもない品性愚劣、何よりも女に目のない放蕩児であります。
一方の魁は、生まれついての野生児であり、並みの男では引くこともできない強弓の使い手。普段はそれなりに陽気な男ですが、戦いに当たっては一切の感情を捨てて相手を屠る戦闘マシーンなのです。
そんな二人が出会ったのは箱根の山中。父に頼まれ、気楽な使いと、飯盛り女目当てで旅に出た新三郎ですが、獰猛なヤマダチ(山賊)の群れに襲われ、あわやのところを魁に助けられることとなります。
しかしヤマダチが新三郎を襲撃したのは偶然ではなく、実は彼が父から託された書状目当て。そして魁の側にも、ヤマダチと戦う理由があったのであります。
ゲリラ戦の達人ともいえる魁によって次々と倒されていくヤマダチ。しかし彼らの本拠である砦は難攻不落、魁の属する山の民の一族という頼もしい味方が加わっても、攻略は困難を極めることに……
そんな物語である本作は、様々な要素を持ちます。その一つは、いわゆる「山の民」ものという点でしょう。
定住する地を持たず、山中を漂泊し、狩りなどで生活するサンカなど山の民は、時代ものには時折登場する存在であり、最近では長谷川卓の『嶽神』シリーズなどの題材となっています。
確たる支配制度が確立された江戸時代においても、それに束縛されることなく自由に生きる山の民、というのは、多分に後世の理想が混じった概念でありましょう。
それを承知の上でなお、太平の時代の武士としての生き方に縛られ(というよりむしろ安住し)てきた新三郎や、己の欲の赴くままに無秩序に暴れ回るヤマダチたちに比べ、魁たちの姿は魅力的に映ります。
そしてそんな彼らと接するうちに新三郎が大きく成長していく、成長小説としての側面が、本作にはあります。
冷や飯食いとはいえ生活の心配もなく、日々呑気に遊び暮らしてきた新三郎。そんなどうしようもない軟弱者であった彼が、否応なしに生死の境に放り込まれ、さらに魁をはじめ自分とは生まれも育ちも考え方も全く異なる人々と接することにより、戦士として、いや何より人間として大きく成長していく……そんな青年の爽やかな成長劇も、本作の魅力の一つでありましょう。
しかし本作の最大の魅力は、物語の大部分を使って繰り広げられるアクションの連続――それも時代劇としてのチャンバラ以上に、西部劇的な弓と銃による大乱戦にあります。
無法者たちが集まった山賊とは言いつつも、銃器を揃え、下手な軍隊顔負けの戦力を持つヤマダチたち。山中に作られた堅牢な砦に籠もる彼らとの戦いは、ある意味自然に飛び道具の応酬となります。
果たしてこの時代、ここまでの銃器を集められるのか、という疑問はなきにしもあらずですが、幕末や明治時代の蝦夷地はともかく、享保の内地を舞台に、ここまで爽快にウェスタンしてみせた作品は、そうはありますまい。
(もちろん、銃撃戦にとどまらず、それに対して弓矢で挑む野生児・魁のゲリラ殺法もまた最高に燃えるのであります)
文章や構成等、デビュー作ゆえの粗さはあります。何よりも新三郎が比較的早い段階にイイ子になってしまい、彼の最大の特徴である品性愚劣さがほとんど生かされていない点は気になります(この辺り、『晴れときどき、乱心』に反映されているのでしょう)。
それでもなお、これまで述べたような本作を構成する様々な要素と、それを巧みに組み合わせた物語は実に魅力的であり、そしてそれ故に現在にまで至るシリーズとして、物語が展開しているのでしょう。
遅れた分少々気合いを入れて、シリーズを紹介していきましょう。
『ヤマダチの砦』(中谷航太郎 新潮文庫) Amazon
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